サイズ

 たしかに異色の起業家って呼ばれることは多いよね。どうなんだろ、それがいい意味なのかどうかは俺にも分からないけどね、はは。でもまあ、たしかに俺自身も周りのいわゆる一流の起業家さんたちと自分を比べた時に、違うなとは感じる。なんだろう、一番近い感じとしては、会社員の家庭で育った男が、自営業の家庭で育った奥さんをもらったみたいな。

 実際さあ、そういうことだと思うよ。俺以外のみんなは生まれつきの起業家でさ、結局それが化粧品でも金融でもメタバースでも、なんでも良いわけ。そんなのは後から見つけたというかたまたま出会ったテーマであって。そのテーマじゃなかったとしても、結局、何らかの起業するんだよ。起業すること自体が彼らの人生の目的だから。

 でもさ、俺の場合は違うんだよね。俺にとって、起業はあくまでも手段。何の手段かって言えば、ビッグになるための手段。ビッグになれるなら、プログラマーでもアーティストでも、女子プロゴルファーでもなんでも良かった。女子プロはさすがに無理か、はは。

 そういうわけだからさ、ビッグになりたくて、俺、ずっとその手段を探し続けてきてたんだ。そうしたら、ある日、ひょんなきっかけで新幹線の中で弁当の箸を床に落とした人の箸をその場で消毒するっていう環境ビジネスモデルを思いついた。つまり、起業するっていう選択肢が目の前に現れたってわけ。選択肢がなかったらそれはそれでいいんだよね。悩む必要もないから。選択肢がでてきたから悩んだ。

 え、どうして悩んだのかって?

 そりゃ、悩むよ。起業して失敗したら、自分が会社員として築き上げてきた慎ましい生活、慎ましいって言ったらあれかもしれないけど、まあそんなやつすら失うことになるわけだから。でもさ、俺にとっての一番の問題はそこじゃなかったんだよね。一番の問題は人間としての俺の器のサイズ。

 俺、ビッグな人全般に憧れてたからさ、そういう人を紹介してる雑誌の記事とかテレビのインタビュー番組とかよく見てたんだよね。そうそう、まさにこの番組みたいなやつ。で、感じてたわけ。成功している人たちの器の大きさを。スケール、デカって。それに比べて、自分の器はどうか?

 起業っていう選択肢を目の前にしたときに、そのことが俺を一番ためらわさせた。というか、答えは割とすぐに出たんだよね。俺の器はそんなサイズじゃないって答えが。だから一度はきっぱりと諦めた。起業をね。 

 それじゃあ、どうして起業されることになったんですかって?

 それがさ、ほんとすごいターニングポイント的な出来事があったんだよ。そのたった一つの出来事で、俺の考え、俺の人生が百八十度変わるような。今から考えても信じられないくらいだけど、でもほんとそんな劇的な瞬間が俺に訪れたんだよね。

 そのエピソードを聞かせてください?

 まあ、そりゃそうだよね。でもさ、もったいぶるわけじゃないけど、俺この話今まで誰にもしたことがないんだよね。なんか、自慢話みたいで恥ずかしくて。あと、これって日曜日の朝の番組でしょ。俺がその話をしたところで、放送では使えないんじゃないかな。

 え、それでも良いからぜひ聞かせてください?まあ、そこまで言うなら、話そうか。

 俺、ゴルフが好きでさ、毎週末打ちっぱなしに行くんだ。で、通ってる練習場がさ、うちの最寄り駅から三駅ほど離れてるんだけど、歩いて通ってるんだよね。それは今でもそう。時間にしたら片道で45分くらいかな。ちょうど良いくらいのウォーミングアップになるし、ずっと川沿いの遊歩道になっててさ、ぼんやり歩きながら色んな事考えるのにちょうど良いんだ。ほら、なかなか、フラットにものを考える時間って普段ないでしょ。

 もちろん経営者になった今と昔では考える内容が変わったっていうのはあるよ。でも、俺の中でのその時間の位置づけっていうのはずっと変わってなくて。今から5年ほど前のその日は、一度は諦めた起業について考えながら歩いてた。そう、諦めてんだよ。でも心の底に、これで良かったのかなっていうのがずっと残ってて、本当にそれでいいのか、俺、みたいな。で、これがまた、そういう答えが延々でないようなことをうだうだと考えるのに良い時間なんだ。

 でさ、そんな風に歩いていた俺の前をそのとき、二十代前半くらいの女の子が犬を散歩させてたんだ。すごい小さな犬。何だっけ、若い女の子が飼ってる犬の代表的なやつ・・・、そう、それ!チワワ、チワワを散歩させてたんだ。犬の散歩にももってこいの道だし、今も言ったみたいに、チワワだっけ?チワワ、若い女の子に人気だから、それ自体はなんということもない光景だった。

 ただ、なんかその女の子が自然で良い感じだったんだよね。変な意味じゃないよ。ほら、中にはさ、ファッションで犬を散歩させてるみたいな娘もいるよね。でも、その女の子は違った。犬をきちんと飼ってる感があった。エチケット袋が腰からぶら下がってたとかっていうのもあるんだろうけど、それだけじゃなくて、なんていうか全体的な雰囲気がね。

