第3話 違和感だらけのこの町
部屋を出ると廊下があり、突き当たりには下へと続く階段。その階段を降りていくと、初めて部屋が三階にあったことを知る。なるべく音を立てないように階段を降りると、一階へ着く前に呼び止められてしまう。
「あの、ご利用のお客様にご面会でしょうか?」
声の方を振り向くと、二階の降り口から人影が見える。
(あ、これは駄目なパターンでしょ? 宿泊客だと思われてないかも)
育江は内心焦りはしたが、すぐにそれらしい言い訳をすべきか悩んだ。ちらりと受付らしき場所を見ると、幸い誰もいないことを知り、これを使わせてもらおうと思うのだった。
「あ、その、部屋が空いていたらお願いしようと思ったんですが、その、誰もいなかったもので」
「あぁ、そうだったんですね。二階のお客様に用事があったので、受付を開けてしまいました。申し訳ありませんね」
(ごめんなさい、でも助かった。やっぱりあそこの部屋、借りてるわけじゃなかったのね)
育江はほっと胸をなで下ろす気持ちになる。
慌てて駆け寄ってくる女性の姿が確認できた。受け答えの感じから、育江はある違和感を感じていた。
実のところ、PWOにいる
だが中には、運営側の
前者も後者も、『~そうだったんですね』ではなく、『~そうだったのですね』のような話し方をしている。育江が今聞いたような感じに、くだけた話し方はしなかった。
育江はそんな違和感を感じながら受付前で待っている。その女性はやや遅れて戻ってくると、カウンターテーブルをくぐって中に入った。カウンターの背にある壁にはドアがある。おそらく奥は、事務所かなにかになっているのだろう。そう育江は思っていた。
「ところで、部屋は空いてますか?」
「はい。三階の一番奥の部屋ですが、空いていますよ」
三階の一番奥というと、間違いないはず。ついさっき育江が出てきた部屋だ。
「一泊食事なしで銀貨一枚になりますね。それでよければ、ご案内できますよ」
育江は思い出してみた。PWOのころは、最初にログインした部屋が、自動的に借りていた場所となっていた。宿代の請求をされたことがないということもあって、こんなことになるとは思っていなかった。
(あれ? ゴールドが基本通貨じゃなかったっけ?)
金貨何枚、銀貨何枚という表現ではなくて、金貨一枚が一ゴールドだったはず。公式で売ってる『とまじゅー』ことトマトジュースなども、ケース売りのような十本一単位だったこともあって、一杯単位の金額は考えることもなかった。
「あの、これでどれくらい泊まれますか?」
ポケットにある虎の子金貨二枚のうち、一枚を取り出してカウンターテーブルへ置いた。
「はい、そうですね。金貨一枚なら十日、ですね」
銀貨十枚で金貨一枚という確認はとれた。少なくとも、銀貨の価値が金貨よりも上ということがなくて、助かったともいえるだろう。
「それなら十日分、前払いでお願いできますか?」
「はい、ではこちらへ記帳お願いしますね」
お願いされたものは、宿帳なのだろう。先客の名前もカタカナで書いてある。漢字のような記述で、名前を書かれてはいないようだ。育江は『イクエ タカキ』と書くことにする。
「はい。タカキさんですね。こちらがお部屋の鍵になります。朝からお部屋の換気をしていたものですから、ドアの鍵を開けてあります。お出かけの際は、鍵を閉めてくださいね」
「はい、ありがとうございます」
鍵を受け取ると、育江は三階へ向かう。
(危なかった、三階の奥ってあの部屋だったよね?)
