1章74 『生まれ孵る卵《リバースエンブリオ》』 ①

 キラキラと桜色の粒子が空を彩る。



 舞い散る花びらのように、宙を泳ぎ漂い、地へと降る。



 その内の大半は落ちながら『世界』へと還り、また誰の物でもない魔素と為る。



 そしてその内の何割かは――




 空に留まる魔法少女ステラ・フィオーレ。



 ピンク色に輝く粒子がその胸に飾られた青い宝石――“Blue Wish”へと吸い込まれていく。


 彼女は胸に手を当ててそれを大事そうに抱いた。



 自分以外の魔素を取り込んで、それを自分の力とする。


 魔力の生成とはそういうものだと言ってしまえばそれまでだが、彼女はさらに、そうすることで自身の“魂の設計図アニマグラム”をより強大なものとし、存在の強度すらを上げる。



 魔を統べる者――魔王。



 アスが先程興奮気味に叫んでいたが、なるほど、確かに彼女の在り方はそれに相応しいと、弥堂もそのように感じた。


 彼女が最後に放った大技はそれを体現したような魔法だった。


 だが一方でその在り方はまるで――



(――ん?)



 そこまで考えて弥堂はどこかに違和感を覚えた。


 それが何かを考えようとするが、今は上手く頭が回らない。



 空に君臨する愛苗を見る。



 彼女は絶対に勝てないと思っていた。


 地力に圧倒的な差があったにも関わらず、人間と悪魔という種族間の格差があったにも関わらず、戦いながら成長し奇跡のような進化を遂げて勝利を掴み取った。


 そんなことは絶対に不可能だと弥堂は考えていた。



 その者の強さは戦場に来る前までに決まっていて、戦場に来てから急に変わったりなどしない。


 かつての保護者である緋い髪の女ルビア=レッドルーツ――彼女にそう教わり、そして弥堂自身も戦場で過ごす日々の中でそれが正しいと考えるようになった。



 結局のところ、運がよければ生き残るし、悪ければ死ぬ。


 それだけのことだと諦めて自身の心臓を死に晒し続けてきた。


 彼女は――水無瀬 愛苗は運がいいから今日生き残ることが出来たのだろうか。



 人の限界はその“魂の設計図アニマグラム”により定められている。


 その限界を超えて強くなることは出来ない。


 “魂の設計図アニマグラム”に描かれていないチカラが急に手に入るようなことは――偶然覚醒をするようなことはありえない。


 ならば、今しがた見せた彼女のチカラは元々彼女の“魂の設計図アニマグラム”に描かれた範疇のことなのだろうか。



 弥堂の眼窩には【根源を覗く魔眼ルートヴィジョン】とう魔眼が嵌っている。


 通常のそれよりも少しだけ特別製のその眼には、霊子の観測が可能で、“魂の設計図アニマグラム”すら視ることが出来る。



 だが、それでわかることはその魂のカタチを視るだけで、その中身まではわからない。


 何となくの体感でその魂の規模や輝きから、その存在の強度や存在としての格を、弥堂の主観で何となく判断しているだけに過ぎない。


つまり数値化して比較が出来るわけではない以上、弥堂の眼から視て厳密に愛苗とクルードのどちらの魂が格上なのかを測ることは出来ないのだ。



 大悪魔であるクルードの方が上だと固定観念からそう思い込んでいただけで、実際には最初から水無瀬 愛苗の方が存在として格上だったのだろうか。


 そんなことはありえないが、だが結果だけ見ればそういうことになる。



 それとも、そうではなかったのに、戦っている内に彼女の“魂の設計図アニマグラム”が飛躍的な進化を遂げ、クルードのそれを上回ったのか。


 過程だけを見ればそうとしか見えなかったが、しかしそれはこの世の真理が覆されるレベルのありえないことだ。


 弥堂には到底受け入れられない、ありえてはいけないことだ。



 弥堂の身にも桜色の粒子が降り注ぐ。


 あまりに強大で絶大な威力を誇示した彼女の魔法――役目を終えたそれがバラバラに解かれた後の残滓。


 弥堂が今まで培ってきた常識や知識、概念に価値観。


 この小さな光の欠片たちのようにそれらも彼女によってバラバラに打ち砕かれてしまった。



 その彼女が何かを呟く。



「――みんなが知らなくても私は知ってる……。今までのこと、今日みんなががんばったこと……。これからのみんなの笑顔も私は知ることが出来る……。だから、これからもがんばれる……」



