きみの声は明日へも響く

長月そら葉

第1章 きみとの出逢い

歌うきみは誰?

第1話 水曜日の歌声

 青空が何処までも続き、吸い込まれそうな空の色を瞳に映す。しかし、そろそろ東の空が赤く染まる時間帯に差し掛かるが。

 ボブの髪が風に遊ばれ乱れたまま自転車をこぎ、少女はセーラー服を着てとあるカラオケボックスに到着した。

 ガチャン。鍵をかけ、リュックを背負って店の戸を開ける。喫茶店のようなカランカランという鐘の音が鳴り、受付の奥にいた白髪交じりの男性が顔を上げた。


「こんにちは、おじさん!」

「やぁ、心結みゆうちゃん。今日も学校帰りに来たのかい?」

「はい。だって今日は、ですからね」


 今時少なくなったであろう手書きの受付票に名前と滞在時間を書きながら、心結は笑う。彼女の話を聞きながら、おじさんはいつものジュースを用意していた。

 心結が来た時、おじさんは必ずアップルジュースを用意してくれるのだ。それは彼女がこの店に初めて来た時から注文し続け、最早恒例となったカラオケのお供。

 アップルジュースの入ったコップを差し出して、おじさんは部屋番号の書かれた紙を取り出した。


「残念ながら、待ち人はまだだよ。はい、今日は二○五号室」

「ありがとう、おじさん。大丈夫ですよ、絶対聞こえますから」

「そうかい。楽しんでな」


 おじさんに見送られ、心結は廊下を進んで二○五号室のドアを開けた。

 ドアを開ける直前まで、各部屋からの歌声が様々に聞こえてくる。どれも気持ち良さそうで、心を弾けさせるようで、心結は気持ちが急くのを感じていた。


(早く、わたしも歌いたい! でも、あの人の歌も聴きたい!)


 自分にあてがわれた部屋に入り、機械のスイッチを入れる。するとテレビと手元の機械が繋がり、曲名や歌手名から歌いたい曲を選択する画面になった。心結はタッチペンを動かし、迷うことなく数曲一気に選び取る。

 心結が歌うのは、主にJ-POPと呼ばれるジャンルの曲だ。好きなアニメやドラマの主題歌、キャラソン。たまに演歌や歌謡曲と呼ばれるジャンルの曲。

 毎回二時間、学校帰りに週二回。それが心結のストレス解消法であり、何よりの楽しみだ。

 一曲目のイントロが流れ始め、マイクのスイッチを入れる。アニメ映像にテンションを上げて、心結は息を吸い込んだ。


 それから、約一時間後。隣の部屋に誰かが入った気配がした。壁の掛け時計を見れば、いつもと同じ時間。


(あの人だ!)


 心結は心を弾ませ、無意識にそっとマイクと音楽の音をわずかに下げる。少しでも隣の歌声が耳に聞こえるように、しかし聴いているとバレてはいけない。その綱渡りの音量を選ぶのは、いつも心臓がドキドキだ。

 自分の選曲した曲をかけて歌いながらも、耳はどうしても隣に吸い寄せられる。しかし音程を変に外しては、隣に奇妙に思われるかもしれない。

 心結は左右の耳を別々の方向に傾け、隣の部屋のイントロを聴いて「よしっ」と内心歓喜した。

 隣の部屋の人が選んだのは、今流行りのアニメのオープニングテーマ。アップテンポで、そのアニメを彷彿ほうふつとさせる歌詞が魅力的な一曲だ。


「──例え、きみが何処かへ消えてしまっても。きっと僕は探し続ける……」


 毎週水曜日の夕方、一時間だけ訪れる青年。心結が知っているのは、たったこれだけの情報だ。自ら話しかけたことも、正面から姿を見たこともない。あるのは、カラオケボックスから出て行く後ろ姿だけ。

 背はおそらく百七十センチ前後で、少し痩せている。髪は黒で、いつも黒いリュックサックを背負う。

 話しかけてみれば良いのに。カラオケボックスのおじさんにも、この話をした友人にも苦笑された。

 しかし、心結には出来なかった。カラオケが大好きではあるが、いつもひとりカラオケ。誰かと一緒に行くなんて、恥ずかしくて出来ない。それくらい、親しくなるまでは奥手なのだ。

 だからいつも、一ファンとして聞き入る。彼の歌声は、男性としてはやや高めだ。その為か、女性の歌も綺麗に歌い上げる。

 透き通っていて、かすれることもない声。高音も低音も同じように歌い上げ、また朗々とした歌も混ざる。J-POPから歌謡曲まで。


(どんな人、なんだろう……。一度で良いから、話してみたいな)


 自分の歌にも半分集中しながら、心結は思う。ドキドキと弾む心音を聞きつつ、一歩を踏み出せない。

 今日もまた、無情にも一時間が経った。青年が帰る気配がして、やがて足音は遠ざかる。

 心結は心から残念に思いながらも、何処かほっとした複雑な気持ちで選曲した歌を歌っていた。

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