1章裏 outroduction
廃病院の敷地を出て国道に合流する。
その寸前に俺は素早く目線を振って周囲を確認した。
日曜日の昼過ぎだが、この敷地に入った時と同様に車通りも人通りもない。
目撃者は居ない。
おそらく昨日の出来事が原因だろう。
街にゾンビが大量発生するなどという、パニック映画さながらの冗談のような出来事があったせいだ。
元々市内に外出禁止令が敷かれていたのもそれに合わさって、今日は流石に馬鹿な市民どもも外出を控えているようだ。
もっとも、直接アレを目撃したのは限られた数だろう。
そんな中でどれだけの市民が昨日の事件に関する真実を正確に認知しているのかは怪しいところだ。
情報統制は当然行われるだろう。
しないわけがない。
しかし、インターネットが発達したこの世界で、情報が広まるのをゼロに食い止められるかは非常に難しいだろうな。
本来であればそういった物に頓に触れて覚えるべき十代の時期を、異世界で鈍らな剣を振り回して過ごしてしまった俺は、その間にこっちの現代社会にすっかりと蔓延っていたITやそれに関連する機材などに関する一般常識程度の知識すらも寡聞にして知らない。
メールやメッセージ、チャットなどはギリギリどうにかイメージ出来たが、SNSなどさっぱりだし、なんならスマホでの写メの撮り方すらわからなかったくらいだ。
しかしそんな俺にでも、SNSでの完全なる口封じは不可能だとわかる。
情報統制は0にも100にもならないだろう。
0と100――どっちに近づくかで、この街や国を統治する組織どもの実力の程が知れる。
連中にとっては腕の見せ所だ。
その組織の中の一部である行政や警察が出していた今回の“外出禁止令”は、本来は『市内に猛獣が潜んでいる可能性がある為』――だった。
そんなタイミングであんなバケモノどもが街に攻めこんできたら、何も知らない市民どもの妄想はアレコレと捗ることだろう。
今頃は非常にクリエイティブな陰謀論が飛び交っていることが容易に予想出来る。
猛獣が街に逃亡した疑いがある――たかがそれだけのことを公表するのも警察や行政は渋った。
その点から考察してみると、今回の事件の真相などとても公表出来ないだろうと予想する。
言ったところで信じてもらえないだろうし、狂ったと見做されて多くの首が挿げ替えられることになるだろうから、ある種仕方ないことでもあるが。
情報統制下に於いて、市民どもに好き勝手に妄想を垂れ流されるのは基本的には好ましいことではない。
しかし今回のケースに於いては、連中には逆に好都合なことかもしれない。
それらの妄想のどれよりも真相の方がファンタスティックだからだ。
記者会見場で事態の真相を説明しますと言ってメディアを集め、まるで新作の映画のプレゼンような笑えない四方山話を多くのカメラの前で真顔でするよりも――
市民にはそれぞれで好きなように、素人の思いつける程度の妄想を勝手に一方通行で発表してもらっていた方がマシかもしれない。
そのまま自分たちの発信する誤情報で勝手に誤解してもらっていた方が好都合なように俺には思える。
おそらく現在は――
警察や行政が市民に外出を禁じ警戒態勢に入った。
そうしたらゾンビが街に攻めて来た。
警察や行政はそれを知っていたに違いない。
まずこのように誤解され――
いやいやゾンビなんてそんなわけがないだろうと誰かが言い――
――そして今頃は、より現実的に近づけるべく、在り得そうなだけで実際には存在していない証拠に基づいた出所のない根拠とこじつけて、そうして様々な陰謀に進化していることだろう。
誤解を誤解で上塗りしあって彼らは勝手に真実から遠ざかっていく。
実に模範的な市民であり、この国の民に保障された知る権利とやらは実に素晴らしいと評価出来る。
存在しない真実を知って勝手に満足してくれるのだから。
ただ、そんな状況下で――
ただの一個人に過ぎないはずの俺が、その最初の誤解に該当する件の真相を知っている。
知ってしまっている。
例えば、アレはゾンビではなく魔術学的には
さらに、元々の『猛獣』の正体も魔物なので、実は一番最初の『魔物のために街が警戒態勢になった』ということもあながち誤解ではなく、なんなら『猛獣』も『ゾンビ』も同じ黒幕が仕掛けてきたモノであると――そんなことまで知っている。
そしてその黒幕が、これまた架空の存在であるはずの悪魔だということまでも。
仕掛ける側に守る側。
そのどちらの組織や勢力にも属さずに、それを知ってしまった個人。
それが俺の立ち位置だ。
ダラダラと生活していた報いだと自覚してはいるものの、それでも面倒な場所にうっかりと立ってしまったものだ。
俺は自分への呆れから一つ嘆息し、そして国道から角を曲がった。
この道は山側へと伸びて、目的地である美景台総合病院に繋がっている。
淀みなく足を進めていく。
思考を戻す――
自業自得のうっかりではあるし、己の業からくる面倒ではある。
だが、それで俺がこれからこの件について放棄したり手を抜いたりすることはない。
気分によってパフォーマンスが左右されるのは三流の仕事だ。
因って、俺は今後は上記の組織たちのことも意識しなければならない。
連中が今回の事件をどこまで掴んでいるのか。
俺と同じだけのことを知っているのか。
俺以上のことを知っているのか。
そして俺や水無瀬を認知しているのか。
これまで無視して避けてきた連中の動向を意識することが、これからはタスクに含まれる。
何故なら――
猛獣、ゾンビ――それらの正体である魔物。
それらを嗾けた悪魔という種族。
先に述べたとおり、これらの存在を知ってしまっているからだ。
これらは国や人を管理する側からすれば、一般国民に知られてはいけない事項のはずだ。
さらに――
人知れずそれらを討ち滅ぼした者の正体までをも俺は知ってしまっている。
そして、なによりも――
その正体不明の人物を守ることが、俺の目的と為ったからだ。
ひょんなことから魔法少女に為り、悪魔や魔王に為りかけながらも、必死に街を守った少女。
その結果、代償として、誰でもなく為ってしまった少女。
その彼女を守る為には、彼女を正体不明の人物のままにしておくことが望ましい。
少なくとも今は。
この世界の国や社会が、俺の知っていることについて、どこまで知っていて、どこから知らないのか。
そして、俺自身の方も、この世界の国や社会について、どこまで知っていて、どこから知らないのか。
まずはこれらを把握すること。
それが、これからを始めるにあたって、俺に――俺たちにはとても重要なことになる。
“これから”――とは。
文字通り、今日から、明日からの俺たちの生活のことだ。
俺と水無瀬は――
弥堂 優輝と水無瀬 愛苗は、ある意味似ていると謂える。
同じ境遇であるとも謂えるかもしれない。
俺と彼女は、誰でもなく為ってしまった人間だ。
俺はもう随分と前に。
水無瀬は昨日を境に。
うっかり勇者などに為ってしまったせいで異世界なんかに行ってしまい、そのせいでこっちでの社会的立場を失ってしまった俺と――
うっかり魔法少女などに為ってしまったせいで誰からも思い出してもらえなくなり、『世界』で存在の意味を失ってしまった彼女――
