1章終 俺は普通の高校生なので、魔法少女とは出逢わない
驚きに見開かれた瞼の中の、まんまるな瞳を見つめる。
「私たちの、これから……?」
「そうだ」
自分の言ったことを反芻する彼女に弥堂は頷いてやる。
「一応、先に聞いておいてやる」
「え?」
「お前、先のことで、何か考えていることはあるのか?」
「あう……」
予想どおり、彼女は情けない顏で口ごもった。
「……まぁ、さっき起きたばかりだから仕方ないな」
「えっと……、でも、ちゃんと考えなきゃだよね……」
「どうせ答えは出ないだろうがな」
「で、でも……っ、がんばればきっとどうにかなると思うの!」
グッと両手を握って自らのやる気をアピールする彼女に弥堂は冷たい視線を向け――
「――最後の戦いの前日、同じような話をしたよな。今日初めてした話じゃないぞ」
「あ、えーっと……、その……」
「色々忙しかったから――とでも言い訳をしてみるか?」
「あうぅ……、ごめんなさぁい……」
シュンと俯く彼女に嘆息する。
だが、これも想定どおりの反応だったので、特に咎めることはなく先に進めた。
「あの時、俺はお前に強盗か売春を勧めたわけだが。それはやりたくないんだったよな?」
「えっと、うん……」
「その考えは今も変わってないか?」
「だって、しちゃダメなことだし……」
「そうか。お前には適性があると俺は思ったんだが、残念だな」
「ご、ごめんね……?」
“よいこ”の愛苗ちゃんは申し訳なさそうにする。
だが、その膝の上にいるネコさんは弥堂へ化け物を見るような目を向けた。
女性に対して「キミには強盗と売春が向いてるから、是非やった方がいいよ!」などと、およそ人類が口にすべきでない発言を面と向かってするクズ人間の品性を軽蔑したのだ。
「せっかく俺が考えてやったのに、アレもヤダ、コレもヤダと言うなら、もう知ったことではない――というのが先日の俺の結論だったわけだが……」
「あ、あの、ホントにゴメンね? でも――」
「――だが」
『犯罪はしちゃいけないんだよ?』的なことを主張しようとした愛苗の言葉を、弥堂は語尾を強調して遮った。
「だが、考えが変わった」
「え?」
「それで放り出してしまうのは少々無責任だなと、そう思い直したんだ」
「えっと……?」
どこか芝居がかったような弥堂の言い回しからは要領を掴めず、愛苗は首を傾げる。
弥堂は変わらず彼女の瞳を見つめたまま、元々するつもりだった提案を始めた。
「結論から言おう。水無瀬、お前は俺が引き取る」
「ひき、とる……?」
彼女の目がまたまんまるに開かれるのを待ってから説明をする。
「そうだ。引き取る、養う、面倒を見る、世話をする――言い方の拘りは俺にはないから、お前の好きな表現を選べ」
「えっと、あの……、弥堂くん……?」
「『弥堂くん』? それはどういう意味だ? 女を飼育することの隠喩に俺の名前を採用するということか? それは一体どういうつもりだ。バカにしてんのかテメエ」
「あうあう……ち、ちがうの……っ! 今のはついお名前呼んじゃっただけなの……」
「特に意味もなく人の名前を呼ぶな。いいから先に言われたことに答えろ。お前の三つ編み3本に増やすぞ」
「あわわわ……っ⁉ た、たいへんだぁ……っ」
少し興が乗ったので特に意味もなく詰め倒してみる。
すると、慌てた彼女は手をわたわたと動かして奇怪な踊りをした。
弥堂はその様子を見て、あまり揶揄いすぎると点滴の針が抜けて事故が起きてしまいそうだと反省する。忙しなく彷徨う彼女の両手を摑まえて、丁寧に膝の上に降ろさせてやった。
「とにかく、お前を俺の家に住まわせて、とりあえず生活に必要なだけの金はくれてやる。他のことは自分でどうにかしろ。それで後のことは生活をしながら考えればいい。わかったな?」
「で、でも……っ」
せっかくこちらが、何の得もないのに養ってやると申し出ているのにも関わらず、生意気にも反論をしようとしてくる少女に、弥堂は不機嫌そうに瞼を歪める。
「なんだ?」
「だって……、めいわくだし……」
「それは俺が決めることだ」
「でも、弥堂くんこないだは『ヤダ』って言ってたし……」
「そうだな。確かに言ったな。面倒だし目障りだし邪魔だし鬱陶しい、と」
「あうぅぅぅぅ……っ」
「オイ! そこまでは言ってなかっただろッス!」
「正確には、うっかり殺しちまうかもしれねえから出て行け――だったか?」
「うぇぇぇ……」
盛ったつもりが実際の発言の方が過激だった。
幼気な愛苗ちゃんは悲しそうに眉をふにゃっと下げた。
「別に何と言っていたのでも構わん。だが今さっき言っただろ。気が変わったと」
「……でも、本当はヤなんじゃ……?」
「うるさい黙れ。いいか? 過去の俺と今の俺は別人だ。何故なら新陳代謝とかして細胞が入れ替わってるからだ」
「そ、そうなの……?」
「つまり、過去の俺の発言よりも今の俺の発言が常に優先される。わかったな?」
「う、うん……」
「それって今してる発言も明日には変わるかもしんねーから、全く信憑性がないってことなんじゃねッスか……?」
「黙れ。四つ足の分際で生意気だぞ」
懐疑的な目を向けてくるネコさんをパワハラで黙らせる。
しかし、意外と頑固な愛苗ちゃんはそれでも納得しなかった。
「あのね? やっぱりダメだと思うの」
「何故だ」
「私ね? おんなじ話を弥堂くんのお家で聞いた時に気が付いたんだけど、暮らしていくって大変なことだってわかったの」
「…………」
おそらく両親のことを想ってだろう。
寂しげな顔になった彼女をジッと視る。
「弥堂くんの気持ちはとってもうれしい。ありがとう。でもね? これって、弥堂くんに二人分の暮らしを負担させちゃうってことだよね? 私、自分一人だけでも『たいへんだぁー』ってなっちゃったのに……。そんなこと弥堂くんにさせられないよ……」
彼女にしてはしっかりとした反論をしてきた。
弥堂は間を空けて、一旦彼女の主張を受け入れたフリをしてから、再度口を開く。
