2章02 『4月28日』 ③


 希咲 七海は校舎を飛び出す。



 昇降口を出てすぐの数段の階段を一歩で飛び降りて、そのままシームレスに走り出した。



 彼女は現在、自身の親友である水無瀬 愛苗の行方を捜している。



 日に日に色んな人に忘れられていき、ついには両親にすら忘れられてしまうという怪奇現象に見舞われた愛苗を救うため、旅行中だった希咲は幼馴染たちを置いて一人で美景の地に帰って来ていた。



 と言っても、それは4月25日のことだ。


 紅月家が管理する東京から百数十キロほど離れた無人島を昼頃に出発し、魔力をストックした魔石を大量消費しながら海上を全力疾走するというJKにあるまじき力技で彼女は帰ってきた。



 その日の夕方頃には到着しそうだったのだが、美景まであともう少しという所で彼女はまた災難に見舞われる。


 どう見ても天使にしか見えない――そんな少女に襲われたのだ。


 不運な七海ちゃんはその推定天使とタイマンを張ることになったが、ギリギリどうにか生き延びた。



 しかし、その戦いで大量にあった魔石を使い果たしてしまったため、其処までのように海上を疾走して進むことはもう出来なくなる。


 そこで彼女は残りの距離を泳いでいくという更なるパワープレイに出た。



 そうして気合いでどうにか美景の港まで辿り着いたのだが、流石にそこで精も根も尽き果ててしまい彼女は気を失ってしまった。


 だが不幸中の幸い、予め付近にみらいさんが子飼いスタッフを配置していたので、希咲はそのスタッフによって保護・回収されることになった。



 それからほぼ丸一日眠ってしまい、目が醒めたのは昨日――4月27日に日付が変わろうかという時だ。


 日付を見て半ばパニックになった彼女はすぐに病室を飛び出そうとしたがスタッフほぼ総がかりで取り押さえられ、念のための検査を受けさせられることになった。


 検査結果を待つ間に送ったメッセージを弥堂に既読無視されたことはしっかりと根に持っている。



 幸い身体に問題はなかったので、点滴を毟り取り、病室の窓をぶち破って彼女は脱走した。


 それから知りうる限りの愛苗に所縁のある場所を回り、だが見つからず、それでも彼女は捜し続けた。


 ちなみに今日はそのまま完徹で登校している。



 学園に来るまでに殆どの目ぼしい場所は潰してきたので、ここが最後の望みのようなものだった。


 しかし、彼女が欲しかった成果はここにもなく、あったのは失望と絶望だった。



(どうして……っ!)



 校舎を出てから滅茶苦茶なルートを進んできた希咲は、校舎と校舎の間の狭い路地のような場所で立ち止まり歯噛みする。



 弥堂 優輝――



 水無瀬に繋がる手掛かりはもう彼しかなかった。


 なのに、その弥堂も水無瀬のことを忘れてしまっていた。



 弥堂からの返信が無かった時、最初は水無瀬と一緒に何か大きなトラブルに巻き込まれているのではと心配した。


 その次に、もしかしていつも通り、普通にメンドくさくてシカトしているのではと疑った。


 だが、そのどちらでもなかった。



 彼は愛苗のことをもう覚えていないから、だからきっと意味のわからないメッセージを送ってきた自分を不審がって、それで返事をしなかったのだと思った。



(ウソつき……っ!)



 先程捨て台詞のように彼に投げかけた言葉を心中でもう一度。



 ひどい言い草だ。



 彼だって別に忘れたくて忘れたわけではないだろうに。



 だけど――



(――どうしてだろ……)



 何故だか、彼は自分と同じように、愛苗のことを忘れていないと当たり前のように思っていた。


 忘れないでいてくれると、そんな風に思い込んでいた。



 だから、八つ当たりで、逆恨みでも、それでも感情を抑えきれなくなってしまった。



(失敗した……!)



 暴言を吐いて走り去る。


 あんなことをするべきではなかった。



 少しだけ冷静さを取り戻した今なら考えられる。



 今回の件、本人である愛苗を除けば、最も核心に近い場所に居たのは間違いなく弥堂だ。


 たとえ彼が愛苗のことを忘れてしまったとしても、今日までの日々の全ての記憶を失ったわけではない。



 この数日、一週間の期間の彼の行動について話を聞けば、そこから何か手掛かりが掴めたかもしれなかったのに。


 ただでさえ色々と気難しい子なのに、機嫌まで損ねたら余計に話を聞けなくなってしまう。



 初手でミスを犯してしまったことを希咲は激しく後悔した。



(戻って素直に謝ってそれで……)



 あんなヤツに頭を下げるのは業腹だが、親友の愛苗の為ならそれくらい何でもない。


 希咲は踵を返しかけて――



(いや――)



――すぐに思い直す。



 自分はボイコットしてきてしまったが、教室はもう授業が始まる。



(授業をサボってまであたしに付き合ってはくれないだろうし……)



 それに、他の生徒たちが居る場所では多分彼はまともに何も答えてくれない。


 彼にはきっと自分と同じように、ちょっと特別な事情がある。



 そして彼はそれを隠して生活している。


 周囲に不特定多数の人間が居る状況で、それに抵触するようなことは絶対に言わない。



 彼はきっとそれを誰にも打ち明けずにひとりぼっちで生きている。


 誰のことも信用せず、誰にも心を開かない。



(だけど――)



 自分になら、それを少し話してくれるかもしれないと思った。



 彼がまだ愛苗のことを覚えていた頃、この事件に一緒にあたる中で、彼は隠していた彼のことをいくつか話してくれていた。


 自分が普通じゃないとバレてしまうようなことまで。



 愛苗のことを人々が忘れてしまうという現象。


 しかし愛苗以外の部分の記憶はちゃんと残る。


 弥堂自身も言っていたが、他の人との積み重なった関係は多少細部に記憶の齟齬が起きても、しっかりと残ったままだった。



 だから今日までに積み重なった希咲と弥堂の関係も継続しているはずだ。


 ただ愛苗のことだけがすっぽり抜け落ちているだけで。



(そうよ……っ!)



