5‐10 仲間割れ


本部のキャンプ地は静まり返っていた。少し前までの喧騒が嘘のように人が減っている。

残っている人間ですらも、ごくごく一部を除いて明るい顔をしたものは少ない。

皆一様に意気消沈し、うなだれ、目の中に光が無かった。それもそうかもしれない


「何だって!? そんなバカな話があるかいッ!!」


テントの中で聞くレイノアの怒りに震えた声を聞いたのは、ディークは初めてだった。

ガルガロンの件ではない。そのことは既に伝えており、さしもの彼女も撤退を考慮したときだった。

問題はその後に無線でベルリンと連絡を取った後にレイノアの血相が変わり機嫌が悪くなったのは。


「クソッ!」


レイノアは無線を床に叩き付けた。いつも飄々としている彼女にしては珍しく声を荒げ厳しい顔をして唇を噛んでいる。

そんなに彼女が気が立った様子を見るのは既知であるディークでさえ見たことが無い珍事である。


「姐さん、何があったんだ? 一体…」


レイノアはディークに顔を向ける。先ほどの剣幕がよみがえり一瞬気おされるディークだったが、

既に彼女は落ち着いた表情をしていた。しかし、目からは気力と余裕が失われ疲れたような形相になっている。

彼女は確かノエルと同じで三十前くらいの歳ではあるが、それを感じさせない若々しさと強さと気品、美しさを備えていたが、

今のレイノアは疲れたような、くたびれた形相も相まってずっと老けて見えてしまう。


「ああ、すまないね…らしくなくイラついてしまったよ。ごめん

本国の連中。増援も無しにこのままジャイアント・グリズリーの討伐に当たれという話を伝えてきたのさ

訳を聞いてもアイエンの野郎がいったように【機密】だとさ。あたし達に教えられない事情でも有るというのかい…?」


「機密…一体こんな時まで何を考えているんだ?」


呆れた様な顔でディークが漏らす。評議会の大雑把さは今に始まった事ではないが今回の丸投げは酷過ぎる。

彼らが後生大事にしている機密とやらが気になる。自分達に教えられないことなのだろうか?

それとも本当に重要な事が起きているのだろうか? ならば一体アウターに何が起きているというのか?

この一連の騒動、そしてこの流れ…トップクラスのハンター達を募集しヨーロッパから遠ざけ、あのジャイアント・グリズリーの出現さえも、誰かが裏で糸を引いているとしたら、これは恐らく…チラリとあのシニヨンの女の顔が横切る。


「あんたもきっと同じ事を考えているだろうさ、それにここにいる連中も馬鹿じゃない。何か感じているんだと…思う」


「でも、確証がないんだ。まるで本部が俺達を見殺しにしようだなんて」


「あたしにも判らないんだよ。何が起きているのか、評議会を信じていいのかさえも…

あのアイエンとかいう奴は昔からあまりいい噂を聞かなかったんだ

でも、政府の上の方にいる人間が現場を離れた後に全く連絡を寄こさないなんて…」


悔しそうに弱音を吐くレイノアの表情は疲れ果てて、いつもの彼女らしく見えなかった。そのことがディークには悲しかった。彼女の力になってあげたい、支えたいとも思う。あの怜の様に自分に力があれば…そう思わずにはいられないのがこの男でもあるのだ。


