1章74 『生まれ孵る卵《リバースエンブリオ》』 ③


 戦いの幕は開いている。



「――ウギャギャギャーッス⁉」



 背の高い逞しい体つきをした人間の生皮を剥いだような姿のレッサーデーモン。


 その劣等悪魔が片方だけ不自然に肥大化した腕を振るうとメロは泡を食って叫びながら横に転がり避ける。



 しかし彼女の方がレッサーデーモンよりも格の高い悪魔だ。やられっぱなしではない。メロは素早く立ち上がると、口しか無い無貌の悪魔の顏をキッと睨んだ。



「ハアァァァ……ッ! ネコさんフラーッシュッ!」



 バッと両腕を上げて気合を発すると、見た目小学校高学年ほどの女児ボディが激しい光を放つ。目晦ましの魔法だ。



「…………」


「…………」



 しかしレッサーデーモンの顔面に目はないので、特にその発光で目が眩むようなことはなく、二人の間に微妙な空気が出来て、メロは劣等の存在しない目とジッと見つめ合った。



 数秒してからレッサーデーモンは徐に腕を振り上げる。



「クッ……! ここまでか……ッ!」



 メロは悔し気に呻く。



 すると、スッとレッサーデーモンの横に人影が現れる。


 弥堂だ。



 左の掌底を肉人形の脇腹に当て、爪先を捻る。



 零衝――



 大地より汲み上げた“威”は弥堂の体内で圧縮加速し、肉の塊の内部へと徹る。


 それは悪魔の体内で爆ぜる。



 レッサーデーモンの口から破裂したように血反吐と内臓が飛び出した。



「ホンギャアァーッス⁉」



 自身の上から降り注いでくる穢れをメロは悲鳴を上げながら回避した。



 彼女の様子に構わずに、弥堂はすぐに背後へ身体を向ける。



 自分を追ってきた別の個体が伸ばす腕を掻い潜り、右手の聖剣を胸に突き刺す。



「――【切断ディバイドリッパー】」



 聖剣エアリスフィールに宿る“加護ライセンス”が発動し、レッサーデーモンの“魂の設計図アニマグラム”が“切断”される。


 ボロボロと砂が崩れるようにしてその身が崩壊した。



「しょ、少年ありがとうッス……」



 メロからの礼を無視して弥堂はすぐに周囲へ眼を遣る。


 そう間を置かずにまた数体と接敵することになりそうだ。


 厳しい戦場だ。



 だが、アスやクルードなどとは違って、聖剣に零衝といった弥堂の攻撃もこの悪魔たちになら通じるようだ。


 存在の格としては今まで戦ってきた魔物ゴミクズー達よりもレッサーデーモンの方が上だが、素体が人体である以上強さはそれほどでもない。


 構造上零衝も徹る。



 しかし、かといって何ら楽観視は出来ない。



 空間の裂け目から飛び出してきた悪精が“屍人グール”に取り憑き底辺悪魔が次々に受肉して現界してくる。


 レッサーデーモンと為った順にこちらへ進軍してきている。



 今はまだ疎らだがすぐに数の暴力に呑まれることだろう。


 その数は4千。


 もっと増えるらしい。



 どんな攻撃をするにしても一体ずつ殴るか刺すかしか手段の無い弥堂ではまとめて殺すということは不可能だ。



 チラリと愛苗の方を視る。



 少しでも気を抜くと、少しでも魔眼へこめる魔力を抜くと、先程のように彼女の姿がブレて重なりボヤケる。


 魂のカタチを映す弥堂の眼には何が起こっているのかが映っている。



 これまでの戦いの日々の中で少しずつそう為っていた彼女の魂の変化。


 それが今この場では急速に進んでいっている。


 まるで違うナニカに変わろうとしているかのように――



(――いや)



