1章裏 『4月26日』 ⑨


「悪魔メロ――お前は“無能”で“役立たず”で“裏切者”だ。水無瀬を守る上でそれらはデメリットになる。3つだ。3つもマイナスがある。マイナスが1までならもしかしたらギリギリ許容出来ることもあるかもしれない。だが3つだ。3つはありえない」



 弥堂は再び指を三本立てて見せる。


 静かな声と表情でメロにそう告げた。



「し、死ねって……、ちょっとヤキ入れるとかじゃなくって、まさか本気でジブンを殺すつもりなの……?」



 怯えるメロは茫然とそんなことを口にする。


 反論にはなっていない。



「今頃それを聞くのか? 俺は最初からそうとしか言っていないだろ。やはり無能だな」


「う、嘘だろ……⁉ せっかく昨日、一緒に頑張ったのに……ッ」


「だからどうした。それはもう終わった話で、今しているのはその次の話だ。それに――」



 未だに危機感の足りていない悪魔の少女に冷酷な眼差しを向ける。



「――今日これまでに俺が何をしてきたか。お前は見ていただろ。お前の目の前で、俺はお前の同族たちにどんなことをしてきた? 思い出してみろ」


「そ、それは……」



 路地裏の化けネズミ、ショッピングモールの花、公園のカラスと学園のネコ、河川敷の少女、それからボラフ――



――そして、昨日の戦い。



 それらの様相がメロの脳裏を駆け巡る。



「何故自分だけは許されると思った? 敵だぞ? 俺とお前は。悪魔め」


「な、なんで……ッ⁉ ジブンは味方だ! マナの友達で家族で……」



 怒り、失望、恐怖、悲しみ。


 そういった感情からメロは声を荒らげる。



「なんでそんなこと言うんだッ! これからみんなで頑張っていけばいいだろッ⁉ せっかく酷いことが終わったのに、普通はそうはならないだろ……ッ!」



 だが、そう叫びながら、メロはどこか自分の言葉に白々しさも感じていた。


 自分が言っていることの方が正しいはずで、普通は仲間を殺すだなんてそんなことはしないはずだ。


 それは間違いない。


 しかし――



 目の前の男を見ると言葉が続かない。



 たとえ自分の言っていることの方が正しかったとしても、この男には関係ない。


 この男はやる。


 彼の言ったとおり、これまでに彼が見せてきた戦いの様が、それを強く理解させてきた。



 正しいかどうかなど、この男にとってはこれっぽっちも重要ではないのだ。


 彼は彼が必要だと思ったことを合理的に選択し効率的に行うだけ。


 ただそれだけの装置のような存在なのだ。



 その在り方はニンゲンのものではない。



 ボラフがああだったように、アスがああだったように、クルードがああだったように――



 弥堂 優輝というのはこういう存在なのだ。



 それを変えさせることなど出来ない。



 それが変わるということは存在が別のモノに為り変わるということだから。



 その在り方はニンゲンよりも悪魔に近いようで。


 そして悪魔よりも――



「――ッ⁉」



 怖気が奔る。


 メロのような下級の悪魔にとって恐怖の対象となるモノ。


 彼にはそれに近しいものを感じられる。



「オ、オマエ……、ジブンを殺して……ッ、それでどんな顔してマナに会うつもりなんだ……ッ⁉」


「別に? 車にでも轢かれたと言っておけばいいだろ。ネコが車に轢かれるなどよくある話だ。俺が殺したと彼女にバレなければ何も問題はない」


「マ、マナを守るって言ったくせに、マナを騙すのか……ッ⁉」


「……? よくわからないな。彼女を守ることと、彼女に嘘を吐くことには何も瑕疵が生じないだろう。全く別の話だ」


「コ、コイツ……ッ⁉」



 メロはハッとする。


 そして同時にゾッとした。



 元々人間失格のような男だったが、純真な愛苗と関わることで改心し更生をしたものだとメロは思っていた。



 だが、違う。


 違った。


 全くそうではなかった。



 メロや愛苗にとっては昨日の――二人が出会ってから今日までの一連の出来事はとても大きな事件で、そして酷い地獄だった。


 それを共に切り抜けたからこそ、メロも弥堂への親近感を強めていた。


 しかし彼にとってはそうではなかった。



 メロには与り知らぬことだが、弥堂にとってはあの程度の地獄は生温い部類に入る。


 彼はもっと酷い地獄を一人で生き抜いてきた。


 悪魔よりももっと恐ろしい連中と戦い続けてきたのだ。



 その中で完成した魂に、固まったヘドロのようにこびり付いて覆う闇は、あの程度の出来事では一切晴れはしない。


 細かい事情は知らずとも、その事実だけはメロにも理解出来た。



 その理解のもう一歩先にある事実として、その闇は晴れるものではない。


 その闇はもはや彼の一部であり、そしてその闇が彼だ。



 言語化できずともそれを本能で感じ取る。



「オ、オマエなんかにマナを守れるか……ッ!」



 この男は危険だ。


 というか、メロ自身もずっとそう思っていたはずだ。



 結局のところ、状況に流されてメロのその考えはブレて、そして弥堂はブレなかった。


 今日ここで起こっている認識の齟齬は、それだけの話であったことにようやく気が付いた。



 この化け物を愛苗に近づけてはいけない。


 そう思うと強い敵愾心が湧き上がる。



 それをぶつけても弥堂の表情は変わらない。


 当然だ。


 彼は最初からずっと“そう”なのだ。



「そうか。そうかもな。そう思うのなら俺を殺せばいい」


「は……?」


「お前もあいつを守りたいと思っているんだろう? その為に俺が邪魔だと思うのなら、お前も俺を殺すべきだ。今俺がそうしようとしているみたいに」


「な、なに言って……」



 怒りと敵意を燃やしても、彼が発する言葉を聞くたびにそれは萎む。


 理解が出来なくて。



「さっきも言ったとおりだ。目的は『水無瀬 愛苗の生存』――重要なのはそれだけで、それ以外は全て余分なことだ。俺もお前もそれを果たす為の消耗品に過ぎない。彼女さえ生きていればいい。俺やお前は必ずしも生きている必要はない」


「オ、オマエは……」


「目的の為に役に立たないものは死ねばいい。邪魔になるものは殺せばいい。俺たちに余裕はない。余分なものは全て削ぎ落せ。それが自分自身の生命であっても、他人の生命であっても」


