1章59 『最期の夜』 ⑧


 夜の道端で、スマホ越しに見つめ合っていた弥堂と希咲はやがて眼と目で意思を疎通し、お互いに『なかったことにする』ことで同意した。



『――ということで本題よ!』



 気持ちと表情を入れ替えてビシッと宣言する希咲へ、弥堂は何ともつまらなそうな眼を向けた。



「どうせ水無瀬のことだろ」

『は? なにその言い方。どうせとか言わないで』


「おい」

『あっ――』



 ノリの悪い弥堂の口ぶりに希咲がまた眦を上げるが、弥堂に窘められるとお口を押えてハッとした。



『またやっちゃうとこだったわ……。『諦めタイム』よね?』

「そうだ」



 先週、希咲がまだ旅行へ出発する前の放課後、学園の正門前で同じように口論になった際に二人の間で定められた取り決めだ。



『いちいち怒って言い合いしてたらキリがないから、今日は一旦ガマン……。もしも次に会った時に覚えてたら……』

「その時に改めて、ということだな。覚えていたら、の話だが」



 お互いに相性が最悪だと自覚のある二人は、お互いの所作の一つ、言葉尻の一つのどれをとっても鼻につき癪に障る。


 しかし、争点がこの上なくどうでもいいことであることもお互いに自覚がある。なので、怒りの解消は時間の経過に任せて、この場での言及はお互いに控えようという約定だ。


 つまり、『諦めタイム』とは、問題を解決することを諦めようという解決方法になる。



『でもさ、あんたって記憶力いいから忘れないんでしょ?』

「あ?」


『後になってあたしは忘れちゃっても、あんたは覚えてるから、そん時はあんただけ文句言ってくることになるじゃん。ずるくない?』

「ずるくない」


『ずるい』

「うるせえな。お前がこうしてつっかかってこなければ、俺の方からいちいちお前なんぞに話しかけようとはしない」


『はぁ? うそばっか』

「嘘じゃねえよ。俺からお前に話しかけたことなんかねえだろ」


『あるし』

「ねえよ」


『今朝のこともう忘れたわけ? バカなんじゃないの?』

「あれは水無瀬が電話かけたんだろうが」


『あんたが掛けさせたって言ってたじゃん。どこが記憶力いいのよ。今朝のことも覚えてらんないくせに』

「チッ」



『諦めタイム』のはずが希咲に言いがかりをつけられ、弥堂はそれをのらりくらりと躱すつもりだったが、あっという間に揚げ足をとられる。


 途端に苛立ちが溢れてきた。



『言ってたよねぇ~? 『急に七海ちゃんとお喋りしたくなっちゃった』ってぇ。もぉー、ちょーかわいーんだけどぉ。そんなにあたしのこと好きなのぉ? なんかぁー? あたし嬉しすぎてゾクゾクしちゃってー、マジ鳥肌止まんなかったしー』

「好きなわけねえだろ。お前のことなんか――」


『――なんか?』

「…………」


『なんか、なに? あたしのことなんかぁ、なぁに? 言いなよー』

「……別に。いい」


『えー? やだやだききたぁい。ゆってよぉー。ねーえ? おねがーい。あたしだけにぃ、きかせて……? ねっ?』

「こ、こいつ……っ」



 完璧に取り繕った表情でコテンと首を傾げた希咲がブリッ子仕草で煽ってくる。


 彼女の思惑を弥堂は正確に理解している。


 こちらを怒らせて決定的な罵倒・悪口を引き出そうとしているのだ。



 ギリっと歯を軋ませてからフゥーっと深く息を吐き出す。


 どうにか堪えることに成功した。


 その様子に画面の中の希咲がコロッと表情を崩して『チッ』と口惜し気に舌打ちをする。



「そうだな。確かに俺の方からキミに話しかけていた。間違いを訂正しよう」

『あっそ』


「しかし、これもキミの言うとおりで『俺は記憶力がよくない』」

『は?』


「だから先程キミが懸念していた『俺だけが怒りを覚えていて、後日一方的にキミにそれをぶつけてくる』、これは失当ということになるな」

『えっ? あっ――⁉』


「さすがだな。キミはとても賢い。俺なんかの出る幕もなく、自分で感じた疑問にあっという間に自分で答えを出してしまうんだからな。ということで、さっきキミが言った件は“そういうこと”でいいな?」

