5‐6 巨大指定変異種
その生物はいかにして誕生したのであろうか?
文明が成立した以降の期間など問題にならないほど長い長いの歴史を持つ地球環境がたった数世紀程度の時間の中で、人類によって汚染され尽くされたことが原因なのか?
それとも、新たな環境に適合し生き延びて種を残すための突然変異を伴った進化なのだろうか?
はたまた、ビッグフットのように人類が確認したことの無い全く新しい熊に良く似た巨大生物なのか?
少なくとも、今この場にそれ答えを明確かつ簡潔に答えられるものは皆無であった。
そして、人間達の前に聳え立つ10メートル越えの巨体は、己の存在が虚構や幻で無い事を示すように再び咆哮する。
グオオオオオオオオオオオオッ――――――――!
巨大な熊の伝説は大昔より世界各地で囁かれていた。しかし記録に残るものでも直立して3から4メートル程度の物がせいぜいで、
それ以上の体長を持つ動物は地上に存在しない。海を探せば5メートル前後の鮫や、50メートルを越える鯨が確認されている。
太古の酸素濃度が高かった時代の昆虫ならともかく、地上でこれほどまでに大きな体を持つ生物が居るメリットは理論的に無いのだ。
地上で足を使って歩行する。それ自体が大変にエネルギーやカロリーを消費する活動であるが故に、
食物の分解に必要な酸素が薄くなった現在の環境では、より小さく素早い体躯を持つ生物が本来は適しているはずなのである。
しかしながら、目の前のジャイアントグリズリーはそれらの常識を破壊し、手垢の付いた学説をひっくり返す様な存在感を今まさに見せ付けている。
そもそも、『変異種』という存在自体が、毎年数百種類とも言える亜種が発見され、絶え間無く図鑑を塗り替えている。
変異主と言っても体躯の一部又は全体が巨大化したものや、その逆もあったり、外見上は在来種と殆ど変わりのないものまでバリエーション豊かだ。
かつて人類は月にまで進出し、魔法というべきに等しい科学技術を有し、環境さえも変えてきた。
その影響が人類以外の他の生物達に干渉を及ぼしていても、何の不思議は無いと断言してもいいだろう。。
海や砂は化学物質や放射能によって汚染され、雨水さえも酸性濃度が高くなり過剰なまでのろ過を施さなければ食用に出来ないのが現実なのだ。
加えて、人類そのものを蝕む『毒素』の存在がある。人間が汚し続けてきた大地や空気が巡り巡って彼ら自身に帰ってきたのだ。
コロニーは追い詰められた人類の身を守る鋼鉄の揺り籠である。だからこそ、アウターでコロニーへの憧憬や嫉妬を抱く者は少なくない。
その確執が20世紀後期の冷戦にも似た対立構造を生み出しているのもある意味では仕方ないことなのかもしれない。
地球の汚染。それに伴う動物達の適応化…見方を変えれば目の前における陸上の覇者は、幾つかの偶然が積み重なって生み出された象徴でだとも断言できる。
「に…逃げろッ! こんな奴に敵う訳がねぇ!!」
悲鳴と怒号。突如現れたジャイアント・グリズリーに対してハンター達のキャンプは混乱するしかなかった。
偶発的に起きたテントの炎上というアクシデントもあるかもしれない。
はるか昔に語られた神話の世界にのみ存在する悪魔を、今まさに具現化したような巨獣はハンター達を薙ぎ払い踏み潰しながら蹂躙を続けている。
まるで、聖地に踏み込んだ盗掘者を成敗する神の使いのように容赦が無い。
「た、たた…助けてくれぇぇッ!」
ハンターの中で一人の男が巨大な腕に捕われてしまう。8メートルクラスのエクステンダーよりふた周りほど大きい黒い手は、
ぱっくりと口を開け、そのまま童のように泣き叫ぶ男を血のような色をした口腔の中に放り込んでいた。
そして男の悲鳴が聞こえなくなった。黒い巨人による残酷な処刑を目の当たりにして、ハンター達は遂に僅かな反撃も放り投げて逃走する。
混乱を収束させて共通の敵に立ち向かうどころか、逃げ惑うばかりで反撃の余地すら生まれないままだ。
(まずい…何とかしないと)
ディークは誰かが投げ捨てていったハンドガンを拾い上げ、散見する木々を潜り抜けながら怪物に向かっていく。
恐ろしく、逃げ出してしまいたいのは彼も同じである。だが、ここで逃げ出してしまえば何にもならない。
このままだと、他のハンター達が全滅してしまうかもしれない。この巨大な熊は地中を掘り進んでどこからでも現れることが可能なのだ。
だからこそ、囮になるものが必要だった。自分が奴の注意を惹きつけて時間を稼ぐ、今考えられるのはそれだけだ。
後はバニッシュかレイノアやナヴァルトにどうにかしてもらうしかない。自分ができるのはそれだけだ。
「頼む、当たってくれ!」
ハンドガンが火を噴く、弾丸が顔付近に命中したのかJGの黒い鼻面がディークに向けられる。
(やはり利かないか……!)
