5‐16 最後の咆哮
作戦は上手くいっていた、状況は完全に此方が支配している。
しかしそれでも事態が全く好転したように見えないのは、あの変異種の持つプレッシャーのせいだろうか?
場を支配する空気は、まだまだシベリアの凍りつくような空気と共に緊張感に包まれていた。
二体の人型が巨大な黒い影を追う。地中に潜られたらまた一からやり直しなのだ。
もし仕留め切れなければハンター達の結束はバラバラになり、レイノアであろうとも纏め切れなくなってしまうのであろう。
そうなってしまえばあの巨大変異種の好きなように他の村にその魔手を伸ばすのだろう。
変異種というものの生態はいまだに良く解っていない。調査を進めているコロニーですらも
汚染された地球に適応する為に、生き残るために生物達も体を変え、生きる場所を移動し進化を続けているのだ。
地球環境を破壊しつくした人間達を置き去りにするように…
という事はつまり、あの巨大グリズリーが環境に適応し東ヨーロッパにまで来るという可能性も否定できないのだ。
故にみながみな、余裕が無く必死なのであった。
あの黒い怪物の恐怖に仲間や家族が怯えて過ごす…変異種という汚染された地球で発生したミュータントは、何処まで環境に適応できるかはわからない。
既に地球の支配者は既に人類のものではなく、嘗て驕り高ぶった霊長類達の末裔は激変した地球環境に牙を向けられ
その生活圏を徐々に狭めている欧州に移動しないとも言い切れないのだ。
そしてあの変異種が一体だけとも限らない。更に強大な軍事力を持つコロニーがアウターの危機に力を貸すとも思えない
自分達の力で事を収束させる事以外の道はないように見えるのはほぼ間違いないのだろう。
「…」
騒々しくなる現場を見つめる一人の影があった。その男の名前はナヴァルト。
「百人斬り」の異名を持つ生きた戦騎であり、抜き身の刃のように鋭い眼差しを持つ男は、場を静観しているようであった。
冷徹そのもののような男の振る舞い。それには何処か見定めるような感情が垣間見えない気がしないでもない。
(他人のために命を…遣うか。馬鹿馬鹿しい)
思い浮かぶのはあのレイノアとか言う女は愚かだと思う。
過去に巨大犯罪組織『ターロン』に所属していたという事以外、多くの事が謎に包まれているとされる男・ナヴァルト。
どうしてハンターとして生きる道を選んだのか、殆ど特殊合金製の東洋剣に似たブレードで得物を駆る無慈悲の剣士。
彼がこの作戦に参加した意味は何なのか、それは彼自身はっきりとしていないのかもしれない。
長い髪を揺らした女のように中世的な美貌を持つ無慈悲の剣士は、この後に起きる事態を予め読んでいるかのように
銃撃音や怒号が聞こえる森の奥を、何かを待つように観察し続けるのであった。
Bブロックでは激しい死闘の火蓋が切って落とされていた。
氷の大地はマシンの生み出す熱気に炙られ、異様な空間を生み出していた。
二体の巨人がさらに巨大な獣と相対している。数の上では有利だがそれでも勝てる見込みは見えてこない。
人がもてる最大に近い火力と戦力を以ってしても、大自然の生み出した怪物には勝てないのだろうか?
「く…ッ!」
緊張と不安からか『カイザー』のパイロットが固唾を呑む。
しかしやらねばならない。木々の間隔が広く遮蔽物の少ない開けたこの場所―――Bブロックに追い込んで2体のエクステンダーで抑え込み格闘戦で仕留めるのが作戦であった。
「行くぞっ!」
右のレバーを思い切り押し込み、大型の剣状の武器・ブレードロッドを突き入れる。
この装備は元々ガルガロンのオプションの一つで、バニッシュはマグネイサーの使用を優先した為に装備が見送られていたものだ。
そもそも作業機械として巨大なツールを使用する事が前提のエクステンダーで、
人間の手と形状が酷似した汎用型のマニュピレーターに、格闘戦用の装備を握らせて近接戦闘をやってみせる事はナンセンスなのだ。
ガルガロンはそのことを見越して、より人体に近い柔軟性と洗練されたシルエットを目指して開発されたエクステンダーで、
一部旧時代に用いられた機体の性能に迫るスペックや、コロニーのテクノロジーにも勝るとも劣らない可能性を秘めていたのだが、
流石に一対一では分が悪かったのか、グリズリーに敗退してしまっている。
そして『ガドゥム』『カイザー』の二体はガルガロンより小さく、旧式の機体に毛がは得た程度のスペックしかない。
それでは幾ら熟練のハンターが操者を務めているといっても、ハンドメイドの高性能機を取り扱うプライドの高いバニッシュならば、
彼等を下に見て戦力に加えず、独断行動を取るのも避けられなかったかもしれない。
ドスッ!!