「それなら問題はない」
「でも……」
「お前が指摘した問題とは、要は金だろ?」
「えっと……?」
「身も蓋もねェッス……」
「幸い金ならある。稼ぐ手段も。女子高生とネコを一匹ずつ飼うくらいは全く負担にならない」
「言い方ァ! 我々ネコさんはニンゲンさんの暮らしのパートナーッスけど、JKを飼ったら事案ッス!」
「メ、メロちゃん暴れたら落ちちゃうよ……」
コンプライアンスなど欠片も持たない、全てを金で解決しようとする男に抗議しようと興奮するネコさんを、愛苗は慌てて抱っこして抑えた。
「上っ面などどうでもいい。前も話したとおり、お前が困ってるのは金がないからで、金を稼ぐ手段がないから恒久的に困り続けるんだ。状況は何も変わってないだろ」
「それは、そうかも……」
「だから、お前が就職して社会で独り立ちできるくらいまでは面倒を見てやる。それを借りだと思うのなら、返したいだけの金を将来にでも返せ。奨学金みたいなもんだと思っとけよ」
「だけど……」
愛苗は言いかけたまま考え込む。
彼女自身、他に選択がないことをわかってはいるのだ。
だが――
「――ごめんね。やっぱりダメだよ……」
それでも彼女は固辞した。
「ほう?」
弥堂はすぐに反論するでもなく、興味深げに彼女の顔を見る。
「あのね? お金のこともそうだけど、でもそれだけじゃなくって……」
「聞いてやる。言ってみろ」
「ありがとう。えっとね? 今回、私のせいで弥堂くんをすっごく危険な目に合わせちゃったじゃない?」
「そうだな」
弥堂は特にそれを否定しない。
事実を否定しても意味がないからだ。
それに、他にも目的はある。
「私、魔法少女だぁーって浮かれてて、結果的にあんなにあぶないことになっちゃって。私と一緒に遊んでなければ、弥堂くんを巻き込まんじゃったりしなかったと思うの……」
「遊んでねえよ」
「え?」
「いや、なんでもない。続けろ」
「あ、うん……」
彼女の反論を全て吐き出させるつもりだったが、聞き捨てならないことについ言い返してしまった。
弥堂は口を噤んで愛苗に話を続けさせる。
「だからね、これからもまたああいうことがあるんじゃないかって……。弥堂くんだけじゃなくって、街の人たちもあぶないことになっちゃったし……」
「ふむ……」
愛苗が居たからああなったとも謂えるし、仮に彼女が居なくても同様の災害に見舞われる可能性がなかったわけではない。
こちらの世界でも、あちらの世界でも、古くから言い伝えられる悪魔の“ああいった行動”は災害以外のナニモノでもない。なにせ価値観どころか存在の成り立ちから異なるまったく別の生き物なのだ。
事前に気付いたとしても説得して止めるのは不可能だろう。
ならば結局、出遭ってしまったら戦う外に術が無い。
「それは道を歩いていて車に轢かれる確率とどっちが高いんだろうな」
だから切り捨てる。
どっちとも謂えるような話なら、どうでもいいからだ。
「ダメだよ……。だってまた弥堂くんが――」
言いかけながら、愛苗は少し驚いたように言葉を止めた。
「俺が、なんだ?」
「びとうくんが……、あれっ?」
何かを思い出そうとしているような彼女へ、ジッと身定めるような視線を送る。
何をどこまで憶えているのか――
だが、愛苗は頭を振って、生じた疑問への拘りを捨てた。
それよりも大事なことを伝える――それを優先する。
「とにかくね? 弥堂くんをあぶないことにもう巻き込めないよ。私が居なかったら弥堂くんは普通の高校生として――」
「――普通の高校生は魔法少女に出遭わない」
「えっ……?」
同じことを繰り返し言っていることから、それが彼女の結論なのだと判断した。
そして、その上で、その反論を潰しにいくことにする。
「普通の高校生は魔法少女に出遭うことなどない。そうだろ?」
「え? えっと……、そうなのかな?」
「そうだ。だって、みんなお前のことなど忘れてしまっただろう?」
「あっ……」
ハッと、言葉に詰まる彼女に、弥堂は続けて言葉を浴びせる。
「お前と出会っていた人たちは、それを忘れた。出会ってないことになってしまった」
「それは……」
「だが、俺は違う。俺だけはお前のことを忘れない」
「…………」
「つまり、俺は普通の高校生ではない――ということだ。だったら別にいいだろ」
弥堂の言葉に愛苗は咄嗟に何も言い返せない。
少し考えて、反論の言葉を探す。
「だって、それは……、私のせいで……」
「まぁ、普通かどうかなど別にどうでもいいんだがな」
「え?」
「予め上司に言われていたんだ。普通の高校生は、もしも魔法少女に出逢ったなら必ず味方をすることが当然。そしてそうなった時点でもう普通ではない」
「じょうし、さん……?」
「部活の部長だ」
不思議そうな顔をする彼女へ肩を竦めてみせた。
「魔法少女のお前と路地裏で出くわす前と後で、俺にどんな違いがある?」
「それは……」
「何もない。俺の魂は何も変わっていない」
「だけど……っ! いっぱいおケガしちゃったし」
「関係ないな。別にお前と出会わなくても、相手が悪魔でなかったとしても。俺はどこかで必ず誰かと戦っていた。相手が違うだけで俺自身の行動には何も変わりはない」
「そ、そんなの――」
「――水無瀬。俺はな。死に場所を探していたんだ」
「え――」
その言葉に反論しようとする愛苗の口が止まる。
思考とともに。
「俺はずっと死ぬべきだと考えながら生きていた。この自分を終わらせる場所を、ずっと求めていたんだ」
「ど、どうして……」
「生きているべきではないからだ。それ以上は言うつもりはない」
「そ、そんなこと……」
ただ口ではそう言っているだけ――
そんな風には愛苗にはとても思えなかった。
これまでに見てきた戦っている時の彼の姿。
この言葉が本当のことであることを、あの壮絶な様が何よりも物語っていた。
生き残るつもりがないから、どんな無茶も出来る。
