産んでくれてありがとう

りゅうこころ

第1話 マブダチとの出会い

 物心ついた時から母親の居なかったオレは、親父に育てられた。兄弟はおらず一人っ子だったから、保育園や幼稚園なんてところには行ってない。


同じくらいの年齢のヤツが黄色い帽子を被っているのを見ても別に羨ましいとは思わなかったし、小学生になるまでは家の裏にある山を一日中探検するのが日課だった。


 その裏山の奥には同じくらいの大きさの池が二つ並んでいる場所があって『二つ池』なんて呼ばれていたっけ。ある程度大きくなってから


「あの場所は自殺の名所だから立ち入ってはいけません」


なんて言われたけれど、当時のオレはそんなこと知らねえし、最高の遊び場として毎日探検に明け暮れていたな。


ザリガニを捕まえては殻をむいて、池の水でサッと洗って食べるんだけど、これが甘くて最高にうまかった。毎週土日に親父と一緒に行く銭湯の番台の上で流れているテレビで釣りが流れているのを見てさ、近所のじいさんが


「戦争の時にザリガニはよく食べたな。でもザリガニよりもカエルはもっと美味いぞ、焼いて食うと鶏肉みたいじゃ」


なんて言うもんだから、


(ひょっとして、今までただ捕まえて食っていたザリガニをエサにしてカエルが釣れるんじゃねーか)


って頭をよぎったんだよ。もちろん釣り竿なんて持ってないから、それっぽい長さの棒を拾ってきて何の草かわからねえツルを括り付けてさ、探検の途中で見つけた洞窟に入れないようにしてあるトゲトゲした鉄の柵を適当に折ってきて針にしてカエル釣りをやってみた。


鳴き声からするにものすごい沢山居そうだし、短パンに親父のでっかいランニングシャツを着て朝早くから二つ池に行って、早速道具を作って殻をむいたザリガニを先っちょに引っ掛けて池に放り込んでみた。でも、括り付けたツルはすっぽ抜けるわ、枝はすぐ折れちまうわで全然うまくいかなくて、まあザリガニはむちゃくちゃ沢山居るからいいんだけど。それでも今の子どもみたいに


『うまくいかないからイライラする』


とか全くなくて、


(手に入るものでどうやったらうまくいくか)


をガキながらに一生懸命考え、そこで閃いたのが立ち入り禁止の防空壕だ。何か使えそうなものは無いかとチクチクする針金をすり抜けて入っていくと、ザリガニを入れて置いておけそうなタライとか、包丁の取っ手の部分が無くなって捨てられているものとか他にもいろいろあって、オレにとってはまるで宝の山だったよ。


 木の棒の先に鉄っぽい尖った棒みたいなのがついていて、なんだかわからないけれど枝にツルを通す穴をあけられそうなものを拾ってきて、地面に落っこちていたちょっと長めの枝の先っちょに穴をあけ、今度はツルがすっぽ抜けない様に穴に通してしっかりと縛る。初めて食いついた感触が手に伝わってきた時には、


(カエルって意外と重たいんだな・・・)


って感じたのと同時に枝は簡単にポッキリ折れて、せっかく苦労して穴開けてツル通して作ったお手製のサオは速攻でオジャンだ。今度こそはと少し太めの枝を拾ってきて同じように作ってやってみるも、やっぱり折れて最初からやり直し。


防空壕の中にサオの代わりになりそうなものは無かったし、捨てられてボロボロになっている物干し竿は長すぎるし重すぎるってことで山の中をウロウロ歩き回っていると気付いたんだよ、踏んで折れる枝と踏んでも折れない枝があることに。短いけれど踏んで折れなかった枝を拾って両手で持ってグニャグニャしてみると、折れる枝はカラカラに乾燥しているのに対して、折れない方はまだ生っぽいってのがわかった。


(そうとわかりゃ今度は一発で格好いいサオを作ってやろうじゃないの)


とさっき拾った包丁の先っちょみたいなのを持って、今まで下ばかり向いて探していた目線を上に向けて、自分にピンとくる枝が生えている木を探す。木登りなんて日常の一コマだったから、何となく雰囲気で気に入った枝が見つかったら結構高くまで登って根本近くから折り、生木だから取れない部分は包丁みたいなのを使ってガシガシとノコギリみたいに切って気に入ったのを五本手に入れた。


