1章70 『不誠実な真実』 ⑤


 びょういんから でられなくなっちゃった



 しょうがっこうのおともだちが おみまいにきてくれた


 がっこうであったこと おはなししてくれた



 みんなは ちゅうがくねんになって こうがくねんになって


 わたしだけ ていがくねんのまんま



 みんなおっきくなるのに


 わたしはずっと ちっちゃいまんま



 すこしずつ あいにきてくれるおともだちが


 いなくなっちゃって


 あるひ みんな おんなじおようふくをきてた



 みんなは ちゅうがくせいになってた


 わたしだけ しょうがくせいのまんま



 せいふくで さんかい あいにきてくれて


 それから だれも こなくなっちゃった



 おともだちが いなくなっちゃった


 やだなっておもった



 おとうさんとおかあさんも


 まいにちは これなくなっちゃって


 さみしいけど でも わたしのせいで


 たいへんになっちゃったみたいで



 がんばろうとおもって


 がんばったけど


 わたしががんばるから いけないのかなって


 わかんなくって ないちゃった



 ひとりで きえちゃったら いいのかな


 さみしくって こわくって ないちゃった



 そうしたら めろちゃんがきてくれた


 おともだちになってくれた



 おそとのこと いっぱいおしえてくれて


 いっしょにテレビをみて いろいろおしえてくれて


 たくさん おしゃべりしてくれた



 ねるときもいっしょにいてくれた



 びょういんだから ほんとはねこさんはだめなんだけど


 めろちゃんは ねこさんようせいさんだから だいじょうぶなんだって



 おふとんで よこになって いっしょにねむる


 まくらのよこで まるくなる めろちゃんをなでなで


 いっしょだから おともだちだから


 あしたも こわくない



 まくらにほっぺをつけて となりをみる


 これからは うえを てんじょうを


 みなくていい



 よこをむいて わたしはめをつむった









「――は……? あ、え……?」



 突然視界が横向きになり、地面に頬をつけた少女は混乱した。


 思わず戸惑いの声を漏らすと、地面につけているのとは逆の頬にゴリッとした感触が当てられる。


 硬いブーツの靴底で踏みつけられているようで、くすんだ銀色の自分の髪が目に入った。



「な、なにが……?」



 自身に起きたことを把握しようとする。



 身体を縛るロープから解放され、ニンゲンの男の方へ走った。


 目の前まで辿り着いて男に飛びつこうとして――



――そうするフリをして、魔力をこめて強化した爪で突き刺してやろうとした。


 その時に、



「――【falsoファルソ héroeエロエ】」



 そんな声を聴いた。



 低い声音。


 それを耳にした瞬間、何故か一瞬意識を失ったように錯覚して、そして次にハッと我にかえったら、何故か襲いかかったはずの自分が地面に倒れていたのだ。



「グッ……!」



 呻き声を出しながら顔をどうにか動かし、少女はブーツの靴底の向こうにいる男を横目で睨む。



 すると、冷酷な眼差しが自分を見下ろしていた。



 蒼銀の光を内包する瞳で銀髪の少女を映すのは弥堂だ。



 目が合うと、少女の背筋はゾクリと恐怖に震えた。



「な、なんで……ッ⁉」



 足蹴にした少女の問いに弥堂は表情を動かさず、ただ無機質に口を動かした。



