絵に描いたような深窓の令嬢は、重度の睡眠不足。しかし、その中身はオヤジギャル(死語)である。

第1話 始まりのハジマリ

「……きめぇ」

「え?」


 アタシが思わず発した言葉。

 その言葉は、軽やかに空気にのると、無駄に広い空間に響き渡る。

 感情を押し殺し、堪えた末の小さな呟きのはずだったのに。

 その場を一瞬で凍りかせるには、十分インパクトがある言葉らしかった。

 目の前にいる、頼りなさげなイケメンの目が点になる。


 ヤバイッ! ベアトリスじゃないって、バレるだろッ!!


 アタシは、膝の上に置かれた手をギュッと握りしめた。

 微妙に湿った手のひらが、薄紫色のシルクのドレスをしっとりと濡らす。

 白く華奢な手が、力を込めたせいでほんのりと薄紅色に発色した。


「き、きめぇ……つのツルギってご存知? アルツール様」


 つい、取り繕うように。アタシの口から滑り出る流行りの漫画。アタシ……何やってんだよ。


「キメーツノツルーギ?」

魔王を倒す、伝説の剣なんですのよ」

「なんと! それはまことか!?」


 ナヨナヨとしたイケメンが、めずらしくキリッとした表情をしてアタシの言葉に食いついた。

 ……意外と良い反応。

 もう一押し、もう一押しだ! アタシは長い睫毛を震わせて、目を伏せる。


「アタクシ、魔王が怖くて怖くて仕方がないのです」

「ベアトリス様ほどの美貌であれば、そう思われるのも無理はない。魔王ヤツは面食いだからな」


 ……魔王が面食いって。

 お前、なんでそんなこと知ってんだよ。

 勝手に話に合わせてくんなよ、このボンボンが。


「アタクシ、魔王に嫁ぎたくはないのですぅ」

「わかっている! わかっているとも、ベアトリス!」

「それがあれば、魔王は近づかないのです!」


 アタシはかつてないくらい涙を瞳に宿し、軟弱イケメンを凝視した。

 そして、か細く儚い声音をゆっくりと口からこぼす。


「それを、持ってきていただけたらぁ……。アタクシ、安心してアルツール様とお付き合いできるのです!」

「わかった! ベアトリス! このアルツール、命に変えてもキメーツノツルーギを探し出すッ!!」


 絵本の王子様よろしく。

 いつになく真剣な表情を保つヒョロっ子イケメンは、緋色のマントを大袈裟に翻し、立ち上がった。


「待っていてくれ、ベアトリスッ!! 一刻も早くキメーツノツルーギを携えて、迎えにくるぞッ!!」

「お待ちしておりますわ、アルツール様」


 颯爽とドアに向かって歩く坊ちゃん王子を、アタシは瞳を揺らして見送る。


「アルツール様、どうかご無事で」


 鈴を転がす、と。そう形容するアタシの声は、意気揚々とドアに消えていく甘ちゃん王子の背中を滑るようになぞった。


 パタンと閉まるドアと同時に。一気に静かになった室内に、アタシから出たため息が響き渡る。


「はぁ……マジで。なんでこんなんなっちゃったんだろうなぁ」


 お伽噺に出てくるような、洒落た窓辺に腰掛けたアタシは、どこまでも広がる青空を見上げて呟いた。


「ベアトリス、早くしろっつーの」 


 アタシはしばらく前のことを反芻して、独りごちた。





 しばらく前、というか。

 時間の概念が不確かで正確には〝いつ〟なんて言えない。

 しかし、アタシがアタシであった最後の記憶は、眠らないと決めた金曜日の夜だったはずだ。


「いやぁ、寛子ちゃんは、アレだねアレ! オヤジギャルだ!」


 昭和から平成。

 時代の真っ盛りを生きぬいた課長がアタシに向かって放った一言。途端に、隣のお局が盛大に茶を口から噴いた。


「オヤジギャルって、なんすか? 課長」

「え? 知らない?」

「知らないっすよ」

「まさしく、寛子ちゃんそのままなんだよ~」

「はぁ?」