「ダ、ダメだ……」



 メロは力無く地面に手を落とした。


 目の前の生物との意思疎通を図ることは不可能だとわかってしまったのだ。



「お前にとれる選択肢は二つだけだ。一つは俺を殺すこと。そしてもう一つは俺の考えを変えさせることだ――」



 絶望するメロの様子にはお構いなく、弥堂は必要なことだけを喋り続ける。



「俺に殺されたくないのなら――または水無瀬を守る上で俺が邪魔なのなら……。どちらにしても俺を殺せば解決する。簡単な話だろ?」


「そんなわけない……」


「そうか。ならば俺の考えを変えさせることだな。その方法は既に言ったとおり――マイナス3を最低でもゼロにすればいい。加点出来るようなメリットを示せ」



 そして元の話に戻ってきた。



「お前が居るとどんなメリットがある? 言ってみろ」


「ジ、ジブンが……」



 メロは空っぽになりそうな頭を必死に動かす。


 彼の言った他の選択肢――彼を殺すなんてのは以ての外だ。



 そもそも出来ないかもしれないし、仮にやってしまったとしたらパートナーである愛苗に会わせる顔がなくなる。


 だから無理矢理にでも口を動かした。



「ジブンは悪魔だから……」


「だから?」


「ニ、ニンゲンには出来ないことが出来て……、それで……ッ、役に立つ……!」


「へぇ? で? 実際に今日までにどんなことをして、それでどんな風に役に立った? 具体例を出せ。少なくとも、俺の記憶には一つも無い」


「そ、それは……ッ」



 メロはすぐに言葉に詰まる。


 そもそも何を以て彼が役に立つと認めるかがわからない。



 何となくだが彼は実戦力を求めている気がする。


 だからこの方向では駄目だと路線変更を試みる。



「ほ、他の悪魔と……」


「他の悪魔と、なんだ?」


「じょ、じょうほうとか……」


「あ?」


「じょっ、情報を……っ!」


「情報をなんだ? 流すのか?」


「そ、そうっ! 嘘の情報を流して……!」


「無理だな」



 偽の糸を掴まされてメロはまた言葉に詰まる。



「お前にそんな影響力があるとは思えない。大体誰にどんな情報を流して俺たちにどんな得がある? 具体的ではないな」


「うっ……」


「だが、情報を抜き出すと言わなかったのは何故だ?」


「だ、だって……、ジブンじゃデマ掴まされて騙されるからってさっき……」


「そうだな。よく覚えていたな。それを言ったら即座に殺そうと思っていた。学びがあったことは評価してやるが、それだけで1点はやれない。出来て当たり前のことだからな」



 これから目の前の人物を殺そうとしているとは思えないような、そんな淡々とした口調が逆にメロの恐怖心を煽る。


 感情的になって湧いた殺意でないのなら宥めようもなく、止めようがないからだ。



「仮に、情報を抜くにしても、お前大した繋がりを持っていないだろう? 俺の見立てでは、クルードのような立場のヤツとは言葉を交わすことも許されていない。アスに対しても基本的にはそうだが、業務の都合上必要な会話は許された。それにしても数えるほどだろう。通常はボラフを通してお前に指示が出ていた」


「――ッ」


「つまり、お前が繋がれるのはボラフレベルまでだ。そのボラフにしたってまともに正しい情報を渡されていなかった。そんなところから取得した情報など真偽の程は定かではない。違うか?」