『ぐっ、ぐぬぬ……』


「まったく、キミは本当に素晴らしいな。俺は賢い女性が大好きなんだ。キミのことをとてもリスペクトしてるよ」

『な、なにがリスペクトだ……! あんたホント――』


「――なんだ?」

『くっ……』


「ホント、なんだ? 俺がホント、なんだって? ぜひ聞きたいな。その可愛い声で聞かせてくれよ」

『だ、誰が……っ』


「言えよ。その先を」

『す、好きよ……! あたしー、ほんとー、あんたがだいすきーって言おうとしたのー。あぁー、ホントもうマジで好き。好きすぎて震えてきちゃう。もぉー、こんなに好きにさせてぇ、どうしてくれるのかしらぁー? ホントマジで』


「アァ?」



 表情だけはパーフェクトスマイルで、しかしその目には溢れんばかりの殺意をこめて希咲がギロリと睨んでくる。


 学園でも人気の高いギャルJKに好きと言われて弥堂もカッとなり同じような眼を返す。



 希咲がそうしたように弥堂も彼女から決定的な罵詈雑言を引き出そうとする。


 罵り合ってばかりではまともに話すことも出来ないから、その為の『諦めタイム』のはずだった。


 しかしそれはいつの間にか『先に相手をキレさせたら勝ち』という勝負にすり替わっていた。



 特に申しわせたわけでもなくゲーム性が変わったことを共通認識とした二人は、なおも相手を傷つける為に愛の言葉で罵り合う。



『あーん、もうどうしよー。すきすき、だいすき。すきがとまんないのー』

「あぁ、俺もすきだよ。この世で一番」


『ねぇー、あたしもうがまんできなーい。はやくあいたいよぉー』

「俺も同じ気持ちだよ。あと一週間以上あるのか? 苦しいよ。待ち遠しいな。本当に」


『えぇー? やだやだー。一週間なんてむりぃー。すきぴにすきみがすぎてすぐにでも会いたいのー。明日にでも。この気持ちを忘れちゃう前に』

「嬉しいよ。俺もキミがすきだから」



 会話の字面と雰囲気は和やか且つ情熱的に。


 ガンギマリの目線にだけ怨嗟をこめる。


 “好き”という言葉に憎悪をのせて。



『えー? 絶対あたしの方がすきだしー』

「俺の方がすきだ。なにせ、明日とは言わず、今この瞬間にでもキミに会いたいと思っているからな。この気持ちがほんの少しでも醒めてしまう前に」


『えー? なになにー? そんなにあたしに会いたいのー? うれしいけどー、そこまでガッつかれるとちょっとコワイってゆーかー? 会ってどーするのー?』

「あぁ、もちろん、ここでは言葉に仕切れない、この胸の裡を全てぶちまけるつもりだ。受け止めてくれるだろ?」


『えー? うれしー。でもでもー。その前にー。顏見たらうれしすぎてー、あたし飛びついちゃうかもー? でもぉ、つい、うっかり、ヒザからいっちゃうかもだけどー。もちろん、あんたも、ちゃんと受け止めてくれるわよねー?』

「当然だろ。それくらいは男の甲斐性だ。なにより、だいすきなキミに怪我をさせるわけにはいかないからな。しっかりと全力で抱きとめるよ。ただ、感激しすぎて、つい、うっかり、力が入り過ぎて、その細い腰がヘシ折れるくらい抱きしめてしまうかもな」


