本当にあった怖い話
「あのね志野くん、これは友達から聞いた話なんだけど――」
本日最後の講義を終えての帰り道でそう切り出した
僕こと
僕が戦闘民族の王子ならガチガチ歯を震わせて絶望を口にしているところだ。
「ちょっと、聞いてないでしょ」
「違うよ、全然違うよ。ただちょっと上の空なだけだよ」
聞いてないんじゃない、とむくれた天道に肘を掴まれてぐいぐいとベンチに引っ張られる。細腕なのに意外と力が強い。
「つかささん、僕暗くなる前に家に帰らないと」
「もうだいぶ日も長くなってきたし、二十歳になろうかって男の子の言うことじゃないでしょ、それ」
それを言ったらそもそも僕は男の子って呼ばれていい年齢なんだろうか。
そうこうしてる間に着席を促され、天道はぴったりと体を寄せた上に逃がさないとばかりに腕を絡めてきた。うーん、遠慮がない。
「――で、友達から聞いた話なんだけどね」
「うん」
ともあれこうなると中々離してもらえないので、諦めるほかなかった。
まあそれであとのスケジュールが困ったことはないので、彼女なりに把握した上で気を使っているのだろうけどそれはそれで恐ろしいものがあるな?
まぁいざとなれば走って逃げれば脚力と足元の差で大丈夫か。だいたいスニーカーの僕と違って天道の靴はいつもお洒落で、かわりに走るのには向いてない。
「この前、その友達が女の子同士でちょっとした飲みに行ったらしいの」
先々週の金曜日のことだな、とあたりをつけつつ頷く。
というか僕も事情を把握している日の出来事を伝聞系で語るのに何の意味があるのだろうか。
「あ、その前に志野くんって怖い話平気?」
「気づいたら学内で悪名高い女子が婚約者になってたことより怖くなければ」
「まあ平気じゃなくても我慢して」
「なんで聞いたの??」
あと怖くない認定したな? 世間一般的には結構な恐怖体験だぞ多分。
「で、その子にはちょっと束縛の強い恋人がいて、夜に遊びに行くのも久しぶりだったのね」
「へー」
実話風怪談でフェイクを入れて話すのは定番だけど、また図々しくて自分に都合のいい事実改変だった。あるいは悲しい見栄だろうか。
温かい気持ちで見逃すと綺麗に整えられた眉がぴくりと動いた。
「ええと、それで、その子がついついまだ慣れないお酒を過ごしちゃって。一人で帰るのは危ないからって恋人に迎えに来てもらうことにしたらしいの」
「十一時すぎにあのテンションの連絡は無視しなかったことを後悔したなあ」
「で、恋人が迎えに来てくれたんだけど」
「そう言えばあの時の友達にはちゃんと謝った? つかささん本当酷かったよ」
「ねえ志野くん、私最初に友達の話なんだけどって言ったわよね?」
「それで自分の醜態を突っ込ませないつもりなのか……」
とんだ免罪符があったもんだ。
とは言え話を長くして僕に得があるでなし、続けてと促す。なんでそんな不満そうな表情をされなくてはならないのか、コレガワカラナイ。
「それで、その日は週末で、二人は恋人同士で、もう遅い時間でくわえて女の子の家は彼の家より近くのホテルよりもだいぶ遠かったのね」
「ぞっとした」
「まだ早い。というか別に全然怖い要素なかったでしょ!?」
もしかしてそこまで計算ずくだったのだろうか。
これから僕はどこに呼び出されるのか逐一把握しておかないといけないの?
いや、もうはじめから無視した方が安全だな。そうしよう。
「で、それなのに恋人は彼女を家まで送って行ったのよ? どう思う?」
「真っ当な感性してるなって思うけど……」
「なんでよ!」
別にネタでも自己弁護でもなく述べた言葉に、しかし天道は異議を唱えた。
ええ……?
