1章80 『闇を断つ原初の光』 ③
東京都美景市の南端、東京湾に接する美景港。
其処はこの美景市、或いは日本、或いは人類社会全体が滅ぶ可能性すら孕んだ運命を左右する戦場と為っていた。
街の方でゾンビと見紛うような怪物が大量に現れたことで多くの目がそちらへ向いていた。そのため、誰もが自らの運命が天秤に掛けられていることを知らない。
向こうに回すは悪魔。
人知を超えた異形の怪物の群れが、開発途中の広い埠頭を埋め尽くさんばかりに拡がっている。
人外の技法で開かれた巨大な門の向こうの世界から、尚も悪魔たちは這い出てくる。
地上一面の敵の軍勢、さらには耳障りな羽音を鳴らす蠅の化け物どもが空を隠すほどに展開している。
だが――
「――まったく負ける気がしないな」
無感情な瞳で黒い空を見遣り、弥堂はそう呟いた。
この戦場は間違いなく、かつて出遭ったことのないほどの地獄だ。
なのに、弥堂はこんなにも気楽な気分で戦争に臨んだことはない。
その想いが弥堂にチカラを齎した。
胸の中心を灼く聖痕“
そのチカラを裏付けるように、かつて脆弱であった弥堂の“
己こそが最強であると――聖痕が保証する。
最高位の“
この魂の輝きこそがその証だ。
だが油断はしない。
たとえ強大な勇者のチカラがあろうとも――
たとえ『死に戻り』の禁忌があろうとも――
弥堂自身が今まで数多の格上を葬ってきたように、強者であっても格上であっても、運が悪ければ簡単に死ぬし殺される。
だから、確実で絶対の勝利をここで掴み取る必要がある。
右手の
『――さぁ、命令を』
それを合図と受け取ったか、聖剣の管理人格である古代に実在した聖女エアリスが声を発する。
勇者を戦場へと誘うその役目に従って。
『ワタシはアナタの剣。アナタの戦意を表現する道具。さぁ、どれから殺しますか? ご命令を。ワタシの勇者様――』
聖女の名に相応しい透き通るような清廉な声音で語りかけてくる。
だが――
「――あ?」
手を差し伸べられたはずの勇者――弥堂は気分を害したように眉間を歪めた。
その時、門の中から腕をこちら側へ捻じ込んで空間を抉じ開けようとしていた魔王が、声なき叫び声を上げた。
その声は空気を震わせず、しかし魂に直接響いてくる。
それは進軍の号令だったようで、地空に展開していた悪魔の大軍勢がこちらへ向かって動き出した。
大地も空も、無数の黒で埋め尽くされており、それはまるで闇そのものが世界を塗り替えながら迫ってくるようだった。
決戦だ――
弥堂はそれらを無感情に眺めながら、ベッと唾を吐き捨てた。
「“どれ”――だと? そんなこともいちいち言われなければわからないのか? 無能が」
先程のエアリスの言葉への返答だ。
迫り来る津波のような敵軍を視界に入れ、いつも通りの平淡な声で告げる。
「決まっているだろ――皆殺しだ」
『アハァッ――はい! よろこんでぇーッ!』
ついさっき、道具の癖に勝手に動くな考えるなと言って暴行を加えていた男が、コロッと掌を返して真逆の命令をする。
『世界』から能えられた“勇者”の力でもなければ別の“加護”でもない、弥堂の固有スキルである得意の“パワハラ”だ。
しかし、聖女さまはそんな扱いに、むしろ歓喜を露わにした。
『ワタシに魔力を――!』
「――ッ!」
要請に従い、聖剣に一気に魔力を送り込む。
『――うっ……、くぅ……っ!』
暴力的なほどのチカラの奔流にエアリスは苦悶の声を上げる。
弥堂の全身と聖剣の剣身を覆う蒼銀の魔力光が輝きを増した。
巨大な繭が解けていくようにして、弥堂を覆う魔力オーラから霊子の糸が無数に創られていく。
純粋な霊子に限りなく近いその糸が弥堂の魔眼の中でキラキラと煌めいた。
弥堂はその現象を無視して【
まずは空だ――
蒼銀の膜を帯びた両眼に数千の黒い点が映る。
