1章67 『それぞれで歩くグリーンマイル』 ⑤


「――行っちまったな」



 希咲が飛び出して行った窓を閉めて蛭子は部屋の中へ振り返る。



「そうですわね」


「大丈夫かなぁ……」



 満足げな顔をしているマリア=リィーゼとは対照的に、聖人は心配げな様子だ。



「なんだよ。オマエだってそのつもりで動いたんだろ?」


「まぁ、そうなんだけど……、やっぱり心配は心配かなぁって」



 聖人のいつもの曖昧な苦笑いに蛭子は嘆息を返し、それから感心したような表情に変える。



「それはそれとして、オマエよく我慢してここに残るって言ったな。オレはちょっと感動しちまったぞ」

「あぁ、うん……」



 蛭子からの賛辞を受けるが、聖人はどこか浮かない顔だ。



「昨夜までは僕も一緒に美景に戻る気満々だったんだけど……」

「アン?」


「今朝起きたらさ、僕はここに残るべきだって、そう感じたんだ」

「なんだそりゃ? 不吉なこと言いやがって……」



 聖人の言葉に蛭子の眉根が歪む。



『――明日、また龍脈が暴走します』



 昨日の望莱の言葉を思い出したからだ。


 そういえば昨夜は彼女へこの発言の真意を確認しようとして出来ないままだった。いつものタチの悪い冗談だとも思えない。


 蛭子は望莱へ水を向ける。



「オイ、みらい。昨夜のアレは一体――」



 彼女の方へ身体ごと向けるが、そのタイミングで望莱はゴロンっと床に転がった。



「…………オイ」



 蛭子は彼女へジト目を向ける。



「だるいです。もうやる気ないです」



 みらいさんは推し兼お目付け役が居なくなった途端に露骨にだらけた。


 蛭子くんはそんな彼女に呆れ果てる。



「オマエ……、七海に『お任せください』とかイキってただろ」


「好感度稼ぎに決まってるじゃないですか。そんなこともわからないんですかー? これだから童貞は……。ハァークソデカタメイキー」


「テメェはホントにムカつくな!」


「七海ちゃんが居ないんならわたしはもう何もしませんよ。あーあ、世界滅びないかなぁ……」


「コ、コイツ……ッ!」



 余りに居直った望莱の態度に、蛭子は思わず拳を握ってしまう。


 すると、そんな彼をさらに苛立たせる素敵な仲間たちが会話に参加してきた。



「蛮。そんなことよりこのゲロを片付けてくれないか? 臭くてかなわん」

「オマエのゲロだがなァ!」


「バン。早くなさい。王族の前にこのような汚物をいつまでも出しておくものではありません」

「オマエの汚物だが⁉」


「蛮くん。口よりも先に手を動かしてください。顔の横に吐瀉物があるせいで、わたし追いゲロしてしまいそうです」

「だからテメェの吐瀉物なんだよッ!」



 自身の身から出たゲロに対して僅かな責任感もない怠慢な女子たちに蛭子は声を荒げる。ゼェーゼェーと息切れを起こしてしまうが、ここで退いては体よくゲロを押し付けられてしまうことになるので、不退転の姿勢を示した。



