2月14日
何てことない木曜日である人もいるだろう。しかし学生であり男子である僕は多少気になる日付だった。バレンタインデーである。この日は女性にとって男に比して重要な日ではないのだと思う。男からすればチョコが貰えるか貰えないかは懸案である。貰えたらラッキー、貰えなかったらアンラッキー。女性はあげないと決心すればそのまま何も無い日になるだけだ。
本日は晴天だった。だが異様に寒い。僕は寒空の下、学校へ向かって早めに歩みを進めていた。白い吐息を見つめながらどんな一日になるだろうかと考える。予想ではチョコは一個だけである。たぶん西川さんがくれる。くれなかったらショックではあるが受け入れよう。ある意味、審判の日だった。
キリスト教に最後の審判というのがある。詳しく知らないが、中学生の頃に知った単語である。学校前でイエスの教えが書かれたビラを配る集団が立っていたことがあった。その人たちは日本人で、笑顔で生徒らに押し付けていた。そのうちの一人が僕にも渡した。興味は無かったが教室でそれを眺めた。ビラの中身は大まかに言ってこうだった。
昔むかし、イエスがこの世に神の子として生を受けました。いい教えをたくさんしました。しかし、死んでしまいました。彼が言ったのは、再びこの世に戻って来て、世界に審判を下します。本教の信者でない人は皆殺しです。本教の信者は助かって楽園に行くことができます。だからあなた方はキリストの教えを守り毎日お祈りしましょう。(電話番号とメアド)ホームページはこちら(URLとQRコード)。
所感は、無実の人を殺すのは人道に反するじゃないかということだった。そして信教の自由を認めず、差別的に殺すのは僕の信じる神様像とはかけ離れている。それは超阿呆のすることだ。僕の信じる神様は伊勢神宮に籍を置いているのかイエルサレムにおわすのか知らないが、少なくとも頑張った人にはご褒美をあげて悪い人にはバチを当てる。あれが本当のキリスト教徒だったのかわからない。キリスト教にも宗派があるだろう。もしかしたら極右の人だったかもしれない。それでも僕はキリストの持つジャーナリズムの力が現代まで通用するのに感心したのを覚えている。彼らは教師に注意を受けて引き下がって行った。その教師にも熱心に宗教を説いて、ビラを手渡していた。ビラは教室で男子生徒の紙飛行機に、女子生徒の折り鶴になっていた。
僕は下駄箱を開ける。上履きだけが入っていた。当たり前だ。学校内を歩き回り、トイレにも入った上履きと同じ空間に食べ物を入れようだなんて女子はそれだけで願い下げだ。机も空だった。一応置き勉の教科書類はロッカーに引き払って、スペースを開けておいたのだがまあいい。僕は外を向いて頬杖をついた。女子が慌ただしく教室間を行き来するのを見るのは疲れる。そしてモテる男子がチョコを山積みにしているのを見るのは目に毒だ。しかしまた今日は寒いな。
「おはよう、唯都くん」
肩を揺すられた。振り向くと帯刀の姿があった。僕は片手を挙げて挨拶した。お相手さんは笑顔を作る。
「あれー。その様子だと手が空っぽかしらね」
帯刀は意地悪く笑った。
「僕は少食だから抽選で当たった代表者だけがチョコを渡せることになっているんだ」
僕が言うとびっくりしてから大声で笑った。
「そっか。相変わらずバカだね。ねえねえ、後で話があるんだけど」
「ここじゃ駄目か?」
「さっきから視線が痛いんだよね。後ろ」
帯刀は後ろを見ることなくそう言った。僕が帯刀の陰から覗くと、西川さんの席に集まった女子が数人こちらを観察していた。西川さんはいつからか登校していたらしい。
「だからね、放課後に話すよ。体育館横の屋外通路に来て」
「はいはいわかった」
「じゃあねー。こっわ!」
帯刀はケラケラ笑いながら自席に帰って行った。今度は西川さんが僕の所に来る。
「何よ。どうしたの、帯刀さん」
「あいつは頭ぶっ飛んでるからね。気にしない方がいい」
僕が笑って言うと西川さんは眉をひそめた。
「何話してたの?」
「放課後会おうって」
「駄目だよ」
即答した。会っては駄目という意味か。
「何となく、絶対会わないでね」
僕は意味をよく呑み込めなかったが頷いた。
「あ、唯都。チョコあげる」