「死ね――」



 再び右手の中でナイフとして顕在化させた聖剣の光の刃を足元の少女へ突き刺そうとする。



 だが少女の身に切っ先が届く前に、突如現れた銀色の光の壁に聖剣は阻まれた。


 アスの魔法だ。



「チッ、【切断ディバイドリッパー】」



 遅れて聖剣エアリスフィールの“加護ライセンス”を発動させ、防護魔法を切断するが、その隙に少女は身を捩って拘束を逃れた。



 弥堂とアスとの中間あたりの位置で少女は立ち上がる。


 その顔には変わらず焦燥を浮かべていた。



「――なんで……っ⁉」



 再度、同じ問いを重ねられる。



 弥堂も変わらず、無機質な眼で少女を視た。



「なんで――とは?」


「えっ……?」


「それは一体何に対しての疑問だ?」



 どこか嘲るかのような問いの返しに少女の目に反抗心が宿る。



「なんでわかった……ッ⁉」



 それにも弥堂は醒めた眼でどうでもよさそうに答える。



「それは何故お前が敵だとわかったかという意味か? それとも、何故お前が悪魔だとわかったかという意味か?」


「んな――っ⁉」


「へぇ……」



 弥堂のその返答に少女は絶句し、アスは関心げな声を漏らした。



「もともと気付いていたのですか? 我々の正体に」


「正体? そんな大層なものではないだろ。お前らは別に隠してもいない」



 弥堂はアスに眼を向けずに答える。



「それはそうですが。しかし普通のニンゲンはまず初見で気付いたりはしないのですがね。ここでの普通とは完全な一般人だけでなく、ちょっとした“退魔師エクソシスト”なども含みます」


「視ればわかるんだ。俺には」


「視れば……?」



 弥堂はそこでアスへ顔を向け、【根源を覗く魔眼ルートヴィジョン】を使って彼の“魂の設計図アニマグラム”を視る。


 蒼銀に光の膜が張られたその瞳の色に、アスは目を細めた。



「魂のカタチが違う。お前ら悪魔とニンゲンでは。それぞれ人間はこう、悪魔はこうと、カタチに大体の癖というか共通点がある。だから視ればそれが悪魔か別の動物かなど、すぐにわかる」


「その眼……、ただ魔素を観測するだけの魔眼ではありませんね……」



 深夜の寂れた古い住宅街の細い道を一人で歩く女児。


 そしてわざわざ自分のような不審者に話しかけてくる。



 その不自然さから弥堂はこの少女に初めて会ったその場で【根源を覗く魔眼ルートヴィジョン】を使ってその“魂の設計図アニマグラム”を覗いていた。



 そういった不審な点がなくとも、弥堂には初めて見たモノ、初めて会ったモノをまず【根源を覗く魔眼ルートヴィジョン】で視る癖がある。


 日常の中で四六時中疑心暗鬼に囚われている人間不信が極まった者の悪癖だが、こういった場面では役に立つこともあった。


 入れ替わり立ち替わりに近付けられる女に漏れなく毒を盛られ続けた結果、身に着いてしまった癖である。




「くっ――!」



 弥堂とアスが睨み合っていると、銀髪の少女は悔しげに呻いて走る。


 そしてアスの近くまで退避した。



「役に立ちませんね。迂闊に姿を見せるからこうなるんです。それがなければ騙せたかもしれないものを」


「ご、ごめんなさい……」



 愚痴めいたアスのぼやきに少女は恐縮しながら謝罪する。


 ちなみに、前もって弥堂と面識がなかったとしても、たとえ子供であろうが彼という男は余裕で見殺しにする可能性が高いので、その場合に上手くいっていたかどうかは定かではない。



