1章78 『弥堂 優輝』 ⑯
各国の部隊と、教会の神官兵に殺し屋、そいつらが主な追手だった。
グレッドガルドは参加していないようだ。
それは別にセラスフィリアが俺を庇っているだとか、俺の味方についているということではない。
今回の戦争における一番の戦功はグレッドガルド皇国にある。
戦後の各国のバランスを考えると、じゃあ二番手はどこの国なのかという点が他の国々には重要なのだろう。
教会に関しては単純に俺が目障りなのだろう。
エルフィーネの件で中枢にいた権力者を相当に殺した。魔族との戦争の途中だったから奴らも堪えたのだろうが、戦争が終わったのなら俺を生かしておく理由がない。自分たちの威光を上回るほど民衆の人気を得た英雄など邪魔でしかないのだ。
これまでに俺は何度か異端認定を受けた。魔王の娘を匿う裏切者という恰好の建前を使える内に何が何でも確実に殺しにくるはずだ。
そして民衆も全て敵だ。
俺たちには全国で指名手配がかかっている。懸賞金付きで。
この御触れの広まりの速さから見ると、通常の伝聞の仕方ではない。各地に馬を走らせたのではなく、電話のような魔道具を使って一斉に周知したのだろう。
魔族の生き残りの姫。そして俺はそれに与する裏切者の人間。混乱を避けるために召喚した英雄が裏切ったとは明かしていないようだ。
俺たちは行く先々で住民たちに密告をされ、警備部隊や軍隊に追い回されていた。
始めの内、俺は住民だろうと軍人だろうと即座に殺していたのだが、民衆を殺めることをやめて欲しいとプァナに懇願される。
俺たちは段々と人里に居られなくなった。
そして逃亡生活を続ける内にわかったのだが、奴らが俺たちを狙う理由は先に述べたものだけではないようだった。
どうも戦争を終わらせたことが大層不都合なことだったようだ。
特に教会にとっては。
それを聞いても俺には特に強い驚きも怒りも湧かなかった。
あぁ、そりゃそうだよなと、そんな風に納得出来てしまった。
戦争が続く限り、人々は常に傷つき、常に不安に駆られ、常に教会に縋る。
だが、自分たちの生活を脅かすものがなくなり、豊かになって心身に余裕を持てば、他の余分な幸福を増やすことに興味を惹かれ、教会の求心力は落ちていくだろう。
だから、教会としては自分たちが直接魔族に攻められたりしなければ、適度に拮抗したバランスを保った状態で戦争が延々と続くことを望んでいたようだ。
そして実際にそうなるように働きかけていたのだろう。
ずっと。
さらにいくつかの国、特に前線から遠い位置にある国々にとっても、『戦時中だから』という建前が使えなくなることが不都合なようだ。
俺は実際に数々の罪を犯している。
だから、それを問われているのもあるし、さらに多くの権力者たちの既得権益を壊したので、それに対する粛清の意味でも狙われているということだ。
別にそこに失望はない。
どいつもこいつもクソッタレだっていうことはとっくにわかっていたから。
だが――
なんだかなと、陰鬱な泥が腹の中に吐露りと落ちる。
俺はセラスフィリアというイカレ女が、この世で最もクズな人間だと思っていた。
その評価を覆す気は全くないが、だけど、あの女は――
少なくとも、あの女だけが、本気で戦争を終わらせようとしていた。
それは事実として間違いがない。
だが、だからといってあの女に対する俺の感情は何も変わらない。
俺はあの女が『世界』で一番嫌いだ。
しかし、そんな人間よりも劣る最低の下衆がこんなにも世界に蔓延っていて。
あの女はまだマシな方だということがわかってしまった。
だったら、他のクソッタレどもをあの女以上に憎まなければならない。
もしくは、他のクソッタレどもよりもあの女を愛さなければならない。
その事実の消化が難しかった。