昨日までなら認めたくなかったが、今なら抵抗なく『二人は似ている』と受け入れることが出来る。
現状の立ち位置が同じ場所であることも共通点だが、もう一つ――それが自業自得であるということも似ている点だ。
俺は勇者に――
水無瀬は魔法少女に――
自分より大きなチカラを持った他の存在に運命を弄ばれそう為ってしまった――
仮に俺たちの身の上話を聞いた者がいたら、もしかしたらそんな風に俺たちのことを誤解する者も中には居るかもしれない。
だが俺にも水無瀬にも同情する必要はこれっぽっちもない。
俺も彼女も、こう為ってしまったのは完全に自分の責任だからだ。
俺たちには確かに、強制され、騙され、促された部分はあったかもしれない。
だがそれでも――
――俺たちは願ってしまった。
世間知らずのバカなガキの時のことではあるが、
勇者に為りたい――
魔法少女に為りたい――
――そんな風に、確かに自分自身で、先に“そう”願ってしまったのだ。
その果てにある現状は、ある意味願いが叶った現実とも謂えるだろう。
だから俺たちは通って来た道も、具わった加護も、完成した人格も――
なにもかもベツのモノではあるが、しかしお互いに自業自得であり、似た者同士なのだ。
それは認めなければならない。
もっとも俺の方は、異世界に行き弥堂 優輝でなくなり、強制送還されて勇者でもなくなり、かといってこっちの社会に順応できずに元の生活にも戻れない始末で、水無瀬よりもよっぽど情けない。
自分で言うのもなんだが、犯罪者や不法入国者と変わらない有様なので、むしろ彼女の方が一緒にされたくないと感じるのかもしれない。
まぁ、“あの”彼女のことだ。
思ってても言わないどころか、そんなこと思いつきもしないのだろうが。
ともあれ――
そんなハグレモノ同士である俺と水無瀬の“これから”が始まり、当分の間は共に歩いていくことになる。
そして、“これから”があるのなら、“今まで”がある。
その二つの境界線となるのが昨日の戦いだろう。
俺も水無瀬も、あの戦いを境にして
その
自分の中でどっちの意味で処理しようとも、事実として決別が確かにあった。
もう元には戻れない。
それはある意味で、ケジメがついたということにもなる。
これまでとは何もかもが違う新しいこれからを始めるにあたって、おそらく必要なことだったのだと思う。
望まずともそのケジメがついてしまったので、俺と水無瀬は今日から、明日から、もしくは彼女が目覚めてから、これからを始めていくことが出来るだろう。
しかし、それが出来ていなかった者がいる。
それがあの悪魔だ。
今しがた、廃墟の中でしてきたことは、悪魔メロ――彼女に強制的にケジメをつけさせたことになる。
彼女だけは何も失っていないので、自分と俺たちが境目を越えたことをわかっていなかった。
それはメロ自身が口にしていた『何もかもこれまでどおりに』という言葉が証明している。
これは今更改めて頭の中で確認するまでもないことなのだが――
さっきあの悪魔に対して行ってきたこと。
あれは能天気に空気を読めていないメロに対して、脅すフリをして現状を正しく認識させる為に行ったことではない。
さらに、実力不足の彼女に対して成長を促す為にわざと厳しく振舞ってみせたということでもない。
あの場で口にした俺の言葉にはほとんど嘘はない。
彼女は水無瀬の為の精神安定剤だ。
それ以外の有用性はない。
だから、メロに直接言ったとおり、他の部分でデメリットが上回るようならいつでも処分するつもりだ。
どちらかというと今日で殺すつもりの方に傾いてもいた。
あの悪魔を監視し、ある程度行動を制限する為に使い魔にすることを俺は計画していた。
そして昨日のうちにさっきの廃墟に仕込みをしていた。
実際に彼女を詰めてみて、想定以上に使い物にならなそうだと判断したら殺すつもりで、それ以外にも使い魔にしようとして失敗したらその時も殺すつもりだった。
悪魔を使い魔にする魔術。
ルナリナ仕込みの魔術であり、あっちの異世界では然程珍しくもない魔術だ。
だが、あれは彼女が行うから簡単に成功するものであって、俺の魔術の腕前と魔力のポテンシャルでは成功率が極端に下がる。
だから周到に魔法陣を予め用意しておいたのだ。
悪魔との使い魔契約で肝になるのは上記のとおり魔術の腕と魔力だ。
その二つによって超えなければいけないものがある。
それは種族間にある存在するチカラの格差だ。
悪魔メロゥ=ネリィーズ。
彼女は悪魔としては三下もいいところだが、それでもニンゲンと比べた場合基本的には悪魔である彼女の方が格上になる。
悪魔はニンゲンよりも格が上――そう『世界』がデザインしている。
大魔導士であるルナリナはニンゲンの枠組みの中では外れ値にあたる個体なので、魔術とそれを運用するための魔力により使い魔の契約魔術を実現させている。
水無瀬はそのルナリナが比較にならないレベルの異常個体だ。もしも彼女が使い魔を欲したならば魔術すら必要ないだろう。
逆に、俺はそうではない普通の人間レベルのクズなので、魔術を使ったところで成功率は高くない。
生まれながらに済んでいる魂の格付けを魔術だけで超えられないのならば、他の手段も用いればいい。
それが異世界で実験して覚えたことであり、今回も俺が実行したことだ。
その手段とは何かというと――
そう画期的な発想や方法でもないので申し訳ないのだが、方法は単純――
――心を折ることだ。
人間はその生命と存在の維持を肉体に依存している。
肉体が弱れば死ぬ。
対して、悪魔はその生命と存在の維持を精神に依存している。
だから精神が弱れば死ぬ。
つまり、メンタルの不調がそのまま存在としての強度に影響をしやすいということだ。人間よりも遥かに大きく。
使い魔の契約は、契約時によりイニシアチブをとっていた者が上位者となって契約が結ばれる。
その優位性に圧倒的な開きがあると、下位の立場で契約した者はほぼ奴隷のようなものとなる。
だから基本的に、元々上位の存在である悪魔側に圧倒的に有利な儀式なのだ。
悪魔には物好きも多い。
自分が不利な立場になることを面白がって自らそれを受け入れて契約をする個体も多いそうだ。
だが今回は違う。
明確にメロは契約に後ろ向きで、むしろ拒絶さえしていた。
その彼女に無理矢理不利な契約を押し付けるには、人間でいえば人格にあたるモノが崩壊する寸前にまで追い込んでやる必要があると考えていた。
もしかしたらそれによって後々不具合が生じるかもしれないが、どうせ契約失敗すればその場で殺すつもりだったので、それは大した問題ではないとも考えていた。
むしろ――
あの悪魔にケジメをつけさせることと、契約の為にカタに嵌めてやることが同時に行えるので非常に効率がいいとさえ思っていた。
そして結果的に、契約は成功した。
ほぼ100、俺に有利な状態で契約が成立している。
メロ本人にも言ったとおり、これでメリットとデメリットを測る天秤がプラマイゼロで釣り合った状態にはなった。
つまり、差し迫って殺す理由がなくなったので、仕方なく殺すのをやめた。
だが、この先で、その天秤がマイナスの方に傾くようなら、いつでも彼女を殺すつもりだ。
