2章06 『4月30日』 ①

「――新しい朝の始まりだよ弥堂君!」



 4月30日 朝。



 美景台学園部室棟内にあるサバイバル部の部室にて、この部活動の長である廻夜 朝次めぐりや あさつぐは高らかに宣言をした。


 カーテンの隙間から差し込む朝陽がバックライトのように彼を照らしている。



「だけどね、弥堂君。新しい朝とは言うけれども。それはそれぞれの感じ方によって大きく変わると思うんだ。何か大きな心境の変化があった人には全く今までにない日々の始まりのように感じられたりするかもしれない。しかし、だよ? 弥堂君。特段何事もなく心境の変化なんて何も起きていない人にとっては、昨日と何も変わり映えのない今日という日の朝は、毎日必ず訪れるただのルーティンのようなものに過ぎない。それも紛れもない事実なんだよ。何故なら朝というものは特定の誰かの為だけに訪れ――」



 まるで原稿でも用意していたかのように軽快な調子で廻夜が話し始めると、彼の部下である弥堂 優輝びとう ゆうきはスッと手を挙げて発言の許可を求めた。



「――うん? どうしたんだい? 弥堂君」


「はっ」



 上司の言葉を遮るという不敬を許され、弥堂は短く返事をして自分が恐縮していることをアピールする。


 それから発言をした。



「僭越ながら部長。その話はもうやりました」

「えっ? そうだったっけ? 色変わって既読テキストになってた? あれぇー? いつ言ったっけなぁ……?」


「色のことはわかりませんが、一昨日のHRの時に同じことを思いましたので」

「え⁉ 思った? 誰が?」


「俺が。もうやりました」

「で、でも、僕はやってないよ……?」


「やりました。恐縮です」

「そっか……」



 弥堂がゴリ押しで上司を説得すると、彼はシュンっと残念そうに肩を落とした。



 廻夜はトボトボと歩いて窓際に寄ると、わざと少しだけ隙間を作って閉めていたカーテンを開ける。


 その隙間から入ってくる光を、後光のように自分に当てて威光を高める演出技法だ。


 弥堂も反対側のカーテンを開けるのを手伝ってあげた。



 それから二人は無言で所定の位置に戻る。




「では時節の挨拶はスキップして朝練を始めよう」


「恐縮です」



 効率厨の部下のストレス値を慮れるタイプの部長である廻夜は、早速本題に入ることにした。



「すまないね。本来は今朝は朝練の予定ではなかったんだけれど、いかんせん僕のスケジュールが合わなくってね……」


「構いません」



 弥堂は、相手が上司であろうと自分の予定を崩されることに多大なストレスを感じるタイプの部下であるが、思っていることをそのまま言うと不敬にあたるので、一応そう言っておいた。



「とは言うもののなんだけど、弥堂君。実は今やれる活動は我々にはない。だから今朝の練習は流すだけだ。それと同時に今日の放課後にやるはずだった“今月のまとめ”も兼ねている。それが本日の朝練のテーマだよ」