『――ターゲット、マルチロック……』
そしてその知覚情報は聖痕を通して魔術パスで繋がった
空一面の敵の“
『……いきますッ! 【
その言葉をトリガーに、展開していた無数の霊子の糸が超速で的へ向かって伸びる。
それは都合数千発もの不可視のレーザーミサイル――
一斉掃射されたそれらが魔眼で捉えたターゲット全ての魂を直接貫く。
そして――
「――【
火薬武器ではないので爆発はしない。
だが上空で細切れにされた蠅の悪魔たちの肉と魂の欠片が、火花を散らすようにして広範囲に降り注いだ。
『ギャハハハハ……ッ! 見たか! 中央教会のインポジジイどもがァ……ッ! 誰が落ちこぼれだ! 誰が出来損ないだァ……! 最強……ッ! 三代目こそが最強……ッ! ワタシのユウくんが歴代最強だ……ッ! アーッハッハッハッハァ!』
一瞬で敵の制空権を奪いエアリスは哄笑をあげる。
そして――
『――ユウくんもっと魔力を! アナタの敵を殺すチカラをもっとワタシに!』
道具の分際でまた生意気にも要求してきたことに弥堂は不快感を覚えるが、今は敵を殺すことを優先させ、文句を言いたい衝動を抑える。
剣を握る力を強めて、狂暴に荒れ狂う膨大な魔力を、抗議代わりに聖剣の中に無理矢理捻じ込んでやった。
『――ん゙ん゙ぅ゙ぅ゙っ⁉ ん゙あ゙あ゙あ゙あ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙あ゙あ゙あ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙っ……⁉』
どうもやり過ぎたようで聖剣が発情した家畜のような汚い鳴き声をあげた。
それに呼応して――かどうかは不明だが、弥堂の足元から魔法陣が浮かび上がる。
『【
地面に描かれた蒼銀の図形が拡大していく。
進軍してくる敵の足元にまで線が伸びていき、広く広くこの戦場を全て包むように展開する。
『――“
魔法陣の範囲は全て結界だ。
その限定空間の支配権は弥堂にある。
無数の霊子の糸が、張り巡らされた赤外線センサーのように展開される。
糸で編まれたその網が悪魔の軍勢の両翼に顕れる。
そしてその網は中央に向かって同時に動き出した。
網に触れればまるで豆腐を糸で切るように悪魔たちは切断される。
異形の集団は泡を食って逃げ出した。
追い込み漁でもするように中央に敵が集められる。
『アッハハハハ……! ゴミだァ! オマエらはゴミだッ! ワタシの勇者の前ではどいつもこいつもクソ雑魚なんだよォ……ッ! 身の程思い知って己の卑小さを呪いながら死ねェ……ッ!』
上機嫌に死を嘲笑うエアリスに苛立ち、弥堂はさらに聖剣に魔力を送る。
今度は渾身の力をこめてみた。
『――ん゙お゙お゙ぉ゙ぉ゙ッ⁉』
聖女さまは牛さんになった。
汚い鳴き声にムカついて、弥堂は眼の奥が痛むほどに力を入れ、さらに大量の魔力を無慈悲にぶちこむ。
剣身か柄か、何処かわからない箇所からミリミリと肉が裂けるような音が聴こえた気がした。
『お゙ッ、お゙ッ、お゙ッ……、お゙ほッ……⁉ ひろがっ……、魔力回路……っ、無理矢理拡げられて……、こわれひゃぅぅぅっ……!』
するとエアリスが尋常でない反応をする。
その苦しみようから効いていると判断し、弥堂はこの機会にしっかりと彼女に立場を弁えさせることにした。
さらに魔力を強める。
『お゙お゙ぉ゙ぉ゙ぉ゙お゙お゙ぉ゙ぉ゙お゙お゙お゙お゙お゙ッ⁉ お゙っ……ぎぃ……っ、むりぃ゙っ……、じらない……っ、こんなしゅごいのしらない゙っ……! お゙ねえちゃんだめになっひゃうぅぅぅっ……!』
「うるせえんだよ。気持ちワリィ声を出すな」
『ん゙あ゙あ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙あ゙あ゙ッ⁉ お゙ぐぅ゙っ……! 魔導コアまでゴツゴツって……、まりょくがチュウしてりゅううぅぅぅっ……!』