地中に逃げようとするグリズリーの肩に剣が突き刺さり、血飛沫を上げた。
さらにガイガーが、97ミリのショットライフルで至近距離の射撃が数発降りかかり、グリズリーは低い唸り声を上げた。
グオオオオオオオオオオオォッ!
(効いている…効いているんだ!)
カイザーとガドゥムのパイロットは確かな手ごたえを感じていた。確かに単体ではこの怪物に敵わないのかもしれない。
しかし、連携し波状攻撃をかければいかに未知の力を持った恐ろしい巨大変異種であろうとも
そしてガドゥムは止めを刺すために、グリズリーの眼前に回りこんだ。頭部に致命傷を与えるためであった。
カイザーも彼をアシストするために背後からライフルを抜いて迫った。
前方に飛び掛ったグリズリーの左手が伸びた。あまりにも速い動作にガインのパイロットは反応できず、コクピットを潰された。
「クソッ!」
カイザーのパイロットはそのまま発砲。しかしグリズリーは手に持ったものをそのまま盾にして防ぐ。
それはガドゥムのボディだった。銃撃を受けて手足がい本ずつ吹き飛び血のように赤いオイルが雪を汚す。
目の前の光景を見て、カイザーのパイロットは激昂した。ケダモノが仲間の機体を道具として遣っていることが許せなかったのだ。
腰につけた予備のブレードロッドを引き抜き前方に踊りかかる。相打ち覚悟で仲間の仇を取るをするつもりだった。
だが、それに反応したグリズリーは鉄屑になった僚機の脚を持って振り回した。
恐ろしいほどの怪力によって叩き付けられた巨大な質量の直撃を受け、カイザーのあらゆる機能が死んだ。
OSシステムの再起動をかけようとするがフレームそのものが歪んだのかそれが出来ない。
(ちくしょう…すまねぇ……)
歪んだコクピットの中で、カイザーのパイロットは脱出も出来ない事が悔しくて情けなくなってくる。
そのまま何も出来ないまま彼は死の瞬間を待った。
「オマエみたいな化け物に…仲間はやらせないっていってんだろ!」
レイノアはジープにありったけの爆薬をくくりつけたジープを走らせていた。既に他のハンター達には対比するように言ってある。
元々、自分の我侭に無茶を承知で付いてきてくれた連中なのだ。彼らにも家族や友人が居る、自分の巻き添えには出来ない。
『女を捨てた』と言われる彼女にも、嘗て家族が居た。しかしそれは残酷な運命により奪われてしまった。
苛酷な環境と安定しない劣悪な治安が愛する夫を、そして生まれるはずだった新しい命さえも…
『彼』は自分が死に急いでいる事を悟っているようだった。何処と無く愛していた男に似た眼差しを持つ
後は新しい世代に任せるべきなのだろう。ディークやリベアと言った若い連中に…
レイノアのジープに向かって無造作にグリズリーが何か巨大なものを放った。
(……こんなところで?)