“使える”のなら生かしておいてやるのだが、あの悪魔では時間の問題だろうな。
どうせ使い魔にするのなら、俺の中で“使える女”筆頭である学級委員長の野崎さんのような人が理想だが、俺程度では彼女とは契約出来ないだろう。
逆にイニシアチブを握られてしまいそうだ。
ちなみに、使い魔にすると何が出来るのかだが。
実はそれほど多くはない。
一番多い使い道は、使える魔力を制限することによって行動を制限したり、逆にこちらの魔力を供給して強化したりすることだ。
だが俺には他人に提供するほどの魔力はない。自分が生きるだけで精一杯だ。
それに戦闘に適さないあの悪魔を強化したところでたかが知れているだろう。
あとは命令に強制力を持たせることだ。
これに関しては命令をする側に相当有利な契約でないと難しい。
今回はその有利な契約を結べてはいる。
今なら彼女に『自殺しろ』と命じれば実行させることが出来るかもしれない。
だが、おそらくそれは後に難しくなるだろう。
今はかなり魂を揺るがすところまで追い込んでいるが、時間とともにメロが余裕を取り戻せば俺の有利性は今よりも失われることになる。
だからちょくちょく虐待をして定期的に弱らせることでそれが維持できるのかもしれないが、そんなことをしたら本当に使い物にならないところまで壊れてしまうかもしれない。
何より――
そんなことをしてまで自殺の命令をするよりも、直接殺した方がはるかに効率がいい。
だから、これも実質無いようなメリットだ。
他には契約をした個体によって特殊な能力があったりもする場合があるが、あの個体にはあまり期待出来ないだろう。
こう並べていくと使い魔などにする意味がないように思えるが、一応メリットもある。
メリットというと副産物のような効果に聞こえてしまうが、どちからかというとこれが主目的に近い。
それは彼女を監視するためだ。
先程メロ自身にも言った通り、俺はあいつを信用していない。
いつか必ず裏切るか、こちらを破滅させるような失態を犯すと思っている。
それを最大限防ぐために監視をしやすくする。
その為の使い魔契約だ。
使い魔の契約とは、互いの“
魔術的に回路を繋げている状態とも謂える。
それが俺にどこまで扱えるかはわからないが、契約相手の動向を掴みやすくなる。
だからこそ――
俺は彼女のことを“共犯者”と呼んだ。
廻夜部長はどこか人生のパートナーを表すような語り口で“共犯者”と語っていたが、きっとこのことを暗喩していたのだ。
あの時の彼のこの言葉が無ければ、俺はこの手段を思いつかずにさっさとあの悪魔を始末していたことだろう。
さすがは部長だ。
共犯者――
罪過を共にし結託して隠し通す関係。
俺たちはこれから協力して徹底的に水無瀬を真相から遠ざけていく必要がある。
彼女が目覚めてみないとそれが実際にどれほど大変なものなのかは判然としないが、しかしそれは度合いの問題で、やること自体は変わらない。
真相に近づけば近づくほど危険に近づくことになる。
水無瀬を守るためには、彼女には危険から遠ざかっていてもらいたい。
可能な限りそれを実現するために、これから俺とあの悪魔は水無瀬を騙し続けることになる。
その“嘘”を通すことこそが、『彼女を守る』と口にした俺たちの見せるべき“誠意”ということになる。
たとえ欺いていようとも――
それが仮初のまやかしであろうとも――
――結果として彼女の生命が守られているのなら、目的は達成されていることになる。
つまり、俺とメロは、その“嘘”の罪を共にする関係だ。
お互いがお互いの為に秘密を隠し続ける。
しかし、それは同時にお互いに弱みを握り合うことにもなる。
これから俺たちはその弱みを握り合い、お互いを疑い合い、監視し合いながら、目的達成のためのプロセスを共に歩んでいく。
目的が達せられるか、どちらかが死ぬまで。
その途中でヘマをした者は見殺しにすることも出来るし、直接始末することも許される。
実に快適で健全な関係性だ。
そして、ここでこれまでのことにケジメがついて、話が戻ってくる。
俺たちのこれから――
まず、一番ではないが優先度の高い事項が、先程考えていた現状の把握をすることになる。
その現状には様々なものが含まれてはいるが、まぁ、早い話――
――敵だ。
敵は誰なのか。
何処に居るのか。
最終的にはこれに直結する。
昨日の戦いを経て、俺たちの“これまで”にはケジメがついたとは言ったが。
じゃあ、あれで戦いは終わったのかというと、全くそんなことはない。
魔法少女計画だか魔王計画だか知らないがどちらにせよ、それを主導していたアスは『
悪魔という種族の特徴から考えると、まるで国家プロジェクトのように本当に全ての悪魔が参加しているとは考えづらいが、おそらくまだ居るはずだ。
昨日の戦場に来ていた連中は皆殺しにしてやったが、あれが悪魔という種族の全数では当然ないし、アスの口ぶりから想像できる規模の大きさだと計画の参加者はまだ居るように思える。
居ない可能性もあるが、わからない以上は居る方で想定しておくべきだ。
居るか居ないかについては本当に読めない。
というのも、そもそも俺の知識にある悪魔というモノは、個体の強弱に関わらず基本的に個人主義で自由主義であることが多いはずだ。
当然、そんな主義は人間の社会で発生した思想なので、ヤツらがそれに系統し傾倒しているわけではない。ただ、それに近しいという意味だ。
だから今回のケースのように、あんな風に大規模に組織立って綿密に計画を立てて統制された行動をとる――なんていうのは聞いたこともない。
俺の悪魔に関する知識は二代目のノートに書かれていたものや、エルフィーネやルナリナに教わったものがほとんどだが、それに照らし合わせると在り得ない事態が起こっているとさえ謂えるだろう。
こんなことをアカデミックに被れたルナリナに話したらきっと『空想が過ぎる』と馬鹿にされることだろうな。
だが空想とは、本当にただの頭の中にだけある妄想である場合と、まだ一度も起こったことがない現実である場合がある。
今回は後者であると備えるべきだし、その可能性が高いと俺は考えている。
そう考える理由として――
異世界で完成してしまった俺という人間の性質もあるが、なにより――
今の俺は『サバイバル部』の部員だからだ。
通常では決して起こり得ない、可能性がゼロに近いとも謂える非常事態や異常事態に備える。
それがサバイバル部の基本理念となる。
廻谷部長の掲げるこの理念に俺は共感している。
それは異世界で培われてしまった俺の考え方に非常に近く、また、俺自身が実際に異世界転移なんて恥ずかしいことをしてしまった身の上だから文字通り身に染みている。
だからこそ俺は彼のオファーを受け入れて入部したのだ。
今日これまでの間、部長の言う時折突拍子の無いような事までも、実際に現実に起こってきた。
今回の水無瀬の一件もそれに該当する。
『普通の高校生として平穏な日常を送っていた僕がある日突然魔法少女と出会った件』――だ。
まさにこの通りの空想が現実のものと為った。
これを聞いた
しかし、部長には――
恐るべき神算鬼謀、恐るべき千里眼だ。
