第8話 逢瀬
披露宴後に行われたアフターパーティーでは、様々な企画で友人たちに祝ってもらい、結婚式全体のプログラムは滞りなく終了した。今回、自分たちはどこからどう見ても同日に挙式をした仲睦まじい2組の夫婦に見えていただろう。なんの問題もなく結婚式のミッションを終えた4人は、全て終わってからまるで戦友のようにお互いを讃えあった。様々な問題を抱えていたソロモンも、最終的にはなんとか『新郎』としての役目を終えたことを思うと、その点は充分に労う点であった。
だが、まだもう少しミッションは続く。今後は短期間ながら新婚旅行が控えており、これもこなさなくてはいけないものであった。
ソロモンは、当初はこれまた旅行に行く必要はないと思っていたが、やがて新婚旅行に一切行かないことも不自然なのだと理解し、流石に文句は言わなかった。それに、ソロモンは以前のビルキースとのやり取りをきちんと覚えている。そのため、意外とすんなり納得いった状態で、ジェシカとの新婚旅行のため、観光地に出かけた。
数日後、いくつかの思い出と共に帰宅したソロモンとジェシカは、それぞれ家族に土産の品を渡した。
ジェシカの家族は、無事帰ってきてくれてよかったといい、楽しそうに土産話を聞いてくれた。
ソロモンの家族も、かなり安堵した様子で2人を出迎えた。――その安堵は、ただ『無事に帰ってきてくれてよかった』だけではないのだが。
「少しは、ジェシカさんの夫役にも慣れたみたいだな。それに、旅行も楽しんできたみたいでよかったよ」
「えぇ、最初はどうなるかと思いましたけど、多少は夫としてらしく振る舞えるようになったみたいですね」
「それならよかった。2人のことはアイリーンからも時々聞いてるからな。上手くいってると僕も嬉しいよ」
ジェシカと共にやってきたソロモンの様子を見て、両親やボールドウィンは安心したように笑い、ジェシカは隣で静かに微笑んだ。事情を知るものが相手だからこその会話は気楽ではあるが、遠回しに釘を刺されているので心は痛む。しかし、ソロモン自身のかつての行動が原因なのだと理解しているからこそ、何も言えずにただ聞くしか出来なかった。
その後、数日遅れで別の観光地から戻ってきたビルキースとアイリーンからもそれぞれ土産話を聞き、土産の品を受け取った。両者も旅行を随分楽しんだようでなによりである。
そして、漸く本来の恋人と逢瀬を楽しむ時間も得た。
新婚旅行から数日経ったその日は、随分と久方振りの、2人きりの時間だった。
夕方頃にソロモンは、アパートへやってきたビルキースを快く迎え入れた。ソロモンは、自分と顔を合わせたビルキースが、後ろ手にドアを閉め鍵をかけたのを確認した後、すぐさま彼を抱きしめた。続けて、小さく名前を呼び、会いたかったと囁く。両者はお互いの体の温かさに浸り、暫く後ソロモンは僅かに拘束を緩めると、ビルキースの顎をくいと上げそのまま唇を塞ぐ。
ビルキースも、突然の行動に驚きはしたが、拒否することなく徐に背中に手を回した。そのまま甘く口付けを何度か交わした後、薄く唇を開けて僅かに舌を出す。
それを受け入れるようにソロモンも深く舌を絡めて、暫しの間貪るように深い口付けを交わした両者は、やや息を荒らげながら唇を離した。
「……ふふ、ビルキースとこういうことするの久しぶり」
「……まぁ、そうだな。結婚式が近づくにつれ、なにもしないようになっていたからな」
「そうだねぇ」
ソロモンは、少し前のことを思い返し苦い笑みを浮かべて、ビルキースをハグしながら言葉を続ける。
「あの頃は結構しんどかったよ……。そんな気持ちになっても、自分で発散するしかないし、そういうの関係なく触れ合えないのは寂しいし。ビルキースは平気なのかもしれないけど」
「まさか。俺だって寂しい気持ちはあったよ。お前だけじゃないさ」
すり、と身を寄せながら零したソロモンの言葉に、ビルキースはあっさりとそういった。つい、ソロモンは目を見開いて相手を見つめる。
「……え、そうなの?」
「うん。正直、俺もかなり我慢してた」
「そっか、そうなんだ……」
意外な反応に、ソロモンは少し顔を赤らめる。数秒、2人の間に沈黙が流れたあと、恐る恐るといった様子でビルキースが部屋に行っていいかと確認する。ソロモンはもちろんそれを了承し、そのまま自身の部屋に彼を招き入れた。
ソロモンの部屋は、単純に書物が多い。法政に関わる本などが複数ある本棚に丁寧に並べられている。