『えーん、そんなのやーだー。あたしこんなにすきなんだよー? ちゃんと大事にしてほしーなー。ね? おねがい。いたくしないで?』

「俺もキミを傷つけたくないが、どうにも抑えられる自信がない。だから優しくできないかもしれない。許してくれ。狂っちまうくらいにお前がすきなんだ」


『うふふ……』

「ククク……」



 もはや表情も取り繕うことなく、電波にのせた殺意をお互いに送受信する。



 しばらく無言で睨み合い、そしてほぼ同時に二人ともスンっと表情を落とす。



『もう、いい加減にしとこっか……』

「そうだな……」



 いつも通りの不機嫌顔に戻った希咲が提案すると、いつも通りの無表情に戻った弥堂が了承した。



『ふぅ』と息を吐いて希咲は切り替える。



『んで、愛苗は? どうだった?』


「随分とざっくりと聞くな……」



 若干の呆れを見せつつ、弥堂は考える。


 答えるのが簡単なようでいて、難しい。



 起きたことをそのまま説明するにも、それにはいくつもの前提をクリアしなければならない。



 まず、水無瀬に纏わること。日常では起こり得ない、現実的とはとても呼べない物事。それを希咲が受け入れられるという前提。



 そして、恐らく希咲自身がそっち側であろうという前提。



 さらに、希咲が“そう”であることに、弥堂が気が付いているという前提。



 故に、弥堂自身にそっち側の知識があるということを希咲に知られる前提。



 必然的に、弥堂が“そう”であることに、希咲が気が付いている前提。



 最低でもこれらの前提がクリアされていないと、出来事だけの説明だけでは済まない。



 なにより、弥堂も希咲も、今朝の通話で『お互いがお互いのことに気が付いていない』というフリをしてしまった。


 申し合わせた訳ではないが、こういった前提を二人で作ってしまった。



『水無瀬 愛苗に異常がないか』との問いへの答えは簡単に答えるなら、『あると言えばある、ないと言えばない』になる。


 水無瀬自身が異常な存在なのだ。



 なので、そういった不可思議な物事に関することを何も知らなければ全てが異常となる。


 逆に全てを知った上でなら、異常なのが平常なので特に異常はないと、そう答えることも出来てしまう。



 なので、弥堂と希咲との間の前提に従うのなら、真実は前者だが前提がある為に『なにもない』と答えなければならない。


 そして、前提を壊すのならば、答えは後者だが『何もかもが異常』だと真実を伝えなければならない。



 ある意味投げやりにも聴こえるシンプルで雑な希咲の問いは、非常にややこしい問題となっていた。



『……あによ? そんなに難しいこと聞いてないでしょ?』

「まぁ、そうだな……」


『なんで考え込んでんのよ。クラスのみんなは? あれからどうだった?』

「あぁ、それなら、昼になる頃には元通りだ」


『元って?』

「お前とビデオ通話する前の状態という意味だ。水無瀬の存在など忘れてしまったかのようになっていた」


『そっか……』



 画面の中の表情が曇る。


 その顔を見てまた苛立ちが湧いてきた。



『他にはなんかなかった?』

「……他と言われてもな」


『あるでしょ』

「なんのことだ?」



 何か確信めいたものを含んだ希咲の物言いに弥堂は眉を顰める。



『あんたの友達紹介してもらって仲良くなったって、愛苗がメッセで言ってたから』

「……あぁ。あれか。既に本人から聞いていることを何故わざわざ俺に聞く? 尋問めいた真似をするな」


『そういうつもりじゃないけど、気になったのよ』

「なにが」


『や。だってあんたに友達がいたって、これ超ビックリニュースじゃん』

「…………」


 別に友達がいないことを気にしたことは一度もないが、目を丸くして本当に驚いた様子を見せる彼女の仕草に、弥堂は酷く屈辱を感じた。



