第11話 ファミリー

 レイラは窓から差しこむ陽射ひざしで目を覚ました。朝の強い光に目を細めながら上体を起こすと、キングサイズのベッドがスプリングのきしむ音を立てた。



──こ、ここは……?



 そこは打ちっ放しのコンクリートでできた殺風景な部屋だった。不思議そうに辺りを見回していると身体の異変に気づく。腹部に負った傷が完全に癒えていた。



──傷が治ってる……それに、この服……。



 レイラは男物のワイシャツを着ていた。ワイシャツからは洗濯のりの香りがする。爽やかな香りが鼻孔をくすぐると、レイラはなぜか『もう戦わなくていい』と安心した。安堵感に包まれていると突然、部屋の片隅から男の声がする。



「あまりに重症だったから、魔導医術師に治療させたんだ。レイラ、君は丸一日、寝ていたんだ……」

「だ、誰!?」



 レイラが驚いて振り向くとドア横の椅子にニコラが座っている。ニコラは昨日と同様に白いスーツを着て本を読んでいた。



「ニコラさん……ニコラさんがわたしを助けてくれたんですね」

「そうだよ。でも……」



 ニコラは分厚い本をサイドテーブルに置いて立ち上がる。困り顔で続けた。



「治療するためには……その……仕方がなくて……」

「『仕方がない』? どうしたと言うのですか?」

「それは……」



 レイラが首を傾げるとニコラは少しだけ頬を赤くした。



「ここには女物の服があまり……」



 言いよどむニコラを見てレイラは気づいた。ニコラはレイラの裸を見てしまったことを謝ろうとしている。その姿は女に不慣れな青年のようで、狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタインの首領とはとても思えなかった。



「だから……つまり……」

「何も気にしないでください、ニコラ・サリンジャーさん。それよりも、命を救ってくださり本当にありがとうございます」



 レイラは俯くと着ているワイシャツの胸元をギュッと握りしめた。幾筋かの髪が前へ流れて朝陽にキラキラと輝いている。



「あのときは死を覚悟していました」



 レイラはゆっくり顔を上げると煌めく金髪を耳にかけながら微笑んだ。死の淵からよみがえった青い瞳には希望がみなぎっている。真っすぐにニコラを見つめていた。



──こ、困ったな……。



 ニコラは思わず視線をらした。レイラを見ていると心の奥底がざわめき、今まで知らなかった不思議な感情が湧いてきた。



──僕はどうしたんだ?



 ニコラの戸惑いは強くなるばかりだった。レイラといると、どこか調子が狂ってしまう。



──僕はレイラを狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタインの戦力として期待している……それだけのはずだ……。



 ニコラは自分に言い聞かせながらレイラへ視線を戻した。



「君はもう怯える必要がない」

「はい」

「僕はギャングだが手負いの女性に迫るほど下卑た人間ではない」

「え? 迫る?」



 レイラがキョトンとした顔つきになるとニコラは慌てて顔を真っ赤にさせた。



──ぼ、僕は何を言ってるんだ!?



 ニコラからは強者としての余裕も、ギャングとしての恐怖も、全てが消え去っていた。口を開けば開くほど、余計な言葉を並べてしまう。一度狂った調子はなかなか元に戻らなかった。



「い、いや。だから君は今、男の……ギャングの巣窟にいるんだぞ」

「はい。狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタインのお部屋にいます」



 クスクスと面白そうに語るレイラからは余裕すら感じられる。レイラの無防備な姿も、あどけない笑顔も……ニコラには全てが計算づくのように思えた。だが、レイラに対する戸惑いも、沸き起こる感情も、決して不快じゃない。むしろ心地よかった。



──ギャングたちを支配する僕がレイラにベッドを支配されている。ドン・ニコラの名前も形無かたなしだな。



 ニコラは苦笑しながら眼鏡を眉間でクイッと上げた。



「コーヒーを淹れてくる。それに、食事も用意させる。レイラが食べ終わったら部下にちゃんと家まで送らせるよ」



 そう言い残すとニコラは部屋をあとにした。その背中を見つめるレイラはニコラに少年のような純粋さを感じていた。



×  ×  ×



 少し焦げついたトーストとベーコンエッグ。それに、ゆらゆらと湯気のたつコーヒー。ささやかな朝食がサイドテーブルに用意された。



──にっが……。



 レイラは苦くて熱すぎるコーヒーに苦笑した。考えてみれば、落ち着いた食事すら久しぶりだった。



──朝帰りになっちゃったな……お父さんになんて言われるか……。



 食事を終えると、そんなことを考える余裕も出てくる。死線を彷徨さまよったのが遠い過去の出来事のように思えた。



──ギャングになったなんて、とても言えない。



 なんとなくニコラの部屋を見回していると、突然部屋の扉が勢いよく開いた。そして、すぐにドタバタと数人の男たちが入ってくる。彼らはダヴィデ、ゼブ、クラッチ兄弟だった。



──えっ!? な、何!!??



