第22話・文禄三年の政変(一)

 四月、京で政変が起きた。

 いや、動き出した歯車の所為であるが故に、その政変というのはそれ以前から始まっていたものであるのかも知れない。


 最初の事件は秀保が上洛した四月二日、よりによってその当日に起きてしまった。


「これにて和州算用は全て一通りに御座います」

「急ぎの用にも関わらず、斯様にも迅速に整えたるは見事なる仕儀にて。所司代からも礼を申す」

「急ぎ帰国しても宜しいものでしょうか? 此方も能の稽古に力を入れようと、思うておるのですが」

「ええ。此方こそ御足労をお掛けした次第、引き留める理由は御座いません」


 ここまで一ヶ月、権力に振り回されてきた大和衆は、ようやく休めると、誰しも思っていた。


「所司代様、宜しいですか。落合が注進にて」

「入りんしゃい」


「施薬院にて両殿下会談も、関白殿下御気懸かりと仰せになられ、お帰りとの由」


 所司代前田玄以、秀保、そして高虎たち大和宿老衆は青ざめた。


「本件に関し、奉行急ぎ伏見へ相詰めよとの仰せに御座います」


 事の次第を秀保たちが知る由も無い。いくら弟であるとは言え、両者の間に入ることは叶わないし、奉行の合議に介入することも許されない。

 一先ず高虎を京に残し、情勢を注視することを選ぶ。

 ところで『駒井日記』には見られないが『兼見卿記』には四月三日に大閤秀吉が参内している旨が記録されている。

 共に家康、蒲生飛騨守、金五、羽柴筑州、三郎、八条殿、菊亭等が参内している。それぞれ徳川家康、蒲生氏郷、羽柴秀俊、前田利家、織田秀信、かつての秀吉猶子八条宮智仁親王、菊亭晴季である。

 この参内に秀次秀保兄弟が見られないのは何故なのか、それを知る術は無い。


 そうしたなかで情勢を注視せいと言われても、知己の誰も彼も口を閉ざすばかりで、どうしようもない。そうしたところで六日、羽田正親が秀保からの書状を携えて上洛した。

 伝八、渡辺、次右衛門を諸大夫にしたいので、伝八を御共に召し連れ聚楽第に申請して欲しい、といったものである。


 伝八は羽田正親の子息、渡辺は秀長以来の側近渡辺彦左衛門政某。次右衛門は小堀一族の次右衛門尉政長であるが、彼は此の頃中島氏へ養子に入り、中島政長を名乗っている人物である。

 この中で渡辺は天正十三年(一五八五)の入国以来、寺社への文書や茶会に顔を出し、家臣団の中でも信頼が厚い。また次右衛門は小堀姓であった時期に、彦左衛門と共に郡山町中の陣中見舞いに対して礼状を発給している。


「ふむ諸大夫成か。伝八も彦左衛門も次右衛門も、何れも成らせるに相応しきと心得る。逆に、未だ伝八と彦左衛門は成らざることに不思議と思うていたから、今度の儀は納得のいくところにて」

「要は、これを理由に聚楽第に探りを入れろ、という事らしい。なかなか上手く考えたものだが、立案には宮内少輔殿も関わったそうだ」

 そう言いながら頭をかく正親の顔には、少しばかりの恥ずかしさと、父親としての光栄さに溢れていた。


 しかしながら高虎も複雑な心中であった。

「正直に申せばあまり今この時に聚楽第へは赴きたくは無いのです。巻き込まれたくない、とか、面倒くさいことには関わりたくないと卑屈な心が御座る」

「御託を並べたところで、主が其方隙明そのほうひまあき次第関白様へ罷り出ろ、としたためておいでだ。今の佐州は正に隙明ひまあきであろう。この羽長州うちょうしゅうの目は騙せんぞ」

