第4話

 12歳の少女、モニカ・カントールは宿屋の看板娘だ。

 母アガタは従業員を統括する女将、父セルジオは料理長として客に出す酒を自ら選定して仕入れている。


 そんな二人の娘として生まれ、二等地に構えた宿屋を継ぐ次代の女将として、従業員の使い方や経営について学んできた。

 二人はモニカに最高の教育を用意したかったが、魔術の才は無く、王国最高の学校である魔術学院への入学許可は下りなかった。ならば仕方ないと、二人は自分たちに出来る限りの環境を用意した。


 衛士団との提携も、そのうちの一つだ。


 王都の衛士は全員が軍学校か魔術学院の成績上位卒業生か、元Aランクの冒険者──最高位たるSランクの一つ下、成績と人間性を評価された者だけが至る領域にいた者たちだ。それらの極めて厳しい入団条件に加え、3年以上の実戦経験が要求される。

 戦士や魔術師として、そして人間として高度に完成され、さまざまな経験を重ねてきた彼らと積極的に接することは、モニカにとって良いことだと考えたのだ。実際、彼らはモニカを妹のように可愛がり、モニカも彼らを兄のように慕っている。


 しかし、彼らが用意できないものもある。

 それは『関係性』そのものだ。


 衛士団との提携で得られたのは接点だけであり、彼らの人徳がモニカと友好的な関係性を築いたのだ。


 では、同年代の、それも異性であればどうか。丁稚──部下として用意した少年を、モニカは友達として受け入れるのか、それとも単なる使用人として遠ざけるのか。

 母アガタはどうせなら前者であって欲しいと願いながら、息子の奉公先を探している友人に声を掛けた。


 両親から少し年下の少年が丁稚に来ることを聞くと、モニカは弟が出来るように思えて嬉しかった。


 名前を聞き、容姿を聞き、性格を聞き、好きな食べ物やら好きな色やら、両親が知らないようなことまで聞いて困らせるほど期待していた。弟分が王都に来る日の前日は興奮のあまり夜中過ぎまで眠れないほどだった。


 当日はいつもより1時間も早起きして、仕事を手早く──両親が苦笑するほど──終わらせ、迎えには自分が行くと言った。

 元よりそのつもりだった二人は、どこか諦めたようにモニカを見送った。


 到着予定はおやつごろだったが、待ち合わせ場所に着いたのは昼過ぎだった。

 折角だし、と、モニカはいつもの寄り道コースを巡ることにした。


 「お、モニカちゃん。こんにちは。また寄り道かい?」

 「こんにちは、おばさま!」


 ふらりと入った服屋で、店長の老婦人がにこやかに話しかけてくる。

 

 モニカには少し早い大人向けの、特にフォーマルなドレスや礼服を扱う、質の良さと品ぞろえの良さで二等地でも名の知れた店だ。いつもの寄り道コースのスタート地点であり、一番時間をかける場所でもある。

 季節に応じて飾られている服の生地やデザインが一新され、気に入ったものがあったら手に取ってみる──残念ながらモニカに合うサイズはないので、試着は出来ない──だけでも相当な時間が過ぎていく。


 頭部のない真っ白なマネキンは不気味だが、ドレスで着飾ると途端に美しく見えてくるのが不思議だ。貴婦人然とした澄まし顔まで見えそうで、ポージングや配置のレイアウトが如何に優れたものかが伺える。


 「おばさま、これ着けていい?」


 アクセサリー類はモニカでも着けられるが、そういった小物類は窃盗の被害に遭いやすく、店によっては試着を制限している場合もある。

 この店は常連に限って試着を許可しており、モニカは何も買わないが下手な常連より店主と仲がいい。一言断ってからであれば、と、老婦人に許されていた。


 「いいよ。鏡を出してあげようね」

 「ありがとう!」


 小さな宝石のあしらわれた髪飾りを着けてみる。

 うん、これは。


 「モニカちゃんには少し大きいね」

 「そうみたい……」


 頭に重みを感じるほどで、いろいろと我慢しなければいけない「大人のおしゃれ」という感じだ。

 知識として知ってはいるが、それを受け入れられるほど、そして受け入れなければならないほど、モニカは大人では無かった。


 「こっちのはどうかね?」

 「それもかわいい!」




 と、そんなことをしているうちに、ふと店の壁に掛かった時計が目に入った。

 機械時計は高価で、二等地の店でも数軒しか時計は置いていない。


 いまが3時前だから、えっと。


 「遅刻寸前じゃない! おばさま、ありがとう! またね!」


 サボって来ている時にもこういうことがあるのか、老婦人は慣れた様子で手を振って見送った。


 待ち合わせ場所に着いたのはギリギリの時間だったが、周りにそれらしき子供はいない。

 両親に何度も尋ねた容姿、年齢を想起するが、やはり付近に該当する子供はいなさそうだった。


 こういう時は取り敢えず待っておくのがセオリーだが、待ち合わせというものを初めて経験する上に遅刻寸前だったモニカは、既にここを通った後だと思い、家までの道を戻り出した。


