1章59 『最期の夜』 ⑩
通話を切ってすぐにスマホを操作する。
マナーモードへの変更が完了するのとほぼ同時に、俺の手の中のスマホが振動を開始した。
画面ではなく周囲に眼を遣る。
さっきまで目の前に居た女児はもう姿が視えない。
煩く震えるスマホの振動を抑え込むように、それを掴んだ手に僅かに力が入った。
細く息を吐き出しながら神経を通わせ、懐の中のアンプルケースを確かめながら周囲へ注意を張り巡らせる。
ここにはもう誰も居なかった。
(チッ――)
心中で舌を打ち俺は歩き出す。
右手にある空き地の入り口を通りすぎてそのまま進んでいく。
震え続けるスマホを胸のポケットに仕舞う。
布地ごしに振動が胸の肌へと伝わってきた。
希咲 七海は何か変わるだろうか。
言うことは殆ど言ったし、そこに嘘は少ない。
この後どうするかは彼女次第だろう。
矮小な存在である俺が、自分よりも格が上の存在である彼女へ「こうすることが正解だ」と偉そうに言えることなどない。
彼女の方が余程上手くやるだろう。
それでもどうにもならないと俺は考えているが、それも所詮俺ごときが考えたことだ。
だが、運が良ければ希咲が水無瀬を救う――そんな未来もあるのかもしれない。
仮にそれが『ある』のならば、彼女らはその結末に『いける』こともあるのだろう。
廻夜部長がそう言っていたのだから、それだけは間違いがない。
この結末がどうなるかについては、俺は全く興味がない。
希咲へ伝えた言葉どおり、恐らく俺自身は近いうちに水無瀬 愛苗という存在を忘れる。
彼女へこう言ったのは嘘ではなく、そしてこれも間違いのない未来だと俺は確信している。
覚えていられないのなら結末を見守ることなど不可能で、覚えていないのなら目の前でその結末が起こったとしても、それをそうだと認知することは出来ない。
人はとかくより良い未来を――と求める。
成長・進化、ハッピーエンドを、時間が進んだ先の『世界』がそう成っているように誰もが求める。
過去の苦難に救いを、現在の努力に報いを。
未来にそれらがないと到底我慢がならない。
仮に未来というものが過去に対する救済なのだとしたら、過去を失ってしまえば現在は別物に変わり果て、そして未来に救われる必要が失くなってしまう。
忘れるということは過去を失うことで、忘れてしまえば現在の自分は別人に為り果て、そして元々在るはずだった未来という可能性は露と消える。
水無瀬 愛苗を忘れることで――
弥堂 優輝という人物は、水無瀬 愛苗と希咲 七海の物語から姿を消すことになる。
そして、希咲 七海という人物は弥堂 優輝の生活の中で関係のないただのクラスメイトに戻る。
昨日までとはまるで世界が変わってしまったかのように。
胸ポケットの中のスマホはまだ震え続けている。
その振動がこの胸を震わせていた。
水無瀬自身はどう考えているのだろうか。
何も考えていないわけはないだろう。
何も気づいていないこともないはず。
初めて魔法少女である彼女に出遭った時、彼女は俺に口止めを頼んできた。
魔法少女のことを秘密にして欲しいと。
だが、今日の彼女は、不良たちに対してそれをしなかった。
しようとして、止めた。
そして『忘れないからな』と、掛けられたその言葉にただ笑った。
冗談めかして曖昧に愛想笑いをし、寂しげにはにかんだ。
水無瀬 愛苗という少女は、そんな笑い方をする人物ではない。
だから、そういうことなのだろう。
俺がどうせそうなると考えているように、希咲がどうせそうなってしまうと思ってしまったように、水無瀬も同じ未来を思い浮かべているのだろう。
彼女は今度どうしていくつもりなのだろうか。
俺にとっては一週間ほど、水無瀬にとってはどれくらいか。
ともかく今日、彼女は悪の幹部であるボラフとの決着をつけた。
魔法少女と闇の秘密結社とやらの戦いは、ひとまずの一段落をつけたことになる。
しかし、闇の秘密結社はまだまだ健在で、ゴミクズーは今後もいくらでも湧いて出てくることだろう。
彼女の戦いはなにも終わってはいない。
これからもこれを続けていくつもりなのだろうか。
いつまで続けるつもりなのだろうか。
戦いには、終わりなどない。
これだけは俺も知っている。
終わる時があるとすれば、水無瀬が負けて死ぬか、相手を滅ぼし尽くすかのどちらかだ。
彼女はどうしていくつもりなのだろう。
日々戦い、その度に強くなり。
魂の強度を高め、輝きを強め。
どう為るつもりなのだろうか。