今更それを知って、今頃その記憶を想像し、愛苗はゾッと青褪めた。
彼女が共にしたどの戦場でも、彼は“そう”なってしまったとしても、全く不思議はなかったからだ。
そして今まで以上に、彼を巻き込むことへの恐怖を感じる。
「び、びとうくん、やっぱり――」
「――巻き込めないって?」
「そ、そうだよ……、死んじゃうなんて、ダメだよ……」
「ふん、無駄だ」
「え?」
本気で“それ”を恐れているのだろう。
だから愛苗は必死に止めるための言葉を紡ごうとするが、そんな彼女へ弥堂はどこか得意げに鼻で嘲笑った。
「言っただろう。お前が居なかったとしても変わりはないと。その時はお前の居ない所で違う奴と勝手に戦って勝手に死ぬだけだ」
「そ、そんなのだめだよっ!」
「そうか。そう思うのか?」
「あ、当たり前、です……。死んじゃうなんて、絶対にだめ」
「だったらお前がどうにかしろ」
「え?」
愛苗は必死に弥堂を思い留まらせようとするが、彼の得意の跳躍論法に翻弄され、何かを言い返そうとする度に思考停止させられてしまう。
「ずっと死に場所を探していたんだが、実はこないだ少し考えを改めてな」
「そ、そうなの……?」
「あぁ。何故だかわかるか?」
「えっと……、ごめんなさい。わからない」
「お前だ」
「わたし……?」
いつもの無表情で何かを読み上げるように弥堂は口を回す。
「そうだ。あの地獄みたいな戦場でな、ちょっとお前の面倒みてやろうかと、不覚にもそう思っちまったんだ」
「えっと……? ありがとう……?」
「だが、お前にそれを拒否されてしまったのなら仕方がない。今の世の中、女性が同意していないのに押し通したら俺はレイプ犯として逮捕されてしまうからな。諦めるしかない。だからお前も俺を諦めろ」
「えっ……? えっ……?」
「お前はお前で勝手にすればいい。代わりに俺が何をしようと文句を言うなよ」
「で、でも、死んじゃうのは……」
「うるせえな。それが嫌ならお前が一緒に暮らして俺を監視しろ。じゃないと俺がどっかで野垂れ死ぬぞ? いいのか?」
「かんし……? のたれ……? あれ……? えっ……?」
「どうするんだ? お前が決めろ。お前は俺が死んでもいいと言うのか? 魔法少女のくせにお前はそんな薄情なヤツだったのか? おい、どうなんだ?」
「あわわわ……っ⁉」
自らの生命を盾にして女子高生に同棲を強要する非道な男の畳み掛けに、愛苗ちゃんはおめめをぐるぐる回して混乱した。
いつもは騒がしくすぐに軽口を挟んでくる自称ネコ妖精は、今は静かにしていて、黙ったまま彼女の膝の上で身体を丸めている。
混乱する彼女の手の甲をひと舐めした。
そのことで愛苗は少し落ち着きを取り戻す。
「あの……、私がいないと、弥堂くん死んじゃうの……?」
「ん? あぁ、そうだ」
「そうなんだ……。じゃあ、いいのかな……?」
「さぁ? いいんじゃないか?」
「う、う~ん……」
弥堂得意の脅迫によるパワープレイでなし崩しにではあるが、幼気な16歳の少女は男と同棲することを説得され始めてしまった。
「大体、断ったとして。お前実際どうすんだ? どうしようもねえだろ」
「そ、それは、が、がんばろうかなって……」
「無理だな。そもそもの話、ここの金はどうするんだ?」
「ここ?」
「お前な。病院は無料じゃないぞ」
「あっ――」
言われて初めて気が付く。
「お前には戸籍もない。金の払えない身元不明の患者。それも未成年だ。間違いなく警察に連れて行かれるだろうな」
「あぅぅぅ……」
「諦めろ。ここに入れられた時点で既にお前は詰んでいる。刑務所よりは俺の家の方がマシだろ?」
「わ、私って逮捕されちゃうの……⁉」
「当たり前だろ。お前みたいな魔法少女を自称する不審者が堂々とシャバを歩けると思うなよ」
「そ、そんな……」
ガーンっとショックを受けて愛苗ちゃんは項垂れてしまう。
弥堂はその姿をまるで実験動物の経過を観察するような眼で見下ろし、だが、悟られぬように薄く安堵の息を吐いた。
「そっか……、私保険証もないから……」
「それなりの値段を請求されるだろうな」
「そうだよね……」
「ちなみに俺は十分な金を持っている」
「ぅぅぅ、でも……」
「なんだ? まだ抵抗するのか?」
まるで人攫いのような視線と台詞の弥堂に、愛苗は顔を上げて首を左右に振った。
「ううん。抵抗っていうか、私……、どうすればいいんだろって……」
「だから金なら払うと言ってんだろ」
「えっと、そうじゃなくって。もしも弥堂くんのお家に住まわして貰ったとしても、それからどうすればいいのかなって……」
「……? 別に好きにすればいいんじゃないのか?」
意味がわからないと眉間に皺を寄せる弥堂に、愛苗は苦笑いをしながらまた首を横に振った。
「えっとね? 私ってぜんぶなくなっちゃったじゃない?」
「そうだな」
「まずバイトとかしなきゃだと思うけど、でも、弥堂くんに生活させてもらっても。それ以外にどうやって生きたらいいのかわかんなくなっちゃって……」
正直に心の裡を打ち明けた愛苗の言葉に、弥堂はやはり意味がわからないといった顔をした。
「だから、好きにすればいいと言ってんだろ」
「好きって……、だって、何もなくなっちゃったのに、誰もいなくなっちゃったのに……」
「わからないな。ただ今までが無かったことになっただけで、誰も死んでないだろ」
「だって、私、ちっちゃい頃からずっと病院に居て……、やっとお外に出れて、お家に帰れて。学校にだって行けるようになったのに……」
彼女の目に涙が浮かぶ。
喪失の痛みを吐露し始めた。
「小学校も中学校も行けなかったから、わかんないことばっかりで……、でも、がんばってお友達欲しいなって……っ。がんばったのに……。せっかく、お友達になれたのに……っ。なのに、ぜんぶ無くなっちゃうなんて……ひどいよ……っ!」
水無瀬 愛苗は嘘を吐かない。
吐かないし、吐けない。
そんな彼女は正直ではあるが、嘘を吐けない分、言えない本音は口にしない。