また、寝具やクローゼットとだけでなく勉強用の机もあるため、まさに分かりやすく学生の部屋といった印象だ。以前、実家で生活していた時もこのような雰囲気だった。妻となる女性と過ごしていようが、そこは変わらないらしい。
部屋に着いたソロモンは、ビルキースのコートなどをハンガーにかけ、鞄の置き場所も提示した後、ベッドに腰を下ろし、誘うように座面を軽く叩いた。
鞄を置いたビルキースは、それを見て照れくさそうな様子で隣に腰を下ろす。直後、ソロモンはビルキースの太ももをに手を這わせて、呟くように問いかけた。
「ねぇ、したいんだけど、……いい?」
「いいよ。……ここまで来ておいて、拒否なんかしねぇよ」
何をしたいかとはハッキリ口にしなかったが、ビルキースもそこはよく分かっているようで、目を逸らしつつもそう答えた。実に久しぶりの逢瀬であり、肉体関係はとうの昔に築いている恋人同士が、お互い溜まっている状態で寝室にいるわけだ。何をしたいかは明白である。
ソロモンは、ビルキースの返答に安堵したあと、白いシャツの上から彼の逞しい体に手を這わす。ソロモン自身とは大きく異なる鍛えられたビルキースの体は、ソロモンに羨望の気持ちと邪な気持ちを隆起させる。そんな気持ちを胸中に宿した彼は、ビルキースに一言断りを入れてから白い指でぷちぷちとボタンを外し始めたところで――あ、とソロモンが短く声を上げた。
「……何?」
「あ、いや、そういや、ビルキース、多分あっちの準備まだだよね? ごめんね、連れて来ちゃって」
「…………あー……えっと……」
ソロモンが口にしたその単語に、ビルキースは目尻を僅かに赤くして答えに言い淀む。
ここで言う準備とは、所謂ネコ側に必要になってくる洗浄である。同性同士の場合、いざ行為に及ぼうと思っても異性との行為とはまた異なる。準備が必要かどうかは勿論行為の内容にもよるが、このふたりの場合は、ビルキースが受け入れる側としてそういった準備をすることが基本だった。
しかし、ビルキースはまだこちらに来てからそういった準備をしていない。だから、直前になりそれに気づいたソロモンは慌てて口にした訳だが……どうも、ビルキースの様子がおかしい。
なにやら言いたいことがあるように唇を薄く開いているが、できれば言いたくないとも思っているようで、彼はその唇を閉じ目線をうろうろと泳がせる。そんな様子のビルキースに、ソロモンは首を傾げたあと、もしかして、とひとつの可能性に気づく。
――もしかして。
口角を緩くあげたソロモンは、静かに、しかし高揚を抑えられない声で問いかける。
「……もしかして、ビルキース、もう、準備、してくれてます……?」
「――っ、あ、あぁ。……多分、すぐそういう展開になると思ったから……家の方で、準備、して、きた……」
驚きと期待を込めた両の瞳で、つい彼を見つめつつ問いかけると、かあっと頬を染めたビルキースが、控えめな調子ながらもそんなことを口にした。
同時に、ソロモンは気持ちが一気に高揚する感覚を覚える。まさか、それに備えてそんなふうに用意をしてくれているとは、そんなにも期待してくれていたのか――あれこれとぐるぐる考えるまま、ソロモンはビルキースの名前を呼びながら彼をベッドに押さえつけ、そのまま口付けをする。先程玄関先でのものより、もっと深く、彼のことを喰らうように噛み付いた。時間はどのくらいか。数十秒なのかもっと長いのか、どれくらいか分からないほどに舌を絡めて、限界ギリギリになって漸く唇を離した。自分の下では、真っ赤な顔をして呼吸を荒くするビルキースが、へにゃ、と笑みを浮かべて「単純だな」と零す。
「僕が単純なことは、とっくに知ってるでしょう。……というか、ハァ、そんな期待してるようなことされたら、興奮しちゃうじゃん」
「期待してんだよこっちも。言ったろ、我慢してたのはお前だけじゃねぇって。それに、結婚式当日のあの控え室でお前が盛った時、好きにしていいって言ったしな」
「そう、だけど、さぁ……あぁ、もう、我慢できなくなるじゃないですか……」
「だから、別にいいんだけど。そもそも、暫く長いこと我慢させてた訳だし、省ける手間は省いた方がいいだろ」
口元を拭って、ソロモンの体を押し上げ体勢を整えたビルキースは、ヘラヘラした様子で自らシャツのボタンを外した。白い生地の下から顕になる、逞しい褐色の肌に自然とそそられる。
――相変わらず、いい体してるよな……最っ高じゃん。僕とは大違い!
