1章63 『母を探す迷い子』 ③


「――オイ! どうしたんだよ七海っ……⁉」



 昼食中に突然慌てた様子で食堂を飛び出して行った希咲 七海きさき ななみ蛭子 蛮ひるこ ばんは追った。


 彼女に少し遅れて、彼女に割り当てられた部屋へ入る。


 すると、そこでは床にペタンと座った希咲が、旅行バッグの中身をこねくり回していた。



「なにやってんだ……?」


「帰るっ!」


「は?」



 答えになっていないようでなっている彼女の返事に蛭子は目を丸くした。



「帰るって、オマエ……」


「あたし今から美景に戻るから……っ!」



 バッグの中へ必要な物を詰め込み、不必要な物を外へ放り投げる。その姿から非常に差し迫った様子が伝わってくる。


 そんな彼女の勢いに圧された蛭子が立ち尽くしていると――



「――んもぅ、突然どうしたんです? 七海ちゃん」



 遅れて紅月 望莱あかつき みらいも部屋にやってきた。


 ただし彼女は自力で走ってきたわけではないようで、天津 真刀錵あまつ まどかにオンブされていた。



「みらい! 愛苗が……っ!」


「ふむ……、ありがとうございます、真刀錵ちゃん」


「うむ」



 希咲の端的な訴えに少し思考を巡らせた望莱は、天津に目配せをして背中から下ろしてもらう。


 そして彼女らしからぬ乱雑な荷造りをする希咲の方へ近づいて行った。



「落ち着いてください。水無瀬先輩がどうしましたか?」


「これ……っ!」



 希咲は手に持っていた服を放り捨てると望莱へスマホを差し出した。


 希咲の手を離れた衣類が蛭子の足元近くに落ちる。



 蛭子くんはそれを拾ってあげようと考えたが、少し上体を屈めようとした時にその衣類が水着であったことに気が付き、スッと眼を逸らして知らんぷりをした。


 すると、代わりにその水着を天津が回収する。


 その際にギロリと天津に睨まれ、蛭子くんはとても理不尽さを感じたが、現在そういう空気ではなかったために悔しげに口を噤んだ。



 そんな彼らを置いて、望莱は不可解そうに眉を寄せる。



「なんです……、これ? 見たことないです」


「急に愛苗にメッセ送れなくなっちゃったの……!」



 希咲と望莱が言及しているのは、先程の『送信エラー』についてだ。



 望莱はチャット欄に表示されている相手のアカウント名に目線を遣る。


『@_manamin_o^._.^o_nna73』



「垢が消えてるんならここの名前も消えるはずなんですけどね……」


「送信したらこのエラーが出て……」


「ちょっと待ってくださいね……」



 断りを入れながら望莱は自分のスマホを取り出す。


 そして希咲のスマホに表示されている水無瀬の“edge”のアカウント名を検索にかける。



「……検索に出てきませんね。アカウントが消えているのは事実。そういうことになりますが……」


「そんな……っ⁉」


「……でも、そうだとするとおかしい部分も……」



 希咲が絶句する中、望莱は思案する。


 そして検証をするように、自分と希咲のスマホを操作して無作為に選んだ相手に適当なメッセージを送っていき、その送信の結果を確認する。



「なぁ? 水無瀬になんかあったのか?」



 タイミングを見計らっていた蛭子が話に入ってきた。


 望莱は一度希咲の様子をチラリと見てから口を開く。



「……そうですね。おそらく問題です。多分水無瀬先輩の“edge”の垢が消えました」


「なんだそんなことかよ……、とは言えねえよな。今の事態だと」


「そうですね。ただ……」


「あん?」



 望莱は蛭子へ希咲のスマホの画面を見せる。



「消えた垢とのチャットルームはしばらく残りますけど、ここの名前は消えて、アイコン画像ってデフォに戻りますよね? わたしの記憶ではそうだった気がするんです。ここは、女の子に告るたびに垢消し逃亡される蛮くんにプロとしての意見を聞かせて欲しいです」


「そんな経験ねェよ! でも――そうだな……、お前の言ってるヤツで合ってると思うぜ」


「ですよね。でも、水無瀬先輩の垢名で検索すると該当アカウントが出てこないんですよ」


「バグってんじゃねェのか?」


「そう思うじゃないですか? でもこの七海ちゃんのスマホの他のチャット相手は全部普通なんですよ。わたしのアカウントの方も特にこういった異常が出ている相手はなしです」