「…………」



 メロは沈黙を以てそれを肯定とした。


 そしてより強く目の前の男を恐れる。



 彼は狂っていても馬鹿ではない。


 彼の指摘はほとんど正解だった。



 きっとこれまでの何回かの機会で、メロや悪魔たちの発言を聞いて、そう判断したのだ。


 それを当てたことも恐ろしいが、何よりも――



 特に重要でもない会話や日常会話の中でそれを探っていたことがわかり、それを恐ろしいと感じた。



 ボラフやアスが居た時でも緊迫感のない会話は多くあったのに、そんな空気の中でも彼はずっと自分たちをそういう眼で視ていたのだ。



 少しでも隙を見せずに出し抜かれないように。


 少しでも隙を見出して敵を出し抜けるように。



 ここでようやくメロは理解する。



 さっき弥堂の言った『空気を読む』『情報を精査する』というのはこういう意味なのだと。


 それが出来なければ役には立たないし、逆に足元を掬われる可能性がある。



 だから、生かしてはおかないと。



 他者と接する際にメロはそんなことを考えたこともなかった。


 やれと言われても出来る気がしない。



 彼女は自分が本当に絶望的な状況に立たされていることを自覚した。



「もう終わりでいいのか? たったの2つしか思いつかないのか?」



 弥堂は当然許しはしないし、待つことさえしない。



 自分の目的を達成することを邪魔する存在――



 昨日戦ったアスや魔王を始めとする悪魔たち、異世界で殺してきたあらゆる人々、そして目の前に居る少女の姿をした悪魔――



――弥堂にとってはこれらには何の違いもなく、等しく排除すべき存在だ。



 どんな手段を使ってでも。



「ま、まって……、まだ……ッ!」



 そのこともようやくメロに伝わる。


 これは冗談では当然なく、そして脅しですらないと――



 弥堂は黙って仄暗い蒼銀の輝きをメロへと向ける。



 その静けさが空気と溶け合って彼の殺意を伝えてくるように錯覚した。


 メロは必死にその空気を読もうとする。



 しかし――



「――ジ、ジブンは……、マナの、トモダチで……っ、家族……」



 だからといって、やろうとしてすぐに出来るものでもない。


 答えに窮したメロは最初と同じ答えを口にしてしまう。



「だから?」



 弥堂も当然彼女が急にこの土壇場で出来るようになるなどということは期待していない。


 昨日自身の身に起きた覚醒のようなもの――



 あんなものは運がよかっただけだ。


 通常起こり得ると思うわけがない。



「か、家族だから……ッ」



 メロはどうにか先に繋ぐことのできる答えを絞り出そうとする。



「……だから、ジブンが死ぬとマナが……、悲しくなる……っ」



 それでもやはり叶わない。



(終わった――)