「了解です」



 本日は4月の最終日。


 サバイバル部では月末の最終日にこうして一か月の活動を振り返って、その月の成果を評価・反省し、翌月の活動について相談をすることが慣習となっている。



「まず先にG.Wについて話しておこう。我々サバイバル部の連休中の活動はなしだ。部活は完全に休みとなるよ。キミも色々と忙しいだろうしね」


「恐縮です」



 それは素直に助かることだと弥堂は思った。


 弥堂はこの連休中に纏まった金を用立てねばならないし、他にも気を配るべき問題がある。



「でも、だからといってヌルい部活だなんて思わないでくれよ? キミも知ってのとおり我々は全国を目指す方針だ。そういう意識の高い部だ。そうだね?」


「その通りです」



 競技系の部活ではないし、他校に同じジャンルの部活動があるのかどうかを弥堂は知らないので、“全国”の意味は全くわからなかった。


 だが、上司がそう言うのならそうなのだろうと、とりあえず肯定だけしておく。



「僕たちはいいペースで活動出来ている。今月4月の活動結果ははっきりと『成功である』と、そのように評価していいだろう。異論はあるかな?」


「ありません」



 弥堂には自分たちがこの一ヶ月、大きな流れとして何をしていたのかがまるでわかっていなかったし、何なら今朝も何の練習をしているのかすらやっぱりわかっていない。


 だが、上司が満足しているのなら余計な口をきいても藪を突くだけだと沈黙に努めた。



「大事なのはメリハリだよ弥堂君。なにせ今月は進級して最初の一ヶ月だったからね。新しい環境に飛び込むにあたっての緊張感というものが僕らにはあった。だからいいパフォーマンスが出来た。でもね弥堂君。だからといってそれをずっと永遠に続けて同じ生産量を維持しろどころか、それよりも毎日毎月ずっと上げていけだなんて無茶ことを僕はキミには言わないよ。抜くところは抜く。休むところは休む。そうしてメリハリをつけてやるべき時に最大限のパフォーマンスを発揮して欲しいのさ。だから僕はね、ただガムシャラに頑張ることをキミに求めるのではなく、頑張った分しっかりと休んで欲しいとも考えているのさ」


「恐縮です」



 弥堂自身の考えは全く違う。


 人間など消耗品だ。


 生命は電池のように空っぽになるまで使い切るべきだし、使えなくなったのなら他のものに取り換えればいいと考えている。



 それに弥堂自身のスキルの特性として、疲れようがガタがこようが死ねば治る。だから死ぬまでやればいいと考えている。


 自分以外の人間に死に戻ることは出来ないが、他人が死んでも自分が死ぬわけじゃないからどうでもいいと思っているし、労働力が減っても代わりを買えばいいだけなので、やっぱり死ぬまでやれよと思ってしまう。



 加えて、なんだか話を聞いていて、起業だとかマネージメントだとかのくだらない本のどれにもとりあえずで書いてそうな薄い内容だなと感じた。


 しかし、弥堂は実際にそういう本をちゃんと読んだことがあるわけではないし、仮にどの本にも書いてあるのならそれが正しいのだろうと、そう思うことにした。



 何より上司に反論をするのは不敬にあたる。


 なので、弥堂は上司と意見が合わない時はとりあえずその場では「わかりました」と言っておいて、後で勝手に自分の思うように行動することを心がけている。


 それで成功すれば自分の手柄であり、仮に失敗したとしてもそれは上司の管理ミスだということになる。


 弥堂の知る限り最強のパワハラ上司であるセラスフィリアの元でそれを学んだ。



(だが、待てよ)



 一つ前の本の話に思考が戻る。


 無能の弱音を愛撫してやって、逃げ道を選択することを正しいことだと誤認させる。そしてこれが正解だと用意してやったその穴に飛び込ませる――


 そんな下卑た手法だと軽蔑したが、これはもしかしたら何かの詐欺に使えるのではないかと思いつき、そちらへ興味が移った。



「……だけどさ、弥堂君。5月病だなんて言葉をよく聞くだろ? G.Wは完全休暇だけれど、そこで情熱の火を絶やさないようにね? 緊張の糸は緩めても切ってしまってはいけないよ? 存在しない糸に、存在しないモノを切ることの出来る刃。そんなものは存在しないとキミはそう思うかい?」


「……いえ。手段はいくつかあるかと」


「そうだね。その内の一つが己の弱さだ。だから燃やし続けなければならない。魂を震わせる情熱の火を。くだらない精神論だと思うかい?」


「いえ。仰るとおりです」


「そうかい。ところで弥堂君。火の色ってさ、赤いのよりも青い方が温度が高いって知ってたかい?」


「……いえ、初めて聞きました」


「だったら覚えておくといいよ。火は青い方がスゴくて強いって。僕はそんな風に思っているんだけど、キミはどうかな?」


「は。仰るとおりだと思います」



 弥堂の興味が自分の話に戻ったことを確認して廻夜は先を続ける。



「そういうわけで今月の僕たちの活動は成功。つまり『普通の高校生として平穏な日常を送っていた僕がある日突然魔法少女と出会った件』、これはもう完了だよ。そして次の議題に関しては連休中に各々で消化。休み明けにその結果を報告しあおう」