無残に手足をもがれた『ガイン』の胴体が視界に迫るようにどんどんと大きくなってゆく。
最後に思ったのはこの世界で生きるには優しすぎる友人と、家族の事だった。
自然と怖いとは思わなかった。死ぬ事は覚悟していたし
「姐さん、止めろッ!!」
どこか遠くからで可愛らしい舎弟の声が聞こえた。
彼が幼い時…まだ、目つきがギラギラしてこの世全てに対して敵意を向けていたのを覚えている。
そのときと比べれば彼―――ディークは随分と優しくて穏かな青年に育ったもので、
そんな彼を変異種狩りのハンターの道に誘ったのはレオスとレイノアであった。
ディークは人を助けると言うことに対して、あまり躊躇は見せなかった。そのことが誇らしくもあり、危うくも見える。
これまでの思い出が走馬灯のように蘇ってきた。自分は今から死ぬのだろうと頭の片隅で理解し、納得は出来た。
(あんたは生きなきゃいけないよ…)
彼が居れば安心だ。まだ腕は未熟かもしれないが、誰よりも優しい心を持っているって事は人の気持ちが解るって事なんだ。
それはどんなに強い武器を持っていたり、殺しの技術が優れている奴より立派で大切なんだ。胸に刻んでおきな…
代わりにあの子とノエルの奴を頼んだよ…二人とも優しすぎてそそっかしいから支えてくれる奴が必要なんだ。
あたしはあいつ等の所に行く、寂しがっているだろうし向こうの連中に謝りに行かないといけないからさ。
じゃあ、後は頼んだよ。こっちは忙しかったから向こうではゆっくりと酒でも飲みたいねぇ…
次の瞬間。グリズリーによって投げられたガインのボディがジープを押しつぶして金属と金属がぶつかり合う音が聞こえた。
それと同時に、レイノアの意識は一瞬の痛みと共に永遠に消失してしまったのだった。
「あ、ああっ…ああああああっ!」
別方面からBブロックに駆けつけたディークは遠くでレイノアが死んだのを見てしまった。
木々に遮られてよく解らなかった。しかし、遠目からでもそれは見えてしまったのだ。
彼女がガラクタになったエクステンダーの胴体にジープごと潰されるその瞬間が。
「くそう……ちくしょうッ!! なんで…どうして……?」
ディークは歯を食いしばって吼えた。信じられなかった、彼女が死んでしまったのが。
作戦前の会話からどうにも彼女から生還の意思を感じ取れなかった。
彼女はあのときから死ぬつもりだったのだ。大切な人間を信頼できるものに託して責任を取るために…
「お前が…ッ!」
睨み付けられたグリズリーはディークにその巨体を向ける。
肩口から折れたブレードロッドの刃先が突き刺さり、血を流していたが特にダメージは見受けられない。
作戦は無駄に終わったのだ。他のハンター達も殆ど撤退しており、
この場にはディークと辛うじて機能停止したカイザーのパイロットしか生存者は居なかった。
「お前があああああぁぁぁ―――――ッ!!」
グオオオオオオオオッ!!
怒りに震える彼の叫びに応えたようなグリズリーの咆哮が天地を震わせる。
ディークは手榴弾のピンを抜いた。こんなもので目の前の怪物を倒せるとは思っていない。だがレイノアから受け取った特製のものだった、火力は通常以上に強化されているはずだ。
それで一矢報いればそれで良かった。この手榴弾と共に自爆して報いることが出来ればそれで構わない。
視界の端で黒い髪が翻った。風のように駆け抜けた人影は恐ろしい跳躍力で一瞬にしてグリズリーに肉薄。
折れたブレードロッドを足場代わりに乗り更に跳ぶ、手に持った得物を一閃。
銀光が煌き一筋の線を刻むと共に、グリズリーの左目に血飛沫が奔った。
苦悶の声を上げて左目を抑える黒き怪物。両目と視界を失った巨体は苦しみ悶えている様であった。
「お前は…」
雪の世界でもくっきりと目立つ黒い髪、そして流れるような剣捌き。それは嘗て命を救ってもらった『彼女』を連想させるものであり…
『あんたは…生きなきゃいけないよ』
何処かで、レイノアの声が聞こえたような気がしてディークははっとなった。
死んだはずの彼女の声…それが今まで自棄気味だった彼の心を静めたのだ。
「お前がやれ…俺の刃で奴を殺しきるのは難しい」
