2章05 『嘘と誤認のスパゲッティ』 ⑥


「――こんなところか。洗濯が終わるまでここで待っていても仕方ない。これを動かしたら一旦解散とする」


「あ、うん。なんか最後グダったから『うおーやるぜー!』感がまるでないッスね」


「お前が泣いてたせいだろうが」



 ようやくメロが泣き止んだので、弥堂はこの場の解散を宣言する。



「では各人よろしく」


「えっと? とりあえず今のまま警戒して、特にナナミには絶対見つかんないようにってことッスよね?」


「そうだ。しくじるなよ。何かあればさっきの念話を飛ばせ」


「わかったッス。少年の方が大変だと思うッスけど、そっちの方こそしくじんなよ?」


「ナメているのか? 俺は連休に入るまでは普通に学園で時間を消化するだけだ。大変なことなど何もない。自分の心配をしろ」


「え?」



 弥堂はメロの軽口を窘めるが、メロは本当に困惑した様子を見せた。



「なにか文句があるのか?」


「文句っつーか……。だってどう考えても少年の方が大変じゃないッスか」


「なにがだ」


「時間を消化するだけって言うけど、むしろその学園とかナナミのこととかが」


「単に目立つことをしなければいい。仮に希咲に絡まれてもしらばっくれるだけだろうが」


「は?」



 会話の噛み合わなさにメロは怪訝そうに眉を寄せる。



「いやいやいや。だってオマエは演技しなきゃじゃねえッスか。ジブン、少年にそんな器用なマネが出来るように思えないんッスけど」


「演技? たかが水無瀬を知らないと言い張るだけのことになにを大袈裟な」


「え? それだけじゃダメだろ」


「あ? どういうことだ?」


「だって。オマエはナナミの彼氏のフリしなきゃ」


「なんだと?」



 弥堂はメロの発言に眼を細めた。



「お前おちょくっているのか? 話はもう終わりだと言っているのに、つまらない冗談を言って混ぜっ返すな」


「ちょっと待ってくれッス……! 別にふざけてなんかないッスよ! マジメにオマエ大丈夫かって心配してるんッス」


「お前は一体何を言っているんだ?」


「なにって、少年がここに来て最初にそう言ってたじゃねえッスか」


「俺が?」



 馬鹿にしてきたのかと思ったが、どうもメロにはそういうつもりはないようだ。


 弥堂は険を緩めて不可解な顔をする。


 弥堂のその反応にメロも不可解そうに首を傾げた。



「え? あれっ……? ジブンまたなんか勘違いしてる……?」


「どんな勘違いをしたら俺があの女の恋人のフリをしなきゃならないと考えるようになるんだ。馬鹿が」


「いや、だって……、あれぇー?」


『ユウくんは特定の女と付き合ったりしないの! 常に喰い散らかす側なの! 解釈違いよ!』


「えー?」



 エアリスからも叱られるが、メロは余計に首を傾けてしまった。


 頭上に『?』をたくさん浮かべて混乱してから、一度息を吐いて今度は真剣に考えこむ。



「ちょっと待ってくれッス。一回考えさせて欲しいッス」


「考えるまでもないだろ」



 腕を組んで「うんうん」唸るメロに弥堂は呆れたように嘆息するが――



――ポンっと。



 やがてメロが手を打ちあわせる。



「うん。やっぱジブンので合ってるッスよ」


「あ?」



 メロは主張を取り下げなかった。


 真面目な顔で弥堂の方へ人差し指を立てて説明をし始める。



「いいッスか? 少年は、他の人と同じようにマナを覚えてないフリをするんッスよね?」

「そうだ」


「で、クラスの他のヤツらって、記憶からマナのことが抜けちまっても変な矛盾が起きないように、おかしな辻褄合わせがされた風に記憶が変わっちまうんッスよね?」

「あぁ」



 そんな初歩の初歩をもう一度確認するのかと、弥堂は面倒そうに相槌だけを返す。



「それって例えば、少年とマナが話してたこととかが、少年とナナミが話してたことになっちゃったりとか……」


「最初にそう言っただろ」


「うん。他にも、マナが少年にやたら構うから、マナは少年のことが好きなんだって周りに思われてたのも、ナナミが少年を好きって風に変わったり。ナナミが旅行中にマナのことを友達に頼んだのも、少年のことをお願いしたことに変わったりしたんッスよね?」