「はい」


「二番目の議題については先だって内容を伝えていたと思うけれど、記憶力に優れたキミなら当然覚えているよね?」


「勿論です」


「よろしい。それと、連休明けの予定を伝えておくから、活動再開したらすぐに議論に移れるように休み中に準備をしておいて欲しいんだ」


「……了解です」



 完全休暇と言ったのに、さりげなく休暇中に宿題のようなタスクを放り込んでくる上司の巧みな手管を弥堂はリスペクトした。



「まずは先日に一度僕が言及した『新入部員の獲得』についてだ」


「…………」



 新入部員について先に言及したのは弥堂の方なのだが、可能な限りあらゆる成果や手柄を己のモノとしようとする――そんな上司の貪欲な勤務態度に弥堂は恐縮した。



「知っての通り僕たちサバイバル部――正式名称『災害対策方法並びに……、えっと、なんだっけ?」


「『災害対策方法並びにあまねく状況下での生存方法の研究模索及び実践する部活動』です」


「そう! その僕たちサバイバル部は――」


「…………」


「――知っての通り部員が少ない。この学園では同好会と認められるためには部員が最低5名は必要だ。しかし僕たちの実態は実働部員2名。これを当局に見つかったら大変なことになる。ならば僕たちはどうするべきか。わかるね?」


「は。お任せを」


「へぇ。流石は弥堂君だ。では具体的にどうするか聞かせてくれるかい?」


「は。スパイとして風紀委員会並びに生徒会に工作を仕掛け、我が部に目が向かないように仕向けます」


「そう! その通り! 来月から僕たちは新入部員の獲得を……、ん? スパイ? なんだって?」



 廻夜としては、てっきり意思は疎通出来ているものとして儀式的に聞いただけのつもりだった。


 なので、自分のしたい話を勢いよく繋げようとして、それから遅れて弥堂の言葉を聞き咎めることとなった。



「あ、あのね? 弥堂君? キミさ、たまにスパイがどうとかって言ってるけれど、それどういうことなの? まさか本気じゃないよね?」


「は。失礼しました。俺はスパイではありません」


「えっ⁉」



 自分で自分をスパイだと名乗る間抜けはいない。いてはいけない。


 弥堂は上司に指摘された自身の失言を速やかに訂正した。



「ね、ねぇ弥堂君? キミ言ってることおかしいよ。そうだよね?」


「はい。失礼しました」


「待ってくれ。違うんだ。謝って欲しいんじゃない。僕は本当のことが知りたいんだ。キミは風紀委員会で一体何をやっているのかな?」


「は。サバイバル部の部員として恥ずかしくないよう模範的な風紀委員であるよう邁進しております」


「い、いや、そういうことが聞きたいんじゃなくってさ。たまにね? 風紀委員の人がそっと僕の背後に忍び寄って、『いつまでも貴様らの好きにさせておくと思うなよ』的なことを耳元で囁いていくんだよ! これどういう意味なの⁉」


「お戯れを……」


「なにが⁉」



 弥堂は誘導に乗って口を滑らせることなく、上司からの試しを恙無くクリアした。



「じゃ、じゃあさ。これは仮に。あくまで仮にの話だ……」


「はぁ」


「仮にキミがスパイだったとして、その場合は一体どんな工作をするつもりなのかな?」


「は。現在野球部に喫煙の疑惑が浮かび上がっているのはご存じだと思いますが……」


「え? ご存じないけど」


「お戯れを。なので野球部の隣の陸上部の部室を放火します」


「なんでぇ⁉」



 メジャー級の飛距離を叩き出した弥堂の説明に廻夜部長はビックリ仰天する。



「タバコによる小火だと見せかけます。ですが陸上部は非常に品行方正です。競技成績は振るいませんが模範的な生徒ばかりです。なので火元は野球部なのではないかと多くの者が疑心暗鬼に陥るでしょう。また、今年の野球部はついに甲子園が狙える準備が出来たと息巻いていたので、このような不祥事が起きては学園も困るでしょうね。決して安くはない金を野球部に投資している」