「ちょっと待て……、あんま相手が多いわけじゃないが……、オレの方も異常はねェな」



 自身のスマホの動作を確認した蛭子の報告を聞き、望莱は天津に顔を向ける。


 天津は無言でコクリと頷き、みらいさんはニコッと笑顔を返した。


 真刀錵さんは電子機器を好まないのだ。



「サーバー側がバグってるのか?」


「水無瀬先輩のアカウントだけ? そうだったとしても今のこのタイミングでは……、それになんで七海ちゃんの端末には……。ローカル側に残ってるキャッシュが表示される……? でもアプリ起動してチャット一覧開いたりチャットルーム開いた時にサーバーと通信するから、そっちのデータに更新されるはずですし……」


「そこまでの話になるとオレにはもうお手上げだな」


「まぁ、考えても仕方がないですね。とにかく新たな異常が起こった――もしくは、元々の異常がさらに大きなものになった。そういうことでしょう」


「……やっぱり帰る!」



 望莱が暫定的な結論を出すと、再起動した希咲は急いで荷造りを再開した。



「――ゴメン。入るよ」



 すると、部屋の入口から声がかかる。



 思わず希咲の手が止まってしまう。


 そしてゆっくりと入り口の方へ振り返った。



「また何か起こった。そうだよね?」


「あたしは……」


「七海を止めに来たわけじゃないよ。だけど僕も一緒に美景に帰る」


「聖人……っ!」



 無意識に希咲の表情が渋面を作る。


 そして相手を――紅月 聖人あかつき まさとを睨みつけた。










 弥堂とメロは住宅街の中を彷徨っていた。



「マナ……、何処に行っちまったんスか……」


「…………」



 項垂れながら歩くネコ妖精の頭部を弥堂は黙って見下ろす。


 その眼に映る色は侮蔑だ。



 あれから『マナの行きそうな場所』というメロの心当たりを連れ廻されたのだが、その成果は全く箸にも棒にもかからないもので、『こいつ本当に役に立たねえな』と見下げ果てた気持ちになっていた。