 この期に及んで言葉を濁しても意味がない。


 アスの発言を考えれば、水無瀬 愛苗は魔王へと為り変わろうとしている。



 信じられない現象でも、ありえない現象でも、目の前で起こっている現象以上の事実はない。


 もうそう考えるべきだ。



「…………」



 苦しむ彼女の姿を視る。



 この危機的状況で痛みに動けなくなっている。


 だが、それ以上に彼女は抗っているのだろう。


 自身の身に起きている変化に。



 きっともうどうにもならない未来で、きっともうどうにもならない戦場だ。


 だが――



「……もう少し付き合ってやる」



 甘ったれた子供。自分よりも年若い子供。


 それがまだ抵抗を続けているのなら、先に投げ出してしまうのはどこか癪なので、そういうことにした。


 弥堂は顔を動かしてメロを見る。



「俺が突っこむ。抜けてきたヤツから彼女を守れ」


「え?」



 一度で意図が伝わらない苛立ちを唾と一緒にベッと吐き出す。



「出来るだけ引き付けてやる。だが期待はするな。必ず漏れてくるヤツがいるからお前が殺せ」


「ジ、ジブンがッスか⁉」


「他に誰がいる。お前の方が一応悪魔としての格は高いんだろ?」


「そ、そうッスけど……、でもジブンしがないサキュバスッスから。戦闘用のネコさんじゃないんッス……!」


「ネコさんですらねえだろバカが」



 迫りくる劣等どもを見て、恐れ慄いた様子でメロがブルリと震える。



「格下にビビってんじゃねえよ」


「そ、それはそうッスけど……、でもアイツらの見た目が……」


「あ?」



 言われて弥堂も肉人形たちの方を見る。



「見た目が気持ち悪いから戦えないとでも言うのか? むしろ殺せよ。『キモイのは有罪』だとどっかのギャルが言ってたぞ」


「そ、そうじゃねェッス!」



 バッとメロが弥堂へ顔を向ける。


 自身へ向けられる彼女の目を見て、弥堂はジト目になった。



「だ、だってアイツらなんかエッチじゃないッスか⁉ ズルムケだし……! 頭に血管とか浮いてるし……! 完全にジブンのことメスとして見てるッスよ!」


「目などないが?」


「ク、クゥゥ……ッ! ジブン一体これからどんな目に……!」



 女児ボディを自分で抱く淫蕩な悪魔を弥堂は軽蔑した。



 この危機的状況でふざけるなと言いたい気持ちはあるが、所詮は悪魔だ。


 これが彼女の悪魔としての性質なのだろう。


 野良犬に道端でションベンをするなと言っても無駄なように、サキュバスに道端で発情するなと言っても無駄なことだ。


 諦めて弥堂は敵の方へ歩きだす。



「あ、少年?」


「俺はもう勝手にやる。お前も勝手にしろ。水無瀬と揃って想像通りの目にあうのも、可能なら一緒に逃げるのも好きにしろ。逃げ場などないだろうがな」


「しょ、少年はなんでまだ、戦ってくれるんッスか?」


「まだ死んでないからだ」



 立ち止まり顏だけ振り返る。



「戦いは死ぬまで終わらない。ここで生き延びても、ここじゃなくても、俺が死ぬまで、俺の戦いは終わらない。終われない」



 その瞳の色の無さにメロは言葉を失った。



 悪魔であるメロには他の生物の感情を感知する能力がある。


 たった一週間ほどの付き合いだが、これまでに聞いた彼のどんな言葉よりも、今の言葉に彼の真実なる感情が見えたような気がした。



「しょ、少年……ッ!」



 その真実に触れたという重みに耐えられず、また歩き出そうとした弥堂を呼び止める。振り返った彼はいつもどおりの酷く面倒そうな顔をしていた。



「なんだ」


「あの、二人は……?」


「あ?」


「外に逃げたパパさんとママさんは大丈夫ッスかね? ここがこんなんじゃ外も……」



 その問いに弥堂は嘆息する。



「まずグールが生み出され、それにあそこから出た黒い靄が憑いてレッサーデーモンになる。外に居たグールどもはさっき水無瀬が皆殺しにした。ここに居る連中を街に行かせなければ両親は大丈夫だろ。保証は出来ないがな」


「そ、そッスか……」


「それに他人のことを考えるのは自分が生き残ってからだ。パパさんもママさんも俺たちも、運がよければ生き残るし、悪ければ死ぬ。その点で俺たちは皆フェアだ」


「み、見も蓋もねェッス……」


「それが戦場だ。じゃあな」



 今度こそ弥堂は敵へと向かって行った。



 ブルブルと頭を振って、メロは愛苗の元へ走る。



 自分で何かを選び今を終わらせるという選択を彼女は出来ない。


 腐るまで熟れるジレンマ――


 それが彼女の“魂の設計図アニマグラム”によって定義づけられた彼女という存在の仕様だ。



 だから少しでも今が長く続くように。


 彼女を守るために。縋るために。


 メロは愛苗の前に立った。




「アハハハハハ――ッ!」



 弱き者たちの抗戦の姿勢にアスは高笑いを上げる。



「別にアナタたちなどいちいち狙いませんよ? どうせ天使が顕れたら我々との戦いの余波に巻き込まれてアナタたちは滅びるのですから! そろそろ先遣隊が顕れる頃でしょう。なのにわざわざ死にに向かってくるというのですか⁉」



