1章78 『弥堂 優輝』 ⑧
『世界』とは一つの大きな樹のようなモノだ――
残されたノートに二代目はそう綴っていた。
その樹には無数の“枝”がある。
枝には多くの“葉”がついている。
その“葉”の一つ一つの上にそれぞれ世界がある。
例えば、俺が生まれた日本があるこの世界だったり――
例えば、クソガキが召喚をされたあの世界だったり――
“枝”についているたくさんの“葉”の一つ一つが全て別の世界であり、そしてそんな数多くの世界を繋げた“枝”が無数に存在する。
それら総てをひっくるめた一つの樹のような――そんな測り知れない程に大きな『ナニカ』が『世界』なのだ。
なんというか、この世の成り立ちの説明のような、そんな壮大すぎる話で、ノートを読んだ俺は困惑してしまった。
だが、これはまず前提として話しておくが、俺はこの二代目の記した情報を正しいモノとして考えている。だが、それを証明する手段はない。
『そうではない』と証明するには『そうではない』ことを見て来なければならないからだ。俺にはそれは不可能だ。
さらにこれと同じことを言っている者、知っている者に、俺は会ったことがない。
厳密に言えば二人居るのだが、それは二代目と魔王だ。
そしてまたさらに厳密に言えば二代目と魔王の関係を考えると、彼らを二人とカウントすることも憚られる。
なので、俺はこれを『世界の真実』だとして、誰にも伝える気も無ければ教える気もない。ましてや誰かが「世界がどうの」と話している所に割って入って「それは真実ではない」と論戦を挑む気も更々ない。
だが、俺は仮にこれが正しいとして、それを前提にして生きている。
異世界で過ごす中で、二代目の言う真実に照らし合わせれば辻褄が合ってしまうような不可思議な出来事も多く経験したので、多分そういうことなんだろうな程度に考えている。
そしてその考えは最近になってより深まり確信に近づいた。
それは水無瀬に纏わるこの事件に関わったためだ。
この事件の最中で俺は何人かに向けて『世界』の話をしてみた。
特殊な人間である水無瀬や希咲にも伝わらず、一般人ではあるが頭のいい舞鶴にも通じない。だが一部通じる者が居た。
それは悪魔だ。
その中でも特にアス――ヤツには話が通じた。
俺は今までこの『世界』というニュアンスが伝わる存在に出遭ったことがなかった。
悪魔としてかなり下等な存在であるメロには全く伝わらず、それよりは上のボラフでは微妙なラインだった。
ボラフには“
そしてアスにはほぼ全ての言葉が共通の認識の上で意思疎通をすることが出来た。
つまり、人間などの下等な存在には知り得ない知識だということだ。
しかし、これらの言葉は二代目が想像した造語などでもなく、しっかりと定義づけられた概念が言語化されて共通の知識となっていることが証明されてしまった。
だから、やはり、この知識が正しいモノとして、俺はこの先を続ける。
『世界』は大きな樹、そして世界はその樹の葉の一つ。
では、そこに存在する俺たちはなんなのだろう。
全ての存在は霊子によって構成されている。
義務教育を途中までしか受けていない俺にはよくわからんが、原子だとか分子だとかああいうモノよりももっと小さい大元の部分、根幹にこの霊子というモノがあって、どの物質もそれに色んな不純物がついてカタチ創られているらしい。
じゃあその不純物はどこから来てるんだ? と疑問にも思ったが、そのあたりの記述は難しくてよくわからないし、読んでいるとイライラしてくるのであまり真面目に学んでいない。
これも俺の記憶に関する能力の欠陥なのだが、俺の記憶にはその記述がしっかりと記録されているのに、俺はそれを理解していない。
知っている、憶えているということと、理解をしているということは別もののようだ。
話が逸れたが、全ての存在はその霊子を『世界』から分け能えられて、物質となり、存在する。