ディークの足が金縛りを受けたかのように固まってしまった。JGが受けた痛みは人間でいうなれば針で少し刺された程度の物かもしれない。
たかだか小口径のハンドガン程度の火器が、十メートルクラスの巨大生物に致命的な打撃など与えられるはずも無い。
そもそも超巨大変異種ジャイアント・グリズリーの体毛は、硬く、そして脂肪と筋肉の壁は分厚く、ハンドガンどころか、刃物や大口径の火器、破片を炸裂させる爆発物を受けても大した傷にはならないのだ。
要するにディークの行った事は単なる自殺行為で、この怪物の機嫌を損ねただけに過ぎなかった。
「…よし、こっちだ!」
しかし、己を奮い立たせてディークは走ってホバーバイクに跨って一気にアクセルを吹かす。気力と勢いだけが彼を走らせていた。
自分が囮になれば仲間達が逃げる算段はつく。混乱さえ収まれば、対策はできる。何よりも優秀な連中が討伐対の中には何人も控えている。
それはそのための時間稼ぎなのだ。傍から見れば彼の取った行動は自己犠牲に見えるかもしれないが、本人は死ぬつもりは無い。
後のことなんか考えず、運と状況に任せながら、慣れない雪の上に足跡を刻みながら木を盾にするようにジグザグと走る。
その背後を地響きを立てながら、巨大な熊の怪物が追ってくる破滅の音が聞こえる。
山岳地帯をも100キロ近くのスピードでで走破する四輪駆動車の全力に追いつく脚力…そんなものに追われて正直に言えば生きた心地はしない。
だが、彼は諦めたくは無かった。それに…彼女ならば、こんな苦境なんかで絶対に音を上げないと思ったから―――――
(何をするつもりだ…あの坊主は?)
いきなりくすんだ金髪を鉢巻で纏めた青年が落ちていたハンドガンを拾って、奴の顔に向けたのをニックスは見ていた。
そして怒号と悲鳴の混乱の中で火を吹く一発の銃声。それはあくまでも喧騒の中のただの雑音に過ぎなかった筈だ。
しかしあの化け物熊は、青年の方を向いた。白目が凶暴な光を宿して彼に向けられている。
(運の悪いことに、当たり所が良過ぎたのか?)
弾丸がおそらく熊の顔のどこかに命中したのだろう。それ単体で致命的な打撃を与えるのは不可能だ。
現に、数少ない数人ものハンターが銃火器で散発的に反撃を試みているが、大したダメージは与えられた様子は無い。
そもそも、統制の取れない集団ほど隙を突きやすいものだ。西側の連中がどうせ金に任せてかき集めただけだろうと、
ニックスは冗談半分で捉えていたが、皮肉にも彼の予想は悪い意味で的中してしまったようである。
「まさか、囮になるつもりか?」
青年――――確かディークと名乗っていた彼は、ニックスの疑問に答えるように逃げ出すハンター達とは反対側の方向に走り出していた。
グルルルルと、ジャイアント・グリズリーも怒りの唸り声を上げ、黒い暴風となって彼の後を四足で追っていく。
そのスピードはあのシベリア鉄道に迫るものがある。おそらくバッテリー駆動の自動車よりはるかに早いだろう。
一連の行動を見れば彼の行動は自殺行為にしか見えない。すぐに追いつかれて食われた男の二の舞になることは明白だ。
ニックスは少し迷った。手の震えはいまだに居収まらない。四十近く生きて、何度も静止の狭間を彷徨った彼でさえも、
やはりあの化け物は怖いのだ。敵討ちだと威勢の良い事を言っては見たが、彼だって逃げ出したい気持ちはある。しかし…
「待ってろよ、ひよっ子小僧!」
ニックスは手持ちの銃火器を持ち直すと、乗り捨てられたジープに飛び乗って大熊が消えた方向に走り出す。
不思議な事に手の震えはすでに収まっているのに彼は気付かないままだった。
「ハァ…ハァ……」
巨大な敵に追われる。ディークにとってそのシチュエーションは今回が初めての体験ではない。
数ヶ月前、初めてあの少女に出会った時にレオスの酒場で起きたトラブルを収束させた件で、
逆恨みで逆上したダイキンがエクステンダー『ビルド1984D』を駆り、逆襲を目論んだ事件を未だに忘れていない。
(あいつももし同じ状況なら、こうするだろうしな…)
彼女――――甲田怜は絶望的な状況に陥りながらも自分やレオス、イディオを救ってくれた。
もし、怜が同じ状況に置かれていたとしたらきっとそうするだろう。ディークは確信している。
『あの子も、きっと優しい人だとおもうの』
義理の姉ノエルは怜の事をを評しており、ディークもそれには共感できる。
彼女は無感動で無愛想だが、決して見てくれ通りに冷徹な人間ではないと自信を持って評価できる。
一種の憧れのようなものかもしれないとは自覚している。心の何処かで怜の様になりたいとも考えているかもしれない。
強くて、それで居て揺ぎ無い強さを持つ怜のように――――だが…
『誰かに頼ろうなんて思わない、あの男は私が自分の力で殺す』
彼女は一体何のために戦っているのだろうか? 誰かを殺す為…それが力を得た理由なのか?