今から思えばあんな細い枝を手に入れるために、自分が落っこちて大怪我するかもしれないなんてことは微塵も感じずに、ぶら下がったりユサユサしたりしていたのは不思議な感覚だ。もし現在の自分がそんな光景を見つけたら危ないから止めるように言うんだろうが、自分が落ちるとか本当にこれっぽっちも考えたことは一度も無かったな。


それから枝についている葉っぱとかをキレイにとって五本の棒が出来上がる頃にはすっかり日も暮れて、やったことと言えば自分が気に入った棒を作っただけなんだけど、それを防空壕に隠して家に帰った。


 家は現在でいうところの三軒長屋で、ウチはその真ん中。オレが産まれた頃からここに住んでいて、お袋が病気で死んじまった時も知ってる左右の両お隣さん。両側とも子どもは巣立っちまった爺ちゃん婆ちゃんだったから、メシ時になると当たり前にどちらかのお隣さんがご飯を食べさせてくれるんだけど、この歳になっても恥ずかしくない礼儀作法はここで厳しく躾けてもらったな。お手伝いはもちろんのこと、


『食事中は正座、姿勢正しく絶対に足を崩さない』


とか


『食前食後の挨拶は三件隣まで聞こえるように』


とか、他にも箸の持ち方とか口に運ぶ順番とかきれいな魚の食べ方とか。ガミガミ怒られたけれど、憎たらしくて怒られている訳じゃないってのが子ども心にわかっていたからその辺はちゃんとしていた。逆にちゃんとしていると褒められるから褒めてもらいたくてちゃんとするようになったし、どんなに泥んこになって帰っても爺ちゃんや婆ちゃん達が一緒にお風呂に入ってくれていたから特に不自由は感じなかった。


逆に雑巾がけとか肩たたきとか、何かお手伝いをして喜んでもらえる顔を見るのが嬉しくってさ、ちっこいながらに


(自分は何か役に立てている)


って変な使命感で動いていたな。親父は晩御飯を頂いている途中か、食後に片付けのお手伝いをしているくらいに毎日オレを迎えに来て、親子そろって丁寧にお礼を言って自宅に帰っていたもんだ。家に帰ると真っ先にやるのはバッチン!っていうタイプの湯沸かし器を使って親父が入る用に風呂を溜めるんだけど、毎回一緒に入って冒険の話を聞いてもらっていた。


そういえば、小学校三年生くらいまでは髪が伸びてくるとカチャカチャするバリカンで風呂に入る前に頭をスッキリしてくれていたな。それ以降はお袋の形見だと言われていた洋裁バサミを使って、格好いいスポーツ刈りにしてくれていたのを覚えている。


こんな話をすると


「読み書き算数はどうしていたの?」


なんてよく聞かれるんだけど、保育園や幼稚園は集団行動と協調性を身に着ける場所であって、勉強は実質小学校に入ってからだから特に問題はなかった。どちらかと言えば雨が降ると外に遊びに行けない分だけ両隣の爺ちゃんや婆ちゃんから新聞の読み方や辞書の使い方、そろばんや裁縫などいろいろ教えてもらっていたから、呑気に集団行動しているヤツラよりは賢かったと思うぜ?


 そうそう。そしてお気に入りの五本の棒を翌朝防空壕に取りに行って、先っちょに穴をあけて綺麗にむしったツルを通してしっかりと結び、錆びて折れやすくなっている有刺鉄線を何度か反対方向に曲げて折り、石でカンカン叩いて針みたいなものを作って捕まえたザリガニのむき身をつけ、池の中にポちゃんと放り込む。一瞬体が持っていかれそうな強い引きを感じたが、勢いよく棒を持ち上げるとしっかりとカエルがぶら下がっている。逃げられない様に陸の上に上げてウキウキと針を外して、防空壕の中に走って持って入り、固まる。


(爺ちゃん焼くって言ってたな。火、どうしよう?)