 言い切った後でメロはギュッと目を瞑った。



 よりにもよって人の情に訴えかけるような答えを言ってしまった。


 よりにもよって人の情を持たぬモノを相手に。


 ある意味悪魔を相手に同じことを言った方がまだ、共感や同情を返して貰えることだろう。



 言ってすぐに自分でそれがわかってしまい、メロは失敗を悟って諦めてしまった。



 そもそも、そんな機転を利かせる才覚があるのなら、今日これまでのどこかでもっとマシなことが出来ていたはずだ。



『迷いながら為るようになった現実に流されるだけの愚図』



 先程弥堂が口にした言葉。


 これは全くを以てその通りだと思った。




 初めて愛苗と出逢った時――


 共に入院生活を過ごす中で、悪魔であるメロには彼女の存在が弱っていく様がよくわかった。



 何もしなければ彼女は病気でそのまま死ぬ。


 それがよくわかっていながら、しかしメロは何もしない。


 自分の手の中には“生まれ孵る卵リバースエンブリオ”という彼女を生き永らえさせる特別スペシャルがあることを知っていながら。



 “それ”を使えば彼女がどうなるかわかっていたからだ。



 他の生命体の心臓に悪魔を寄生させて長い時間をかけて存在を同化し悪魔へと生まれ孵らせる。


 その時に魔王級にまで届きそうな特別スペシャルな個体を探す。


 それがメロが投じられた計画プロジェクトだった。



 愛苗がそのスペシャルな個体だったのかはメロにはわからない。


 だが、心臓に問題を抱える彼女にそれを使えば当座は凌げることはわかっていた。


 しかし、それをしたら、せっかく助かっても将来的に彼女はニンゲンではなくなってしまう。



 だから使えない。


 それはとても酷いことのような気がしたから。


 だから使うべきではない。



 もしかしたら全てを愛苗に打ち明けて、その上でどうするかを本人に選ばせるべきだったのかもしれない。


 しかしメロにはそれも出来ない。



 そんなことをしたら悪魔であることがバレてしまい、愛苗に嫌われてしまうかもしれないと思っていたからだ。


 愛苗にとってそうだったように、メロにとっても愛苗は替えの効かないたった一人の友達だったのだ。



 弱く下賤な存在である出来損ないのサキュバス。


 メロは悪魔の中でも虐げられる側だった。



 メロにとって愛苗は初めて出来た友達だった。


 だからメロにとって彼女を失うということには二通りある。



 それは愛苗が死ぬことと、愛苗に嫌われること。


 それらはどちらも愛苗を失うことを意味する。



 だから打ち明けることも強行することも出来ず、衰弱していく彼女を眺めながら無為に時間を過ごしてしまった。




 しかし、それでも結局メロはそれを使った。



 目の前で閉じられた彼女の瞼はきっともう二度と開かないだろう。


 そんな風に、もう明日がないところまで追い詰められ、使うべきではない

モノを使った。


 その先にどんな悲劇があるか――その粗筋くらいは知っていた癖に。



 そしてその後も、メロの口からそれが語られることはなかった。



 入院中も、退院後も、愛苗が魔法少女と為った後も――



 打ち明けるタイミングと時間はいくらでもあった。


 だけどメロはその決断を下せなかった。



 その理由は何も変わらない。


 愛苗に嫌われたくないからだ。



 目の前の微温湯のような仮初の幸福。