そして、無限にある葉の中のどれか一つの上に生まれ落ちるのだ。
つまり、異世界への召喚、『世界を渡る』ということは、今居る葉から他の葉の上に移動することを意味する。
そして、そんなことは『世界』全体では割とよくあることで、別に大した現象ではないと二代目は説明していた。
だから『世界』にとってこの世界間の移動なんてものは関知すらしないような小さなことで。
もっと言うのならば、今俺がこの美景で直面している問題の果てにこの地球が滅んだとしても、『世界』にとっては無限にある葉の内の一つが落ちてしまっただけのことなので、だから『世界』にとってはどうでもいいことなのだ。
というわけだから、もしもキミが異世界に召喚などされて落ち込んでいたりしたら、大したことじゃないから元気を出せと――二代目からのそんな励ましの言葉が添えられていた。
そして俺たちの召喚については事故で起こったものではなく、仕組みによって意図を持って引き起こされた現象であると続き、『召喚の儀』の説明がされた。
この二代目のノートを見つけた時にその場で全てを読めたわけでは当然ない。
ルナリナの部屋では流し見して記録するだけに留めて、詳しくはその晩にベッドの中で読み込んだ。
そしてそのショッキングな内容に俺は動揺した。
この時の俺には、自分の記憶の能力に関して強い確信があったわけではなかったので、ルナリナへの脅迫と嫌がらせのためにノートを燃やしてしまったことを後悔した。
一応事なきを得たのだが、もしも重要な部分を記憶出来ていなかったらどうしようと、この時はとても焦ったものだ。
この『世界』という概念、『召喚』の隠された意図、これらも衝撃的だったがこの時一番驚いたのは別のことに関してだ。
それは神は存在しないという事実だ。
日本の一般的な家庭で生まれ育った俺は無神論者だ。
当然神が実在するなど考えたことはない。
そんな俺が何故神が居ないことにショックを受けたのかというと、この異世界のほとんどすべての人が信じていて普通に耳にする『神』という言葉――
――それを口にする彼らが、本当に神が居ると本気で思っていることを知って、俺は衝撃を受けたのだ。
この異世界では一つの宗教がほぼ全ての国に浸透している。
そして全ての人間が同じ神を信仰している。
あのルビアでさえ一日に一回くらいは食事の時に粗末な十字架を持って祈っていた。
俺は神を信じないが、だからと言ってそれを信じる人たちに嫌悪感などは持っていない。
そういうマナーなのだと思って、言われた通りに食前の祈りくらいは人前ではやっていた。
特にそれらの儀式めいた習わしに反発せずにスルーしていたので気付かなかったのだが、彼らや彼女らは本気で神の実在を信じていたのだ。
二代目が云うには、もしも神に該当するモノが居るとしたらそれは『世界』そのものだそうだ。
この世界の者たちが思うような、また俺たちが生まれた世界の神話にあるような、何か人格のようなモノを持った偉い存在が居るわけではないと書かれていた。
ただ、この世界の人間が神の実在を強く信じるのには理由がある。
それはかつて神を名乗り人間たちの社会を支配していた存在が居たからだそうだ。
その存在は正確には神ではなく“女神”だったそうだ。
しかし実際には女神ですらなく、その正体は長く存在して力と自我を膨らませすぎて狂ったために、自我を持ってしまった天使――それがこの世界で信仰されている神の正体だそうだ。
天使たちは『世界』そのものを神だと信仰している。
その『世界』にとって良くないモノに罰を与えるという名目で滅するのが天使という連中だ。
『世界』は樹に例えられるように、俺たちが持つような自意識のようなモノはない。だが生きる存在として己の生存と存続を続ける。植物のように。
その女神も当然そのことを知っているはずだが、狂ってしまったが為にその神である『世界』の意思が自分には聴こえ、だから神がそうしろと自分に言っていると思い込んでしまったのだそうだ。
