第377話

 フィリップたちはしばらく村人たちに囲まれたあと、村長に会いに行った。

 村長はもう60歳を超えているだろう腰の曲がった老人だ。王都外の平均寿命が70歳前後であることを鑑みれば、かなりの齢といえる。


 しかし杖などは突いておらず、足取りもしっかりしている。腰が曲がっているのは、長く農作業に従事してきた勲章だろう。


 自己紹介もそこそこにフィリップがカエル信仰について問うと、彼は胡乱そうに首を捻る。


 「カエル? えぇ、確かにありがたい生き物として大切にしてはいますが、信仰とまでは……。そも、信仰とは唯一神のみに捧げられるものでは?」

 「は? いえ、しかし、この村ではカエルの神像に感謝を捧げる祭りがあるのでしょう?」


 想像していた何倍も常識的な、一般的で模範的な一神教徒のような答えを返され、フィリップの方が面食らう。

 聞いていた話と違う、というか、話が違う。


 「明日の収穫祭のことですな。ふむ……神像はカエルたちの代わり、いえ代表のようなものとして用意していたもので。特に神であるという考えは……。儂が子供の頃から代々ずーっと、神様のように煌びやかで、カエルたちの代表たるに相応しい像を作るようにはしておりますが」


 図らずも、問いかける前に一つの疑問に答えが出た。

 カエル信仰──いや、カエルの置物を作ったり祭りで象徴的に扱う風習は、相当に昔から続いているようだ。


 だが、信仰ではない……のだろうか。


 「神聖視はしていないんですか?」


 そう尋ねると、村長に苦笑されてしまった。

 まるでフィリップがおかしいよう──いや、フィリップは間違いなく正常ではないのだが、それは今はどうでもいい。


 「ありがたいものであるとは思っておりますが、神聖なものとまでは」


 神聖視さえしていないと、村長は言う。

 それなら確かに、一神教の司祭の反発も少ないだろう。フィリップだって、それを初めに聞いていればカルトだという疑いは持たなかった。


 「……雨を降らせてくれる神様なのでは?」

 「えぇ、雨を降らせてくれることには感謝しておりますとも。しかし、それだけでは世界をお創りになった唯一神のような神であるとまでは言えんでしょう」


 確かに。というか、雨を降らせるくらい聖痕者なら出来そうなものではある。

 村長の表情や声色からも、カエルと唯一神が同列だと思っている様子は見て取れない。尤も、フィリップの対人観察眼の信憑性はたかが知れているが。


 テレーズは確かに「カエルは神様だ」と言っていた。

 しかし落ち着いて考えてみれば、それが単なる慣用句的表現、「神様のようにありがたいもの」というだけの可能性はある。


 「まあ、これは儂の考えですから、カエルを神様だとか、神様の御遣いだと言う者もおりますが」


 村長の穏やかな言葉に、一度は収まりかけた疑心が微妙に再燃する。

 しかし火勢は極めて弱い。フィリップが苦笑と共に呆れたように頭を振る程度の反応しかしない辺り、本当に弱火だ。


 「ふんわりしてますね……」

 「儂が子供の頃からなんとなく続いている、ただの風習ですからなあ。誰かが何かを決めたわけではありませんし、決めていたとしても、もう何十年も前の事ですし……」


 言って、村長は遠い目をする。

 半世紀以上も前だろう、子供だった時分を思い返しているのだろうか。


 「我々は、ただカエルを大切にしようというだけで。一神教の教えに背こうとは、全く」

 

 どこか怯えを滲ませて訴えかけるような目を向ける村長に、フィリップは接客用の笑顔を貼り付けて頷く。


 「あぁ、勘違いさせたみたいですね。僕は別に、皆さんが背教者だと疑ってるワケじゃありませんよ。ただどういうものなのか気になっただけで」


 そう言われてもなあ、と村長は胡乱な顔だ。

 一神教の司祭が──今代のニック神父だけでなく、先代やそれ以前も教皇庁に告げ口したりはせず、“使徒”に村ごと滅ぼされていないから、フィリップが告げ口したところで大丈夫だとは思っているのだろう。