 それを手放せなくて、自分からは重要な決断を下せない。



 誰か助けてくれないだろうか。


 時間と共にどうにかなったりしないだろうか。



 そんなことを期待しながら、目の前の困難に対して自ら何かを変えるような決断が出来ない。



 それはまさしく弥堂が指摘したとおりの『愚図』だった。


 それがわかっていながら自分ではどうしようも出来ない。


 それがどうしようもないほど“ジブン”という存在だった。



 魂がそう設計されでもしているかのように、自分では変えようもない。


 それがメロの悪魔として意味なのだ。



 つまり、自分のどうしようもなさは弥堂の言うとおりだ。



 しかし、だからといって自分は殺されて当然だとまでは思わない。


 まるで罪人のように読み上げられた罪状を認め、贖うように罰を受け入れて生命を差し出そうと――そんな風にはなるわけがない。



 だけど、いくら会話を重ねても彼を納得させることが出来るとも思えない。


 自分にそれが可能だとも思えない。


 彼の方も、たとえ誰が相手だろうとも意思を疎通させることが不可能なんじゃないのかと思えてしまう。



 ではどうすればいいのかと考えれば、これも彼の言ったとおり、もはや彼を殺す以外に自分が生き延びる方法がないのではないかと思えてしまう。


 当然だが、魔王ごと悪魔の大軍を皆殺しにしてしまうような男を相手に勝てるとは思えない。


 そして、たとえ戦えば勝てる相手だったとしても、それはすべきことではないので、やはりそんな選択肢は選べない。


 悪魔は基本的にニンゲンを殺すことを好まないのだ。



 なんなんだそれはと――メロは気が遠くなる。



 最初から完全にこちらを敵と認定した状態で、まるで罪を問うように詰り、しかし言い分を受け入れる気は一切ないし、自身の意思を曲げるつもりもない。


 関わればもう殺し合う以外に道がなくなる。



 こんな生き物が存在していていいわけがないと、激しい嫌悪感と忌避感をメロは抱いた。



 そんな歪な化け物を相手に失言をしたまま、それを覆すような文言を思いつけない。


 死にたくはないし、殺されてやるつもりもないが、もうどうしようもないのではと、そんな焦りから動けなくなる。



 目の前のどうにもならない物事に対して、メロは自分で状況を動かすような判断を下すことが出来ないから。


 もうダメだと目を瞑る。




 だが――




「なるほどな――」




 ここでまた弥堂からは予想も出来ない反応が返ってきた。



「――確かに、それはメリットにもなるな」


「へ……?」



 メロが弥堂に主張したのは『自分は愛苗の家族で友達なので、死ねば彼女が悲しんでしまう』ということだ。


 まさかそんなエモーショナルな台詞が彼に通用するとは思っていなかったので、メロは茫然と口を開けて彼の顏を見上げた。



「なんだ? その間抜けヅラは。もしかして適当に言ったのか?」


「い、いや……ッ! そうじゃない、けど……、オマエがそんな同情みたいなこと、通じると思わなくって……」


「別に同情をしているわけではない」



 弥堂は変わらぬ冷淡な瞳のまま事実を読み上げる。



「彼女が魔王に為った時のことを思い出せ」


「為った時?」


「そうだ。おかしな卵で悪魔に為るとは言っても簡単なことではない。元の存在から別の存在に為る。それは、今の“魂の設計図アニマグラム”が別のモノになるということを意味する」