そこで本日一個目のチョコを貰った。僕が感謝を述べると西川さんは喜んだ。どうやら手作りのチョコクッキーだった。その後、始業のチャイムが鳴って先生が入って来た。
放課後、帯刀に会うか迷っていた。帯刀と話すのは実に一週間ぶりだったし、正直、西川さんの制約が無ければ行きたかった。僕は『或阿呆の一生』を教室に残って読んでいたのだが、西川さんが僕を見ているようだったので仕方なく、しおりを挟んで下駄箱に行った。本はコートのポケットに差し込んだ。下駄箱を開けるとやはり何も入って無かった。近年の女子はシャイと見える。そこでローファーを履いて、ぷらぷら学校の敷地内を歩き回って十分くらいで戻って来て、また上履きを履いた。体育館横の通路に行く。西川さんに告白された場所だった。僕はそこで待つ帯刀に会った。体育館は表の通路からも連絡しているので、他に人通りは無かった。
「疲れたわ」
帯刀は微笑んで見せた。薄暗い夕刻の屋外通路でポツリと立っていたのだった。屋根だけがあり、横が剥き出しのこの場所は風がもろに入って来る。
「遅かったよ。女の子待たせたな」
笑った。楽しそうだった。
「ちょっとね。すまない。色々あって」
「美海ちゃん? さっきあの子、唯都は来ないって言ってた。君の彼女さんは嘘吐きだね」
帯刀はクスクス笑った。肩が揺れて、それに応じて柔らかに髪の毛が動いた。僕は溜息を吐く。
「さあね。西川さんは僕に行くなと警告したよ。嘘吐きではない」
帯刀は「ふーん」と言って腕組みをした。
「やっぱ、付き合ってたの」
伝えてなかっただろうか。帯刀はぎこちない笑みを僕に見せている。彼女としては余裕を見せるための笑顔だったらしい。
「まっ、そうよね。見てたらわかるもん」
僕は通路の壁に背を預けた。
「で、今日は何の用事?」
「え? ああ。確認したいことがあったのと渡したい物があってさ。邪魔されなければすぐ終わるの。ねえ?」
帯刀は僕の方に目はくれず、真っ直ぐ前を見ていた。僕が帯刀の視線の先を追っていくと意外にも西川さんがいた。僕は背中が浮く。
「こんにちは、美海ちゃん。さっきぶり」
帯刀は笑った。西川さんは下の方を向いている。その声が聞き取りづらい。
「何してるのよ?」
「え? 唯都くんは──」
「帯刀さんに訊いてないよ」
西川さんは苦々しく微笑んだ。
「唯都はどうして帯刀さんに会うの? 何で楽しそうに話してるの? 私のこと嫌い?」
僕は西川さんの質問の意味を考えた。なぜここに西川さんがいるのか、なぜ僕と帯刀に話して欲しくないのか。
「帯刀は友人だ。話すのはいいだろ?」
「どうして話すか訊いてるんでしょ」
西川さんは語気を強めた。だがこの張りつめた空気を何とも思わない人がいた。
「修羅場? 面倒だから痴話喧嘩は他所でやってよ。私は唯都くんに話があるの」
帯刀は愉快だとでも言わんばかりに笑っていた。ずっと笑っていた。
「元はと言えば、帯刀さんが悪いんでしょ」
西川さんは地面に向かって言った。
「ええ、とばっちりだよ」
帯刀は笑う。僕は黙っていては状況が打開しないと見て、口を挟む。
「西川さん、とりあえずこいつは用があるらしいからそれを済ませたら帰る。何が気に入らない?」
西川さんは僕を睨んだ。初めて見る、彼女の強い意志のある感情表現だった。
「嘘だよ。ずっと騙してたんでしょ」
帯刀は肩をすくめる。西川さんはやめない。
「二人とも、私が十月に告白したときには付き合ってたんだ。知ってたよ、でも諦められないから言ったの。そしたら本当に付き合ってないみたいに装ってたから信じて待っててようやく付き合えたのに──」
西川さんの妄言は聞くに堪えない。
「待って。僕は帯刀と付き合ってない」
「そうだね。それは事実だよ」
帯刀も僕の発言に賛同する。西川さんはあくまで持論を展開する。必死な目をしていた。それは告白されたときのあの瞳に似ていた。
「いいよ。庇うための嘘なんて要らない。だって二人は大晦日に寝泊まりしてたでしょ?」
僕は愕然とした。帯刀は相変わらずニヤニヤしている。
「怖ーい。何で知ってるの?」
西川さんは明らかに帯刀に敵意ある目を向けていた。そして僕にも同じ目を一度向けた。
「うるさい。私の家に来たじゃない」
誰が? 何の話をしているんだ?