「そ、それで……?」


「はい。次に夏の大会前に運動部へのガサ入れを内々に行うべきだと生徒会へ進言します。このような小火が起きたばかりなら、他の不祥事が発覚して出場停止になることを恐れ、生徒会長の小娘も否とは言わないでしょう。そして風紀委員会主導のもと、運動部への大摘発が開始されます」


「す、すると……?」


「運動部の連中も抵抗するでしょう。疚しいこともあるでしょうが自分たちの領域に立ち入られることは誰でも嫌がります。その為事前の告知などは行わずに抜き打ちで踏み込みます。そうすればよりヤツらのヘイトを煽ることが出来るでしょう」


「そ、そして……?」


「その先にあるのは血みどろの闘争です。ヤツらは非協力的で反抗的なため捜査は遅々として進まないでしょう。最低でも二学期いっぱいはかかる予定です。その間、我が部に目を向ける者は誰もいなくなる。そんな余裕は与えません」


「で、でもさ弥堂君?」



 気持ち顔を青褪めさせた廻夜は恐る恐る質問をする。


 だが、彼は今朝もトレードマークである大きなサングラスを室内であるにも関わらず着用している。だから正確にその顔色を測ることは出来ない。


 気のせいだろうと弥堂は判断した。



「なんでしょうか」


「その、僕たちサバイバル部もさ、何故か運動部ということになっているじゃない? それって僕たちもガサ入れをされるってことになるんじゃないのかい?」


「ご安心を」



 ごもっともな上司の問いに弥堂は力強く頷いた。



「我が部のガサ入れの担当は俺です。何故なら部員なので一番内情を理解しているからです。最も適任だと謂えます」


「えっ? でもそれって……」


「我が部の調査報告書は既に完成しております。偶然にも部員である俺が風紀委員をやっていて、偶々その時に手が空いているのが俺しかいなかった。なので俺が担当することになった。そういうシナリオです」


「…………」



 ちなみにその報告書には『問題なし』と、ただ一文だけが記載されている。


 それを正確に想像した廻夜は沈黙した。



「……僕は何も聞かなかった」


「は。俺も何も発言しておりません」


「あ、あくまで仮にだしね」


「はい。仮だから大丈夫です」



 そういうことになった。



 廻夜はその決断を下す前に何かしらの呵責と戦っていた。


 だが廻夜には、以前にスポーツ科の特待クラスに所属する野球部のエースで4番な男に、所持していたハーレムものラノベを取り上げられ、その業の深いタイトルを女子の前で読み上げられたという苦い経験がある。


『ボクが異世界転生してチートになったら姫と女騎士と幼馴染と母と妹と義母と義妹と貴族のお嬢様と奴隷エルフと犬耳戦士とネコ耳盗賊とロリババア魔法使いと天使と悪魔と女神と魔王とあと他もいっぱいに惚れられたので全員ママになってもらったら授乳がヤバイ』というタイトルだ。


 この出来事は間違いなく廻夜の高校生活を終わらせる原因の一つとなった。


 さしものエースで4番も読んでいる途中から顔色を悪くしていたが、廻夜はこのことをキッチリと根に持っていたので、最終的にこのような決断に至った。



 咳払いで罪悪感を除き、廻夜は話を本筋に戻す。



「えっと、何の話だっけ……?」


「新入部員の獲得です」


「あぁ、そうそう。休み明けにそのように動くから、もしもキミの方で有望な下級生に心当たりがあったら、その時にスカウト候補として紹介してくれると嬉しい」


「ふむ……、了解しました」



 弥堂には下級生の知り合いは居なかったが、心に留めておこうと頷いた。



「そしてそれと同時に進めていくのが我々サバイバル部のメインテーマである『日常で起こる可能性の低い異常事態に直面した時に生き残る方法』についての議論だ。その三番目の議題について議論をしていきたいと僕は考えている」