「テメェら少しは自分で片付ける意思を見せろよ!」


「仕方ありませんね。それはそうと、ちょっと指輪を貸してください」



 そんな彼へ、望莱が寝転がったままノロノロと手を伸ばす。



「指輪だァ?」


「七海ちゃんからさっき預かったやつです。はりーはりー」


「アン? あぁ、オラよ」



 蛭子は彼女の掌の上に指輪を置いてやる。


 望莱はその指輪を床に広がる汚物へと向けた。


 指輪が淡い輝きを放つ。



「うげっ⁉」



 すると、床の汚れがパっと消えて、蛭子は驚きの声をあげた。



「はい、お返しします」


「オ、オマエ……」



 指輪を差し出してくる望莱に戦慄の目を向け、その後渡された指輪に恐怖の目を茫然と向ける。


 床に広がっていた三名分のゲロは七海ちゃん印の便利指輪に収容されてしまった。



「こ、これ、大丈夫なのか……? 食料だって入ってんのに。中身全部ゲロまみれとかになってねェだろうな……?」

「一応それぞれ独立して、個別に保管されているらしいですよ」


「ほ、ほんとだろうな……?」

「試しに何か出してみればいいじゃないですか」



 犯人からの指示に従い、蛭子くんは指輪からいくつか物を出し入れしてみる。


 彼女の供述どおり、一応他の中身は無事のようだ。



「オマエ、七海にこっぴどく怒られんぞ」


「蛮くんが悪いんです」



 ゴロンっと寝返りを打って、望莱は蛭子のジト目に背を向ける。



「わたしもうお昼寝します」


「七海がいなくなった途端にこのガキ……」


「あはは……」



 処置無しと、思わず彼女の兄へ目を向けると、聖人からは曖昧な苦笑いを返された。


 これ以上相手にしていても仕方ないので、これで切り替えることにする。



「もういい。オレらも忙しくなんぞ。コイツに構ってらんねェ」



 他のメンバーへ視線を遣って、次の行動を促す。


 特に誰も異論はないようで、部屋を出る蛭子に続々と続いた。



「クズめ」


「いい加減になさいな」



 天津、マリア=リィーゼと順番に、寝転ぶ望莱へ侮蔑の目と共に捨て台詞を吐く。


 すると、部屋の出口へ背を向けるみらいさんは徐に自身のスカートを捲って、黒パンツに包まれたお尻をぺしぺしと叩いた。


 揺れる尻肉が二人を煽る。



「無礼者ォーーッ!」

「リ、リィゼ、落ち着いて……っ、ねっ?」



 途端に煽り耐性ゼロの王女様がぶちギレるが、聖人が宥めながら彼女を部屋の外へ出した。


 全員が部屋を出て、パタリと扉が閉まる。



 一人残された望莱は床に顔を着けながら、離れていく足音を聴く。




 幾許か、そのまま時間が過ぎる。


 やがて――



――ムクリと、望莱は立ち上がった。



 薄い笑みを浮かべながら部屋の扉へと近づく。



 彼女の手にはいつの間にか一枚の符が。



 首から提げた細いチェーンが通る小さな指輪に淡い輝きの残滓がある。



 望莱はその符を部屋の扉へと貼り付けた。


 指先で符に触れ、目を閉じて念じる。



「【遮音封袋しゃおんほうたい】――“急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう”……」



 小さく呟くように呪符へ命じると、部屋全体が何かに包まれたような感覚がする。


 この部屋の中の音を外に漏らさぬように働きかける防音の結界だ。



 望莱はスッと真顔になると踵を返して部屋の中央まで歩いてきた。



「――さて、少し整理してみましょう」



 誰も居ない部屋で独り言ちる。



「仮に、この出来事が物語なのだとしたら――」



 表情を和らげ、誰かへ語りかけるように、言葉を声に出していく。



「ついに美景へと向かうことが出来た七海ちゃん。彼女が到着するとそこには大ピンチの水無瀬先輩と弥堂先輩が――」


「絶好のタイミングで助けに来た七海ちゃんと弥堂先輩が、協力して水無瀬先輩を救う。もしくは――」


「三人で力を合わせて、一連の事態を解決に導く」


「なんかそういう雰囲気ですし、それが無難な結末だと思えます」


「一番スッキリしますしね」


「それで今回の件をきっかけに仲良くなって、次はわたしたちと先輩たちで組んで、陰陽府と戦う『京都謀略編』なんかも続編でいけちゃいそうです」



 また一瞬で表情が落ちた。



「――ですが、多分そうはならない」


「何故?」



 まるで会話のように、自問と自答を交互に声に出す。



「これはフィクションでなく現実だから。まずはマジレスを置いておきます」


「つまらない答えです」


「そう。だから現実にある材料を手がかかりにして考えてみましょう」


「まずは?」


「まず、先輩たちが何と戦っているのか。そもそも本当に戦っているのか。戦っているのでしょう。戦っているとします」


「何故?」


「水無瀬先輩の身に起こっている怪異現象、そして弥堂先輩が供述した知識。これらはわたしたちが知らないものです。これらから、わたしたちの知識にないものはありえないと、そう断ずることは出来ない」