今日ここまで悲運に見舞われながらも、どこか能天気にも視えるほどに気丈に踏ん張ってきた彼女が、ここでようやく本当の本音――弱音を吐いた。
それを受けた弥堂は――
「――あぁ、なるほどな」
実に軽く流して、クルっと彼女へ背を向けた。
「弥堂くん……?」
愛苗の視線を背中に受けながら荷物を置いた場所へ歩く。
「全部は無理だが、そうだな……6、7割はどうにかなる」
「え……?」
言いながら、手に大きな封筒を持って、戸惑う愛苗の元へ帰って来た。
「――うにゃーっ⁉」
そしてその中身を愛苗の膝の上へぶちまけた。
頭の上にバサバサと紙類が振ってきて、驚いたメロがベッドから床へ飛び退いた。
「え――これ……?」
一番上にあった物を手に取って愛苗は驚く。
「住民票だ。保険証は少し時間がかかるが、退院までには間に合う」
弥堂の言葉どおり、愛苗の手にある物は公的な書類だった。
ただし、名前と生年月日以外は今までの物とは違う。
「お前の名前は水無瀬 愛苗。12月25日生まれ。16歳。父は弥堂 啓一。母は水無瀬 花子。二人は内縁関係のまま娘の愛苗を産んで育てていた。しかし途中で別居し愛苗は母と暮らしていた。父は数年前に亡くなっている。今回母も不慮の事故で亡くなった。身寄りの無くなった愛苗を、啓一の弟である
「え? えっ……?」
「俺の父、弥堂 貴人と兄の啓一は実在の人物だ。啓一が死んでいるのも事実だ。水無瀬 花子は架空の人物だ。啓一は生涯独身だった。そいつに実は娘が居た――というストーリーになっている」
「あ、あの……?」
愛苗には馴染みのない展開の話に着いて行けず、茫然としたまま手の中の住民票や戸籍謄本をジッと見る。
「あの、これとか保険証とか、どうしたの……?」
「買った」
「えぇ⁉ ほ、保険証って買えるんだ……」
「あぁ。大概の物は買える金がある。安心しろ」
愛苗ちゃんの言う『買える』はそういう意味ではないのだが、非合法な組織から非合法な物を非合法な手段で購入した男は力強く請け負う。
しかし、やはりその眼つきは他人に安心を促す類のものではなかった。
「その下の封筒を見てみろ」
「した……?」
言われたとおり、手に持った書類の下を覗いてみるとA4サイズの茶封筒がある。
中に入っていた紙を見てみると――
「――転入届……? これって……っ!」
もう一度封筒を見てみれば、表面には『私立美景台学園高等学校』の印字が。
「もしかして……」
「あぁ」
封筒に書かれた学校名をジッと見ながら愛苗は呟く。
「わたし……、また学校に行けるの……?」
視線を上げて、今度は弥堂の顔を見つめた。
「さぁな」
「えっ?」
だが、弥堂はその視線を受けながら、答えははぐらかす。
「言っただろ? 俺が今日、学園に何を提出しに行くのかは、お前次第だと」
「あっ……」
「お前はどうしたい? これも言ったな。好きにしろと」
その答えを――望みを、彼女自身に言わせるために。
「わたし……、でも……」
「不安か?」
「……うん。だって私、みんなの知らない子になっちゃったし……」
「それがどうした」
「え?」
大したことじゃないといった弥堂の口ぶりに、愛苗は思わず彼の顔へ視線を戻した。
「確かに忘れられたままで、元のお前として学園に戻るのは難しいだろう。だから転校生として新たに編入するんだ。続きをするんじゃない。新しい別のお前としてもう一回やり直すんだ」
「もう一回……」
「こういうの何て言うんだったか……、そうだ。強くてニューゲームだ」
「つよいの……?」
「あぁ。だって考えてもみろ。お前はあいつらがどういう人間かもう知っているだろ?」
「あ――」
弥堂の言わんとしていることがわかったようで、愛苗の表情に理解の色が灯る。
「確かに学園の名簿からお前の名前は消え、あいつらの記憶からもお前は消えた。『世界』から『水無瀬 愛苗』という意味が消えてしまったから……」
「…………」
「だったらまた最初からやり直せばいい。新しい『水無瀬 愛苗』の意味を、あいつらに教えてやればいい。簡単だろ? なにせお前にとっては二回目なんだ」
「わたし……」
目を見開いたまま、愛苗は三度学園の封筒を見つめる。
「わたし……、出来るかなあ……? 転校生……」
「そもそも願書出して金さえ払えば入れるような学校なんだ。イージーだな」
「また……みんなとお友達になれるかな……?」
「お前は既にそいつらが何を好んで何を嫌うかを知っている。イージーだな」
「それって、なんか“ずる”してるみたい」
微かに彼女は笑う。
「また……、ななみちゃん、お友達になってくれるかな……?」
だけど、まだそんな不安を漏らす彼女に弥堂は呆れたように嘆息した。
若干面倒になってきて態度がぞんざいになる。
「どうだろうな。あいつカスだしな。お前イジめられるかもしれんぞ」
「な、ななみちゃんはそんなことしないもんっ!」
「そうか? 俺はそうは思わないな。なんせ実際に転校生であった俺に対してアタリが強い。あの女は余所者に対して攻撃的になるタイプの排他的なクソ女だ」
弥堂は適当な虚空を見上げながら殊更に希咲のことを悪く言った。
どうでもよさそうに。
すると、大好きな親友の七海ちゃんの悪口を言われた愛苗ちゃんは、彼女にしては珍しいほど強い語調で反論する。
「そんなことないもん! ななみちゃんは優しいもん! ひとりぼっちで困っちゃってる子がいたら、『どうしたの?』って話しかけてくれて……、助けてくれて……、それでおともだちに――あっ……!」
言いながら自分で答えに辿り着いた彼女に、弥堂は不器用に口の端を持ち上げてみせた。
「わかってんじゃねえか」
「……うん」
愛苗はまた膝の上の封筒へ顔を向ける。
今度は文字を読むためではなく、零れ落ちそうなものを堪えるために。
だが、留めることは出来なかったようで、ポツリと封筒に丸い染みが出来る。
「いいのかなあ……? ホントに、いいの……?」