「ディーク。後でこの件伝えておいてくれないかい? あたしはもう疲れた、少し休んでおきたいんだよ」


「残りであの巨大変異種を討伐しろって、上の人間はそう言っている

でもレイノア姐さんは自分が責任を持って、あんた達に自由にくれって言ってたよ

俺は残る。強制は出来ないから」


レイノアがハンター評議会本部から受け取った伝達の件を、皆に伝えた際の反応は予想通りではあった。

その上でディークは言った。彼に集まり視線はあまり良いものではなく


「これで決まりだな、俺は連中が何を言おうが帰らせて貰うぜ。命あってのなんちゃらって言うしな」


「悪いが、いくらあの姉ちゃんの頼みでも、それは…」


「あの坊ちゃん、やられちまったんだろ? 俺達に何をしろって言うんだ?」


彼らの気持ちもディークには理解できた。自分にだって逃げ出したい気持ちはある。

ジープを 一撃で破壊し、あのガルガロンさえも組み伏せるジャイアント・グリズリーの圧倒的な力。

環境汚染が生み出した自然の猛威。その存在に人類はなすすべも無いかもしれない。

しかし誓ったのだ。ニックス、そしてバニッシュの仇を討つと、そうする事が彼らの弔いになると信じているから…


「ま、これでパーティもお開きだな。近くに住んでいる村の連中には悪いがあれは俺達の手に負える相手じゃねぇ

タチの悪い災害だと思うしかねぇんだ、俺達は人間で害獣は駆除できてもあんなバケモノ相手に狩りを行うなんて芸当は出来ない。こっちがやられてしまうからな」


「まぁ、しかたねぇわな…前金は貰った訳だし。スリルのある遠足だと思えばいい」


「フン、情けない奴等だ。弱い奴は消えればいい」


雑談の中に投げ込まれた氷のような一言。それが一瞬にして場を凍らせる。


「おい、ロン毛の兄ちゃん…今何て言った?」


場を凍り付かせる一言を呟いたのは剣を傍らに抱いて座り込んでいる美貌の剣士、ナヴァルトであった。


「いいだろう。もう一度言ってやる、貴様らのような雑魚は逃げ帰るのがお似合いだ」


「おい、女みてぇな面してるクセによォ。黙っておけばいい気になりやがって…」


「こいつが一回も剣を抜いた事見たこと無いんだが、もしかして実は大した事のないフカシ野朗じゃねぇのか?」


平時なら常に周囲を威圧するこの男に口を出すものは居なかっただろう。

だが、切り札とされたガルガロンが大破し勝算が薄くなっていたハンター達は皆苛立ち気が立っていたのである。


「……」


無言のままナヴァルトが剣を抜いて立ち上がる、それに気圧されたのか周りの男達が僅かに身を引いた。

彼等がいきり立つのもわかる。こんな極寒の地に引っ張り込まて、今まで見た事も無い巨大な怪物と救援も望めない状況で戦えというのだ。

ハンター達がナヴァルトを取り囲む。それを冷めた目つきで観察している美貌の剣士。

まずい、とディークは思った。ナヴァルトは隙の大きそうな人間を見定めている様で、相手が向かってきたら剣で斬るつもりだ。

長髪の剣士が何処まで強いかはわからない。しかし、此処で刃傷沙汰を起こしてしまったら結束が崩壊してしまうだろう。

自分が中に割って入ろうとディークは体を張ろうとしたが、その前に凛とした声が響き渡った。


「やめなよ、みんな! あたし達が仲間内で争ってどうするのさ?」


「…姐さん」


「チッ…」


ハンターの一人は舌打ちしつつ、ナヴァルトから離れた。臨時の指揮官とはいえレイノアの前で事を起こす気は無いらしい。

言いだしっぺが引き下がると他の人間も散っていった。流石に本気で【百人斬り】と評される男とやりあう気が無かったのだろう。

連日の出来事と混乱で神経が鋭敏になり、気持ちが尖っていたら仕方の無い事かもしれない。

ナヴァルトはつまらなそうに剣を納めてまた座り込んだ。ひとまず場を納めることが出来たのでディークはほっと息を吐いた。


「すまないねディーク。あんた一人に場を任せてしまってさ…」


彼に駆け寄るレイノアもまた疲れが取れていない様子だった。ディークも力なく笑顔を浮かべるが、

それが彼女を元気付けるためなのか、自分の緊張をぬぐうために浮かべた表情なのかはわからなかった。

テントの中に男が入ってくる、彼は別の区域のパトロールを担当していたグループの一人だった。