頭がおかしいとしか俺には思えないが、天使とは元々そういう気があるのでそんなに不思議なことではないと二代目は言っていた。
そして女神は自らを神の代弁者として、人間たちに「こうすると善い」「こうすると悪い」と『神の言葉』を伝えた。
それが今の教会が掲げる教義の雛型と為ったそうだ。
このように言うと、まるで頭のおかしい天使が傍迷惑で悪いことをしたようにも聞こえるかもしれないが、これらの神の言葉は一つの規律として人間の社会を発展させた。
おそらく良かったことの方が多いかもしれないくらいだと二代目は言っている。
ただ、一つだけ欠点が――致命的に傍迷惑で悪いことがあった。
それは戦争だ。
かつて女神が実在した時代、この世界には悪魔も一部地域に棲んでいたそうだ。
酷く悪魔を嫌う女神は、この悪魔を神の敵だとして、人間たちにヤツらを滅ぼすよう神託を下した。
それが現代にまで続く戦争の発端である。
ただ、当然だが人間は悪魔には勝てない。
そこで女神は異世界から英雄を呼び寄せる『召喚の儀』を人々に齎した。
それで召喚されたのがこの国の歴史にある初代よりも、さらに大昔に召喚された原初の英雄だ。
違う葉の上の虫をこっちの葉に移す方法。
それを人間にも扱える魔法として落としこんだのだ。
もちろんただの人間を連れてきたところで意味がない。
世界から世界に渡る際には、通常の生物が生息するような場所ではない世界同士の隙間を移動する。
生身ではその空間に耐えられないので、召喚をする際には“
その再構築の際に“聖痕”を打ち込んで“
これはおそらく天使にとっても悪魔にとっても『禁忌』に該当する。
当時これがバレたせいで他の天使や悪魔も襲ってくるような戦争に発展したそうだ。
一番よくなかったのはその戦争に人間側――女神が勝利してしまったことだと二代目は分析している。
だが勝利はしたが、それから大分時間が経ったあとに女神は居なくなり、そして教会の教義――つまり『神の言葉』は人間の手に委ねられてしまった。
そして今日に至る。
女神のその後のことや人間の歴史については詳細に記されていたのだが、それは一つの別の物語になってしまうのでここでは割愛する。
俺が言いたいのは、神が居ないことに迷える子羊である俺がショックを受けたということだ。
早い話、周囲に居る他のヤツらがそんなよくわからないモノが実在することを本気で信じていると知って、俺はドン引きしてしまったのだ。
これまで彼らの宗教に反発したりなどしなかったから偶然事なきを得たものの、もしも彼らの前で「神なんかいるわけないだろ」と、そんな軽口を気紛れにでも口にしていたら――
おそらく大変なことになっていただろうなと冷や汗をかいた。
そしてもう一つ――
――これは本当に身勝手で、我ながら矛盾もしていると認める、とても酷い言い分なのだが。
俺はこうして神を信じていないし、それを本気で信じる者たちを見下していながら、自分が見放されていることに最もショックを受けたのだ。
神はいない。そんな人格を持った存在はどこにも居ない。
それは元々知っていたしわかってもいた。
だが一方で、それなのにも関わらず――
もしも何か悪いことをした人間がいたら、その人間には当然天罰のようなものが下って破滅して当然と思っていたし。
真面目に正直に頑張る者がいたら、まるでご褒美でも与えられるようにその人間には物事が上手く運びやがて成功し、その誠実さが報われるものなのだと。
自然と無根拠にそう思い込んでいた。
だけど神が居ないのなら、神に近しいなにか大いなるモノが居ないのだとしたら、俺たちは見放されてしまっていることになる。
それも正確ではない。
元々俺たちは誰の目にも留まっていなかったのだ。
もしも人が死んでも、人類が絶えたとしても、世界が滅んだとしても――
それは『世界』にとってはとるに足らない、気付きもしない小さな物事だ。