「さぁ? いいんじゃないか? お前次第だ」
「わたし、もう一回学校いきたい……っ」
「行けよ」
「また、ななみちゃんと、おともだちになりたい……っ!」
そして彼女はついに、その望みを口にした。
涙と一緒にポロポロと本音が零れていく。
「なれるんじゃないか?」
同じように適当に答えながら、弥堂は愛苗の手から丁寧に封筒を取り上げた。
彼女の目からポタポタと落ちる涙が他の書類まで濡らしてしまいそうだったので、一度全てを回収する。
そしてベッドの上の彼女の隣に座った。
「あいつよ、お前のこと好きすぎて気持ち悪いくらいだったからな。多分簡単に堕とせるぞ? あの女」
「え、えへへへ……っ、その言い方はよくないよぉ……」
「一緒だろ。なにせあいつはギャルだ。ギャルはビッチだ。ビッチはすぐに堕とせる。つまり効率のいい女だ。どうだ? 論理的だろ?」
「もう……、弥堂くんわざと言ってるでしょ?」
泣きながら笑う彼女に肩を竦めて、答えは言わなかった。
「仮に、あいつがビッチじゃなかったとしても。既に一回お前らはダチになってんだ。お前なら絶対にもう一回できるさ」
「うん……、ありがとう……っ」
「さっきも言ったが、お前は既に知っている。学園のことも、生徒たちのことも、希咲のことも。あいつらは忘れちまったが、お前は知っている。取り入るのは簡単だ。そうだろ?」
「取り入るはよくないよぅ。やっぱりちょっとずるいことするみたい……」
「ずるくない」
冗談めかした彼女の口調に対して、さっきまで適当に喋っていた弥堂の方が真剣な声でそう否定する。
「何故なら、学園も生徒も、総て失くなっている可能性もあったからだ」
「え?」
「学園が変わらずあるのも、生徒たちがまだ生きているのも、それらは全てお前のおかげだ。お前が街を守ったからだ」
「あ……」
「だから、ずるくない。ずるかったとしてもそんくらい別にいいだろ。あんな化け物どもとたった一人で戦ったんだ。それくらいの報酬を貰っても誰も文句はない。言う奴がいたら俺がぶん殴ってやる」
「あはは、ぶったらダメだよぉ……、でもね? 弥堂くん――」
人差し指で自分の涙を拭いながら、愛苗はもう片方の手を弥堂の手に重ねた。
「――ひとりじゃないよ?」
「あ?」
さらにもう一つの手も重ねて、弥堂の大きな右手を小さな両手でギュッと握った。
そして潤んだ瞳で彼の顔を見上げる。
「ひとりぼっちじゃなかったもん。弥堂くんが一緒に戦ってくれたから……」
「あぁ、そうだったな。『俺たち』の話だったな」
「うん。『私たち』のことだもんね……」
少しの間見つめ合って、やがて愛苗が口を開く。
「……本当にいいの?」
「いいんじゃないかって言ってんだろ」
「ううん、そうじゃなくって。弥堂くんは、本当にいいの?」
「よくなければ言わない」
ハッキリと断言する。
「迷惑じゃない?」
「迷惑だな」
「大変だよ?」
「だろうな」
「なのに、いいの……?」
「問題ないな」
「どうして?」
その問いには、すぐには答えられず、弥堂は一つ息を呑んでから答えた。
「昔、好きだった女がいて。そいつが孤児院でガキの面倒を見てたんだ……」
「好きなひと?」
「あぁ。バカな女で、お前みたいに行き場のなくなったガキたちを世話をしていたんだ。行き場のないガキだった俺も世話になった」
「そうなんだ……」
「だけど、俺がバカだったせいで……、全部駄目にしちまった……。だから、今ここでお前を見捨てて、そんであいつに会いに行ったりしたら、多分ぶん殴られちまう……。だからお前、俺に拾われてくれよ」
「…………うん」
彼女の手を握り返してそう伝えると、愛苗は頷く。
どこかまだ消極的に。
「……私、いっぱい迷惑かけちゃうかもしれないよ?」
「そうかもな。だが、お前は思い違いをしている」
「え?」
「確かに俺は迷惑を被るかもしれんが、それはお前も同じことだ」
「ど、どういうこと……?」
「お前わかってんのか? 俺と暮らすってことの意味を」
「え? え……?」
混乱する彼女へジトっとした眼で事実を告げる。
「先に言っておく。俺の方が遥かに多くお前に迷惑をかける」
「えぇっ⁉」
自身満々にされた宣言に愛苗ちゃんはびっくり仰天した。
「俺は社会不適合者だ。碌なことをしない。法律もあんまり守る気はない」
「え、えっと……?」
「ゴミは分別しない。面倒だからだ。気になるならお前がやれ」
「は、はい……?」
「掃除もしない。嫌いだからだ。不衛生なのが嫌ならお前がやれ」
「う、うん……」
「飯は“
「うん……、ふふふ……、いいよー?」
SNSで同じことを発言したら間違いなく炎上するようなことを、清々しいほどに悪びれずに命令してくる。
そんな弥堂に、ついに愛苗はクスクスと笑いだした。
「お洗濯もしてあげるね?」
「服なんか全部クリーニングに出すか、買い替えればいいだろ」
「そんなのダメだよぉ」
「金で解決するんだからいいだろ。基本的に俺は金だけは出してやる。それ以外のことは全部お前がやれ。いいな?」
「うん。わかっ――あっ……⁉」
「ちっ」
急に軽くなった雰囲気の中で、うっかり言質をとられそうになったことに愛苗はギリギリで気付いた。
若干彼女の説得が面倒になってきた弥堂は隠しもせずに舌打ちした。
「お掃除もお洗濯もお料理もいいんだけど……、でもやっぱり、本当にいいのかな……?」
「まだ言ってんのか」
「だって、弥堂くんだって高校生なのに……。こんなに甘えちゃっていいのかなって……」
「つまり、お前がまだ気にしているのは『俺に悪いってこと』か?」
「う、うん……」
もうほぼ答えは決まっている。
他に選択肢がないというのがあっても、しかしそれでも他人に迷惑をかけること、足を引っ張ることを彼女の性格上よしとしない。
だから彼女はこの期に及んでも煮え切らない様子だった。
そして弥堂としても、この状態でなし崩しに同居に持ち込むだけでは満点の成果とは言えない。