 小さな声での呟き。


 少し距離のある場所、その上空。


 本来は此処まで聴こえるはずのない声。



 それが届くのはきっと圧倒的な存在である彼女の影響力故か、それともここいらの空間が彼女の支配下にある為か。



「マナぁーーー!」



 彼女の名を叫んでメロが飛び出していく。


 小さな悪魔らしい羽を背中に生やし、それを動かして愛苗の元へ向かって飛んでいく。


 弥堂も意識せず、彼女の居る方へ歩き出した。



 歩き出して少しして気が付く。



 最後の彼女の大魔法で結界が吹き飛んだため、今いる場所は現実世界というか、元々の弥堂たち人間が住まう世界だ。


 こちらへ戻ったために、戦いのあった結界――異界の中での破壊跡は綺麗に無くなったと思っていた。



 だが、戦闘の場であった彼女の方へ近づくうちに、こちら側の世界にも僅かばかりの破壊が及んでいたことに気が付く。


 結界が壊れた後に最後の爆発の余波がこちらにもきてしまったのだろうか。



「メロちゃんっ」


「マナぁっ」



 どうでもいいことを考えながら歩いている内に、メロは愛苗の元へ辿り着いたようだ。


 メロを抱きとめて、そのまま二人抱き合いながらゆっくりと降下を開始した。



(そういえば――)



 アスの姿が無い。


 今更気が付く。



 ドサクサに紛れて逃げたのか、それともあの超越的な破滅の光に巻き込まれて死んだのか。



(だが――)



 アスが居た位置は弥堂やメロが居た場所と程近かった。


 彼が巻き込まれていたのなら弥堂たちも同様に巻き込まれて蒸発しているはずだ。



(しかし――)



 愛苗の魔法には殺す相手とそうでない相手を選ぶ性能がある。


 最後の魔法に彼女がそれを使ったのかどうかはわからないが、使っていなければ弥堂が生きていられるはずもない。


 あんな地形ごと焼き払うかのような凶悪的で壊滅的な破壊という概念そのものの顕現に、ただの人間風情が生き残れるわけがない。


 きっと“神意執行者ディードパニッシャー”様の御目溢しあってのことであろう。



(だとすると――)



 パチパチパチ――と。



 どこからともなく拍手をする音が響いてくる。



 笑顔を浮かべながら涙を溢していた愛苗とメロの表情が酷く困惑したものに変わり、降下してきた彼女らの足が地面に着いたのとほぼ同時――



「――ブラボー」



 そんな称賛の言葉とともにアスが忽然と現れる。


 その手には“世界樹の杖セフィロツハイプ”。



(やはり無事だったか)



 一番の強敵であるクルードは斃した。


 だがまだこの悪魔が居る。



 戦いはまだ終わってはいなかった。



 弥堂も愛苗の隣に立ち、アスの方へ鋭い目を向ける。



「ブラボー」



 アスは惜しみなく再度称賛を繰り返した。



 その表情には強力な仲間を斃された焦りなどは欠片もなく、いつも通りの不敵な冷笑があった。



「いや、全く、ブラボー。私としたことが語彙が吹き飛んでしまうほどに驚いています。素晴らしい。他に表しようがない……」



 再び手を叩く。



 当然その称賛には弥堂やメロは勿論愛苗でさえ、素直に受け取り喜びなどしない。


 彼の怪しげな態度に三人ともに不審げな目を向けた。



「まさか。まさかまさかまさか、ここまでとは。まさかあの“憧憬に吼える獣”を斃し切るとは思いませんでした。彼、あれでも自分で言っていた通り、本当に最も魔王に近い存在だったんですよ? それを正面から力尽くで制圧するとは――」


