第3話 気持ち
あれから、とりあえずアイリーンと共に店の人達に謝罪をしたソロモンだったが、当の本人は、何故自分がこんなにも冷めた目を向けられているのかいまいち分かっていなかった。
自分とジェシカは真に愛し合った上で結婚する訳ではない。周りの目を誤魔化すために結婚するのだとお互い理解している。だったら、式なんて及第点に達していれば適当でいいし、ジェシカのドレスの型もデザインもなんでもいいし、
ソロモンは、仕立て屋でジェシカにぶたれた頬や、ビルキースに振り払われた際に痛めた手を擦りながら、オレンジ色の空の下を1人歩く。胸の内では前述のような疑問を抱えながら、とりあえずジェシカと共に住むアパートに向かった。
本当はビルキースの所に行って、彼の言動の真意を確かめたくはあったが、あんなにも力強く『相手が違う』と言われてしまえば、引き下がる他ないというもの。それに、ビルキースの元に行ったら、彼はもう自分のことを愛してはくれないだろうという謎の直感があったため、やめた。
アパートの階段を昇って、自分たちが住む部屋のドアを開ける。玄関や廊下は真っ暗で、普段ならこのくらいの時間には廊下に僅かながら明かりが灯っているのに、妙だなと首を傾げた。
「……ジェシカさん? ただいま戻りました……」
虚空に向かって呼びかけるが一切返事はない。不審に思いながら部屋に足を踏み入れキッチンやリビングを確認するが、そこに彼女の姿はなかった。仕方なく彼女の寝室へ足を向け、ドアを数回ノックし呼びかける。すると、少し間を置いてか細いながらも言葉が返ってきた。彼女に確認をとってからおもむろにドアを開けると、暗い部屋の中で1人ベッドに蹲るジェシカの姿があった。
「ジェシカさん、ただいま戻りました」
「…………おかえりなさい」
カーテンが閉め切られた薄暗い部屋の中で、ジェシカはソロモンに背を向けたままそう返した。明らかに落ち込んでいるその様になんと言えばいいのか分からないまま、短く息を吐いてから呻きのような声を漏らす。そして、数秒考え込んだソロモンが発した最初の言葉は、先程の仕立て屋での態度へ言及したものだった。
「…………あー……さっきのこと、なんですけど」
「……えぇ」
「その、すみません、でした……?」
ぽりぽりと頬を掻きながら口にされたスッキリしない謝罪を聞いたジェシカは、ゆっくりとした動きで振り返る。長い金髪と疲弊した面持ちが相まって、妙に恐ろしく見えて一瞬ゾッとした。
その一方で、ソロモンの言い方が引っかかったらしいジェシカが、じろりとソロモンを睨む。
「『すみませんでした』って言ってるけど、貴方、謝る気あるの?」
「…………あります」
「なら、自分の何が悪かったか説明してよ。一応、自分の非が分かったから私に謝ってるのよね?」
「えっ、えっと……」
冷たい言葉に、ソロモンはたじろぐ。今のソロモンは結局、自分が謝罪すべき点をほとんどわかっていなかった。
自分が結婚式に興味がなさすぎるのがよくないのだろうということは一応理解している。しかし、何度も言うようにこの挙式は愛し合った末の式ではなく、周りを安心させるための式なのだ。結局、最低限のことが出来てればそれでいいだろう。もちろん、招待客に失礼のないようにもてなしは必要だが、別にソロモンがジェシカのドレスを選ぶ必要性はないし、ほか三人で決めてもらっても一向に構わない。話し合いの過程で、ソロモンは自分の考えは最低限伝えた。それでいいはずだ。だったら、別に1人席を外していようがチェスをしていようが無関係な気がした。
実際は全くそんなことは無く、的外れな思考なのだが、今のソロモンには、やはり自分が謝る理由が特にないように感じられていたのである。
だから、あれこれ考えても、ジェシカが怒った理由も、自分の非も、ソロモンは全く理解出来ていなかった。
そして彼は――それを、そのまま、口にしてしまう。
「…………正直、よく、分かってません」
「はぁ?」
ジェシカの顔が怒りに多少歪んで、眉がつり上がり、彼女が掴んでいたシーツに力が篭もる。
「だって、しつこいようですが、僕とあなたは好き同士で結婚するわけじゃないでしょう。周りの目を誤魔化す為に結婚するわけで。周りに対して失礼のないもてなしが出来たらいいんですよ」