「無能は余計なことしかしないからな。使う方がどうかしている」


「うるさい……ッ!」


「確かに。これは反論の言葉を探すのが苦しいですね」



 弥堂の言葉に少女は激昂するが、アスは嘆息しながら認め肩を竦めた。


 これまでの会話の中では少女はわりと友好的な態度で弥堂に接して来ていたが、どうやらそれは全て演技だったようで、今は明確な敵意を向けてきている。


 少女の赤い目が攻撃的な輝きを持った。



「バカにしてたの……⁉ 気付いてたくせに……、知らんぷりして……ッ!」


「別に。気付いてないフリをした覚えもない。ただお前が勝手に勘違いをしただけのことだろう? 愚図め」


「だまれ……ッ!」


「お前のせいであいつが死んだぞ」


「えっ……?」



 売り言葉に買い言葉で怒鳴り声を上げていた少女だったが、唐突な弥堂の言葉に勢いが止まり目を見開く。



「お前だろ? 俺があの空き地によく出入りしていると、あいつにタレコミをしてくれたのは」


「や、やっぱり……」


「罠を張っているところにわざわざ誘き寄せてくれて助かったぞ。おかげで殺すのがとても簡単だった。ありがとう」


「オマエが! ボラフを――ッ!」



 少女の目の中で怒りが弾け、弥堂に向かってくる。



 瞳が赤く輝くと少女の両手の爪が伸びる。


 刃物のように鋭いその爪で弥堂を襲った。



「オマエのせいで……ッ!」



 怨嗟のこもった言葉を吐きながら少女は左右の爪を繰り出す。


 弥堂はそれを軸足を入れ替えながら体重を移動し、危なげなく躱していく。



「オマエが……ッ! オマエがいなければ……ッ!」



 相当に強い恨みを抱いているようで、少女は何度躱されても執拗に弥堂を狙い続ける。


 その爪で生命を引き裂いてやろうと――



「…………」



 弥堂は反撃することもなく、特に何かを言い返すわけでもなく、無感情に自分へ向かってくる攻撃を捌いていたが、やがてポツリと――



「ところで――」



――一言呟くように問いかけた。



「――どっちが本来の姿なんだ?」


「なにを……! またイミのわからないことを!」



 それをいつもの相手を煽る手口と受け取ったのか、少女はまた激昂しそうになり――



「――今の子供の姿と、いつものネコの姿。どっちが本来の姿なんだ?」


「え――?」



――だが、続いた弥堂の問いに猛攻をしかけていた少女の動きがピタっと止まった。



 弥堂の目の前で呆けたように口を開けて少女は立ち尽くす。



「間抜けめ」


「ぁぐ……っ⁉」



 隙だらけの敵に弥堂は蹴りを入れる。


 悪魔とはいえ体重は見た目通りの軽さなのか、少女は勢いよく地面を転がった。



「あ……」



 その様相を視て、思わず声を漏らしたのは弥堂だ。



 特段攻撃をする意図はなかったのだが、あまりに大きな隙を見せたのでつい蹴りが出てしまったのだ。


 だが、最終的にはどうせ殺すのだし、別に構わないかと切り替えをする。



「ぅ……ぐっ……、あぐ……っ」



 痛みを堪えながら立ち上がろうとする少女へ近づき、その頭へ靴底を落とす。


 少女は今度は自分から地面を転がってその踏みつけを避けると、少し距離を空けて立ち上がった。



 弥堂はそちらへ下らないモノを視るような眼を向ける。



「ふん、なにがネコ妖精だ。笑わせるな。悪魔の分際で」


「うっ……、ぅぅ……っ」



 受けたダメージよりも、暴かれた真実、そしてそれを詰る言葉に少女は苦しげな呻きを漏らした。



 そんな銀髪の悪魔の少女、そしてネコ妖精を名乗っていた魔法少女のお助けマスコット――メロへ弥堂は魔眼を向ける。


 姿が変わり、肩書が変われども、弥堂の【根源を覗く魔眼ルートヴィジョン】に映るメロのその魂のカタチは一度も変わってはいない。



「ク、クソ……ッ!」



 少女は弥堂からの適示を否定することもなく、ただ毒づいた。



「いつから気付いて……ッ!」



 少女の姿でメロは言った。



「最初からだ」



 弥堂は変わらぬ瞳で返す。



「言っただろう。視ればわかると。俺にはお前の魂のカタチが視える。そしてそのカタチを正確に記憶に記録している」


「そ、それじゃあ……」


「4月17日の放課後。駅前の路地裏で初めてお前を視た時。一目で悪魔だと気付いた」


「そ、それなら……」


「最初は使い魔である可能性を考慮した。“劣等レッサーデーモン”に毛が生えた程度の低級悪魔。それを使役する魔術師はいるからな。だから様子を見ることにした」


「ジ、ジブンは……ッ」


「どうやら違ったようだな。それにその次の日には、“闇の秘密結社”の“悪の幹部”を名乗る別の悪魔が敵として現れた。何の茶番かと思った。だが、同時にお前ら悪魔がやりそうな茶番だとも思った。その時にはもうお前を疑い、敵として認定した」