「ジ、ジブン詳しいことは……」


「その為には、今のカタチのまま固定されている状態が崩れる必要がある」



 理解が出来ていないと主張するメロを無視して弥堂は必要のあることだけを勝手に喋る。



「時間とともに徐々に変わっていた部分が大半だろうが、しかし最後のきっかけがあった。それがなにかわかるか?」


「最後のきっか――」


「――それは目の前で俺が死んだことだ」



 質問を投げかけておきながら返答を待たずに次に進む。



「え……?」


「あの時、彼女のことを覚えているのはもう世界中で俺とお前だけになっていた。少なくとも彼女はそう思っていた。だから俺とお前が彼女の心の拠り所だったんだ」


「それは、そうかも……」


「その拠り所の一つが目の前でいきなり自分で首を掻っ切ったりしたものだから大きなショックを受けたのだろう。そのことがきっかけで彼女の魂は大きく揺らぎ、そしてトドメとなった」


「…………」



 弥堂のその仮説は理屈は通っているように聞こえた。


 だがメロは何とも言えないような微妙な表情をする。



「それって……、マナがああなったのはオマエのせいってことじゃ……」


「そうかもな」



 言いづらそうに口にしたメロに対して、弥堂はどうということもなさそうにあっさりと認めた。



「な、なんでそんな軽く……」


「そうとも謂えるし、俺の行動がなくても時間の問題だったとも謂える。今どう表現したところで意味がない。あいつが昨日ああなったという結果は変わらない。俺たちが考えるべきことは今日、明日、彼女がどうなるかだ」


「そ、そうかもしれねェけど……ッ!」



 正論のようにも聞こえるがメロは到底納得がいかなかった。



 ここまで散々自分を詰るようにしてきたのに、実はその本人が一番大きな過失をしていた。


 というのもあるが、それよりも――



「オマエは、その……、自分がしたことでマナがどうなるかとか……。そういうこと何も考えないのか……?」


「さぁ?」


「さぁ、って……」


「別に考えることが悪いとは言わんが、答えが用意されていないものを考えるのは時間の無駄だ」


「答えが用意……?」


「水無瀬がどうなるかなんて、結局誰にもわからなかっただろ」


「そんなこと……」



 否定しようとして弥堂と目が合い、メロは反射的に続きを呑み込んだ。



「昨日の段階で、悪魔どもが何かをしていてそのせいで水無瀬が何かに変わっていってしまっているというのは俺にもわかっていた。だが、それが悪魔に為って魔王に為って――だなんて所まではわからなかった。お前らの計画や“生まれ孵る卵リバースエンブリオ”についての知識がなければわかりようもない。そうだろ?」


「そうだけど、でも……」


「そしてそれは悪魔側――アスたちにしても同じことだ。今回の件を企て、そうなるように実行していた連中にも、こんな結果になることはわからなかった」


「え? だってアイツらが……」


「結局失敗しただろ。何故だ?」


「何故って……」


「それは俺が居たからだ」



 弥堂ははっきりと言い切った。



「俺が居たせいで、と言った方が正確か」


「……オマエのおかげでって言いたいのか?」


「当然違う」



 だが弥堂の言いたいことはメロには伝わっていない。



「珍しく悪魔どもが組織立って計画立てて、準備万端だったろう? だが失敗した。“生まれ孵る卵リバースエンブリオ”を使えばニンゲンを悪魔に出来ることを知っていても、実際にやってみればこうなってしまう。それがわからなかった」


「…………」


「ある程度のイレギュラーが起こることは想定していただろう。しかし、まさかそのイレギュラーが、悪魔とも魔法ともこの世界のあらゆる組織とも関係ない所で、勝手に異世界に勇者として召喚されて還って来た者だとは想定していなかった」


「は? 異世界? 勇者……? え……?」



 まさしく想定外の言葉を聞いてメロは呆気にとられる。



「しかも、そいつは異世界で勇者に為り損ねて一般人のまま強制送還されたボンクラだ。だからナメていた。もしも俺が最初にお前らの現場に遭遇した時に昨日のようなチカラを持っていれば対応を変えたはずだ。そうだろ?」


