【実話・エッセイ・体験談部門】短編特別賞『小児科医と白血病と、マイクラと。』の感想

小児科医と白血病と、マイクラと。

作者 木沢 真流

https://kakuyomu.jp/works/16816700429243406088


 第四回カクヨムweb小説短編賞2021において、

「短編賞を受賞した三作品はストーリー展開、キャラクター、文章力などが高いレベルでまとまり、小説として完成度が高く、なおかつコミカライズでさらに輝くポテンシャルを持っていました」

「短編特別賞の九作品はいずれも秀作で、わずかの工夫や見直しで短編賞を受賞した可能性がありました。作者の皆さまは力量十分ですので、次回にぜひ捲土重来を期してください。短編小説を書く方には参考になる作品ばかりなので、ご一読をおすすめします」

「コミックフラッパー奨励賞の一作品は短編小説としての完成度という点で他の受賞作と比較した場合、一歩足りないところはありますが、映像が情景として浮かびやすく、この物語を別の媒体で読みたいと思わせる作品でした」

「新設の実話・エッセイ・体験談部門では、七作品が短編特別賞に選ばれました。独自の経験、体験談を見事にアレンジし、読み手に届けることに成功した作品ばかりです。新しい知識が面白く得られる作品から、涙なしでは読めない感動の作品まで、幅広いラインナップとなっています。フィクションとはまた違った角度から、読む楽しみを味わわせてくれる作品ぞろいではありましたが、コミカライズという点では適さない部分もあり、惜しくも短編賞は該当なしとなりました」と総評されています。


 主人公は小児科医の先生、一人称私で書かれた文体。大学病院で小児科医として勤務した二年後、市中の病院に務め、一年後に臨時要員として三日間だけ出向したときに出会ったケンジ君の家族との体験談。白血病で他界したケンジ君がマイクラに何を作ったのかが書かれている。

 発端、葛藤、危機、クライマックス、結末の順番で書かれ、前半は受け身勝ちながら後半は積極的にドラマを動かしていく構成になっている。


 冒頭、「――病院とは危険なところである。なぜなら人がたくさん死ぬからだ――これは国語の教科書に書いてあった一文で、この論理的な間違いは何だろうか、ということを考えさせるテーマである」からはじまっている。

 国語の教科書にこんな問いが掲載されているのを、初めて知った。

 この問いかけの間違いは、「人が死ぬ=危険なところ」としていることだろう。たしかに次々と犠牲となる砲弾が飛び交う戦場ならば危険だろう。病院に砲弾が飛んでくるなら別だが、他国からの侵略がない限り、そうはならない。

 病院で人がなくなるのは、生死の判断をするのが医者だけだから。

 たとえ心肺停止でも、ひょっとしたら病院へ運んだら助かる可能性もあるかもしれない。とにかく救急車を呼んで病院へ搬送、医者の判断で臨終となれば、病院で亡くなったとなるだろう。

 かかりつけ医師が訪問し「ご臨終です」と告げない限り、家で亡くなる機会も減ったのではないかしらん。

 そういう意味もあって、病院では人がたくさん亡くなる。

 かといって、危険なのかといえば疑問に感じる。なにを持って危険というのか。

「川や海で遭難事故が起きるから、水場は危険である。山は落石や遭難があるから危険である。自動車やバイク、自転車の事故が後をたたないから道路は危険である。餅を食べる行為は喉をつまらせるから危険である。なぜなら人が死ぬからだ」というのと変わらない。どんなことでも言えてしまう。

 とはいえ、病院で人がなくなるのは本当だ。


「小児科医という職業上、幼い年齢で亡くなる子と接する機会は珍しくない。そんな子どもたちは、自分がなぜ生まれてきたのかを考える時間さえ与えられずその人生を終えてしまう。特に残された家族にとってその悲しみは限りなく深い」なるほどと、考えさせられる。利用する側にとって、亡くなる場所というイメージは少ない。

 でも、医療従事者からしたら、そうなのだろう。

 亡くなった子供の家族の手助けをするのが、「小児科医であったり、友人だったりするのだが、時にはなんとその亡くなった子ども自身が、家族に勇気を与えてくれることもある」という。

 本作は「そんな勇気を与えてくれた一人の少年のお話」だと冒頭に記されている。

 読者に対する冒頭の誘い方が、片意地はらず自然に誘っているところがうまい。


 私の父も白血病だったので、多少なりとも病状の大変さを想像できる。「以前は死の病の代表だったこの白血病も、医学の進歩で型によっては八十%まで生存できるようになってきた。ただ依然として重篤な疾患であることには変わりない」とある。たしかに、医学は進歩し、効果のある薬も開発された。本当に最初は効果が出て喜んだことを覚えている。

「不幸にも治療の反応が悪く、より強い治療に切り替えたが、再発、再々発と繰り返し、いよいよ打つ手が無くなってきた」うちの父親もそうだった。

「その後ケンジ君は何度か外泊と言われる一泊二日程度の自宅退院を繰り返した。これは家へ帰るための訓練ではなく、もう二度と帰れないだろうから、少しでも家族の時間を作ってあげたいという目的からだった」これもよくわかる。

 うちの父親も、入院から通院に切り替えて、この病気と付き合っていくという方針にかわったとき、家族と時間を共に過ごすためなのだと思った。

「三月の桜のつぼみが花を開こうとしていた季節のこと。ケンジ君は静かに息を引き取った。享年7歳だった」とあることから、小学一年生でなくなったのかしらん。院内学校に通っていたのか、それとも、入学してから白血病とわかり、入院するようになったのかもしれない。


 マインクラフトでは今までダイヤモンドでできた装備が強力だったが、1.16より、ネザライト装備が追加。攻撃力や防御力、耐久力強化、一部の防具はノックバック耐性が付与され、溶岩で消えることがない優れた装備となった。

 ネザライトの剣を作るには、鍛冶台を使ってダイヤモンドの剣とネザライトインゴットを組み合わせる必要がある。

 ネザライトインゴットを取得する流れは、古代の残骸を取得し、そこからネザライトの欠片、ネザライトインゴットの順番に作る。


「子どもが亡くなると、その家族との関係は一気に消失する、これを神様が与えたペナルティと呼んでいる」

 助けることが出来なかったことを、医者は罰だと捉えていることが伺える。


 市中の病院で再会するのが、本当にドラマのよう。

 しかも、気づくのが遅く、すれ違ってしまう。

「君の名は」状態のように。

 さらに、一年後の離島の病院の三日間の臨時要員での再再会なんて、まさに奇蹟。神様の思し召しとはこのことか。

 

 長年気になっていたマインクラフトの話を聞いて、「出来上がったら見せてくれる」という約束を、ケンジ君は守ったのである。

 人の縁とは、巡り合わせとは、人智を遥かに超えたものなのかもしれない。

 

 パウロ・コエーリョの『アルケミスト』に書かれた、「なにか強く望めば宇宙のすべてが協力して実現するように助けてくれる」を思い出す。


「その時は私たち家族は深い悲しみに沈んでいました。でもその五つ並んだ名前を見ていると、落ち込んでばかりじゃいられない、って思わされたんです。僕らの家族はまだまだ続いていくんだよ、ってケンジに言われているみたいで」


 彼の願い、思いは届き、受け継がれ、妹は生まれてエレナと名付けられて、先生は家族と巡り会えた。

 ケンジ君が亡くなったのは悲しい。

 でも、思いが通じて本当に良かった。

 目頭が熱くなって涙腺が緩んでしまう。

 

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