第17話 消えろいいシンガー


 ――これが昔のディスコ……。やっぱり、クラブとはかなり感じが違うな。


 私はすでに大勢の若者で溢れかえるフロアを身を小さくして進みながら、昭和の熱気を肌で感じ取っていた。ミラーボールとけばけばしい照明、やたらにぎらつく天井と床は、大人の学園祭と言った風情だった。


 フロアの奥の方にはスポットライトが備え付けられ、マイクを持った人物が音楽に載せてラジオパーソナリティを思わせる滑らかなMCを行っていた。


 ――ふうん、これが昭和のDJか。ヘッドフォンもしてなければターンテーブルでスクラッチをしているわけでもない。面白いなあ。


 私はDJの「フィーバー、フィーバー」というなんだかパチンコ店みたいな陽気なあおりに、気分が高揚するというよりなんだか微笑ましい物を感じた。


「聖園君、僕はドリンクを持ってくるから君は壁際のテーブルを取っておいてくれ」


 由仁はそう言うと、私の返事も待たずに傍を離れて人ごみの中に姿を消した。


 私は仕方なく人の間をすり抜けて壁際に移動すると、テーブルの上にバッグを置いた。


 私が物慣れた風を装ってテーブルの前で待っていると、やがて由仁がカラフルな液体で満たされたグラスを持って戻って来るのが見えた。


「いやあ、みんな思ったよりカジュアルないでたちじゃないか。きっと、本格的なドレスコードが導入される前の時代なんだな」


 由仁がそう言いながら私の前に置いたのは、カットされたフルーツが入ったよくわからない飲み物だった。


「フルーツパンチって奴らしい。……といっても、飲むのは僕も初めてだけどね」


 由仁はストローに口をつけ中身を一口啜ると、「……甘い」と言って困惑顔をこしらえた。


『さあ、次の曲はグロリア・ゲイナー『恋のサバイバル』だ。そう言えば布施明も歌ってたけど、こちらは本家本元オリジナルのヴァージョンだ』


 ちょっと歌謡曲っぽいダンス・ナンバーに合わせて体を揺らす男女をぼんやりと眺めながら、私は果たしてこの密集する人の中で音調津一已とやらを見つけることなんてできるのだろうかと首をひねった。


 私が由仁の言葉通り「かなり甘い」ドリンクをちびちび啜っていると、少し先の視界にぎこちない動きで踊る二つの小柄な人影が飛び込んきた。


「あの子……西岡さんのお姉さんたちだ」


 私は派手なスカートで賢明に体を揺らしている少女たちに危うい物を感じつつ、こういう背伸びの青春もあっていいけど……と複雑な思いを抱いた。


『さあお次はドナ・サマーの『ホットスタッフ』だ。ディスコの女王が送るヒットナンバーに、ダースベイダーやジョーズも踊り出しちゃうよ』


 だんだんと70年代になじんできた私がほんの一瞬、「もしかして踊れるかも」と思いかけた、その時だった。人の隙間を縫うようにフロアの中心へ進むサングラスの男性に、私の目は吸い寄せられた。


「ちょっと、先生」


 私が囁きながら肘で脇腹を小突くと、由仁は「ん?」と怪訝そうに眉を寄せた。


「あのサングラスの人……音調津一已とかっていうアーティストの人だわ」


「本当かい?なぜわかるんだい?」


「今日の昼間、一度ここの入り口前ですれ違ったんです」


「ふうん。……やはり地元のアーティストがお忍びで来てるっていう噂は本当だったんだな。……よし、じゃあ後はどうやって消えるのかさえつきとめれば取材は完了だ」


「消えた謎をつきとめる、なんてことできるんですか」


「さあ。それはとにかく消えるところを目の当たりにしてみないと、わからないな」


 由仁は頼もしいんだか頼りないんだかわからない言葉を口にすると、フルーツパンチをテーブルに置いてフロアの中央に目を凝らし始めた。


 音調津一已と思しき人物はしばらく音楽に合わせて身体を揺すっていたが、やがて動きを止めてすっと動くと、壁際のテーブルへと移動を始めた。やがて近くに知っている顔を見つけたのか、口元を崩すと談笑を始めた。


「近くで見ると小柄だな。これじゃあ人ごみに紛れられたら姿を追うのは難しそうだ」


 一已らしき人物がは、別の顔見知りからドリンクを受け取ると、壁際のテーブルで談笑を始めた。やがて次々と集まってきた顔見知りたちが周囲を囲んだかと思うと、一瞬、一已の姿が見えなくなった。


「あっ」


 私が声を上げると、それに応えるように由仁が「ひょっとするとこれが……」と小さく漏らした。しばらくして一已の周囲の人波が左右にばらけると、輪の中心にいたはずの一已の姿が嘘のように消え失せていた。


「本当に消えちゃった……」


 私が一已のいたあたりで談笑を続けている女の子たちを見ながらぼそっと吐き出すと、由仁が「これならそう難しくはないな。……残り時間もあと四十分しかないし、二、三、裏付けを取ったらもう帰ってもよさそうだ」と言った。


「まさか、消えた方法がわかったんですか」


「おそらく手品の範疇だね。目的はわからないけどこれは多分、不特定多数の客に自分が消える所を「目撃」させるために行った非公式のショータイムだと思う」


 由仁は手ごたえありと言わんばかりに口許を緩めると、「君も小柄だから、消えないよう気をつけた方がいい」とよくわからない冗句を口にした。


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