「うっ、うぅ……ッ」



 顔色を悪くするメロに冷徹な眼を向ける。



「見た目の姿をいくら変えようと、魂のカタチは変わらない。それが視える俺の前では姿の偽装など無意味だ。決して見間違えることはない。ニンゲンの姿だろうと、ネコの姿だろうと。あぁ、そういえば、白い毛皮をしていた時もあったな」


「くっ、ぐぐぐ……ッ」


「ククク……」



 メロが悔しそうに歯軋りをすることしか出来ないでいると、アスが愉快げに笑みを漏らした。



「全て見破っていたとは存外賢いですね」


「別に」


「それよりも、魂が視えるとはどういうことです? アナタは“魂の設計図アニマグラム”がどうとかとも言ってしましたね。何故ニンゲンがその言葉を知っている? その魔眼は一体なんです? 大したニンゲンではないと思っていましたが、もしかしたら私が見誤っていたかもしれません」


「別に――」



 目を細めて探るように詰問するアスに、弥堂は同じように端的に答えた。


 心底くだらないと、当たり前の事実を口にするだけ。


 そういった態度で言葉を続ける。



「別に俺が賢いわけでも有能なわけでもない。ただお前らが無能なだけだ」


「なんですって……?」


「勘違いをしているようだが、状況は最初から俺よりもお前らよりも遥かに有能な超越した者の手の中にある」


「どういう意味です……?」



 意味ありげで蔑むような弥堂の言葉に、アスの顏が不快感を表す。



「策を弄したつもりかもしれんが無駄だ。お前は悪魔にしては小細工が出来るのかもしれんが、俺の上司には到底及ばない」


「上司ですって?」


「俺は今回のお前らのヤマに関わる前から事前に資料を渡されていた。俺にすらそうと知らせずに……」


「資料……? 教会の書庫……? まさか“エノク書”を――」



 驚きに目を開くアスの問いに、弥堂は下らないと鼻で嘲笑した。



「俺が渡されたのは、『魔法少女プリティ☆メロディ BD全シリーズセット』だ」


「…………は?」



 その言葉の意味が理解できず、アスは口を開けたままフリーズした。



 その場に何秒間か微妙な無言の間が出来ると、メロが気まずげに目をキョロキョロさせる。


 やがてアスが再起動した。



「……なんですって? 何の書ですって?」


「ブルーレイディスクだ」


「……なにの?」


「『魔法少女プリティ☆メロディ』だ」


「……それが?」


「全シリーズセットだ」


「……それは?」


「国民的人気を誇る女児向けのアニメ作品だ」


「…………」



 詳細に問い直してみたが、アスは結局理解に苦しんだ。


 彼のそんな様子には一切慮ることなく、弥堂は続ける。



「シリーズの視聴を進めていく内に、俺は違和感を持った」


「今それを持って欲しいんですが……」


「俺が不審に思ったのは魔法少女のお助けマスコットを名乗る『ぽよ汰』というキャラクターだ。識者たちの間では『無能の中の無能』と呼ばれている……」


「あの、その話聞かなければなりませんか?」



 アスは遠回しに話題の継続を拒否するが、コミュ障男にそんな迂遠な言い回しは通じない。


 自らの上司の有能さを喧伝すべく舌を動かす。



「ヤツは全シリーズに出演し、第一話で必ず罪もない少女を戦場に引き摺り込む死神のようなヤツだ。だが一方で、どれだけキャリアを重ねようとも変身アイテムを勝手に持ち出して紛失したり、迂闊に人質にとられたりなど、初歩的なミスを何度も繰り返し、その度にパートナーである魔法少女を窮地に追いやる……、そんな間の抜けたヤツでもあった」


「あぁ、それは確かに度し難い無能ですね……」


「しかし、俺はそれはおかしいと考えた」


「はぁ……」


「ヤツのキャリアは20年ほどだ。ベテランだ。本当にそこまでの無能なクズだったとしたら、20年もの間いくつもの戦場を渡り歩いて生き延びることなど出来るはずがないと――」