「今頃どうしてるんスかね……、心配ッス……」


「…………」



 ただ、それでも水無瀬のことを案じている様子は本当のようだ。



「……あいつは何故一人で何処かへ行ったんだろうな?」


「は?」



 ポツリと呟くような弥堂の言葉にメロは目を大きく開いて、まるで信じ難い者を見るような顔をする。



「どうした? 何かおかしなことを言ったか?」

「え? だって、オマエ……」


「なんだ?」

「いや、その……、っ! なんでもねェッス……」


「そうか」



 何かを言いかけてやめた彼女に、さらに何でもない風に世間話をもちかける。



「そもそもの話だが。なんでそんなに心配しているんだ?」

「な、なんでって……、そんなの当たり前だろッス!」


「そうか? 俺はそうは思わないな」

「オマエ……ッ! それはオマエが薄情でアタマがおかしいからッスよ!」


「それは確かによく言われるな。だが、それでも今回のことを一般常識に照らし合わせてみると、やはり大騒ぎをするようなことではないと思うが」

「そんなわけねェだろッス!」



 自分とは違ってまるで危機感のない弥堂の軽い物言いにメロは激昂した。



「どうした? 何を怒っている?」

「怒るに決まってんだろッス! 少しはマナの気持ちを考えろよ!」


「どういう意味だ?」

「どういうって……、ホンキで言ってんのか⁉」


「極めて本気だが。いまいち噛み合わないな。少しお互いの認識を確認したいんだが、いいか?」

「なんッスか⁉」



 睨みつけてくるメロとは対照的に弥堂はジロリと冷静に見下ろす。



「今回の件だが、仮に『水無瀬の失踪』としておこうか」

「仮じゃねェだろ!」


「そうか? ところで、オマエたちは毎日下校の際に待ち合わせでもしているのか?」

「そうッスよ。愛苗の帰りに合わせてジブンが学校の外で待ってて、合流してから魔法少女のパトロールッス」


「あいつはそれなりの頻度で希咲と一緒に下校をしているが、その時は?」

「はぁ? 予めそういう予定がわかってれば自宅待機ッス。突然そうなった時は、ナナミと一緒に出てくるのが見えたらジブンはお散歩して後で合流することになってるッス」


「そうか」

「そんなこと聞いてどうするんッスか」


「今日は希咲が居ないから学園の外で落ち合う手筈だった。そうだな?」

「そうッスよ!」


「オマエが遅刻したということは?」

「してねェッス! 早めに来て待ってたッス!」


「へぇ」

「だからなんなんッスか! 何が言いたいんッスか⁉」



 苛立つメロに、あくまで気のない素振りで弥堂は答える。



「俺の認識では、今日起きたことは学校が終わり下校した水無瀬が、お前との合流を待たずに一人で帰っただけ――そんな認識なんだが、これは正確か?」

「はぁ? そんなワケ――」


「――そんなワケ、なんだ?」

「えっ?」


「そんなワケ、あるのか? ないのか? どっちだ?」

「え……、そんなワケ……、あるッス……」


「そうか。ところで自宅は?」

「家は……、居ないッス……」


「何故それがわかる?」

「……さっき、事故現場で川向うを探ったから……」


「そうか。それは便利なチカラだな」

「…………」



 目を逸らすメロを弥堂はジッと視続ける。



「下校の待ち合わせに来なかった。まず考えるべきは先に一人で帰宅した。帰宅していないのなら次の可能性は街を一人で歩いている。その可能性が高い。そうだな?」

「……そうッス」


「だが、それもおかしいな。あいつはもう高校生だぞ? 幼稚園児や低学年の小学生が一人で街に出てしまったのなら話はわかるが。高校生が日中に街を一人歩きしていても別におかしなことではない。違うか?」

「そ、それは……」


「だから、俺は一般常識で考えても、お前がそんなに焦って心配しているのが理解出来ないと言ったんだ。何かおかしいか?」

「お、おかしく……っ――」


「――あぁ、そういえば」



 弥堂の言葉を認めようしていたメロの発言を遮って、弥堂は何かを思い出したように手を打った。


 ビクっとメロが肩を揺らす。



「そういえば忘れていたな」

「え……?」


「今日から街に『外出禁止令』が出されたんだった」

「あ……」


「今朝に急に言われたことだったから、そのことがきちんと頭に入っていなかった。これのせいで授業も緊急で午前で終了することになったしな」

「そ、そうッスね」


「街に猛獣が出没している可能性があるそうだ。確かにこの事態下ならば、か弱い女子高生の一人歩きを心配するのも当然のことだ。そうだな?」

「そ、そうッス……! だから――」


「だが――」



 今度は同調しようとする彼女の言葉を遮った。



「――あいつは魔法少女だ。たかだか猛獣ごときにどうにかなるわけがない。違うか?」

「え、えっと、それは……」


「本当に猛獣などがいるのかも疑わしいがな。お前はどう思う? そういったものの気配を察知したりは出来ないのか?」

「いや……、わかんねェッスけど……」


「そうか。わからないものは仕方がないな」

「…………」


「ただ、そんなものの存在は関係なく、彼女が一人でゴミクズーのパトロールをしていたとしても、そこまで心配するほどか? なにせ彼女は強い。そうだろ?」

「それは……」


「よほど運が悪くなければ彼女は負けない。それに強敵という部類になる幹部……、だったか? あいつ何て言ったけか? ほら、昨日無様にくたばったあのカスいただろ? 何て名前だったか。何の役に立っていたかわからない、存在する価値のないあのゴミクズのことだ」

「ボラフっスよ!」



 咎めるような目つきで睨むメロの姿を弥堂は何の感情も映さない瞳で見下ろす。



「あぁ、そんな名前だったか。まぁ、死んだ奴の名前などどうでもいい。とにかく強敵も一体始末したわけだ。水無瀬が一人で魔法少女の活動をしていたとしても、そんなに心配をするほどか?」