「つまり?」


「何も起こっていない。全部勘違いだった。それはもうありえない。ありえないとします」


「では、何が?」


「何かが起こっているとして、それが誰かの思惑や利害の絡む抗争なのか。それとも不運な災害のようなものなのでしょうか」


「どっちでしょう?」


「災害ではない。実際に学園で妖との戦闘が起こっている。そこには人間のような知的生命体の意思や欲望の関与が見えます」


「つまり?」


「これは誰かと誰かの意思がぶつかる闘争である。そうとします」


「誰かとは?」


「この闘争の渦中に居るのは、水無瀬先輩と弥堂先輩。両方。あるいは――」


「そのどちらか?」


「はい。ですが、わたしはこれを不自然だと思いました」



 一度言葉を切り、望莱は窓の方へ顔を向ける。



「こういった大規模かつ非現実的な事件や闘争が起こるのなら。それはわたしたち、さらに言うと、兄さん――紅月 聖人を中心にしたものでなければおかしい」


「何故?」


「特に美景を舞台とするのなら。他の人物では足りない」


「何が?」


「どう表現したものでしょう? なんと言いますか、運命力――」


「――いいえ」


「そうか。影響力。これが“影響力”ですね」


「そう」


「現在起こっている物語の主人公が、その“影響力”が一番高い兄さんではない」


「そこに違和感がある?」


「ですが。先に認めてしまいますが、これは思い上がりでもあり、勘違いでもありました」



 視線を動かして、部屋の扉に張り付けた呪符を見る。



「美景で何か大きなことが起こるのなら、それは兄さん、わたしたちに関係することであると。わたしたちと敵対する者が仕掛けてくると、そう考えていました」


「そうじゃない?」


「はい。今回起こっていることの中心はわたしたちではありません。その位置には水無瀬先輩と弥堂先輩が居ます」


「わたしたちはサブキャラ?」


「ちょっと気に喰わないし、納得もいきませんが。一旦それを認めます。認めたとします」



 目線をベッドの方へ戻す。



「でも、それだと――」


「はい。そうするとおかしなことが一つ」


「七海ちゃん?」


「はい。わたしたちは中心ではない。でも、七海ちゃんはその中心に入る」


「わたしたちの仲間なのに?」


「仲間であり関係者であるはずなのに。それは何故でしょう?」


「わたしたちの戦力を削ぐ為に七海ちゃんを離す?」


「いいえ。仮に相手が陰陽府や教会なのだとしたら、そもそも七海ちゃんがこちらの戦力であることは知られていません」


「だとしたら?」


「やはり視点が逆。七海ちゃんを離すのではなく、七海ちゃんを必要な場所へ配置する」


「そこは?」


「水無瀬先輩と弥堂先輩」


「そこに七海ちゃんを加える」


「わたしたちの業界と関係のない先輩たちが、わたしたちの業界と関係のない事件や敵と相対している。そこに七海ちゃんもキャスティングされる。兄さんではなく」


「龍脈が暴走するような事態なのに、業界と関係ない?」


「そんなことありえますかねぇ」


「怪異でも業界でもない、別の人間同士の争い?」


「いいえ。スタッフに探らせましたが、陰陽府も行政も察知していません」


「敵が陰陽府なら隠している可能性は?」


「それは否定できません。ですが――」


「行政は別?」


「はい。ですが、その行政の動きすら見られません」



 再び窓の方へ目を向ける。



「まるで誰も知らない未曾有の事態に、誰にも知られていなかった先輩たちが、誰も知らないところで挑んでいるようです」


「そしてその舞台に七海ちゃんも」


「わたしたちは半ば蚊帳の外」


「あくまでサブキャラ」


「兄さんでさえも」


「では」


「舞台は整い、無事に三人は事態の解決を図れるのでしょうか」


「そうとは限りません」


「もう一つ考えなければならないことがあります」


「それは?」


「それは、これは舞台に上がった三人の活躍で何かが解決する物語なのか」


「それとも」


「舞台に上げた三人を始末する謀略なのか」


「どちらでしょう?」


「それはまだわかりません」


「何故でしょう?」