「………………」
「それで、そのもてなしも、僕は最低限自分の希望は伝えて、あなた達も汲んでくれました。だから僕はもう結構満足してて。3人が大方僕の希望も組み込んであれこれ決めてくれてる訳ですし……それでいいような気がするんですよ」
ジェシカはなにも答えない。ただ、失望したような瞳でソロモンをじっと見つめている。一方でソロモンはその瞳に特に動じることも無く、言葉を続ける。
「……そもそも、僕が思うに、結婚式の主役は女性側なんですよ。だから、今回はジェシカさんとアイリーンがメインなんです。だからあの場所をどう飾るとか、どういうものを着るかとか、直近のパーティでどうするかとか、それも全部女性側の意見に沿った方がいいんですよ。だから別に、僕がそこまで関わらなくてもいいというか……」
「…………私のことは、どうでもいいの?」
悲しみの色を宿したその言葉に、一瞬目を丸くしたソロモンはすぐさま回答する。
「えっ、そういう訳じゃないですよ。貴女のことは別に愛してはいませんが、友人としての好意はあります。別にどうでもいい訳ではありません。ただ、なんだろ……えーと、すごくモヤモヤしていて……」
「何にモヤモヤしてるの?」
体勢を整えたジェシカが、ベッドから降りて少しソロモンに歩み寄る。彼は反射的に半歩ほど下がってしまったが、腕を組んで悩む素振りをしたまま話を続ける。彼が言うこと、それは、ビルキースに対しての感情だった。
「ビルキースの恋人は僕のはずなのに、彼、僕じゃない人との式を楽しみにしているから……すごく、嫌で、気持ちが落ち着かなくて、不愉快で……」
それは、恐らくジェシカも理解できる可能性がある言葉だった。ジェシカからしても、きっと、自分の恋人が自分以外との挙式を楽しみにしている様は複雑であろう。彼女に確かめると、その質問に対して静かに頷いた。しかし、ジェシカはその程度で過剰に不快感を表に出すつもりはないようだ。
「……確かに、アイリーンがビルキースさんと挙式をするのは複雑な気持ちになるわ。夫婦になるのは何となく嫌だし、誓いのキスなんてしてほしくない。……でも、そういったこともわかった上で受け入れているし、言い出したのは私なんだから、あからさまに不愉快さを表に出すなんて馬鹿なことしないわよ」
ジェシカの言葉は、今回は正しいのだろう。しかしそれでもソロモンの吐露は止まらない。
「それはそうですけど……でも、なんだって、恋人と妹の式に協力しなきゃいけないんですか。いや、確かにそれは初めからわかってたことですけど、でも、嫌なんですよ、妹と楽しそうにしてるビルキースを見るのは。彼の恋人は僕なのに、本当は僕がビルキースと結婚したいのに、法が、世の中が、神がそれを許してくれないから、だからこんなことになってるだけなのに。あぁ、もちろん、罪悪感はありますよ。周りはともかく、神の目は誤魔化せませんから。ですから、僕はとんだ罰当たりな奴だとは思ってますよ。……まぁ、それは、貴女もそうかも、しれませんけど」
「……………………」
「そこは僕や貴女の中では覚悟ができてると思うので今は置いておくとして、ですね。もっと挙式も事務的にやってくれたらいいんですよ、ビルキースも、アイリーンも。それなのに、本当の夫婦みたいに楽しそうにして。そんなの、あの2人が本当に愛し合って結婚するみたいじゃないですか。……それに、あなただって、恋人の兄との結婚式のなにがそんなに楽しいんですか。意味が分からない。複雑な気持ちだけど我慢してるっていうより、単純に楽しんでるだけじゃないですか。本当なら、僕のことなんか置いといて適当にやってくれたらいいんです。ドレスも会場もあなたとアイリーンで決めてくれたらいいんですよ。普通の夫婦と違うのに、僕がわざわざ関わる必要、どこにあるんですか……」
目線を下げ、ついつい拳に力を込めながら語るソロモンを、ジェシカは悲しげな目で暫し見つめた後、大仰に肩を落としてベッドに腰をかける。ジェシカは、ソロモンとは目を合わさないまま、薄く唇を開く。
「あなたが言いたいことは分かったわ。モヤモヤする気持ちも分かるし、好きな人が自分以外との式を挙げる……それに憂う気持ちも分かる。でもね、そのあたりをわかって承諾してるんじゃないの? というか、そもそも、あなたはその『事務的』すらできてないじゃない」
