29 銀髪の青年

鳥の声が聞こえる。

すぐ近くから……そして遠くからも。

様々な種類の声が重なって、反響しながら聞こえてくる。

(まるで森の中にいるみたい……)

森?

はっとして目を見開いた。


小さくて質素な部屋だった。

木の板壁に、小さなテーブルと椅子。私が横たわっていたベッドも硬い。

朝だろうか、明るい光が差し込む窓の外には樹々が立ち並んでいるのが見える。

(え……本当に森の中?)

どうしてこんな所に? 屋敷にいて、そうだ、大きな音と煙と……?

混乱していると、ガチャとドアノブが回る音が聞こえた。


「ああ、起きたんだ」

銀髪の青年が入ってきた。

(銀髪って……この人……まさか)

でもこの顔は見覚えがあるような……。

「また会えたね」

「え?」

「この髪色だと分からない? あの時は茶髪だったからね」

茶髪……もしかして。

「……市場でぶつかった……」

「そう、あれはかつら。こっちが本当の髪」

青年は自分の髪に触れながら笑顔で言った。


「……ここは……?」

「エイリーの街外れにある森の中だよ。ごめんね、こんな硬いベッドで。今夜はもっとちゃんとした所に泊まれるから」

「え? あの……」

何がなんだか分からない。

「ああ、自己紹介がまだだったね。僕はシリル。昔はバートランドという姓を持っていたけど、今はただのシリルだ」

青年はベッドの傍らの椅子に腰を下ろした。

「バートランド……海の向こうの……」

「知っているんだ、さすが王太子の婚約者だね」

え、この人……。


「私を……知っているの?」

「市場で会った後、王太子と一緒に図書館に来たよね。それで気づいたんだ、彼にはさんざん君の自慢話を聞かされていたから。昔、王子だなんて呼ばれていた時に留学先が一緒だったんだよね」

「自慢話……?」

「自分の婚約者は可愛くて優しい、『ローズリリーの姫』だって」

伸びてきた青年……シリルの手が私の髪に触れた。

「確かに君はローズリリーがよく似合いそうだ」

殿下、他の人にもそんなこと言っていたの?! って、いや今はそれよりも。

「……それで……どうして私はここに……」


「図書館にある『女王の涙』という宝石に盗まれたのは知ってる?」

「……ええ」

「あれ、盗んだの僕なんだ」

「え」

本当に?

じゃあ、この人が……アリスが言っていた隠れキャラの……?


「どうして……王子が盗みなんか……」

「僕の母親は平民出身の妾でね、王妃からしたら目障りだろう? 命を狙われそうになったり色々あったから国を出たんだ」

とても重いことのはずなのに、シリルは軽い口調で言った。

「それで、闇オークションに関わることになってね、その依頼であちこちの宝石を盗んでるんだよ」

「闇オークション……?」

「結構いるんだよ、市場には出てこないようなものを欲しがる連中が。金はあるのに買えないから盗むしかないってね」

「……そんなの……おかしくないですか」

人のものが欲しいから盗むなんて。


「そうかな。でもしょうがないよね、欲しいんだもの」

(え?)

「僕、君を見た瞬間、ああこの子が欲しいなって思ったんだ」

シリルは私の顔を覗き込んだ。

「何かを欲しいって思ったのは初めてだ。でも君は王太子の婚約者だろう? だったら盗むしかないよね」

「え……?」

言っている意味が分からない。

人のものだから盗むって、どうしてそんな発想になるの?!

(この人……何か怖い)

笑顔で、なんでもないことのように恐ろしいことを言う。

「……帰してください」

「ごめんね、それはできないよ」

さらに顔が近づく。茶色に見えていた瞳が朝日を受けて赤く光った。

「君は僕のものだもの」

唇に柔らかなものが触れた。

(え……いま……)

殿下以外の人に、キスされた?


じわ、と目の前が滲んだ。

「泣かないで、僕の姫」

抱きしめられて目尻にもキスをされる。

(嫌だ……こんな、殿下以外の人に)

「離して……」

突き飛ばしたいくらいなのに。声が震えて、身体も震えて動けない。

「離さないよ、だって僕は君が好きなんだもの。だから――」

不意に外から乱暴にドアを叩く音が聞こえた。

シリルはちっと舌打ちをすると、立ち上がってドアへと向かった。


「何」

「馬車が着いたんだけど、確認したいことがあるってさ」

ドアの向こうから男の声が聞こえた。

「はあ」

ため息をつくとシリルはドアを開いた。

「あの子見張ってて。手出したら殺す」

「分かってるよ」

シリルと入れ替わりに、黒髪の男が入ってきた。


「やあお嬢さん。あんたもかわいそうに、あんな狂人に目をつけられるなんて」

「狂人……?」

「シリルは頭もいいし仕事は完璧なんだが、心が欠けてる部分があってな。道徳心ってものも罪悪感もない。まあこんな仕事してる俺が言うのも何だが、その俺らでもヤバいって思うんだから相当だぜ」

『性格はサイコパスっぽくてヤバいんだけど、銀髪で顔は超好みなの』

不意にアリスの言葉が脳裏によぎり――背筋がぞくりとした。


「まあともかく大人しく着いてきな。下手に逆らうと何されるか分からないからな」

どこか哀れみを含んだ目で私を見ながら男はそう言った。

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