「別に友達じゃない」

『は? じゃあなんなの?』


「……ビジネス上の付き合いだ」

『なにそれ。またヘンなこと言って誤魔化そうとして』


「誤魔化してない」

『じゃあ誰を紹介したのよ』


「別に紹介したわけじゃないが、水無瀬が言っているのはただのヤンキーだ」

『はっ⁉』



 画面の中で希咲のサイドテールがぴゃーっと跳ねる。


 弥堂はそれを目線で追ってから彼女の瞳に視点を戻した。



『あんた、ヤンキーってなによ⁉』

「ヤンキーはヤンキーだ。学園の不良だよ」


『なんでそんなのと愛苗を会わせてんのよ!』

「会わせたわけじゃない。俺がそいつらに会いに行くのに水無瀬が勝手に付いてきて、勝手に仲良くなったんだ」


『な、なかよくって……』

「お互いに友達だと言いあってたぞ」


『う、うぅ……、そうだとすると、関わっちゃダメって言いづらい……』

「別に問題ないだろ」


『なんでよ。だって不良なんでしょ? なにかあってからじゃ遅いじゃん。もっと真剣に考えてよ!』

「母ちゃんかお前は……」


『茶化さないで! マジメに言ってんの!』

「別に茶化したわけじゃないんだが……。というか、俺はそういう意味で問題がないと言ったわけじゃない」


『ん? どういう意味?』



 怪訝そうな顔をする希咲に、弥堂は変わらず無表情で何でもないことのように告げる。



「どうせ忘れる」


『え?』



 呆ける彼女に手心は加えない。



「明日になればどうせ水無瀬のことなど忘れる」


『な、なんで、そんな言い方……』



 またも曇ってしまった彼女の顔にまた苛立ちは感じるも、心までは動かない。



「言い繕うことに意味があるのか」

『それは……』


「本気で水無瀬のことをどうにかするなら、避けられないだろ。違うのか?」

『…………』


(きっと――)



 それは希咲にもわかっていることだろう。


 賢しい彼女がわかっていないはずがない。



 だが、それに触れ難く、知ることが怖くて、だからどうでもいい話をしてわざと遠回りをしてしまったのだろう。それは無意識のことかもしれない。


 だけど、結局ここに来ることはわかっていて、来なければいけないこともわかっていたはずだ。


 だから――



『……うん。ごめん。あんたが正しい』



 覚悟を決めて真剣な目を向け直してきた。



「…………」



 弥堂はやはりそれも気に食わない。


 どんな顔をしていても気に障った。



『そうよね。ちゃんと知って。ちゃんとやらなきゃ……。だから聞かせて? ちゃんと聞くから』


「……あいつ本人はなんて言ってた?」


『え?』



 違う話をするように、問いかける。



「メッセージでやりとりをしていたんだろ? 水無瀬本人はなんて言ってたんだ? 今日のことを」

『…………楽しかったって』


「それだけか?」

『うん……。さっきの友達のこととか、飼い猫のこととか、あとあんたのこととか。出来事は話してくれたけど……』


「なるほどな。あいつ自身の感情というか気持ちのようなものは」

『うん。楽しかったってしか。クラスのこと聞いても大丈夫って……』


「…………」



 この一週間ほど、水無瀬と毎日のように放課後を一緒に過ごしてきた弥堂には、それは納得のいく話だった。



(あいつなら、そう言うだろうな)



 だから何も言わなかった。



『絶対そんなわけないのに、どうして言ってくれないんだろ……』


「…………」



 また消沈した顔を見せる希咲に口を開きかけて、そしてやはり何も言わなかった。



『ねぇ? あんたから見てなんかなかった?』

「…………」


『ねぇってば』

「……なんだ?」


『あの子ツラそうにとかしてなかった?』

(してないわけないだろうが)