 まあ口封じに動くようなら反撃すればいい。戦闘能力どころか魔術耐性も無いだろうし、一瞬だ。


 というか……なんか、大丈夫そうだ。

 カルトは往々にして、特別感のようなものを醸し出す。本当に特別な手合い──人類領域外の生物や、邪神に連なるモノである場合もあるし、自分が特別な智慧を得た真理到達者であると思い込んでいる一般無知蒙昧劣等種である場合もあるけれど。


 しかし、彼らにはそれがない。

 リール家の人々と司祭と村長くらいにしかまともに話をしていないけれど。


 それからしばらく聞き込みを続けたが、結局、村人たちの意見はバラバラだった。


 カエルは神の遣いだという者もいれば、カエルはカエルだろと呆れる者もいる。天使が姿を変えて懸命に働く俺たちを見守ってくれていると語る者、虫を食べてくれるのは嬉しいけど見た目は正直気持ち悪いという者。


 十人十色だ。

 それも、統一された教義や信条を持つ宗教集団では有り得ない程度には振れ幅が大きい。「カルトが紛れ込んでいる村」ではあるかもしれないが、「カルトの村」ではなさそうだ。

 

 朗報ではあるが、逆に言えば、無知で善良な一般人を巻き添えにしないというフィリップの自分ルールに従う限り、安易に全員殺す択は取れなくなったということだ。


 村人は全部で三十人程度。

 フィリップより年下の子供も含めてだ。


 全員に「きみの信仰の形を教えて欲しいんだけど……」なんて聞いて回れないこともない数ではあるが、流石に不審すぎる。こっちがカルト扱いされそうだ。


 「……あの、エレナさん。フィリップはさっきから何を……?」


 どうしたものかと腕を組んで唸っているフィリップの後ろ姿を見ながら、テレーズがエレナに尋ねる。

 フィリップに聞かれないよう小声で囁くような問いに、エレナも声量を抑えて応じた。


 「うーん……。フィリップくんはさ、ちょっと怖がりなんだよね」

 「こ、怖がり?」


 魔物の群れを容易に殲滅せしめる戦闘力を持ち、見知らぬ土地の見知らぬ大人にも物怖じせず話しかけられるフィリップには相応しくない評価だと、テレーズは目を瞠る。そして同時に、なんとなく嫌だとも思っていた。それは違うと否定したかった。


 しかし、フィリップのことを自分よりよく知るエレナの言葉だ。軽々に反発することも出来ず、むっとした顔のまま言葉の先を待つ。


 反発する必要などないのだが。

 テレーズは「怖がり」という言葉を侮蔑的に捉え過ぎている。エレナのそれは「脅威に対して反応が過剰だ」という客観的評価に過ぎない。テレーズが感じたような「臆病者」と嘲る気持ちは一切ないし、そんなこと、あの地下空洞で命を預け合ったエレナが言うはずがないのだから。


 「うん。前に、物凄く嫌なことがあったみたいでさ、二度と同じ目に遭わないように……そして多分、誰も同じ目に遭わせないように、自分から怖がりになってるんだと思う」


 フィリップの切り札であろう“捨て身アタック”の正体は分からないが、あの蜘蛛や古龍を十分に殺し得るものなのだろう。


 その強力な手札が原因だろうが、フィリップの恐怖の閾値はかなり高い。

 エレナのパンチやキックも、ミナの剣閃も、ルキアやステラの魔術も、訓練用の見える速度の域であれば絶対に怯えて目を瞑ったり顔を背けたりしない。どころか、不意討ちした時には「下らない」とばかり侮蔑的な目で見つめてきたくらいだ。……不意討ちは当たったけれど。


 「自分から、怖がりに……」


 そんなことが有り得るのだろうかと、テレーズは疑問だ。

 何か怖いものを怖がるのは、自分の意思では止められない。それと同じで、怖くないものを無理に怖がることも、自分の意思では無理なのではないだろうか。


 もしも可能なら、それはきっと、とても強い意志の力が為せる業だ。自分自身を騙し抜くほどの。

 それほどの強さで、もう誰も自分と同じ目に遭わせないと思えるというのは、それはなんとも──。

 