「――ヤ、ロウ……ッ」


「――ん?」



 早口で捲し立てるようにアスが喋り出すと、どこかから掠れた声が聴こえた。


 アスは一度それに首を傾げてみせたが、声の出所と正体はわかっているようで、彼の立つ位置のすぐ近くに空いた地面の穴へ視線を向ける。



「まったく。せっかく気分よく喋っていたのに邪魔をしないでくださいよ」



 言葉とは裏腹にその顔にはニヤニヤとした厭らしい笑みが浮かんでいた。


 アスはパチンと指を鳴らす。



 するとその穴から浮かび上がってくるモノがあった。



「あっ――」

「アイツは――」



 愛苗とメロが驚きの声を上げる横で弥堂は眼を細める。



 アスの魔法で創られた銀色の壁。


 それが地面に平行に敷かれて穴の中から上がってきた。


 まるで担架のようにしてそれが運んできたのは――



「――ま、だ……ッ! 負けて、ねェ……! オレサマは……ッ!」



――クルードだった。



 その躰はボロボロに傷つき、殆どの部分が消滅していて、今や頭部と胸までしか残っておらず手足も無い。


 まさか生き残っているとは思っていなかったが、しかしその存在は見た目通りに削られており、その魂はもはや消滅寸前にまで弱り切っていた。


 弥堂はそれを魔眼で確認した。



「ククク……」



 アスは驚く弥堂たちを見て薄ら笑いを浮かべている。


 クルードの生存を知っていたからこその余裕の態度だったのだろうか。



 アスのその態度にギリッと歯を鳴らしたのはクルードだった。


 非情に強い苛立ちを露わにする。



「モヤシ、ヤロウ……!」


「はい、なんでしょうか? クルード様」


「……タスケロッ!」


「はい?」



 慇懃な態度のままアスはわざとらしく首を傾げる。


 それにクルードは増々怒りを吐き出す。


 色を失いかけた目に怒りの火が点いたり消えたり明滅した。



「――聖剣エアリスフィール



 弥堂は反射的に聖剣を立ち上げる。


 クルードがあの状態から復活出来るのかはわからないが、だとしても生かしておいて得することなど一つもない。



 速やかにトドメを刺すべきだと頭よりも先に身体が反応する。


 今なら聖剣の刃がヤツの“魂の設計図アニマグラム”にまで届くはずだ。



 しかし――



「――っ!」



 走り出すよりも早く、銀色の弾丸が弥堂の足元を撃ち抜いた。


 出足を殺され弥堂はアスを睨む。


 チラリとだけこちらを向いたアスの目には油断など欠片もなかった。



「オイ! モヤシヤロウッ!」


「あぁ、はい。すみません。少し立て込んでまして。それで? なんでしたっけ? もう一度仰っていただけますか?」


「……ケロ……ッ!」


「はい?」



 わざとらしく聴こえないフリをして聞き返すその仕草にクルードは激昂する。



(なんだ……?)



 その態度を弥堂は不審に感じた。



「オレサマをタスケロッ!」


「ククク……」



 遂に言わせたその決定的な嘆願にアスは嬉しそうに哂う。



「なにしてる……⁉ 早くしやがれッ!」


「はいはい。えぇっと、ちょっと待ってくださいね……」



 アスは彼に似つかわしくないモタモタとした動作でスーツから単眼鏡を取り出し、クルードを煽るようにゆっくりと顔につける。



「さて、どの辺りですかね……」


「テメェ……ッ! なんだそりゃ! オレサマをナメてんのかァ……ッ⁉」


「まさかまさか。格上の大悪魔を侮るだなんて、そんなことあるわけがないでしょう? ねぇ? アンビー・クルード――様?」



 笑みを浮かべ細めた目の奥には冷たい光があった。



「こ、このモヤシヤロウ……ッ!」


「あぁ、ありました。ここですね――っと!」



 声を荒げるごとにその存在のリソースを削っている。弥堂にはそのように視えた。


 だが、そうせずにはいられないクルードの怒鳴り声を無視して、アスは地面に“世界樹の杖セフィロツハイプ”を突き立てた。



「ア゙ア゙ア゙ア゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ア゙ア゙ア゙ァ゙ァ゙ァ゙ア゙ア゙ア゙ァ゙ァ゙ァ゙ア゙……ッ゙!」



