第9話 予兆02

 アリオ、セーレ、レイラは夜の海辺を歩いた。悪魔としての才能なのか、セーレはすでにレイラと打ち解けている。レイラと手を繋ぎながらアリオの方を向いた。



「泊めてくださるなんて、よかったですねアリオお嬢さま!!」

「え、ええ」

「レイラお姉さまがいなければ、危なく野宿するところでした」

「そうね……」



 アリオにしてみれば野宿なんて何ら驚くようなことではない。戦乙女ワルキューレとして戦場を駆け巡るときには寝るなんて当たり前だった。返答に困っているとセーレはレイラを見上げながら不安そうに眉をよせる。



「ボク、この街のことがあんまりよくわからなくて……とても怖かったんです」



 セーレは繋いだ手をギュッと握る。レイラは幼い少年従者の恐怖を取り除くように優しく微笑んでみせた。



「セーレ、安心して。わたしといれば安全だから。それに……」



 レイラはアリオにも笑顔を向けた。



「アリオも遠慮しなくていいからね!!」

「あ、ありがとうレイラ……」



 アリオは戸惑っていた。今まで、アリオは人の好意に甘えたことがない。もっと言えば人の善意が苦手だった。『わたしは何も報いることができない』と知らず知らずのうちに考え、苦しくなってしまう。相手が対価を求めていないとわかっていてもそれは変わらない。



──どうしてわたしはレイラと一緒に居ようとするの?



 アリオもレイラと同様に自分の中で沸き起こる感情が不思議だった。ただ、セーレと親しげに会話するレイラを見ていると思い出すことがある。それは、双子の姉の言葉だった。アリアはこう言っていた。



『アリオ、友人とは得ようとして得られるものではいの。気づいたら隣にいる……それが友人というものよ』



 絶大な魔力を持った宮廷魔術師……アリア・トーマ・クルスは常々、アリオへ言い聞かせた。それはもしかすると、戦乙女ワルキューレとして孤独になりがちなアリオを心配してのことだったかもしれない。



『今度、アリオもお友達を家に連れてきなさい。グレーディン産の紅茶を楽しみながら一緒に読書会をしましょう』



 アリアはいつも優しくそう締めくくった。



──アリアお姉さまがレイラを見たら何て言うのかしら……。



 アリオはレイラの背中を見つめながら遠い記憶にアリアの面影を探した。



×  ×  ×



 レイラが説明した通り、少し進むと半壊した家屋かおく天幕テントが並ぶ貧民街が見えてきた。周辺の海岸ではいかにもゴロツキといった風貌の男女が焚火を囲っている。



「よお、レイラじゃねぇか!! 音楽祭の間は家に戻らねぇと思ってたぜ!!」



 夜目にもわかるほど日焼けした大男が近づいてくる。大男は肩から二の腕にかけてドラゴンの刺青を入れていた。



「やあ、リッキー。元気そうだね」



 レイラはリッキーと笑顔でグータッチを交わす。リッキーはすぐにアリオとセーレに気づいた。



「アリャ? 見ねぇ顔だな……」



 リッキーだけではなく、他の男女もゾロゾロと集まってくる。レイラはみんなに向かってアリオとセーレを紹介した。



「リッキー、それにみんな。二人はアリオにセーレ、わたしのお客さんなんだ」

「へぇ~。二人とも別嬪さんじゃねぇか……」



 リッキーたちは物珍しそうにアリオとセーレを取り囲んだ。その中には二人の身体を舐め回すように見つめ、髪に触れようとするヤツもいる。普通なら恐怖で顔色を変えそうなものだが、アリオとセーレに動じる様子はなかった。



──リッキーたちに囲まれても動揺しないなんて……。



 レイラは感心した。従者としての覚悟が定まっているのか、セーレにいたっては口元に笑みすら浮かべている。さっきまでの怖がる姿がまるで嘘のようだった。この状況を楽しんでいるようにも見える。



──アリオとセーレっていったい何者なの?



 レイラは疑問に思いながらも、まずはリッキーに話しかけた。



「ねぇ、リッキー。二人はわたしのお客さんだって言ってるだろ?」

「う……」



 レイラの目つきが一瞬だけ鋭くなる。リッキーはレイラの雰囲気が険しくなったのを感じてひたいに冷や汗を浮かべた。レイラは言外に「無礼を働いたら許さない」と言っている。レイラの裏の顔を知るリッキーは慌てた。