 「……かっこいいって思った?」

 「え!? あ、あの、えっと……はい」


 エルフは心まで読めるのだろうかと言いたげな上目遣いのテレーズに、エレナは苦笑を返す。

 エルフにそんな力はないし、テレーズの声は内心がそのまま出力されたくらいに陶然としていた。誰にだって丸分かりだ。


 「そうだよね。何かを怖がることは、生き物として正しいことだよ。恐怖は生存本能の発露、原始的なだけに強力な警戒心だ。意識して出来ることじゃないし、誰かを守るためにそのレベルの警戒心を持てることはすごく素晴らしいと、ボクも思う」


 恐怖、特に遺伝子に刻まれた本能的恐怖は、種の存続と共に受け継がれてきた、種の存続に必要な警戒心だ。

 蛇の威嚇音、闇に浮かぶ一対の光源、鼻を刺すような刺激臭、苦み、炎の熱さ。どれもこれも、恐れを忘れた奴から死んでいく危険なものだ。

 

 恐怖とは、生命を生かす偉大な機能なのだ。

 長く森に生きてきたエレナは、それをよく知っている。だから、恐怖すること自体を厭ったり笑ったりすることはない。


 しかし──フィリップのそれは、必要十分の域を超えている。


 「でもフィリップくんは怖がりすぎなんだ。いや……もしかしたら、怖がっているフリをしてるだけなのかも」


 カルトや人類領域外の存在を恐れている──いや、嫌っているフィリップだが、それは時折、どこかわざとらしさを滲ませる。

 子供のごっこ遊びに付き合う大人の空気に近しいような、いや、或いはペットは飼い主に似るという奴だろうか。吸血鬼が人間を愛玩するような──。


 「ま、ボクもよく分かってないんだけどね!」


 神妙な空気を醸し出したかと思えば一転してあっけらかんと言い放ったエレナに、テレーズは目を白黒させる。

 

 エレナも一時は真面目に考えていたが、諦めた。

 彼女はフィリップと出会ってから日も浅いし、心理学への造詣は薬学ほどに深くない。なにより、フィリップ自身が事情へ深く立ち入られることを望んでいないのだから。


 「ボクに出来ることは、フィリップくんが恐怖で目を瞑っているときに、落ち着いてから後悔するようなことをしないように見守って止めてあげることだけ」


 場合によっては、殴ってでも止める。

 結果としてフィリップの望まぬ結果になり、彼に疎まれることがあったとしても、そんなのはエレナの知ったことじゃない。


 誰かに嫌われるから、なんて理由で自分のやりたいことを我慢するような可愛らしい性格をしていたら、エレナは“放蕩王女”なんて呼ばれていないのだから。


 「……素敵ですね。本当に、相手のことを知り尽くした仲間って感じで」

 

 テレーズは何か考え込むように顔を伏せ、亜麻色の髪が表情を隠す。


 「全然、まだまだだよ。今のも全部、ただの推測だし……あ。ははは……」


 普段の明朗さは鳴りを潜め、静かにしっとりとした空気を纏っていたエレナは、村人に絡まれているフィリップに呆れたような苦笑を向ける。


 信仰絡みの質問を続けるあまり、「他の教会にチクるつもりか?」と詰められているようだ。相手は大人だが荒事に発展しそうな気配はないし、エレナの見立て通りなら100戦中100回フィリップが勝つ。まだ介入しなくていいだろう。フィリップにもいい薬だ。


 そんなことを考えていると、隣でテレーズが勢いよく顔を上げてエレナの方を向いた。 


 「……あの! ぼ、冒険者って、どうやったらなれますか!」


 予想だにしなかった問いに、エレナは暫し瞠目する。

 恥ずかしそうに頬を赤らめているが、まっずぐにエレナを見つめる水色の瞳は真剣そのものだ。冗談どころか、興味本位の質問でさえないだろう。本気の決意が声色に映っていた。


 ややあって、エレナはぱっと顔を輝かせてテレーズの手を取った。


 「興味ある!? あなたが望むなら、ボクたちはいつでも歓迎だよ!」


 テレーズは一言も「エレナたちと一緒に冒険したい」とは言っていないが、エレナはそう受け取ったし、それは正解だった。

 彼女が冒険者に興味を持ち、憧れるようになったのは、ほんの昨日からだ。自分を背に庇い剣を抜き放つ英雄譚の登場人物のような少年を、魔物を前にしても笑顔を崩さない明るく快活な少女を、深い慈愛の眼差しで二人を見守る姉のような女性を知って、彼ら彼女らに憧れたからだ。