 絶対強者の問いへの言葉は無い。


 ただ戦意を以て返す。



 美景市の南方にある美景新港。


 其処から、この地の滅びが北上を開始した。







 その頃街は――




「ガッハッハッハッハ! オイ青芝ァ! もっと酒を注がんかい!」


「ハイ! 山さん!」



 皐月邸の前では警官とヤクザが車座になって半ばお花畑と為った道端で酒盛りをしていた。止める者は誰もいない。


 まだ夕方だというのにすっかりと乱痴気騒ぎだ。



 その会場へヌッと姿を現した影がある。



「アン? なんじゃあオメェ……?」



 その余所者の姿を一人のチンピラが見咎めた。


 すかさずイチャモンを付けようとするが、その闖入者の全容が露わになると悲鳴をあげる。



「うっ、うわああああっ⁉ バ、バケモンだあ……ッ!」



 その大きな悲鳴に花見会場の空気は瞬時に変わる。


 各員手に持っていた酒を投げすてザっと立ち上がり、化け物と相対する。



「な、なんじゃあコイツ……」



 新手の敵の姿を目に映し、多くの者が嫌悪感を抱く。


 生皮を剥いだように剥き出しになった肉。それが塊となって人体を模している。


 強烈な忌避感が湧き出て一気に酔いが醒めた。



「キュロロロロロ……ッ!」



 ニンゲンたちのその反応にレッサーデーモンは嬉しそうに鳴き声をあげた。


 しかし言葉による意思疎通は出来なくても、その嘲りは無法者たちにしっかりと伝わったようでカッと彼らの頭に血が昇る。



「なんじゃあコラァッ!」

「オドレここどこじゃと思とんのじゃあ⁉」



 口々に威嚇の鳴き声をあげた。



「オメェら下がれェ……ッ」



 そしてこの場で一番気が短い者がユラァと前に出る。


 辰のアニキだ。



「タイマンじゃあ……!」



 その宣言に山元巡査長はスッと目を細める。



 周囲を見る限り、確かに相手も一体しかいないようだが、だからといって――



(ありゃあ“不死身の辰”でもちょいとキツイんじゃあねェか……?)