 声には出さず心中で答える。


 口に出したら彼女を詰ってしまいそうで。



『ねぇっ!』

「……なんだ」


『なんでムシすんの!』

「別に。してない」


『してんじゃん!』

「……うるせえな」


『なんでメンドそうにすんのよ』

「実際面倒くさいんだ。俺だって暇じゃない」


『どうして急にそんな言い方すんのよ!』

「…………」



 声を荒げる希咲に言い返しはせず、ただ溜息を吐く。



 先程までの言い合いとは違う。



 それは希咲にもわかっているようで、彼女は怒っているというより弥堂の変化に動揺して声を荒げてしまったといったところだろう。


 冷静にそれを把握していながら、やはり優しくしてやる気にはなれない。


 ただ彼女の貌に、表情に、それを見ていれば見ているだけ苛立ちが膨らんでいく。



『ねぇ、おねがい。これで最後にするから』


「嘘だな」



 反射で彼女の言葉を否定してしまう。



『ウソじゃない。あんたと一緒にしないで』


「いいや。嘘じゃなくても、それはどうせ嘘になる」


『えっ? ど、どういう意味……?』



 またも溜息を漏らしてからその問いに答える。



「たとえ今、嘘のつもりで『最期』と言っていなくても、必要があればお前はそれを破るだろう?」

『そ、そんなこと……』


「むしろ、お前の目的を考えればそれは破らなければならない。何故ならお前にとって、俺との約束よりも水無瀬の方が優先順位が上だからだ」

『そ、それは……、そうかも……、だけど――』


「――別に責めているわけではない。そうするべきだと言っているんだ。だから『嘘』なんだ。ここで『嘘』を吐くことがお前にとって『誠実』な行動で、水無瀬に対して『誠実』な行動だ。違うか?」

『で、でも……』



 希咲は言い返すことが出来ない。


 嘘を吐くことが誠実さである。


 無茶苦茶に聞こえる弥堂の言葉の、その意味が彼女にもよくわかっているからだ。



 言葉に詰まり黙り込む。


 泣き出す寸前のようにも見える彼女の顔に、やはり弥堂は苛立つ。


 そしてその苛立ちはそろそろ決壊してしまいそうだと自覚した。



 苛立ちの原因はいくつか自分でもわかっている。



 希咲の言っていること、やっていること。


 それがとても非効率だからだ。



 そして同時に。


 弥堂自身の言っていること、やっていること。


 彼女に対してひどく曖昧で中途半端なことをしている自分自身の非効率な行動に激しく苛立っていた。




 希咲 七海が今一番やらなくてはいけないこと、それは今すぐに水無瀬 愛苗に自分のことを何もかも打ち明けて、その上で彼女から事情を聞き出すことだ。



「何故水無瀬がお前に何も言わないのか、わかるか?」


『えっ……?』



 そして、水無瀬の方から希咲に言うことはない。


 何故なら彼女は希咲 七海を普通の女の子だと思っている。


 だから魔法だの魔法少女だのゴミクズーだの、人々が自分のことを忘れてしまうなどと。


 そんな不可思議で意味のわからない事情を打ち明けたりなどしない。



 そしてなにより。


 それ以上に――



「――その顔」

『かお……?』


「お前のその顔。今の顔」

『な、なに……?』


「あいつはその顔を見たくない」

『え……?』


「いや――」



 言葉が正確でないと感じる。



(――違うか)