 最初はそれだけだったんだ。俺も考え事してたし。一瞬、女の子に目が行って、今言ったみたいなことを思って、それだけ。もちろん女の子とチワワは俺の前を歩いてたわけだから視界には入ってるんだけど、すぐに俺の意識の中からは消え去っていた。あ、その時、俺空を見上げたんだ。空はでかいな、それに比べて俺はやっぱり、みたいな。はは、すっかり忘れたけど今急に思い出したわ。空。

 いや、ごめんごめん。空の話は忘れて。空、全く関係ないから。本題はここから。で、そうこうしているうちに、またその女の子の方に意識が戻ったんだ。なんでかっていうと、女の子が立ち止まったから。腰のエチケット袋に手をやってたし、チワワがなんかもぞもぞとしてたから、女の子が立ち止まったわけはすぐに分かったよ。チワワが大きい方の排泄をしようとしてるんだって。

 歩道の反対側に寄って、俺はそのまま歩き続けた。草の匂いがした。それまでは水の匂いがしてたんだと思うんだけど、それは印象に残ってないんだよね。でも、歩道をサイドチェンジしたら、草の匂いがしたのは覚えてる。何かが起きたかっていえば、それくらい。あとはただ普通に、俺たちの距離が縮まっていっただけ。

 その間もチワワはさ、足を震わせながら、なんか頑張ってた。というか、きばってた。こりゃ、こいつは大自然の中ではやっていけないななんて思いながら、ほんとチワワが俺の目の前に来たまさにそのときだよ、小さな腰がぶるぶるっと震えて、やっとことさ出るものが出てきた。それでさ、俺さ、思わず息を飲んだんだよね。あんなにはっきりと息を飲んだことって後にも先にもないくらい。

 俺、俺の息を飲む音が、女の子に聞こえちゃったんじゃないかって心配になって、足早に女の子とチワワを追い越したんだ。で、追い越そうとしてた間は、今度は心臓のバクバク音が聞こえるんじゃないかって心配になって、余計に緊張した。要はさ、それくらい俺度肝を抜かれたわけなんだよ。

 え、何に度肝を抜かれたんですかって?

 ウンチだよ、チワワのウンチ。あ、ウンチってテレビで言ったらだめか。ウンコ。巨大なウンコ。チワワから出てきたウンコがさ、信じられないくらい大きかったんだよ。チワワよりも大きいって言ったら、さすがに盛りすぎだけど、ほんとどうやったらこんな小さなチワワの体の中からこんな大きなものが出てくるんだ、物理的に無理だろっていうくらい、大きかったの。チワワのウンコ。

 女の子とチワワを追い越した後も速足で歩いてたんだけどさ、なんか俺怖くなっちゃって。あるでしょ、畏怖の念を掻き立てる規格外のサイズって。で、気が付いたら、猛ダッシュで走り出してた。どれくらい走ったか、正確には覚えてないけど、だいぶ走ったと思うよ。少なくとも女の子からは見えなくなるくらいのところまでは走った。

 マラソンランナーがゴールに飛び込むみたいに、川沿いの柵にもたれかかったときには、心臓バクバクで、きつかったよね。息が整うのにだってだいぶ時間がかかった。息が苦しくて、口の中じゅうが血の味がして、吐きそうで、その間は、何も考えられなかった。

 ところがだよ、不思議なことにようやく落ち着いた時には、俺、決断してたんだ。起業に賭けてみようって。

 その時は、あまりに普通にそう思えたから、なんでそういう結論に達したか考えもしなかったけど、多分、あんなちっぽけなチワワがどでかいウンコがひねり出せるなら、俺にだってでかい仕事ができるんじゃないかって、そう無意識の思考が働いたんだろうね。

 とにかく、そんな風に起業を決断したら、何とも言えない感情がこみあげてきて、涙が出た。振り返って、女の子とチワワの姿を探した。ありがとうって、感謝の気持ちを伝えたくて。でも、ずっと遠くまで見渡しても、見つけることができなかった。女のことチワワとは、それから一度も会ってない。

 で、次の日会社に辞表を提出して、今の会社を立ち上げた。「幸運の女神には後ろ髪がないからチャンスを逃すな」っていう有名な言葉があるけど、うちの会社のロゴマークが犬のしっぽをモチーフにしているのは、その格言と俺にとっての幸運の女神であるあのチワワをイメージしてのものなんだ。

 起業してからは苦しいことも多かった。逃げ出そうとしたことも、正直一度や二度じゃない。でも、そのたびに俺思い出すんだ。あのとき川沿いの遊歩道を無心で駆け抜けた時のこと。それと、俺の背中を押してくれた、あのチワワの巨大なウンコのことを。

 柄にもなく熱く語っちゃったな、はは。まあ、これが俺の人生のターニングポイントの一部始終ってわけ。どう、メッセージ伝わったかな?

 え、全部使えませんって。あ、やっぱり。

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