 この場に現れた化け物の威容と異様にそう予測する。



 体躯は大柄な人間ほど。


 しかし先程までやり合っていたゾンビと比べても明らかに逞しい。


 どう見ても人間が一対一でどうにかするような相手には見えなかった。



 それは子分たちも同じようで、心配そうに何人かがアニキを止めようと駆け寄る。



「ア、アニキ、無茶ですって……!」


「アァ⁉」



 それにアニキは気分を害した。



「なんじゃあ⁉ このワシがあんなァに負ける思てんのかァ⁉」


「で、でもアニキ……」



 アニキの剣幕に怯えながらリュージはバケモノを指差した。



「見てください! だって、アイツ……、ズルムケですよ……!」

「あれチンポですよ……! チンポのバケモノだ! ハンパじゃねェッスよ!」


「ぐ、ぐぬぬぬ……っ」



 口々に告げてくる彼らの諫言にアニキは若干圧され、そして――



「――うおおおおおッ!」



 ズルっと、ズボンと一緒にパンツまで下ろして下半身を露出した。



「な、なにをやっとんじゃあのバカは……」



 山さんはその行動に呆気にとられるが――



「これでどうじゃあッ!」


「ひゅー! アニキひゅーッ!」

「さすがアニキだぜ! ひゅーッ!」



 子分たちは俄然勢いづいた。



 ペッペッと靴を脱ぎ捨て、男一匹裸でバケモノの前に立つ。


 その身に纏うは紋々のみ。


 背の昇り龍に誓ったのは不敗――


 肩のサツキに誓ったのは不退――



 レッサーデーモンに目はないが、気持ちその首を傾けて目の前に立つ異様な男の下半身へ顔を向ける。


 レッサーデーモンはジリジリと僅かに後退った。



「アニキのは真珠入りじゃあコラァッ!」

「どうだオラァッ!」

「アニキ! あの野郎ビビってますぜッ!」


「ガハハハッ! タマ殺ったらッ! タマ出せやチンポ野郎ッ!」



 全裸の中年男性は全裸の怪物に襲い掛かった。



「チンポ野郎はオメェだろうが……、オイ――」



 その様子に呆れながら、山さんは近くにいた三下に声をかける。



「ヘイ! なんでしょう?」



 三下は警官に諂う。



「機関銃持ってこいやァ」


「え?」


「機関銃じゃあ。あんのやろ? 出せや」


「そ、そんな物騒なモンあるわけねェだろ!」



 警官からの無茶な要請にヤクザは目を白黒させた。



「なんでねェんじゃ! オドレらそれでもヤクザか⁉」


「オノレらが取り締まるからじゃろォが!」

「そうだそうだ!」

「ふざけんなよオマワリこらァッ!」


「なんじゃあ! オッルゥァアアアッ! 警察ナメとんのかァ⁉ 立ち入るぞボケェッ!」



 そして両者ともに鳴き声で威嚇し合い、騒がしくなる。



 一度は街から危機は去ったと思われたが、また不穏な気配が侵食してきていた。



 そして同様の事態は美景台学園でも――





《――“うきこ”! “うきこ”……っ! 大丈夫か⁉》


「うるさい、“まきえ”。気が散る」



 美景川から這い出てくるグールが突然悪魔に取り憑かれ受肉し、それらが正門に殺到してきていた。


 その対処に追われる“うきこ”は苛立ち混じりに“まきえ”の念話に答えた。



 住宅街に湧いたレッサーデーモンは偶々撃ち漏らしてしまった一体に悪魔が取り憑いたようだが、この場に湧くモノたちは川から這い出る時にはもう全て悪魔化している。



 グールを相手にしていた時に比べて“うきこ”に余裕はあまりない。



 正面切っての戦闘でレッサーデーモンに負けることはまずないが、なにぶん数が多い。


 おまけに運動性能がグールとは段違いで斃しても次が押し寄せてくるまでの間隔が短く、急速な疲弊を強いられていた。



 ただ一対多でやり合うだけなら問題はないが、これは防衛戦だ。



 悪魔たちは“うきこ”よりも学園の正門を優先して狙ってくる。


 門に取り付き結界を破壊しようとする。


 グールなら放っておいても破られることはないが、このデーモンたちなら数と時間があればそのうち突破されかねない。


 単独でそれを守る“うきこ”の負担は増大していた。



「させない――!」



 “うきこ”は門の前に鉄球ポンポンを飛ばし、そこに群がる肉人形どもを本当の肉塊に変えてやる。



「――っ⁉」



 だがその隙をつかれて背後から近づいた二体の悪魔に左右の腕をそれぞれ掴まれる。



「オンナオンナァ! メスノオンナァ!」

「オデノタマァ!」



 嬉しげに歓声をあげながら悪魔たちは“うきこ”を路上に押し倒そうとする。


 “うきこ”の目がギラリと赤く光った。



「チカン――」



 片腕を強く引き一体を地面に叩き潰し――



「は――」