俺が不出来なせいで何度も課題のやり直しを命じられてしまい、議論の進行は遅れ、結局事件が終わった今も俺は提出を出来ていないが――
しかし、それすらも彼の想定内の物事なのだろう。
さすがは部長だ。
それに比べてギャルとは本当に馬鹿なんだなと、俺は冷笑しあの女を見下す。
そしてついでに、異世界の大魔導士も部長に比べれば失笑もののカスみたいなものだと嘲笑っておく。
病院へと進む道が徐々に傾斜しているのが足で感じられた。
俺は歩調を保ったまま坂を登っていく。
部長が何故俺にこの件を対応させたのかまではわからない。
だが、きっと部の為に必要なことだったのだろう。
それが何か――ということも俺にはわからないが、あの饒舌な部長が説明していないということは、知る必要のないことなのだ。
ただの一兵卒には思考も思想も必要なければ知能すらも必要ない。
ただ目的の為の装置でさえあればいい。
部長はこれまでに、こうして俺を導きはしたが、しかし目的そのものは与えてはくれなかった。
いつも多くは語るが全てまでは語らず、最期の決断を俺に強いる。
だが、それでも、俺はここでようやく目的を見出すことが出来た。
一人の少女を守ることだ。
その為に必要なことをこれからしていく。
弥堂 優輝という存在を、ただそれだけの為の装置とする。
過去との決別とは謂ったが、向かう先が変わっただけで、その道中でやることは何も変わらない。
俺は何でもする。
水無瀬を守るためにどんなことでもする。
その目的のために手段は問わない。
俺という盆暗は人を守るということに、人間性的にも能力的にも向かないが、それでもやると決めたからには例外なく何でもするのだ。
なに、こんな俺でも、異世界で魔王をぶっ殺してくることも出来たんだ。
今回も同じように出来るだろう。
なにせ――
――やることは変わらないのだから。
守るということ。
それがどういうことかと考えると、まず危険を退けてその生命を守ることだ。
つまり、敵がいる。
彼女を脅かす存在が。
その敵を皆殺しにしてしまえばきっと彼女は守られるだろう。
言葉にすると単純だが、実際にはもう少し複雑だ。
ここでぶつかるのが、先程挙げた通り、その敵とは何処の誰なのかという問題になる。
悪魔の残党、もしくは本隊にあたる戦力があるのかどうか。
これはこれからの長い期間、俺たちに付いて回る問題になることが予想される。
人間を唆して魔法少女とし、魔王に変える。
もしもこの計画がまだ生きていて、それを推し進めようとする奴が居るのなら。
今後水無瀬をまた狙ってくるだろう。
なにせ実際に一度成功したんだ。
アスの口ぶりでは素体は選ぶように受け取れた。それも、かなり。
ようやく見つけたとまで言っていた。
だったら、魔王にまで至れることが保証されている――そんな優秀な個体を狙ってこないわけがない。
そうでなくとも、今回俺がかなりの数の悪魔を殺害し、奴らの中での要人にあたる魔王までをも一体ぶっ殺してしまった。
仲間や魔王を増やすための計画だったのに、奴らは逆にそれらを減らすことになったわけだ。
悪魔にも上位存在としての面子はあるだろう。
単純な報復行為に出ることだって十分に可能性はある。
まったく、うっかり魔王を殺してしまうのはこれで二回目だが、本当に碌なことにならない。
まぁ、これは俺の問題であって水無瀬には関係ないことだが。
ともかくとして――
――だから、俺たちの敵の候補としてはまず第一に悪魔という種族そのものとなる。
奴らとどちらかが滅ぶまで戦い尽くしたら、まぁ、まず敗けるだろう。
数の上でも敗けているし、なんなら個で俺たちを上回るヤツが現れる可能性だってある。
まず勝ち目はない。
だが目的は戦って勝つことではない。
第一優先であり唯一無二の目的は水無瀬 愛苗の生存だ。
彼女の生命が継続されてさえいればとりあえずは及第となるし、逆にその点だけは死守せねばならない。
もしもの時は水無瀬をまた魔王にしてしまえばいい。
戦って勝てないのなら相手の戦う理由を消してしまえばどうにかなるだろう。
悪魔の上下関係は存在の強度で決まる。
彼女ならそう悪い扱いを受けないだろう。
その際、俺とメロは殺されるだろうが、それは大した問題ではないので別に構わない。
水無瀬さえ生きていればいい。
そうすると彼女はもう人間でなくなってしまい、俺やメロという僅かに残った自分を覚えている者を失うことになるが、死ぬよりはマシだろう。
人によってはそんな環境で生命だけ残っても意味が無いと非難するかもしれないが、それを決めるのはそいつでもなければ俺でもない。
決めるのは水無瀬だ。
そうなった時に彼女本人がどう感じるかに委ねればいい。
つまり、彼女の気分次第の問題を俺が考える必要などない。
そんなことは知ったことではない。
悪魔も悪魔で今後も水無瀬の魂を揺さぶる為に、あの手この手の嫌がらせを考えてくるだろうが、俺も俺でその手段を用意しておかなければならない。
その時は今回手に入れた使い魔が役に立つことだろう。
俺の死はもう一度見せてしまった。
もう一度同じことをして効果が同じだけ得られるかは不明だ。
もしも水無瀬を魔王にする為に、彼女の存在の根幹を揺るがすほどの衝撃を精神に与える必要が出たら――
その時はメロや彼女の両親に、希咲でもいいか。
水無瀬の目の前で上記の者たちの誰か――若しくは全員を拷問し、惨たらしく殺してみせるのが最も効果的だろう。
いざという時はそれも手段の一つとなる。
今のところ積極的にそうするつもりはないが、手札として懐には常に隠し持っておく必要がある。
だから――
悪魔というのは敵としては与しやすい相手だと考えられる。
当座の対応や対策の方針としては今考えている通りで概ね問題ないだろう。
なら、大きな戦いが終わった直後の今の俺たちは、当面は安泰なのかというと、それもまったくそんなことはない。
悪魔は敵だ――それは間違いがない。
しかし、敵は悪魔だ――というのは違う。
それは全くの間違いではないが正確ではない。
悪魔は敵の候補の一つだ。
既に敵対した後なので、その中の筆頭候補ではあるが、しかし一部に過ぎない。
現在俺に思いつける程度でも、大きく分けて他にあと二つほど仮想敵が考えられる。
悪魔が候補①だとすると、他に②と③が存在している――もしくは潜在的に存在している。
今現在敵対しているわけではないが、今後そうなる可能性が高いという意味だ。
勢力として最も強大なのは候補①である悪魔だろう。
しかし、それはあまり問題にならないと現在判断している。
候補②は、勢力としては小さなものだが、存在としては最も強力だ。
敵対する可能性は最も低いが、実際に戦うことになったら、相手にとって俺などまったく問題にならないだろう。
そして候補③。
これは勢力としては①よりも弱く、個体ごとに見ても②よりも遥かに弱い。
だが、①よりも②よりも、遥かに脅威的で、遥かに恐ろしい連中だ。
何よりも――敵対する可能性が著しく高い。
悪魔なんかよりもよっぽど、俺たちはこいつらを警戒せねばならない。
必ず敵対することになると、俺は確信している。
現状②のことは考えなくていい。
これはなるようにしかならない。