彼女は日々、変わり続けている。
路地裏での戦いの後、表通りまで彼女と歩きながらそんなことを考えた。
一つも彼女へ問うことなく、一緒に歩いた。
結局、意味がないなと、考えるのをやめた。
考えたところで、聞いたところで、どうせ俺は水無瀬 愛苗を忘れてしまう。
何日か後の水無瀬 愛苗を見ても、今日見た水無瀬 愛苗と同じだとは思わなくなる。
彼女の生末を知ることはないだろう。
知らない、記憶にない、それは俺の世界には無い。
水無瀬が存在することで、希咲の世界が、俺の世界が変わった。
ならば、水無瀬が変わることで、希咲の世界が、俺の世界が、やはりまた変わるのだろう。
そこまで考えてふと今思いついたが、俺と希咲との関係は水無瀬が居ることで出来たものであり、水無瀬が居るからこそ続くものだ。
ほんの一週間程度のものだが、他の人間に比べれば彼女との関わりは強いものとなり、他の人間よりも彼女へ強い印象を持っている。
俺が水無瀬を忘れたらその関係はどうなるのだろうか。
この一週間の彼女に関する記憶はどうなるのだろうか。
水無瀬同様に全く何もかも消えてしまうのか。
それとも、他のクラスメイトたちのように、全く他の代替品にこじつけられて、完全に別物の記憶に為り変わってしまうのだろうか。
それには少し興味を感じたが、しかし数日後の俺は、今日の俺とは違う認知で『世界』を視ることになる。
現在との差異を知ることがなければ、やはり考えても無駄なことなのだろう。
記憶は
それに変更が加えられるということは、俺という存在の根幹にある魂が変貌することになる。
その魂が変わり果てた自我で映す世界は全くの別世界だ。
それは『世界』が変わることに等しいのではないか。
(『世界』は変わらない)
首を振って自答する。
それだけは間違いのないことで、結局はいい加減な俺たちの気分が変わるだけの出来事に過ぎない。
暗い道を歩く。
どの未来にも繋がっていない
背筋を伸ばして、胸を反って、夜空を見上げた。
そこに瞬くのは過去の光。
明日は変わる過去の輝き。
ポケットの中で未だに震え続ける物がある。
布地ごしにそれは俺の胸を震わせ続けている。
肌を、肉を、骨を震わせ。
だけど、その奥までは届かない。
心までは震えない。
魂は運動しない。
カツカツと、薄暗いビルとビルの間の道で靴底がアスファルトを叩く。
スケボー通りからさらに中に入った狭い路地裏。
街灯のないその道は限りなく闇に近く、その中で光沢のあるスーツ素材が薄い月明りを時折反射させた。
綺麗な銀色の髪は不自然に光を映さない。
ドレスコードのない無法地帯にタキシードのようなスーツで訪れたのは、闇の秘密結社の幹部であるアスだ。
彼は脇目を向けずに真っ直ぐと歩き、ある地点で立ち止まった。
顔に付けた
ここは彼の部下であるボラフが最後に戦っていた場所で、彼が張り付いていた壁だ。
「――まったく、アナタは最期まで不出来な部下でしたね……」
ポツリと呟く。
「しかし、遂に花は開いた。半分は任務を達成してくれたことになる。退職をしたモノに今更指導をしても仕方がないですし、アナタにしては上出来だと評価するべきなのかもしれませんね」
表情は動かさず、目線は壁から動かさず、独り言ちるようにそこまでを伝えてから目を伏せた。
「……まぁ、アナタにとってはここで舞台を降りた方が幸せだったかもしれませんね。ここからのことは耐えられないでしょう」
シルクハットの中に手を入れ、その手を抜きとると同時に目を開ける。
「これは
腰を折って壁際に一本の試験管を立てる。
事故現場に献花するように。
歩き出しながらシルクハットを被り直し、唾を目深に傾ける。
「さぁ、開幕です――」
少し進んでその姿は街灯の中に消えた。
せんせいがないてた。
でも、ありがとうっていった。
おねえさんたちもないてた。
でも、ありがとうっていった。
おとうさんもおかあさんもないてた。
でも、ありがとうっていってくれた。
めろちゃんもないてた。
でも、ごめんねっていわれた。
せかいはおわったのに
なにがなんだかわからなくて、わたしもないた
みんなが、よかったねっていった
だからきっと、よかったんだとおもった
だからわたしはうれしくなった
ぽろぽろでちゃう、なみだでいっぱいで
でんきのひかりとまざって、おはながさいたみたい
せかいがかわった
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