「いや、だって女の子は前後不覚に泥酔してたんでしょ? 自宅やホテルに連れ込むより彼女の家へ送っていく方が普通だと思うんだけど」
「……そうなの?」
「いや、だってそれでしたらデートレイプってやつじゃん」
「え、でも恋人同士なのよ? えっちしても問題ない関係なのよ?」
「恋人同士ならそれこそ同意がある時で良くない? 酔いつぶれてるときに同意も得ないでする必要がないと思うんだけど」
あれ、とか言いながらなにやらスマホで検索しだした天道を見て、僕はもし今後機会があっても絶対に二人きりで飲みに行くのは止めておこうと心を新たにした。
§
「――まぁそれはそれとしてよ」
やはりというか案の定というか、天道は考えを改めるには至らなかったらしい。
僕ら二人の間にはなんとも埋めがたい性道徳の違いがあるな……。
「つかささん、そりゃあごく親しい仲でのデートレイプは日本では強姦罪は適用されにくいらしいけど、知識と僕の認識は伝えたからね?」
「それは、それとして! というかまるで私がそういうことする風に言うのは止めてくれる!? これからもこれまでもそんな事実は一切ないから!」
まぁ確かに、誘って応じない相手にこだわらなきゃいけない理由なんてそもそも天道にはないだろうしな。不自由し無さそうだし、僕以外には。
いかん背筋が寒い。
「それで、話にはまだ続きがあるの。あ、志野くん、今日このあと予定は?」
「暗くなる前におうち帰りたい」
「ないのね、良かった」
ふふ、話を聞いてくれません。
見上げた空では夕闇の幕がゆっくりと青を覆い隠そうとせりあがっていた。
東の空は深い深い濃紺に塗りつぶされ、小さな星が輝いている。冬の暗い空では見られないその明るい夜の色を見て、あぁもうすぐ夏が来るんだなと思った。
「ちょっと」
現実逃避ついでにセンチな気分に浸っていると顔を挟む様に両頬に手が添えられて、天道の方を向かされる。
散髪のときの美容師さんくらいには優しい手つきだった。
「――それでね、友達の恋人は家に彼女を送り届けたあと、出迎えた家人に介抱をお願いしたそうなの」
「家人って単語をフィクション以外で聞くことになるとは思わなかったな……」
実際、天道のことをお嬢様とか呼んでたけども、住み込みの家政婦さんなんだろうか。武家屋敷みたいな天道家の建物と言い令和時代ぞ? びっくりしたわ。
「それでその彼がね。酔いつぶれた友達をかばって、恋人である僕のせいです、すみません、みたいにとりなしてくれたらしいの」
「ああ、うん。それはつかささんの友達も感謝してるだろうね」
恩に着せるつもりじゃあないけども、一応家ではまっとうにお嬢様で通してるらしい天道のために、不自然でないつじつまを合わせる骨を折ったのは事実だ。
「ええ、ええ、そうね、それで友達の家族がご迷惑をかけたお詫びをしたいから一度家にお呼びしなさいって」
「ヒエッ」
「この場合、友達はどうやって恋人を誘うのが正解だと思う?」
「いや無理本当無理考え直した方がいいって伝えてあげて」
互いの家族がそろったホテルの会食でさえちょっと吐きそうになったのにあんなでっかい屋敷にお呼ばれとか想像するだに無理な話だ。
しかも面通しの時はほぼほぼ天道のご両親とうちの親主導で話は進んで、僕は挨拶しただけだったし、くだんの天道のおばあさんも前に出てはこなかった。
僕の懸命な訴えを「そう」と無感動に受けて、天道は小さく咳払いした。
「それでね、志野くん。話は全く変わるんだけど、今度の火曜日うちで一緒にお夕飯どうかしら?」
「ヤダー! ぜんっぜん話変わってないじゃないか!」
しれっと言ってくれたけれども、ここまで露骨な罠もない。
相手のホームグラウンドに飛び込んで、しかもお詫びとなればなかなか辞退もしづらい。下手をすれば結納まで一気も考えられるぞ。