 水無瀬 愛苗。



『水のない世界に愛の花を咲かせ――涙を笑顔に変える』



 それが彼女の願いで、それが彼女の魂の根幹で、それが彼女という存在の意味。



 ならば――



「――お前にそんな顔をさせたくない」


『あたし、が……?』



 水無瀬自身が希咲の泣き顔を見たくないのではなく、そもそも彼女に涙を流させたくない。


 だから自分の涙は見せない。


 それを見せたら希咲も泣いてしまうことを知っているから。



 それが正しいかそうでないか、賢いことかそうでないか、それはともかくとして。


 水無瀬 愛苗とはそういう存在で。


 きっと彼女の『魂の設計図アニマグラム』にはそう書かれているのだ。


 だから仕様がない。



 魔法少女である水無瀬 愛苗は、普通の女の子である希咲 七海を、自分の事情に巻き込みたくないと考えていて。


 恐らく普通でない希咲 七海は、普通の女の子である水無瀬 愛苗を、自分らの事情に巻き込めないと考えている。



 お互いにお互いを想い、お互いにお互いを真実から遠ざけてしまっている。



 今回のケースの場合、少なくとも水無瀬が普通でない事態に陥っていることだけは、それをわかっているのは希咲の方だ。


 だから希咲の方から先にアクションを起こす必要と必然がある。



 しかし、彼女が踏み切れないのは、おそらく彼女の周囲にいる幼馴染たちとのしがらみだ。


 だが、事が事になれば、希咲は最終的にはそれすらも打ち捨てるだろう。


 先程話した『弥堂へ「これが最期」と嘘をつくことが、水無瀬への誠実さになる』それと同じように。



 彼女が未だにそうしないのは、きっと水無瀬の抱えるトラブルがどの程度のものなのか判断が出来ていないからだろう。



 そこまで騒ぎ立てるほどのものではないのか。


 あともう少しはこのままでも許容できるものなのか。


 今すぐどうにかしなければ水無瀬が消えて無くなってしまうものなのか。



 それを正確に測りかねて、そしてそれを測るために色々な物や人を利用して、しつこく情報を集めているのだろう。


『どうにか自分が旅行から戻るまで許容範囲で収まるものであってほしい』


 彼女はそう考えているのだろうというのが弥堂の予測だ。



 それは裏返せば、自分が――自分たちが――戻りさえすればどうにか出来る。


 そう考えていることになる。



 彼女や彼女たちがどんな存在なのかは弥堂にはわからないが、おそらく――



(――それは思い上がりだ)



 現実はきっと希咲や、その仲間たちや、そして本人である水無瀬が思っているよりも酷く、そして緊迫したものだ。


 第三者的立場で事態を現場近くで視てきた弥堂には――おそらく弥堂だけにはそれがわかる。



 そして――



 この『弥堂だけがわかっている』


 これが弥堂にとって一番の問題点だった。




 ここまで散々希咲と水無瀬を批判するようなことばかりを脳裏に並べ立ててきたが、現在起きている問題を効率よく解決するには――或いは解決の方向へ進めるには、一番最初にアクションを起こすべきなのは弥堂 優輝なのだ。



 希咲も水無瀬もお互いを普通の女の子だと思っていて、危険に巻き込みたくないから本当のことが言えない。


 だが希咲の視点からは、水無瀬に普通ではないことが起こっていることがわかるので、先に声をかけるべきは希咲の方だ。


 しかし、事情があって彼女もそれに踏み切れない。



 この擦れ違いを解消するには、彼女ら二人の間に立って、どちらの事情もある程度把握している弥堂が、絡まった二人の意図をほどいてあげればいいのだ。



 たったそれだけのことをわかっていながら、そうしようとはせずに全く実質からかけ離れたことばかりを二人に言って、ダラダラと無為に付き合っている。


 その自分自身の非効率さに弥堂は最も苛立ちを感じていた。



 だったら、とっととそうすればいい。


 それだけのことなのだが、しかしそうするだけの理由が足りない。



 だがその上で、仮に、もしもそれをするのならば――



 希咲 七海と水無瀬 愛苗。


 二人の少女に対して説教まがいのことを偉そうに語り、二人を叱りつけ、そして焚きつける。



(ハッ――冗談キツイぜ)



 どんな顔をしてそんなことをしろと言うのだ。


 自分というものをよく知っているからこそ、身の程を弁えているからこそ、そんな恥知らずな真似は到底できないと思った。



(クソッタレの人殺しの分際でよ。ルヴィに笑われちまうぜ)