街に居場所のない俺たちは山に逃げ込む。
運よく棄てられた山小屋を見つけたのでそれを補修し、少しの間そこに隠れ住んでいた。
ある夜、ベッドで寝ていると身体に重みがかかる。
眼を開けると隣で寝ていたはずのプァナが俺の上に覆い被さっていた。
「ごめんなさい。起こしちゃった?」
「いや、問題ない」
俺は近くに人がいると眠らない。そうでなくとも長時間の熟睡はしない。
暗殺に手を染めすぎている俺だが、それ以上に暗殺者に狙われ続けていたのでそういう身体になってしまっていた。
別にプァナを疑っているわけでも信用しているわけでもないのだが、彼女にそれを悟らせると気を遣わせてしまうので、眠ったふりをしていた。
「……お兄ちゃんごめんなさい」
出会った最初の頃は“お兄さん”と呼んでいた俺に対する呼称は、いつの間にか“お兄ちゃん”に変わっていた。
そう呼ばれるたびに故郷の妹の顏がチラつくので正直やめて欲しかったが、プァナの境遇を考えると仕方ないかと呑み込む。
親も同族も失った挙句に世界中の人間から付け狙われる憐れな少女。
こんなことで彼女の不安や寂しさが仮初でも紛れるのなら、好きに呼ばせてやった方が楽だ。
いちいち泣かれでもしたら面倒だから。
プァナは上体を起こして俺の上に跨るようになり、俺の手をとって自身の胸の前でギュッと握った。
「なんのことだ?」
何を謝られているのかわからないのは本当のことだ。
プァナは目を伏せる。
「私のせいで……」
「やっぱりわからないな。なんのことだ?」
「だって……、私が居なかったら、お兄ちゃんは今頃世界中で英雄扱いだったのに……」
「あぁ……」
そんなことかと、悟らせぬように嘆息する。
「そんなもの願い下げだ。ガラじゃない」
「でも……」
「どこに行っても称賛を浴びるだなんて気色が悪い。むしろどこに行っても石と罵声を浴びせられる今の方が落ち着くな」
「そんなこと……」
「事実だ」
それは嘘ではない。
全ての人間からの喝采が自分に向くあの気持ちの悪さは、もう二度と御免だと思っていた。異端審問で火炙りにされて石をぶつけられた時の方がはるかにマシだ。
それに――
「――キミが居なかったとしてもどうせ俺も俺で狙われる」
「そうなの?」
「あぁ。滅茶苦茶恨まれてるんだ」
「魔族を倒したのに……?」
「俺が殺したのは魔族だけじゃないからな。多分魔族の倍くらい人間の方を多く殺してるんじゃないか?」
「えぇっ⁉」
肩を竦めて冗談めかすと彼女は大袈裟に身体を引いて驚いてみせる。
その拍子に握られていた手が彼女の胸に触れてしまう。
「あっ……」
「悪い」
本心では微塵も悪いとは思っていなかったが、妙な空気になっても困るのですぐに手を引こうとする。
だが、逆にプァナにさっきよりも強く手を握られ、そして押し当てられる。
「あのね? お兄ちゃん……」
「プァナ」
彼女の言葉を止めようとしたが、それは失敗した。
「私ね? ずっと首都から出たことなくって……、外のこと何にも知らないままで……」
「…………」
「このまま何にも知らないで……、そのまま……。それはイヤだから……」
思いつめた顔。
潤んだ瞳。
「だからお兄ちゃん……」
「…………」
彼女は追い詰められているだけだ。
だからそう諭すべきだ。
だけど、それは面倒で意味がないから、俺は彼女へ俺を貸すことにした。
そんなことで少しでも気が紛れるのならと。
俺自身も彼女と同じ答えを抱いていたから。
俺たちはどうせ助からない。
何日かしてここのヤサも割れる。
教会の暗殺者どもを退けている内に軍の部隊に周辺を囲まれてしまった。
山の中を逃亡するが包囲は徐々に狭められ、捕まるのはもう時間の問題となった。
野営中、仮眠をとっているとまた身体に重みがかかる。
