第2話 プロローグ後編
窓を開けると、目下に広がるは人が沢山通る道。犬耳、猫耳、角のあるなしに関わらず、様々な種族が行き交ういつもの光景。
(さて、何をしようかな?)
育江がいつものように、そう思ったとき。
「ぐあっ」
左側からそんな鳴き声が聞こえる。声の方向を振り向くと、そこには育江が大事に育てた『シルダ』と名付けた
なぜシルダと名付けたかというと、育江が育て始めたときに、シルダの
あちこちのブログなどで、PWOのペットことが書かれてはいたが、そんな話は聞いたことがない。育江はまるで、彼女を盾を持った戦士のように思えた。盾だからシールド、シルドでは女の子っぽくないからと、シルダと名付けたという経緯があったわけだ。
シルダの頭部はいかにもドラゴンという様相をしてはいるが、身体のつくりは子供のドラゴンのようだ。体長は一メートルあるかないか。銀色とも灰色ともいえない細かな鱗があり、尻尾の長さは五十センチほど。二本の足でしっかりと立ち、腕ぷにぷにで可愛らしい手を持つ。
背中には『飛べるの?』と心配してしまうほど、小さな翼。くりくりした可愛らしい目。実際、レッサードラゴンは空を飛べない。PWOの運営サイト、トップページにもデフォルメされたイラストが描かれており、レッサードラゴンという種族名は略されて、『れさどら』の愛称で呼ばれる、人気のマスコット的な
「ぐあっ」
育江が羽織る外套の裾をつんつんするこの仕草。シルダがよくやる『はら減った』の合図。
「ちょっと待ってね、えっとたしか」
倉庫のボタンを押す。数十枠はあるインベントリには、『焼いただけの蛇肉』があった。料理スキルを上げ始めたときに、ひたすら作って置きっぱなしにしていたもの。
インベントリの中は、時間の経過がものすごく遅いらしい。入れた氷も、溶けることなく残っていたりするくらい。
育江がテーブルに備え付けの椅子に座ると、シルダはとなりの椅子にちょこんと座る。大きく口を開け、まるでひな鳥のように待っている。
育江はシルダの口に、二、三個まとめて『焼いただけの蛇肉』を放り込む。これまた嬉しそうに咀嚼する。シルダたち肉食の獣魔は、生肉でも構わないのだが、なぜか生肉よりもこっちを好む傾向がある。
こうして見ていると、シルダたち獣魔はまるで生きているみたいだ。PWO公式サイトには、獣魔にも
シルダを育て初めてもう四年以上になる。ときに『中の人』が演じているのではないかと勘ぐってしまうほどに、日に日に人間くさくなっていくシルダは、見ていて飽きないくらいに可愛らしい。
育江も自分で食べようと思ったが、このままでは味が薄すぎる。インベントリから塩を出す。ついでにお皿も出して、塩を入れる。
『焼いただけの蛇肉』にちょんちょんとつけてぱくり。淡泊で筋がなく、なかなか悪くない。ちょっと乾燥した焼き鳥のような食感。これが一番、単価も手間もかからない料理だというから奥が深い。
「ぐあ」
「はいはい」
ちなみにこれは俗称ではなく、インベントリにある格納された、アイテム名として表示される名称も『焼いただけの蛇肉』だったりするのだ。料理スキルを持たない状態から、スキルを得るために、何個も肉を焦がして『焦げた蛇肉』を必要数作らなければならない。
そうして『焦げた蛇肉』が『焼いただけの蛇肉』に変化した瞬間、料理スキルを得ることができる。そのため、料理スキルを持っている人は、誰でも知っている料理でもあった。
シルダは、自分のおなかをぽんぽんと叩いて、『満腹』を意思表示すると寝転がり、お腹を上に向ける。ほんとうに、人間くさい。
「……あ、忘れてた。代行、しっかりやらないとだね」
「ぐあっ」
育江の言う『代行』とは、獣魔の育成代行のアルバイトのことだ。ゲーム内通貨を稼ぐために、探索者ギルドの掲示板にある依頼から探している。ギルドの受付は、運営会社が雇用した『キャスト』と呼ばれている、育江たちと同じ
物品の受け渡しもシステムが介入するので、持ち逃げなども起きる心配がない。このゲームは実名登録であり、未成年は身元保証人が必要で、両親のいない育江は病院の事務局に保証人になってもらうほど徹底されている。
マスコットのように可愛らしい、『れさどら』を連れて歩いている人は少なくはない。もちろん、『れさどら』以外のペットも同様である。行き交う人々に手を振って愛想を振りまくシルダは、見た目ですぐに『長い時間をかけて育てた』とわかるからか、それなりに有名だったりする。
ギルドで受付を済ませ、獣魔の入ったマジックアイテム『ペットケージ』を受け取る。
「一日お願いしますね」
「はい。きっちり育てさせていただきますね」
ギルドでなじみの受付係さんに確認してもらうと、これで受け取り完了となる。
今日のペットはなんと、先日実装されたばかり、ガチャでしか入手できない、課金ペットの『切り裂きバニー』だ。体長五十センチで、赤黒くて長い毛。両手に可愛らしいリボンのついた出刃包丁を持ってる。