「ああ、そう言えば。確かに行ったね。お蕎麦美味しかったよ!」
帯刀は笑顔だった。蕎麦? 僕は年越し蕎麦を食べた食堂を思い出す。あれが西川さんの家だったのだろうか。確かに帯刀と西川さんは同じ中学だったと前に明かしていた。近所だったとして不思議が無い。しかし西川さんの家の店だったなんて知らない。
「私は忙しい店の手伝いで注文取ってたの。そこに二人仲良くやって来て、蕎麦食べて帰ったじゃない。私は厨房で隠れてやり過ごした。でも気になって、後で抜け出して帯刀さんの家を見に行ったら、玄関で薄着の帯刀さんが唯都と抱き合ってた。言い逃れできるの?」
僕を見る。付き合ってないというのは事実だが、西川さんが指摘しているのは僕と帯刀が好き合っていたか否かという問題だ。
「ふーん。唯都くんの名誉のために言っておくと、唯都くんは西川さんの住所知らないよ」
「へえ。帯刀さんは知っていたんだ」
「いや、忘れてた」
「嘘。中三のときにクラスで体育祭の打ち上げを店でやって、帯刀さんも来たでしょ?」
帯刀はかぶりを振る。
「覚えてないや。中学の記憶はほぼ無いの」
「そうだよね。帯刀さんは昔から卑怯だもん」
西川さんは微笑んだ。僕は少し勘に障る感じがした。これには反論しても良かったように思う。たとえ帯刀が何をしたとしても断言できる、帯刀の根は卑怯じゃない。
「美海ちゃんに言われる筋合い無いな」
帯刀は笑って僕にも目線をくれる。西川さんは不敵に微笑んだ。
「そう? 帯刀さんのせいじゃん。あの子、アヤ───」
「黙って。その名前出すな」
帯刀は目の色が変わっていた。怒りに囚われていた。笑顔が無かった。僕を見ると、僕のコートのポケットから文庫本を抜き、それを西川さんに向けて振り上げる。僕は咄嗟にその手首を掴んだが、一瞬遅かった。帯刀はそれを投げて西川さんにぶつけた。西川さんは手で防ぐがその手にまともに当たった。僕は帯刀を押さえる。帯刀はなおも西川さんの方に蹴りをいれようと暴れた。
「帯刀! やめろ!」
「あんたのせいだ! あんたが──」
今度は西川さんが余裕たっぷりに微笑む。
「違うよ。大体は帯刀さんが悪いじゃない? いや全部帯刀さんが悪い」
「よくもそんなこと堂々と言えるね。ふざけんな、ふざけんな! お前、お前も悪い、皆悪い! 同罪だ、同罪だよ! お前だって悪いんだ! お前も死ね、死んで贖え!」
帯刀は滅茶苦茶に暴れた。僕は帯刀の豹変ぶりが恐ろしかった。自身の動揺とは裏腹に帯刀を止める手は自然とそのままだった。
「よせ、落ち着け」
「放して! こいつは絶対殺す、許さない! お前なんか、何もわからないくせに!」
西川さんはこの帯刀が本当におかしいらしかった。快楽に浸っている最中に見せるような微笑みが崩れない。
「やだ、怖い。あと唯都が大変だからやめて。私わかった。唯都は何も知らなかったんだね。唯都は何も悪くなかった」
「そうだよ! 唯都くんを返して!」
「あなたが悪いんだ。全部あなたのせい。私に嫌がらせしたくて唯都に近付いてるんでしょ? だって私は文化祭の準備のときから唯都のこと好きだった。でも文化祭当日、あなたは今まで見向きもしてない唯都を誘ってた。私の邪魔をしようとしてたのは明白ね。そのとき彼氏もいたんでしょう? 汚らわしい。それでフラれたら唯都に乗り換えて、馬鹿じゃないの。あなたが全部悪い。ごめん、唯都。疑ってた」
知らねえよ。帯刀を煽るようなこと言うな。西川さんの言葉には人を逆撫でる要素が含まれていたと思う。僕はなんとか帯刀を後ろに引っ張って尻もちをつかせた。
「帯刀さんはずっと卑怯者だね」
