第31話・物盗り童
物盗りの詮議を行う
報告は直ぐに郡山、高虎たち宿老衆の耳に達する。
「それで件の餓鬼は口を割らぬという」
「
「や、興味深いところがあるから会ってみようと思っているが」
「然は如何なる心境だ?」
「いやさ、
「ふうん」
羽田は高虎のそれは大方細君の影響に依るのだろうと訝しむ。
奈良の政庁たる中坊屋敷に入ると、直ぐさま井上源五が概要を説明してくれた。
「昨夕前、奈良町の茂兵衛という職人が
井上がそのように言うと、鈴木の内衆と現場に駆けつけた中坊衆中の孫右衛門が説明に当たる。
「身のこなしが良かったんですよ。まるで腰刀の歩き方を、我等武士の幼年が如く」
「それに身なり、姿勢も良かった。物を盗るような輩は、大方貧しき民で、身体が上手く動かせぬ者が多く」
「要はな、上手く力を抜いて動き、所作も乱れが少ないという。どうだね佐州も長州も、奴を見ていかぬか」
源五に案内され牢に入ると、一人の童が毅然と座していた。その年は八か九つぐらいだろうか。源五に依れば取り調べには何も応じぬが、朝は暗い内に起き、夜は五つには寝るし、出された飯は綺麗に食べるらしい。
「よう。牢に入る気分はどうだね。まああまり良いもんでは無いだろう」
挨拶とばかりに話しかけるが、あまり反応は無い。
「おい坊主。俺の名前はわかるかね? 藤堂佐渡守高虎、この和州の
すると、ほんの一瞬だけ息を呑む音が聞こえた。
童の生きる音だ。何か高虎の言葉に心当たりがあるか、もしくはえも言われぬ緊張を感じたのであろう。それを見ながら、ここで押せばいけそうなものだが、と羽田は思う。
「いやはや、非常に申し訳ない話であるがな。此方も奈良町の治安を乱す者、それが例え
物言わぬ童に出来もせぬことを吐くのは滑稽だ。それでも、高虎は無様になっても大人としての態度は示すことが出来たと、羽田は思う。
高虎も、とりあえず脅してはみた。が、これで童が何か物を話すようになるか。自信は無かった。
「とりあえず中坊としては奈良町衆中に、迷い子の触れを出し、更に彼奴の衣を少々切り取って、誰ぞこの衣は知らぬかと聞いて廻るつもりだ」
郡山へ戻る仕度をしていると源五が見せびらかしに来た。
「なあ源五、切れ端をとりあえず宿老衆分に分けてはくれぬか」
物思いに耽る高虎を置いて、羽田が提案すると、源五は
「それは良い。今すぐ用意をさせよう」
と孫右衛門に視線を向けた。
「して佐渡守。何を呆けておるか」
「いや。何でもない。長州、帰ろうではないか」
「それは出来んな。其方が何を気にして居るのか、氷解せぬまでは中坊に留まろうと今決めた」
「ぐぬ……」
「何がしたいのだ!」
「……あの童に聞きたいことが出来てな」
「聞きたいこと? それなら今一度戻れば良かろう。貴様は、それが許される立場にあるのだ」
どたどたと牢を往く大男の足音は、まるで処刑の鬼が訪れたかのような緊張感を生む。
先に毅然としていた童もまた、突然再訪した高虎に恐れ戦いている。
「な、何だよ!」
初めて聞く声に牢番は驚いた。
「殺すなら殺せ!」
「殺すわけ無かろう!」
夕刻暗い牢に高虎の大声がよく響き、耳が痛い。
「其方、この牢を出られるなら何をしたい。やってみたいことはあるか」
郡山へ戻ると京都から菱屋、粉河から父が来ていた。
留守居の今井から報告を受けた高虎は、一瞬「何か昔話でもあるのかな」と思ったが、そうではなく高虎に用があるという。
菱屋は、会わせたい御仁が居るから京都へ参りましょうと言うし、父虎高は紀州からの荷物を届けに来ただけであると言う。
それならば菱屋の言葉に従って京都へ行くべきであろうか。
