第20話 暗黒期からの目覚め
暗黒期から目覚めた響谷は、惰眠を貪っていた充電期間のツケを清算するかのごとく猛烈な勢いで働き、三日三晩不眠不休でハバタキの自社サイトを完成させた。
特に誰から頼まれたわけではなく、響谷が自主的に制作したものであるが、その完成度はプロのウェブデザイナーも舌を巻くほどの出来だった。
「これは凄いですね。こだわり方が半端じゃないです」
「ふふん、そうだろう? ぼくはやるときはやる男なのさ」
登美彦が驚きの声をあげると、無精ひげだらけの響谷はいかにも満足げにうなずいた。
実写かと見間違うぐらいに細部まで美しく描かれた冬の清澄庭園がバックグラウンドに描かれており、池には三匹のキンクロハジロがぷかぷかと泳いでいる。
気ままに泳いでいる三匹にマウスカーソルを近付けると、それぞれ「キン」「……クロ」「ハジロー!」と羽根をバタつかせながら、答えてくれる。
長男のキンの声は二枚目風で、次男のクロの声にはどことなく陰鬱な感じが漂い、三男のハジローの声はひたすら明るくて元気がいい、というキャラクターの違いまで表現されていた。
響谷が自腹を切って、知り合いの声優に
サイト構築スキルはウェブデザイナーの女性に入れ込んでいたときに独学で身につけたそうだが、響谷が自社サイトに仕組んだのは、動いて喋るキンクロブラザーズだけではなかった。
サイト中央に『キンクロ旅団制作委員会/アニメ化企画進行中』と太字で書かれた派手な見出しがあり、すでにスタッフロールまで掲載されていた。
監督・絵コンテ・原画・演出・キャラクターデザイン:大塚妃沙子
作画監督・メカニックデザイン:響谷一生
動画・動画検査:奥野登美彦
原案・脚本:高槻沙梨、藤岡春斗
一見して、妃沙子の受け持つポジションが尋常ではなく多い。
原画だけでも大変なのに、脚本を絵コンテに描き起こし、各セクションに演技や仕上がりのイメージを指示する演出までもこなすつもりなのだろうか。アニメの世界観を左右する画面背景やキャラクターの色彩設計にまで口を出すとなれば、いくらなんでも無茶過ぎる。
「妃沙子先輩が過労死しちゃいますよ」
「うん。でも妃沙ちゃんが『自分がやる!』って言いだしたんだもん。やるって言ったら、やる女でしょう、あの子は。ショートストーリーだし、なんとかなるよ」
登美彦が心配そうな表情を浮かべるが、響谷はまるで意に介していないようだ。
原案・脚本にはしっかりと高槻沙梨と藤岡春斗の名前がクレジットされている。『若き天才女性作家・高槻沙梨、初のアニメ脚本!』なる文言が躍っているが、これは本人に了解をとっているのだろうか。いろいろと拙速すぎるような気がしないでもない。
「これはなんですか?」
「クラウドファンディングシステムさ。ネット上で直接出資を募るかわりに、出資者にいろいろな
見出しの下に『目標金額は二千万円、出資締切は半年後』と書かれている。
目標金額の下には横長のガソリンメーターのようなゲージがあり、出資者〇人、出資金額〇円、達成率〇%と表示されていた。自社サイトを立ち上げたばかりなので出資者はまだ誰もおらず、当然ながら燃料タンクは空っぽ状態だ。出資額に応じて特典が設定されており、最低の出資額は百円、最高で五十万円とかなりの幅がある。
【出資額】 【特典】
100円:制作チームよりサンキューメール
500円:上記特典+キンクロブラザーズのポスター、メッセージカード
1,000円:上記特典+公式サイト「スペシャルサンクス」に名前が載る権利
2,000円:上記特典+原画集(デジタル版)
5,000円:上記特典+原画集(書籍版)
10,000円:上記特典+本編フィルムカット付きの原画集(書籍版)
20,000円:上記特典+Tシャツ、デスクマット、マグカップなど特製グッズ
30,000円:上記特典+アニメのエンドクレジットに名前が載る権利
100,000円:上記特典+ジークレープリント、複製台本