 ピョンっとジャンプして――



「――死ぬべき」



 もう一体にちっちゃな拳をブンっと振るとゴパンッと肉が弾けた。



 何事もなかったかのように着地する。



 だが――



「――手が足りない」



 心中で焦燥を浮かべる。



 戦って勝つだけなら問題ないが、やはり単純に数が多すぎた。



《“うきこ”! オレも出る!》


「だめ」



 “まきえ”からの念話に即座に答える。



「お嬢さまを守るのが最優先」


《で、でもよぉ……っ》


「お嬢さまは龍脈から手が離せない。“まきえ”が結界を担当するしかない」


《それじゃ“うきこ”が……!》


「私は平気。こいつらはざこ。結界が破られさえしなければ大丈夫。時間かければ皆殺しにできる」


《コイツら無限に湧いてるぞ⁉ ホントにいつか止まるのか⁉》


「そんなの知らない。でも、出来るまでやれば出来るって“ふーきいん”が言ってた」


《アイツの言うこと真に受けるなよ!》



 念話を通じて言い合いながらその間も戦う手は止めない。


 すると別の声が参加してくる。



《防御術式は私が》



 彼女らの主である学園の生徒会長、郭宮 京子くるわみや みやこだ。



「お嬢さま?」

《でも、龍脈は⁉》


《もう無理》



 この異常事態下でも囁くような声で端的に情報を伝えてくる。



「もしかして……」


《完全に暴走》


《そんな……⁉》


《自動で鎮静の術式走らせてる。だから》


《オレの出番だな!》


「待ってお嬢様。私はまだ……」



 “うきこ”は主の判断を止めようとする。


 念話の向こうから首を横に振る気配が伝わってきた。



《島で門が開いた》


「――っ⁉」

《なんだって⁉》


《あっちで門をどうにか》


「……してもらわない限りは、こっちで龍脈を押さえることも無理……」


《そう。だから》



 郭宮 京子は配下へ命ずる。



《“まきえ”、許可する》


《よっしゃあっ!》


「待ってお嬢様! それだけは――」


《使ってよし》



 その言葉に“まきえ”は歓喜し、“うきこ”は絶望の表情を浮かべた。



 学園の中心地である時計塔の中の一室。



 “まきえ”は部屋の角へ駆け寄り床板をズラす。


 その中にあるのはいくつかのズタ袋だ。



 それを全部引っ掴んで床の上に出す。


 次に取り出したのはブタさんの貯金箱だ。



《あぁ……、待って、待って“まきえ”……。それだけは堪忍……》



 普段の彼女からは想像もつかない情けない声が頭の中に届く。



「ワリィな“うきこ”。オマエのヘソクリ使わせてもらうぜ!」



 ニヤっと笑って“まきえ”はズタ袋を開いた。


 中に入っているのは大量の小銭だ。


 袋ごと持ち上げて逆さにし、それをブタさん貯金箱の顔目掛けて流し込む。



 すると、ブタさんのお口がガパッと大きく開き、ザーっと流れてくる大量の小銭を飲み込み始めた。


 口の大きさも、流し込まれる小銭も、どう見ても貯金箱の体積を遥かに超えているが実際中に入っているようだ。



《あっ、あぁ……、おかね……、私のおこづかい……》



 悲壮感溢れる“うきこ”の声に、“まきえ”は念話で伝わらぬよう『南無』と唱えた。



 ブタさんの頭の上、空中に映像が表示される。


 そこに書かれているのは数字だ。


 これはブタさんが飲んだ金額を表す。


 そのカウントが物凄い勢いで上がっていく。



 やがて全ての小銭を飲み込ませ終えると、チーンっと軽い音が鳴った。



『領収しました。施設レベルが上がります』


「おっしゃあ!」


《あぁ……おねがい、領収書……、せめて領収書を……》


「そんな機能ねェよ」



 ブタさんから鳴る謎のアナウンスを聞くと“まきえ”は歓声をあげてズタ袋を放り捨てる。


 気勢を削ぐような“うきこ”の泣き言には呆れ気味に返した。



 学園の施設を外から見た光景。


 時計塔の外壁を紫がかった白い光が包む。そしてそこを中心に敷地中に光が広がっていく。


 各施設がコーティングでもされたように輝きを携えた。



 それを見た“うきこ”の目からはハイライトが消える。



 その現象が起きたタイミングで、“まきえ”の居る管制室に郭宮会長が入ってきた。



「“まきえ”、替わる」


「おう! 頼んだぜ! お嬢様!」


「任せて。“まきえ”はいってらっしゃい」



 配下へ激励の声をかけながら会長は席に座り、目の前の机に置かれたコンソールのような水晶玉に手を翳す。


 水晶の中に正門前の様子が映っている。



「認証。郭宮 京子くるわみや みやこの名に於いて命ず。我に従え――」




