3‐4 蝕む毒
「何でこんな場所でこの時間帯にホバーバイクなんて置いてあるんだ?」
ノエルの家からの帰り道にディークがその場に立ち寄ったのは、砂漠の岩陰に置かれたホバーバイクが目に入ったからである。
もう時間は夜。こんな場所でハンターが変異種狩りを行っている可能性もあるが、放って置いても構わないかもだろうか?
しかし、ノエルの言葉が気になるのだ「悪い予感がする」と彼女は言った。バイクを放置して彷徨っているのなら遭難の可能性がある。
毛皮を持つ変異種を狩って、収入に当てているハンターも多いことは多いが行動がかなり限られてくる砂漠、
それも夜の温度が低い時期に、進んで狩りをしている人間は居ないだろう。デザートコヨーテの群れが獲物を求めて徘徊する時間でもあるのだ。
加えて、毛皮狩りはハンターでチームを組み集団で行われることが多い。狩りの危険度に比例して変異種の毛皮は高く売れるのだが、
その代わり獣達は狩られる時に強靭な身体能力を以って命がけで抵抗してくる。当然だが野生の生命力に生身の人間で太刀打ちする事はできない。
だから装備を整え、集団で圧倒し、策を練って獲物を追い込んで確実に仕留めるのがセオリーなのだ。
そして、置き捨てられていたバイクは一台。どう見ても単独行動でそんな真似が出来るのはレオスほどの熟練者か、全くの素人か。
当然だが、ディークの師であるレオスは無論そんなことをしない。経験の浅いハンターならともかく自ら進んで無意味な危険を侵す者が、
生き残れるはずが無いからだ。仮にディークがそんな行動に出たら、レオスは不肖の弟子を殺す勢いでぶん殴るだろう。
スタンドプレーはチームどころか自分まで危険に晒す。過酷な砂漠が汚染物質と共に世界に広がっていく中で、
そんな人間は勝手に死んでも自己責任なのだが、ディークは放っておけなかった。
(ちっ、世話が焼けるぜ。)
考えすぎかもしれないが、彼女の予感は割と的中しそれもディークは何度も確かめている。
今は万が一を考えて、周りを巡回するようにバイクを走らせる。乗り物の持ち主が近くに居る可能性は高い。
ディークは置いてあるバイクを中点にするように円を描きつつ、周囲を見回っていった。
そして彼が砂漠の真ん中で倒れている人影を発見したのはおよそ数分後の出来事である。
「クッ…!」
「ふふっ、この動きについてこられるなんてアナタ中々やるじゃない?」
不毛の砂漠にて死闘を続けている両者は互いに、消耗しているようだった。
女の方は大きく肩で息をするほど消耗はしていなかったが、既に息があがっているのに対して
セルペンテの方はまだまだ余力を残しているように見えた。傷も、女の方が多く劣勢は否めない
そして彼女の腕にはいくつかのひっかき傷のようなものが刻まれていた。傍目からしても深いものではない、なのになぜ彼女は消耗しているのだろうか
「フフフ…」
残像すら置き去りにするようなセルペンテの素早い動きとにはまるで、執拗に息絶えるまで獲物を噛み続ける毒蛇のような執念深さがある。
背後を取られた少女は夜の闇でも赤く輝く刀身で、敵の潜む空間ごと薙ぎ払おうとするが、既にセルペンテは距離を取りつつ間合いから逃れていた
彼の方が、砂漠の戦闘に慣れていたのだ。加えて一撃を繰り出しつつ離脱するヒットアンドアウェイの戦法に少女は翻弄されていた。
直後、白い頬に赤い筋が刻まれる。月夜に映える白い肌を毒爪の切り傷が増えていく
「これほどまで切りつけられてまだ立っているなんてね…やっぱりあなたの体に何か秘密があるのかしら?」
「…黙れ」
「もう、毒の方は全身に回り始めているのにまだ動き続けて居られるなんてね。
でも、そうそろそろ限界なんじゃないのかしら? 可哀想にねぇ…ワタシが毒使いじゃなければまだまだ戦えたでしょうに……。」
「…うるさいッ!」
セルペンテの哀れむような視線に耐えかね、剣を振りかぶって前方に飛び出す黒の少女。
足が取られやすい砂地ではそれでも十分に早かった。並みの使い手なら彼女の一撃に反応できなかっただろう
しかしセルペンテの笑みは全く崩れない、軽々と回避して彼女の後頭部に蹴りを叩き込む。
カウンター気味のその一撃すらも普段の少女ならかわせた筈だ。だが、毒牙に侵された今では動きも反応も鈍く動作が見えても体が追いつかない。
「やれやれ、本当に諦めが悪い子ね」
「ハァ…ハァ……」
体力が消耗し大きく肩で息をする少女、蹴りを加えられたのにまだ立ち上がってくるその様はまさに不死身だった。
加えて敵に向ける闘志も衰えていない。セルペンテの顔に微かながら焦りが生じていた。
(常人ならとっくの昔に即死しているはずの神経毒を何箇所も受けて此処まで動ける…
見た目は小さなジャリの癖に、こんな化け物を早急に殺せなんてやっぱりコロニー側は何か隠しているのかしらね?)