500,000円:上記特典+制作チームとの夕食会、スタジオ『ハバタキ』訪問ツアー
「百円はお布施みたいなものだね。五十万円はさすがにシャレだけど、高額の価格帯がないと全体的に安っぽく見えちゃうから、あえて設定してみた。気前よく一万円を払ってくれる人が二千人いればいいわけだから楽勝でしょう」
響谷が楽観的な見通しを語るが、ネット上での資金調達とはそんなに簡単なものなのだろうか。大企業顔負けのホームページを立ち上げたとはいえ、誰にも知られていない今の状態は陸の孤島にも等しい状況だ。資金調達の仕組みは整ったが、半年で二千万円を集めるとはさすがにぶち上げすぎだと思う。せめて目標金額を一桁下げるべきだろう。
「出資の締切までに目標金額が集まらなかったらどうなるんですか?」
「出資金を全額返却しておしまい。お金が集まらなきゃアニメ化が出来ないだけで、ぼくたちにリスクはないよ。特典を提供するのは目標金額を達成した場合だけだから」
「だったら目標金額をいきなり二千万円にしないで、せめて二百万円を十回とか、百万円を二十回とかにした方が確実じゃないですか?」
「それは論外だよ、トミー。君はなにも分かっていないね」
登美彦としては至極まともな提案をしたつもりだったが、響谷はあっさりと一蹴した。
「ちまちま百万や二百万円を集めたって、世間的にはなんの話題にもならないよ。下請けの無名のアニメーション制作会社がいきなり二千万万円どーんと集めてごらん。そうしたらぜったいに話題になるし、制作に弾みもつく。制作資金だってもっと集まるはずだ。どうせ目指すなら高いところを目指さなきゃダメだよ」
「ひとつ腑に落ちないのです。仮に二千万円が集まったとしても、出資者のお返しにグッズを作ったり、原画集を用意したりしなければなりませんよね。その分のコストを差し引くと、手残りはかなり少なくなると思うのですが」
登美彦が疑問を口にすると、響谷が無精ひげを撫でながら言った。
「そりゃあそうだよ。誰もタダでお金を恵んでくれ、なんて図々しいことは言っていない。特典を用意するのにお金はかかるから、集めたお金をぜんぶアニメ制作にぶち込めるわけじゃない。でも、それはグッズの開発費用だと思えばいいんだ。出資者が喜んでくれるようなグッズさえ開発できれば、自分たちのサイトで販売できる。それが売上になれば、またアニメを作れるし、グッズも作れる。お金はそうやってグルグル回すんだよ」
キャスター付きの椅子に深く沈み込んだ響谷は、戦艦のコックピットのような原画机に向き直ると、帽章に金色の錨のマークが象られた艦長帽を目深にかぶった。
振り返った響谷の表情は、幅の広い帽子の
うつむき気味で黙っていると、まさしく艦長のような存在感があり、恰幅のよい体型も合わさって威厳たっぷりだ。
「ぼくの前の職場は乗組員がいっぱいいる元請けの制作会社でね。ハバタキみたいに少人数じゃないし、ベテランのアニメーターばかりだったから、作画監督になれたのは三十過ぎだった。まだ若かったし、やる気もあったからぼくも張り切っていてね。少しでもいいものに仕上げようと、あがってくるカットにちょっとでも出来が悪いところがあると、ことごとくを
何日も寝ていないせいか、響谷は冬眠前の熊のように大きなあくびをした。
たんに眠いのか、それとも昔を思い出したのかは分からないが、両手で目元をごしごしと擦っている。
「もう一生、作画監督なんてやる機会はないと思っていたけど、ハルちゃんが〇を一に……、いや、違うな。マイナスを〇に戻してくれた。ハルちゃんが知っていたはずないだろうけど、作画崩壊と言えばぼくの代名詞だ。それを思いっきり笑い話にしてくれている」
響谷は艦長帽をかぶりなおすと、登美彦の手に己の手を重ねた。
「ぼくはハバタキの艦長になりたいんだ。トミーも手伝ってくれるよね」
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