 杖が不快な叫びをあげる。


 それは深い嘆きのようでもあり、快楽に耽るような声でもあった



 杖の再起動とともにまた龍脈の流れが乱れる。


 血管のように赤く奔る光が周囲を妖しく輝かせ、そして大気を舞っていたピンク色の魔素が杖の元へと集まってきた。



「ヨコセ……ッ! それをオレサマにヨコセ……! ハヤククワセロ……ッ!」


「ククク……」



 血走った目で涎を撒き散らしながら我を失ったかのようにクルードが吠える。もう余裕などこれっぽっちもないのだろう。彼は滅びる寸前だ。


 その顔をアスは満足げに眺めている。



「――水無瀬っ!」


「えっ?」



 アスがなにを勿体ぶっているのかはわからないが、黙って見ている理由もない。



「今のうちに仕留めろ! やらせるな!」


「あ……、うんっ。そうだよね――」



 弥堂の指示に反応して愛苗はステッキを構えてクルードへと向ける。



 向けようとした――



「――あ、あれ……?」



 魔力を使おうとした瞬間、彼女はフラっと体勢を崩して倒れる。



「――マナッ⁉」



 地面に身を打ち付ける前に愛苗の身体をメロが支えた。



(さすがに消耗しすぎたか……っ)



 心中で舌を打ちながら弥堂は自身の心臓に火を入れる。


 そして『世界』から自分を引き剥がした――



「――【falsoファルソ héroeエロエ】」



 ほんの僅かな無敵時間。



 身体強化の魔術を使って全力で駆ける。


 そうしてクルードへ迫る。



「――テメェッ⁉」



 次に姿を現した場所は、空中で仰向けに寝かせられるクルードの真上――



――聖剣の切っ先を向けて真っ直ぐに落ちる。



「甘い――」



 パチンとアスの指が鳴るとクルードの躰から銀色の光の剣が生える。


 不自然なほどに長い剣。


 このままクルードを狙って落ちていけば串刺しになる。



「ほら、避けなさい」



 嘲るようなアスの声を聴き流して、弥堂はそのまま剣に刺さりにいった。



「――なにっ⁉」

「コイツ――⁉」



 続いた悪魔たちの驚きの声も同様に聞き流し、腹の内壁で魔法剣の刃を滑りながらクルードへ向かう。


 ここで重傷を負ったとしても、大悪魔を道連れに出来るのなら安いものだと。



 ボタボタと垂れる自身の血で汚れた獣へ聖剣が届く寸前――



「――なぁんて」



 アスがほくそ笑む。


 同時にクルードのすぐ真上、弥堂を囲うように横向きで複数の剣が伸びてくる。



 しかし、同時に弥堂の口の端も持ち上がった。



「――【falsoファルソ héroeエロエ】」



 再び自身を『世界』から引き剥がした。



 一度使えば30秒~1分のインターバルが必要。


 そう読んだアスの判断は間違ってはいない。



 だが、絶対に連続で使用出来ないわけではない。



 そうした場合に消えていられるのはほんの1秒もあるかどうか。


 下手をしたらもう戻れなくなってそのまま勝手に死ぬ可能性もあるが、出来ないわけではない。



 この一瞬の為のブラフとも言えない“かご”。



 弥堂が真に狙っていたのは“世界樹の杖セフィロツハイプ”だ。



 この杖さえ破壊すればクルードの復活も、美景の異変も両方を潰せる。



 空中での串刺し状態から滑り落ちるようにして地面へ落ちる頃にはもう『世界』へ回帰している。


 構わずに転がりながら“世界樹の杖セフィロツハイプ”へと飛び掛かった。



「ぐっ――⁉」



 だが、杖にナイフを突き立てる寸前で、魔法で創られた鎖に雁字搦めに拘束されてしまった。



「フフフ、アナタたちが確実に最優先で潰さなければならないのはこの杖。クルード様ではない。アナタならその判断を間違わないと思っていましたよ」


「――ちぃ……っ!」


「ですが、忘れましたか? こっちには罠を張っていると。一度引き抜いて移動させたら、私が罠を張り直すのを失念するとでも? いい思考でしたがまだまだですね……」