西川さんはそう告げた。帯刀は西川さんを真っ直ぐ見上げていた。肩で息をしている。
「なら卑怯者でいい。でもあなただって自分より強いヤツに媚び売って尻尾振ってるだけじゃない。阿諛追従だけのつまらない人」
「やめろって」
僕は座り込んだ帯刀に向かい合って忠告する。建物の影が帯刀の顔の大部分を覆っていた。帯刀はやめない。
「それどころか、最近じゃ糸繰って周りをいいように操る業まで身に付けて、自分の手は汚さないでいる。私がそんなに邪魔? 嫉妬に狂ってる女って見苦しいわよ。そう、そっちが卑怯者だよ」
なぜそんなに酷いことが言えるのか。帯刀と西川さんの間にあった過去や現在を僕は全く知らなかった。僕の制止に構わず帯刀が冷笑すると、西川さんはこちらを一度窺って下に顔を背けた。そして頬に涙が伝った。
「もういい。本当に最低」
そのまま歩いて校舎の方に立ち去って行く。追い掛けようとすると帯刀が引き留めた。
「待って。話があるって──」
「そんな場合か? 帯刀は馬鹿だ。あんなこと何があっても言っていい訳ないだろ」
その言葉はまるで聞かず、帯刀は立ち上がって僕の両腕の裾を握った。
「唯都くんは美海ちゃんのこと庇護するんだ。すっかり取り込まれちゃったのね」
「違う。僕はどっちの味方とかじゃない」
帯刀は僕に強い視線を送っている。
「話したいことはね、唯都くんが私を無視してるってこと!」
僕は首を振る。何を指してそう言うのか。自覚が無い。しかしそれが問題かもしれなかった。僕はもっと他人の機微に注意を払うべきだったのかもしれない。
「してたよ! 三学期になるとほとんど話してくれなかった。前は声掛けてくれたのに、一緒に帰ってくれたのに、私から言わなきゃ話してくれなくなった。美海ちゃんと付き合ってたなら素直にそう言ってくれたら咎めはしなかったのに。わざわざ隠すみたいに!」
「……」
「唯都くんは私のことちゃんと見てくれてると思ってた。唯一の理解者だと思ってた。二人でお話してご飯食べて、私はそれだけで嬉しかったのに。裏切った!」
僕に裏切ったつもりの無いことは言うまでもない。が、こんなのは言い訳にもならない。
「裏切ったんだから要らない。今日で何もかも終わり。さようなら」
帯刀は僕の文庫本を拾った。そこで帯刀が驚いたような顔をした。本から黄色いしおりを引き抜く。
「何、これ……」
「帯刀がくれたしおり」
「こんなもの、もう要らないでしょ」
帯刀は真っ二つに破って床に叩きつけた。足先でそれを踏みにじる。本は投げ渡した。僕は受け取ってポケットに戻す。
「帯刀、僕は君と喧嘩したくない」
「嫌。どっか行って」
僕は言葉が出て来ない。散々存在を忘れていたくせに? 帯刀の言う無視は意図的ではない。しかしある意味でそう捉えても正しい。人間関係が広がると一人に充てる時間が短くなるのは必然だ。帯刀以外の人と過ごす時間が多くなっていた。この頃、帯刀から話し掛ける頻度も減っていた。どこかで遠慮させていたかもしれない。それに気付かないくらい僕は愚鈍だった。
「今日は、帰るね」
僕は呟く。帯刀は目を潤ませながらも僕を睨んでいた。自分の手をぎゅっと握り締めて。
「唯都くんなんか大嫌い。死んじゃえば良かったんだ」
帯刀は僕に鋭利な言葉を吐く。本当に僕を憎んでいるような目をしていた。そのとき裏切られたと思った。帯刀は僕の話を聞かない。それは前から同じでも、僕の気持ちさえ踏みにじったことは無かった。それなのに死ねと言い、嫌いと言った。僕は反射的に応酬してしまった。
「初めから帯刀に興味なんて無かったよ」