「なにが言いたいんだ?」



 いい加減焦れてきて結論を求めると、メロは一度頷いてからそれを口にする。



「そんで――ッスよ? 昨日の出来事で。少年はナナミと付き合ってて、少年が浮気したからナナミが泣いて教室を出て行っちゃったって。そんな風に他のクラスメイトは思ってるんッスよね?」


「おい、同じ話を何度も――」


「――ってことはッスよ? 少年もナナミと付き合ってるフリしないとダメじゃねえッスか?」


「何を馬鹿なことを。そんなわけが……」



『無い』と斬り捨てようとして弥堂の言葉尻は消えた。


 自分でも何かに思い至ってしまったようで、眼を開いて弥堂は立ち尽くした。



「だってそうだろッス? 少年もマナを忘れてるなら、他の人と同じ勘違いっていうか記憶違いをしてないとダメじゃん」


「…………」


「少年?」



 弥堂が棒立ちのまま眼を見開いて何も答えなくなったので、メロはその顔を覗きこもうとする。


 すると、弥堂はバッと腕を伸ばし左の掌をメロの方へ向けて制止してきた。



「――待て。少し待て……」


「え? いいッスけど……」



 左手をメロへ向けたまま、愛苗の洗濯物の入った紙袋を提げる右手で眉間を揉み解す。


 そうしながら弥堂は喋り始めた。



「……ということは、なにか? 俺はあいつの恋人なのか?」

「いや、ホントは違うけど。でも、そういう風にみんな思ってんだろ?」


「それはつまり、あいつは俺の恋人だということか?」

「は? それおんなじこと訊いてねえッスか? オマエなに言ってんの?」



 決して事実を認めないように抵抗をしているのか。


 支離滅裂なことを口にし始めた往生際の悪い男にメロは怪訝そうな顔をする。



「だが、俺はあいつの恋人ではない」

「それは知ってるッスけど、そうじゃなくって……」


「それは、あいつは俺の恋人ではないという意味にもなる」

「だからおんなじこと言ってるってばッス。オマエどした?」


「バカな……」



 メロは麻薬中毒者へ向けるような目で見た。


 だが、弥堂はそれどころではない。


 彼にしては珍しいことに茫然としてしまっている。



 そして尚も見苦しく言い逃れのように繰り返す。



「つまり、つまりだ。俺が水無瀬のことを覚えているということをバレないようにする為には、俺は希咲の恋人であることを演じなければならないということか?」


「なんべん同じこと言うんッスか。だってそうじゃないとおかしくなっちまうだろ?」



 メロは若干呆れを滲ませる。


 しかし、異世界で運命に抗い続けた男の心はまだ折れない。



「俺は俺があいつの恋人ではないということを知っているというのに、それを知った上であいつの恋人としてあいつに接しろと? しかも、だ。あいつは俺が自分の恋人ではないということを正しく知っている。そして俺もあいつが俺はあいつの恋人ではないと知っているということを知っている。そんな女に対して、そんな真実をわかった上で、俺は自分があいつの恋人だと勘違いをしている男として振舞わねばならないと、お前はそう言うのか?」


