第390話
「これより、第723回魔術学院卒業式を執り行います。まずは私からお祝いの言葉を贈らせてください」
魔術学院長ヘレナ・フォン・マルケルの落ち着きと威厳を兼ね備えた拡声器越しの声が、魔術学院が所有するパーティーホールに木霊する。
パーティーホールは校外の一等地にあり、年に一度卒業式の会場になる以外で使われることのない設備でありながら、学院内のどの施設よりも絢爛豪華な建物だ。
学院長の立つ舞台を最奥に据え、卒業生百数十名程度なら一度に踊れそうなほど広いダンスフロアに、その保護者たちを収容するだけでなく、全員の腹を満たすほどの食事が所狭しと並んだ立食形式のビュッフェスペースまである。
光源は窓から差し込む陽光と、ガラス造りのシャンデリア。
壁は錬金術製の堅牢な建材と本物の大理石の混合で、彫刻によって典雅に飾り立てられている。ただ、等間隔に鎧姿の騎士が立ち並んで槍を携えているので、装飾をじっくり眺めるのは難しそうだった。
ダンスフロアに点々と集まった卒業生たちは制服ではなく盛装しており、列になって並ぶのではなく仲の良い者同士で集まって立っている。手にグラスを持った生徒も多い。フィリップとルキアとステラも、いつものように一塊だ。
「……卒業式っていうのはもっとこう、皆でお行儀よく座って、“偉い人”の話を聞くようなものだと思ってました。全校集会の厳しい版みたいなの」
「入学式はそんな感じよ。注意事項とか伝達事項とか、山のようにあるから」
舞台上で滔々と式辞を述べる学院長を横目に、ひそひそと囁き合うフィリップとルキアも、同じく盛装している。
フィリップは当初、「謁見用の燕尾服でいいですよね」とか舐めたことを言っていたのだが、ルキアとステラから待ったがかかった。
そもそも燕尾服は夜用の最上位礼装だし、フィリップが言っているのは龍狩りの後に作った素材からテーラーまで王家が監修したガチガチの高級品。いくら公の場で王妃や他国の皇妃も出席するとはいえ、流石に過剰だった。
卒業式が夜に行われて、
そんなわけで、またぞろルキアに引っ張られて服を仕立てに行き、誂えた礼服姿のフィリップ。周りの生徒も似たような恰好で、燕尾服を着ているのは先生たちくらいだった。
ルキアはプリンセス・ラインの黒いセミアフタヌーンドレス姿だ。
肩回りも背中も露出しないデザインでありながら、コルセットの類で締め付ける必要も無いほどの曲線美を描く腰のラインや、堂々としていながら淑やかさも感じさせる優雅な立ち姿が周囲の視線を惹き付けている。
所々にあしらわれたゴシック調のレース装飾に気付いたとき、フィリップはなんとも言えない顔だったが、ステラはそれ以前に「黒か……」となんとも言えない声を漏らしていた。
ドレスコードに照らすなら、黒と白は身分を問わず使える色だから間違ってはいない。が、爵位序列最上位の彼女が身に付けるには、些か地味過ぎる色でもある。
銀色の髪に赤い瞳、そしてとびきりの美人なので、これ以上飾り立てる必要も無いといえばその通りではあるのだけれど。
「入学式は毎度苦痛だったな……いや、多分これからも呼ばれるのだろうが」
「あぁ、来賓枠で……」
ルキアと反対隣りにいたステラが仄かな倦怠感を滲ませて呟くと、フィリップもそういえば二人ともかったるそうに「入学式に出ていた」と言っていたことがあったな、なんて思い出した。
今日を限りに在校生代表ではなくなるわけだが、今後も特別ゲストとして招かれることだろう。
ちなみにステラもルキア同様プリンセス・ラインのセミアフタヌーンドレスだが、こちらは深紅一色だ。
二人とも3、4センチのヒールを履いており、顔を見ようとするといつも以上に上を向かなければならなかった。