俺たちは『世界』から許されて霊子を貸し与えられて、まるでゲームのアバターのように一時的にその世界に存在させてもらっている。
そして死んだ後にバラバラに解けた霊子がまた『世界』へと還る。
だから、俺たちは、所詮は『世界』の一部に過ぎない。
それが本当なのだとしたら、俺たち――俺なんてモノは存在しないのではないか。
俺たちは『世界』の一部なのではなく、俺たちも『世界』なのではないのか。
俺が俺として存在し、俺が俺だと思っているモノ――
魂なのか自意識なのかどう呼んでいいかわからない曖昧なそれは、本当は何処にも存在していないのではないか。
自分を女神だと思い込んだあの天使のように――
そんな考えに囚われてしまった。
そして現実的な部分での不安もある。
神だの天使だの悪魔だのと。
そんな連中がボタンを掛け違えて起こった戦争は今も続いている。
裏で糸を引いて操る者が飽きていなくなった。
そんな代理戦争が。
神の敵である悪魔を滅ぼす戦争。
悪魔が魔族に摩り替って今も続いている。
その戦争は俺が終わらせる戦争だ。
その為に召喚されたのだから。
だが、こんなものどうやって終わらせろというのだ。
召喚された英雄などただ加護をインストールされた人間に過ぎない。
そして俺はその加護のインストールすら失敗している出来損ないだ。
こんなヤツに何が出来るというのだ。
ルビアの首を拾った時に彼女の髪には十字架の紐が絡まっていた。
元々粗雑な鉄を交差させて作っただけの物だが、廃墟で燃やされてさらに焦げてしまった。
それを探して拾って、彼女の形見のようにして持ち帰ってきた。
血と錆と煤で汚れた十字架を見つめながら夜を明かした。
そんな不安と絶望を抱えながら、俺は新たな任務に就くことになり、これからチームを組むことになる聖女シャーロットと教会の暗殺兵器エルフィーネと顔を合わせる。
俺はこの時――
彼女たちの顏は何も変わっていないのに、魂のカタチはなんにも違っていないのに。
彼女たちがまるで別の生き物かのように見えた。
二人とも教会の関係者だ。一般の人々よりも信心が深い。
彼女らは神が実在すると本気で思っている。
俺はそんな彼女たちが気持ち悪いと思ってしまった。
だが、きっと彼女たちからしても同じだろう。
ただ彼女たちは俺が神を信じていないことを知らないだけで。
彼女たちはとても敬虔な信徒だが、日本の駅前にたまにいる気持ちワリィババアのように、その教義を信じるよう押し付けてきたりしない。
俺はそれを寛容さやマナーの良さだと思っていたが、違う。
この世界の人々にとって、神が居ることは当たり前なのだ。
「貴方は神を信じますか?」などと、いちいち他人に聞く必要がないほどに当たり前のことなのだ。
だからそのことをいちいち確認してきたりなどしない。
だから偶々俺が無神論者であることがバレなかっただけなのだ。
ベランダの手摺りの向こうへ飛んだら地面に落ちて怪我をするか死ぬ。
俺が生きてきた世界では、生まれたての赤ん坊や物心もつかない幼児でもなければ誰でもわかる当たり前のことだ。
それをいちいち「ここから飛んだら落ちるよね?」と確認する馬鹿はいない。
つまり、それと同じくらいの当たり前であり、当然の真実なのだ。
そのあまりにかけ離れた価値観同士の乖離具合に俺は気味の悪さを感じる。
そしてそれ以上に、その彼女らが信じる当たり前が事実ではないことを知ってしまったことで、なにか罪悪感に近いような感情が渦巻き、彼女たちの顏を上手く見ることが出来なかった。
この彼女たちに神などいないことを教えたら、一体どうなってしまうのだろうか。
怒り狂って俺を殺しにかかるのか。
それとも心壊れて自殺してしまうのか。
二代目のノートは俺にとってセンセーショナルなものだったが、やはり知ってはいけないことを知ってしまったという気持ちが最初は大きかった。
だが、そんな感傷もすぐに失くなる。