「調子に乗るなよ。お前は俺の道具だ」
『は、はひっ……! なりまひゅっ! てゆーか、もうなりました! ユウくんのモノにされちゃいまひたっ! デカ魔力でミチミチってされて、おねえちゃんの魔力回路ガバガバに拡がってばかになっちゃいまひたぁ……っ!』
「……なに言ってんだこいつ」
なにか思っていたものと違うように感じ、弥堂は胡乱な瞳になる。
『うわがき……っ! 完全に上書きされひゃったのぉっ! こんなおっきぃ魔力でぇ、魔力回路のナカをゴシゴシされちゃったらぁ、もう他の
「…………」
『ユウくん専用にされちゃったぁ……っ! ユウくんのつよつよ魔力でぇ、過去の
「お、おい……」
この世為らざる雰囲気を発するエアリスに、遅ればせながら『こいつヤバいんじゃないか』と気付いた弥堂は思わず制止しようとする。
だが、誓って追加で魔力など注いでいないが、エアリスは発情したケダモノのような叫びをあげる。すると、霊子の糸がまた巨大蚯蚓のような触手へと変貌した。
『お゙ッ、お゙ッ、お゙ッ……、ん゙お゙お゙お゙ぉ゙ぉ゙ぉ゙お゙お゙ぉ゙ぉ゙お゙お゙ぉ゙ッ!』
戦場でオホった聖女さまが一際悍ましい絶叫を上げると蚯蚓の身体のあちこちから、ボコン、ボコンっと粘液塗れの卵のようなモノが外へ排出される。
それらは地面に落ちるとグチャッと水音を立てて潰れ、ナカから蛆虫のようなモノが生まれ出た。
そしてその虫どもは逃げ惑う悪魔たちに取りつくとガリボリと頭から喰らい始めた。
さらにそこに巨大な口を空けた本体の蚯蚓が喰らいつき、悪魔も蛆虫も纏めて喰い散らかす。
『アハッ――アハハハハ……ッ! 全部ワタシの……! ユウくんがくれたモノは全部ワタシのモノよ! アハハハハハッ!』
巨大蚯蚓はグネグネ、ウネウネと卑猥に身を捩って歓喜を表した。
すると、そこに霊子の網が迫り、肉感溢れる巨大蚯蚓のボディをズタズタに引き裂いた。
『ぎゃあああああぁぁぁああッ⁉』
断末魔の絶叫をあげて、おっきなミミズさんは悪魔もろとも肉片になって押し流された。
「…………」
弥堂は無言で聖剣を振りかぶり、そして全力で海に向かって投げ捨てた。
海面に穴をあけてボチャンっと沈み、剣は視えなくなる。
しかし――
『――いやあぁぁぁッ! 捨てないでええぇぇぇッ!』
しかし、投げ捨てた聖剣は海やコンクリを切り裂きながら飛んできて、独りでに弥堂の手に戻った。
あまりの気持ち悪さに咄嗟にブンブンっと手を振るが、剣の柄がピッタリと吸い付いて離れない。
「やっぱりこれ呪いの魔剣なんじゃねえのか……」
『おねがいっ! お姉ちゃんなんでもするから捨てないでぇッ!』
「ふざけるな。お前なんかいらねえよ」
キッパリと拒絶の意を示すが、聖剣から細い触手が生えてきて弥堂の手にグルグルと巻き付く。どうやら呪いを解かないと装備を解除できないようだ。
だが戦場には教会などない。
仕方がないので弥堂は諦めることにする。
「というか、お前が唱えている呪文だか魔法名だか、あれはなんなんだ?」
『え?』
代わりに気になっていたが極力スルーしてきたことを聞いてみた。
『さっきの【
「そうだ」
二代目の残したノートにはそういった類の魔法は記載されてはいなかったので、少し気になってはいたのだ。
『あのね? お姉ちゃんね? 5、6年くらいずっとユウくんに話しかけてたじゃない?』
「知らんが?」
『そう。ユウくんには聴こえなかったから会話が出来なくて、だからどうしてもお姉ちゃん暇になっちゃう時があってね? だから考えたの』
「…………」
弥堂は既に聞く気が失せていたので何も答えなかったが、数千年もの間、剣の中で魂だけの存在として過ごしていた孤独な独身女性は勝手に喋り続ける。