 自分もあんなふうになりたいと──お互いに強い信頼関係で結ばれた彼らの仲間になりたいと、そう望んだのだった。


 しかし、彼らは強く、賢い。

 きっと沢山訓練して勉強したのだ。そうでなければ冒険者になどなれはしないのだ。──と、そんな勘違いをしつつ。


 「え、いいんですか!? でも、私、戦ったりできないし、薬草の知識とかもありませんけど……」


 じゃあダメ、と言われるのではないかと怯えながら尋ねるテレーズに、エレナは「前にもこんな話をしたような?」と頭の片隅で思いながら、安心させるように笑いかける。


 「効率や利益を求めて冒険してるわけじゃないもん! 冒険っていうのは、冒険するためにするものでしょ?」


 確か、フィリップに会いに人間の町へ赴いて暫くした頃──冒険者になるための授業が始まってすぐのことだ。フィリップにもそんな話をした。


 依頼をこなして金を稼ぐためだとか、依頼人の助けになって喜んでもらうためだとか、冒険をするのにそんな高尚な理由は要らない。


 冒険は、冒険するためにするものだ。

 この広い世界に遍く未知の中に身を躍らせ、時に苦しみ、時に楽しみ、未知を既知に変えていく。それが冒険の本懐だ。知らない場所、知らない環境、知らない人、知らない敵、何もかもを自分の目で、足で、技で、全てを使って踏破する。


 それこそ、エレナが望む冒険だ。いや、エレナはそれのみを冒険と定義する。


 「それに、姉さまはボクとフィリップくんが束になっても敵わないぐらい強いし、王都にはボクより医学や錬金術に長けた子がいるんだ。ボクたちは強さや賢さを求めて集まったわけじゃない、一緒に居たいから一緒に居るパーティーなんだよ」


 その言葉に、テレーズは目を見開く。

 エレナが姉さまと呼ぶ黒髪の女性、彼女が一番強いのだろうとは雰囲気で察していたが、それほどとは。そして王都とは何と凄いところなのか、と。


 そして──それなら。

 強さも賢さも条件ではなく、ただ一緒に居たいと言うだけでいいのなら、テレーズは何も怯えることはない。心の内で燃える憧れは、誰よりも強い自信があるのだから。


 「なら、私も……私も、エレナさんやフィリップと一緒に冒険したいです!」


 勇気を振り絞って問いかけたような先の言葉とは違い、心の内から勝手に湧き出たような言葉に、エレナはこれまでとは質の違う笑みを浮かべる。

 幼子に向けるものでも、安心させるためのものでもない。同族を見つけたときの、仲間に向ける親しみを込めた笑顔を。


 「……初めて会った時から思ってたけど、あなたも結構直情的だね。勿論、いいよ。パーティーリーダーとしてあなたを歓迎する……と言いたいところだけど、流石にフィリップくんと姉さまを説得するのが先だよね」

 「……聞いてみる、じゃなくて、説得する、なんですか?」


 好意的な返答に安堵の息を吐くテレーズ。

 「駄目だって言われてもボクはあなたの味方だから、安心してね」という意味を込めた、ただの軽口だろうと思っているが、違う。


 「直情的なのはあなただけじゃないってこと。フィリップくんも姉さまも、勿論ボクも、やりたいことは誰に止められたってやるタイプだから」


 現在のパーティー構成は面倒なら配下でも見殺しにするミナに、嫌いだからという理由だけで大量殺人を犯すフィリップ。直情型の悪人が二人だ。


 なら、エレナとテレーズが直情型の善人としてブレーキにならなくては。


 まあ、エレナも根本的には人外。ミナが人間を殺したところで、「まあ吸血鬼だし、そういうものだよね」と納得してしまう精神の持ち主ではあるので、人間の常識に照らして「善人」と言えるのは、もしかしたらテレーズ一人かもしれないけれど。 


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