1章74 『生まれ孵る卵《リバースエンブリオ》』 ⑤

 不自然に肥大化した肉人形の腕に横殴りにされる。



「――ぐっ」



 ドッと地面に俺の身体が打ち付けられると、途端に周囲から歓声が上がった。



 円になるように肉塊の底辺悪魔どもが集まっており、その中心で俺は戦っている。


 戦わされていると謂ってもいいかもしれない。



 悪魔たちは、敵である俺を抜けて街へ行くようなことはせず、この場に留まって囲いを作っている。


 チラリと眼を横へ動かせば、水無瀬の方でも同じような形になっているようだ。


 こいつらは地に蹲って苦しむ水無瀬に手を出すこともなく、彼女を守ろうと足掻くネコ悪魔――サキュバスとか言ってたか?――を甚振っているようだ。



 あっちの詳しい状況は視えないのでわからないが、俺の方で云えば、一体ずつ悪魔がリングのような囲いの中心に出てきて、俺はそれと戦っている。


 仲間が俺を痛めつければ奇声をあげて歓び、逆に俺が仲間を殺しても、ヤツらはキャッキャと小躍りしながら哂っている。



 要は完全にオモチャにされていた。



 侮辱的な扱いに思う所がないわけではないが、しかしこれは俺にとっては悪くはない状況だ。


 街は別にどうなっても構わないが、水無瀬に手出しされないのは都合がいい。


 現状、俺たちが期待出来る逆転の道筋は、戦闘不能になっている水無瀬の回復しかない。



 だが、正直それは望み薄だろう。


 無理矢理絞り出して回答を出すならそれしかないというだけで、実質的にはもうお手上げだ。



 水無瀬が再び魔法少女として戦えることはないだろうし、俺に悪魔どもをどうこうすることも出来ない。


 それに、敵は悪魔だけではない。



 これだけ『世界』に大きな影響を与え、人間を始めとする『実在存在』の社会を揺るがせば、それを調停するために天使が出てくる。


 アスも言っていたが、天使どもはこの状況を許しはしないだろう。


 ちなみに調停とは大抵の場合において、皆殺しを意味する。



 俺自身は天使と悪魔の争いを見たことはないが、二代目の遺した記録にはそれに関する記載があった。


 天使は悪魔以上に話が通じない。


 ヤツらは『世界』自体を信奉していて、その『世界』の意思のようなモノを神だとしている。そしてその神の敵となるモノを抹殺することで、『世界』の意思のあるがままに『世界』が存続することを自分たちの至上命題としている。



 ちなみに、『世界』にそんな意思のようなものは無いので、ヤツらは妄想上の神を信仰して、妄想で聴いた神の意思とやらのもとに、人間や悪魔をぶっ殺して涎を垂らして悦に入る異常者種族だ。


 問題があればそれに関与するモノを殺し尽くすことで問題が終わったと考える頭のおかしな連中なのである。


 ただの人間に過ぎない俺としては到底理解に苦しむ。



 だから、ここで悪魔相手に粘ったとしても、狂った戦闘種族がまもなく出てくる。その後は悪魔と天使の戦いに巻き込まれてどうせ死ぬだけなので、尚更どうしようもないというのが現在の状況なのだ。


 一点、妙なのが――



 俺はアスを視る。



 街への侵攻を命じたはずの配下どもが、真面目にそれを実行していないというのに、アスにそれを気にした様子がない。


 コンクリの地面に突き立った“世界樹の杖セフィロツハイプ”に手を置き、薄笑いを浮かべながらクズどもの乱痴気騒ぎを眺めている。



(まだ、何かあるのか……?)



 疑心を抱きながら肉人形に聖剣エアリスフィールを突き刺し、また一体の魂を切断した――








(――妙ですね……)



 その光景を見ていたアスは余裕のある表情を浮かべながら、内心で訝しんでいた。



 思ったより弥堂たちが好闘していること――にではない。



(もう顕れていてもおかしくはないのですが……)



 未だに天使どもの偵察すら姿が見えないことだ。



(あの忌々しい“WHITE”どもが我々に対して寛容になることなどない。見つけたら飛んできて即座に神剣を抜くのがヤツらの在り方……)



 自分たちとは全く相容れない存在だが、長く対立をしてきたことで敵の哲学には深い理解がある。


 レッサーデーモンの大量召喚くらいでは動かないかもしれないが、ニンゲンを悪魔に――さらに魔王級にまでその存在を書き換えるなどという行いは、天使たちにとって間違いなく禁忌のはずだ。


 これを見逃すはずがない。



(まだ、足りないのでしょうか……?)