 望莱はスマホを手に取り、画面を表示させる。



――――――


4月25日の正午まで、希咲七海を島から出すな。


期日を過ぎるまで美景に戻させてはいけない。


――――――



「こんな怪文書メールがあるからです」



 一見して捨てアドレスだとわかるメールアドレス。ご丁寧にIPアドレスを辿れないように細工をして望莱のメールアドレスに送り付けられてきたものだ。



「これは脅迫?」


「いいえ。美景で悪さをしている間、わたしたちに帰って来て欲しくない。そういうものではありません」


「どうしてでしょう?」


「七海ちゃんのことにしか言及していません」


「それが不自然?」


「はい。『お前ら』と指定すれば事足りるのに」


「それと、期日を過ぎた後のことにも言及がない?」


「そうです」



 スマホを見つめる目をスッと細める。



「一見すると、七海ちゃんを美景の件に関わらせたくないように見えて」


「その逆」


「これは25日の正午を過ぎたら、七海ちゃんを美景に寄こせ」


「そういう要請」


「だからこの文章になります」


「本当ならいきなり届いたこんな怪文書を真に受けたりなんかしません」


「でも――」



――――――


4月22日夜中。

美景台学園が襲撃を受け、美景市とその島の龍脈が暴走する。

人的被害は無し。


――――――



「こんなメールも少し前に受け取っていました」


「しかも」


「事前に準備をしたり、この旅行自体を中止にしたり出来ないように」


「この島に到着した後で送ってきた」


「まるで未来予知」


「そうでなければ犯行予告」


「これを犯行予告と見做さなかったのは、以前から有益な情報も多くあったからです」



 この怪文書じみたメールは今回の旅行から始まったものではない。


 もっとずっと前から。


 もう1年ほど望莱はこの怪文書を購読している。



「去年の夏休み」


「ちょっと長めの旅行」


「その旅行から帰ってから、怪文書が届くようになりました」


「もちろん?」


「最初は警戒しました」


「実害は?」


「なかったので面白がって放置しました」


「そうしたら?」


「少しして様子が変わります」



 先程のメールをもう一度見る。



――――――


4月22日夜中。

美景台学園が襲撃を受け、美景市とその島の龍脈が暴走する。

人的被害は無し。


――――――


「美景台学園」


「その島」


「龍脈」


「これらのように、まるでわたしたちの業界や家の事情を知っているよう」


「それを示唆してくるようになった」


「それだけ?」


「だったらまだ微笑ましかったんですが、今この島に来ているメンバー――わたしたちの間でしか共有されていない情報まで知っていることを匂わせてきた」


「みんなに探りは?」


「当然。ですが、これはわたしにだけ来ているようでした」


「やっぱり脅迫?」


「いいえ。怪文書はやがて、わたしたちの周辺で起こる事件や出来事を事前にタレコミしてくるようになりました」


「その一つが?」


「『3年4組壁尻会場』」


「あれを決行するきっかけとなった七海ちゃんを害する計画を立てている人たち」


「その情報がタレコミされました」


「ですが、それだけなら周辺調査だけでも察知可能」


「特異な点は、今回の龍脈の暴走のような、まるで未来予知でも出来なければ予見できないようなものまであることです」


「送り主が犯人だからでは?」


「いいえ」



 望莱はまた別のメールを画面に表示させる。



――――――


4月24日までに美景に帰ると人が死ぬ。


a) 希咲七海一人で帰った場合、彼女は死ぬ


b) 希咲七海と紅月聖人の二人で帰った場合、紅月聖人以外が死ぬ


c) b)の二人と紅月望莱で帰った場合、紅月聖人以外が死ぬ


d) 全員で帰った場合、弥堂優輝に皆殺しにされる


――――――



「先に見た『25日昼過ぎまで七海ちゃんをここから出すな』というメールと一緒に送られてきました」


「変な文章」


「はい。まるでどのパターンも一度見てきたかのようですね」


「a)はわかりやすい」


「ですが、b)とc)」