「父上、これは奈良町で捕らえられた童が衣の一端です。一応念の為ですが、家中や小者頭に尋ねてください」
「なんだ、そりゃじゃあわしの目を盗んで、
「……あくまでも、可能性を潰すための策です。全く藤堂の家に曲事を働く者がおりましょうや」
「いやわからんぞ殿よ」
親子の会話に口を挟んだのは矢倉と共に藤堂の家を支える今井次郎右衛門である。彼はその名を「今井孫八郎」と称していた昔、彼は磯野員昌に仕え高虎と出逢った。それが今では様々な留守居を任せるほどの頼れる重臣となっている。
「各地の普請、材木の伐り出し、輸送、唐入りとて様々な人足を集めてきた。俺の目の届かねえところで、どんな奴がいるか」
そしてこう笑った。
「まあ大和衆の人足は殿や大殿が勝手に集めたわけではねえしさ、もしも人足の中に不埒者が居たら、聚楽第や所司代殿が悪いって笑ってやれば良いのさ!」
今井の言うことは尤もで、主若きが故に人足を擁するときは聚楽第や所司代に言上して集めて貰っている。それでいけば曲事を働く人足があれば、両者に文句を言っても良かろう。
少し気分の軽くなった高虎であるが、京都に上ると心がげんなりとした。案の定、呼び出したのは二人の兄弟であった。
「……此方も多忙の身にて、何かあるのならば、そこに居る
確かに藤堂氏にとって、日野家広橋家はその名乗りが生んだ恩のある家である。広橋兼宣に仕えた初代景盛は、甲良三郷は尼子郷に知行を得て「藤堂」を称したが、推測からすると同地に元々居た京極の被官たち、つまり高虎の先祖にも「藤堂姓」を与えたようである。だがこれには史料的裏付けに欠ける。史料的には本家とも言うべき景盛が末裔平介の実家広橋侍藤堂氏と、高虎の先祖京極被官藤堂氏に関わりは見られず、言ってしまえば他人である。
だが高虎は妙に日野輝資・広橋兼勝兄弟に気に入られ、いや面白がられているのだろうか。
「そうは言いなさんな佐渡守。我等も〝ただ〟で呼び出したわけとは違うでな」
「左様。弟が言うとおり、面白い話があるからこそ呼出たちゅうわけや。それは佐渡守だけやのうて和州中納言にも、悪ない話やとな思うてのことや」
曰く、このところ洛中で物盗りの賊が相次いで出没し、更には犯行の予告として伏見城の太閤殿下を狙うという堂々の落書を立てて見せたという。
「命知らずも居ったもんや。見つかったら恐ろしい糾明を受けることになるのになあ、ようやるわ」
兼勝にはどこか物事を楽しげに語るが、それでも兄と共に「糾明」を行う側の人間である高虎の耳に入れさせるのは、何か思うところがあっての事なのだろう。
そんなことは遅かれ早かれ所司代前田玄以や菱屋が知らせてくれる事だが、ここで伝えた意図がわからない。この公卿兄弟は風変わりなところがあるから、何かしらの意図はあるのだろう。
意図は何か。そういえば確か彼らは以前、太閤殿下や聚楽第との結びつきで権勢を誇る菊亭晴季への愚痴を吐いたことがあった。まさか、いや、関わりたくない話に巻き込まれそうだ。
「盗賊となれば、さてや太閤殿下の身の回りを掠め取るといった事でしょうか。よもや、御身に触れるような企てとは」
「佐渡守。先年より
輝資に言われて思い出す千人切は、確かに物盗りだけでは無く、人殺しも兼ね備えた輩である。だがここで兼勝が示唆をすることは。
「まさか太閤殿下を狙う輩というのは、当国を乱す千人切大悪の仁、更には彼奴等が
「恐らくな。まだ確かな証を見たわけでも無いが、わてらの耳に入るとこやと、それもようけ銭が動いとる。かなりの規模や」
其れが真ならば天下揺るがす一大事ですぞ。喉まで出た言葉を飲んだ。今のところ彼らは信用に値しない人物で、彼らが高虎に囁く理由目的も見当がつかない。