 アスは、存在の在り方が変わろうとしている愛苗を、単眼鏡で覗く。



 彼女の“魂の設計図アニマグラム”は着々とそのカタチを変えているが、まだ完全に悪魔と為ったわけではない。


 彼女はまだ抵抗をしていた。



(強烈な自我、そして意思――ですが、だからこそ魔王と為るに相応しい……)



 最高の器、奇跡のような個体。


 この廻りあわせを逃すわけにはいかない。



(もう一つきっかけが必要でしょうか? それに手を付けるのもいいですが、それよりもこのまま粘られて孵化前に殺されることがあっては目も当てられない……)



 目を細めて思考し、どこか遠くを探る。



(もう一手、打ちますか……)



 そう決め、“世界樹の杖セフィロツハイプ”を操作した。







「――クソッ! オマエら、マナに近づくなッ!」



 魔力で強化した爪で肉人形を引き裂く。


 メロは愛苗を守って戦っていた。


 だが、既に息が上がっている。



「こ、こんなの、いつまでも保たねェッス……!」



 悪魔とはいえ戦闘が得意なわけでもない彼女は弱音を漏らすが――



「メロちゃ……、にげて……」



 胸の痛み、自身が別のモノに書き換えられる苦しみに耐えながらもこちらを気遣う愛苗の声にハッとした。



「そんなこと……、出来るわけねェッス!」



 再び目に闘志を宿して、自分たちを囲む肉壁を睨む。



「ジブンが……、ジブンのせいで……ッ!」



 まさかこんなことになるとは思っていなかった。


 病気で死にかける彼女を前に他にどうしようもなかった部分はある。


 だが、使うべきではないと考えていたモノを使ったのは自分である以上、今ここで愛苗が苦しんでいるのは自分の責任なのだ。


 ここで自分が彼女を守れなければ――



 その重圧と罪悪感を攻撃性に変えてメロはレッサーデーモンに襲い掛かる。


 また一体を爪で裂いて倒すが、熱くなって突っこみ過ぎてしまった。



「しまったッス……⁉」



 攻撃後の隙をつかれて別の肉人形に組み付かれてしまった。


 地面に押し倒されて抑えつけられてしまう。



「コアッ! コアッ! メスノコアッ!」


「コ、コイツ……ッ⁉ ザコのくせに……!」



 ガパっと開いた口が顔に近づいてくると、それを押し退けることが出来ずにメロは思わず目を瞑る。



 その時、ピンクの光弾が飛んできて、メロに覆い被さる悪魔を撃ち抜いた。



 それとほぼ同タイミングで――






――不自然に左脚だけ肥大化した個体が雑にそれを振り回してくる。


 その稚拙な蹴りを俺は身を反らして避ける。


 重量のバランスが狂っているので、その悪魔はデカい脚を空振りしたことで大きく姿勢を崩す。


 決定機だ――



 だが、俺の足も出ない。



(殺せただろ、間抜けが……!)