欲情と羨望が混ざった目を向けつつ、ソロモンは滾った気持ちのままシャツを脱いだ。適当にベッドの上に置いて、ビルキースの体に手を這わせると、彼は期待しているかのように僅かに口角を上げてこんなことを言った。
「あ、そういやまだ言ってなかったけど」
「ん、なんです?」
「……今日は、さ、お前が好きなやつ穿いてきたんだよな。だから、その、それで気分上がるっていうなら、俺の事好きにしてくれていいから」
「――は」
どこか婀娜っぽい面持ちと声色で言ったビルキースの言葉が、ソロモンの頭を揺さぶる。そして彼が口にした単語を頭でゆっくりと理解し、ソロモンは、彼の下着の方に目を向け指で触れ、それを確認した後――なんとかギリギリ堪えていた筈の理性が、遂に、擦り切れた気がした。
それから数時間後、もうすっかり真夜中に差し掛かった頃。心身ともに精根尽き果てたソロモンは、汗だくの体をベッドに沈める。
――つい、興奮してめちゃくちゃにしてしまった……。
ビルキースからのわかり易すぎるお誘い理由に、ソロモンは何回もビルキースを抱いた。随分久しぶりの行為ともあれば高揚するのも仕方ないし、あんなにも分かりやすく据え膳を用意してくれているのだから仕方ないとは思うが、流石に無茶をさせすぎたのではないか? お互いその気だったとはいえ、悪かったなと今更の罪悪感を胸に、薄暗い部屋の中、隣でぐったりと横たわる恋人に目を向けた。
「あの、大丈夫ですか」
「……大丈夫……体がしんどいのと、喉が変な感じするだけ……」
「流石に、無茶させましたか。すみません、どうにも気持ちが抑えられなくて……」
「いいんだよ、俺も今回はその気だったし。後ろ準備してお前が好きそうなタイツまで穿いて、お前のこと煽ったの俺だしさぁ……。これで文句言うわけねぇだろ」
「それはまぁ……そうかもですけど……」
今日のビルキースは随分と積極的だった。ソロモンの好みに合わせた衣服をこっそりと身につけており、好きにしていいなんて許しも与えた。普段はこんな準備をしてくれるようなタイプではないにも関わらず、だ。
それほどに、ビルキースも平気な顔をして我慢をしていたのだろう。それを一気に爆発させたくなった結果、ソロモンをあんな風に煽ったか。
ベッドサイドに置かれたランプの明かり以外、なにもない薄暗い部屋の中で見たビルキースは、疲労を湛えながらも満足げなように見える。
「……満足しました?」
「そりゃもちろん。……お前は? 挙式の時にまで盛ろうとしたソロモンさんよ」
「っ……、そりゃ、凄く気持ちよかったですよ満足しましたよ最高でしたよ……!」
「はっ、そりゃよかった。こっちも煽った甲斐があった」
にやにやと少々憎たらしい笑みを浮かべながらこちらを見やるビルキース。その様にまた複雑な気持ちを抱えながら、ソロモンは愛しい彼に身を擦り寄せた。
こうして、ソロモンにとっては圧にも苦痛にもなっていた結婚に纏わるイベントは、なんとか終わりを迎えた。
それからのソロモンの生活は、ジェシカに対してはどこかぎこちないながらも穏やかだった。ソロモンには既にやらかしたという罪悪感があるため、言動には気をつけつつ少し下手に出るように心がけながら、同居人として自然な生活を送っていく。