 少し風を直に受けはじめた頭部を掻きながら、課長はスマートフォンの画面に指を滑らせる。


「これだよ、これ!」


 自信満々にスマートフォンの画面をアタシに見せて、課長はタハハと笑った。

 アタシは、その画面に視線を落とす。


『オヤジギャルーー1990年代に流行した言葉。まるで、オヤジのような言動をする若い女性のことをさす。

 通勤は、スポーツ新聞で野球や競馬の記事を読む。または、日本経済新聞で株価のチェックをする。

 ランチはもちろん一人。立ち食いそばや牛丼、カツ丼などをかき込む。

 仕事が終わると「プハーッ」と言いながらビールをあおる』


 ……まぁ、遠からずも近からず。


 好きなプロ野球球団の記事を見逃すまいと、この時代にめずらしく、アタシは紙媒体を買っている。

 しかし、日経新聞は若干他の新聞より高いから買わない。

 でも、ネットで株価のチェックはしている。

 ランチは、隣のお局とモソモソ飯を食うよりは、一人でガッツリ食いたいだけなんだよ。

 そして、何より。終業後の「プハーッ」の、一体何が悪い!

 さらに言うなら! 三十年ほど前の崩壊言語で揶揄ってくんなっつーの!

 アタシはスマートフォン越しに課長を睨んだ。


「死語っすよ、課長」

「何が?」

「オヤジギャル」

「いいじゃん! もうね、ピッタリなんだって! 『おっさん女子』より何より。寛子ちゃんは、オヤジギャルがピッタリくるの!」

「……」


 風通しが良くなったその頭部、もっと風通し良くしてやろうか? と。

 心中で悪態をついたその時。終業を告げるチャイムが執務室に鳴り響いた。

 アタシは課長に踵を返し、机に広げた書類を片付ける。


「あれ? 寛子ちゃん、今日残業じゃないの?」

「今日は疲れたんで『プハーッ』しに帰ります」

「じゃ、俺も一緒に行っちゃおうかなー」

「『プハーッ』は一人でしたいんで。では、おつかれさまでした」


 深々と一礼し、アタシは執務室を振り返ることなく後にした。



 自立した一人の人間として、見てもらいたい。

 そう思って生きてきた。

 仕事もプライベートも、そうだ。

 自分らしく、他人に甘えて生きたくない。

 ただ、それだけなのだ。

 

 それを三十年ほど前の崩壊言語で一括りにされたことにたいして、アタシはやっぱり頭に来ていたんだと思う。


 コンビニで500mlの缶ビールと笹蒲鉾を買って、公園のベンチに腰掛けた。

 そして、缶ビールのプルタブに指をかける。

 金曜日の宵の口。

 公園には色んな人がいた。早歩きでどこかに向かっている人。

 待ち合わせのソワソワした人。

 楽しげに談笑する学生の団体に、球技厳禁な公園で、何故かナイター草野球をする輩がいた。

 そんな人の波を見ながら、アタシはビールをグッと喉に流し込む。

 喉の奥に#閊__つか__#えたモヤモヤしたものも一気に流れて、思わずその〝一言〟を呟いた。


「プハーッ!」


 いいじゃんよ、プハーッて言っても。

 誰にも迷惑かけてねぇし。

 笹蒲鉾を取ろうと、ベンチに視線を移したその時。

 ベンチの上で、何かがキラリと光った。


「何コレ」


 手を伸ばすと、シャラリと金属の華奢な音がする。アタシは、外灯の光でソレを照らした。


「ネックレス?」


 片翼をモチーフにしたペンダントヘッドの、ネックレス。

 お洒落の度をこしている馬鹿デカいソレは。

 夜に煌めく人工的な光を反射して、輝いていた。

 こんなデカいの、普通落とすか? 

 まぁ、困っている人もいるかもしれない。

 よし。飲み終わったら、交番に届けよう。


「危ないッ!」


 そう心に決めて座り直した瞬間、遠くから叫び声が聞こえた。

 反射的に顔を上げると、目の前に金属バットが迫っている。そのタイミングも時間も。

 避けるには、かなり遅かった……。


 --ガッ!!


