1章79 『勇気の証明《デモブレイブ》』 ①
英雄とは――
勇者とは――
生まれながらにして“そう”だから、事を成せるのではない。
誰もが出来ないような困難な事を達成したことでその偉業を称えられ、英雄と呼ばれる。
その困難に立ち向かう勇を示し、そして見事成し遂げて初めて“そう”呼ばれる。
その名に相応しき『勇気の証明』を今ここに――
「――勇者……だと……ッ⁉」
地面に尻もちをついたまま、アスは弥堂を見上げる。
姿形に変化はなく元の人間のまま、だがその“存在の強度”はこれまでとは比べようもないほどの威容を放っていた。
無意識に感じる圧迫感だけでなく、彼の身の裡から今も湧き上がり、外にまで溢れ出している魔力が、その事実を裏付ける。
遅れて、アスは上位の悪魔である自分が地から人間を見上げているという無様に気が付き、慌てて立ち上がった。
そして悪魔の知将は、目の前の在り得ない事象へ向き直る。
背後には、守るべき少女が居る。
「この期に及んで、まだふざけているのか……⁉ ニンゲンめ……ッ!」
激しい怒りと警戒を滲ませるアスの言葉に、弥堂はまず唾を吐き捨てた。
「『ナニモノか?』と聞いたのはお前だろ。それに答えてやっただけだ」
「なにが“勇者”だ! ふざけるな!」
「生憎、俺は巫山戯たことなど生まれてこのかた一度もない」
「ナメているのか……ッ!」
事ここに至っても、見下した態度で適当な言葉を並べる弥堂にアスは苛立ちを露わにする。
しかし、弥堂の振舞いこそ普段と変わらぬものだが、その言葉には今回は確かな“実”が在る。
無意識にそれを感じとっているからこそ、アスには焦りが生じていた。
「勇者が気に入らないのなら他のに変えてやる。俺は魔法少女だ」
「……はぁ?」
「普通の人間にこんなに魔力があるはずがないだろ? 見ろよ。さっきの水無瀬と同じだろこれ」
弥堂は自身の身体を覆うオーラのような蒼銀の魔力を示唆する。
「実は俺の心臓にも“
「殺せェェェッ!」
馬鹿にしくさった弥堂の物言いにアスは激昂し、配下の悪魔を嗾けた。
「下がってろ」
背後のメロに声をかけて愛苗と共に避難するよう促し、両の眼に魔力を流す。
向かってくる何体かの悪魔を【
スピードの突出した個体が飛び掛かってくる。
ボラフの様に両腕が刃物になっている個体だ。
右手に握った
『……んっ』
最強の騎士ジルクフリードの剣閃を意識する。
今なら出来る気がした。
一太刀にしか見えない速度で剣を二度振り、悪魔の両腕を切断する。
絶叫を上げながら落ちる悪魔に擦れ違いざまに裏拳を叩きこんで吹き飛ばした。
続いて、宙を泳いで突進してきた体長10メートル超の鮫のような個体を左腕一本で受け止める。
物凄い勢いで突っ込んできた巨体だったが、弥堂の足は微動だにしない。
鮫の腹に聖剣を突き刺して、剣の柄から手を離す。
『……あっ……⁉』
左手で上顎を押さえながら空いた右手で下顎を掴む。
そしてその口を無理矢理開かせ、力尽くでその巨体を引き千切った。
腹まで捲れた鮫から聖剣を引き抜き片腕で放り投げる。横回転する巨体が迫りくる後続の悪魔たちを薙ぎ倒した。
つい先ほどまでしぶとく生き残っていたとはいえ、明らかに格下だったはずの人間に鎧袖一触で攻勢を潰され、悪魔たちの進軍の足が止まった。
自分自身も殴り飛ばされたばかりだが、その結果に改めてアスも驚く。
「な、なんだこの力は……⁉ いきなりこんな……、なにが起こっている……ッ⁉」
弥堂は何も答えず、ただ自身の手を視下ろし、今しがた振るった己の力の感触を確かめた。
『――ハッ、何が起こってるかなんてこっちが聞きてェって?』
目線を上げるとそこには再びルビアの姿があった。
「詳細に理由を説明しろと言われると困るが、まぁ、あれだ。覚醒ってやつじゃないのか?」
『カァーッ! まるで物語の主人公みてぇじゃねェか! ピーピー泣いてばっかだったウチのクソガキも立派になったモンだぜッ! めでてえからエールで乾杯でもすっか? アァ?』
お互いに冗談めかした口調で視線を合わせ口の端を持ち上げる。
「なぁ、ルヴィ。聞かせろよ」
『アン?』
「さっきの続き」
『続き? なんのこった?』
眉を寄せて首を傾げるルビアに弥堂は真剣な眼を向ける。
「『もしも目の前のヤツを見て、なんだか知らないけどソイツを守りたいって、そう思った時は――』この続きを教えてくれ」
『あぁ、なんだ。そんなことか』
ルビアは後ろ頭を雑に掻いてからニヤリと嗤った。
『別に大したことじゃあねェぜ?』