 心中で自分を罵ってみたものの、さすがに疲弊を隠せなくなってきた。


 体力もそうだが魔力ももう心許無い。



 刃の無い剣の柄を握ったまま、それを悪魔の身体に押し当てる。



「【切断ディバイドリッパー】」



 魔力を流し込んで瞬間的に刃を創り出し、敵の魂を切る。


 もう常に刃を顕現しておくだけの魔力の余裕がないので、少し前からこうして切り詰めて使っていた。



 もうあと何回か使えば魔力は空になるだろう。


 なんなら、もうとっくに失くなっていても不思議はない。


 俺の魔力量などそんなものだ。



 そして目減りしているのは体力・魔力だけでなく――



「――チッ」



 俺は背後を振り返って舌を打つ。


 すぐそこまで迫られていることに気付くのが遅れた。


 身体が疲弊したことで精神まで疲労し、注意力も落ちている。



 悪魔の膨れ上がった腕が振り下ろされた。


 反射的に浮かんだ左手の刻印をキャンセルして、この一撃は受けることにする。


 相打ち覚悟で聖剣を突き出そうとするが、その前にピンク色の魔法弾が俺を狙う悪魔を撃ち滅ぼした。



 この一週間で何度も見た現象。


 だが俺は驚きから思わず魔法弾が飛んできた方へ顔を向けてしまう。



「まさか……、持ち直したのか……?」



 そんなことは不可能だと見限っていた。



 しかし、眼を向けた先で眼にしたモノに、俺は尚更信じられないような心持ちとなり、受けた衝撃から身を固まらせることになった。





 立ち昇る魔力。


 立ち上がる少女。



 色を失って枯れた葉のようにボロボロと崩れる衣装。


 ピンク色のツインテールは片方が解けてしまっている。



 その身は無数の蔓に寄生されるように纏わりつかれ、今も侵食をされていた。



 彼女は何も持ち直してなどいなかった。



「待ってて、二人とも……、今、わたしが……っ!」



 長い杖を地面に立てて、それに縋りつくようにして体重を支えながら再び魔法弾を撃つ。


 俺やメロの近くにいる悪魔どもを光弾が撃ち抜いていく。



「マ、マナ……! ムチャしちゃダメだ……!」



 メロは慌てて彼女へ駆け寄りその身を支える。



 彼女は――水無瀬 愛苗はそんなメロへ笑いかけた。



「えへへ、ありがとうメロちゃん……」


「マナ、もうこれ以上は……」



 止めようとするメロの言葉を彼女は最後まで聞かずに首を横に振る。



「私ね、メロちゃんのせいだなんて思ってないよ……?」


「え?」



 メロが伝えようとしたことへの答えではない。


 戸惑うメロへ、脂汗を浮かべながらも彼女は笑顔を崩さなかった。



「だ、だってマナの心臓はジブンが――」


「――ううん。だってメロちゃんがそうしてくれなかったら、私はあの時にもう死んじゃってたから……」


「だ、だけど……」


「だからやっぱり私はメロちゃんのおかげで助かって、それで今日まで生きてこられたんだよ。今日までメロちゃんが一緒にいてくれたから、しあわせだった。ほらね? やっぱり私が先に助けてもらったんだよ」


「…………っ」



 勝手に違う生物に書き換えられる。


 そんな際、この期に及んでも彼女の想いは変わらないようだ。


 メロは返す言葉が出ない。



「だから――絶対に私が守ってあげる……っ!」



 悲痛と苦痛を跳ねのけ水無瀬は再び魔法を放つ。



 だが――



「――ぅくぅ……っ!」



 魔法を一発撃つ度に胸の痛みに顔を顰める。


 使えば使うほど侵食が進んでいるように俺には視えた。



「バカな……、まだやれるのか……?」



 茫然としてしまう。



 どれだけ傷つこうが徹底的に戦い抜く。


 それは俺の専売特許のように他人から言われることがある。


 水無瀬からも似たようなことを言われた。



 俺自身それを誇るようなことはなく、また自分でそう思ったことはないが、今の水無瀬の姿はある意味そのお株を奪ったように言い表すことも出来るだろう。


 だが、俺と彼女では種類が全く違う。



 俺の場合は、ただ自分を、そして他人をも諦めているだけだ。


 自分でどうするかを考える頭がないから、最初にやると決めたこと、またはやれと命じられたことを死ぬまで続け、繰り返しているだけなのだ。


 その結果勝とうが負けようが、俺が誰が、死のうが生きようがどうでもいいとさえ思っている。


 謂わば、投げやりで生命を投げ出しているだけのことに過ぎないのだ。



 しかし彼女の場合は違う。


 彼女はまだ、ここに至っても諦めてなどいない。



 本気で抗い、本気で覆すつもりで――



 また、それが出来ると、自分には可能だと、本気で信じている。



 これまでの彼女を見てきたから、俺にさえ、それがわかる。



(まさか……、本当にできるのか……?)



