活動休止中の話
ワオチューブに動画を投稿するのを休止してからというもの、俺は実況動画の録画や動画編集は一切せずに家族との時間を優先することにした。
3人で花見に出掛けたり、潮干狩りをしに行ったり、地元のお祭に遊びに行ったり、川でバーベキューやったり。
かと思えば家で一緒に映画を見たり、パーティーゲームで遊んだりと、ここ数年の失った時間を取り戻すために、できるだけ長い時間家族と過ごせるようにした。
ただ、今年は娘の茜が中学三年生で受験生だったこともあり、夏からは勉強の邪魔をしないように出かける頻度は減らすように心がけた。が、たまにはリフレッシュも必要だろうと思い、ショッピングモールに買い物に出掛けたりもした。
そういった日々を過ごしてきて、やっと訪れた今日この日。
雪の季節が終わり、春へと向かおうという頃。
茜は高校受験の日を迎えていた。
「受験票は持った?」
「持った」
「電車の定期券は忘れてない?」
「持ってる」
「筆記用具は?」
「鉛筆5本削って消しゴム2個あるよ」
「お弁当は?」
「カバンに入れた! もう、心配しすぎだよ。私より心配してるじゃん」
「心配しすぎぐらいがちょうどいいの」
リビングで朝食後のコーヒーを飲んでいると、支度を終えた茜が降りてきて梓と会話を始めた。
と言っても、忘れ物がないかチェックしているだけだけども。
「ね、アキラくん」
「そうだね。自分の実力を100%出せるようにするなら、念入りに確認したほうが良いと思うよ。試験会場で忘れ物に気づいてあたふたしちゃったら、本来解けるはずの問題も解けなくなっちゃうしね」
当の本人は準備万端といった様子だが、俺たちの安心のためにも、確認は念入りにしておいてもいいだろう。
「じゃあ、準備もできたみたいだし、駅まで車で送るよ」
「はーい」
自宅から最寄りの駅までは、歩きでは30分かかってしまう。車であれば10分で行けるため、送迎なら俺がいつも運転している。
「はい、じゃあ茜は頑張ってね」
「ほいほーい。んじゃ、運転お願いね、お父さん!!」
「うん。じゃあ行こうか」
〜〜〜
家を後にし、車を走らせる。
「……」
「……」
助手席に座った茜は、今では英単語帳に目を走らせている。最後の追い上げといったところだろうか。
邪魔してはいけないと思い、俺も話かけたりはしなかった。
いや、嘘。どういう言葉をかけていいのかがわからなかっただけだ。
「……合格できなかったら、どうしよう」
信号待ちで車が停止する。そのとき、ポツリと茜が弱音をこぼした。
受験というのは大変だ。それは、いつの時代だろうが変わらないだろう。
進んでいるのか、止まっているのかわからない。そんな暗闇の中を、何ヶ月も何ヶ月ももがき続けなければならない。
「……大丈夫。月並みなことしか言えないけど、茜がこれまでずっと集中して勉強してきたのはお父さんもお母さんも知ってるから。茜が自分の実力さえ出せれば、大丈夫だって信じてるよ」
こと受験に関して言えば、親にできることはあまりない。
知識は、本人の勉強でしか増えないから。
でも『その道は正しいよ』と、もしくは『間違ってるよ』と言ってあげることはできると思う。
信号が赤から青に変わった。
「そう……だね、そうだよね。お父さんの配信部屋を勉強部屋にしてもらったんだから。アレだけ集中できる場所で勉強できたんだから、きっと大丈夫だよね!!」
小声で「大丈夫、大丈夫」とつぶやく声が聞こえる。
自信が戻ってきたのか、茜は再び英単語帳に目を落とす。
俺は車を再び走らせた。
しばらくすると、駅に到着した。
「もし──」
「もし?」
シートベルトを外して、車を降りようとする茜に声をかける。
もしも、合格できなかったとしても──。
──いや、そんなこと、今言うべきではないだろう。
「いや、なんでもない」
「なーにそれ」
ネガティブな言葉を飲み込む。
緊張が少しほぐれたのか、ふふっと茜が微笑んだ。
この調子で試験に臨めるのなら、おそらく大丈夫だろう。
あとは、そっと背中を押して上げるだけ。
「頑張れよ」
「うん、頑張る。じゃあ、行ってきます」
茜が車から降りる。
駅の階段へ向かっていくその姿は、少し、大人びて見えた。
〜〜〜
茜を見送った後、駅から家に戻ると、リビングでソワソワしている梓がいた。
「茜、大丈夫だよね?」
不安そうなその表情は、まさに娘の茜と同じだった。
「大丈夫だよ。茜がどれだけ勉強してきたか、それを知っているからね。模試の結果も合格点は超えてたから、何かしらのトラブルがない限りは合格できる実力はあると思っているよ」
そのトラブルが起きないように、できるだけのサポートはしたつもりだ。
忘れ物チェックもその一環だ。
「そうだよね。うん、きっと大丈夫」
「それに」
「それに?」