 そう言うと正親は、傍らの伝八に目をやる。伝八もまた父と同じように、複雑そうな顔をしている。高虎は、人のそうした顔に弱い。

「それに、こっちは珍しく倅連れ立っておるのだ。どうか儂等の顔を立ててくれぬか」


 いつにも増して忙しない聚楽第の喧噪に紛れる高虎と羽田伝八は、場違いの感に苛まれる。

 師走の一件以来、どうにも聚楽第には不信感を出していたが、それでも今回は秀保からの諸大夫申請を携えていたことあり、すんなりと話が通る。

「まるで、我等の心の内が見透かされているようです」

「逆だ。我等の主が聚楽第の心魂を見抜いておるのだ。あの若殿は、そういうところがある」

「まあ、そうかもしれません」


 そのように言うと高虎は庄九郎に頼み、伝八を屋敷へと帰すよう命じた。

 控える大木長右衛門は訝しみ、良いのかと問う。正直なところ高虎自身も未だ迷いがあるし、選択に自信は無い。

「直感だ。ここであれば、何か得られるような気がする。それに中納言様も長州殿も仰せのことだ、お二方の正眼を信じるよ」


 聚楽第に知己が少なくないのが高虎の特徴である。

 先ず宮部一族である宮部藤左衛門秀某、高島多胡一族の多胡平次。いとこの藤堂玄蕃は伊勢で奉行をしている。

 そうした中で歩き回る名が知らぬが顔はわかる侍たちに、白井は居らぬかと声をかけるも、あいにく居りませぬと言うばかりだ。

 ならば虎岩僧は、と問うも、彼も留守であるという。


「いやぁ佐渡守殿、全く時が悪うござる。あいにく白井様も御師匠も居られぬときに、いやはや御足労のこと申し訳ない。まま、この粟野杢助あわのもくのすけが参りますれば、大丈夫でありましょうな!」

 結局やってきたのは、やけに機嫌の良い男だ。記憶が正しければ、元は奥州の伊達家に仕えていたが故あって聚楽第に仕えているらしい。その理由は伊達政宗の勘気を蒙ったとか、人を殺して逃げてきたから等と言われているが、実のところは伊達家を代表して出仕しているのだろう。大和衆の鈴木父子、高虎に仕える西島九郎左衛門は徳川家からの出仕であり、何分特異な例ではない。


「粟野殿、関白殿下の具合は如何に」

「いやあ、何もありませぬ。逆に聞きましょう、関白殿下に纏わる雑説ですか?」

「あいや、太閤殿下との間を我等和州一党憂慮致して居る次第。特に今般の施薬院での一件は、今後の天下に差し障りがないか、と。出過ぎたこと、内なることを外から口を挟むは、これもまた心外なれど、御一族御一門たる大和が蚊帳の外では物も成りますまい」


 なるほど、と頷きながら粟野は顎を掻く。


「流石は江州中郡の名家藤堂一門の御当主だ。よう物をわかっておられる。しかしながら無憂無風に御座る。御若君様を大坂より御移徙おわたましすることを、内々に報ぜられた。ただそれだけのことにて」

「大坂より若君様を……!?」

「ええ。何とも馬鹿げた話だ。まるで聚楽第の面目を潰す! これ如何に? だからね、我々は今様々な理由を考えているのです。思い返せば太閤殿下の聚楽第に対する所業の数々、まるで我等が大坂の臣下であるかのような振る舞い。果たして許されようか」

「粟野殿、さては謀叛の企てか。お止めなされ、太閤殿下の衆は精強に御座れば、いたずらに事を為しても今や外国との大戦の最中にて天下の内乱は、まさに国の力を削ぐことと心得る」


 等と口では咎める高虎ではあるが、どうせ口の軽そうな男の冗談話ぐらいは聞いてやろうと、そのような興味がありそうな顔をもした。


「何さ謀叛では御座らぬ。この京に若君様、大坂の衆が居られては、我等の策に差し障りがあるのですよ。別にこれは企てに非ずや、明との戦が為に要する銭を、聚楽第から生み出そうと思案の策に御座る」


 そのように語ると、粟野は懐から一巻を取り出した。聚楽第を西端に、江濃尾、そして東海道、関八州、会津に奥州は仙台に至るまでの図である。一番の東は出羽国であろうか、若狭までの線が引かれている。