急いで家に帰って仏壇の引き出しにあるマッチ箱を持ち出し、防空壕という名の秘密基地に戻る。火のつけ方は知ってはいるものの、それを他の物に引火させるのが難しい。何でもかんでも燃えるというものではなく、湿った葉っぱや枝では着火しないし、乾いた草や枯れ葉ばかりではすぐに消えてしまう。


(ということは、サオの逆で枝も乾いたものじゃないとだめだ)


と気付いて踏みしめながら歩き、ポキッと踏んで折れる小枝を集めてきてマッチ六本目にしてようやく着火成功。婆ちゃんの手伝いで魚を捌いていたので、同じように大きめの石の上で皮を剝いで内臓を出して池で洗い、試行錯誤しながら焼いてみる。


(自分が初めて釣ったカエルが鶏肉の味)


ずっとこんな事ばかりを考えて、コンガリ焼けるのを待って足の部分に噛り付くと、確かに食感は鶏肉に凄く近いものの味がないし、ちょっと泥臭い。再び走って家に帰り、台所にある塩を持ってきて掛けて食べてみると、何ともいえない達成感からか、もの凄く美味しく感じた。結局この日は三匹くらいカエルを釣って食べたんだと思う。


塩もマッチもちゃんと持って帰って自分だけの楽しい秘密基地を思い出しながら親父と土日を過ごし、月曜日の朝は右隣のばあちゃんの手伝いをして昼から秘密基地に行ってみると、近所の小学生が竿を振り回したり真っ二つに折ったり、オレの縄張りを勝手に荒らしていやがった!相手は低学年といえども小学生三人、こちらは身体の小さい未就学児。それでも自然相手に毎日駆け回っているのだから暴れっぷりでも負けることは無く、派手に暴れて三人を泣かせ、追っ払ってこの日もカエル釣りを楽しんだ。今から思えば水質の決して良いとは言えない汚い池だったけれど、オレにとっては釣りをしたり泳いだり、平たい石を水平に投げてピョンピョン跳ばしたり、保育園や幼稚園では教えてくれない貴重な経験をさせてくれた大切な場所だ。


翌日は雨。左隣の爺ちゃんが


「障子を張り替える」


というので一所懸命手伝って、婆ちゃん特製手作りおはぎを元気よくいただき、午後からは爺ちゃんと辞書を片手に新聞のわからない漢字と同じものを見つける遊びをやっていた。遊びの中で子供に読み書きや漢字を教えるのに、これ以上ない素晴らしい教育方法だと今でも思う。


 翌日は晴れ。ウズウズしながら秘密基地に向かってみると、今まで有刺鉄線で立ち入り禁止になっていた防空壕に木の柵が作られており、完全に入る事が出来ない状態になっていた。やられた小学生が親にチクったのかどうなのか真相はわからないが、秘密基地を失ったオレは暫し柵の前で呆然となったのを覚えている。


しかしながら遊びが仕事である子どもがこんな事で諦めることはなく、次に目をつけた秘密基地は幅一メートルほどの生活用水が流れるドブで、上を道路が走っているちょっと暗い場所。この中に堆積物で水に濡れない場所が一畳分ほどあり、そこに仏壇から持ち出した蠟燭を灯して新しい秘密基地を作りだしたのだが、三日ほど雨が続いた後に見に行くと跡形も無く流されていたのであっさり諦めて再び防空壕に戻る。


(こんなのちょっと横に穴掘れば入れるんじゃね?)


と悪だくみを思いつき、先っちょが錆びて折れている何の棒かわからない物を拾ってきてガツガツ土を掘っていく。自分の体が入れるギリギリくらいの大きさで、枝とか草とかで隠しておけばわからないくらいの秘密の入口を貫通させて中に入ると、ガッチリ蓋をされたせいなのか少しヒンヤリする。それでも中から見てみたら、誰にも邪魔されない扉が出来たようなものなので、これはこれでテンションが上がる。


この二つ池周辺には色々なものが棄てられているもので、一番面白いと感じたのがマネキンの首だ。何でこんなものが沢山捨てられているのか当時はわからなかったが、十五個くらい集めてきては穴の中に持って入り、並べていく。オレ自身は別にどうってことないのだけれど、もし誰かが秘密の入口を見つけ出して中に入った時にビビらせてやろうという安っぽい魂胆だ。


(実のところ、自分で並べておきながら穴の中に入るたびに何度かビビって声を上げそうになったことが・・・あった)


他には潜って池の底に沈んでいた茶碗とかジュースの瓶とか、今となっては何が楽しいのかわからないが、きれいに洗ってセッセと穴の中に運び込んだものだ。珍しい収穫物といえば、指の長さくらいある鉄砲の玉


(恐らく戦時中のライフル弾だと思われる)


や蓋の開いていない大量のカンヅメなどがあったが、サビサビで中身が何なのかもわからないし、何だか開けたら爆発しそうな気がしたのでわざわざ缶切りを持って来て開けたりはしなかった。