 出し抜けたかと思ったが弥堂の奇襲は失敗に終わった。


 アスは薄い笑みを浮かべたまま指を鳴らす。



「オウゲエェェェェェェェ……ッ!」



 すると杖の持ち手側の顔面が嘔吐でもするような声を漏らす。


 その口からは煙のように魔素が吐き出され、そしてそれは弥堂の口の中へと侵入した。



「ぐぅ――っ⁉」



 異変はすぐに現れる。



 ゴポリと、弥堂の喉の奥から血液が漏れ出てくる。


 口からそれをボトボトと吐き出すと強烈な眩暈と虚脱に見舞われた。



「残念でした――ねッ!」



 アスの回し蹴りが弥堂を愛苗の元まで弾き飛ばす。



「弥堂くんっ⁉」

「少年ッ!」


「フッ、その劣った肉体ではその密度の魔素は消化出来ないでしょう? 分不相応な魔素を無理矢理注入されると生物は最悪死に至ることもあります」



 アスの講釈も愛苗の心配の声も無視して弥堂は刻印魔術を発動させる。



 無理矢理自分の身体を立ち上がらせる“反射魔術アンダースペル”と、“自然治癒強化オートヒーリング”の刻印、それからついでに身体強化などの使える刻印を起動する。


 身体の内でオーバーフロウを起こしている魔力を少しでも多く消費するために。



 アスはもう弥堂への興味を失ったように杖を弄っている。


 すると龍脈の輝きが増し、また水路の中から“屍人グール”が這い出てきた。



「三千ほどやられましたが、災害の死者は1万数千と聞き及びます。まだ一万ほどは生み出せる」


「オイ、モヤシヤロウ……!」



 ほくそ笑むアスへクルードは抗議の声を出した。



「ゴミどもに喰わしてんじゃあねェよ! オレ、オレサマにクワセロッ! ハヤクシロ……ッ!」


「…………」



 アスは肩を竦めてから、無造作に伸ばした手でクルードの顔面を鷲摑みにし、地面に突き立った“世界樹の杖セフィロツハイプ”の真上で宙吊りにした。



「テ、テメェ……、なにを……ッ⁉」


「ククク……」



 指の隙間からクルードが睨みつけてくるがアスは答えない。ただ嘲笑うだけ。



 最早頭部と胸部しか残っていないクルードの躰からは、崩れた砂のような黒い体液が漏れ出ている。


 “世界樹の杖セフィロツハイプ”の顔面は「あ~ん」と口を大きく開けるとデロンとベロを伸ばし、クルードの体液をピチャピチャと啜った。



「モヤシヤロウッ! なんでオレサマをコイツに喰わしてるッ⁉ クウのはオレサマだ! クワセロ! オレサマに……ッ!」


「クククク……、フフハハハハハ……、アハハハハハハハハハ……ッ!」



 左手でクルードを吊り上げ右手で目元を覆い、アスは天を仰ぐ。


 狂ったような嗤い声をあげながら。




「少年! だ、だいじょうぶッスか?」


「――結界だ」



 駆け寄ってきたメロを無視して弥堂は愛苗へ指示を出す。



「あ、う、うんっ」



 愛苗は胸の宝石へ願う。



「お願い、“Blue Wish”っ!」



 だが――



「え……?」



 何も起こらなかった。



「“Blue Wish”? なんで……? おねがい……っ!」



 いつもならそう願うだけで結界を張ってくれていたアイテムが反応しない。



「あくぅ……っ⁉ うっ、い、いたい……っ」


「マナッ⁉」



 おまけに愛苗は胸に強い痛みを感じて蹲ってしまった。



「フフフ……」



 アスはその様子を満足げに見ている。



「モヤシヤロウ! テメェ……ッ!」


「さっきからなんですか?」



 しかし、クルードから再度怒鳴り声をあげられ隠そうともしない不快を露わにした。



「ハヤクしろって言ってんだろォがアァァッ! さっさとオレサマをタスケロォッ!」


「まったく……、低能は鈍いですね」


「テ、テメェ……ッ! どういうツモリだ⁉」


「このようなまたと無い機会、逃すはずがないでしょう?」