「そ、そうじゃなくって……、だって……!」


「お前は水無瀬が危機に陥るほどの戦闘が起きると、そう危惧しているのか?」

「それは……、わかんない……ッスけど……。でも、オマエはいつも――」


「――それともなんだ。魔法少女としての戦闘以外にも何か心配事があるのか?」

「えっ……?」


「もしかして俺が知らないだけで、あいつは日常の高校生活に何か問題を抱えているのか?」

「はっ?」


「勉強のことか? それともクラスの人間関係か? そういった問題が何かあるのか?」

「オ、オマエ……、何言って……?」



 弥堂の言葉にメロは唖然としてしまう。



「どうした?」

「どうしたって……」


「俺は何かおかしなことを言ったか?」

「え? いや……、えっ……?」



 同じものを見ているはずなのに、一緒に居る者の認知が自分とまるで違う。


 今メロにはそういう種類の困惑があった。



「だ、だって……、マナは……」

「ん? なんだ? 水無瀬が、どうした?」


「マ、マナは……」

「ずっと違和感を感じていたんだ。お前の慌てように。たかだか待ち合わせに失敗しただけのことなのに。まるで――」



 弥堂はジッとメロを視続ける。



「――まるで、何かがあって、あいつが学園を飛び出したかのような。お前の様子から俺はそんな想像をしてしまったんだが、どうなんだ?」

「あっ……、うぅ……っ……」



 言葉に詰まるメロの姿を眼に映す。


 その奥底の魂の揺らぎさえも一切見逃さぬように。



 数秒、無言のままで向かい合う。


 自然と歩む足は止まってしまっていた。



「……ジ、ジブンは――」

「――あぁ、そうか」



 やがて、メロが何かを話し出そうとしたタイミングで、弥堂はまた手を打ち合わせてその言葉を止める。


 メロはまた肩を跳ねさせ、体毛が逆立った。



「もしかして。俺の勘違いだったら後で水無瀬に謝罪をしなければならないが……」

「な、なんッスか……?」


「お前もしかして、水無瀬から事情を聞いているのか?」

「え……?」


「あいつのクラスでの現状だ。クラスの中で水無瀬のことを忘れてしまう人間が次々に出ている。そんな事情をお前は聞いているのか?」

「そ、それは……」


「もしも水無瀬がお前にそれを話していないのなら、俺がここで勝手に喋るわけにはいかないからここまでしらばっくれていたんだが……」

「あっ……、ジブンは……」


「だが、お前の様子を見るに、事情を知っているのではと思ったんだ。今日クラスの奴ら全員が完全に水無瀬のことがわからなくなってしまった。それにショックを受けたあいつは教室を飛び出した。お前が事情を知っていたのなら、待ち合わせに来ない彼女をひどく心配するのも当然のことだなと思ったんだ。どうなんだ?」

「あ、あぁ……、そうッス! ジブン、学校で何が起きてるかマナから聞いてて……、それで……!」


「そうか。それなら納得だ。道理で話が噛み合わないと思っていたんだ。誤解が解消できてよかった。やはりお互いに認識を共有することはとても大事なことだな。お前もそうは思わんか?」

「あ……、うん、えっと……、思うッス……」



 話の噛み合わなさに気味の悪さを感じていたメロも安堵したような様子を見せた。


 ホッと息を吐こうとしたタイミングに合わせて弥堂はまた言葉を投げつける。



「ところで、意外だな」

「え?」


「俺は水無瀬は絶対にお前にクラスでのことを言っていないと思っていたんだ」

「な、なんでッスか……?」


「いや、あいつの性格上、心配をかけることを嫌ってお前だけでなくきっと両親にも話していないんだろうなと予想していたんだ。ちゃんと伝えていたんだな」

「あ、あぁ……、うん……」


「そうか、それはよかった。という訳で、以上の理由から俺も水無瀬の事情を知らないフリをしていたんだ。もしも隠していたのなら彼女に悪いからな。おかげでお前には不信感を与えてしまっただろう。悪かったな、許してくれ」

「い、いや……、べつに……」


「ちなみに。お前は水無瀬の『人から忘れられる』という問題をどう考えているんだ? ただの人間に過ぎない俺には皆目見当がつかないんだが、お前は何か知らないか? 妖精の知恵を是非貸してくれ」

「あ、あの……、ジブンにも、なにがなんだか……」


「そうか。お前にもわからないのか。それは困ったな。彼女のことがとても心配だ」

「…………」



 俯いて黙ってしまったメロを置いて弥堂は歩き出す。


 数歩進んで振り返らずに彼女へ声をかける。



「どうした? 行くぞ。早く水無瀬を見つけてやらないとな」

「あ、うん……」


「きっと今、彼女はとても心細い思いをしているだろう。俺まで心が痛むよ。お前もそう思わないか?」

「オ、オマエ……」


「まるでナニか大きな存在、大きなチカラ、得体のしれないモノが、彼女一人をこの『世界』で孤立させようとしているような――そんな大いなる流れがあるように錯覚してしまうな。お前もそう思わないか?」

「……しょ、少年は――」


「――待て」



 また弥堂はメロの返事を遮る。


 だが、今回はさっきまでと違い、弥堂自身も警戒を浮かべていた。



「ど、どうしたんッスか?」

「しっ、喋るな」



 弥堂は前方を鋭い眼つきで睨んでいる。


 その視線の先にはひとつの人影があった。



「いいか? 道の端に寄って下を向いて歩け」

「えっ? えっ……?」


「さっさとしろ。絶対に目を合わせるなよ。態度に不自然さも出すな。ただ黙ってやり過ごせよ」

「な、なにを……」



 戸惑うメロに多くは説明せず、弥堂自身も前方からこちらへ歩いてくる人間とは逆の道端に寄る。


 そして慎重に前進を開始した。



 メロには何が何だかわからないが、彼がこんなに警戒を露わにする姿を見たことがなかったので、大人しくその後に続いた。

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