「以外って誰ですか?」


「b)だったら七海ちゃんだけのことか」


「C)なら七海ちゃんとわたし」


「それとも、“以外”には他に水無瀬先輩や弥堂先輩も含まれるのか。あるいは――」


「それ以外の人も?」


「わかりません。ですが特にb)の七海ちゃんと兄さんしかいないのに、それを兄さん以外と書くのは不自然。おそらく先輩たちが含まれているとわたしは読みます」


「d)だけ異質」


「はい。ここだけ『何故死ぬのか』に言及されています」


「a)b)c)は違う人に殺される?」


「そう読み取れます」


「何故わたしたち全員で行った時だけ弥堂先輩が?」


「わかりません。ですが、彼にはそれだけの力があるということがわかります」


「わたしたち全員を相手に?」


「信じられませんし、何故この場合だけ彼と敵対することになるのか不明ですが、ここではそういうこととします」


「なら、七海ちゃんを一人行かせるわけにはいかなかったのでは?」


「いいえ」



 さらに別のメールを開く。



――――――


4月25日に二度目の龍脈の暴走。

一度目よりも大規模で門が開く。


希咲七海以外のメンバーが揃っていないと、島で死亡者が出る。


――――――



「こんなものもあります」


「これらを合わせて、書かれていないことも読むと?」


「つまり、25日正午を過ぎたら七海ちゃんだけを美景に戻して、残った全員でこの島の龍脈の暴走に対応しろ」


「そう読める?」


「はい」


「こっちはメンバー分けのパターンがないのは何故でしょう?」


「おそらく船が壊れていて選択の余地がないことを見通している」


「七海ちゃんを今日まで足止めするために」


「わたしがこうすることを読んでいた」


「むかつきます」


「だから、このメールでは七海ちゃんが島を出るか出ないかのパターンしかなく」


「七海ちゃんが留まることがありえない」


「そうです」


「七海ちゃん含めて島の龍脈の暴走に対応して、それから美景に戻るという選択は?」


「26日以降のことについて言及がない。これは今日――4月25日中に美景での事件が決着すると、わたしは読みます」


「決着とは?」


「先輩たちと七海ちゃんの勝利。あるいは敗北」


「勝利とは?」


「敵の打倒、並びに龍脈の暴走を阻止」


「敗北とは?」


「それが26日以降の言及がない理由」


「つまり?」


「負ければ相当酷いことになります」


「例えば?」


「龍脈の暴走の結果、美景が滅びる」


「だから」


「失敗した時のことなんか考えても意味がない」


「逆の可能性は?」


「逆とは?」


「このメールの主が美景の崩壊を目論む側」


「要はこれを信じるのかという話」



 望莱は部屋を歩き、ベッドに腰かける。



「信じる材料は、あります」


「これまでの実績」


「この一年の間、的中率100%」


「この一回の罠に嵌める為の偽装では?」


「それはありません」



 膝の上にスマホを置いて、これまでのメールを見る。



「これを送ってきた人が襲撃犯で、わたしたちを主戦場から遠ざけるための工作としてこれを行っている。その可能性はあります」


「ですが」


「それならそもそも美景の襲撃や龍脈の暴走に言及する必要がありません」


「だって」


「わたしたちは美景に居ないのだから」


「死亡パターンのb)とc)」


「はい。確かにこの二つは兄さんだけが生き残って美景の崩壊を防いだ。そうとも受け取れます」


「でも」


「はい。やっぱりそもそも、もっと早くに、わたしたちが旅行を中止するよう仕向けるはず。そうすれば一回目の龍脈の暴走で決着をつけられた」


「それに」


「はい。この人物は美景の存亡をあまり重要視していない。どうでもいいとまでは思っていませんが、最優先ではない」


「最も重要なのは人物」


「はい。わたしたち全員が生存する為のルートのようなものを示しています」


「水無瀬先輩と弥堂先輩」


「はい。確かにその二人の生存については一切言及がありません」


「二人を知らない?」


「普通に考えれば知っている方がおかしいですが、それはない。ここまで見えていてそれはありえない。少なくとも弥堂先輩の名前は出ている」