そのような表情をすると輝資は笑った。
「まあ突然呼び出されて
「あいや大納言様、そこまでは……」
「時に多聞の塔は如何」
そうであった。
すっかりと、誰ぞが多聞の古塔を太閤殿下に誑し込んだのか、考えることを放棄していた。
この藤堂高虎と共に多聞の山の空気を吸った御仁こそ、今密談に勤しむ大納言日野輝資であった。
「良い助け船を出したと思ったのだがな。到底不可能な郡山廃城、多聞改築新たな城造り。和州中納言への無理難題を、上手いこと交わせる折衷案だ。それをだね、未だに古塔の沙汰を聞かない。それは此方の顔にも関わる。それは太閤も不本意なことであろうよ」
「左様。兄上が仰る通り。結局のところよ、如何な天下人とて家柄や権威には弱い。だからわてらが、多聞の山に在りし塔は彼の数寄者松永弾正が愛でし逸品、とでも言えば、当の本人はその気になってくれる。更にこのところ大坂に帰った堺商人が持ち込んだ茶壷。商人に日ノ本と比国の莫大な益が出る交易に繋がると吹き込まれ、上機の由。佐渡守、この世は魑魅魍魎の地やで。誘惑、野心と謀の都や。如何に媚びて媚びて媚びて媚びて媚びて媚びて、諂って生きるかや。真心何ぞは銭にならへん。ようよう覚えておき」
息を吐く姿、兼勝も言いたくのない台詞なのだろう。
高虎は汚れてしまった公家のようには、なりたくないなと思う。だが言わんとすることはわかる。いつの世も自分のような吹けば飛ぶ身分の国人は、強い方へ媚び諂うことでしか生きることは出来ないのだ。人の真心なぞは
宿所に戻った高虎はおもむろに寝転び、大木長右衛門を傍らに中坊の牢で会った童のことを思い出した。
童は問いかけに、面倒くさそうにしながら答えた。
「高いところへ登りたい。誰かが言っていたんだ。高野の山、多聞の山、郡山の天守、そんなのよりも高いところがあるんだって。でも自分らの身分じゃどうすることもできない。今このときに高いところに座すのは、この世を乱す大悪人。然しお姫様は斯様に仰いました。いつか必ず私たちを救ってくれる御仁が必ず現れて、その御仁によって大悪人は必ず誅される。いまこの牢に押し込められても、必ずや大悪人を誅し高き地へ登りたい」
「あの小童の話す口ぶり、何処か説法の影響を受けて居るかのようだった」
「例えば……切支丹とか?」
「いや、わからん。輩の中に、そういったことに影響を受けた者が居たのだろう」
「早く捕まえて詮議しねえとな」
「ああ」
高いところだの大悪人だの、良くわからない言葉である。童が斯様に達観した言葉遣いをするのだろうか。大凡、悪い大人たちから刷り込まれたと解釈出来る。こうした碌でもない輩は即刻捕らえ、詮議の上、処さねばならぬ。
だが、布一切れで探し当てることが出来るのだろうか。以前のように、だらだらと時間だけが過ぎていきそうな気配がする。
それよりも奈良を襲う千人切と、京都を襲う盗賊の一団が同一であった場合。更に手前の人足に潜んでいた場合は不味いことになる。
「まあ、それはそのとき考えれば良いだろう? まだ決まったわけでは無いのだから」
何とか高虎を楽観的に落ち着かせ、役目を終えたとばかりと眠りにつこうととした大木長右衛門であったが、急使の駆け込む音で眠気は覚めた。
「御注進、御注進、御注進っ!!」
誰かに似てよく響く声、どたどたとうるさい足音が館に響き渡る。
藤堂新七郎が、粉河から駆けてきた。知行の地で何か悪いことが起きたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます