1章66 『4月25日』 ①
切断された腕がクルクルと宙を上がって、それから目の前にボトリと落ちる。
石造りの床の上。
とっくに血は噴き出しているはずなのに、視界に入ってようやくそれが自分の右腕であることに気が付く。
視覚よりも遅れて痛覚が脳に喪失を認知させた。
途端に口から溢れる絶叫。
左手で傷口を抑えて蹲り、血溜まりに額を沈める。
苦痛からの解放――その赦しを請うように。
「な、ん、で……っ」
やがて、片腕を失ったその少年は激痛に苦しみながらも、疑問を声に出す。
まだ、声変わりをする前の少年の声。子供の声。
苦痛を堪えながら顔を上げて、自分を“こう”した者を見上げる。
信じられないと、ありえないと、何がなんだかわからないと――
相手が自分を害することなど無いと、そんな可能性すら思いつかなかったのだろう。それ程に信頼――妄信していた相手へ、茫然とした目を向ける。
(馬鹿なガキだ)
客観視点で、その子供を見下ろして、俺はそんな感想を抱く。
子供なのに可哀そう――なんて欠片も思わないし、子供になんてことを――などと憤ることもない。
そんなことを公言すれば、普段から色んな人間によく言われているように、この人でなしめ――と、そう罵られてしまうことだろう。
だが、一つ釈明をするのならば、俺という人間にだって、子供が酷い目にあっていればムカついたり、それをやっているクソ野郎を殴ってやりたいと感じる――そんな程度の正義感はないこともない。
しかし、事、このガキに関しては例外だ。
このガキがどんな目に遭って、どれだけ泣き喚こうとも。
自業自得だ。
バカめ。
死ね。
そんな感想しか湧いてこない。
何故なら、このガキがこの事で死ぬことはないことを知っているし、斬り落とされた腕も元通りになることを、俺は知っている。
知っているし、さらに。
このガキはこの場面で死んでいた方が、このガキ自身にとって遥かにマシだった。
事実としてそうだと言い切れるくらいに、俺はこのガキのこの後の生末を知っている。
それが何故かというと、これがこのガキに同情出来ない決定的な理由になるのだが。
何故なら――
――このガキは俺だからだ。
7年ほど前の、過去の
これは夢だ。
はっきりと自覚出来る。
まるで死者を看取るように、ベッドで眠る
浅い眠りの中で見ている、過去の情景を映しだした、そんな夢だ。
夢とは記憶の整理である。
浅い眠りの最中に記憶を整理して、時には不要なものを消去するらしい。
その過程で過去に自分が体験した映像を夢の中で観る。
そういうメカニズムらしい。
じゃあ自分が見たことも聞いたこともないような夢を見ることもあるけど、それはなんなんだと、そういう疑問を持ちもする。
ただ、なにぶん適当につけっぱなしにしていたTVから適当に耳に入ってきて、適当に記憶に記録されただけの知識なので、それの真偽についてもその先の知識についても興味が無く、俺自身では特に何も調べてはいない。
だから夢というものに関して説明する時に、その説明で合っているのかということについては俺は寡聞にして知らない。
知らないものは知らないし、知っていることしか俺は憶えていない。
何が言いたいかというと、記憶の整理の為に過去の光景を見るというのなら、この“夢”という機能は俺には必要がないということだ。
俺は自分自身が知覚して認知した全ての物事・出来事を完全に記憶しているし、それを完璧に思い出すことが出来る。
わざわざこんな不愉快な映像を見せられて、整理などする必要がないのだ。
何故、俺が記憶に関して、そんなことが出来るかというと、それは【
こいつのせいで、俺には人間には本来知覚をすることすら不可能な“霊子”――それで構成されている全ての存在の根拠となっている“
“
それを視ることが出来るというと、何か凄いことのように聞こえてしまうかもしれないが、実は全くそんなことはない。
俺に視えるのはそのカタチだけだ。
ただの絵柄として、図形として視えているだけに過ぎない。
その中に理解不能な文字のような物が大量に書きこまれているのは何となくわかるが、それを読んで解いて理解することは出来ないのだ。
無理矢理それを読み解こうとすると脳に多大な負荷がかかりまず目や耳から出血する。それを続ければ当然死ぬ。
だから、他人の“
ただ、なんとなくそれを視て、存在としての強度を感じとることは多少出来るが、それも水無瀬のような圧倒的な存在でもない限り、大して差を判別することも出来ない。
例えば水無瀬や希咲を視たとしても、“
なんとなく彼女らが他の普通の人間よりは魂の輝きが強く、存在の強度が高いと感じるだけで、得られる情報としては普通に彼女らの肉体を見ることによる視覚的情報の方が遥かに多い。
水無瀬だったら、背が低い、顔が幼い、胸が大きい、簡単に騙せそう、だとか。
希咲だったら、細い、顔はいい、気が強そう、ムカつく、など。
当然そういった情報も“
もしも仮にそれが出来たのだとしたら、希咲 七海をこの眼に映して、彼女の身体の情報と彼女が着用している服の情報から、あの胸囲が偽造されたものだと看破出来るのだろうが、残念ながら俺の魔眼にはあのクソギャルの欺瞞を白日の元に晒すことすら出来はしない。
そんな役立たずの魔眼によって、何故俺の記憶能力が向上するかというと、それは自分自身の“
他人のそれを覗けるように、当然俺自身の“
ただ、他人のそれと一点異なることは、自分の“
具体的に何が出来るかというと、それは記憶にある。
俺が見聞きなどし、経験・知覚した物事は全て俺の“
だからそこに書いてあることを視れば、自分の記憶は全て詳細に思い出すことが可能だ。
今見えているこの映像のように。
普段の日常の中で、何か記憶と関連づくものを見たり思いついたりすると、突発的にその関連した記憶が記録から呼び起こされて、こうして映像で再生されたりすることもあれば、俺自身の意志で記録の中を検索して該当するものを見つけ出したりもする。
それは年表を見る感覚に近い。
インターネットのように、キーワードを打ち込んで検索をすれば勝手にその記録が出てくるようなものではなく、ズラっと並んだ文字列に目線を走らせていちいち自力で見つけ出す力技のようなものだ。
魔眼を使うのには多少の魔力も必要になるし、実際のところあまり効率のいい作業でもない。
『――僕は記憶力ってやつは記録出来る最大容量の大小じゃなくって、必要なファイルを検索する機能の優劣だと考えている。だからキミの記憶力のよさはその検索機能が頗る高性能なんじゃないかって、そう思っているのさ。』
ここで廻谷部長の言葉が思い起こされる。
4月22日の放課後、サバイバル部の部室での発言だ。
それを発言した時の彼の姿が映像として顕れ、それ通りの言葉を喋り、そして一時停止している。
血塗れの過去の自分の横で廻谷部長が腕組みをして踏ん反り返っているのは少々シュールなものがあるが、これが突発的に思い起こされた記録の再生だ。
ともあれ、俺も部長の仰る通りだと思う。
恐らく、見聞きした全ての出来事の経験が“
――これに関しては俺だけでなく全ての人間、生物がそうなのだと思う。
だが、その記録を任意に取り出す――つまり思い出すという行為に関しては、誰もが俺と同じことが出来るわけではない。
必要な記憶が記録された場所がわからなかったり、それに繋がる経路がわからなかったり、その場合は人は物事を“忘れてしまう”。
俺は俺のこの魔眼や“
そしてこれからも俺の方からその話をするつもりはない。
森羅万象全ての事象を知っている彼に対して、俺が自分のことを『実は……』と語るのは実に礼を失した行いと云えよう。
さすがは廻谷部長だ。
話が逸れたが、では、眠っているはずの俺に、何故これが夢だとわかるのかという話をする。
夢を見ながら『これは夢だ』と、そう自覚することは当然誰にでもあることだろう。
ただ、俺の場合はこの下らない記憶の能力があるので、浅い眠りの中で見ている夢と、寝惚けている俺が自覚なく記録を再生させていること、それをどう判別するのか、あるいはそれらに違いはあるのかというと、明確には答えづらい。
しかし、それでも俺が今ここで見ているこの映像は夢だと断言できるのは、視点によるものだ。
今、俺の目の前にある映像は、過去の俺が蹲っていて、その向かいに女が二人と男が一人立っている――そんな光景があって、その場面に現在の俺が立って見ている感覚だ。
つまり、過去の自分が目の前に居る。
普段記憶の中に記録された過去の映像を再生する時はこうじゃない。
普段通り俺自身の視点で見た出来事だけが再生される。
俺の記憶に残るのは、俺の身体に空いた眼窩の窓から覗いた外の『世界』の映像だ。当然だが、そこに俺の姿はない。
教室で水無瀬や希咲と会話をしていたとして、俺が記憶するのは彼女らがどんな顔で、どんな声で、どんな言葉を言っていたかだ。
それを自分がどんな顔をして聞いていたかという視覚的な情報は記憶には残らない。見ていないから。
だから、過去の自分の姿を含めてこの場面を客観視点で見えているというのは、これが夢だからに他ならない。
このガキがこの時にこういう顔をしていたのは間違いがないだろう。だが、俺自身はそれを直接視認してはいない。そういうことだ。
『ドヤ顔でなに述べてんだコイツ? それよりそこでアタシやエルの名前じゃなくて、その子らが出てくるようになったあたりに、自分に変化があるって自覚ねェのか? アァン?』
黙れ。死ね。
ともかく。
話が大分迂回してしまったが、俺は寝ている時に限らず起きている時でさえ、自分の記憶を完璧に扱うことが出来るので、わざわざ夢など見る必要がないということを言いたい。
生物は必要のなくなった機能は失われると言うが、それならこの不愉快な映像を寝ている俺に見せる機能は即刻廃止すべきだと考える。
だが、逆に。
これが本当に夢なのかということを疑ってみる。
今俺が夢を見ている最中なのだとしたら、今ここでこうしてゴチャゴチャと喋っている俺は、本当に俺なのだろうか。
現実の――というか、起きている時の俺が俺だと自認している実際の俺と今の俺は同一なのだろうか。
そもそも、俺はこんなに無駄な口をきかないし、こんなどうでもいいことを考えたりなどもしない。
だからこの俺が事実俺なのかどうかは、その信憑性は信頼出来ない。
『オイ、なんかまたワケわかんねェことほざき出したぞ。クスリのヤリすぎで脳がもうダメになってんじゃねェかコイツ?』
『黙りなさい。ユウキが真剣に考えているんです。それを馬鹿にしないで下さい。殺しますよ? 売女め』
『ウルセェんだよ肉便器。ナメたクチきくんじゃあねェよ。燃やすぞ?』
『は?』
『ア?』
なにかノイズが混じってうるさいな。
記憶が見せる幻覚どもめ。鬱陶しい。
やはりこんなものが聴こえる時点で俺はもうまともではないのだろう。そもそも俺は誰に向けて話しているんだ。
夢の中に限らず、現実の俺に関しても、これまでに何度も俺でなくなっている可能性は高い。
自分のことは常に疑い続ける必要がある。
大体それを言うのなら、俺は自分の記憶が完璧だと思っているが、そもそものところ、それすらも怪しい。
何故なら俺が思い出せるのは結局のところ憶えていることだけだからだ。
仮に、俺が消えることはないと言った“
もしもこれが消えていたのなら――
――それを可能にする何らかの手段があった場合、俺はその消された記録を視ることが出来ない。
そうすると、俺は自分が何かを忘れていることに気が付くことが出来ない。そういうことになる。
実際に、水無瀬のことを忘れた人間たちの様子がまさにそのものだ。
だとすると、やはり俺の魔眼など何の役にも立たないゴミだということになるし、“
それに――
俺が俺であるかどうか。
夢が夢であるかどうか。
記憶の瑕疵の在る無し。
こんなことを考えても結局答えはわかりようがないので、総てが全くの無意味なのだ。
クソが。
時間を無駄にした。
苛つくぜ。
『出たよ。ゴチャゴチャぬかすワリに結局いつもこうやって結論を放り出すんだ。ヤベェだろこのメンヘラ具合。自己肯定感なさすぎじゃね?』
『……きっと、この後の出来事を観たくないから現実逃避しているのでしょうね……。この子はそういうところがあります』
うるさい黙れ。
幻聴の女どもを罵倒してやると、廻夜部長の映像が消え、一時停止されていた記憶の映像が動き出す。
「どう、して……、セイラ……」
血塗れのクソガキは目の前の女を見上げる。
その視線の先に居るのはドレスを着た女――この映像の時点ならまだ少女と呼ぶべきか。
俺よりも二つ歳が上の女。
この映像の時だと、俺が中学に上がって少し経ったくらいだから、少女は15歳だ。
だが、当時から7年ほどが経った今の俺から見ても、少女ではあるがとても美しいと感じる。
忌々しいことだが、それは事実だ。
見た目の造型が優れているかどうかと、俺の好き嫌いの感情は関係ない。希咲と同じだ。
セラスフィリア=グレッドガルド。
今映像で映っている場所、その国の支配者に若くして為った女であり、そして映像の中のクソガキの腕を斬り飛ばした女だ。
天井近くに空いた小さな窓から差す光が彼女の蒼い髪を照らし、銀色の輝きを見せた。