「いや、もうなに言ってっかわっかんねーッス! けど、大体そんな感じじゃねえの?」



 メロももう面倒になり、鼻を穿りながら適当に弥堂の妄言に答える。


 その時――



――ドサドサっと。



 弥堂の手から零れ落ちた洗濯物が音を立てて床に落ちた。



「あ、おい。落としてるぞ……って」



 メロが落とし物を指摘しながら弥堂の顏を見上げると――



「そんな……、バカな……っ」



 弥堂はこの世の終わりに直面したように、見開いた眼を虚空へ向けて硬直していた。


 数秒程そうしてから、今度は急に眩暈を起こしてガクッと床に膝をつく。



「お? お? なんだコイツ? ガチで動揺してる?」



 意外なものを見たとメロが感嘆すると、弥堂はハッとなった。



「バカなことを言うな。動揺などしていない」


「いや、クソほど狼狽えてんじゃねえッスか」


「そのような事実はない」


『ユウくん! 屈辱リストよ! こんな時は過去のもっと屈辱的だったことを思い出して!』


「そうだ。この程度の苦難とっくの昔に……」



 エアリスの声に従い、弥堂は過去に体験した数々の屈辱的な出来事を記憶から探すため、自身の“魂の設計図アニマグラム”を視る。


 現実で強い怒りや屈辱を感じた時にうっかり人を殺してしまわぬように、過去のそれ以上の屈辱を思い出して、この道はもうとうに通り過ぎたものだと精神の安定を図る――そんな弥堂流のメンタルマネージメントだ。


 弥堂の眼に蒼銀の魔力光が宿り魔眼【根源を覗く魔眼ルートヴィジョン】が発動する。



 だが――



「――バカな……っ! いまだかつてない、だと……⁉」



 さらなる驚愕に眼を見開くこととなった。



『そんな……⁉ ユウくんもっとよく思い出して! 異世界でのアナタの戦いはこんなものじゃなかったはずよ!』

「くっ……、だが……っ」


『手足を折られてメンヘラメイドさんに監禁されてオシメを替えられる赤ちゃんプレイは……⁉』

「あれは……、しかし、エルフィは事実俺の恋人だった。それを加味すると……」


『じゃあ陰キャの隠れオタ女に添い寝を強要されてのエロ小説朗読寝落ちASMRは……⁉』

「あれは、ただの台詞だ……! 俺がルナリナに向けて言っていたわけじゃない……!」


『それなら大っ嫌いな鉄仮面女上司を晒しものにするためにみんなの前で無理矢理チューしたのは……⁉』

「あれはあいつにダメージを与えるための攻撃だ。リターンの方が大きかったはずだ……」


『自分の彼女のNTRれ音声聴きながら、その女上司に痴漢プレイしたのは……⁉』

「あれは今でも意味がわからんが、セラスフィリアがなんか悔しそうな顔してたからセーフだ」


『じゃあじゃあ! 40過ぎのアイドル気取りオバさんにお姫様扱いを強いられておしっこを……』



 エアリスが次々に弥堂の屈辱コレクションをハイライトしていくが、どれも『弥堂は自分の彼氏ではないと理解している希咲に彼氏ヅラして接する』という現実を超えることは出来なかった。