「二番目についての議論は行わないのですか?」


「そうだね。二番目のは大した議題じゃないし軽く流しちゃおう。さっきも言ったけれど、それについては連休中に個々でチャチャっと消化して、連休後にお互いに結論だけを発表しあおう」


「わかりました」



 滞りなく部としての目標と予定を確認し合った。


 すると廻夜は若干眉を下げて、どこか申し訳なそうな声を出した。



「すまないね。本当はキミも連休中の部活を楽しみにしていただろう? ちょっと予定が出来てしまってね」


「問題ありません」


「というのもね弥堂君。美景市駅あるじゃない? モノレールの方の」


「はぁ」


「あそこの近くの美景メッセでさ、G.Wの中日にさ、それなりに大きなゲームショウがあるんだよ」


「そうですか」


「当然僕らの支持する『魔法少女プリティメロディ☆ドキドキお~るすたぁ~ず』も出展するんだけどね。それはまぁいいとして。なんと商業でもご活躍されている期待の新人作家である青空かなた先生が同人スぺースで限定本を販売されるそうなんだ。しかもプリメロものだって話じゃないか」


「なるほど」


「これはちょっと僕も本気を出さざるをえないというか、ここでガチらなければ僕でないとも謂える。キミもそう思うだろ?」


「仰るとおりです」


「ということで、コンディション調整とバイトで予定がいっぱいになってしまってね。当日はコスプレイヤーさんも大勢来るらしいからさ。僕の方にもカメラなどの器材の運搬や準備というものがある。慌てて会場近くのホテルを探したら部屋数が残り僅かだったけれど、どうにかギリギリ部屋が取れたよ。だからキミの理解が得られるといいんだけど、こんな僕を許してくれるかい? 弥堂君」


「勿論です」



 半分以上何を言っているかわからなかったが、要は部活は休みだということだ。


 それだけは理解出来たので弥堂は適当に頷いておいた。



 ちなみに“青空かなた先生”とは去年デビューした成人向け作品の漫画家のペンネームで、廻夜部長のお気に入り作家である。廻夜は熱心にその著作を弥堂にも薦めてきた。


 しかし、サバイバル部は健全な部活動でありその部員も健全な高校生であるので、公式には青空先生の作品を拝読した事実はないことになっている。



「さて、僕からの連絡は以上かな。キミの方からも何かあるかい? 弥堂君」


「はい。実は――」



 おや? と、廻夜は片眉を上げる。


 こういう時に弥堂の方から発言をするのは珍しいことだからだ。



「――実は、部長にご相談をしたいことと、許可を頂きたいことがあるのです」


「へぇ?」



 面白げに廻夜は片頬を持ち上げる。


 弥堂が何を言うのかに興味を持ったのだ。



「いいぜ? 僕は部長だからね。後輩であり部員であるキミを健全に導く義務がこの僕にはある。何でも言ってごらん。キミが思い悩んでいるその問題を僕に聞かせておくれよ」



 大らかに弥堂へ発言の許可を与えた。



 だが――



「恐縮です。では――」



――しかし、弥堂がその続きを口にすると一瞬で部屋の温度が数℃ほど下がった。



 話を聞いた廻夜はまだ何も言っていない。


 同じ姿勢のまま無言で座っているだけだ。


 しかし、少なくとも弥堂にはそのように感じられた。



(やはり、か――)



 わかっていたことだと、弥堂は予め用意していた物を懐から出す。


 それは一通の白い封筒だ。


 それを自身と廻夜の間にある長机にスッと置く。



 廻夜は視線だけを動かして封筒に書かれた三文字を見遣り、「ふん」とつまらなそうに鼻を鳴らした。



「弥堂くん。部屋の鍵を閉めたまえ――」



 そして、弥堂が差し出した封筒を手に取ることなく、冷たい声音で命じる。



「――それからもう一度同じことを言ってごらん?」



 濃い色のサングラスの奥に宿る光が鋭く弥堂を射抜いた。

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