「むしろ」


「この二人。もしくは二人の内のどちらかを中心に見ている、そういう視点」


「だから」


「この人物から見て部外者であるわたしにそれを言う必要がない」


「二人、もしくはどちらか一人の生存の為にわたしたちを利用している」


「そう見るのが正解」


「七海ちゃんを行かせてよかった?」


「出来れば行かせたくなかった。行かせないように動いていた」


「でも、出来なかった」


「やれることはやりました。これは止められないイベント」


「七海ちゃんは安全?」


「死亡パターンのa)」


「七海ちゃん一人の死亡フラグ」


「それを警告して24日までは帰らせないようにしているのに」


「25日には来て欲しい」


「七海ちゃんを害するのならこのパターンはいらない」


「むしろ」


「この人物は七海ちゃんを重要視している」


「わたしたちの中で一番」


「中心に見ている」


「だから提唱される全員生存ルートに賭ける?」


「保険はかけました」


「うきこちゃんにはリーク済み」


「スタッフも配置済み。いざとなったら何を犠牲にしても七海ちゃんだけは回収して逃げるよう命令しました」


「この島の近くにも緊急時のための高速艇を配置済みです」


「いざとなったら兄さんを連れてこの島を捨てる」


「最悪わたしだけでも七海ちゃんのもとに」


「わたしにとっては七海ちゃんだけが重要」


「この人物はそれを見抜いていてこんな警告をした」


「だからわたしを選んだ」


「この人物は誰でしょう?」



 もう一度メールを続けて閲覧する。




――――――


4月25日の正午まで、希咲七海を島から出すな。


期日を過ぎるまで美景に戻させてはいけない。


――――――



――――――


4月24日までに美景に帰ると人が死ぬ。


a) 希咲七海一人で帰った場合、彼女は死ぬ


b) 希咲七海と紅月聖人の二人で帰った場合、紅月聖人以外が死ぬ


c) b)の二人と紅月望莱で帰った場合、紅月聖人以外が死ぬ


d) 全員で帰った場合、全員が弥堂優輝に皆殺しにされる


――――――


――――――


4月22日夜中。

美景台学園が襲撃を受け、美景市とその島の龍脈が暴走する。

人的被害は無し。


――――――


――――――


4月25日に二度目の龍脈の暴走。

一度目よりも大規模で門が開く。


希咲七海以外のメンバーが揃っていないと、島で死亡者が出る。


――――――



「まず、当たり前ですが一般人ではありません」


「業界のことや妖に怪異などを知っている」


「でも陰陽府や教会の筋ではありません」


「リィゼちゃんや七海ちゃんが戦力であることを知っている」


「陰陽府はわたしたちのことは名家・旧家の落ちこぼれの半ばハグレ者だと認識している」


「脅威だとは思っていない」


「今の兄さんには彼らと正面からぶつかって打ち勝てるほどの力があることを知らない」


「それは同時に、リィゼちゃんや七海ちゃんに戦える力があることを知らない」


「だけど、この人物はそれを知っている」


「それはつまり」


「去年の夏休み」


「何があったのか」


「わたしたちが何処で」


「何をしてきたか」


「結果どうなったのか」


「それを知っている」


「でも、それを知るのはわたしたち――この島に来ているメンバーだけ」


「親たちにも詳細までは知らせていない」


「つまり」


「わたしたちにかなり近い」


「いっそ、わたしたちの中に」


「裏切者がいる?」



 そこまでを口にして望莱はスマホの画面を消す。



「ちょっと面白くないですね」


「もしもわたしたちの中で裏切る者が出るのなら」


「わたしが一番裏切りそうなのに」


「わたしを差し置いて」


「ちょっとムカつきますね」


「でも誰が?」


「兄さんは除外」


「真刀錵ちゃんは?」


「こんな細かいことは出来ない」


「蛮くんは?」


「一番出来そうな可能性はありますが、そんな度胸はありません」


「リィゼちゃん」