 アスは冷たくクルードを突き放す。



「裏切るつもりかァ⁉」


「裏切る? なんのことでしょう?」


「取引を……! ヤクソクがチガウぞッ! オレサマを魔王にすると……!」


「約束? そんな約束をした覚えはありませんね」


「なッ――」



 アスの言い様にクルードは絶句した。



「私は『魔王に為るための協力をする』とは言いましたが、『アナタを』そうするとは一言も言っていませんよ?」


「テ、テメェ……ッ! 騙したのか⁉」



 自分が契約をした相手が詐欺師だった。


 それに近い衝撃を受け、そのあまりクルードの目に正気の色が僅かに戻る。



「おかしいと思いませんでしたか? いくらアナタが希望したからといって、戦うことしか能のないバカが、この手の複雑なプロジェクトに参加を認められるだなんて」


「ダ、ダレがッ! テメェ……ッ!」


「誰の目から見ても適任ではない。アナタは新たな魔王への供物ですよ」



 生か死か。


 それが賭かったこの土壇場で知らされた真実。


 それはクルードを激しく動揺させた。



「そして、その役目はもう十分に果たして頂きました」


「は、初めから……、テメェはオレサマを……」


「我が父に普段から不敬な発言をする愚か者。この私が生かしておくはずがないでしょう?」


「ク、クソ……ッ! ふざける――」



 その怒鳴り声は最後まで声を張り続けることは出来なかった。



「――な……?」



 クルードは呆然と自身の胸に突き刺さったアスの右腕を見下ろす。


 躰を貫いた背中側、アスの手には何かが握られていた。


 弥堂たちの立つ位置からはそれがよく見えた。



 赤く熟れた果実のような、心臓のようなナニカ。


 見たこともないモノであるが、それがクルードにとって決定的なモノであることは直感出来た。



 アスはそれを握ったまま腕を引き抜き、クルードを地に放り捨てる。



「アァァァ~、アアァァァアァ……」



 “世界樹の杖セフィロツハイプ”の顔が物欲しげにその果実へベロを伸ばす。


 アスはその顔面に拳を叩き落として黙らせた。



「カ、エセ……、オレサマヲ……ッ」



 地に捨てられたクルードが掠れた声を出す。


 その目からは急速に光が失われつつあった。



「まんまとこちらへ“魔核コア”まで出してきて受肉させてくれるとは……、ククク……」



 アスはそれを嘲笑い、クルードへ見せつけるようにしながら“ソレ”に齧り付いた。芳醇な果実のようにプシャっと液体が散る。



 愛苗が息を呑んだ気配を感じながら、弥堂もただその光景を見る。



 ガブリ、ブチュリ、クチャリ、ピチャリと水音を響かせながらアスは“ソレ”を全て咀嚼して嚥下した。



 ブルリとアスの躰が震え、それとほぼ同時にクルードの遺った躰が崩れ消える。



「――ハハハハ……、フハハハハハッ! アハハハハハハハ……ッ!」



 アスは両腕を拡げて天へ哄笑を轟かせる。



 ネクタイを毟り取るとその躰が肥大化し、細身の優男が筋骨隆々な巨体へと変貌していく。


 筋肉の膨れた上半身がスーツを突き破り、膝から下のズボンも破れ、革靴から爪先が突き抜けてくる。


 神経質に整えられていた銀髪が逆立ち、どこかクルードの持っていた特徴がその身に強く表れていた。



「アハハハハ! 低能が! マヌケが! 踏み台にしてやった! この私の糧と為り果てた……ッ!」


「…………」



 酷く興奮した様子で怒声のような歓声を撒き散らすアスのその魂は――



 万全だった時のクルード、それ以上の強度と輝きを放っているように、弥堂の【根源を覗く魔眼ルートヴィジョン】に映る。



 アスの声でビリビリと震える空気から、これまで以上の圧迫感、緊張感、そして危機感が弥堂たちに伝わってきた。

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