 と、頭に鈍い音が響く。

視界が大きく歪んで、天地が逆転する。

 だから、公園で球技はすんなって言ってんだろ。

 ……あぁ、ヤベェ。

 アタシ、死んだかも。

 つか、こんなとこで500mlの缶ビールとセンスの悪いペンダントを手にしたまま、死ぬなんて。

 めっちゃツイてねぇ……。

 視界が真っ暗になって、本格的なヤバさが戦慄し全身を貫く。



「あぁぁ! よかったわぁ!! 貴婦人レディでよかったわぁぁぁ!!」


 暗闇の向こう側から、明るくキレイな声がした。

 やたら頭に響くその声に、状況が飲み込めないアタシは。

 未だズキズキと痛む頭を押さえて目を凝らす。

 

「!?」


 瞬間、手にしていた趣味の悪いペンダントが、ぼんやりと光を帯びる。

 そのぼんやりとした光は、暗闇を丸く広く照らし出した。


「初めまして。私クシ、ベアトリスと申します。貴女は?」

「廣島寛子です。ってか……え? 誰?」


 アタシは思わず絶句した。

 ベアトリス……アタシには、そんな知り合いはおらん!

 朝日のように輝くブロンドと、菫色の虹彩をキラキラと輝かせたベアトリスという女性。

 お伽噺のお姫様の如く、可愛らい容姿に目が釘付けになった。

 そして、ふんわり薄紫色のドレスを揺らしてアタシに近づいてくる。

 その手には、アタシが手にしている趣味の悪いペンダント。

 これは、死ぬ前に見るという走馬灯なのか?

 走って逃げ出したいのに。

 ベアトリスのなんとも言えない気迫に押されて、アタシの足が一歩も動かなかった。

 ベアトリスの笑顔が面前に迫って、ゴクッと喉がなる。


「待っていたんです! 寛子様」

「……」

魔女マリキータのおまじないも効かないんだわぁ、って思っていた矢先の! なんと幸運なんでしょう! さっ、寛子様。早く入れ替わりましょう!」


 ベアトリスは、アタシの手を暗闇の先へと引っ張った。


「ちょ……ちょっと待って!」

「なんですか?」

「入れ替わるってなんだよ!? 勝手に決めんな!!」

「どうして……どうして、そんな意地悪なことをおっしゃるの?」

「!?」


 ベアトリスの大きな菫色の瞳から、今にも大粒の涙がこぼれ落ちそうなる。

 アタシは、つい言葉を飲み込んでしまった。


「ひどいわ……せっかく、爆睡できると思ったのに」

「……は?」


 王子に縋りつきなくお姫様の如く、ベアトリスはアタシにしがみついて離さない。

 その力が、白く華奢な腕からは想像もつかないほど強力で。

 アタシは、ベアトリスを色んな意味で振り払うことができなかった。


 ってか……〝爆睡〟って何?

 お姫様の〝爆睡〟って何?


 もしや、こんな何も知らなさそうな顔をして! 

 夜な夜な、全くもってケシカランことを……!


「昼はボンクラ貴族にひっきりなしに求婚され、夜は夜で魔王やヴァンパイアに求婚され! 私クシ、いつ寝ればよろしいの!?」

「……はぁ?」

「お願いです! 貴女あなたは今、ゆっくり寝られる環境にあるのでしょう!? お願いですから、入れ替わってください!」

「……」


 まぁ、ゆっくり寝られる環境にはあるわな。

 アタシは今、金属バットに襲撃されて昏睡状態だろうし。

 それに、おまじないを使ってまでゆっくり眠りたいとか。

 アタシはなんだか、ベアトリスが不憫に思えてしまった。


「お礼は必ずいたします!」


 ベアトリスと悲痛な叫びを共に紡がれた言葉に、アタシの耳がピクリと動く。


「お礼?」

「はい! 何がよろしくて? 何でもおっしゃってくださいませ!」

「んじゃぁ……酒?」


 この期に及んで、まだ酒とか言ってるアタシもアタシだけど。

 アタシの言葉に、満面の笑みになるベアトリスも大概だと思った。


「我が家のワインセラーに貯蔵しているワイン、いくらでも飲んで構いませんわ!」

「その話、ノッタ!!」

「ありがとうございます!! では寛子様!! 早速、入れ替わりましょう!!」


 その言葉を最後に、アタシの記憶はかなり曖昧になった。


 そして、気がついたら。アタシはベアトリスになっていたんだ。

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