万人の災厄を愛して

三石 成

序章 新月の夜

 新月の夜。白刃が閃くたび、命が絶える。

 切っ先を薙いで一つ首が飛び、返す物打で二つ飛ぶ。

 一度鞘から放たれた二振りの刀は、右へ左へと軽快に舞いながら、屍の山を築く。

 その誰もが声を発さぬうちに、集落の入口に立っていた八人の見張りは皆、地面へ倒れ伏した。

 刀を携えた獣は二頭、海に近く、防風林に囲まれた集落の中へ。手近な家へ押しいって、布団ごと住人を串刺しにしていく。順番などはない。この集落の人間、全員の殺害が命じられている。一軒終われば次へと向かい、淡々と殺害を繰り返す。

 はじめは静かだった集落だが、ある家の妻が、隣に眠る夫が殺されたことに気づいてしまった。彼女の悲鳴で静寂が破られる。その妻も、一瞬後に叫ぶ頭を失った。

 あちらこちらから声が上がりはじめ、人々は逃げ惑う。男衆は勇敢にも刀を握った。

 二頭の獣は、集落を包囲するように別行動をとる。向かってくる者、逃げる者の差をつけず、ただ視界にはいった人々を殺していく。その様はまるで、収穫を迎えた田んぼの稲刈りをする、熟練の農夫のようだ。男衆の抵抗など、あってないようなものであった。

 集落の誰かが篝火を灯し、ようやく月のない夜に、視界が効きはじめる。

 二頭の獣は人間であった。両者、闇に紛れる黒の着物をまとう。片や散切り頭で、片や総髪をきっちりと結い上げている。

 一見、同じような身のこなしの二人だ。しかし惨劇の中、まともな精神状態で彼らの様子を観察できる者がいたとしたら、二人の振る舞いの差をはっきりと感じただろう。

 総髪を結い上げた男の太刀筋には、誰かから武術を伝授された型を感じる。恐ろしいばかりの凄腕であることには変わりないが、鍛錬の末に得た身のこなしであることがわかる。

 いっぽう散切り頭のほうは、その姿に天性のものを感じる。荒々しいふるまいに見えるが、所作の一つひとつが合理的に構築されていて、一挙手一投足に無駄なところがない。予備動作や行動後の、間のようなものが存在していないのだ。刀だけではなく、彼の全身が凶器だった。彼が動くたびに誰かが死ぬ。剣士というよりも、怪物である。

 殺戮が始まってからものの一〇数分で、辺りは再び静寂に包まれた。元は六〇人ばかりが住んでいた集落の中で、今や息をしているのは殺戮者の二人だけだ。同じように殺しを続けていた二人だが、六〇のうち五〇近くを斬ったのは、散切り頭の方である。