だからまずは候補①――悪魔の出方を窺いつつ、最大限③を警戒する。
③とは可能な限り長く敵対するタイミングを遅らせたい。
理想としては俺たちの存在を隠し通したい。
しかしそれは不可能だろう。なんならもう気付かれている可能性だってある。
時間の問題でしかない。
必ず戦う時がくるだろう。
そしてその時に、もしくは③と戦う日々の中で――
――必ず俺は②と戦うことになる。
俺が弥堂 優輝である以上、絶対に避けられないことで――
彼女が水無瀬 愛苗である限り、必ずどこかでぶつかる問題だ。
そしてそれは、俺という――弥堂 優輝という人間の運命とも謂えるような業なのだろう。
そう為るように『世界』がデザインしている。
だから、ただ受け入れ、ただ目的を達する為に必要なことを実行していくだけだ。
気負いはない。
これまでしてきたことと何も変わらない。
騙し合い、隠し合い、訝り合いながら、殺し合うのだ。
以前に与えられて既にお役御免となっていた台詞をそのまま使うだけ。
違う
じゃあ、その敵候補③と敵対するとしたらどういった状況が考えられて、その先兵となるのはどういった連中か。
そう具体的な部分に思考を回し、思わず力のこもった爪先で登り坂を一歩、二歩と踏んだところで――
瞬間――
――その思考の全てが吹き飛ばされた。
不意に風が吹き抜ける。
空間は桜色に包まれた。
ピンク色の細々とした無数の欠片たちが俺と擦れ違う。
その現象が俺に一人の人物を想起させる。
(まさか水無瀬になにか――)
反射的に心臓を撥ねさせて全身を巡らせた血から生まれた魔力を魔眼に送り込む。
俺の眼に宿った加護である【
――寸前で、俺は自分の勘違いに気が付き魔眼の運用を止めた。
なんのことはない。
今しがた俺と擦れ違ったのは桜の花びらだ。
水無瀬の魔力光の残滓ではない。
周囲を見れば、登り坂の途中から病院の正門前まで続く桜の並木道に入っていたようだ。
山から吹き下りる風が俄かに強くなり、落ちた花びらを攫って来ただけのことだ。
嘆息しながら俺は足を止め、頭上の桜の木を見上げる。
ここの桜は学園のものに比べて散るのが早かったようだ。
枝には花がもうあまり残っていない。
足元に目を向けると地面には無数の花びらが敷き詰められている。
それを踏んでいる自分の爪先から僅かに力を抜いた。
ここら辺は、学園の正門から昇降口まで伸びる並木道と似たような風景だ。
それのせいか、現在の現象から受けた印象に紐づいた記憶が勝手に再生される。
思い出すのは、4月16日。
部活の朝練が終わり、HRの開始に合わせて2年B組の教室へ向かっていた時のことだ。
一年生校舎から繋がる二階の空中渡り廊下から昇降口棟へ踏み入った時。
誰かが開けっ放しにしていた窓から吹き込んだ風が、廊下の中を桜色に染めた。
ちょうど今の目の前の光景のように。
いくら過去などどうでもいいと嘯いてみても、たとえ決別をしたとしても、消えて無くなりはしない。
それは記憶として、魂の一部として、己を構成する一欠けらとして、生命続く限り残り続ける。
だからなにかのきっかけにふと、思い出してしまうことはある。
望もうとも、望まずとも。
だから、それは仕方がない。
生理現象のようなものだ。
風が止んで、俺はもう一度頭上の桜の枝を見上げてみた。
目線の先、視点を合わせた場所――
疎らに残った花から、また一枚花びらが落ちる。
生命が潰える光景――
それがこの眼に映った。
ゆらり、くらり――
悩むように、迷うようにしながら、しかし何処へ向かうことも出来ずに下に落ちてくる。
頭上から俺の眼前を通り過ぎて地に墜ちた。
枝上で咲いている間――天を彩っている間は愛され持て囃されるのに、こうして地に墜ちた瞬間にそれが変わる。
地を汚すものとして扱われ疎まれる。
今のまだこの瞬間なら、花びらの色カタチ、状態に然程違いはないのに。
空から地に落ちた瞬間に美しい生命はゴミに為る。
花びら自身に過失はない。
全てはそれを見る者の感情次第だ。
人間は――俺たちは、驕っていて、非道く浅ましい。
靴の前に落ちた花びらをそう見下していると、また一枚花びらが、俺の眼前をゆったりと通過する。
俺はなんとなく足を動かした。
「…………」
左足の爪先、その上に乗った花びらを視る。
空に居る時は花で、地に落ちたらゴミ――
それなら今のこの状態はなんなんだろうか。
そんなことを考えて――
「ハッ――」
こんな行為こそ驕りであり浅ましさだと、自嘲する。
自分自身を鼻で嘲笑い足を振ってゴミを捨てた。
所詮そんなものだ。
それを誰も咎めないし、当然『世界』も歯牙にもかけない。
腐った死体を一週間も抱き続けている方がどうかしているのだ。
驕る浅ましき者を愚か者と呼ぶ。
人間は愚かで、そして俺はその愚かな人間だ。
その答えはもうとっくの昔に出ている。
今更考えることではない。
そういえば――
これも今更の話だが、あの時の渡り廊下で視た光景は自分自身の未来の示唆だったようにも受け取れる。
現実に起こり偶然見かけただけの現象を自分自身に繋げて関係づける行いはあまり好ましくはないが、無理矢理思考を切り替えようとしたら、今頃思いついてしまった。
思いついてしまったのなら仕方ない。生理現象なら許される。
授業中にションベンをしに便所に行くようなものだ。
だから少しだけ考えてみようと思う。
今回の一件――事件をどう受け止めるかによって少し変わる。
俺自身のどうしようもない過去との決別として処理するか――
それとも魔法少女水無瀬 愛苗との出逢いとして処理するか。
実際はどっちでもあるので、そこに拘っても仕方ないか。
血に堕ちて横たわる死に別れた花たちを踏み越えた先――
流れ着いた場所の空に咲いていた花――
それすらも散って頭上に降り注ぐ――
気紛れに差し出した掌の上に、花びら一枚だけが残った。
そんな風に見ることも出来なくもない。
だが、所詮はただのこじつけだ。
総て、全く関係のない出来事だ。
何故なら――
花に意思はなく――
風に意思はなく――
そして――
『世界』に意思はない。
神など何処にもいない。
それらは誰も俺のことなど見ていないし、知りもしていない。
俺についてなにも思っていない。
俺のことを意識して起こされた現象ではないのだ。
だから――
こういった思考や認知はまったく意味の無い
愚かで浅ましい不必要な恥ずべき行いだ。
地面に唾を吐き捨て、足元を汚すゴミを踏んで俺は歩き出す。
必要なことに戻る。
世の中不必要なモノだらけで反吐が出るぜ。
結局――何故今更になって勇者のチカラが俺に目醒めたのだろう。
これは必要な思考だろうか。まあいい。
考えてしまったので続ける。
何故使えるようになったのかという疑問を、何故今まで使えなかったのかという風に置き換える。
ではそれは何故かといえば、資格を満たしていなかったからだと聖剣の管理者であるエアリスフィールが言った。
資格とは『強く守りたいと思うこと』だそうだ。
馬鹿げているとは思うが、それで実際に使えるようになってしまったのだから受け入れるしかない。
では、俺が何を守りたいと思ったのかというと、それは水無瀬だ。
俺は水無瀬 愛苗を守りたいと思っている。
本当にそうか?