 レイラは椅子から立ち上がって後ずさる。すると、ダヴィデたちは戸惑うレイラを取り囲んで喚きちらした。



「アラ!? 新しい仲間って小娘なのぉ!? もう、超ビューティフルじゃない!! 妬けちゃう!!」

「へへへ。わっちはゼブ。お嬢さん、真っ白な肌が輝いてますぜ……」

「ネ、ネ、ネ。兄ちゃん、少しだけ触ってもいいかな?」

「だめだ!! ピケ、やめろ!!」



──な、なんなの……。



 レイラは肩をすくめてちぢこまる。そうしているとニコラが部屋へ入ってきた。



「みんな、やめてよ。レイラが困ってるだろ」



 ニコラは急ぎ足でレイラの隣へやってくる。そして、レイラの後ろへ回ると両肩にそっと手を置いた。



「彼女はレイラ・モーガン。レイラを狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタインの幹部として迎える。貧民街がレイラの縄張りシマだ」

「「「縄張りシマ持ちの幹部!!??」」」



 ダヴィデたちは驚いて顔を見合わせる。ニコラは頷きながらみんなを見回した。



「ああ。レイラは王都のギャングを相手にたった一人で戦った。幹部として申し分ないじゃないか。レイラは僕たちの家族ファミリーだ。みんなも嬉しいだろ?」

「「「……」」」



 ニコラの笑顔を前にしては誰も何も言えない。やがて、ニコラはレイラの耳元へ顔を寄せた。



「レイラ、狂信者たちの聖夜ギル・デ・バレンタインへようこそ。今日から僕たちが君の家族だ。困りごとがあったらいつでも相談してよ」

『……』



 幼いながらも、レイラは自分の立場がよく理解できた。ニコラは『組織に守ってもらうかわりに、お前も組織へ忠誠を尽くせ』と言っている。状況を考えれば、今さら断ることなんてできなかった。



「命を救ってもらったとき、わたしは家族ファミリーとなりました。あのときの言葉にうそいつわりはありません」



 レイラはゆっくり振り返るとニコラの顔を真っすぐに見つめる。とたんに、ニコラの頬に赤みがさし、恋に落ちた青年のように落ち着かない様子となった。



「う、うん。そうだったね……あ、そうだ!!」



 ニコラは慌てて話題を変えた。



「ここは僕たちの本拠地で、『ネオ・カサブラン』というクラブなんだ。もし音楽が好きなら……ここの機材を好きに使ってくれてかまわないよ」

「ほ、本当ですか!?」

「ああ、本当だよ。君は、死が目前に迫っているというのに歌っていた……僕はそんな君の歌に惹かれたんだ」

「で、でも……」



 レイラが戸惑っているとニコラは照れ隠しでもするかのように視線をそらしながら尋ねた。


 

「君さえよければ……僕が中を案内しようか?」

「……はい。お願いします!!」



 レイラが素直に頷くとニコラの顔も明るくなる。すると、すぐにダヴィデの冷やかすような大声が飛んできた。



「ニコラにエスコートしてもらえるなんて超ビップ!! やっぱり妬けちゃうぅぅぅ!!!!」

「ダヴィデ、そんな言い方しないでよ。僕は『ネオ・カサブラン』を案内するだけなんだから……」


 

 ニコラが困ったように笑うダヴィデ、ゼブ、クラッチ兄弟も一緒になって笑う。いつの間にか、レイラもその輪に加わって微笑んでいた。ニコラはため息をつきながらレイラの手を握った。



「行こう、レイラ」

「は、はい!!」



 ニコラはレイラの手を引いて部屋を出た。そして、振り向きながら嬉しそうにレイラの瞳を覗きこむ。



「君が歌を愛するなら……僕は君をどこまでも応援するよ」

「……ありがとうございます」



 ニコラの真意がどこにあるのかはわからない。それでも、ニコラのはにかむ顔を見ているとレイラは心の奥底が温かくなった。レイラは指先から伝わってくる体温を感じてニコラの手を強く握り返した。 

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