「え……? 『異世界』ってもしかして特殊性癖御用達風俗店の名前ッスか? 異なる世界ってそういう意味なん……?」



 二人のやりとりを聞いているメロに新たな誤解も発生していた。



「くそ……、バカな……」


「オマエさっきから『バカな』しか言ってねえッスよ」


「うるさい黙れ」


「つか、騙しきるのは難しいかもだけど、ナナミの彼氏のフリすることがなんでそんなにイヤなんッスか? こないだ電話でもやってたじゃねえッスか」


「あれとは状況も話も違う」


「なにが違うんッスか? たいして変わんねえだろ」



 頭の後ろで手を組んで気楽に言ってのけるメロへ、弥堂はギロっとした眼を向けた。



「いいか? あれは、ただあいつを好きなフリをして嘘の告白をしただけだ」

「だから一緒だろ?」


「違う。今回は、あいつは俺と付き合っていないと知っていることを理解した上で、あいつと付き合っていると勘違いした男を演じなければならないんだ。まったく話が違う」

「ジブンにはまったく一緒に聞こえるんッスけど。オマエ意外とめんどくせー男ッスね」


「お前は何もわかっていない」



 危機感の足りない間抜けな使い魔に弥堂は真剣に現状のヤバさを語る。



「いいか? よくいるだろ。SNSとかで。芸能人やタレント気取りをした素人女どもの周囲に、騎士気取りをした性欲塗れの取り巻きどもが」


「知らんけど」


「たまに見かけるだろ。その取り巻きの中に、自分はその女と付き合っていると思っていたと喚いて、発狂しているイカレ野郎がいるのを」


「知らんけど。まぁ、でも、なんとなくわかる、ような……?」


「今回は俺にそれをやれと言っているんだぞ? しかもあのクソ女を相手に」


「べつにいいじゃん」


「何がいいものか。それをするということは、俺はあいつを推しているということになるだろ」


「は? 推し?」


「いいか? 俺の推しは水無瀬だ。“推し変”は許されざる大罪だと廻夜部長が仰っていた。これは許されぬことなんだ。『世界』も許していない。禁忌だ。天使が来るぞ。なのに俺はあいつを推した上で、あいつと付き合っていると勘違いまでしなければならない。そしてあの女は俺のことを自分と付き合っていると勘違いしている頭のおかしいファンだと見下すだろう。クソが」