自問するが、考えるまでもなく答えはノーだ。
ノーだと、思う。
今日になってもやはり俺にその自覚も実感もない。
そんな気持ちはこの身の中に無いと思うし、そういう気持ちがわからない。
だが、昨日戦場で出した結論と同じになってしまうが、実際にそういう現象が起こっている以上そういうことなのだろう。
これも気のせいの内なのかもしれない。
物語などでもよくある。
一人の人物に対して好きだと思っていたが、時間が経ってそれが勘違いだとわかり、実は好きではなかったということが。
その逆もある。
好きじゃないと思っていたのに、実は好きだったというパターンも。
廻夜部長に渡された資料でそういうものを何度か見た。
後者に照らし合わせるなら、守りたいと思っていないが実は思っているという状態だ。
そういう気のせいなのだろう。
ちょっと無理があるかとも思うが、実際のところ俺に水無瀬を守りたいという感情が一切無かったとしても、水無瀬を守る上で何も問題はない。
俺はもう既に彼女を守ることを目的として設定している。
俺のパフォーマンスに感情は一切影響しない。
一流ではないかもしれないが三流でもない。
だから――
たとえ本人に頼まれたわけでなくとも――
たとえ俺が彼女を守りたいとは思っていなくとも――
――彼女を守る上で何も関係ない。
それが目的となった以上、やると決めた以上、ただその作業をするだけだ。
彼女を守るためにすること。
俺に出来ること。
それは殺すことだ。
敵を。
以前と何も変わらない。
その敵は誰だ。
考えられる候補は3つ。
だが、きっとそうじゃない。
もっと居る。
下手をしたら世界中が敵になる。
以前と同じように。
勝率はきっと高くない。
失敗する確率の方が高い。
だが、それはどうでもいい。
成功か、失敗か――
どちらかの結果が出るまで続けるだけだ。
失敗の条件は単純で唯一。
水無瀬が死ぬことだ。
それまでに俺を含めて誰が何人死んだとしても構わない。
だけど彼女だけは生き残っていなければならない。
なら、逆に彼女が死ななければ成功となるのだが、その条件の設定がシビアだ。
いつのどの段階まで水無瀬が生きていれば成功と認定していいのかという問題だ。
メロの裏切りの判断と同じだ。
一つ明確に成功と云えるのは水無瀬が寿命を全うすることだろう。
つまり、成功も失敗も、彼女の死を以て完成することになる。
彼女から死を遠ざけながら、彼女の死を待つ。
こう言うと酷く複雑で矛盾したことのようにも聞こえるが、実際にやることは非常にシンプルだ。
やはり敵を殺せばいい。
最終的に成功で終えることの難易度は高いが、すること自体は簡単なことで俺にも出来る仕事だ。
極端な話――
敵が何処にいるかわからない。
何処の誰がどれだけ敵になるのかわからない。
そのことが状況を難しくするのであれば――
殺してしまえばいい。
彼女――水無瀬 愛苗以外の、この『世界』に存在するあらゆる生命、存在を。
何かをされる前に。
選別が難しいのであれば一緒くたに。
敵が敵になる前にこちらから殺しに行けばいいのだ。
誰彼構わず――
目に付いた端から悉く――
殺される前に殺してしまえばいい。
それは当然罪深く、決してやってはいけないことだ。
そうされると困るから、やってはいけないことになっている。
つまり、有効な手段だということだ。
実際、昨日発現した勇者のチカラが俺に残っていたら――
今この瞬間から俺はそれを始めていただろう。
昨日の時点でもう犯行に及んでいたかもしれない。
しかし、水無瀬に聖剣をくれてやった瞬間にあれは失われてしまった。
元々無かったチカラに未練などないが、その点だけは残念だ。
とはいえ、無いもの強請りをしても意味が無い。
ゴリ押しが出来なくなっただけで、他にやりようはいくらでもある。
いざとなれば水無瀬を魔王にして彼女にそれをやらせることだって可能だ。
あまりやりたくはない手段だが、選択肢としては持っておくべきだろう。
彼女以外の総てを殺し尽くして、最期に俺が自殺をすれば、彼女を脅かすモノは存在しなくなる。
それが彼女を守るということだ。
非常にシンプルだが成功させるのは難しいだろう。
だが、それが目的である以上ただ行うだけだ。
長い時間の向こう、水無瀬が寿命で死ぬ時――
その時に自分が生きている絵が全く想像できない。
きっと俺は途中で死ぬことだろう。
それは全く構わない。
死んだ時点で俺の“
死んだ後のことなど知ったことではない。
ただ生きている間、目的を持って、それに向かって行動し続ける。
それが出来ればいい。
今度こそ、それが――
コッコッコッと――
登り坂を踏む僅かな足音で一定の調子を確認する。
昼下がりの桜並木。
頭上にはまばらに花びらが舞っている。
その道を真っ直ぐ病院に向かって歩く。
どこか、晴れ渡るような気持ちがあった。
気分の話など極力したくはないのだが。
何をどう表現して情緒を付け足してみたとしても、結局『それがどうした』ということにしかならないから、そんな話をするのは好きではないのだが。
先程、失ったチカラに未練などないと言ったが、あのチカラを奮っていた時に全身を駆け巡っていた全能感――
麻薬よりも強力な快楽を齎したあれの後遺症かもしれないから、一応考えてみることにする。
胸が空く――
清々しい――
多分、今の俺はそんな心境なのだと思う。
長年俺を苛んできた縛り付けるナニカからの解放感。
そんなようなものを感じているような気がした。
気がしただけだから当然気のせいだ。
だとしても――
噛み違えたまま錆び付いて機能していなかった歯車が、今はゴロゴロと気持ちのいい音を鳴らして稼働しているように感じている。
それが何故かというのは言うまでもないが、目的を得たからだ。
ついに俺は目的を得た。
自分で見出すことが出来た。
攫われた異世界で勝手に与えられ勝手に奪われた目的。
道半ばで追い出され、この元の世界に帰されてから、ずっと鬱屈とした情けない日々を過ごしていた。
その中でいつの間にか死ぬことを目的のようにしてしまっていた。
だが、それは間違っている。
生きることや死ぬこと――生命は目的ではなく消費するものだ。
俺のようなクズに人として正しい・間違っているなどといったことは言えないが、生物としては少し違う。
『世界』より分け与えられた生命を消費しきって、それから『世界』に還るべきだと考える。
そしてその不循環はもう終わった。
今の俺には目的がある。
水無瀬 愛苗――
彼女が――彼女が生きていることが俺の目的だ。
俺の生命はその為に正しく消費される。