ディークには分からなかった。だとしたら彼女も『復讐』の為に戦っているのだろうか?
だが、今それを考えている暇は無い。目の前の岩を避けようとしてバランスを崩して放り出される。
慣れない場所での運転が原因である事は明らかだ。しかし、転倒したホバーバイクを立て直して逃げる暇は無かった。
(クソッ…早すぎる!)
背後から巨大な影が迫ってくる。危機を感じてディークは先ほど撃った銃を構え、背後を振り返った。
まるで小山のような黒い影が、蠢く闇となって彼の前に立ちあがった。殺意の混じった白目が真下の獲物を見下ろす。
例え威力は小さくても、先ほどの様にジャイアント・グリズリーの注意を引き付ける事は出来る。
覚悟を決めてトリガーを引くディークだったが、カチカチ音がしただけで銃弾は出なかった。
「弾切れかよ!」
思わず吐き捨てながら、銃を投げ捨てるディーク。カートリッジの残弾が尽きたか、単なるジャムか確かめる余裕は今は無い。
後に残ったのはリベアに渡されたワイヤーガンのみ。これ一本でどうやって場を凌ぐか?
だが、考えてもいいアイディアが思いつかない。もはや万事休すといってもいいだろう。
(ここまでか…)
ディークは諦めたくは無かった、しかしもう他に打つ手は無い。
だから、せめて死ぬその寸前的に屈したりしない。黒き巨獣の腕が振り下ろされるのを待った。
しかし、唐突に何かが爆ぜる音がした。巨大な大熊はディークに目を向けず天に向けて咆哮する。
ガアアアアアアアァァァァッ!!!
その声は明らかに苦悶のものだった。そしてジャイアント・グリズリーの頭部に再びオレンジ色の炎が炸裂し闇を照らす。
致命傷は与えられていないが、右耳が吹き飛び白い雪一面に血の飛沫が飛んだ。
「小僧! デクの坊なんかに戸惑っているんじゃねぇ!! それでもハンターか?」
ジープに乗りながら砲身から煙が昇るバズーカを掲げたニックスが、ディークにとっては歴戦の勇者に見えた。
「ニックスさん!」
「時間を稼ぐ仕事は俺達のベテランの役目だ。ヒヨっ子のお前は逃げろ!」
「しかし…」
「若い連中が命を無駄にするような馬鹿な真似をしてどうする? お前達は生きて反撃の糸口を掴め!
それに…、こんな美味しい役回りまでお前さんが持ってって、俺の見せ場をも奪うつもりか?」
「どうして…あんたは?」
「…じゃあな、帰ってきたらレオスとやらの店で何か奢れよ」
ニックスはジープを反転させ、ディークともハンター達のキャンプでもない別の場所で車を走らせる。
グオオオオオオォォォォォンッ!
ジャイアント・グリズリーは怒りの叫びを上げた後、雪に刻まれた轍を追うようにしてジープの後を追った。
シベリアの雪積もる森林の闇の向こうに、ニックスも巨大変異種も瞬く間に消えてしまった。
ディークは不安で胸が一杯になった。先ほどのニックスの言葉が死に急いでいるように思えてならなかったのだから。
それにあのジープは見る限り錆が浮いているようなかなり旧式の型に見える。あれでどれだけ逃げれるかは心細い。
(ニックスさん、待っててくれよ!)