思い出すのは、コロニー側の使者を名乗ったあのリオンとか言う長身のセルペンテを超える大柄な男。
コロニー側の人間には以前に数回接触した覚えがあるが、神経質かつプライドの高さが鼻についてあまり関わりたくない人間ではなかったが、
彼はそのどれにも属さない野暮ったい雰囲気を纏っていた。暴力を連想させる匂いがするくせに瞳には知的な輝きを宿す男。
言い換えれば知性を宿した狡猾で凶暴な猛獣だった。隙を見せたら簡単に喉元を食いちぎられるような危険。
彫りの深いワイルドな顔と、ギラギラと精力的な光を宿す碧眼は好みだったが、あの男の言葉を信じるつもりは毛頭無い。
しかしながらも男の条件を飲んだのは逆らえば殺される…元ハンターとしての経験がそう直感したからだ。
それにあの男はコロニー側の最高議会・七人会議(セブンズ)と大きな関わりがあるようで恩を売って損は無い。
基本的には二大勢力であるものの、コロニーの人間がアウターの住人を虐殺しても、ハンター評議会は実質的には何も出来ず無力である。
そもそも旧時代の科学技術を独占するコロニー側とアウター側は絶対的な力の開きがあり、正面衝突となると勝ち目が無いのは明白である。
環境保全を建前にした『条約』もその一環だ。彼らは武力行使をちらつかせ、アウター側が『遺産』によって不用意に力を持つことを恐れている。
見たことは無いのでアウターに現存するかどうかは解らないが、旧時代の技術が収められた『扉の遺跡』と呼ばれる箇所に立ち入りを禁じているのもそうだ。
そこの領主とコロニー側は裏では手を組んで発掘を行っているという噂も小耳に挟んだことはある。
だからこそセルペンテは自分が独自に研究した毒の成果を持ってコロニーへ亡命しようとしたのだ。
圧倒的な力を持つコロニーのセブンズは既にアウターのハンター評議会にも手を回しているという。強いものに従うのは必然だ。
彼はこれまでやむを得ない事情で友人に手をかけた。それを糾弾され謹慎処分に追い込まれたが、とある『政府の高官』から毒薬の製作を依頼された。もし成功すれば報酬と共に復帰の口利きをするとも諭されて手を貸したが後は何の音沙汰もなく、しかもいつの間にか自分が処分を逆恨みしてウェルナー議長の秘書相手に毒殺を企んだということにされ追われる身となった。
立場の弱さを利用されたのだ。あまりにもお人よしに程があると己の甘さを恨んだ。
そして強盗強姦殺人誘拐が日常のアウターでも最も治安の悪い場所の一つとされる東部暗黒街に逃げおおせ、犯罪者やマフィア達と関わりつつ命の危機に数回遭遇して一年と半年の雌伏。
リオンを見つけて追って見ると、そこには十名近くの哀れな盗賊達が血の池に塗れて躯を晒していた。
そう、便りが来たのだ。その日をずっと待っていた。希望の光明が見えたような気がしたのだ。
連中が何を考えているかはわからない。今となってはハンター評議会も全容が不透明なコロニー側のセブンズも信用できない。
向こう側が提示した条件は唯一つ、目の前で光の剣を持つ少女を殺すこと。
そして、もう少しで目標は達成されようとしていた。向こう側が何を考えていようと標的を殺すことが出来れば、
コロニー側のリオンもセルペンテの実績を認め、無下には出来ないはず。自分の有用性を存分に示せれば移住圏が認められるだろう。
(そう、だから可哀想だけど。この子には死んでもらわなくちゃね)
女の攻撃をいなしつつ、彼は思う。だが、心中の気持ちとは逆に哀れみの感情は抱いていない。
このアウターで生き残るには他社の生き血を啜ってでも
セルペンテと対峙する黒い少女の動きは徐々に精彩を欠き、雑なものになっていた。恐らくは毒が回ってきたのだろう。
放っておいても、彼女は死ぬ。それは逃れられようの無い現実でありセルペンテにとっては十分な成果だった。
だからこそ、確実に死を与えなければならない。横薙ぎの光刃を屈んでかわしつつ、その白い喉元を抜き手で突き破ろうと肉薄する。
確実に止めを刺そう互いの吐息が掛かる間合いまで踏み込んだ直後だった。邪魔な声が割り込んできたのは。
「オイッ! お前らこんな場所で何をやっているんだッ!!」
ここからは見えなかったが大声を張り上げた突然の闖入者の正体はディーク・シルヴァだった。
二度命を救ってもらった見覚えのある黒い影が長身の何者かに襲われているのを見て思わず大声を出したのだ
百メートルほど前方で声を張り上げたディークは、ホバーバイクに跨りながら両者の間に一気に割り込もうとする
砂塵を巻き上げて迫ってくるバイクを一瞥し、セルペンテはこれからどうするか複数浮かんだ選択を瞬時に吟味した。
(いっその事、この男を消してしまおうかしら?)