 迫真の様相で喋る弥堂にアスは胡乱な目を向け、メロは気まずげに顔を俯けた。



「俺は考えた。この作品を通して、俺の上司が俺に一体なにを伝えたいのかを……、そしてシリーズを4周ほど視聴した際に……」


「本当、真面目な無能って厄介ですね……」



 アスが疲れを滲ませているが弥堂は意に介さず、眼光に鋭い光を灯す。



「……俺はようやく気が付いた。こんな無能が居るはずがないと――」



 ギロリと魔眼をメロに向ける。



「――だからもしも、魔法少女のマスコットなどというモノが存在するのならば、そいつは絶対にスパイに違いないと――俺はお前に出会う前からそう確信していた……!」



 バンっと――弥堂が鋭く魔法少女のマスコットを名乗ったモノを指差すが、悪魔たちはリアクションに困った。



「この男……、本気で狂っているのですか……? ですが、結果だけを見れば正しかった。それは認めざるをえない。ということは、事前に我々の手口・手管・手の内を読み切って、この男に必要情報を与えていた、そんな存在が居るということになる。ニンゲンが……? バカな……」



 アスが疑心暗鬼に陥ってなにやらブツブツと呟いていると、メロはキッと弥堂を睨んだ。



「騙してたのか……ッ⁉」


「騙す?」


「ジブンのこと、気付いてないフリして……、それでずっと一緒に……ッ」


「その『自分』は俺のことか? お前のことか?」


「やめろッ! 仲良かった時みたいな会話を今するな……ッ!」


「わからないな? 勘違いをしているようだが」


「なにが……ッ!」


「俺とお前の仲が良かったことなど一度たりともないし、一秒たりともない」


「――ッ⁉」


「言っただろう。俺は最初からお前を悪魔だと知っていて、最初からずっと敵だと思っていたと」


「~~~っ!」



 言葉なく憤慨するメロへ当然の事実を突きつける。



「それに、騙していたのはお前の方だろうが」


「そ、それは……ッ」


「悪魔だと隠して、妖精だと偽って、そうしてずっと“あいつ”を騙していたんだろう」


「うるさいッ! なにも知らないくせに……ッ!」


「知る必要がないからな」


「オマエだって、マナを騙して……ッ!」


「どれのことだ? たくさんありすぎてわからないな」



 空惚けた態度の弥堂にメロは憎しみさえ籠った目を向ける。



「オマエだって……! マナの弁当を……ッ!」


「弁当……? あぁ、あれか」


「一生懸命作ったのに……ッ! それをよくも……! 許さない……ッ!」


「仕方ないだろ? 不味いモノは口に入れたくないんだ」


「ふざけんなッ!」


「それに――しっかり喰ったんだろ? お前が。無様に地面に這いつくばって」


「殺してやる――ッ!」



 怒り狂ったメロはまた真っ直ぐに突っ込んでくる。



「学習しないな」



 それなりのスピードではあるが、先程のように正面から来て伸ばした爪を馬鹿正直に突き出してくる。


 弥堂の対応は変わらない。


 十分に引きつけてから聖剣を使う。



 だが、弥堂の聖剣も――もちろんメロの爪撃も、空を斬ることになった。



 弥堂は首を回して、少し離れた場所へ眼を遣る。



 そこには目を白黒させたメロの襟首を掴んだアスが居た。



「え……⁉ えっ……⁉」


「コレはまだ使いみちがあるので殺されては困るのですよ」



 交錯の直前に転移魔法で回収したようだ。



「そうだったのか。てっきり始末して欲しいからわざわざ俺の前に出したものだと思っていたよ」


「な、なんだと……ッ⁉」


「煩いですよ」


「ぶぇっ⁉」



 アスはメロを地面に投げ捨てて黙らせてから、弥堂へ告げる。




「それに、本当にそろそろ時間切れのようです」



 アスは言いながら顔を横へ向ける。