 そして、俺のようなクズにさえ、そんな考えが、ほんの僅かにでも浮かぶ。



 幾度も期待しては打ち砕かれ、幾度か繰り返し、やがて見限り期待することをやめた。


 もう何年も前にそう断じた答えが覆されようとしている。


 そんな愚かな期待が、痩せて枯れた心の底に蘇ったことを、俺は自覚した。



「街も……、みんなも……守る……っ!」



 水無瀬は一際大きな魔法球を創り出そうとする。


 その隙にレッサーデーモンたちが彼女へ押し寄せた。



 彼女はそれを複数の盾を使って押しのけようとしているが、胸の痛みのためか苦戦し、それによって魔法球の生成も進まない。



 その様子を数秒ほど茫っと眺めてから俺はハッと我に返る。


 彼女が何をするつもりかを察して、反射的に身体が彼女の方へ走り出した。



「水無瀬を守れ――!」



 通りすがり様、つい何秒か前までの俺と同じように茫然とするメロを怒鳴り付け、俺は水無瀬へ取り付く悪魔の一体に密着する。



 踏み込んで拳を脇腹に当てると同時に“零衝”を打ち込んだ。



「弥堂くん――!」


「――いいからお前はお前のやりたいことをやれ!」


「……ありがとう!」



 水無瀬の前に立ち、彼女の魔法チャージを邪魔するモノを引き受ける。



 奇声をあげて殺到してくる悪魔の何体かを聖剣で切り殺すが、正面からヤツらの攻勢を受け止め切ることは出来ず、何体かに摑まれその内の一体に肩に噛みつかれる。


 だが――



「ネコさんチョーップ!」



 メロが振り下ろした爪が、俺に噛みつく悪魔の首を落とした。



「少年――ッ!」


「水無瀬を見てろ! 殺せると思ったヤツだけを狙え――!」


「わかったッス! 少年もがんばれッ!」



 メロは下がり脇から漏れてくるヤツを牽制しながら、俺が圧しこまれた時の援護に回る。


 この一瞬を耐え抜けば、敵の攻勢を押し返せる。



 打合せをせずともそれを共通認識とし、その時を待つ。



 そして、水無瀬の魔法が完成した――



「――もう一度……っ! 【恵みの雨フォルツァ ヴィータ】ッ!」



 膨れ上がった魔法球が空へと上がり、先程の再現のようにピンク色の流星が一部は他の場所へ飛んでいき、そしてこの場には雨のように降り注いだ。



「アメッ! アメッ!」

「シヌアメッ!」



 レッサーデーモンたちは泡を食って逃げ惑う。


 だが、周辺に居たモノたちは残らず撃ち抜かれて消えていった。



 全滅とまではいかなかったが、四千はいると言われた軍勢の半分は一瞬で消し飛んだ。



 俺は特に意味も無く水無瀬の顔を見る。


 気を抜いたせいかまた彼女の輪郭がブレる。


 残り少ない魔力を使って、しっかりと彼女の姿をこの眼で視た。



 水無瀬は苦しみに表情を歪めながらも顔は下げず、真っ直ぐに残った敵を見ている。



(あるのか……?)