火の番をしていたはずのプァナが上に乗っている。
流石にこんな場所でそんなことをしている場合ではないので彼女を諫めようとするが、その前に覆いかぶさってきた彼女が唇を合わせてくる。
首の裏に腕を回されて、強く唇を押し付けられた。
「プァナ」
唇が離れたので今度こそ彼女を止めようとする。
だが、彼女の胸に押し付けられた自分の手に違和感を覚えた。
俺の首から外したのだろう、十字架のペンダント状態の
一瞬で嫌な想像に思考が繋がり、思わず彼女の目を覗きこんだ。
思いつめた顔。
潤んだ瞳。
「お兄ちゃん。私を……」
「やめろ」
最後まで言わせるわけにはいかないので止めるが、彼女はゆっくりと首を横に振った。
諦めたような顔。
光の薄れた瞳。
「もう終わりにしなきゃ……」
「…………」
「パパが自分の生命を差し出したのに。みんなも死んじゃったのに……っ。なのに、まだ戦争が終わらない……っ」
ポロポロと零れる涙が俺の胸に落ちる。
「このままじゃお兄ちゃんも……、私のせいで……っ!」
「キミのせいじゃない」
「ううん。だって、私が死ねば、もう魔族はいない。だから戦争は終わるはずなの……っ。私は魔王の娘だから……、だから終わらせなきゃ……っ!」
彼女は思いつめ過ぎだ。
「私の首を持っていけば、お兄ちゃんだけは許してもらえる……」
そして勘違いをしている。
そんなことをしても無駄だ。どうせ俺も殺される。
だからその思い違いを正そうと口を開きかけて――
――そしてやめた。
それを正したところでやはり無駄だからだ。
彼女を説得したところでどうせ二人とも殺される。
さらに、俺は殺されて捨てられるだけで済むだろうが、彼女はきっと酷い凌辱を受けてから甚振られて殺され、そして晒しモノにされるだろう。
それよりは、俺を守れたという僅かな満足感を得られた方がいいのではないか。
それならば、いっそ――
「――私を殺して、お兄ちゃん」
またか――
エルフィーネの顔が浮かんだ。
彼女の時と同じだ。
俺に力が無いから。
諦められてしまう。
助けてくれとも、一緒に戦ってくれとも求められない。
共に死んでくれとも言われず、守られてしまう。
次に魔王の顔が浮かんだ。
戦争の終結、そして娘。
彼に生命を賭けて託されたものは何一つ。
手に握らされた逆さ十字を意識する。
全部、無駄なんだ。
だから、俺は――
土の中で目を醒まして地上へ這い出る。
ヤツらは俺を解体して埋めたようで、俺の首は持っていかなかったようだ。
持っていってくれれば死に戻りをした時にそのままもう一回殺して貰えたんだろうが、運が悪かったようだ。
土の中でそのまま窒息死をしてもよかったんだが、一応行く末を見守ることにした。
それが生命を捧げたプァナに対するせめてもの責任のような気がした。
だが、やはり彼女が望んだようにはならなかった。
確かに一度戦争は終わった。
だけど、すぐにまた別の戦争が始まった。
俺たちを追い回して手柄争いをしていた国同士で、結局権力争いの戦争が起こる。
今までは魔族がいたから、人間の野蛮な攻撃性はそちらに向いていただけのことだったのだ。
魔族がいなくても――彼らの生命が喪われたとしても、今度は人間と人間の戦争に遷り変わっただけのことだった。
この意味の無さに、俺は何も思えなかった。
だけど、俺には役割と目的があって。
それだけはまだ残ってしまったから。
だからまだ続けなければならない。
俺はグレッドガルドに行くことにした。
誰も彼もみんな死んでしまったけれど、まだ死んでいない人間が少なくとも二人は居る。
死ななければならない人間があと二人。
それを殺さなければならない。
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