「なに言ってっかわかんねーッスけど、オマエは考えすぎだと思うッス」


『あ、あのねユウくん? あんまりあのデブの言葉を真に受けちゃ――』


「――うるさい黙れ!」



 メロとエアリスが宥めようとするがメンヘラ男の心には届かない。


 メロにはまったく理解が出来ないが酷く追い詰められた様子だ。



「そもそも何でそんなにナナミが嫌いなんッスか? ナナミかわいいだろ? 男子高校生的にはむしろオイシイんじゃないんッスか?」


「ふざけるな。ちょっと顔がいいくらいで調子に乗るなよ」


「ジブンに言われましても」


「あの女をいい気にさせてやった上で蔑まれるなど、死んだ方がマシだ……!」



 そこまで言って弥堂はハッとする。



「死んだ方が……、そうか……!」


「あん? どうした――って、オマエエェェェッ⁉」



 今度はなんだとメロが面倒そうな顔をする前で、弥堂は徐に腰から黒いナイフを抜くとそれで自らの首を掻き切った。



 びっくり仰天する女児の目の前で噴水のように血が噴き出す。



 パタリと倒れてから数秒し――



『――【殺害再開キリング・リスタート】』



 エアリスの声と同時に『死に戻り』の刻印が発動し、弥堂はムクリと起き上がる。


 そしてメロの方へ顔を向けた。



「……どうだ?」


「なにがァ⁉」



 そんなことを聞かれても、メロには彼の行動からして何ひとつ理解できなかった。



「俺は希咲の恋人じゃなくなったか?」


「何言ってんの⁉ んなわけねえだろ!」


「ダメか……、チッ」


「オ、オマエは頭がおかしいッス……」



 希咲 七海の恋人だと勘違いしなければいけないことは、別にバッドステータスではない。


 なので、死んでも治らないことが判明する。


 弥堂は口惜しそうに舌打ちをした。



「びょ、病院でなんてことを……っ。自殺するほどイヤなんか……」


「おい、聖剣を出せ。俺の“魂の設計図アニマグラム”から希咲とのアレをお前の“加護ライセンス”で切りとって無かったことにする」


『ユ、ユウくん、そんなこと多分無理だし、“魂の設計図アニマグラム”を直で【切断ディバイドリッパー】したら流石に普通に死んじゃうと思うの……』


「クソッタレが……っ」


「こ、これどうするんッスか……」



 あーだこーだと言い合う二人を余所に、メロは殺人現場のような床の血だまりを見て途方に暮れた。



 しかしこのままでは事案になるのでどうにかしなければならないと思い至る。


 確か以前に、悪魔学校で『お掃除魔法』的なのを習ったよなと、メロは記憶を探る。


 すると、若干用途は違うが、うっかりニンゲンさんを殺っちまった時用の『完全犯罪魔法』があったことを思い出した。



「えいっ」と床の赤い汚れに両手を向けると、血液が分解されるようにして消えていった。


 一仕事終え、「ふぅ」と額の汗を拭う。


 現在のチーム体制になってまだ数日だというのに早くも警察沙汰になるところだった。



 二人の方へ目を戻すと、まだ見苦しく言い合っていた。



 どうやら希咲 七海を殺害する方向に話が進んでいるようである。



 その様子を見ながらメロは――



――ニヤリと笑った。



 段々と面白くなってきたのだ。



 当然希咲 七海の殺害は止めなければならない。


 それは大前提だが、しかし――



――ここまで散々自分をやりこめてきやがったニンゲンのみっともない狼狽えように、どこか胸がすくような思いをした。



 巨大ゴミクズーや大悪魔、果てには魔王と。


 そんなモノを前にしても顔色一つ変えず無表情で殴りかかっていた男が、ギャルの厄介ファンとなることにここまで狼狽しているのには痛快なものがあった。



 そして、ここしかないと――



 やり返すなら今しかないと果敢に煽りにいく。



「――ヘイヘーイ! ニンゲンさぁーんッ⁉」


「あ?」



 メロはポンっと背中に悪魔の羽をだすと、宙を飛びながら弥堂に近寄る。それから馴れ馴れしくガッと右手で肩を組んだ。



「オイオイ、一体どうしたんッスかァ? 勇者さまよォ? まさか出来ねえとは言わねえよなァッス!」


「……なんだと?」



 厭らしい笑みを浮かべながら弥堂の顏を覗き込んで煽る。



「オマエって何でもするんだろォ? 目的のためにはほにゃにゃにゃにゃーってイキり散らかしてたもんなァ? えぇオイ?」


「……何が言いたい」


「だったら出来るよな? だって簡単だもんな? たかが勘違い彼氏のフリするだけだもんな? なんにも難しくないもんな?」


「くっ……!」


「どうした答えろよッス? オマエまさかビビってんのか? ナナミにビビッてんのかァ?」


「そんなわけがあるか」



 普段なら乗らないような口車に弥堂は乗せられてしまう。


 メロはその反応に殊更嬉しそうにし、左手でペチペチと弥堂の頬を叩いた。



「お? お? 随分と威勢がいいッスね? でもムリしない方がいいんじゃないんッスか? コワイんだろ? ギャルが」


「ふざけるな。あの女くらいどうということもない」


「じゃあオマエやれよッス」


「あぁ?」


「出来なくてもやれ。やれないなら死ね。死んでも生き返っちまうなら結局やるしかないよなァ?」


「クソが……」



 メロはここぞとばかりに弥堂の腿に膝蹴りを入れながらパワハラを返す。


 弥堂の頭に血が昇っていく。



『ユウくんダメよ! 悪魔の誘惑に耳を貸しちゃダメ!』


「うるさい黙れ」


「やるって言えよ。ほら、ほら。ビビってねえんなら言ってみろよ。お? お?」


「うるせえな。やるって言ってんだろ……!」


「へぇ? ほぉ~?」


「なんだその顔は」


「じゃあちょっとやってみろよ」


「あ?」


「どうせオマエみたいなモンに彼氏演技とかムリだろうから、いっちょジブンが見てやるッスよ」


「なんだと」



 悪魔の適格な煽りスキルにより弥堂さんはイッライラだ。


 ノリにノッているメロはメスガキボイスを作った。



「ほらぁ、言ってみてー? アタシをお兄さんの大好きな彼女のナナミちゃんだと思ってぇ……」


「必要ない」


「えー? 練習しといた方がいいってぇ。だってお兄さんみたいな非モテ陰キャのクソオタ男子なんてさぁ、カーストトップの可愛いギャルの前に出たらぁ、どうせモジモジして何にも言えなくなっちゃうよぉー?」


「出来るっつってんだろ」


「えー? ムリだよー? お兄さんコミュ力ゼロだもん。だからアタシで練習しなよー。おない年の女子にはビビっちゃうかもだけどー、アタシみたいにちっちゃい女の子相手ならー、さすがのお兄さんでも緊張しないでお喋りできるでしょー?」