だから、仕方ないと諦めた。
意識して溜息を吐く。
「……やっぱり最初からこっちの言い方にすればよかったか」
「こっち?」
「なぁ、水無瀬」
「なぁに? 弥堂くん」
「お前、俺の部屋を見てどう思った?」
「え――?」
突然の空気が変わるような質問に愛苗はギクリと動揺した。
彼の家にお邪魔した時に、思ったことが無かったわけではないからだ。
「何か察している様子だが、一応言っておく。俺は一人暮らしだ」
「うん……」
「わかっているとは思うが、家族とは疎遠だ。というより絶縁している」
「あ、あの……」
「お前程の不運があったわけじゃないが、なんというかこれも俺がバカだったからだ。親不孝をしてしまって、それで勘当されちまったみたいなもんだ」
「そんな……」
「だからな、水無瀬――」
ジッと今一度彼女の瞳を見つめる。
「――俺も独りぼっちなんだ」
「あ――」
「別にそれをどうとも思っていなかったし、どうでもいいと思っていた。ずっとこのままでもいいと。だけど、昨日考えが変わった」
「…………」
「ひとりぼっちは寂しい。だから水無瀬――俺の傍に居てくれないか?」
「――っ」
決して逃がさないように彼女の手を強く握ると、息を呑んだ気配が伝わった。
「頼むよ。俺の家族になってくれ――」
そして、最後の言葉を発音すると同時に、すぐ目の前の愛苗の瞳に一際大きな涙が浮かぶ。それはすぐにボロボロと溢れて零れだした。
「――ぅっ……、うぇぇぇ……っ。ず、ずるいよぉ……」
感極まったように、愛苗は嗚咽混じりにそう言いながら、弥堂の手を握り返した。
「そんな風にいわれちゃったら……、わたし、だめって言えない……っ! いじわるだよぉ……っ」
泣きながら、縋りつきながら、そんな文句とも言えない文句を言ってくる彼女に弥堂は口元を緩めた。
「あぁ。お前が言ったんだろ? 俺は『ちょっといじわる』だって――」
「――うああぁぁ……っ!」
彼女自身に正門前で言われたとおりに、意地悪げにニヤリと口の端を持ち上げると、愛苗が飛び込んできた。
胸に顔を押し付けて腰にしがみついてくる彼女をしっかりと抱きしめ返した。
「び、びとうぐ……っ、ありがっ……、ぅあ、ありがどおぉぉ……っ!」
「耳元でうるせえな。なに言ってっかわかんねえよ」
「うああぁぁっ、ごべんなざぁい……っ!」
適当に返したら余計に泣き出したので、弥堂は嘆息して少しそのまま泣かせておくことにした。
「わたじっ、わたっ……、うぇぇぇっ、めいわぐっ、ばっかり……っ!」
「しつけえな。あのな、俺もお前程じゃないが、それなりに地獄を見て来てんだ。ガキ一匹養うくらいなんともねえよ」
「うぇぇぇぇぇっ」
「というわけで、これからは家族としてよろしく頼む」
「うあぁぁぁぁっ」
「…………」
「ぁいたぁーっ⁉」
泣き止むまで暇だったので、むぎゅっと彼女のお尻を抓ってみたらさらにピーピーと泣き喚いた。
「やっぱ、なにしても泣くな……」
もう一度彼女をしっかり抱きしめ直しつつ、少し面白いなと思って口角を上げてみる。
愛苗の頭ごしに、壁に貼られた鏡が目に入った。
それに映った自分の顔はいつも通りの顔だった。
少しの間、つまらなそうにそれを見る。
愛苗の背を撫でながらそうしていると――
――突如、大人しくしていたメロが毛を逆立たせて走り出し、ベッドの下に潜り込んだ。
それとほぼ同時に病室のドアが開かれる。
「――お待たせしましたぁ! 準備が出来たので検査に……」
元気な声で部屋に一歩踏み込んだ女性の看護師は、ベッドの上で抱き合う二人の姿を見て尻すぼみに声を失った。
「あ、あはは……、ごめんなさい。兄妹の感動のシーンを邪魔しちゃったかな……? 悪いんだけど先に検査に――」
そう言って苦笑いを浮かべながら気を取り直して部屋に入ってこようとする彼女に対して――
「――待て」
弥堂は制止した。
ジッと看護師の姿を視る。
派手な髪色、他の看護師よりは派手な化粧、少し焼けた健康的な肌の色。
「動くな」
警告を与えながら鋭い視線を向ける。
そんな弥堂の腕の中、彼の瞳の奥で仄かにゆらめく蒼い焔を見上げながら、愛苗はぱちぱちと不思議そうにまばたきをした。
「貴様――さてはギャルだな?」
「は? え? め、面と向かってそう聞かれるの初めてかもだけど、まぁ、一応……?」
「ふん、語るに落ちたな」
早々に自白をした女を弥堂は見下した。
「えっと……? 弥堂くん……?」
「気をつけろ。あの女はクソだ」
「弥堂くんっ⁉」
これからお世話になる初対面のナースさんを出会い頭に罵倒する家族の蛮行に、愛苗ちゃんはびっくり仰天した。
「そ、そんなこと言っちゃだめなんだよ⁉」
「希咲はギャルだ。そうだな?」
「そ、そうかもしれないけど、なんでななみちゃんが……」
「いいか愛苗。希咲はクソだ。つまりギャルはクソだ。だからそこの女もクソだ。敵に違いない」
「そんなことないよぉ⁉」
「うるさい。これでも食ってろ」
「むぐぅ……っ⁉」
喧しい愛苗の口にポケットから取り出した酢こんぶを突っ込んで無理矢理黙らせる。
「あっ⁉ コラ! まる一日意識なかった子にそんな消化に悪いもの食べさせちゃダメ!」
「うるさい黙れ。家族のことに口出しをしないでもらおう」
「いや、ここ病院! ナースさんの指示に従って!」
「知ったことか。それよりもそれ以上部屋に入るな。その車椅子から離れて廊下に出ろ」
「なんで⁉」
「貴様は刺客なんじゃないのか? それに爆弾を仕込んでいないか? 誰に頼まれた?」
「なんなのこの子⁉」
まだ年若く経験の浅い看護師さんは、今までに出遭ったことのないレベルの厄介客に頭を抱えた。
「俺を素人だと侮ったか? 貴様のようなギャルを信用すると思うなよ。検査室には自分で行く」
「え? あ、ちょっと! そんな雑に動かしちゃダメだってば……!」
専門家の制止を聞かずに素人は患者さんを抱き上げると、患者さんの腕についた点滴の針をビッと適当に抜いてその辺に投げ捨てた。