彼を見捨てて逃げるという選択肢は思い浮かばなかった。例えそれをニックス本人が望んだものだとしても承服など出来ない。
ニックスとは確かに今日会ってコーヒーを飲んだだけの仲でしかない。だからといって彼の命を代償に生き延びるわけにはいかない。
ディーク・シルヴァとはそういう人間だった。困っている人間が居ると手を差し伸べられずには居られないのだ。
それが何回も裏切られたことがある、しかしやめる事は無い。
『俺は、自分のクズみてぇな命を若い奴らがこれ以上犠牲にならねぇように使いてぇんだよ』
彼は後悔しているかのようだった。目の前で誰かを殺されたこととのうのうと生きている自分が許せないようにも見える。
ディークはホバーバイクを起こすと、すぐに一人と一頭が消えた森の闇へと走らせる。
間に合え、間に合え…呪文のように自分に言い聞かせながら、彼はグリップを握る手に力を込めたのだった。
たどり着いたそこは、木々が伐採された後の様で視界が開けていた。
果たしてその場所にあの巨獣は居た。傍目からでも分かる、その黒い山のような巨大な影。
ディークに背を向けたそれは何かを口に運び、貪っている様だった。
恐らく食事の最中なのだろう、爆発が起きたのか小さく燃える炎が周囲を照らし、焦げたおいが周囲に漂っている。
その周囲にはバラバラにされたジープの残骸らしきものが散らばっていた。仲には燃えている破片も確認できる。
カーキ色の車体がまるで紙切れのように引き裂かれている。フロントのガラスは粉々に叩き割られ、シャーシは真っ二つになっている。
タイヤを毟り取られたホイールがミシンのホビンの様に転がっているのが見える
そして、ジャイアント・グリズリーが『何を』食しているのか? それをディークは考えたくなかった。
脳が思考を拒否しているが、状況を見ればそれは確定的に明らかだった。
なぜならディークが道標にしてきた雪に刻まれた轍は、そこで途切れていたのだから…
巨大な熊がようやく食事中の闖入者の気配に気付いたかのように振り返る。暴虐の色を宿した眼が自分を嘲笑っている様にディークは感じた。
そしてJGが吐き出した血に濡れた黒い物体を見て、彼は胃の中のものが逆流する感覚を覚えた。
その物体は見覚えのある、黒いコンバット・ブーツだったからだ。そう、ニックスが履いていたのと同じ大きさの…
「お、おえぇェェッ……」
腹の中に残っていたものを吐き出す。そのままホバーバイクから崩れ落ちるようにへたり込んだ。
十数分前にニックスがくれたコーヒーやペースト状の携帯食料がどろどろの下呂まみれになって白い雪を汚す。
熊はゆっくりとディークに向き直った。彼はその場から腰が砕けて立つことが出来なかった。
もう、どうでもよかった。数年前のあの時、そしてシール・ザ・ゲイトの時のようにまた守れなかったのだ。
エクステンダーに匹敵する巨大な腕部が自分に迫るのをディークは呆然と見ているだけだ。
まるで刀剣のように鋭く長い鍵爪が彼に触れようとしたときだった。巨大熊が別方向を振り向き、威嚇のうなり声を発したのは。
肩部分の投光機を眩く光らせ、ジャイアント・グリズリーを白日の下に晒しつつ現れた巨人。
その光景を知識の無い敬遠なクリスチャンが見れば、まるで神の使いが自分を助けに来てくれたものだと錯覚するかもしれない。
宗教という概念は形を変えながらも、人々とは結びつきの強いものになっている。
神を信じる事で救いを求めようとする人間はアウターに多い。尤も、信仰心を悪用したインチキ新興宗教も決して少なくは無いのだが。
ディークは無神論者であり、宗教そのものを道具として金儲けを目論む輩を多く見てきた為に胡散臭く感じているが、
それでも自身が今見ている光景に、ある種の神々しさと感動を覚えずにはいられなかった。
更にそれが味方である事をディークが承知していたのは、貨物列車の中で待機状態にあった巨人を確認したからだ。
機械の体に人の意思を宿した、かの救世主の名前をディークは呆然として呟いていた。
「ガルガロン…まさかバニッシュが?」
ジャイアント・グリズリーより一回りほど小さいが、角を生やし古代の騎士にも見える白い機体は黒い悪魔と対の存在であるかのように、
自らの敵の前に立つ。その右手には不釣合いなほど巨大なアタッチメントが取り付けられている。
似た形は削岩機械のドリルである。しかし、それ以上に洗練されたシルエットはまるで戦槍のようにも見えなくない。
そのアタッチメントの先端部が甲高い金属音と共に高速回転し、振動が森の静寂な空気を切り裂いた。
先手を打とうとしたのか大熊が巨体からは信じられないほどの勢いで距離を詰め、鋭い腕を振り上げる。
力任せに振るわれたこの一撃も、強大な重量と大木さえも容易く切り飛ばす爪によって山も抉る様な恐ろしい一撃と化する。
しかしガルガロンは鈍重そうな見た目から想像出来ないほどの素早さで、横にステップし一撃を回避。
そのまま隙だらけになったグリズリーの鼻面に突き付けられる。空を切るようにして差し出されたアームを、
獣もまた回避しようとするが、始めて見るエクステンダーの一撃に完全に対応することも出来ずに顔の表面を抉られた。
グオ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”ォ”ッ!!!