俺の魔力光と似た色。
忌々しい。
信じられないという目をクソガキに向けられると、セラスフィリアはニッコリと笑った。
とても数秒前に人間の部位を切り落としたとは思えないような、可憐で清らかな微笑みだ。
俺が彼女と出会ってから半年ほど過ぎたのがこの映像の時間なのだが、この時まではこの女は俺の前ではこの可憐な少女のような顔しか見せてこなかった。
とても親身に、頼りなく振る舞い、俺に縋って、褒めて、媚びて、何も知らない世間知らずなガキを実に気持ちよくつけ上がらせていた。
そして、この時点をもって、その偽りの顔は消える。
少女はスッと表情を真顔にした。
それまでの印象とはまるで別人で、とても冷たい、人間味を感じさせない恐ろしい貌だ。
今だからこそわかることだが、この女はこっちが素なのだ。
「――許可を取り消します」
「え……?」
「只今をもって私のことを“セイラ”と、愛称で呼ぶ許可を取り消します。以降は“セラスフィリア様”、もしくは“殿下”と呼びなさい」
「な、なにを……?」
ガキは呆然とするだけだ。
言われていることの意味もわからなければ、腕を斬られた痛みでまともに頭も回っていない。
だが、痛みがなかったとしても、この馬鹿なガキのリアクションは大して変わらなかっただろうがな。
「半年待ちました」
「セ、セイラ……、僕の腕……っ、腕が……っ」
「待ちましたが、結局アナタはなんの結果も出せませんでした」
「血……、血がでてるんだ……、こんなに……っ」
「よって、通常のカリキュラムではアナタは育たないと判断し、これにて試用期間を終了します」
「痛くて……っ、死んじゃう……、死んじゃうよ……っ!」
「うるさいわね」
セラスフィリアはギロリとガキを睨みつける。
今まで彼女に向けられたことのないような、酷く突き放したような、酷く下に蔑まれたような、そんな目に萎縮し、クソガキは泣き喚くことすら忘れて硬直する。
「セ、セラスフィリア殿下……! と、突然なにを……⁉ 何故ユウキさんを……!」
「今言ったでしょう? 甘やかしても使い物にならないようだから、叩いて鍛えられるか試すって」
「な、なにを……、ユウキさんが死んでしまいます。治療をさせてください」
「ダメよ。ジルクフリード――」
「――は」
名前を呼ぶ。
それだけで命令が成立する。
セラスフィリアの背後に控えていた鎧を着た男が、口を挟んだ少女を拘束する。
「は、離してください。ジルクフリード様っ! このままではユウキさんが……!」
「すみません、シャルロット様。殿下の命令ですので」
「うるさいわよ、シャルロット。聖女認定されたからって田舎の村娘風情が私を煩わせないで」
「だ、だってこんなのおかしいですよ……! ユウキさんを鍛えるのに、なんでこんなヒドイことをする必要が」
やめとけよ、シャロ。そのイカレ女に何を言っても無駄だ。キミが傷つくだけだぞ。そんな血塗れの汚ねえガキ見捨てちまえよ。
と言っても、これは過去の出来事なので、言ったところで何も変えられないし、実際に彼女が俺を見捨てられなくて酷い目にあうことも全部知っている。
「いい質問だわ」
セラスフィリアは僅かに機嫌をよくして、騎士のような恰好をした男――まぁ、実際に王女付きの騎士なんだが――ジルクフリードに囚われる白い法衣を纏った金髪の少女の方を向く。
セラスフィリアは自分の関心のあることしか話したがらず、それ以外のことを話す時はとても億劫そうにする。
彼女の関心事は自身のプロジェクトを効率よく進めることがほとんどで、だから、話を進める上で有効な相槌や質問を投げることが出来る対話相手を好んだ。
このクズ女が俺の以前の飼い主で、俺はこの女の命令でとても多くの人を殺した。
この女のプロジェクトを成功させることが当時――というかこの後の俺の目的であり、だがだからといって俺はこの女のことを全く尊敬していないし、信奉をしていないし、当然愛してもいない。
俺がやった殺しは全て俺自身に動機があるものではなく、全てこの女の敵を始末するためのものだ。
だから俺は悪くないと、そう言いたいのではない。
俺は悪い。常に悪い。正しかったことなど一度もなく、正しかった瞬間すら一秒もない。
俺自身には人を殺したいという欲望や意思はない。
そう思って殺したことはない。
ただ、目的のために必要性だけを以て、多くの人を殺してきた。