「もしも、合格できなかったとしても──」
本人の前では言わなかった、言えなかった言葉を口にする。
「──今はいろんな生き方があるから。たとえ今回の試験の結果が奮わなくても、大丈夫だよ。俺たちは両親として側でしっかり支えてあげればいいと思う」
今の時代、いろんな生き方があればいろんな稼ぎ方がある。
将来なりたい職業ランキングに『ゲーム実況者』が入ってくるような時代だ。
高校に行って、大学に行って、会社に就職するのだけが正解じゃない。
こんなことを言えば眉をひそめる大人たちもいるかもしれないが、俺は別にそういう選択を採っても構わないと思っている。
自分自身がそうだから、かもしれないけどね。
「……アキラくん」
「ん? 何か変なこと言ったかな?」
「ううん、アキラくん、いまいい顔してるなって思っただけ」
「そうかな」
もしそうなら、実況活動を長期間休止したことはきっと、いや決して無駄ではなかったのだろう。
~~~
その後、梓と少し雑談をした後に一旦自分の部屋に戻った。
PCをつけ、ワオチューブを開く。
朝のこの時間は、とある企業バーチャルワオチューバー──通称VTuberがほぼ毎日雑談配信をしている。
最近の自分のトレンドは、食後にこの配信を見ることだ。
ワオチューブでの活動を休止する前、俺はVTuberについてあまり詳しくなかった。そういった人たちが増えてきたのは知っているが、それよりも自分の配信の方を優先していたため、あまり気にしてはいなかったからだ。
でも、テレビの番組で特集が組まれたり、ビルの広告ででかでかと掲げられていたりと、どんどん影響が大きくなっているのを感じていた。
コメディアンが好きなVTuberを語っていたり、ニュースキャスターがインタビューしていたりと、ワオチューブを見ていない層であっても知る機会が多くあって『VTuber』という単語がもはや大衆に浸透してきているように思える。
俺が興味を持ったのも、ワオチューブではなくテレビからだった。
◇◇◇
【雑談枠】
同接:1300人
「世界のどこかは今日も雨。雨粒の皆さんおはミカサ〜。『メットアライブ』所属の『傘化け』こと
コメント:おはよー
コメント:おはミカサ〜
コメント:カサちゃんおはよー
コメント:息子が今日、受験日です。応援してくださるとうれしいです!!
コメント:生きがいハジマタ
コメント:東京、晴れ!!
「みんなおはよ〜まだ寝ぼけてま〜す『息子が今日受験です、応援してほしいです』あ〜そっか、もうそんな時期なんだね〜。いいですよ〜『受験生のみなさん、こんミカサ〜。石突ミカサだよ〜。受験、大変だと思うけど頑張ってね!!』」
コメント:受験か
コメント:もうそんな時期か
コメント:親御さん、コメント打ってていいの?
コメント:いや、本人という説も……
コメント:いいな〜
「それじゃあ、溜まってきたマロを消化していこうかな~」
コメント:ほいきた!!
コメント:いったいどんなマロが来てるんだい?
コメント:受験生がんばれー
コメント:おはよー
コメント:ありがとうございました!!
◇◇◇
あらま。
どうやら俺と同じ境遇と親御さんがいたらしい。
これはと思い、急いで今のカサちゃんの発言を切り取る。動画編集の腕は衰えていないようで、10秒くらいのショート動画が出来上がった。
今が8時ちょうど。茜の試験の開始時間は9時ちょうど。
邪魔になるかなと思いつつも、茜にいま作ったショート動画を送ることにした。
――――
《いぶすき家》
父:カサちゃんが応援してくれたよ〈ショート動画〉#既読
娘:おお!めちゃくちゃ嬉しい!!#既読
母:アキラくん、あんまり邪魔しちゃだめだよ#既読
父:すまない。#既読
娘:大丈夫だよお母さん、まだ時間あるから#既読
娘:お父さんもありがと!! 緊張ほぐれた!!#既読
娘:でも、これから電源切らないといけないから!#既読
娘:それじゃ、頑張るね!!#既読
父:👍#既読
母:👍#既読
――――
ちょっと梓に怒られてしまった。
まぁ仕方がない。ちょっと配慮ができてなかったからね。
でも、茜が言っていることが本当なら緊張がほぐれたみたいだから良かった。
あとは、茜を信じるだけしかできないかな。
でも、不思議と不安はなかった。
茜が合格するとして、あのリフォームした勉強部屋はどうしようか。
また配信しようかな。いや、どうだろうか。
でも、また動画配信をやりたいという気持ちは今のところないかな。
VTuberとして活動するのは、面白いかもしれない。
まぁいいか。これからどうするかは、これから考えよう。
いまは、まだゆっくりしたい。そんなところかな。
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