純白の世界の中で長い黒髪の靡かせまるで女かと見間違うような美貌―――ナヴァルトがディークに促した。
あれほどまでの超人的な体捌きを披露したにもかかわらず、この男は息を乱してすらいない。
恐らくは確実にグリズリーが隙を見せるタイミングを観察していたのだろう。
乱戦が収まり、傷を負ったグリズリーも弱っているタイミングで別の者に気を取られている瞬間を…
つまり、ディークは囮にされたということだが。彼はそのことに気付いてもナヴァルトに腹を立てる気にはなれなかった。
何故、そんなことを今になって考えたのかはわからない。この変異種はディークの仲間やバニッシュやレイノアを殺した仇であると言うのに。
大熊は立ち上がった。両目を失ってなお、その巨体はまだ生きるエネルギーに足り満ちている。
ディークは思い出したように手の収まった手榴弾を見た、先程ピンは抜いている。
グリズリーは大口を空けて、まるで一本一本が刀剣のように大きい牙を剥きだしでディークを威嚇する。
シベリアの村をいくつも全滅させてきたこの巨大変異種もいまや両目を失い、満身創痍である。
放っておいても死ぬかもしれない。もう人間にすら敵わないかもしれない。
だが、野生動物というものは環境の適応力が異常に早い。何れはグリズリーも盲目に慣れさえすれば驚異的な順応力で嗅覚だけで獲物を探し続けるのだろう。
そうなれば、また犠牲者がでてしまう。壊滅した村のように普通に生きている人間が脅威に晒されてしまうのだ。
それでも、目の前のグリズリーは闘志を失っていない。如何なる状況においても生きる為に足掻く、それは人間も全く同じなのだ。
―――――オレハ生キル、家族ヲ無残ニ殺シタ人間共ヲ皆殺シニシテヤルマデハ!!
満身創痍の大熊がディークに向かって吼えたとき、そんな声が頭の中で聞こえた気がした。
目の前で見せられた変異種の生きるための『あがき』が、魂の叫びがディークの心を奮わせた。
そうだ、もっと根源的で大切な事を忘れていた。自然をここまで汚したのは自分達人間なのだという事に…
大戦で破壊を大地にばら撒き、放射能で海を汚染しつくしたのは自分達の祖先の話だ。今を生きるディーク達にとっては関係の無い話なのかもしれない。
そして目の前のジャイアントグリズリーも今まで目撃例など、殆ど存在していなかった。
もしかしたら、静かに洞穴で眠っていたのをハンター達が起こしてしまい身を守るために人間達を襲うしかなかったのではない?
それは死んでいった仲間達に対して身勝手な考えだ、何の為にチェルノやレイノアがディークたちを生かすために命を投げ出したのか?
だが、例え動物でも仲間を殺した忌まわしい怪物さえもが見せた一瞬の感情が彼を迷わせてしまうのだ。
(…こいつだって必死に生きているんだ)
「怯えて動けないならそこにいろ。脳を潰せばバケモノだろうが死ぬ」
そんな彼を見かねたのかナヴァルトが剣を手にかける。不甲斐ないディークに代わって止めを刺そうとしているのだろう。
しかし人間一人が刀一本で巨大な変異種に対抗できる手段があろう筈もない。
超人的な身体能力と剣技を持つ彼でさえも手負いの傷を負い、嗅覚による索敵能力が健在でいまだに闘志が衰えないグリズリーは危険なのは明らかだった。
バニッシュやレイノアの次はナヴァルトを見捨てるつもりか? 心の底で誰かがディークを嘲笑った。
「―――――ッ‼」
ディークは一瞬躊躇った後に、何も考えずにレイノアの形見である手榴弾をグリズリーの口内に向けて放り投げた。
ボンッ!
数拍遅れた短い炸裂音。レイノアが預けた改造手榴弾は彼女お手製の火薬が内蔵され市販品の数倍の破壊力を持つに至っており、ギガント・フレームの装甲に匹敵する頑強さを誇るジャイアント・グリズリーの頭蓋骨を完全に破壊し中の器官と脳味噌をシェイクにするのに差し支えなかった。
そして、頭部を失った巨獣は大地にその体を沈め、今度こそ森は静寂を取り戻した。
何十人もの犠牲を出した悪夢はようやく終焉を迎えたのである。
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