ただそれだけで――
それがあるだけで――
彼女が存在しているだけで――
何処か身が軽くなり足取りも軽くなるようだ。
と、ここまで考えてみて。
何処かで聞いたことがあるような話だなと眉を寄せる。
いつの何処だったかと記録を探してみるとすぐに見つかる。
廻夜部長が同じようなことを仰っていた。
そして部長だけでなく、そういえばSNSなどでも不特定多数の似たような発言を何度も見かけていたことに気が付く。
つまり、特段珍しいことではなく、人間という生物にはよく起こる現象なのだということだ。
なるほどと、一つ頷く。
これが“推し”――か。
推しがいるだけで幸せ。
推しが生きてくれているだけで自分の人生が満たされる。
推しが存在しているだけで自分は何事にも立ち向かえる。
部長はよくこんなことを口にしている。
まるで自分に言い聞かせるかのように執拗に何度も。
そして部長だけでなく、インターネットで似たようなことを発言している者も何度も見かけた。
正直、今日のこの瞬間まで一体何を言っているのかまるで理解出来なかったが、なるほど――そういうことだったのか。
愚かな俺はいつでも後になってその発言の真意に気が付くことが多い。
さすがは部長だ。
趣深い。
これは現在の俺の精神状態に極めて近しいものであると謂えよう。
つまり、水無瀬は俺の“推し”になったのだ。
恥ずかしながら不勉強で、“推す”という行為が具体的にどういうものなのかについて、俺は寡聞にして知らない。
だが以前に部長が“推し活”について熱弁していたことが何度かあった。
その時はまったく興味がないし何を言っているのかわからなかったので適当に聞き流して植物について考えていたのだが、今度時間のある時にでも記憶から呼び出しておこうと思う。
やると決めた以上は仕事に手抜きは許されない。
それが流儀だとルビアに仕込まれた。
水無瀬を推す以上は俺もそれに相応しい推し活を心掛けるべきだ。
まずは何から始めようかと考えたところで、少しばかり人の気配を感じ始める。
大分病院に近い場所まで登って来たようで、俺の歩く歩道の反対車線を病院を出発したバスが降りてくる。
その車輛と擦れ違う瞬間、ドクンと――心臓に火を入れる。
横目を向けて窓から車内を覗き視る。
乗客と運転手、合わせて7名。
あの中に敵がいるかもしれない。
バスが通り過ぎた後、反対側の歩道では手を繋いだ母と子の姿が視えた。
小学校に上がるかどうかくらいの男の子が、手を繋いだ方とは逆の腕を涙目で母親にアピールしている。
注射でもしたのだろうか。
あの子供がいつか敵になるかもしれない。
自分の進行方向に視線を戻すと、病院からこちらへ歩いて坂を下ってくる老人がいる。
杖を持った老いた男性を視る。
この坂についての愚痴をブツブツ呟いているのが擦れ違う際に聴こえた。
この老人が敵を育てるかもしれない。
小雨の桜を浴びながら俺は歩く。
視界の中に敵はいない。
ともあれ――
もう何度目かの確認だが。
結局なんであろうと俺のやることに変わりはないだろう。
単純明快な目的にただ死力を注ぐ。
彼女を守る為ならば、いくらでも俺のこの生命を投げ出そう。
彼女を守る為ならば、いくらでも他人の生命を奪い捧げよう。
どこの誰がどれだけ敵になろうとも関係ない。
誰に咎められようとも知ったことじゃない。
どれだけ疎まれ、憎まれ、忌み嫌われても、全く問題はない。
たとえ――
彼女本人が望まなくても――
――それすらも関係ない。
やると決めた以上は必ずやる。
成否は知ったことではないし、それがいつまでになるかもどうでもいい。
だが、彼女は――
水無瀬は“おあいこ”だと言った。
その彼女の流儀に倣うのなら――
彼女に生命を救われたから、彼女の生命を救った。
彼女に飯を与えられたから、俺もそれを返そう。
生きる目的を貰ったから、生きる場所を与えよう。
要は借りは返せということなのだろう。
他にはまだ彼女へ返せていないものはなかっただろうか。
記録を探ればすぐに一件見つかる。
彼女には誕生日プレゼントを貰っていた。
それはまだ返せていないし、返すかどうかも決めていなかった。
彼女の誕生日は確か12月の25日だったはずだ。
だから――
せめてその日までは――
冬までは――
俺も生きていよう。
彼女を守る俺のままで。
もしも、俺が何故彼女を守りたいと思ったのか――それに無理矢理にでも今この場で理由を付けるのならば。
きっとそれは代替行為だ。
俺がこれまでに失ったモノ、失わせたモノ、やろうとして出来なかったこと――
それら様々な人や物事――それだと断定してもいいが、きっと、おそらく、それも違う。
もっと愚かしく浅ましいものだ。
俺と彼女は似ていると思った。
主に境遇の面で。
俺はずっと彼女に苛ついていた。
それはコンプレックスからくるものだ。
出会ったばかりの頃でも、あんなバケモノのような魔力と魂の強度を持ちながら、いつでもヘラヘラと平和の中で笑っている顔が気に入らなかった。
周りに世話を焼かれながらガキのままで居られていることが気に喰わなかった。
そして最近、あの特別で強大なチカラを持っていることを知った。
平和な社会の裏で悪魔どもと殺し合っていることを知った。
だが、それでも、彼女があのままで、素人のまま、ガキのままで居られていることを、俺は多分妬ましく思ったのだ。
緩くて温い。なのに才能だけで勝ち続けていることがムカついて仕方がなかった。
自分と同じように特別なチカラを持たされて、人と違う役目を押し付けられても、それでも変わらずに居られることに腸が煮えくり返ったのだろう。
自分と同じなのに、自分とは違い、それでも結果を出し続けていることに。
だからきっと――
俺は水無瀬を、過去に死なせた女たちと重ねたのではない。
自分自身と重ねたのだ。
だから、きっと。
俺が守りたいと思ったのは、彼女ではなく――
俺が救いたいと思ったのは、どうしようもなくなった自分の過去なのかもしれない。
彼女を死なせないことで、彼女のままで現実に残すことで、救われなかった自分の過去の救済とし、代替としようとしたのかもしれない。
もしかしたら、それですらなく。
俺のようにはさせないと――そうではなく。
俺は見たいのかもしれない。
彼女が彼女のままで、やがて――
俺と同じように失敗するところを。
そしてその時に、あの純真さや正義感をかなぐり捨てるところを。
その光景を視て留飲を下げたいのかもしれない。
俺という人間性を考えればそれが一番しっくりくる。
風が吹く。
ゆったりとした風が俺の身体を撫でて擦れ違っていく。