この女が俺をそういう風に仕上げた。
そんなクズの俺が唯一自分自身の感情で殺したいと思った女がこのセラスフィリアだ。
最終的にこいつを殺そうとしてそれは叶わず、俺は国外追放されてしまったが、もしももう一度彼女に会えるのなら、ぜひお会いして今度は確実に殺してやりたいと今でもそう思っている。
その女が嬉々として語る。
「古い文献を研究したの」
「い、今はそんな話を――」
「――ダメよ、聞きなさい。記録によるとね、彼らのような人たちは生命の危機に瀕するような状況に追い込まれると、突然強い力に目覚めることがあるそうなの」
「そ、そんなことより……」
「でもね、困ったことにこの子供をそんな危ない状況――例えば戦場なんかに放り出したら、あっというまに死んでしまうじゃない? 雑兵一人殺せない愚図なのだから」
「お願いしますっ! 治療を……!」
必死に訴えるシャロの話をセラスフィリアは聞いていない。
当の本人であるクソガキはというと、もう意識が朦朧として死にかけている。ここで死ねたら運がよかったのにな。
「だからね、私は考えました。実戦でそれを実行することが出来ないのなら、訓練で再現すればいいと」
「は……?」
ようやくイカレ女の言いたいことがわかったのだろう。
シャロが呆然とセラスフィリアを見た。
「こうして安全な場所で訓練をすれば、安全に瀕死に追い込めると思わない? だって安全なんだもの」
「な、なにを……」
思う訳ねえだろボケって言ってやれよ。安全って言葉の意味がわからねえんだその女は。
セラスフィリアは血溜まりに沈むクソガキの方へ近寄り、爪先で顔を上に向けさせる。
「どう? 何か目覚めそうかしら?」
「セ、セイ、ラ……、たす、け、て……」
「あら、死にそうね。仕方ない。ジルクフリード――」
「――御意」
命令に従い騎士はシャロの拘束を解く。
シャロは急いでクソガキに駆け寄った。
「殿下、勝手をお許しください! ユウキさん――」
了承を待たずにシャロは落ちている右腕を拾って切断面同士を合わせた。そしてそこに手を翳すと、彼女の手が輝きだした。
彼女は俺とは違って、聖女の名に恥じない強力な治癒魔法の遣い手だ。
例え腕が斬り落とされたとしても、時間がそんなに経っていなければ元通りに治してしまう。それもその場で。
「あら、さすがに優秀ね。私が言わずとも命令を汲んでくれるなんて、とても効率がいいわ」
「で、殿下、罰なら謹んでお受け致します。ですから――」
「罰なんてとんでもないわ。ちょうどアナタにそう命じようとしていたところだから」
「え?」
「ジルクフリード――」
「――御意」
スラッと、剣を抜く音が聴こえる。
騎士は抜身の剣を持って前に出た。
「で、殿下……? まさか……」
「訓練は一度しただけじゃ意味がないわ。繰り返し行うもの。そうよね?」
「こ、こんなこと神はお許しに――」
「――私が許すわ。ここは私の国だもの」
彼女らの会話は当然クソガキにも聴こえている。
腕はくっついても失った血が戻るわけじゃない。
朦朧とした頭でうっすらと次に自分の身に起こることを理解しつつも、だがこの愚図は何も行動をしない。
命乞いをするような、そんな情けない目で騎士を見上げる。
「ジ、ジルク……、どうして……、僕たちは……」
「ボクも友達だと思ってるよユウキ。今でも思っている。でも、ごめんね?」
「ま、まって――」
「――命令だからさ」
金髪の優男。その顔に似合わず屈強に鍛えられた肉体を持つ騎士に相応しい男。
ジルクフリードは温和そうな笑みを浮かべながら、しかし容赦なく剣を振り下ろした。
今度はクソガキの左脚がとれる。
絶叫をあげて転がるクソガキを、セラスフィリアは興味深そうに観察していた。
「で、殿下っ、もうおやめ――」
「――治しなさい」
「え?」
「聞こえなかったの? 効率が悪いわね。早く治しなさい」
命令を受け、シャロはヨロヨロとした足取りでクソガキに近づき、そして切り取られた脚を繋げる。
「ジルクフリード――」
「――は」
そして次は左腕が斬り落とされる。
「治しなさい」
「…………」
「シャルロット。この子を死なせたくなかったら、治しなさい」
「……は、い……」
そんな顔すんなよ。キミは悪くない。
「や、やめ……、セイ、ラ……、ゆるし……」
「ダメよ」
「た、たすけ……」
「アナタはとても役立たずで弱くて見込みがない。私はとても失望をしている。でもね――」