『まったくだぜ。マジでクソッタレだなテメェはよ。ダセェんだよ』



 緋い髪の女。


 かつての保護者のそんな嘲笑が聴こえる。



『なに日和ってんだよ。さっさと助けてやりゃいいだろ。そんで恩きせて二人まとめて抱いちまえよ。根性ナシな上に玉ナシかよボケが』



 だが、彼女はここには居ない。


 これは自分の精神が生み出した幻覚だ。


 己の抱える感情が自分を詰る言葉を彼女に言わせているのだ。



『オイ、聞こえてんだろクソガキ。シカトこいてんじゃねェよ。ったくテメェはいつまでたっても女が腐ったみてェにウジウジしやがってよ……』



 聴こえた気がするだけのものはただの気のせいだと振り切る。



『顔って……、あたしどんな顔してる……?』

「ブスな顔」


『……ぶすじゃないし』

「そうだな。冗談だ」


『なによ……、もぅ……』

「…………」



 自分の立ち位置を決めなければならない。


 ごく最近にそう考えたばかりなはずなのに、結局それを定めないままここまで来てしまった。



 どこにラインを引いて、それを基準にどこに立つのか、どちら側へ立つのか。



 希咲と水無瀬。


 この二人の少女の最大の不幸は。



 きっと彼女らの間に立ったのが、弥堂 優輝という男であったことだ。



 何者でもなく、何も出来ず、だから何もしない。


 敵でもなく、味方でもなく、境界の上を曖昧にふらつくあやふやな人間以下。


 自分の立ち位置すら自分で定めることの出来ないゴミクズが、フラフラと迷い込んで彼女たちの間に立ってしまったことが、彼女らにとっての不幸だ。



 だが、そんなことはよくあることで、ただ単に――



(運がなかったのさ――)



 たったそれだけのことで。


 何処にでもある、よくある不幸だ。



 いつも通りにそう思って。


 いつも通りにそう片付ける。



 弥堂にとってもやはりただそれだけのことで。


 やはりいつも通りにそう片付けるつもりだった。




 だが――




 じっと、画面の中の彼女の顔を今一度、よく見る。




『……なに?』




 訝し気に瞼を動かしたその顔を眼に映して。



「いや……、そうだな――」



 弥堂は気の迷いを起こすことにした。



 自分が彼女らの橋渡し役となって、彼女らの思い違いや擦れ違いを解消し、事態を解決へと導く。


 もしかしたら、廻夜 朝次が自分へ求めていた役はそういうものだったのかもしれない。


 だが、そんな身の程知らずな真似は早々出来ない。



 だから――



「そうか。これが最後か……」


『えっ……?』



 自分に出来ることで、自分に相応しいことをする。




 現在の状況を好転させるためには、希咲と水無瀬のお互いの事情を共有させることだ。


 しかし、それは彼女たち自身では出来なく、弥堂にも出来ない。



 だが――



(――台無しにすることは出来る)



 彼女たちのお互いを想って行ってきた数々の配慮を。


 弥堂が自身を弁えて行ってきた卑屈で卑劣な配慮を。


 全ての人々が行ってきた配慮をあらゆる積み重ねを。



 その総てを台無しにする。



 それなら弥堂 優輝というゴミクズにも出来ることであるし、そして唯一得意とすることでもある。



「なぁ、希咲」


『な、なに……?』



 その為の言葉を彼女へ無慈悲に告げる。



「これで最期だ」


『えっ?』


「お前との契約はこれで終わり。この夜を以て解消とさせてもらう」


『え? ま、まって……なにを……』


「これで最期だと言ったんだ」



 優しさも思い遣りも配慮も好意も、あらゆるものを――



 台無しにして停滞する現状を混沌カオスへ落とす。



 その結果、もしかしたら最悪の事態に為るかもしれない。


 もしかしたら何かの偶然で事態が好転するかもしれない。



 それぞれが生き残るのはそれぞれの運次第だ。



 水無瀬 愛苗は“神意執行者ディードパニッシャー”だ。


 彼女は『世界』に選ばれ贔屓され優遇される存在だ。


 滅多なことでは彼女単体が滅びるようなことはないだろう。



 さて、それでは――



「希咲 七海。お前は運がいい方か? ちなみに俺は頗る悪い。この上なくクソッタレだ」



 戸惑い呆然とする彼女へ底の無い黒い瞳を冷たく向けた。

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