 幸いにも──或いは不幸にも、待ち合わせ相手の少年も、土地勘の無さゆえにそこを通り過ぎていた。


 少し走ると、地図を持ってふらふらしている少年が見えた。


 金髪の少年など王国では珍しくもないが、明らかに王都に不慣れな金髪で少し年下の少年となれば、きっと確定だろう。

 モニカは追いつけたことに安堵して──ふらふらと脇道に吸い込まれていく少年を見て硬直した。


 そっちは近道でも何でもない、しかも暗い路地だ。


 「ちょっと!」


 慌てて呼び止めると、びくりと震えた少年が振り返り──横合いから伸びた手が魔術を使い、少年を眠らせた。


 「ひ──むぐっ!?」


 発作的に叫ぼうとしたが、背後から口を押えられ、拘束される。

 出来る限り暴れたが、大人の腕力に敵うはずもない。そのまま少年を眠らせたのと同じ魔術師に魔法をかけられ、意識を奪われてしまった。


 モニカが目覚めた時、腕は手枷と鎖で壁に繋がれ、地下牢のような場所に閉じ込められていた。


 「こ、ここは……?」


 あれから何時間が経過しているのかは分からないが、モニカの主観にしてみれば、口を押えられて魔術をかけられた──誘拐されたのはついさっきだ。

 声が震えるのを抑えきれず、それでも誰かが答えてくれるのではないかという淡い期待を抱いていた。


 「どこかの地下室、たぶん」


 落ち着いた声。

 弾かれたように顔を上げると、さっき見た少年がモニカと同じように拘束されていた。

 静かに伏せられた顔からは雫が零れており、見えない表情を容易に想像させる。


 「あなたは?」

 「僕はフィリップ・カーター。君と一緒に誘か──ここに連れてこられた」


 誘拐、という直接的な言葉を避けたのは現実逃避だろう。

 同情と、フィリップという名前に興味を引かれ、モニカは一歩分だけ距離を詰めた。


 「あなた、タベールナっていう宿屋を知ってる?」


 尋ねれば是と返され、やはり、奉公に来たという。

 予想が的中したということと、待ち望んでいた弟分に会えたということで嬉しかったが、現状を思い出せばすぐにその歓喜も萎んだ。


 何か話してフィリップの涙を止めようと──そして自分の恐怖を紛らわせようと口を開くが、言葉より先に靴音が響いた。


 誰か来た。

 咄嗟にフィリップの前に動こうとするが、手首の鎖がそれを阻害する。


 やってきた男が何か喋っているが、意味不明だ。

 男は一方的に喋るだけ喋ると、連れていた部下に命じてフィリップを連れ出そうとした。


 止めようとしたが、鎖は固く、手枷が食い込むばかりだった。


 「そう焦るな、リトルレディ。この少年が駄目なら、次は君が贄になるのだから」


 男の話し方は芝居がかっているというか、自分に酔っている感じが生理的に気持ち悪かった。

 しかし、そんな態度よりも聞き捨てならない言葉があった。


 「贄ですって?」


 言葉の正確な定義なんて知る由もないが、無事に帰っては来られないだろう。

 そんな目に遭わせてたまるかと抵抗するが、強固な鎖はびくりともしない。


 「そうとも! 我らが神──時を支配する神、アダマント様への贄になるのだ! 光栄に思うがいい!」


 諦めたように目を閉じたまま、涙を流し続けるフィリップ。

 喉よ張り裂けろと言わんばかりに叫ぶが、男たちは見向きもしない。叫ぶのを止めようともしないのは、それだけ防音性が高いのか。どれだけ叫ぼうと、助けは来ないのか。


 その絶望と叫び続けた酸欠で、気付けばモニカの意識は途絶えていた。





  こつ、と。硬い石の床が靴音を伝える。

 地下室から複数の人間が階段を上ってきているようだ。

 失神していたと自覚したモニカは、飛び起きると鉄格子に駆け寄り──手枷によってそれを阻まれる。


 「フィリップは!? ねぇ、あの子はどうしたの!? 無事なんでしょうね!?」


 靴音は……3つ。

 先ほど地下牢から去っていったカルトは3人。ならば、フィリップは──?


 「フィリップ!! ねぇ、ねぇってば!!」


 浮かんでしまった考えを振り払うように、痛む喉を酷使して叫ぶ。

 自分の声で聴覚の殆どを埋め尽くしていたが、それほどに渇望していた声は、確かに音の空隙を縫ってモニカに届いた。


 「──あの子も助けないと」


 フィリップの声だ。

 無事を確信して安堵の息を吐こうとして、吐くだけの息が残っていないことに気付く。


 慌てて息を吸うと、喉の痛みを思い出したように咳き込んだ。


 ぱたぱたと軽い足音が早くなる。硬質で重い大人らしき足音は、見守るようにゆっくりと付いて来る。

 カルトでは無さそうだが、それよりも。


 「大丈夫?」

 「フィリップ!! 良かった、無事……で……」


 モニカを鉄格子越しに、心配そうに見つめるフィリップ。

 地下牢の扉を開けようとして鍵が無いことに気付き、途方に暮れるのは可笑しかったが、笑いの衝動は湧き上がってこなかった。


 目を閉じてひたすらに泣いていた時と違い、心配そうな顔や呆然とした顔、ころころと表情が変わるのは可愛らしいと──2歳しか違わないが──思える。

 しかし、その瞳には絶望にも似た何かが宿っていた。


 恐怖ではない。嫌悪や怒りとも違う。絶望に似ているが──諦め、だろうか。

 この世の全てが劇作家の描いた台本に従う喜劇だった、と告げられれば、あんな顔をするのではないか。


 そんな推察を、モニカは首を振って追い払った。

 ただ犯罪者に誘拐されて怖かったのだろうと、そう自分に言い聞かせていると、二つの靴音が追い付く。


 「鍵ならここですよ」

 「あぁ、うん……」


 歯切れの悪い返事をしたフィリップ。モニカは少し不思議だった。

 お礼を言わない礼儀知らずな少年には見えなかったのだが、もしかしてお礼を言いたくないような相手──あのカルトの仲間かと思い、声の主を見て。


 「君が、彼の言っていた女の子ですか」


 この世のものとは思えない美貌の神父に目を奪われ、恐怖や疑問の全てが吹っ飛んだ。

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