男を消す、それは簡単なことだ。しかし、目の前の標的はいまだに健在であり油断が出来ない
毒がすぐに効力を発揮しなかったのは計算外だった。当初の目論見ではどんなに相手が強敵だったとしても、
『切り札』である筋力活性剤を使用した辺りで確実にしとめ切れていたはずなのだから。
しかし、遺憾ながら二対一という要素は不確定すぎた。乱入者がどれほどの使い手かは知らないが、
昔の自分と同じBクラス辺りまでのハンターならば確実に易々とあしらえるだろう。しかし、標的が健在ならば話は別だ。
更にあの男の大声で近くの変異種が引き寄せられる可能性があった。
万全の状態ならあしらえるかもしれないが、大型の変異種に対しては人間用の毒は効き目が薄いだろう。
「フン! 命拾いしたわね。」
憎々しげな一瞥を残してセルペンテはその場所から、飛蝗の様に数回跳躍して去っていった。
薬によって増強された瞬発力は並の人間では絶対に追いつけないだろうし、もしも何者かのマシンが追ってくるのならば、
単独であることを確認して仕留めるつもりだった。が、追ってくる様子は見られない。
あの距離なら恐らく夜という事もあって顔も見えていないことだろう。標的の件については毒が始末を付けてくれると信じたい。
並の人間ならば、間違いなく致死量の猛毒を流し込んだのだ。あの少女がどんな強化処置を受けていようと死は逃れられない。
だが、確実に仕留めたかったという気持ちはある。だからこそ再度探し出して止めを刺すことを彼は決めた。
(全く…次は無いと思いなさい!)
普通の人間なら間違いなく致死量の毒を撃ち込んだ。だが、あの女はまた自分の前に現れる予感がしている。彼曰く乙女の勘という奴だった。
現場を立ち去りつつ舌打ちしながら移動し、彼は自分のホバーバイクが置いてある場所まで移動した後に即座にその場から立ち去っていった。
「おい! 大丈夫か?」
ディークはいの一番に傷だらけの外套を纏った少女に呼びかけた。ゆっくりと振り返る彼女だが体中が震え、大きく消耗していることがわかる。
これまで二回、彼女の活躍を目にしているディークからすれば信じられない出来事だった。
いまや息は乱れ、顔色は青白い。それに呼応するように手に持った輝く剣は刀身を消失し赤い粒子と共に大気に散った。
「私に…関わらないで」
「何言ってんだよ、こんな時に!」
あくまで無表情に少女は全身に裂傷が入ったコートを纏いながら立ち去ろうとするが、その様子は痛々しくて見てはいられない。
しかし、手を貸すことも躊躇われた。孤高を纏った彼女の雰囲気が助けを受けることを拒絶していたのだ。
だが、背を向けた少女が一歩踏み出すたびに前進が大きく揺れて今にも倒れそうなほどバランスを崩す。
そして十二歩ほど歩いた時、とうとう不安定な砂地に足を取られて前のめりに倒れこんでしまった。
思わず手を貸そうとするディーク。抱え上げた少女の体は恐ろしいほどに軽かった。
「おい…おいっ! しっかりしろよ!」
彼女の唇は色を失い、弱々しい吐息を漏らすだけであり素人目からもかなり危険な状態だとわかる。
外傷がそこまで致命的なものに見えず、切り傷が薄い紫色に変色していることからそう判断したのだ。
(まさか…毒か?)
ならば尚のこと、早いうちに病院に運ばなければ助からないかもしれない。しかし近くにあるものでも数十キロ近く離れた街にある。
此処からでは遠くて間に合わない。更に、敵が使っていた毒が未知の物だった場合は血清が用意できるかも怪しい。
砂漠に潜む変異種の毒蛇に噛まれたのとは訳が違う。血清が用意できるとしても、それは調合した本人以外には不可能に近い。
先ほど微かに聞こえたバイクの機動音。あの場所に不自然に止めてあったマシンの所有者こそが彼女を襲った犯人なのだろうか?
「くっ…頼むから死ぬんじゃないぞ。」
既に意識を失っているのか少女からの返答は無い。ディークはとりあえず寒さから彼女の体を守るために、
自分の上着を脱いで巻き付けた。これで砂漠の冷温からは身を守れるはずだろう。
(とりあえず気休めだけど、ノエル姉さんの家で看病するしかない。)
ディークはホバーバイクの積荷を降ろして後方に少女を乗せると、そのまま来た道を逆走する為にエンジンを吹かした。
ノエル・オードの言った『予感』はものの見事に的中してしまった。それも、最悪の形で…
アクセルを吹かしつつ、少女の体が振り落とされないように気をつけるディークは、必死の形相で頼れる者の家へと愛機を走らせたのだった。
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