「…………それは、まぁ……」
「そんな状態でよく謝ろうとしたわね。とりあえず『ごめんなさい』って言ったら解決すると思ったの? 子供の仲直りじゃないんだから。もう少し自分の何が悪かったか理解してから謝ってほしいものだわ」
捨て鉢気味に言い放ったジェシカが、足首までを覆うワンピースの生地を悔しげに掴む。哀愁漂う雰囲気に胸が痛むが、なんと声をかければいいのか分からず、開きかけた口を閉ざした。
そして暫しの沈黙が2人の間を支配したあと、ジェシカは溜息をついて、躊躇いがちに言葉を零す。
「ソロモンさん、それでね、今日、なのだけれど」
「あ、はい」
「出来たら少し違うところで一晩過ごしてくれないかしら」
「……あぁ、いいですよ」
いくらなんでもこの言葉を発した彼女の心境は理解出来る。ソロモンでも気まずい雰囲気だと理解している現状だ。これから寝るまであまり顔を合わせたくないとか、そもそも今食事を作る気力がないとか、そういうものなのだろう。幸い、ソロモンの実家はここからでも近い。突然のことで家族には申し訳ないが、一晩邪魔するとしよう。
凪いだ気持ちでジェシカの申し出を受け入れたソロモンは、準備をしようと踵を返し扉に手をかけた。その時、またジェシカがソロモンの名を呼ぶ。
「……まだ何か?」
僅かに振り返るソロモンに、ジェシカは言う。
「さっきのあなたの質問に答えておこうと思って」
「質問?」
「ほら、さっき言ったでしょう。『恋人の兄との結婚式のなにがそんなに楽しいんですか』って。それに、私なりの回答をしようかなと」
「あぁ……それは是非、聞きたいものですね」
「一応言っておくけど、これはあくまで私の感覚よ。アイリーンや、他の女性とは違う可能性も大いにある。それをわかった上で聞いてね」
はい、と短く頷いたソロモンをじっと見つめて、ジェシカは少し口角を上げて口にした。
「別にね、私は、相手があなたでもあなたじゃなくても、よっぽど酷い相手でない限り式自体は楽しめると思うのよ。綺麗なドレスは素敵だし、式場だってできればいいように飾りたいし、もてなすためにあれこれ考えるのは嫌いじゃない。だから、別に、好きな人じゃないからってやけくそになる理由は特にないの。そりゃ、最初に言ったように、生理的に無理な相手やとても酷い相手だったら、話は変わるかもしれないけど」
「……そう、なん、ですか?」
「あくまで私はね。だって、私にとって結婚式は、親を安心させるための手段のひとつだもの」
驚くソロモンの目線の先で、ジェシカは僅かに目を細めた。
「……私は、元々女性が好きだったから、家族が思うような結婚をして安心させるってことは出来ないと思ってた。でも、この結婚で、ひとまず親を安心させることができる。親のことは、全てを受け入れてるわけじゃないし、好きなところも嫌なところもあるし、最近の結婚の催促はうんざりしてた。でも、別に親のことは嫌いじゃないの。だから、2人のためにも無事挙式をして、『よかった、ジェシカは大丈夫だ』って思ってほしいの」
「……そうは言いますが、単に結婚するだけなら、式をしなくてもいいのでは?」
「確かに届出を出したら結婚は出来るわ。でもね、そうじゃないの。分かりやすく、けじめのひとつとして行うものよ。立派な式を挙げて、分かりやすくして、安心させたい。相手となる人も悪い人じゃないからって見せるためにも、あなたにも関わってほしい。そういうことよ」
「…………そう、ですか」
「えぇ。……話はとりあえず終わりよ。あとはもう、あなたの好きにして」
「わかりました。それでは、また」
くたびれた笑顔を向けたままこちらに手を振るジェシカに小さく手を振り返して、ソロモンは部屋を出た。彼女の話については、分かったような分からないような、そんな感覚を抱きながら、荷物を手に家を出て、公衆電話から実家であるマスグレイヴ邸へと連絡を入れた後、そちらに向かった。外は完全に日が落ちており、暗く、街灯には数匹の虫が集っていた。
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