「それはそうかもしんねェけど、それよりオマエ――」


「――これは俺自身も意図して隠していたものじゃない。たまたま昨日のあの瞬間に偶然条件が揃って、自分がそうであることを忘れていた頃に勇者に為ってしまった。だから悪魔どもは無様に失敗した。どうしてこんなことが起こると思う?」


「どうしてって……、わかんねぇッス……」


「運がなかったのさ」



 弥堂のその物言いにメロは言葉を失くし、そして不快感と反発心を抱いた。



「そんな身も蓋もない……」


「そうだ。身も蓋も無い。『世界』には『世界』が在るだけで、他には何も無い」


「意味がわからない……」


「そうだ。意味がわからない。わからないことは話しても無駄だ。意味が無いからな」


「そんなのヘリクツだ……ッ!」


「弱者の理屈だよ。わからないことをいくら考えても、いくら願っても、それを叶えるかどうかは『世界』の気紛れ一つだ。願えば叶う――それが許されているのはこの『世界』でたった一人だけだ」



 揚げ足をとられるような形になりメロは反論を強めるが、弥堂は無視して次の話に移る。



「察するに、水無瀬は最初の成功例だったんじゃないのか?」


「え?」


「人間を魔法少女にして、魔王にする。彼女以外に成功した実例はあったのか?」


「……ジブンは聞いたことない」


「そうか」



 一つ貴重な情報を得て、弥堂は脳内でメロの評価に一つ加点した。



「先に言っておく」


「え?」



 そしてそのことをおくびにも出さずに別の話題へ変えた。



「水無瀬が人間であり続けること――必ずしもそうである必要はないと、俺は考えている」


「は……?」



 その発言にメロは驚く。


 それなら昨日の戦いはなんだったのかという話になるからだ。


 そしてそのせいで、一つ前の会話のことが頭から飛んだ。



「彼女を守る上で悪魔や魔王に為った方が都合がいいのなら、それでも構わないと思っている。『水無瀬 愛苗が守られている』という事実を成立させる上で、『水無瀬 愛苗が人間である』ということは条件に含めていない」


「オ、オマエ何言って……」


「何か問題あるか?」


「あるだろ! なんでそんなヒドイこと言うんだ……⁉」


「酷い? 悪魔に為ることは酷いことなのか? お前は悪魔だが、悪魔に生まれたんだか為ったんだか知らないが、自分は悪魔であるだけで酷い目に遭っていると思っているのか?」


「そ、それは、そうは思ってねぇけど……!」


「じゃああいつが悪魔になったって問題ないだろ? 死ぬわけじゃないんだし、別にいいだろ?」


「オ、オマエ……」



 メロはここに来て何度目か、身震いをする。


 そしてそんな彼女に構わずに弥堂も同様に淡々と話し続ける。



「水無瀬が目覚めた時にどうなっているかはまだわからない」


「…………」


「すぐにまた悪魔になることはないだろうが、もう魔法少女にもなれない可能性もある。逆に一時的に悪魔化が戻っただけでまた同じようになる可能性もある」


「ど、どういうこと……?」


「理想を述べるなら、彼女がチカラを失い、これからの人生を一般人として平穏に送ることだ。しかし魔法少女のチカラが残っていた場合、彼女がそれを使わずに平穏に生きられると思うか?」


「マナはチカラを見せびらかすようなことは……」


「ふとした時に、今回のような事件や現象に遭遇して、彼女が何もせずにいられると思うか? 悪魔に限らず、『悪』を見つけてしまった時に、あいつが大人しくしているとお前は考えるのか?」