「い、いや、だ……」
「――そんなアナタを私は見捨てないわ。多大なコストをかけたもの。アナタが使えるようになるまでちゃんと面倒を見てあげる」
嘘つけよ。もう何か月かしたら見限ったじゃねえか。
「命令よ、ユーキビトー。力に目覚めなさい」
拷問は終わらない。
「ジルクフリード――」
「――は」
「治しなさい」
「ジルクフリード――」
「――は」
「治しなさい」
「ジルクフリード――」
「――は」
「治しなさい」
「ジルクフリード――」
「――は」
「治しなさい」
何度も何度も繰り返される。
当然だが、こんなことをしたところで俺が訳のわからん力に目覚めることなどない。
『チッ、胸糞ワリィ。アタシはもうフケるぜ』
『…………』
『オマエは行かねェのか?』
『…………』
『チッ、バカ女が……』
『…………』
しばらくして、傷を繋げても失血で死ぬからとシャロに説得された皇女殿下様は錬金術師謹製の造血剤と増血剤を持ち出した。
それを無理矢理クソガキに飲ませて意味のない実験を続ける。
もうしばらくすると、屈強な騎士にやられるより、自分のような華奢な女にやられた方がより屈辱的に感じて、そのことで生じる刺激で結果が変わるかもしれないという意味のわからないことを言い出し、彼女手ずからクソガキの解体を始めた。
薬とシャロの魔力の節約の為に傷口を凍らせて、より細かくクソガキを切り刻んだ。
もう協力したくないと泣くシャロを、お前の村への支援を打ち切るぞと脅迫し、無理矢理治療を続けさせる。彼女にとっても拷問だっただろう。
彼女はとても心優しい少女で、自分の治癒魔法が人々の助けになることが生きがいだと嬉しそうに笑っていた。この日をもってその言葉は二度と聞かなくなったが。
今になれば、この時の彼女に対して罪悪感の一つも感じるが、この時のクソガキは自分が助かりたいということしか考えていなかった。
もう少しすると、クソガキも痛覚がイカレてきて、斬られても大騒ぎをしなくなった。泣き喚く体力がなくなっただけかもしれない。
頭の方も大分やられてきて、剣の扱いが上手い奴に斬られた方が痛みが少ないことに気付いたり。
身体の一部を失うことの恐怖よりも、サイコ女に股間を切除された時に、シャロにそれを見られたり、切断された尿道からションベンを撒き散らすところを見られたことの方にショックを感じたり。
一つ納得がいかないこともある。
俺の記憶に記録されている記述によると、この時のクソガキが、聖女であるシャロが着ている真っ白な法衣を、自分の血と尿で穢したことに仄かな興奮を覚えたと記録されているが、それは事実ではない。
この時のクソガキは拷問によって脳がバグっていたのだ。
そのような事実はない。
しかし、現金なもので。
今こうして俺が喋っていることからわかる通り、俺はこのイカレた催しで死ぬことはなかった。
この件で俺の痛みや恐怖に対する感覚は麻痺してしまったようにこの場では見えるが、後日に身体が回復したらやはりそれらは恐ろしく感じる。
この日はあともう少しで終わるはずだが、これらの行いはセラスフィリアが無駄だと判断するまで連日繰り返された。
この実験での教訓としては、フィクション小説に等しい歴史の記述など当にはならないといったところだろうか。
だが――
認めたくはないが、今にしてみればの話だが――
今の俺はこの実験が全く意味がなかったかというと、そうとも限らないと評価している。
甘ったれのガキを地獄に叩き落として現実を教えるのにはとても有効だったと思うし、実際的な効果としても、ちょっと戦闘で傷を負ったくらいじゃビビらなくなった。
この時までは剣の訓練をすれば、ビビッて目を閉じて相手の剣を受け止めることも出来なかったが、これ以降は斬られたらどれだけ痛いかをよく知ったので、真面目に防御をするようにもなった。
この時間よりもかなり先では、敵に捕まって拷問を受けることも何度かあったが、正直この女に比べればぬるいと――もっと真面目にやれとさえ感じるくらいだった。
この女はイカレてはいるが、恐ろしいほどに頭がよく、目的を達成するための手腕は認めざるをえない。
なんにせよ、この瞬間に、この女が俺の支配者となった。
夢はまだ終わらない――
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