「いい。聞かせろ」
『ハッ、簡単なことだ。いいかァ? クソガキ。もしも目の前のヤツを見て、なんだか知んねえけどソイツを守りてェってよ、そう思った時は――』
ギラリと光る彼女の瞳の奥から、弥堂の胸の裡に熱が伝わる。
『――つべこべ考えんな! ただその衝動に生命を賭けろッ!』
「…………」
弥堂は答えず、ただ己の裡から湧き上がるその衝動を確かめた。
黙って足を進め、目の前に居たルビアと擦れ違い、彼女の後ろで歩を止めた。
『ったくよ、死んだ後にまで手間かけさせやがって。ようやく独り立ちさせられたかよ』
「……悪いな」
『後はもうやれんな?』
「当然だ。だが――」
『アン?』
首を回し肩越しにルビアへ眼を向ける。
「――もう一度……、最期に……、“あれ”やってくれねえか?」
『あれ?』
怪訝そうな顔をするルビアに、弥堂は表情を緩め、彼に似つかわしくなく眉と眦を下げて少し情けない顔をした。
「戦場に出る時、いつもやってくれてただろ?」
『ん? あぁ……、カァーッ! ったく、ホンット情けねェなユキちゃんはよ!』
少し怒ったような呆れたような声をあげてルビアは天を仰ぐ。
だが、その顔はどこか嬉しそうなものだった。
『ヘッ、いいぜ? どうせこれで最期だ。景気よくやってやんよ』
「頼む」
弥堂は顔を前へ向け、視界いっぱいに広がる大軍勢を睨む。
「なにをしている……ッ! ニンゲンごときに恐れをなすな! 群れで呑み込めッ!」
向こう側では怒りを露わにしたアスが足踏みした悪魔たちを囃し立てていた。
その命令に従い、全ての悪魔たちが進軍を再開した。
弥堂は右手の聖剣を握る手に力をこめ、溢れんばかりの魔力を身体強化の魔術に注ぎ込む。
蒼銀の魔力オーラがさらにその存在感を『世界』へ強調した。
『いいか? 戦場で上手く立ち回るコツは諦めることだとテメェに教えた。だが、それはデビューしたてのクソガキ用だ。今のテメェの流儀は違う』
「…………」
『オマエはもう大人だ。テメェのことは諦めてもその背に背負ったモンのことは決して諦めちゃいけねェ……! オマエの後ろに誰が居るのか、わかってるよな?』
「……あぁ」
『ガキを守れ。焔を燃やせ。魂で吼えろッ! オマエの向こうには一匹たりとも行かせるなッ! 全てのクソッタレどもを灼き尽くせッ!』
「当然だ」
『じゃあ――』
ルビアは大きく右手を振りかぶる。
そして開いたその手を勢いよく振った。
『――行ってこい……ッ、ユウキッ!』
ここに居ない、生きていない彼女に実体は無い。
その手は実際には触れられない。
だが、弥堂の記憶には確かに残っている。
彼女と過ごした日々、彼女と駆け抜けた戦場。
その記憶の中でしてもらったことは何一つ忘れてはいない。
彼女の掌の感触はこの魂の全てで憶えている。
バチィンッと――強い力で背中を叩かれた。
その瞬間、『世界』最高の加速力を得て、弥堂は地を踏み抜いて勢いよく走り出した。
万を超える悪魔の軍勢に正面から向かっていく。
『ヘッ――あばよ、クソガキ』
保護者の手を離れて、一人の男は弾丸のような速さで突き進んでいく。
その背中を見守る者が居た。
ルビア=レッドルーツの幻影はもうそこには居ない。
彼女に代わって、その続きを見守る者たち。
彼女が居た位置よりもう少し後ろ、二人の少女が剣一本で軍に立ち向かう男の姿を見つめていた。
「少年……」
愛苗の身体を強く抱いてメロは心配げな目を戦場へ向ける。
「……思い出した」
「えっ?」
呟くような愛苗の声にメロは彼女の顔を見る。
譫言のような弱々しい声、愛苗は今にも眠りに落ちそうな顔で、ぼんやりと弥堂の背を見ていた。
「……思い出したの。絵本の英雄さん。英雄さんは、英雄さんじゃなくって……」
「マナ……?」
怪訝そうな顔をするメロに愛苗はニコッと笑い、それからまた弥堂の姿を見た。
「勇者さんだった――」
ぼんやりとした視界の中で一点だけはっきりと映るその勇敢な背中を、嬉しげに寂しげに愛苗は見つめた。
その視線の先、弥堂は敵軍と接敵する。
策も小細工もない。
だが、遠慮も慈悲もない。
ただ、身の裡から湧き上がる激情のままに、黒い波のような大軍に正面から突っ込んだ。
その瞬間、ボーリングのピンのように悪魔たちが弾け飛んだ。
どこか遠い世界で生まれるはずだった勇者が、7年越しにこの世界でその力を発揮する。
これは、一人の少女を守るための戦いである。
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