「それは……」



 メロは答えられない。


 愛苗がどういう行動に出るか、それは彼女にはよくわかるからだ。



「話が逸れたな。戻るぞ。目覚めた時の彼女がどういう状態にあるか不明だ。だからその経過を視る必要がある。そうだな?」


「……そう、ッスね」


「彼女を守る上で、必ずしも彼女が人間である必要はない。だが、現状積極的に悪魔になる必要もない。状況次第だ」


「悪魔になる必要って、なんなの……?」


「今後、悪魔たちが俺たちにどういう対応をするか次第だ。激しく襲撃をしかけ続けてくるのなら――これは水無瀬自身も言っていたが――彼女が魔王に為れば戦う必要がなくなるかもしれない。俺もその可能性は高いと考えている。その時の選択肢の一つだな」


「そ、そんなの……!」


「何故悪いと思う?」


「な、何故って……」


「元々人間だったモノが違うモノに為ってしまう。何となく悪いことだと思うよな。禁忌だからな。だが、それだけのことだ。彼女を守る為に必要ならそんなわけのわからないルールもどきを守る理由はない」


「で、でも、そんなことになったらもう人間とは……」


「場合によっては敵対するかもな。だが、それも答えは同じ。それがどうした? 悪魔を皆殺しにするより人間を皆殺しにする方が楽だし、成功の確率が高い。その方が効率がいいだろ?」


「だ、だけど……ッ! オマエはマナの味方なんだろ? そんなことになったらオマエも……」


「そうだな。それがどうした?」



 メロはまた言葉を失った。



 今日これまでの――とりわけこの一週間ほどの出来事で――メロも、まだ目覚めてはいないが愛苗も、大きく変わることになった。


 そして、それは目の前のこの男も同じだと思っていた。



 しかし、それは大きな間違いだったと、改めてはっきりと感じた。



 昨日の戦いの決着で、敵か味方かよくわからない関係から仲間になれたのだと勘違いをした。


 一緒に事件を乗り越えたことで、勝手にそう勘違いしただけだ。


 愛苗が目覚めたら、きっと彼女も同じように感じることだろう。



 しかしこの男はそうではない。



 この男にとっては、ただタスクが変わっただけ。


 この男自身は一切何も変わってなどいないのだ。


 そしてきっと、それはもう変えようがないのだ。



 この隔たりの存在を強く認識して、メロは強いショックを受けた。


 目の前の男のことは、人間でも悪魔でもない、違うバケモノにしか見えなくなってしまった。



「――というわけで、彼女の状態を確認するまでは、出来る限り彼女には心穏やかでいてもらう。その必要がある」


「…………」



 メロの心情も信条も、知ったことではないとばかりに弥堂は勝手に話を進めていく。


 彼は自分が必要性を感じること以外に、まったくの関心が無い。



「だから、ペットのお前がいることで彼女の精神が安定し、逆にいなくなることで大きく動揺をするのなら、それはお前の有用性であると云える。これは大きなメリットだ。2点。加点してやる。喜べ」


「は、はは……」



 先程脳内で加点した1点をそれと明かさずに含めてやる。


 しかし当然だが、メロには喜ぶ様子は一切ない。ただ苦い顏で曖昧に愛想笑いをするだけだ。


 そうすることしか出来なかった。



「だが、まだマイナス1だ――」



 当然、このことで自分が許されたり、見逃してもらえたりはしないとわかっているからだ。



「で、でも……」



 黙っていても殺されるだけなので、ジロリと見下ろしてくる弥堂にとりあえずの反論を試みる。


 今しがたのように、意図しないことでも何か彼がメリットと捉えるものがあるかもしれない。


 少しでも時間を稼ごうと考えた。



「なんだ?」


「マ、マイナス1なら、ギリギリ許容できるってさっき……」


「言ったな。それが?」


「そ、それなら……」


「許容を出来るかどうかと、実際に許容をするかどうかは別の話だ。そして俺は妥協をしない。基本的には、な」


「…………ッ」



 メロは必死に考える。


 この場を切り抜けられる言葉を。

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