 似たような図を見たことがある。亡き宰相様が「ならかし」を始めたときに、嬉々として何度も話してくれた。

「それで察するに、東の諸大名から集めた銭貨を聚楽第で更に増やそう、と。そのような魂胆と心得ますが」

「流石は佐渡守殿、話が早い。いやな、この杢助には伝手が御座る。それは言うまでも無く我等が奥州の伊達公に、御伯父上たる最上公。このお二方は交易に明るいから、預けた銭も倍になるという策にて」

 驚くべき経済新機軸だ。

 更に粟野はこうも言った。

「加えて唐入りの戦費や上洛といった付き合いで出費が嵩む大名には、聚楽第が貸し付ける。少しばかり高くつくがね、回収した金は、また別の大名に貸し付けたり、商いに回して利を得る算段。此度杢助が佐渡守殿と面会したのは、是非に中納言様にも参画して戴きたく、と思いましてな」

「銭の話で行けば、先年関白殿下は戦が長引けば清洲に集まるものも集まらぬと仰せにて、今言うように試しに用いるならば清洲へ用いるが良さそうにも思えるが」

「無論考えております。なればこそ京や伏見に大坂方の力が入ることは秤が崩されると同義。伏見の普請に若君様の御移徙おわたましに、清洲復興に用いるべき銭貨が用いられる。これが喫緊の我等が懸念に御座います。この聚楽第が東方の軸たるところ、何故大坂方が入ろうか。さては若君様可愛さに、この聚楽第が邪魔になったのか。我等聚楽第の内衆共は、斯様に太閤殿下を、少しばかしお怨みしているところも、まあありますな」



 とりあえずは預かり帰るとだけ言うて高虎は屋敷へ戻る。

「合点のいくところがある」

 大木がそのように呟くと、竹助も言った。

「確かに。政所の菊亭の娘御前や、山徒を銭で威圧した事を思えば、その銭は諸大名から集めた銭や、それこそ伊達最上の利益から得たものと心得ます。されど実のところ、例えば銭金が集まっているところとか、そういった証を見ては居ないから、聚楽第にどの程度の銭貨があるのか疑問はありますな」


 高虎は思う。

 銭と金は兵と米、馬から弓鉄炮にも成り得る。特に伊達最上はともかくとして、徳川に会津の蒲生が間に挟まっているのは剣呑だ。

 本来であれば秀次配下の東海道諸大名に加え森と浅野、上杉、会津の蒲生で関東の徳川や伊達最上を睨む筈が、逆に秀次と徳川、伊達最上が結んでいることは、天下再びの動乱に繋がるやもしれない。

 太閤殿下は諸大名の相互監視を要としていた。しかし徳川は秀次を後見する立場に附けられており、太閤殿下の右腕浅野長吉は徳川と昵懇、奉行の長束も徳川の重臣本多忠勝の妹を娶り、形骸化されていた。

 広く見れば徳川も浅野も豊臣一族であり、様々な行事に浅野の女性たちも顔を出す。一族の結合といった意味では合理的でもあるが、これでは「徒党」が形成されているのではないか。


 そうしたところで伊達や最上は佐竹上杉と並ぶ東北の要であった筈が、見事なまでに取り込まれてしまったように思われるのが、実に心苦しい。

 特に伊達は名うての野心家であるから、一度の乱世へ思い含めるところもあるだろうか。

 幸いなのは、関八州の江戸大納言徳川家康という人には、今のところは野心が隠れているところであろうか。忠実に太閤殿下の義弟を演じる姿に偽りは無いように思われる。


 然れど我が主、大和衆は如何に身を振る舞うべきであるか。高虎にとって重大な決断の時は近い。

 出来ることであれば、大坂方と聚楽第の間を取り持つような、謂わば第三極として振る舞うことが理想であろう。しかし、それには主は若すぎるし、徒党も僅かに森や堀といった二世の青年大名ぐらいだ。

 大和は権力と権力の境目に居たのである。藤堂高虎は「境目」から逃れることの出来ない。彼が権力の境に生きることは、もはや宿命であった。

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