「わ、わかってるよレイラ。おい、お前ら!! この二人はレイラの客人だ。何もするんじゃねぇぞ!!」

「「「ハイ!!」」」



 リッキーが呼びかけると男女はアリオとセーレから離れてゆく。レイラは少しホッとした様子でため息をついた。



「二人ともごめんね。もう行こう」



 アリオとセーレが頷いて歩き始めると、リッキーがレイラを呼び止めた。太い眉をよせながらレイラの耳元へ顔を近づける。



「なあレイラ、ネイトを知らねぇか?」

「え? ネイト?」



 レイラが顔を上げるとリッキーは困り顔で続けた。



「アイツ、昨日から帰ってねぇんだ。オフクロさんに探してくれって頼まれてんだよ」

「……」

「もしかして、ニコラさんの所かと思ってな……」



 リッキーはアリオとセーレをチラチラ見ながら小声で告げる。レイラも声をひそめて答えた。



「わかった。『ネオ・カサブラン』に戻ったら探してみる。見つけたら、すぐ帰るように伝えるよ」

「そうか、ありがとよ。頼んだぜ」



 リッキーは再びレイラとグータッチを交わして去ってゆく。すると、二人のやり取りを見ていたアリオがそれとなく声をかけた。



「レイラ、大丈夫なの?」

「え!?」

「余計な詮索をするつもりはないのだけれど……だいぶ顔色が悪いわ……」

「そ、そうかな?? 大丈夫だよ。それより、早く行こう。家はすぐそこなんだ!!」



 レイラは気丈に答えて明るく振る舞う。しかし、心の奥底では言い知れない胸騒ぎを感じていた。



×  ×  ×



 レイラの家は貧民街から少し離れた小高い丘の上にあった。頑丈そうなログハウスで、リビングからは夜のヴィネア湾が一望できる。海面には柔らかな月光が浮かび上がっていた。遠くには波間に揺れる小舟も見える。



「海が見えるなんて素敵ね。それに、とても静かだわ」



 アリオが呟くと、慌ただしくソファーの上を片づけていたレイラが顔を上げる。



「静かなだけで何もない所だよ……」



 レイラもアリオの隣に立って夜の海を眺めた。



「この辺りは治安が悪いから市民も観光客も、誰も近よらない。ヴィネアの音楽祭だって関係ない。いつも……

「こんな感じ?」

「うん。塩辛い磯の匂いと潮風ばかり……身体が全部びてしまいそうになる」



 レイラはどこか忌々しそうに答えた。しかし、すぐに気を取り直してアリオとセーレへ語りかける。



「変なこと言ってごめん。散らかってるけど、二人とも適当に腰をかけて。今、何か食べる物を用意するから……と言っても、大したものは作れないけど」

「ありがとう、レイラ」



 アリオとセーレはうながされるまま、リビングの中央に置かれた革製のソファーに腰を下ろした。



×  ×  ×



 焼き過ぎたラムレーズン入りのパウンドケーキ。そして、香りのしないハーブティーがテーブルに並んだ。レイラは困り顔で俯いている。



「ごめん、料理は苦手で……た、食べてみて」

「レイラお姉さまありがとう!! いっただっきまーす♪」

 


 レイラが言い終わるとすぐにセーレがフォークを握る。セーレは添えられた生クリームをいっぱいにつけて頬張った。すると、見る間に顔が明るくなる。



「レイラお姉さま、すっっっごく美味しいです!!」 

「セーレ、落ち着いて食べなさい」

「だって、びっくりするくらい美味しいんですよ!! アリオお嬢さまも早く食べてみてください!!」

「もう……」


 アリオもパウンドケーキを口へ運んだ。しっとりとした舌触りがしたかと思うと、ラムレーズンの上品な甘みが口の中へ広がる。



「とても美味しいわ」

「ほ、本当!?」



 よほど自信がなかったのだろう。レイラは身を乗り出して確認した。



「ええ、本当よ」

「よかった~」



 レイラは胸に手を当ててホッと息をついた。



「アリオとセーレって貴族でしょ? だから、ちゃんと口に合うかどうか不安だったんだ」

「レイラお姉さま、ボクたち主従をもてなしてくれてありがとうございます。旅の疲れも癒されます♪」



 セーレが嬉しそうに微笑むとレイラは不思議そうに首を傾げた。



「それにしても、二人はどこから来たの? 海を渡った大陸から?」

「そ、それは……」



 レイラが質問するとセーレは困り顔になった。そして、そっと隣のアリオを見上げる。意味ありげな仕草を見てレイラは慌てた。



「詮索するつもりじゃなかったんだ。答えづらいなら答えなくても……」

「フェルヘイム帝国よ」


──フェルヘイム帝国……?



 聞いたことのない国名だった。いや、幼いころ読んだ絵本にそんな名前の国が出てきたかもしれない。レイラが考えこんでいるとセーレが補足する。



「海を越えて、山脈を踏破して、大陸を横断して……気が遠くなるほど遠方にある国なんです。魔導力学を応用した飛空船でも簡単にたどり着けません。それこそ、世界の果て。レイラお姉さまが知らないのも無理からぬことです……」

「そんな遠くの国から……二人は何をしにヴィネアへ来たの?」

「「……」」



 二人は答えようとしない。アリオはティーカップに視線を落としたままで、セーレも黙りこんでいる。



──立ち入ったことを聞いたかな……。



 レイラが質問を後悔したころ、おもむろにアリオが顔を上げた。



「人を探しているの……」

「人を?」

「ええ」

「そっか……」



 アリオはこの会話を嫌っている様子だった。レイラは『人探しなら協力するよ』という言葉を飲みこんだ。いらないお節介をしてアリオに嫌われるのが怖かった。



──どうしてわたしはアリオが気になるのかな……。



 レイラには友人らしい友人がいない。自分の感情に戸惑ってばかりだった。

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