ただ、別の環境で育った人間同士が共に暮らしているのだから、様々な理由で時々軽い言い合いにもなる。しかし、あそこまでの大喧嘩がない分平和と言えるだろう。食の好みや家事における価値観のズレの擦り合わせは上手く進んでいるし、夫婦間で揉める原因になることが多いであろう『子供』については、予定がないため今のところはトラブルの要因にはなっていない。ちなみに、もし子供を家族に加えようとなった際は養子をとることで合意した。
トラブルなく過ごすことが出来れば、ジェシカとの生活は決して悪くないものだと、ソロモンは思いつつあった。
そんなある日の夜、ロースクールより帰宅したソロモンが、食卓のテーブルにて熱々のマカロニチーズを口に運んでいると、台所にいるジェシカがぽつりとこんなことを聞いた。
「……そういえば、ソロモンさんの舌は肥えていそうなのに、あまりに食事に文句は言ってこないのね」
「え? あぁ、ジェシカさんのご飯、結構美味しいですし。それに、作ってくれてるんですから……文句言うなんてできないでしょう」
ジェシカは、少し目を丸くした後、追加のサラダを盛り付けて短く相槌を打つ。
「そうなの。あなたも意外と優しいところがあるのね」
「……なんですかそれ、そんなに僕が冷たい人だと思ってるんですか」
ジェシカの言い方に、ムッとしたソロモンの前に、ジェシカが静かに彩の良いサラダを置いた。一言礼を述べると、短く返事をしたジェシカが、複雑な心境を示すように目を細めて、テーブルの向かいの椅子に腰掛けた。
「別にあなたを冷たい人だと思ってる訳じゃないわ。……結婚前は、優しい人だと思ってたけど、イメージが崩れただけよ」
「あ、…………あの時は、実に、すみませんでした。本当に、反省してますので」
ソロモンは、彼女の言葉につい手を止めて目線を漂わせる。当時のことを思い返し、心が痛む感覚がした。
ジェシカは、丸いアメジストの瞳でじっとソロモンの方を見つめる。その視線にたじろいでいると、彼女はどこか真剣な顔つきで口を開く。
「なんでもいいけど、信じてますからね。ソロモンさんは、もう、あんなひどいことしないって」
「……もちろん、しませんよ。あんなこと。流石に、あれは、自分でも酷いって思うようになりましたから」
マカロニチーズをまた口に含んで、用意してもらったサラダにも手をつけ、グラスに残った酒を一気に飲み干すと、ふぅと息を吐いた。
「その証拠に、あれ以降僕は紳士的じゃないですか。あなたとの話し合いは真面目にしてますし、あなたが嫌がるようなこともしてませんよ」
「……そうね、でも、自分で言っちゃうのが良くないわ。折角、最近のソロモンさんは紳士的になってきてると思ったのに」
「えっ、えぇ……」
ジェシカの反応に少し残念そうに眉を下げて、拗ねるように口をとがらせると、ジェシカは軽い調子で笑う。
「冗談よ。……まぁ、お互いの家族のためにも、良き夫婦を演じていきましょう」
「そうですね、僕も、頑張って役をこなしますよ」
「偽物の夫婦ってのも、悪くないわよね」
「そうですね」
その後も暫くジェシカと雑談し、途中から酒を酌み交わし、良い時間を過ごした。
綺麗に夕飯を完食し、ソロモンは、今後も己の立ち振る舞いを充分に気をつけ、ジェシカとできるだけ仲良くしていこうと改めて心に決めた。
部外者が何を言おうが、お互い諍いなく過ごせるのが一番なのだから。
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