 すると遠く離れた向こうで、流れ星が堕ちるかのように宙に軌跡を描いて、猛烈な勢いで何かが地面に衝突するのが見えた。


 だが、堕ちたのは岩石などではなく――



「――マナッ……⁉」



 地面に倒れるのは愛苗で、その傍らにクルードが立っていた。



 愛苗はすぐに動き出す様子がない。


 どうもあちらの勝負は決したようで、彼女は敗北を喫したようだ。



 その様子を見たメロはガバッと身体を起こすと、すぐに愛苗の方へ走り出す。



 弥堂は背を向けた敵を特に追うことはせず、そしてアスも薄い笑みを浮かべながら彼女を見送った。



「アナタはこのまま消えてしまいなさい」


「…………」


「正直、魔術を使えるニンゲンをあまり減らしたくないのですよ。それでは――」



 返事を待たずにそれだけ言い残して、アスは転移魔法を使いこの場から消えた。



 弥堂はクルードの足元に倒れ伏せる愛苗の姿を視て、そしてすぐに歩き出した。


 戦場で行動を止めることなどない。






 クルードは倒れる愛苗の背に足を乗せ、少し体重を乗せる。



「――あう……ぅぐっ……、かはっ……」



 すると彼女は苦しげに呻き咳き込んだ。



 クルードはその様をどこか渇いた目で見下ろした。



「これ以上は強くなんねェのか……? 答えろよオイ」



 足裏で身体を転がして愛苗に上を向かせる。


 意識は失ってはいないようだが、ダメージと疲労で反撃はおろか答えることも出来ないようだ。



「モヤシヤロウめ。確かに思ったよりは遊べたが、それでもこれから魔王が生まれるとは思えねェ。もういい――」



 マナを見下ろす目に、ギラリと野蛮な色が戻る。



「――そろそろ喰うか。やはり次の魔王にはオレサマが相応しい……、テメェを喰って、オレサマはもっと上の次元に昇る……ッ!」



 殺気を撒き散らしながらクルードはその手を愛苗へ伸ばす。



 その時――



「――やめろォォーーーッ!」



 クルードと愛苗との間にメロが立ちはだかった。



「ア?」



 クルードは不愉快そうに眉を歪める。



「テメェ……、ゴミの分際で誰の前に立ってんだァ? アァ?」


「ヒッ――」



 駆けつけたはいいものの、メロはクルードの一睨みで腰を抜かしてしまった。


 ヘナヘナと愛苗の隣に尻をつける。



「テメェなんか喰ってもなんの足しにもなんねェが、オレサマの前に立ったってことは死んでもいいんだな? そうだろ?」


「……は、はなしが――」


「アァン?」


「話が違う……ッ!」



 メロは震えながらクルードへ反論をした。



「なんの話だ?」


「鍛えるだけって……、それで育てるだけって……! マナを殺すなんてそんなの……ッ!」


「アァ? 知ったことかよクソがァ! 誰にモノ言ってんだザコがァ……ッ!」



 格下は格上に原則従う。


 それが悪魔のルールだ。



 大悪魔であるクルードと、低級悪魔であるメロの間には、格をわざわざ比べる必要もないほどの隔絶した差がある。


 そんな低劣な存在に口答えをされ、クルードは怒号をあげた。



「マ、マナ……ッ!」



 メロは咄嗟に愛苗に覆いかぶさり彼女を庇う。



 その時、息も絶え絶えな様子だった愛苗の鼻がクンクンと動いた。



「めろ……ちゃん……?」


「えっ――」



 名を呼ばれ、少女の姿のメロは思わず顔を上げる。


 銀色の髪が愛苗の顔にハラリとかかった。



 愛苗は茫洋とした瞳で、自分を見下ろす少女を見上げた。



「……メロちゃん……なの……?」


「あっ……、ぅぅあ……っ」



 いつもとは天地を入れ替えた位置関係で目と目が合う。



 これから訪れるあらゆるものを恐れてメロは言葉を失った。

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