階段を登り直し、一番奥の部屋へ行くとドアを開く。部屋に入るとやはり、さっきの部屋で間違いなかった。ベッドに敷かれたシーツも、育江が倒れ込んだときにできた
育江はベッドに座ると、ひとつ大きくため息を吐いた。
(危なかったぁ――ほんと、運が良かったわ。まさか無断で使ってたなんてね……)
どうりで水も綺麗なはずだ。おそらくは昼辺りに入れ替えた新しいものだったのだろう。機転が利かなければ、不法侵入の恐れもあったということになる。
(とにかくあれよ。……トイレを勝手に使っちゃって、ごめんなさい)
育江は心で手を合わせたのだった。
グラスに水を注いで、喉を潤す。PWOは、飲食について、再現性がものすごく高かった。だがあれは、分子レベルで
「あ、おいし。常温だから? ぬるい感じはするけど、なんだろう? 柑橘系の香りもするわ」
今感じたように、口の中へ水が染み込むような感覚は薄い。水を口に含んだときに感じる微妙な違いや、飲んだ後に鼻へ抜ける残り香などの再現は難しかったはず。
育江の違和感は深まるばかりだった。
▼
色々と考え事をしていたからか、窓の外は薄暗くなっていた。
「ぽちっとな」
システムメニューに表示された時間は、午後六時になっている。時間を見てしまったからか、『くぅ』と可愛らしい音がお腹辺りから鳴った。
「とりあえずギルドに行って、それからご飯かな?」
育江はドアを閉めて、鍵を掛ける。部屋の中に私物はないが、こうして鍵を掛けると安心感があった。
階段を降りて、受付を見ると誰もいなかった。おそらくは、裏が事務所でそこで待機してるんだろうと育江は思う。
木製の大きなドアを開くと、外へ出ることができる。薄暗い空だったが、町中はあちこち街灯が灯り、足下もしっかりと見えている。
この町の名前は確か、『迷宮都市ジョンダン』。ダンジョンのアナグラムで安直すぎるとネタにされたこともあった。
PWOを始めて、最初に降り立つ場所は、聖王国エルニアムの王都にある城下町。ここはエルニアムからかなり離れており、時空魔法を使えば一瞬だが、馬車で二ヶ月ほどかかるほどだ。
育江は、スキル数の都合上、時空魔法取得イベントだけはクリアしていたが、上げていなかった。だからこのジョンダンへ来る際、親切な人に飛ばしてもらった経緯がある。それ以来、ここが彼女の活動の場になっていた。
遠くから肉の焼けた匂いなどが漂ってくる。再度育江のお腹が鳴るが、とりあえずご飯は後だ。
夕日で真っ赤に染まった背の高い塔が見える。あの真下に、ダンジョンがあり、あの塔の中に探索者ギルドの本部がある。
ダンジョンから
育江は、観光目的で一度だけ、入った覚えがある。食指が動かなかったこともあり、ただ覚えがあるだけで、ほとんど記憶に残ってはいない。
ダンジョンに入ることが全てではないと思ったが、ここにいたほうが仕事が多いことから、この町へ移り住むことになった。
この町のどこにいても、ダンジョンを管理するあの塔が見える。その塔の中にあるからか、ギルドへ行く際も迷子になることはない。育江も目的地がはっきりしているからこそ、空腹はある程度我慢ができるというものだった。
育江の記憶が正しければ、こうして行き交う人々の大半は、プレイヤーキャラクターだった。そのときは様々な、ときに派手なアバターを身につけた人がいたはず。だが、今はその姿は確認できない。
これだけの違いがはっきりしていると、ここはほぼ仮想空間でない可能性が高い。単純に育江は、まだ信じ切れていないだけだろう。長く見慣れたはずのこの町も、彼女の目に映るものは、どこもかしこも違和感だらけなのだから。
育江が宿泊している宿の名は、ついさっき覚えたのだが『トマリ』という。ダンジョンの町『迷宮都市ジョンダン』ということもあり、宿屋が多く集まる
塔へ向かう道途中は、飲食店の多い地区もあれば、衣料品、武器防具などの地区もある。これだけの需要があるのなら、ギルドでの依頼もそれなり以上にあると期待できる。
(前に見たときと、同じくらいに大きいねー)
首が痛くなるほど、見上げなければならないくらいに塔は大きい。マンションやビルで表現するならば、二十階建てと同じくらいはあるだろう。
事実、比喩などではなく、見上げているだけで首に負荷がかかるのか、少しだけ痛くなってくる。こんな
塔の中に入ると、大げさに矢印のある看板が掲げてあった。左はダンジョンへ降りるための
階段を登って二階へ、そこにはドアがあって、ドアの上には『長い杖の先にランタンがぶら下がっている絵』がある看板。その絵は見覚えがある、確かに探索者ギルドのマークだった。こちらも同じ絵が使われているようだ。
ドアの前に立つと左から右へドアが滑るように開く。木製の二メートル半はあるドアに見えるが、実のところ自動ドアだった。ここまで同じだと、ここがジョンダンのギルドだと認識しなければならないようだ。それでも各所、違和感のように違う部分があるのは否めない。
入り口を抜けると、『トマリ』の受付前よりも数倍広い空間。PWOでは情報交換の場でもあったからか、受付前のホールにはプレイヤーたちが沢山いた。けれどここは数人、掲示板で依頼を物色しているだけ。
レイアウトはあちらと同じに思えるが、掲示板に使われている木材の色味や、カウンターの材質などに若干の違いが見られる。
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