「──以上を以て、開会の式辞とさせて頂きます。続きまして、来賓の方々より祝辞を賜りたいと思います」
そんなことを話しているうちに学院長のスピーチが終わり、代わって珍しいネイビーブルーの髪を持った女性が壇上に立った。
二十歳そこそこの若々しい風貌ながら、眼下、学生たちを見下ろす双眸は冷たくも鋭く、蛇を思わせる観察するような目だ。その視線から放たれる威圧感は平時のミナにも匹敵する。
「ウルタール帝国騎竜魔導士隊隊長、水属性聖痕者ノア・アルシェです。本日は第ななひゃ──あ、あの時の運だけのカス! そっか、アンタもこの代か!」
冷酷な女帝の如き凍てつくような声色が一転し、近所のお姉さん然とした親しみやすさを醸し出した。
指を差されたフィリップが口元を引き攣らせ、両隣のルキアとステラがそれぞれ眦を吊り上げ、呆れたような溜息を吐く。
「アルシェ」
「おっと、失礼しました、先輩。んんっ……第723期卒業生の諸君、この度はご卒業おめでとうございます」
どういう関係なのか、ヘレナが険のある声を出すと、ノアはぴしりと背筋を伸ばして咳払いを一つ。
そしてまた厳格な軍人の空気を纏い、スピーチを再開した。
「……フィリップくん、あの人に何したの?」
「なんだ今の」というどよめきが学生や保護者に伝播していく中、いつの間にかステラの隣に来ていたエレナがひっそりと囁く。
「カジノで物凄い勝ち方したんだよ。リバーでロイヤルストレートフラッシュを揃えて」
「……前から思ってたけど、あなた本当に豪運だね」
エレナが慄いたように言うと、ちょうどノアのスピーチが終わった。
「──これにて、帝国臣民よりの祝辞とさせていただきます。……次は負けないかんね!」
挑発的なウインクを、最後に残して。
◇
真面目に話を聞いている学生たちの背後で、保護者達はグラス片手に世間話に花を咲かせていた。
魔術学院には平民も多く在籍しているはずだが、この場に呼ばれたのは大半が貴族だ。例外的にAクラス生の保護者は平民であろうと招待されているが、Bクラス以下の生徒の保護者は王国主導の厳重な素行調査を突破しなければ招待状さえ送られない。
招待されたとしてもドレスコードを満たす服装を持っていなかったり、そもそもこんな場に来たくないといって断るケースも多く、卒業生の数に対して来場した保護者の数は明らかに少なかった。
それでも、中には今にも吐きそうなほど緊張しながらも子供の晴れ舞台を見に来た親もいる。
フィリップの両親、エドガーとアイリーンもそうだ。
「……平気かい、母さん」
「あんまり……」
フィリップとよく似た目鼻立ちの壮年の男性──フィリップの父、エドガーに肩を抱かれたアイリーンは、ハンカチで口元を押さえている。
エドガーは地元ヴィーラムの町近辺を統治するヘンリード伯爵に森番として召し抱えられており、こういった華やかな場に多少なりとも慣れている。しかしアイリーンは、以前の謁見の折には緊張が高まりすぎて吐き気を催す余裕もない有様だった。
半ば意地で卒業式に参加したものの、フィリップを探すこともままならない状態だ。
どうしたものかとエドガーが辺りを見回すと、ちょうどこちらに近づいてくる人影があった。
幸か不幸か、見慣れた顔だ──いや、幸いにして、見慣れた顔だ。そして不幸にも、参加者の中で最大級に爵位序列の高い人物だった。
つい先ほどまで壇上でスピーチをしていた、王国宰相。アレクサンドル・フォン・サークリス公爵だ。
「やあ、カーターさん」
気さくに手など振りながらやってくる宰相は、隣に夫人オリヴィアを連れていた。
エドガーとアイリーンは素早くそして丁寧に、フィリップより洗練された所作で一礼する。跪かないのはパーティーの場であることを鑑みてだ。