春の風が花びらを連れて俺の背後へと通り過ぎていく。
春。
今までが終わってこれからが始まる。
誰かと別れ誰かと出会う。
春の風は誰しもに何かを運んで来て、そして誰しもに何処かへと進めと、背後から耳元にそう囁くのだそうだ。
もっとも正面から堂々と来やがったが。
俺はこの春にあらゆる過去と別れ、そして水無瀬 愛苗と出会った。
それは間違いがないだろう。
そして――
暖かくて優しいと謳われるその春の風は、たとえ何も準備など出来ていなくとも、たとえ何も覚悟など持っていなくとも――
誰かから誰かを連れ去り、それでも誰しもを強制的に次へと進ませようと背を押す――
――そんな残酷な風だそうだ。
ところが、こいつは背を押すどころか、まるで俺を進ませないように正面からグイグイと押してくるではないか。
上等だ。
「――俺の邪魔をするな」
歩調を保ったまま俺は進む。
彼女の居る方向へ。
舞い上がった花びらがいくつも顏の横を通り過ぎていく。
背後へ連れていかれる。
過去などいくらでも持っていけばいい。
今、ここで、実効力を発揮しないモノに俺は要などない。
俺は水無瀬 愛苗を守る――
その為の手段は問わない。
眼も向けずに置いてきた背後で――
緋い髪の女が目元を掌で覆って天を仰ぎ――
くすんだ金髪のメイド女が両手で顔を覆って泣き崩れた――
そんな気がした。
当然それは――
大量に人を殺した者は――
戦時であれば英雄として扱われ、太平の中では殺人犯として処理される。
法や倫理、人道などが未発達で未発展な戦乱の真っ只中であった異世界でさえ、疎まれ忌み嫌われ爪弾きにされた“
コッコッコッと――
弥堂 優輝は一定の歩調で歩いていく。
その背中が離れていく桜の木の下で――
「――ったく、あのバカガキだきゃあよォ……。どうしてそうなっちまうんだよ……」
「――あぁ……、神様……っ。どうかあの子をお許しください……。悪い子ではないんです……っ」
――ここには居ない女たちが、誰にも聴こえない声で、嘆きの言葉を漏らす。
「いや、キッパリと悪いだろうがよ。オマエ、これからのこの国のヤツらに面と向かってそう言えんのか? アァン?」
「あぁ……っ! ニホンのみなさん、申し訳ありません……っ!」
ルビアがジトっとした目でホワイトブリムを睨むと、エルフィーネはもう一度懺悔をしてからワッと泣いた。
「あーあ、やっぱダメだな。あれはもうどうにもなんねェわ。あんだけクズに育っちまうともうやり直しはきかねェってことだな。ありゃあまた手当たり次第殺し始めるぜ? オマエらがウルセエから乗ってやったが、やっぱ昨日死なせときゃあよかったなぁ……」
「……黙りなさいルビア」
呆れた目で弥堂の背中を見ながら匙を投げると、今度はエルフィーネがギロリとルビアを睨んだ。
つい今、メソメソと泣いていた女の目は冷酷な殺人者のそれに一瞬で変貌していた。
「貴女のせいです。乱暴でがさつでいい加減な貴女を見て育ったから。だからあの子は“ああ”なってしまったんです」
「アァ?」
刺すような極低温の眼差しに怯むことなく、ルビアの目の奥に極熱の焔が燃えた。
「なにぬかしてんだこの肉穴女はよォ。アタシのせいじゃあねェよ。テメエがそうやって甘やかしたからあのガキが調子コイたんだ。オマエみたいな女クセェ女が男を勘違いさせてツケ上がらせんだよ。オマエのせいであのガキは“ああ”なっちまったんだ」
「淫売め。黙りなさい。殺しますよ」
「もう死んでんだわ」
一触即発の二人は、空気を震わせるほどの殺気を放つような形相で睨み合う。
しかし周囲は平和なもので、ただゆったりとした風が花びらを踊らせるだけだ。
エルフィーネが着用しているメイド服の長いスカートの裾は一切揺れ無い。
「あの子はどこか、貴女のように振舞うのが恰好いいと思いこんでいる節があります。私はとても迷惑しました」
「……オマエ、それ本人には言ってやんなよ?」
「当たり前です。そんなことを言ったらユウキが傷ついてしまいます。あの子に恥をかかせるようなことを私が言う訳がありません」
「…………オマエが一番アイツをコケにしてんだよなぁ……。あーあ、アホらし」
ルビアは毒気を抜かれたようにげんなりとして怒気を解いた。
それを受けてエルフィーネも殺意を納める。
二人揃って頭上の桜の枝を見上げ、それから揃ってまた溜息を吐いた。
世話になった女性を死後になってまでなおも悩ませ続けるダメ男は、彼女らの嘆きなど知ることもない。
死に別れた女たちを置き去りに歩きスマホなどしている始末だ。
取り急ぎメールの返信をしている。
昨日戦場に出る前に受け取っていたバイト先からのメールへの返信だ。
どうせこの後死ぬのだからと返事もせずに放置していたのだ。
だが、うっかりと運悪く、今回も無様に生き残ってしまったので、今更身勝手ながら返事をする。
『仕事をよこせ。あるだけ』
手早く簡素に自分本意な要求だけを伝える日本語を作成する。
自らの上司であり雇い主でもあり、そうでなくとも年上の目上の女性に対して敬意も愛想もない高圧的な文章を送り付けた。
必要な作業を終えスマホを仕舞うと、弥堂は少し目線を上げた。
青い空。
テーブルに零れたコップ半分のミルクのような雲が薄っすらと拡がり、そしてゆっくりと拭われていく。
ゆったりとした春風がこの空に幕を引き、次は夏を連れてくる。
そんな空気を感じた。
少し視線を下げる。
病院の白い建物。
僅かに開いている一つの窓に眼を合わせる。
一つのサイクルが終わり、次のサイクルが始まる。
これからは――
水無瀬 愛苗を守る――その為の手段は問わない。
先程改めてそう決めた。
その為に必要なことはここまでの道中で考えたとおり――敵の排除。
しかし、それだけをやっていればいいわけでもなく、その前にもしなければならないことが弥堂にはある。
敵を殺す前に、敵に備える前に、まずしなければならないことがある。
どうしても必要な物があるのだ。
極めて重要な物だ。
どれだけのチカラがあろうとも、どれだけ息を巻こうとも、まずそれが無ければまるで話にならない。
あの廻夜 朝次ほどの男でも日々それに頭を悩ませている。
そしてまさしくその彼が、“それ”は推し活をする上でも最も重要なことだと言っていた。
つまり――
(――
蒼銀に輝く瞳の奥を、赤よりも熱い蒼い焔がギラつかせる。
そうして弥堂 優輝は病院の敷地へと侵入していった。
NEXT……2章『俺は普通の高校生なので、バイト先で偶然出逢わない』
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