痛みに悶え、大地が震えるような苦悶の咆哮を轟かせるジャイアント・グリズリー。
右目を押さえ、爪とと同じように鋭く長い牙をむき出しにして唸り上げる様子はまるで『彼』が蹂躙し、餌にしてきたか弱い人間そのものである。
ようやく蹂躙されるばかりだった人間達の、黒い悪魔に対する一子の矢がようやく突き立ったのだ。
しかし、エクステンダーの一撃を以ってしてもこの変異種に致命傷を与えることが出来なかったのは、分厚い毛皮と脂肪の鎧に阻まれていたということだ、通常の弾薬でこの化け物に致命傷を負わせる事は不可能に近いだろう。
「やった…のか?」
グリズリーは唸り声を上げて、自身に手傷を負わせたガルガロンを睨み付けると大地に向かって爪を振り下ろした。
ガルガロンがすかさず武装アームを突き出しつつ、グリズリーに向かって突貫しようとするが、雪混じりの大量の土をかけられて怯んでしまう。その一瞬の隙が止めを刺す機会を失わせてしまった。
ジャイアント・グリズリーは鍵爪をスコップのようにして使い、土を煙幕代わりにして敵の視界を奪いつつ、自らは表れた時と同じように地中に逃れたのだ。周囲に散らばった大量の土と、残された大穴を残して静寂が森の戻る。
敵は消えた、ひとまず難を逃れる事は出来たのだ。ニックスをはじめとした多大な犠牲を出してしまったが――――――
燃える森の中に立つ機械の人型。艶消し処理を施した白色の装甲に炎の色が映りこみ、金色に映える巨人・ガルガロン。
天才バニッシュ・カルジェントが設計、調整した最高級のエクステンダーはアウターの機体の中でも最高のスピードとパワーを誇るのだろう。
彼の生家カルジェント家は貴族の血を引き、政府の人間に近しい名門であり、エクステンダーの生産、普及に一躍買っている。
この『ガルガロン』ですらも、その試作品なのだろう。これに改良が施されたものが量産されいつかは出回る日も来る可能性は高い。
確かにこの機体が量産されたら、人類は巨大型の変異種に怯える必要も無くなるかもしれない
それは確かに討伐隊の希望であり、風前の灯火であったディークの窮地を救ったのは事実であるが。
「どうして…」
ディークの口から言葉が零れる。それは巨人に対して感謝の意を示すものではなく、
どちらかといえば責める様な感情が濃く浮き出ているようだった。
過ぎ去った出来事に対して『もし』『だとしたら』などという仮定は無意味な妄想でしかない。
時間は常に未來に進むものであり、後退する事は無い。過去に時を巻き戻すなんて所業は神でもない限り不可能だろう。
しかし、人は思わずには居られない。都合の悪い現実を少しでも忘れようと仮定の妄想にのめり込むのだ。
その行いこそが、自分の内面に救うトラウマを傷つけ傷跡を深くしてしまうことにも気付かないままに…
思い浮かぶのは数年前の出来事、海岸に近い貧相な家の中で二人の親子が炎の中に消えた過去。
(俺は、また…救えなかったのか?)
あのジャイアントグリズリーさえ退けるガルガロンは、どうして…もっと早く来れなかったのか?
ほんの少しでもいい。一分、いや…三十秒さえあればニックスは助かっていたかもしれない。
ニックスの救助に間に合ったのではないのかと、胸の内で彼は問いたださずにはいられなかった。
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