「――って、あああぁぁぁぁ……っ⁉」
そのあまりの所業にギャルナースさんはビックリ仰天する。
「ちょっと! いくらなんでも……、それは本当に危ないのよ⁉」
「さっきからうるさいな。これくらいのことでこいつがどうにかなるか」
「なに言って――」
「――失せろアバズレが。お前じゃ話にならん。俺を止めたければ上司を連れて来い」
「婦長ーっ! 婦長来て下さーい! いまだかつてないレベルのモンクレですぅ……っ!」
大声でヘルプを求めながらギャルナースさんはパタパタと廊下を走って行く。
その後を追って弥堂も歩き出した。
何歩か進んで、自身の頬に刺さる視線に気付いてそちらを視る。
ほっぺをむぐむぐ動かしながら、愛苗がじっと見ていた。
「なんだ?」
「…………」
一切悪びれた様子のない弥堂に、彼女はむぐむぐごっくんしてから答える。
「弥堂くん……めっ!」
そう言って、彼女は人差指で弥堂の頬をつついた。
「なんだよ」
「えへへ。弥堂くんが言ったんだもん。いけないことしたら、どうにかしてって」
「そんな意味で言ったつもりじゃないんだが……、まぁ、いいか」
ニコニコと楽しそうに笑う彼女を横抱きにして部屋を出る。
出口を潜る際に横に置いてあった車椅子にガンっと蹴りを入れてどかす。邪魔だったのだ。そして、廊下を歩いていく。
「あっ――⁉ めっ……!」
「やめろ」
「えへへー」
「……勘弁してくれ」
「うん、いいよー?」
楽しそうにほっぺをツンツンしてくる愛苗に観念して詫びを入れると、彼女はやはり楽しそうに笑った。
11日前と同じように――笑った。
弥堂は今日も笑わない。
だけど、不快には思わなかった。
両腕に乗った重みは軽くはなく、だけど足取りは軽かった。
二人の後を魔法で気配を隠蔽した黒ネコが着いていく。
目的地がわからないことに気付かずに、三人は歩いていった。
桜の花びらを踏みつけながら坂道を下って歩く。
美景台総合病院は美景市の真ん中より北側、高台になっている場所に建っている。
美景市を東西に走っている国道66号線。それを北の山側に曲がって坂道を昇ると辿り着く。
つまり、今の俺はその道を逆に進んで病院から国道へ出ようとしている。
水無瀬は検査が長引きそうなのでスタッフに預けてきた。
こちらの息のかかったスタッフだから、まぁ大丈夫だろう。十分な弱みは握っている。
彼女の検査の時間を利用して、今の内にやれることを片付けるために俺は病院を出た。
皐月組に頼んで偽造した水無瀬の身分証を取りに行かねばならないし、学園に転入届も提出しなければならない。あとは彼女の新しいスマホも契約して渡してやる必要がある。
これからやるべきことは多い。だから物事は効率的に進めるべきだ。
病院から国道までの下り坂の道には両端に桜の木が並んで植えられている。
学園の正門の並木道を連想させられた。
ひとまず、最優先事項である水無瀬の説得は上手くいった。
メールを一通作成する為にスマホを取りだそうと服を探る。
今回の説得に関して首尾よく達成するために、専門家に説得方法のアドバイスを求めたのだ。その甲斐あって事は成功したので、お礼のメールを送ろうと思ったのだが、肝心のスマホが見当たらない。
そういえば病室のベッドの上に置いたままで忘れてきたようだ。
まぁ、既に金は払っているしわざわざ礼など言うこともないかと切り替える。
地面に落ちた桜の花びらを踏む速度を上げた。
ここの桜は学園のものに比べて散るのが早かったようで、頭上の枝にはもうあまり花が残っていない。
まだ午前中のこの時間帯は坂の下の方から、山の方へ風が吹いている。
地面に落ちた花びらが舞い上がり、その風に運ばれて俺と擦れ違って行く。
この光景に、今回の一連が始まる前の日。
4月16日の渡り廊下での光景が紐づいて、記憶が勝手に再生を始める。
あの日、その光景に感じたもの。
何かが喪われるような、過去を置き去りにするような、そんな暗喩を勝手に想像した。
いつもならそんなものは気のせいだと斬り捨てるのだが、あながち遠くもなかったなと、そんな感想を抱く。
尤も、あれが強く示唆していたのは、俺というよりは水無瀬だったのかもしれないが。
今回の出来事を、終わった今になって総括してみると、
魔法少女には出逢わなかった――
そういうことになる。
高校一年生から二年生になるまでの一年間。
その限定された期間の間だけ、水無瀬 愛苗という花は一定の人数の記憶の中に咲いて、そして散った。
全ては無かったことにされた。
だが、彼女は特別な人間なので、それも当然のことかもしれない。
部長の言ったとおり、普通の高校生は魔法少女には出遭わない――のだ。
それは言い換えれば、魔法少女には普通の高校生は出遭わない――とも。
もっと飛躍させれば、魔法少女は普通の高校生には出遭わない――でも。
割と何とでも謂えてしまいそうだが、細かいことはどうでもいいかもしれなくて。
つまり、だから、この結末は必然だったのかもしれない――ということが言いたい。
じゃあ、それなら。
俺はなんなのかと――ここでまたそんな自問が浮かぶ。
結局何をどう偽って取り繕おうとも、俺は普通の高校生でも、普通の人間でもない。
今回の件でも最終的には“勇者”などという如何わしいものになってしまったわけだし。
だけど――
だから、俺だけは彼女に出逢えた。
出逢ったままでいられた。
そんな風に結論を付けようとして、やはりくだらないと自嘲する。
そんなものはやはりどうとでも謂えるからだ。
一年限定の桜色の花――と言ってみたものの、よく考えれば彼女と最も関わりが深い彼女の両親は、もっと前に彼女が生まれた時から共に過ごしていたわけだし。
矛盾や穴はいくらでもある。
俺の考えることなど所詮そんなものだ。
だけど――
俺はあの時渡り廊下で、血肉のような桜の絨毯を踏み越えた先には誰も居ないと断じた。
しかし、それは間違いだった。