『やっぱりね? カッコいいユウくんにはカッコいい必殺技があった方がいいと思って。だからカッコいい技名考えてたの! ようやくお披露目できてお姉ちゃん感無量よ!』
「…………」
異世界の魔王こと二代目勇者もそうだったが、いくら強い存在だとしても長く生きすぎると頭がおかしくなってしまうようだ。
それはこの初代聖女さまも例外ではないようで、数千年も孤独を拗らせたせいで魂が腐り、随分と香ばしくなってしまったと思われる。
もしかしてこれまでもずっと、弥堂が戦っている間、ああやって誰にも聴こえないところで勝手に技名を叫んでいたのだろうか。廻夜部長が好みそうな中二病感満載の香ばしい技名を。
堪ったものではない。
憐れで惨めな女だとは思うが、しかし戦いながら頭の中でそんなものを叫ばれたり、先程のような汚い喘ぎ声を出し続けられたらこっちが狂ってしまう。
なので弥堂は彼女にやめるよう要求しようとするが――
「おい豚。お前はもう一切――」
『――あっ⁉ 危ないユウくんッ!』
「あ?」
しかしそこへ突如危険が迫り、発言を中断せざるを得なかった。
先程殴り飛ばした龍の姿をした精霊が怒り狂って突っ込んでくる。
「チッ」
弥堂は舌を打つと左腕を横に拡げ、腹の底を意識する。
『――【
ルビア=レッドルーツの加護を呼ぶと蒼い焔が顕れ、そして螺旋を描くように左腕に巻き付いた。
弥堂はその手を龍へと向ける。
「焼き尽くせ――」
その命に従い蒼い焔が噴射される。
敵へと向かいながら空中で巨大な蛇のように姿を変え、ほぼ龍と同サイズにまで為り正面から頭をぶつけた。
力押しには焔の大蛇が勝った。
声なき叫びをあげて龍が弾かれる。
大蛇はすかさず龍の躰に巻き付いた。
「――死ね」
そして怨みの焔が、エネルギー体で構成される精霊を一瞬で燃やし尽くした。
弥堂はついでとばかりに腕を振り下ろす。
焔の大蛇は地に体当たりをし、地上の悪魔たちを焼いてからその姿を消した。
ちょうど弥堂から真っ直ぐ直線状の敵影が消えて視界がクリアになる。
開けたその先には腰を抜かしたアスの姿あった。
「そ、そんなバカな……! これだけの悪魔の軍勢が、1分も持たずに……、壊滅だと……ッ⁉」
さすがに殲滅とまではいかなかったが、もう7割ほどは殺した。
霊子の網で囲った結界は今もその範囲を狭めていて、左右いっぱいに広がっていた敵軍はもはや、ほぼ正面に全てを捉えることが出来る。
「――――――――――――――ッ!」
アスの背後から強烈な咆哮が上がる。
門ごと空間を引き裂いて、ついに魔王の上半身が現世へと顕現してきた。
巨大な蠅の頭部についている気味の悪い複眼に見られた気がした。
その不気味な眼玉がギラリと光る。
するとその瞬間、強烈な魔力砲が眼玉から発射された。
「“
『――【
迫る破壊光線に聖剣の切っ先を向け、先も使った防御魔法を展開する。
アスの攻撃を止めた時よりは強い衝撃を感じ、だがそれだけで――同様に魔王の破壊光線も石化して難なく防ぐことに成功した。
その結果に、魔王の複眼を構成する無数の個眼が別々に赤く明滅し、激しく怒りを露わにした。
地面に肘をつき、未だに門の中にある下半身もこちら側へ引き摺りだそうと魔王は暴れ出す。
その衝撃でコンクリは弾け飛び、大地震でも起きたように大地は揺れ、津波でも起こるほど海は荒れ狂った。
存在するだけで大災害――
そんな魔王ベルゼブルを前にして、しかし弥堂の身体も瞳も揺らがない。
彼の敵と同等以上の“存在の強度”が今の弥堂には在る。
『雑魚を掃除したら真打登場。悪魔のクセして基本に忠実ね』
「どうでもいい」
聖剣を一度横に振り、弥堂は蠅の王――魔王と相対する。
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