 その命が出されると、学園の正門が独りでに開いた。



「マリョクマリョク!」

「オニクオニク!」

「オデタマキンタマ!」

「オンナ! メスオンナ!」

「ヨゴス! オデガヨゴス!」



 そこに集っていた悪魔たちが奇声をあげながら学園内に雪崩れ込んでいく。


 意気消沈した“うきこ”は地面に手と膝をついて項垂れており悪魔たちを追わない。



 学園の正門を潜るとそこは並木道。


 正面の昇降口棟へと誘う桜のアーチ。



 舞い散る無数の桜色の花びらの下で邪悪な悪魔たちが小躍りする。



 彼らを歓迎するように花びらが降り注ぐ。



 すると突然――



 その花びらたちに淡い光が宿り固形化し、ガラスの破片のような鋭さと指向性を持って悪魔たちを撃った。


 続いて旋風が巻き起こる。



 悪魔どもを囲い包むようにして、さらに刃物と化した花びらを巻き込み、荒れ狂う風が侵入者をズタズタに切り刻んだ。



 後から続いてきたレッサーデーモンたちはその光景に尻ごむ。



 そして今度は、悪魔たちの向く先に伸びる学園の象徴たる時計塔――


 上階の壁の一部が破裂し、中からナニモノかが飛び出した。



 空中でギュルルルっと縦回転をしながらソレは並木道に落ちてくる。


 舗装された路面をクレーター上に踏み潰し着地をした。



「グルルルル……ッ!」



 ソレは少女。


 赤い髪の少女。


 メイド服を着た、この学園に通う年代くらいの少女だった。



 唸り声をあげながら赤い目が劣等どもを睨む。


 彼女の手には巨大な棘付きの金棒が握られていた。



「――オオオォォォ……ッ!」



 攻撃色に染まった目で叫びをあげ、少女は金棒を力尽くで振り回した。


 その一撃で十数体の悪魔が肉片を撒き散らしながら消し飛ぶ。



 それを見た後列のデーモンは踵を返して逃げ出した。



 学園内の様子を知らずに喜び勇んで這入ってくる同胞たちに逆流して肉波を掻き分けながら外に出ると――



「――オブェ……ッ⁉」



 今度は飛んできた鉄球に粉々にされた。



「はぁ……」



 鉄球の主、“うきこ”は物憂げな溜息を吐く。



「おかね、なくなっちゃった……。また“ふーきいん”と“ぱぱ活”して稼がないと……」



 ここからの彼女の作業は楽なものだった。


 学園の中に悪魔どもを誘き入れ、中の赤鬼に怯えて逃げてきた個体を討つだけ。



 龍脈はともかく、対悪魔の防衛戦としては目途が立った。



 手が空いたので海の方角の空を見る。



「みらいは大丈夫かしら」



 主は『門が開いた』と言っていた。


 ということは今頃彼女たちの居る無人島は大変なことになっているはずだ。



 たまたま彼女らがメンテナンスの為にその島に行っているタイミングだったからよかったものの、もしもそうでない時にこの暴走が起きていたら詰んでいた。



「運がいいんだか悪いんだか……」



 溜息を漏らしながら自分へ向かってきた肉人形の腹に鉤手状に指を開いた手を突き入れ、指を突き刺しながら持ち上げる。



「まぁ、あっちはイケメンのお金持ちがいるから大丈夫か」



 言いながらレッサーデーモンの肥大化した右足を引っこ抜く。



「それに比べて“ふーきいん”はだめ。ほんとにだめ。いつまで経っても給料が上がらないし出世もしない。ボーナスも有給もないから旅行にも連れてってもらえない。ずっとうだつが上がらない……、ほんとにだめなオトコ。ぜったい結婚とか考えられない……」



 ぶちぶちと愚痴をこぼしながら悪魔の手足を一本ずつ捥いでいく。



「ねぇ、“おにく”?」



 耳障りな悪魔の悲鳴を聴き流しながら悪魔の口だけしかない顔を覗く。



「オマエお金もってない? お金くれたら手加減して遊んであげる。おにごっこ、ほべつ500k、別途おぷしょん。交通費はもちろん別」



 意味のわからない交渉に悪魔はイヤイヤと首を横に振って命乞いをする。



「そう――」



 “うきこ”は欠片も未練なく、お金の無い底辺肉おじを門の方へ投げた。


 そのタイミングでちょうど門の中から逃げてきた悪魔たちに直撃する。


 絡まって転ぶ悪魔たちの上に鉄球を叩き落として纏めて潰した。



「やっぱりイケメンお金持ちに乗り換えようかしら……」



 見た目は年端のいかぬ女児のくせに、いっちょまえに溜息をまた吐く。



「“ふーきいん”のせい。ぜんぜん私のことわかってくれない……」



 そしていっちょまえにヘラった台詞を吐きながら、また海の方の空をまた見上げた。



 その空と海の向こうでは――

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