 だからきっと、誰も居ない所で、二人きりなら、弥堂も話を聞いてくれるはずだ。



 理屈も勘も、そのように彼女に思わせた。



(それなら――)



 そうして建設的な方向に思考を向かわせた時――



「――よォ、七海じゃねェか」


「……は?」



 背後からガラの悪い声がかけられる。



 見覚えのある4人組の不良がヨタヨタとこちらへ近づいてきていた。



「帰ってきてたのかよオマエ。言えよ。水クセェなァ」


「…………」



 代表して話しかけてきたのは、同じ学年の猿渡という不良男子だ。


 その慣れ慣れしさと、思考を邪魔されたことで、希咲は不快げに眉間を歪める。


 そんな彼女の様子に気付かずに、猿渡はニタニタと笑みを浮かべながら寄ってきた。



「……なに? つか、名前で呼ぶな」


「アァ? 別にいーだろそんくらい」



 こっちの空気など一切読まずに彼があっけらかんと言うと、何がおかしいのか仲間内で顔を見合わせて下品に笑いだした。


 せっかく落ち着けた感情がまたささくれだつ。



 だが、こんなところでこんなヤツらとケンカしても意味がない。


 希咲は意識して深く息を吐き出し、歩き出す。



「アン? どこ行くんだよ」



 しかし当然のようにそれを邪魔してくる。



「どいて。あたし今忙しいの。あんたの相手してるヒマない」


「アァ?」



 相変わらずの塩対応に性懲りもなく彼らは苛立ちを露わにした。



(つーか、この間ぶっ飛ばしたばっかりなのにもう忘れたわけ……?)



 彼らが感じている以上の苛立ちと戦いながらそう考えたところで、ふと思いつく。



(そうだ。忘れるって、そういえば――)



「ねぇ――」


「アァン?」



 希咲は足を止めて彼らへ身体を向けた。


 いつもの彼女の対応からまさか立ち止まってくれるとは思っていなかったのか、彼らの方が若干戸惑った。



「ねぇ、あんた。猿渡さ」


「なんだよ」


「あんた、誰か狙おうとしてなかった?」


「は?」



 そしてその困惑は続いた希咲の言葉により深まることになる。



「カナに頼まれたでしょ? 誰か狙えって」


「ンだ? なんの話だ?」


「覚えてないの? トボけてんの?」


「い、いや、なんの話だか……」


「ホントに? 頼まれなかった? あたしの友達を、誰か、狙えって――」



 自分たちに向けられる希咲の目を見て、彼らはようやく今の彼女が尋常な様子でないことに気が付き息を呑んだ。



「まままま、待てよ……! オレたちマジでなんのことだか……、な、なぁ? ヒデ?」


「あ、あぁっ、サータリくん……! オレもマジでわっかんねェよ……!」


「…………」



 希咲は数秒ジッと彼らの顔を見て、それから険を緩めた。



「――そ。ならもうあんたに用はないわ。じゃね」



 そっけなく告げながら踵を返す。



 彼らももう軽口は叩けずに黙って硬直したまま立ち尽くす。


 揺れる彼女のサイドテールが離れて行くのをただ見送った。



 歩きながら希咲は次の算段をつける。



(授業終わるまで待ってても時間がもったいないし……、明日はまた休日だし……)



 先に自分は街で愛苗の捜索をし、放課後を見計らって彼を訪ねた方が効率がいいかと考える。



(まるであいつみたいな考え方)



 ほんの少し苦笑いが漏れる。



(でも、それでもベツにいい――)



 もはや何でも構わない。



(愛苗が見つかるんなら、なんでも――)



 これこそまるで彼のようだが、しかし――



(手段なんて選んでる場合じゃない……!)



 ムカつくクズ男に頭を下げることも、媚び媚びでお願いすることも厭わない。


 それどころか――



 希咲にも、弥堂のように隠している普通でない事情がある。



 彼に話を聞くために、自分が先にそれをぶちまけてしまっても、もはや構わない。



(みらいとも連絡とらなきゃ……)



 彼女が雇っているスタッフを何名か捜索に回してくれると言っていたし、街に設置されている彼女の会社が作った監視カメラの映像をどうにか入手してみると言ってくれていた。


 おそらくとんでもない額のお金を使わせてしまったかもしれないが、今はそれを気にしている場合じゃない。



(やれること……、なんでもしなきゃ……!)



 トッと――



 軽く地面を蹴って跳び上がる。



 短いスカートと長いサイドテールを翻して、希咲は学園の塀を飛び越えて外の世界へと戻って行った。

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