 自然と上がっていた呼吸を整え、総髪の男は懐から出した手ぬぐいで刀を拭うと、鞘に収める。所作にはどこか気品があった。

 男は闇の中、視線を走らせる。一軒先の道をふらりと歩く散切り頭の影が見えて、後を追ってそちらへと向かった。

 先を歩いていた散切り頭は、不意にあるところでしゃがみ込んだ。地面の上の何かを見ている。

 彼のその無防備な背を目にし、後を追っていた総髪の男は、はっとして足を止めた。

 「好機だ」と感じたのだ。

 高鳴りだした鼓動を抑え、息を殺す。総髪の男の身に張り詰めだした緊張感は、今しがた、集落の住民を斬っていた時にはなかったものだ。

 収めたばかりの刀の柄に手をやる。物音をたてぬように忍び足で、散切り頭の背後へとにじり寄った。

 もう一歩踏みこめば、居合で目の前の背を袈裟斬りにできる――と確信するその時。

「哀れよな」

 しゃがみ込んだままの散切り頭が言う。

 気づかれていたかと、総髪の男は全身に緊張を漲らせたまま、動きを止める。

 「何が」と問う、その唇は薄い。すっと抜ける鼻梁に、柳眉。地味だが整った面は、いわゆる塩顔と呼ばれる類の顔立ちである。

「見てみろよふじ。この女。子をしっかりと腕に抱いたまま死んでいる。死してなお手放そうとしない」

 藤と呼ばれた総髪の男は、言われるままにそちらを見た。手は刀の柄にかけたままだ。

 散切り頭がしゃがみ込んだその先には、地面の土にまみれて倒れている女と、その腕の中の、赤子とも呼べる程の幼き男児がいた。咄嗟に身を挺して、子を庇おうとしたのだろうと推察できる態勢だ。彼女は背中を丸めているが、彼女の体ごと男児も同時に斬られている。二人の体から溢れ出した血は、散切り頭の足元にまで広がっている。

 その鮮やかかつ大胆な斬口は、散切り頭がやったものに違いない。そもそも、藤にはこの親子を斬った記憶はないのだから、犯人は彼以外に存在しない。

「お前がやったのだろう」

 にべもなく言い捨てながら、藤は彼らの死体から、無意識の内に視線をそらした。

「ああ。こんなか弱き女と、年端も行かぬ子を殺すこともなかろうに」

 散切り頭の男が続けた言葉。

 藤はぎゅっと眉根を寄せて、怪訝そうな表情を浮かべた。この男は、自分の手で今しがた人を殺めておいて、その者に哀れだと言っているのだ。不可解にも程がある。

「かわいそうに……」

 散切り頭は、今度は誰に聞かせる様子でもなく呟く。彼はかたわらに落ちていた羽織を拾いあげ、目の前の母子の亡骸へ、頭を隠すようにしてかけてやった。

 その声、その所作、その態度からは、彼が本当に母子の死を悼んでいる様子が伝わってくる。毒気を抜かれ、藤はついにゆっくりと、刀の柄から手を離した。

「そう思うなら、どうして殺した」

「頼まれたから」

 問いかけると、散切り頭の返答は、迷う様子もなくなされた。 

 どうしようもない答えを聞き、藤は思わず天に助けを求めるように、空を仰ぐ。


 ――嗚呼。


 月のない夜空には、さやかな星だけがまたたいている。息を吸い込めば、むせ返るような血の匂いに混ざって、近くの潮の香りが届く。そのまま大きく呼吸をして、しばらく。

じょう

 視線を戻し、散切り頭の名を呼ぶ。

 浄はしゃがみ込んだまま、藤の方を見上げてきた。浄の顔は、一目見てしまえば、忘れようもない色男だ。彫りの深い顔立ちは見慣れないが、少し垂れた目元が魅力的だ。藤とは対称的な、厚く肉感的な唇をしている。

「お前、男が好きだろう」

 淡々とした藤の言葉に、浄は不意をつかれたように、目をぱちくりと瞬かせる。今まさに、数十人の者の命を葬り去った男のものとは思えないような、あどけない表情。

「藪から棒に何だ。そんなわけなかろう」

 一瞬気まずい空気が流れ、浄は、誤魔化すように笑った。抜き放ったままにしていた刀を、曲げた肘の内側で挟むと、着物の袖で無造作に拭う。そのまま、鞘に納めて立ち上がった。

 横に並ぶと、浄は藤より三寸程背が高い。藤も一般的な成人男子と比較すれば背が高い方なので、浄が飛び抜けて大柄なのである。

「隠さなくていい。ここ数日の様子を見て、気づいていた」

 藤が言葉を重ねると、浄は黙った。

 この世での男色は罪だ。そうと知られれば捕まり、罰せられるもの。世の朝廷がそう定めている上に、一般人の感覚としても男色嫌悪は浸透している。

 いったい藤が何を言い出すのか、浄は探るようなまなざしを向けた。

 篝火を揺らした、生ぬるい風が吹く。

「わたしを、抱かせてやろうか」

 血と潮の匂いに満ちた集落の中で、藤は艶やかに微笑んだ。

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