「だからさっきまでは友達の話よ」
「嘘を言うなっ! だったらなんで僕がつかささん
「その日、七夕でしょ? うち毎年庭に笹を飾ってお素麺を食べるのだけど、そこに志野くんも連れてきたらって話になって」
「え、お金持ちってソーメン食べるんだ」
「そこ? 別に食べてもおかしいことないでしょ」
まぁ確かに伝統的な食べ物だけども、と思ったところで担々麺食ってる天道を思い出して納得した。
「なんか不愉快な納得の仕方をされた気がするんだけど……」
「シテナイヨー。で、僕はどうやって断ればいいの?」
「どうして断り方を相談するの、お素麺食べるくらい別にいいでしょ」
嘘だゾ、絶対なにか酷いことが待ってるゾ。
「大丈夫、本当に何もないから、ちょっとうちの家族とご飯食べるだけだから、少しだけだから」
「すごい、信じようという気持ちがまるで湧いてこない」
「あ、そうだ。その日は私が浴衣着てお出迎えするのはどう?」
「それを特典みたいに言えるのは素直に尊敬するよ」
「ありがとう?」
本当どれだけ自分の顔の良さに自信があるのか。
見たいか見たくないかで言えばちょっと見たいのは事実だけども。あと中身が天道でなければカラコロなるタイプの下駄で一緒に散歩したいけども。
「まぁ悪いけどその日は急な用事が入るから無理」
「清々しいほど適当な理由をでっちあげたわね……!」
天道は目を吊り上げるが本当によく考えてほしい。
もし万一、天道家にお呼ばれして行くも引くもままならない状況に陥ったなら、僕は婚約破棄を言い出さざるを得ないのだ。そこんところ分かってるんだろうか。
分かってないんだろうなあ。
「じゃあつかささん、その時に婚約の破棄を伝えても大丈夫?」
「え……」
表面上怒った顔をしながらも、僕を困らせるのをどこか楽しむ風だった天道がピシリと固まる。そりゃもう効果音つけたくなるくらいに綺麗な硬直だった。
「……え、待、無……死――?」
またか。
「さすがに僕の前ではおばあさんも自重するんじゃない?」
いや、責任とって目の前で自裁を命じるか? 現代日本で? 令和に?
あと慰めにもなってないなコレ、と思っていると天道が再起動した。
「――ふ、ふふ、意地の悪い冗談はやめて、志野くんだってウチの家族に囲まれた状態でそんなことしたくないでしょ? 本当に怖いのはおばあさまだけど、父もお顔は怖いわよ?」
自分の親に対してその評価はどうなんだ、確かに迫力ある人だったけど。
「そりゃ積極的にはしたくないけど、黙ってたらそのまま結婚させられそうだな、ってなったら僕だって必死にもなるよ」
だから先に伝えておくのがフェアかなってと続けると本気が伝わったのか、天道はぐいと一層身を寄せてふかふかの柔らかな感触を腕に――いかんなんか深く考えるな、あ、でも意外とある――おしつけてきた。
「し、志野くん? 結論を急ぐ前に私たちもう少し深くお互いのことを知りあっておくべきだとは思わない?」
「あんまり思わない」
大前提にあるのが性道徳の不一致で、それは割とどうしようもない問題で、くわえて知れば知るほど天道に絆されていく一方なのだから、むしろもっと距離を取っておくべきなのだ。本来は。
これは彼女に変に期待を持たせてしまった僕の不徳でもあるのだろうか。
「それはちょっとは思うってことよね、あと私と破談になってもじゃありょう姉さんとって流れになるだけだと思うから! 天道家からは逃げられないわよ!」
「大魔王かよ」
というか初耳なんだけどそれ。
天道が三人姉妹の末っ子で、一番上のお姉さんが既婚者なのは聞いていた。
どうにも話しぶりから天道が志野家の婚約者候補として育てられていたっぽいから、てっきり次女さんは対象外だと思ってたけど……いや考えれば考えるほどおばあさんは何様なんだ。孫の人生ぞ? 好き勝手しすぎでは?