だが、可愛らしいのはその見た目だけ。なにせ、このウサギは魔物を『切り刻む』。攻撃手段はこの包丁なのだから。
▼
預かった『切り裂きバニー』は初期レベルだった。それほど危険な育成ではなかったので、ちょっとスパルタをしてしまった。
おかげで、依頼者が驚くくらいにレベルが上がっていた。あまりに喜ばれたからか、依頼に表示されていた倍の報酬をもらってしまった。
「ありがとうございました。ご
「いえいえ、こんなに育つとは思ってませんでした。こちらこそ、またお願いしますね」
「ぐあっ」
シルダも、育江の横で手を振って見送る。シルダに向かってなのか、飼い主さんに抱かれた『切り裂きバニー』が手を振っていた。
ギルド依頼の掲示板を見ると、そこには簡単な採取のアルバイトがあった。ついでだからと、その依頼を受け、ダンジョンとギルドのある塔近くの林で採取を行う。
採取もほぼほぼ終わり、さて帰ろうと思ったそのときだった。猛烈な喉の渇きが育江を襲う。
「あ、きたきた。えっと『とまじゅー』は、っと……」
育江は倉庫ボタンを押し、インベントリをチェックする。
「……げ」
その一言で今日の運勢が決まってしまったかのような、残念な表情になってしまう。
育江の種族、ハーフヴァンパイアは、ネタ種族とも言われていて、夜間だけ魔力出力が増えるが、やたらと喉が渇く。いわゆる、『血に飢えた状態』のネタ現象の再現である。
その渇きを癒やす方法は、町中の運営直営ショップで売っている『とまじゅー』こと、トマトジュースを飲めばいいだけ。だが、育江はストックを買い忘れていたことに気づいたというわけだ。
喉の渇きを癒やすのは、『とまじゅー』以外にも方法がないというわけではない。それは、育江にもわかっていた。
「ぐぎゃ?」
育江を下から見上げて、首をひねるシルダ。まるでその目は『どうしたの?』とでも言う感じ。
「ぐあっ」
何かに思い至ったのか、シルダは育江の元からとてとてと走って行く。
「あ、それ……」
シルダに向けて手を伸ばして、乾いてかゆくなりつつある喉にもう片方の手をやる育江。
ややあって戻ってきたシルダの手には、『蛇の生肉』が乗せてあった。おそらく、勝手に解釈して蛇を倒して持ってきてくれたのだろう。
「ぐあ?」
両手のひらの上にのせて、首をこてんと傾げる。シルダは『たべる?』というように、目をキラキラさせているではないか?
食べないよと言えないこの状況。なにせ、シルダは育江の身を案じて行動してくれたのだから。
生肉は食べられないわけではない。ただその生臭くもあり、血の匂いもあるそれは、食感もあまりであって、好んで食べるものではないのだ。
「あ、あいがと」
喉が渇いてうまく発声できない、なんとも皮肉な演出。仕方なく、血の滴る蛇の生肉を頬張る。なかなかかみ切れない、それでいて口の中に血の味。鼻から抜ける残り香がまた、血生臭い。
なんとか飲み込んで数分、物の見事に喉の渇きは癒える。けれどそこには『オチ』があった。
シルダたち獣魔は大丈夫でも、プレイヤーキャラクターは、『生肉食べたらそりゃお腹を壊すよね?』といういらない常識。
「あいたたた……」
お腹が痛い。きりきりと痛い。本来痛みは不快感に置き換わるはず。痛みは治癒魔法で消せるもの。ただこれは、治癒の魔法が効かないデバフで、いわゆる状態異常。
解呪系の魔法を持たない育江には、どうにもならない。我慢しかないというわけだった。そもそも、解呪が可能かは不明だったりするのだ。
ちなみに、この腹痛は解呪系の魔法以外にも方法はある。それは『とまじゅー』を飲んで上書きすることだった。
「だから、とまじゅーないんだってば……」
仕方なく、町まで我慢。シルダに手を引かれながら、とぼとぼと帰路に着く育江。
ギルドで採取したものと引き換えにお金をもらう。その足で、晩ご飯を買って戻る。PWO公式サイトにある、オンデマンドテレビ放送を見ながら夕食。
風呂に入って疲れを取って、心地よい疲れが出てる状態でベッドに横になる。シルダも育江の傍で横になり、目を閉じ始めていた。
「シルダ、今日もありがとね」
「ぐあっ」
(明日以降は、あの子たちの育成も少しはやらないと……)
あの子たちというのは、シルダ以外の獣魔のこと。倉庫の中で、ケージに入って大人しくしている彼女の仲間である。
育江は寝る前に、ログイン時に届いていたメールをすっかり忘れていた。だが、いつものように寝てしまう。
途中、メッセージがきて、寝ぼけて『はい』ボタンを押してまた寝てしまった。
翌朝――
「――ふぅ……、気分爽快――ってあれ? な、ななななな――何よこれっ?」
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