直後には後悔することになる。帯刀は口を歪めて泣き出す一歩手前になった。だが、その涙を見せる前に顔を伏せた。いつも僕はその人との関係を壊した後で、もっと丁寧に扱うべきだったと気付く。もう後悔したって遅い。
数十秒くらい、何も起こらないには少し長い間が空いて、僕の胸に何かが投げつけられる。帯刀のリュックに入っていたのは、紺の包装紙で包まれた平たい箱に、赤のリボンがかけられたもの。僕は帯刀を見返す。帯刀は目を合わせようとしない。非情に宣告する。
「どっか行って」
僕は屈んで破れたしおりの両方の破片を拾った。そのまま何も発すること無くその場から立ち去った。お互いにとってそれが良いと考えた。最後に僕が振り返ると、遥か後方で呆然と立つ帯刀が見えた。衝動的に引き返したくなった。でもできなかった。下駄箱の前では西川さんが待っていた。
「さっきはごめん。部活休むから一緒に帰ろ」
本当は帯刀が心配で西川さんのことは頭に無かった。それでも西川さんを無下にしないだけの理性は保っていた。僕は帯刀から貰った物を隠すことも忘れていたが彼女はそれを無視した。外は晴れていたのに異常な寒さだった。西川さんは僕の腕に掴まるように歩いていたが、その実僕の方が寄り掛かっていた気もする。最寄り駅から自宅まで一人で帰る道も、息が上がって辛かった。
家に着くなりソファーに倒れるように寝る。エアコンとヒーターを点け、暖を取った。体の芯が冷却されているようで寒くて仕方がなかった。そして感じたことのないほどの倦怠感が襲っていることに気付く。そう言えば頭が痛くて割れそうだった。いや体中痛い。しばらく起き上がれず、苦痛で何も考えられなくて、数時間後和らいだときに高熱が出ていることがわかった。体温は三十九度あった。両親が帰って来て、異様なくらい心配された。コートを着たままで動けない僕を着替えさせ、僕の部屋で布団に寝かせた。明日病院に連れて行く、今日は寝るようにと言われた。体調は水を飲んで毛布を掛けてもらうと少し落ち着いてきた。それでもまともに他のことは思考できなかった。
夜中、目が覚める。苦しくてとても横になれず、上半身だけ起こす。電気を点けて部屋を見渡すと、僕の汗を拭うためか、タオルが横に積まれていた。そして自分のリュックが部屋に移動させられているのが見えた。僕は水銀でも飲まされたように重たい体でそれを引っ張ってきて、帯刀のくれた包装を取り出す。どこかのブランドのチョコレートだった。帯刀は僕にチョコを渡そうとしていたのだと知って、それだけで心が痛かった。僕は帯刀の孤独を知っていたのではなかったか。僕に頼るところがあったという事実をどうして昨日まで軽視していたのだろう。今ではどうせ答えは出ない。チョコの箱は枕元に置いた。
だが包まれていたのはまだ他にあった。ひらりと落ちた新書程度の面積の薄い紙。一回折り畳まれていて開くと便箋だった。帯刀独自のしなやかな文字で綴られていた内容を斜め読みして、僕は布団に潜ることしかできなくなった。何も声にならない。少し後に出て来た言葉も情けないものだった。
「ごめん」
横書きの手紙はこう言っていた。
『唯都くんへ
今日はバレンタインデーということでチョコを渡してみます。一応友チョコってことにしておいてね
ところで唯都くんは彼女が出来たのかな? 最近話してないからわからないけど、もしよかったら前みたいに楽しいお話たっくさんしようね!
書こうか迷ったけど、この前はありがとう。唯都くんが優しいおかげで私は救われてるんだなって思った。唯都くんが友達で良かった。やっぱり恥ずかしいなー(汗のマーク)
最近ちょっぴり寂しい栞より』
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