 ここからの逆転が。



『都合のいい結末は必ずある。』


『信じるのでも願うのでもない。その前にまず『ある』ということを知って、認めて、理解するんだ。』


『ある以上はいける』



 廻夜部長は俺にそう仰った。



 だが、俺のこの役立たずの眼には――



 根源を覗くという魔眼には――



――そんな未来は視えない。



 彼女には見えているのだろうか。



 そんな都合のいい未来が。




 また自分が呆けていたことに気が付き、俺は彼女の元へ歩く。



「もう魔法を使うのはやめて変身を解け」



 俺の口から出たのは、そんな意味のない、今思考していたこととは全く違う言葉だった。


 水無瀬は苦笑いを浮かべて首を横に振る。



「弥堂くんは逃げて」



 そして彼女はそう言った。



 ほんの一瞬、頭が真っ白になる。



 紐づいた過去の記録が勝手に再生されそうになるのを抑え込んでいると、思考が止まって返答が出来なくなる。



「おねがい。メロちゃんを連れて逃げて」



 そうして黙っていると彼女が言葉を重ねてしまう。



「また今の大技を撃て。時間は稼いでやる」



 その続きを聞きたくないから、俺は会話を拒否して踵を返そうとする。



「待って、弥堂くん」



 呼び止められる言葉も聞かず、俺は歩き出す。


 戦場へ――



 戦場へ着いてしまったら、もう何も変わらない。


 だから、何も変えなくて済む。


 ただ、戦い続ければいい。


 それはとても楽なことだ。


 足を交互に動かしさえすれば、必ずそこに着く。



 だが、シュルシュルと何か細長いモノが身体に巻き付いてきて、俺は反射的に足の動きを止めてしまった。



「これは――」


「――待って。弥堂くん」



 その正体に気付き驚きを浮かべると、彼女はもう一回そう言った。


 強い意思で。



 俺の身体に巻き付いているのは蔓だ。


 水無瀬の身から出ている、何かの蔓。



 それに拘束――ではなく、抱きしめられるようにして、俺は身体の向きを変えさせられ、水無瀬の元へ引き寄せられてしまう。


 彼女は両手を伸ばして俺を迎えた。



「お前……、まさかこれ……」


「あのね?」



 俺が気が付いたつまらない答えなどに構わず、彼女は俺の頬を両手で挟む。そうして俺の顔を固定し、目を背けられぬように目を合わせられた。



 まん丸い彼女の瞳が俺の眼窩の奥を覗いている。


 その奥に投獄された憐れな弱者を見つめている。



「あのね? これで最後かもしれないから……、弥堂くんに言いたいことがあるの」


「最期……だと……?」



 彼女の瞳には強い覚悟の光が灯っていた。


 俺のよく知る、光の色だ。



「うん。言いたいことというか、言わなきゃいけないことが……」


「……なんだ」



 やめろ。聞くな。



 思考とは裏腹に俺は聞き返してしまう。


 眼を背けることを許されていないから。



「私ね? ホントは……、弥堂くんがイヤがってること、知ってたの……」


「なんの……、ことだ……」



 彼女はふにゃっと眉を下げて困ったような顔をした。


 見慣れた情けない顔。


 だが、瞳の中の強さは何一つ変わっていない。



「私に構われたり、喋りかけられたりすること。弥堂くんイヤなんだって、ホントは私、最初からわかってたの……」


「…………」



 すぐにそれに応えることが出来なかった。



 今の水無瀬の雰囲気に圧されていること。


 自分自身の不調のこともある。


 だが加えて、彼女の言葉が本当に意外な事実だと感じたからだ。



 彼女は俺がそう思っていることに絶対に気が付いていないと思っていた。


 だから、どれだけ邪険に扱われ、冷たい態度をとられても、能天気に話しかけてくるのだと――俺は彼女のことをずっとそう思っていたからだ。



「それは、意外だな……」


「えへへ、ごめんね?」


「だがキミは、他人が嫌がることを進んで行ったりしないだろう? わかっていて、何故……?」



 馬鹿が。そんなことを聞いてどうする。



 水無瀬は真剣な表情になった。



「初めて会った時。弥堂くんが転校してきて、一番最初のHRの時……。前の教壇に立った弥堂くんを見て、初めて見て、私感じたの……。なんかピピピッって」



『一目惚れでもしたか?』



 そんな冗談を言おうとして、止めた。


 彼女の瞳の強さに、言えなかった。



「一目でわかったの……」


「……なにが」


「知ってる目だって」


「……なにを」



 意味も意義もない俺の相槌に彼女は眉を顰めることもなく、俺を見つめ続ける。



「毎日、病室で……、白い壁についた鏡に映ってた目……。昔の私とおんなじ目だって、そう思ったの……っ」



 彼女の瞳に哀しみの色が混ざった。



「自分は世界でひとりぼっちだって……、自分を諦めちゃってる目……! 自分がもうすぐ死んじゃうのを、待つことしかできない、そんな目だって……っ!」


「――っ」



 俺は息を呑む。


 反論は出来ない。


『勘違いだ。馬鹿め』と、そう言い返すことが出来ない。


 認めたくないと反発するよりも先に、あまりに図星だと感じてしまったからだ。



「だから、イヤがられても、キラわれちゃったとしても……、でも絶対に独りにさせちゃダメだって……、そう思って……、それで私……」


「……同情か?」


『なんだそりゃ! クッソダセェな、テメェ!』



 俺もそう思うよ。



「えへへ、そういう気持ちがなかったって、絶対って言えないかも……。ヤな気持ちになっちゃうよね? ゴメンね?」



 彼女はまた少しだけ困ったような顔をした。



「だからね? ズルイけど、仲良くなってから打ち明けて謝ろうって思ってたの……」


