第15話 明るい世界

「お母さん、早速行こ!」

「はいはい、わかったから」

新作のゲームを買ってもらう子供みたいに、私は母を強引に引っ張って家を出た。

 車に乗ってすぐ、私は大好きなアイドルソングを車に流す。頭の中は完全にライブ会場。いつか、彼ともライブに行くことができるかもしれない。そう思うだけで身体が弾むくらいワクワクした。

「栞。どんな髪形にする予定なの?」

母がルームミラー越しに聞いてきた。

「よく考えてなかったけど……。前髪は軽くしようって思ってるよ? あとは、お任せ」

「そうね。前髪だけで印象、だいぶ変わるもんね?」

「うん」

明日のデートのことを考えると、これまで退屈な授業とか、面倒な課題とか、窮屈な日常が報われたように思えた。

「着いた。栞、行くわよ」

「は~い」

車から降りて美容室に入ると、特有の甘い香りが柔らかく鼻腔をくすぐった。

「いらっしゃい。金曜に来るなんて珍しいわね?」

不思議そうな顔をして問いかけてくる美容師の橋本さんに、

「まぁ、事情がありまして……」

今にも綻んでしまいそうな頬に少し力を込めて返す。

「じゃあこっちね」

橋本さんに先導されて、特殊な椅子に腰を下ろした。そして、髪を流してカットに入る。

「今日はどんな感じにする? いつも通り前髪は残す感じ?」

くしで髪をとかしながら橋本さんがいつも通りの声色で聴く。

「あ、あの。えっと、前髪を軽くして、後はおまかせで」

「え? 前髪、軽くするの? さては栞ちゃん、彼氏?」

鏡越しに向けられる真っすぐな視線。すべてお見通しのようだ。私は照れ笑いをして小さく頷いた。

「ほんとに? じゃあ、とびっきり可愛くしないとね!」

先生は、テンションを上げてノリノリでカットを始めた。自分の髪の毛が少しずつ地面に落ちて行く。目の前にあった真っ黒な暗幕が取れて行き、少し暗く感じていた室内がとても明るく見えた。

「前髪はこれくらいで良いかな?」

「あの、いい感じで」

「じゃあ、これくらいで。あとは後ろもいい感じにしてくね」

「はい」

目の前のピカピカの鏡に映る、自分であって自分でないような存在が私に微笑みかけている。

「栞ちゃん、嬉しそうね?」

「え? そうですか?」

声が上ずってしまいそうなのを必死に抑えて、笑顔のまま鏡の中の橋本さんにそう返す。

「栞ちゃんの彼氏さんってどんな人?」

興味あり気な視線を鏡に反射させて、私に向ける。女子はいつまで経っても恋バナが好きなんだそうだ。

「優しくて、何でもできる人です」

少し俯いて言うと、

「イケメン?」

間髪入れずに次の質問が飛んできた。

「はい……」

私にはとても、勿体ないくらいだ。彼の顔を見る度に、心からそう思う。

「へぇ~。楽しそうで良かった」

「はい」

ぼんやりと、変わっていく自分を見ているととても楽しくて、嬉しくて、心がすごくあったかくなった。


「はい、おしまい」

橋本さんにポンと肩を叩かれた。ぼんやりと見えていた私が、くっきりと像になって目に飛び込んでくる。

「栞? すごくかわいくなった!」

橋本さんの後ろに映る母は、目を丸くして、高い声でそう言ってきた。

「へへ……」

マジマジと伝えられるとやけに恥ずかしくて、私は肩をすくめて小さく笑った。

「これで、明日のデートはばっちりね?」

「はい!」

変わった自分を見て、初めて自分に自信が持てた気がした。

「じゃあ、明日は楽しんできてね~」

「はい」

橋本さんに大きく手を振って、私は車に乗り込んだ。

「明日、なに着て行こうかな~」

子どものように足元が落ち着かない。車内に流れるかわいらしい音楽に負けないくらいの音量で、鼻歌を響かせる。

「ご機嫌ね?」

「まあね」

得意げに答えて、また鼻歌を歌う。

 ――明日のデート、楽しみだなぁ!

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