「一番やりそうな立場ですが、外部の協力なしではこの国に基盤がないので不可能。監視からの報告でもその気配はなし」


「むしろ七海ちゃんは?」


「むしろ裏切られたいです」


「推しに裏切られるなんてご褒美です」


「なので、その場合はヨシとします」


「やっぱり」


「ちょっと面白くなってきましたね」


「話を戻します」


「中心は水無瀬先輩?」


「かの人物が唯一名前を出さなかった」


「もしも今回の事件のために一年も前からわたしにコンタクトをとり」


「時間をかけて信頼と実績を重ねてきたのだとしたら」


「ですが、その時点ではわたしたちと先輩たちには関係がなかった」


「七海ちゃんと水無瀬先輩すらまだ出会っていなかった」


「なのに、もしも今回の件のためだったとしたら」


「過去も現在も未来も」


「全てを見通している」


「そうでなければ成り立たない」


「恐ろしく高度な知能と広い知識を以てそれを可能としているのか」


「それともただそれが“視える”のか」


「いずれにせよ」


「絶対に正体を看破して引き摺り出してやりたくなりますね」


「相手はわたしのこの性質すら」


「知っていて利用している」


「これは絶対に」


「壁尻確定です」



 望莱は身体を倒してベッドに体重を全て預けた。


 目を閉じる。



「わたしも」


「それは無理です」


「七海ちゃんが美景に向かった以上」


「龍脈の暴走は抑えなければならない」



 瞼を開けそして天井を見上げた。



「美景の地」


「水無瀬先輩と」


「弥堂先輩と」


「七海ちゃん」


「この三人のルートが繋がっている」


「それが交差する場所にあるのは」


「果たして大団円か」


「それとも処刑台か」



 窓の外へ目を向けながら腕を横に広げる。



「七海ちゃ――」



 想う人の名を口にしようとしたが、伸ばした手が柔らかい感触に触れたことに気が付く。


 そちらへ目を向けると、手に触れていたのは七海ちゃんが忘れていった黒ビキニだ。



 みらいさんはそれを自然な動作でスッと手に取り懐に収めようとする。


 適切なポケットがないのでグイっと胸元に突っ込んだ。


 そして再び窓の方を見てテイク2を行う。



「七海ちゃん……」



 胸の谷間に黒ビキニを押し込みながら、憂いた瞳で彼の地を見つめた。










 美景港。



 ここは新港と呼ばれる場所と旧港と呼ばれる場所とで分かれている。


 旧とは言っても現在も稼働中で、単純に新しい港が作られたので便宜上古い方がそう呼ばれているだけだ。



 新港が作られたのは18年ほど前。


 今では新たな玄関口として貿易に使われているが元々の用途はそうではない。



 最初に作られた時の用途は、排水用だ。



 18年ほど前に起こった大災害。


 深刻な津波の被害があり、大量の海水が陸地へ流れ込んだ。


 湖になってしまうほどに。



 災害復興をするにあたって水路を作り、その水を海に還すことになった。大量の死体と共に。



 この美景の新港はその用水路が海に繋がる場所だ。


 当時は用水路の出口に網を張って、流れてきた死体を回収したのだ。



 その後、ここを開発して新たな海との玄関口とした。


 あまり大っぴらには誰もその背景を口にしないが、それがこの美景の新港だ。



 いつもはここで働く者たちで賑わう新港には今日は人気が少ない。


 行政より発令された外出自粛令の影響もある。


 だが、それ以上に、ここには人外の力を以て、人払いの術理が働いていた。



 広い埠頭に数名ほどの人影がある。



 格子のついた大きな黒い籠のような物の近くに二人の男性。



 彼らと向き合う女子高生が一人。




「――よく来ましたね。ステラ・フィオーレ」



 男の内の一人。


 黒いタキシードのようなスーツを着た長身の男が銀髪に被せたシルクハットを脱ぎ、薄い笑みを浮かべる。



「メロちゃんを返してください……っ!」



 強い決意を秘めた瞳で、女子高生――水無瀬 愛苗は“闇の秘密結社”と対峙した。

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