「…………」



 俺が何も言わないことで、彼女はばつの悪そうな顔をした。



 だが、そうじゃない。


 数々の薄汚いことに手を染めてきた俺からしてみれば、それは全く卑怯なことだとは思わない。



 なによりも――


 そんなことよりも――



――なんと惨めな。



 自分の余りの憐れさに言葉がなかった。



 自分よりも年下の、精神の未熟なガキだと、頭の悪い甘ったれのガキだと――


 そう見下していた少女に、このように見透かされ、憐れまれ、これほどに気を回させ――



 自分という存在のあまりの無様さに言葉が無く、そしてこんな自分の言葉など一欠けらほどの価値もないと、目の前の強大で強固な純真さに、思い知らされてしまった。



 彼女は――



 水無瀬 愛苗という少女は――



 確かに鈍くて察しの悪いところがあるかもしれない――



 確かに話の意図が一発で伝わりづらいところがあるかもしれない――



 だが――



――彼女は決して人の気持ちがわからないような子ではなかった。



 そんなことは俺のようなボンクラにもわかるはずだったことだ。



 それなのに――



――なにもわかっていない甘ったれのガキは俺の方だった。



 今も何一つ変わっていないクソガキのままであった。



 そんなことに気付かされた。



 なのに――



「だけどもう、たぶんこれで最後になっちゃうかもしれないから……、だから、今言わなきゃって……」



 彼女は覚悟を決めている。


 いつもそうだ――



「でも、言い訳に聞こえちゃうかもだけど、それだけじゃないから……! 一年間一緒に過ごしてきて、この一週間は危ないことばっかりだったけど、それでも一緒で、お喋りして、遊んで、私は楽しかった……! それは絶対ウソじゃない。ウソじゃないって、きっと何年経った後でも絶対にそう言える……!」



 真摯に語りかけ伝えてくる彼女の言葉はあまり頭に入ってこない。



「出来れば、弥堂くんにも楽しく思ってもらえるまでがんばりたかったけど……、ごめんね……」



 この先を恐れて――



「ここが必ず私がなんとかする。だから、メロちゃんと一緒に逃げて欲しいの……」



 やめろ。その先を言うな――



『ったくしょうがねェなテメェは。いいから逃げろよ』



 記憶の中に記録された過去が再生される。



「私、絶対に負けない。街のみんなのことも、二人のことも、絶対に守ってみせる……! 私、魔法少女だから……!」

『言っただろ? 弱い弱いユキちゃんはヤバかったらとっとと逃げてお姉さんに泣きつけって。そうしたら守ってやるってよ』


「だから二人とも逃げて……。どうか無事で、これからもしあわせに」

『死ぬんじゃねェぞ、クソガキ。死んだら負けだからな』



 顔と身体を拘束する優しさが離れた。


 少し距離の空いた俺と彼女の間にはいくつもの映像が重なっている。



 それを視たくないから魔眼を切る。



 だが、無駄だ。



 何度も何度も見て、鮮明に記憶に脳に目に魂に焼き付いたモノは決して消えやしない。



 現在の映像を過去の映像が上書きする。



 燃え盛る炎。

 つんざく怒号。

 雨が降って。

 並べられる顔――

 顔、顔、顔、顔――

 その中に見慣れた肌と――

 緋い髪――

 膝の上でそれを指で梳いて。

 響く少女の悲鳴。

 その首を斬り落として――





 記録の映像が切れる。



 過去が立ち消えた後には、そこには映っていなかった少女の姿。



 思いついていたこと、おそらく言おうとしていたことが、俺の頭から全て飛んでしまっている。



 言うべきことが思いつかないので、目の前の人物を視る。



「あの……、弥堂くん……? どうしたの?」



 彼女は窺うように、俺に問いかけた。


 俺があまりに何も言わずにそのまま突っ立っているから不審に思ったのだろう。




 だが、それは俺も同じだ。


 俺にも問いかけるべき言葉がある。










「――お前は誰だ?」









 その言葉を口にした瞬間、目の前の少女の“魂の設計図アニマグラム”が大きく歪んだ。



「え……?」



 そんな少女の声が遅れて聴こえてきて、それからさらに一拍遅れて少女の顔がその魂と同様に歪む。


 その悲痛な表情に、彼女の胸の奥が強く軋んだ音まで聴こえたような気がした。



 だが、それは気がしただけだから気のせいだ。


 そんなことよりも――



「び、びとうくん……? うそ、だよね……?」



 少女はフラフラと手を伸ばしてくる。


 呆然とした、光の薄れた目で、ノロノロと俺に手を向け近づいてくる。



 知らない人間が――



 明らかに普通でない知らない人間。



 奇妙な服装、武器に視える長杖、そしてなにより――



――どう視ても人間には視えないその魂のカタチ。



 左手の刻印が反応し、それをキャンセルすると右手の甲が熱を帯びた。



 考えるまでもなく、俺の身体が動き出す――




 右手の聖剣を振り上げながら手の中で柄を回して逆手に持ち、その切っ先を少女へ向ける。


 少女の目が動き光の刃に向く。



 その瞬間――



 左手で腰のホルダーからナイフを抜き取り、すかさず無防備な首筋に黒い刃をあて、間髪入れずにそれを引いて、皮膚を筋を血管を切り裂いた――




「え――?」




 噴き出る血潮――



 何が起こったのかわかっていない見開かれた丸い瞳――



 白い肌――



 丸みのある柔らかそうな頬が――



 その血で赤く穢れた――

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