「これは、サークリス公爵閣下に公爵夫人。ご無沙汰しております」
「龍狩りの勲功会以来ですね。……奥方はどうされたのですか? 顔色が優れないご様子ですが」
顔色が青白いを通り越して土気色になりつつあるアイリーンに、公爵夫人が柔らかに笑いかける。緊張を解そうという心遣いにはアイリーンも気付いていたが、笑い返すほどの心の余裕はない。
二人とも威圧感を垂れ流したりはしていないのだが、それでも立ち居振る舞いの全てに気品が滲みだしているし、壁に沿って並ぶ騎士たちの視線を、フルフェイスヘルム越しにも感じ取れるほど注目されているのが分かる。
粗相一つで首が飛びそうな空気だ。勿論、そんなことはないのだが。
「こういう場に慣れていないので緊張気味で……」
「それはいけない。……オリヴィア、すまないが」
「構わないわよ。フィリップ君の御母上ですもの。仲を深めておかないと」
オリヴィアは指先一つで壁際に控えていた鎧騎士を呼び寄せると、「控室を開けて、水と軽食を持って来て」と命じ、アイリーンを支えてホールを出て行った。
その背中を見送り、エドガーは公爵に向き直り、また深々と頭を下げる。
「ご配慮くださりありがとうございます。……それに、息子がお世話になっているようで。学の無い身では何とお礼を申し上げたらよいものか……」
「いやいや、お礼だなんて。フィリップ君は我が国の誇る英雄にして、私たち家族を救ってくれた大恩人。むしろ私たちの方がお礼を言いたいのですよ」
親しみやすそうな快活な笑顔を浮かべる公爵だが、エドガーはむしろ一層困った顔になる。
「龍狩りの件ですね。恥ずかしながら、未だに事の重大さが今一つ理解できていないのですが……今後とも息子をよろしくお願いいたします」
「えぇ、勿論。末永く、ね」
にっこりと意味深に笑う公爵に薄ら寒いものを感じつつ、しかし聞き返したり「どういう意味ですか?」と尋ねるわけにもいかず、曖昧に笑い返すしかなかった。
「ところでカーターさん、以前にお聞きした気持ちに変わりはありませんか?」
以前──龍狩りの折。
公爵はフィリップの家族に対して、貴族にならないかと持ち掛けていた。
エドガーやアイリーンに貴族の才を見出したわけではない。フィリップを説得する材料の一つとして、「ご両親も貴族になったのだし」と言うためだけだ。
思想、思考、勇気、そして勿論ルキアの良き友人として、フィリップにはそれだけの価値があると公爵は計算している。
しかし、エドガーはフィリップ同様、地位や権力に拘泥しない人物だった。
いや、貰えるものなら貰っておく平民根性はあるのだが、それも多少の現金までだ。爵位となると尻込みする。
「光栄なお話ですが……息子の功績を借りるのは情けない話ですし、妻もこういった場は苦手です。何より、弟子に教えるべきことがまだまだ山のようにありますので」
「弟子ですか」
興味を惹かれたように──興味を惹かれたふりをして、公爵はエドガーの主張を受け入れも拒絶もせずに話題を変える。
「えぇ。息子たちは二人とも狩人になる気はないようですし、私の──いえ、先祖代々の技術や知識を継承していきませんと」
「ほう。……おっと、ダンスが始まるようです。少し後ろの方に行きましょう。……そういえば、キッシュはお試しになりましたか? あれはお勧めですよ」
言って、公爵は見た目にも美味そうな料理が豪奢に並ぶテーブルの方へエドガーを案内する。
それは彼にしては珍しく裏表のない、本当にダンスの邪魔になりそうな位置から退くだけの意味しかない行動だった。
そして壇上に宮廷楽団が並び──ホールを艶やかに彩る音楽が奏でられる。
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