それらの先には――
もっと以前の異世界の戦場から、もしかしたらそれよりも前のこっちで生まれたクソガキの時から――
今日ここまでの道が続いていて、そしてその先で彼女に――
――水無瀬 愛苗という少女に出逢った。
だから、桜の螺旋に俺が感じたものは間違いだったのだと謂える。
だから、普通の高校生でない俺は魔法少女に出逢えたとも謂える。
そしてやっぱり――
俺は普通の高校生なので、魔法少女とは出逢わない――
そうとも謂える。
俺が出逢ったのはクラスメイトの女の子でも、魔法少女でも、悪魔でも、魔王でもなく――
――今日ここで家族に為る人だ。
そんな風にも謂えた。
どうとでも謂えるのなら、結局は個々人が好きに受け止めればいいことなのだろう。
さっき、病室で俺が彼女に語った言葉たちは、使った論法こそイカサマが混じったものではあったが、それでも口にした言葉はどれも嘘ではない。
俺にしては珍しく嘘を吐かなかった。
おそらく、あまり、嘘じゃない。
彼女の面倒を見ると言ったのも嘘じゃない。
学園にまた通えると言ったのも嘘じゃない。
俺と家族に為ろうと言ったのも嘘じゃない。
そしてこれらのこと一つ一つは総て手段だ。
何故俺が彼女にこうするのかというと、それは彼女を守るためだ。
それこそが目的なのだ。
あの時、戦場で誓ったそれは今も変わっていない。
俺はようやく目的を得ることが出来た。
その目的を果たす為に、必要なことだと考えて、こうしたのだ。
とはいえ、先のことはまだわからない。
今回俺がしている対処は長期的なプランなどではなく、とりあえずの処置といった程度のことだ。
あっちのクソッタレな異世界とは違って、こっちの日本では身元不明の未成年が堂々と街で暮らしていけるものではない。
まず彼女に必要なのは身分、そして暮らす場所だ。
彼女に対して、彼女の両親のことは何も言わなかった。
それは俺にはどうにも出来ないことであり、嘘になるからだ。
彼女が将来どうしていくのか、両親のことも、それらは生活をしながら考えていくしかない。
そして、俺自身も、考えなければならない。
水無瀬にばかり決断を迫るだけでなく、俺もどうしていくのか。
いつまで彼女を守るのか――
それを考える必要はある。
彼女が先々でどういう決断をするかにもよるが、俺自身も考えて自分で決めなければならない。
ルヴィに言われたとおりに――
水無瀬 愛苗は“おあいこ”だと言った。
だから俺も彼女から貰ったものを返し切るまでは、やりきらなければならないと思っている。
彼女には生命を救われた。
だから俺も悪魔を皆殺しにして彼女の生命を救った。
彼女は俺に目的をくれた。
だから俺も彼女が生きる場所を用意してやる。
彼女は俺に弁当をくれた。実際には食っていないのだが貰ったことは事実だ。
だから俺も彼女に日々の食事を与える。
あとはまだ、“おあいこ”出来ていないものはあっただろうか。
記憶を探ると一つ思い出す。
彼女は俺に誕生日プレゼントをくれた。
だから俺も彼女に同じことをしてやる必要がある。
彼女の誕生日は12月の25日。
だから、せめてこの冬までは――
一つ、考えるべきだったことは決まった。
とりあえず現時点ではそんなものだろう。
俺たちが生きるために、まずはこの社会に這入り込む必要がある。
それが、彼女を守るという目的を果たすためにするべきこととなる。
目的は必ず果たす。
それは場所が――世界が変わったとしても、俺自身は何も変わらない。
その為にはどんなことでもする。
身分の詐称だろうが、脅迫や賄賂だろうが――
何でもする。
昨日そう確認して、そう決めたことと、相違ない。
手始めに、彼女を無事に退院させて、無事に新たな学園生活に溶け込ませることが最優先だ。
だから、せっかく手に入れた莫大なチカラも投げ捨てちまったことだし、俺も為ったばかりの勇者は即日廃業だ。
水無瀬が普通の高校生として日常生活を送れるようにするために、俺もまた普通の高校生に戻らねばならない。
彼女を守るためには、そうして普通の高校生としてひっそりと、二人で生きていくしかない。
彼女のことを、誰もが忘れてしまったこの『世界』で――
そして、投げ捨てたはずの思考に戻って、改めて今回のことに対する俺の結論を言うと――
俺は普通の高校生なので、魔法少女には出逢わない――
――やっぱり、こういうことになる。
桜の絨毯の上を下っていく。
俺はようやく自分自身で目的を見出すことが出来た。
嚙み合わせが狂ったまま錆びついていた歯車の錆がボロボロと崩れて、ゴトリと音を鳴らして落ちた歯が噛み合い、そしてそれが初めて正常に廻り出した。
そんな感覚があって。
俺自身も激戦の後だったはずなのに、不思議と身体が軽い。
それは死んだから治っただけか。
そんなことよりも――
彼女を守るというこの目的は、俺を操る者によって与えられたものではない。
だけど、それに向かう姿勢はやはり何も変わらない。
昨日誓ったばかりのそれを繰り返し、ここでまた誓う。
目的はどんなことがあっても果たす。
俺は水無瀬 愛苗を守る。
その為の手段は問わない――
――ペポンっと。
誰も居なくなった病室の中で、そんな間抜けな音が鳴る。
その音を鳴らしたのはベッドの上。
二つ並んで枕元に置かれた白と黒のスマホ――
その黒い方だ。
メッセージが着信して画面が点灯し、ポップアップした通知にメッセージのハイライトが表示される。
『@_nanamin_o^._.^o_773nn:愛苗と連絡とれないの! あんたなんか知んない⁉』
何秒かしてそのポップアップが消えた。
そして画面の光も自動で消える。
一つの物語の幕を閉ざすように――
そして、次の物語へと向かう力を残すために――
第一章 『俺は普通の高校生なので、魔法少女とは出逢わない』 終
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