あちこちから段ボールを拾って来ては穴の中に敷き詰めてみたり、婆ちゃんにおにぎりを握ってもらって持ち込んで食べてみたりと、秘密基地ライフを日々楽しんだ。


いつものように何か穴の中に持ち込めるものは無いかと池の周りをウロウロしていると


「おいオマエ、オレの縄張りでウロウロするんじゃねー!」


と同じくらいの歳のヤツに言われたもんだから・・・即座に取っ組みあいの喧嘩が勃発。それでもこんな立ち入り禁止の山の中で遊んでいるワルガキはオレとソイツしかいないわけで。さっきまでの喧嘩はどこへやら、子ども同士というのは何だかんだですぐに仲良くなるものである。


「オマエ、オレの秘密基地を特別に見せてやってもいいぞ」


なんて言われて、あまり行った事がないもう一つの池の方にあるというソイツの秘密基地に探検気分でついていく。


オレの方は高い木が多いのに対し反対の池の方は背の高い草が多く、その中に大きめの石が置かれて草を刈り取られた丸い空間があり、長い枝を組み合わせてドーム状の屋根のようなものが作られていた。子供が一人入ったら満員御礼な小さな秘密基地だったが、中にあった洗面器にはお酒やジュースの蓋が大量に収集されており、中でもコケコーラの蓋は状態も良くピカピカに磨かれていた。


「おおー、すっげー!お宝だー」


と目をキラキラさせながら騒いでいると、


「い、一個だけ。オマエが気に入ったの、やる!」


と言われ、オレは中でも一番きれいに磨かれたコケコーラの蓋を貰った代わりに、自分の秘密基地も見せてやることにした。


わからない様に草を詰めてその上から泥を被せてある小さな入口の詰め物をどかし、ホフクゼンシンのようにしながら中に入る。オレの後に続くようにソイツも入って来て、


「すげー、ひれー(広い)!完璧じゃん!」


と洞窟の天井を見上げて嬉しそうな顔をした後、下に目を向けて


「うわああああああ!」


っときれいに並べてあるマネキンの首を見て、急に大泣きしながらしゃがみこんでしまった。


「なんかわかんねーけど、いっぱい落ちてた。ハゲもあるぞ」


とソイツに向かってボーリングのように髪の毛の無い首を転がすと、真っ直ぐに進まず壁の側面に曲がって転がり、ちょうど何もない後頭部が視界に入る状態になった。


この髪の毛の無い首が黙って壁の方を向いて転がっているさまがたまらなく面白くて、二人で腹を抱えて十五分くらい笑い続けた。ヒィヒィ言いながら


「お、おもしれえ・・・腹いてえ」


と一息ついては見て笑い転げ、なにかの話の途中で指をさして見ては笑い転げ、今まで互いに一人で遊んでいたものが二人になったことで何かスイッチが入ったらしい。


これを機に、ある意味吹きっさらしの向こうの基地からこちらに引っ越してくることになり、その日からオレもキレイな物や見た事の無い瓶の蓋を一緒に集めるようになった。目の前に池があるのに


「困った時の為にビール瓶に水を溜めておこう」


なんて下らないこともやったし、集める物も牛乳瓶のキャップとか日本酒の蓋とか、そんなもん集めてどうするんだってものばかり集めてた。でもこれが、小学校に入学してからの必殺アイテムになったんだよ。メンコとかベーゴマは一世代前の遊びで、オレらの時はまさに牛乳瓶とかヨーグルトの蓋がビンゴだったってわけさ。それらを何に使ったかのかって思い出してみると、自作のメンコとして透明になる木工用ボンドを塗って重くしたり、セロテープを貼ったりして地面に叩きつけて遊んでいた。


『時代は繰り返す』


なんていう言葉があるけれど、結局やっていたのはメンコ遊びだった。


戦後の高度経済成長期の次の世代だったオレらの時代は、両親共働きとか多かったから


『小さい頃から鍵っ子』


が結構多かったんだ。そういう家の子ども達は幼稚園や保育園に行ってもらえると、逆に親も働きに出られるから安心だったんだろうけど、オレみたいに片親で暮らしている子どもは幼稚園とかに行かない奴が普通に居たんだ。さすがに小学校はみんな行くんだけれど、いつしかマブダチになったコイツも


「母ちゃんと二人で暮らしていて、平日は仕事だから一人なんだ」


と話してくれた。今までお互い一人で遊んできたものが二人になって、週末と雨の日と日が暮れるころにはそれぞれの生活に戻る。

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