他所の家のこととはいえあんまりおもしろくないな……。
「たしかに姉さんは処女だし? 私と違って本物の箱入りだから志野くんにとっては都合がいいかもしれないけど! それはちょっとあんまりじゃない!?」
「いや、さすがにそこまで無神経じゃないって。つかささんとつき合ってる間にしょうもない覚悟で婚約することになった罪悪感がとか言ってなんとか話自体をなかったことにしてもらうから」
まぁそこら辺は単純に事実も交じってるし、嘘にはならない。
あとどさくさに紛れてお姉さんの個人情報を暴露するのはやめてさしあげろ。顔合わせたとき気まずいじゃないか。
「――そう、本気なのね……ああ、もうこうなると……」
色仕掛けも泣き落としも効果がないと諦めてくれたか、天道は僕から離れると腕組みしてなにやらぶつぶつと考え込みはじめた。
沈みゆく陽が流した血のような赤の残光が去り、夜の青だけが空を支配するころになっても、天道はなにやら頭をひねって、ときおりスマホで誰かとメッセージをやりとりしては考え込んでいた。
「つかささん、そろそろ帰らない?」
「もう少し待って……志野くんの部屋で話の続きをしてもいいけど」
「分かった、じゃあ待つよ」
「ねえもう少し悩まない!? 普通私くらい顔が良い女の子が部屋にくるなら嬉しいでしょ!?」
「いや、単純に片付いてないんだよ、人様を招ける状態じゃない」
「~~~~っ、そうやって時々無警戒なのもやめて」
「一体僕にどうしろと……」
やっぱりこういうところお嬢様気質だよな(個人の感想です)。
そうしてうんうん唸ったあと、何度目かのメッセージのやりとりを経て天道は顔をあげた。
「――志野くんがひっかかってるのは、うちに来たら結婚話が進むんじゃないかっていうことなのよね?」
「まぁ、そうかな。真っ当な理由のある招待を断るのも良くはないと思ってる」
「じゃあ今回はお呼ばれして。姉さんたちにお願いして、話の方向がそっちにいかないように協力とりつけたから」
「お姉さんたちには事情話してるんだ?」
「いいえ。でも大学生くらいで恋人の実家に行って、圧をかけられるとって心配するのは理解できる話でしょ」
「婚約者だけどね」
「だったら話を進めていいの?」
「ごめんて」
底冷えするような声に大人しく謝罪する。
でも恋人じゃないのも事実だぞ!(小声)
「――とにかく、姉さん二人が協力してくれるならまず平気だから。おばあさまがわざわざ急かすようなことは絶対言わないし」
「その言葉、信じていいんだね?」
「ちゃんとまとまったから大丈夫。もし、もしそれでも流れが怪しくなったら、その時は志野くんの好きにして」
恨まないから、と続けた天道の目は真剣そのものだった。
そこまでさせてやっぱり怖いから無理、というのはあんまりに無体な話だろう。
「――分かった、行くよ。つかささんも遺言があったら聞いておくけど」
「やめてよ、縁起でもない! なんにも起こらなかったのに爆弾ぶち込んだりしたら一生恨むわよ!」
「しないしない。ところで何着ていけばいいの? やっぱり正装?」
「なんでよ、普通でいいわ。Tシャツにジーンズは止めておいた方がいいけど」
「あのお屋敷にその格好でお邪魔する度胸はさすがにないな……」
そう言えば女子のお宅に行くのは小学生以来だな?
二重の意味で緊張しつつも、一応実家に報告しておくべくスマホを取り出した。
なにごとかやらかした時のために両親にも心の準備は必要だろう。
「あ、それと志野くん、大事なことがもう一つ」
「ん、なに?」
画面から顔をあげると天道が今まで見たことのない、ひきつった笑みを浮かべていた。
「これは伝えておくのがフェアだと思うから言うけど――おばあさま、キミのこと結構気に入ってるわよ」
「ヒエッ」
今日一番、ぞっとした。
――そうして僕は七夕の夜に天道家にておいしいソーメンをご馳走になった。
おおむね穏やかで和やかな夕食のあとは笹を眺め、ついでに天道の筆跡で「年内結納」と書かれた短冊をひっそりと処分して無事帰宅した。
後日、すごく怒られた。
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