その顔は青ざめていて落ち着きようが無くただ事でない事は見て取れる。


「急な知らせだが、ここから500メートル西のある村と更に1キロ離れた山村が襲われた。多分奴の仕業だ!」


場の空気が再び静まった。【奴】とは言う目でもなく黒き巨大な悪魔ジャイアント・グリズリーの事だろう。それも二箇所…

皆が皆、隣の者に視線をよこす。まるで何かを押し付けようとしているかのように…


「みんな、済まないが。二手に分かれて直ちに例の場所に向かってくれないか? 怪我人の手当てもしなければならない」


「……」


二箇所の村が次々ににジャイアントグリズリーに襲われた。生き残りが居た場合、救出の事態は一刻を争う。

しかし、キースを初めとした手を上げるものは少なく片手の指にも満たない。それもそうかもしれない。

なにせ、討伐隊の最大戦力であるガルガロンがやられたのだ。それが無いのに死地に飛び込むような真似は誰だって避けたい。

重苦しい沈黙が、場を支配してしまう。手を上げた三人と共に現場に向かおうとするディークだったが、いきなりの怒声で思わず固まってしまう。


「此処の連中は飛んだ腑抜け揃いばかりだな!」


場の空気をを裂くように野太いダミ声が投じられる。視線が集中したそこに立っていたのは二人の男。

ディークは彼らを覚えていた。自分を庇って死んだニックスと酒を飲み交わしていた二人組みだ。

それほど言葉を交わしたわけではないが名前は確かロットとチェルノと聞いている?

ナヴァルトの時と同じような構図で二人は険のある眼光で周囲をぐるりと見渡す。


「俺達はニックスの仇を討たせて貰う、逃げたい奴は好きにしろよ」


「………」


彼らに異を唱えるものはいなかった。殺伐とした緊張感が漂う雰囲気が空間に満ちている。

だが、ディークは彼等が心配だった。5人で向かうとしても戦力が少なすぎる。


「しかし…たった5人で。少し人を集めて向かったほうが…」


「ああ、無駄かもしれねぇ。このまま向かっていって無様に奴の餌になるかもな

でもな、あいつの襲撃を怯え今も奴の首を取った知らせを待っている村の人間は大勢いるんだ!

それにな…大事な仲間を殺ったバケモノ相手に尻尾巻いて逃げるって情けねぇ真似は男として出来ねぇんだよ!」


彼等はディークのほうをに顔を向けた。だが、他のハンター達に向ける物と比べて視線は幾分穏やかだ。

とりあえずはこの七人で行く事が決まり、レイノアは連絡を受け取るために残る事になった。







併走するジープ二台とホバーバイク三台、計五つの車両が件の現場へと向かっている。

ジープには医療器具や食料品を積んである。怪我人を処置するためであった、と言ってもそこまで大層なものは重量の関係から持ってこれない。

しかし、無いよりはマシであろう。此処に集った七名以下、村の人間を助けたいと言う思いは同じであった。

チェルノはディークのホバーバイクに車を寄せ、話しかける。彼は言っておきたいことがあったのだ。


「あんた、ニックスに助けて貰ったんだよな。俺達の事心配してくれて礼を言うぜ

あいつの事は気に病むなよ、お前さんはまだ若い。俺達みたいな老いぼれと違ってまだまだ生きていかなきゃならねぇ

俺達は誇りあるハンターだ。そして、未来に責任を放り投げて細々と生きる老害なんて言われたくねぇ!

ここにいる連中は俺達より歳食った連中がいるのに臆病すぎる。奴らは家族やダチがあの化け物に食われても逃げ出すだろうな

でも、不思議だな…ボウズを見ているとニックスが何故おめぇを助けたのかわかってきた気がするよ」


「ああ、でもあの人はあんなところで死ぬべきではなかったんだ

どうして、俺なんかを庇ってしまったのか…それがわからない」


「そういう所がお前さんを助けた理由かもしれねぇな」


ニックス・ヘイズン。その名前を聞くとあの出来事を思い出し気が重くなってしまう。

ディークを救って散っていった男。ある青年の死をきっかけに死地を訪れたという彼には感謝してもしきれない。


「じゃあな、俺達は人口が少ない山村の方の村に行く

お前たちは近場の村に寄っていってくれ。奴に遭遇したらすぐに連絡するんだぞ」


グループは襲撃を受けた村の入り口へ向かった。

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