俺たちが就いた任務は主に国の裏切者の調査と始末、あとは教会から指定された異端者の逮捕と始末だった。
要は他人のプライベートをコソコソと嗅ぎまわって暗殺する仕事だ。
俺はルビアの悪口を言っていたハゲ大臣をぶっ殺して裏切者の汚名を着せた。
だから独自の諜報機関を新設するというセラスフィリアの言葉は、俺のこのしょうもない嘘の真実性を肉付けするための詭弁なのだと思っていた。
まさか本当にやらされるとは思っていなかった。
各国の求めに従って、俺を戦場に出してすぐに死なれては国と召喚の威厳に関わる。
だから人目に付かないことの正当性を確保出来るこの仕事にしたのだろう。
何やら出来ることが増えたらしい俺の能力を調査しつつ、小規模な戦闘しか起こらない現場に出して実戦経験を増やし鍛えていく。
現場で俺をサポートしつつ鍛えることも出来る人員として選ばれたのがエルフィーネだ。
剣も魔法もダメだった。だからもう外法を仕込むしかないという判断だろう。
エルフィーネは教会の暗部の所属だ。
つまり本職のスパイでありアサシンである。
普段はメイドの恰好でセラスフィリアに仕えているが、本来はシスターなのだという。
そんなガチの裏の人間である彼女と対照的なのがシャロだ。
彼女は現職最高の治癒魔法を授かった聖女である。それは人々の希望として喧伝される教会の看板のようなものだ。
そんな存在のシャロがするような仕事ではないのだが、聖女には英雄が召喚されたらそれに付き従うという役割がある。だから仕方なくここに配属され、そして最初の内はシャロには暗殺と異端審問は隠していた。
主な彼女の仕事は仲間である俺たちの治療役であり、一番多かった仕事がエルフィーネの頭のおかしい訓練で死にかける俺の治療だった。
シャロはクソガキの初恋の女の子だ。
この異世界に降り立った初日に一目惚れをした。
厳密にはその前にセラスフィリアに一目惚れをしていたが、それは無かったことになっている。
なので、クソガキの初恋はシャロ。
それが公式設定だ。
シャロはこの後俺と行動を共にし、異端審問と戦争を通して教会の真の姿を知っていく中で心を病んでしまう。段々と過激化していった俺の行動もその原因の大半となっていたことだろう。
だが、彼女だけは最初から最後までただの一度も俺に敵意を向けなかった。
心の中ではどう思っていたかはわからないが、少なくとも俺から視える彼女は本当の意味で聖女という名前に相応しい人物だったと思う。
だからもしかしたら彼女のことは俺は信用していたのかもしれない。
だけど俺はこの『世界』で一番俺という人間を信用していない。
このまま一緒に居ると俺はいつか必ず彼女を死に追い遣るまで破滅させるか、それか自分の手で殺してその死を利用することになると、そのように自分を疑った。
俺なら必ずやると。
だから彼女を置き去りにして最後は一人で魔王の根城に乗り込んだのだが、役割を果たせなかったという点を追及され、彼女はきっと教会から責任を問われたと思う。
日本に帰るまで彼女が死んだという話は聞いていない。
何もかもが無事というわけにはいかないだろうが、せめて今は平穏に暮らしていてくれればと思う。
多分無理だろう。
今でも彼女に対しては、たとえ殺すことになっても最後まで連れ添って、責任をとったことにはならなくても、自分でケジメをつけるべきだったのではと答えが出ない。
何を思ったところで会いにいくことは出来ないのだから、やはり意味などないが。
そんなシャロに泣きつきながら、エルフィーネの地獄の特訓に耐える。
この時からエルフィーネは俺の師になった。
お師匠様は言った――
――剣も魔術も才能がないから使うなと。
聖剣と聖痕を能えられておいてどっちも使うなとは、俺は一体なんなんだと。
この時にはもう自分の駄目さ加減がわかってはいたものの、多少落ち込むものはあった。