「誰がビビるか」


「じゃあほらはやくはやくー。言ってみなよー? こないだの電話の時みたいにぃ。『勝手に俺の傍を離れてんじゃねえよ七海。誰が一番お前を愛してるのか、その唇に教えてやるよ』とかってさ。言ってみなよー? ほらほらー」


『テメエ! 調子にのるなよメロカス! ユウくん! そんなことしなくていいのよ! もう殺そ? イヤなこともツライことも全部なかったことにしちゃお? 気持ちいいことだけしよ?』


「うるせえ!」



 ギャーギャーと煩い女どもに弥堂はすっかり熱くなって怒鳴り返す。


 何を言っても涼しい顔をしていた男がキレ散らかす姿に、メロは愉悦を感じた。


 さらに調子づいた悪魔はボフンっと煙を出し、ネコさんの姿に変化した。


 ふよふよと飛んで弥堂の顔の前に出る。



「オラよ。ニンゲンの女の子だと、ロリ相手にもビビッて何も言えねえオマエのためにネコさんになってやったッスよ? ネコさん相手なら言えるだろ? ほらほらー、告ってみろよ。このヘタレのクズやろー」



 ぶちっと――



 何かが切れるような音がした。




 弥堂はまず変顔で煽るネコさんの首根っこを左手で掴み、もう片方の手でしましまブラジャーを鷲摑みにした。



「――ぶぇっ⁉」


『――えっ⁉』



 ビックリするエアリスさんの声を無視して、ムカつくネコをブラジャーでグルグル巻きにし、適当にホックを止めて簀巻きにした。


 それを床に転がしておいて、その辺に落ちている洗濯物を拾い洗濯機に放り込んでいく。



「もがもがもが……」



 それが終わると最後にネコさんブラジャーを拾い上げ、洗濯機へ近づいていった。


 メロは強烈にイヤな予感を感じて逃げようとする。



「お、おい、オマエまさか……⁉」


「…………」



 しかしブラジャーの拘束はビクともしないし、弥堂も無言のまま何も答えない。



「ちょっ、まてッス。オマエこれはシャレにならんッス……!」


『あれっ⁉ え⁉ ワタシも⁉』



 そして二人纏めて洗濯機に叩きこみ、無慈悲に扉を閉めた。



「うるせえんだよてめら」



 ガラス越しに何かを喚く二人を無視して、チャリンチャリンとコインを投入していく。


 華蓮さんに言われた通りにスタートだけを押すと、洗濯槽の中に水が流れ始めた。



「おいぃっ! 待て! これはネコさんにやってはいけないことベスト5の――」


『なんでワタシまで――』



「ガボガボガボ……」という二人の断末魔の声は、洗濯槽の回転が始まると機械音に掻き消されていった。



 弥堂はそれに眼も向けずにコインランドリーから出る。



 病院の廊下を一定の歩調になるように心掛けてしばし進んだが、やがて壁際に寄ると――



 ガンっと――



 強く握った左手を壁に叩きつけて立ち止まった。



 ビクッと驚いた他の利用客たちが散って行く。



 弥堂は構わずに壁に腕を付けたままそこに寄りかかるように体重をかけ、拳に額を押し付けた。



 その眼に宿るのは溢れんばかりの怨嗟だ。



「……やってやる……っ! 目的を果たすために……っ、俺は何でもやる……! 出来ないことなど何もない……っ!」



 自分に暗示をかけるようにわざと言葉にして口に出した。



 記憶を喚び起こして、異世界の魔族軍との最終決戦の前の、あの時のメンタルを取り戻す。



「俺は……っ! 希咲 七海の彼氏だ……っ!」



 悲愴なまでの決意を表し、己をただそれだけの装置とする。


 拳から顔を離し、瞳に魔力を漲らせる。



 ほんの一瞬、左手から蒼い焔が漏れ出て、廊下の壁を焦がしたような気がした。


 気がしただけなら気のせいだろう。



 一度眼を閉じてからすぐに開け、弥堂は一定の歩調で廊下を歩いていった。

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