自分の身体なら、自分でないモノよりは訓練次第で多少扱えるようになるとエルフィーネは言った
なので、彼女が得意とする格闘術を教わることとなった。
それは真っ当な武術ではなく、また彼女のオリジナルでもなく、教会の暗部仕込みの殺人技だった。
エルフィーネは教会の孤児院育ちだ。
孤児院は戦争で行き場のなくなった子供や、貧困で捨てられた子供が主に収容される。
そしてその子供たちの才能を鑑定し、“
そこは教会の汚れ仕事をする人員を養成するための施設だ。
エルフィーネはその施設で造られた戦闘員で、対外的には決してそう称されることはないが、実質的にはそこの最高傑作だ。
彼女は最強の始末人として50年以上教会の為に殺しをやってきた。
ここで彼女の出自について少し触れておく。
彼女のプロフィール――下手をしたら中学生女子にも見えるあどけない見た目だがルビアよりも年上。どころか50年以上生きている。
なのに若く美しい顔の造型に華奢な身体、少しくすんでいるが綺麗な毛並みの金髪。
そして耳が細く先端が尖っている。
彼女はエルフだった。
といってもハーフエルフというやつだ。
そしてそのことが彼女が孤児院に居た理由と為る。
この世界でのエルフの扱いについて説明しよう。
当然だが、魔族の扱いだ。
エルフは見た目が美しく長生きで若さを保っていられる期間も長い。
生まれつき魔力が多く、そして魔法や魔術の扱いにも長け、弓も上手だ。
クソガキが読んでいた作品にあるエルフの特徴そのもので、だからこそ教会が利権を守るためには邪魔な存在となる。
だがエルフが魔族認定を受けたのは、一般的に魔族と呼ばれる種族よりもだいぶ後のことで、だから教会の定義としては魔族扱いなのだが、一般的にエルフはエルフと呼ばれる。
そしてエルフ族は最初の魔族とは別口で迫害をされ、大森林と呼ばれる魔物の生息地に追い遣られた。
そしてその環境に適応してしまい、そこで独自に繁栄をしながら、たまに人間にゲリラ戦をしかけてくる厄介な敵となった。
エルフィーネの親はそこのエルフの女性で、ある時代の教会との戦争の中で人間に囚われ、そして奴隷として金持ちに売られた。
その後どうなったかを想像するのは難しくない。
魔族という烙印を押して忌み嫌っているくせに、美しい彼女たちにそういった劣情は催す。人間の傲慢と欺瞞だ。
次に、そういったことがあった場合に生まれた子供がどういう扱いになるか。
これは耳の形で決まる。
エルフと人間の決定的な見た目の違いは耳だ。
美醜の差はあれど、肌の色や他の特徴はそれほど変わらない。
だから生まれてきた子供の耳が人間と同じなら人間の子供として扱われ、耳が尖っていたらハーフエルフという扱いになる。
つまりエルフィーネは耳ガチャで外れを引いたというわけだ。
魔族ではなくエルフと区別して呼ぶくせに、そうして差別をされるのだ。
エルフとハーフエルフの違いは何かと聞かれると俺には答えられない。
姿カタチも魂のカタチも俺には同じに視える。
生まれたハーフエルフがエルフたちの元に帰されたという事例は聞いたことが無いが、人間の穢れを取り込んだ忌子としてエルフからも嫌われていた。
つまりハーフエルフに生まれてしまったら世界の何処にも居場所などないのだ。
だから好事家に飼われるか、教会の暗部に送られることになる。
エルフィーネは後者だった。
彼女はそこで育ち暗殺者として生きるしか道がなかったのだ。
さぞ教会や神を恨んでいることだろうと思ったが、そうでもなかった。
彼女は恐ろしく信心深い信徒だった。
おそらく絶対に教会に牙を剥かないように念入りに洗脳されて育てられたのだろう。
彼女は自分で善悪の判断をしない。
それを決めるのは神だからだ。
その神の意志と言葉を発するのが教会であり、だから教会の言うことには間違いがない。
仮に教会の言うことすることに疑念を感じたのならば、それは自分が間違っていることになる。
間違うのは信仰が足りないせいだからと、彼女は懺悔し祈りを捧げるのだ。
だからクソガキを異世界から攫ってきた時も、そのことで心は痛め同情はする。
しかし神に疑念を抱くのは赦されないと、自身を戒めていたのだそうだ。
俺には到底理解できなかったが、そういうメンタリティだからこそ50年も人殺しを続けられたし、また逆にだからこそ自戒と自責で心を壊していたのだろう。
いつも無表情で抑揚の小さい口調で話す。
冷静で冷血な殺人人形。
信仰を塗り固めて作った
しかし、教会の教義では神が愛しているのは人間だけだ。
エルフも魔族も悪魔から生まれた種族で、その存在を神は決して赦さない。
そんな風に突き放してくる神に彼女は祈りを捧げ続ける。
決して自分を愛してはくれない神の為に殺しを続けるのだ。
なんて憐れな女なのだと思った。
それが彼女が教会のために戦う精神的な動機で、実質的な動機としては生まれ育った孤児院の為だった。
自分の後輩になる子供たちが暗殺者になどならなくて済むように、そう育てるのをやめてもらえるようにするために、代わりに自分が教会の敵を一人で殺し尽くす。
そうすれば望みを叶えてやるという絶対に果たされるはずのない口約束を信じて、彼女は手を汚し続けていた。
こうして彼女から暗殺組織謹製の殺人技術を教わることになったのだが、俺は訓練で彼女と向かい合った時に一つ疑問を感じた。
エルフで魔法が得意なはずなのに、何故殴り合い? と――
その答えもまた教義だ。
神は人間を創り、その愛の一つとして魔力を与えた。
だから神が存在を赦していない魔族であるエルフには魔法や魔術を使うことが赦されていないのだ。
それは自分たちへその魔法を向けさせない為の首輪なのだろう。
だが彼女は律儀にそれを守っていた。
だったら華奢で肉弾戦に向かないはずのエルフがどう戦うのかというと、その強大な魔力による身体強化でのゴリ押しだ。
これはある種抜け道のようなもので、魔法や魔術を使って自分の身体の外に――つまり世界に影響を与えるのは違法で、自分の身体の内で完結する分には脱法レベルの合法となるらしい。
これは魔術師同士のマウントの取り合いから生まれた考え方や価値観のせいでそうなったらしい。
ゴリ押しとは言ったが、エルフィーネの戦闘技術はそれはそれで極まっている。なにせ50年以上も素手で戦い続けてきたのだ。
その技術を自分の背よりも大きな岩をぶん投げてくるゴリラのようなフィジカルで行使するのだ。
彼女は恐ろしく強かった。
多分タイマンなら“
そして何より、彼女は容赦がなかった。
中学校の部活の走り込みでヒーヒー言っていた程度のクソガキが多少マシになったくらいでは、とても彼女のスパルタにはついていけなかった。
そもそも彼女が戦闘を仕込まれた場所も表には出せない暗殺者養成所であるし、そうなるのも当然のことだろう。
俺は毎日エルフィーネにボロボロにされ、その後にシャロに治療され、元気になったらセラスフィリアに嫌がらせをし、それからルナリナに八つ当たりをするという日々を送る。
エルフィーネの身体強化にヒントを得て、二代目のノートを読んで“刻印魔術”を知り、ルナリナに刻印を仕込ませた。
そうして実戦を熟しながら少しずつマシになっていく。
その日々はもしかしたら仮初の平穏だったのかもしれない。
俺はあの酷い最前線から生きて帰ったことで一つの自信を得ていたのかもしれない。
あれ以上の地獄はもう何処にもないだろうと。
だが、知ることになる。
人の本当の汚さと恐ろしさを。
戦場の――殺らなければ殺られるという極限状態の中ではなく、平穏な日常生活の中にも、戦場以上の悪意と狂気が渦巻いていること。
それを知りながらまた色んなものを喪っていき、そして魔王との決着をつけるところまで戦っていく。
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