1章57 『陰を齎す光』 ⑦



「ブハハハハーッ!」



 ネズミさんに乗ったボラフは高笑いをあげながらそこら中を爆走する。


 逃げ惑う人々の間を縫い、時には煽り、そして最終的にヤマトに狙いを定めた。



「――う、うおぉぉぉっ⁉ 来るなァァァッ!」



 顔を引きつらせるヤマトの脇を走り抜けがてら、ボラフは彼を拾い上げて自分の足の間に座らせる。



「ブハハハハハァーーッ!」


「うおぉぉぉッ! 降ろせェェェッ!」



 そして再び通りの中を駆け回る。



 必死に壁際に避難した人々にギリギリ当たらないラインでネズミさんのケツを振り、四足ドリフトでギャラリーの歓声(悲鳴)を湧かせた。



 そうしているうちにネズミさんの運転を誤り、大きく外に膨らみ過ぎて曲がり切れずビルの壁にケツをぶつけてしまう。



「あ、やべ」


「ギャアァァァァァッ⁉」



 お目めをバッテンにしたネズミさんは激しくスピンし、やがて一本の細い路地にフロントから突っ込んでようやく止まる。



「チッ、アンダー出しちまったか……、オレもまだまだだな……」


「お、おろせぇ……」


「いいぜ」


「え?」



 目を回しながら脱出を試みたヤマトが、期待していなかった了承が出たことで戸惑う。


 ボラフは彼の襟首を掴むと狭い路地の中に下ろしてやった。



「このままそっちに逃げちまえよ」


「な、なんのつもりだ……?」


「別に。今テメェが捕まると面倒そうだからな」


「なんだと……?」



 まるで自分たちを知っているかのようなボラフの口ぶりにヤマトは懐疑的な目を向ける。



「……オマエ、なんなんだ……?」


「悪の怪人だよ」


「ふざけんな、そういう――」


「それしか答える気はねェよ。オレもオマエらのことなんか知らねェし。だがオマエが捕まると不都合なヤツがいるみてェでな。こうしろとしか言われてねェ」


「ど、どういうことだ……⁉」


「知らねェって言ってんだろ。いいから行けよ。それともあのキチガイ野郎に差し出されてェのか? アイツはマジで殺るぞ?」


「クソッ……!」



 わけがわからないまま、ヤマトは悔しげに呻くと路地の中へ走り出した。



「……さァて、晩餐はこれで終わりかね」



 走り去るヤマトの背を見ながらポツリと呟き、ボラフはネズミさんの背をポンポンと叩く。



「キュイィィィッ!」



 ネズミさんは彼の意を汲み再び走り出すと、まだ混乱の余韻の残るスケボー通りの中へ戻った。



 そして弥堂の前で停車し、ボラフはマシンから降りる。



「ふぅ……、待たせたなァ?」


「……もう気は済んだのか?」



 この騒ぎが終わった後でも変わらず鋭い眼を向けてくる弥堂に、ボラフは三日月型の両目をニンマリと歪めた。



「おぉ。それなりに満足だ」


「そうか」



 弥堂は半身を向けて再び構えをとる。



 それを受けてボラフも右腕を上げると鎌に変形させ、それを大きく振り下ろそうとしてピタっと止まる。


 それから今更気付いたとばかりにわざとらしく周囲をキョロキョロと見回した。


 右腕を元の形に戻し、パンっと目元を覆った。



「あちゃー……、しまったなぁ……。やっちまったぜェ……」


「……?」



 何か失敗を嘆くような台詞を諳んじる彼に弥堂は眉を寄せる。



「参ったなァ、こんなに目撃者を出しちまった……」


(なんだこいつ……、なにを今更……)


「しかもそろそろ“中”のヤツらも全滅しちまいそうだし、どうしたモンか……」



 指の隙間からジロリと弥堂を見る。



「本当は今日テメェを殺してやろうと思ってたんだが、こんなに人目のある場所じゃ事件になっちまうなぁ。そもそもあの子の前で殺れって命令されてたの忘れてたぜ……」


「…………」


「あーあ……、まーた失敗しちまった……」


「…………」


「こりゃ、ケジメつけねェとなァ……」



 誰に向けてのものかわからない言葉を吐き出し続けるボラフを警戒しながら視ていると、やがて彼は顔を覆っていた手を下ろし弥堂へ顔を向けた。


 二つの目と一つの口。


 たったそれだけのパーツで造られる表情から、弥堂は感じ取るものがあった。



 ボラフは徐に懐から何かを取り出し、それを弥堂へ放る。



 直線軌道で顔の横へ飛んできたそれを弥堂はボラフへ顔を向けたまま左手でキャッチする。


 チラリと横目で手の中の物を確認した。



「――返すぜ」


「…………」


「大したモンじゃねェが、借りは借り……」


「…………」


「借りっぱなしじゃ気持ちワリィからな」


「……そうか」



 弥堂は両腕を下ろし構えを解いてボラフへ背を向ける。


 同時にボラフも踵を返し、ゴミクズーと共に向こうへ歩いて行った。



「え……? あれっ? い、いいのか、ビトーくん……?」



 これから決着をつけるといった雰囲気だったように見えたが、突然戦いを終わらせたことにモっちゃんが戸惑う。



 弥堂は何も答えず、人差し指と中指だけを立てた右手の甲を彼らへ向けた。



 すると、懐から素早く煙草のパックを取り出したタケシ君が中央のラベル部分をトントンと叩き、取りやすいように2本ほど突出させた状態でスッと弥堂の前に差し出す。


 ほぼ同時に、懐からジッポライターを取り出したサトル君がライターを握る右手に左手を添えてスッと脇に控えた。



 弥堂はタケシ君から煙草を1本受け取り口に咥える。


 そのタイミングでスススっと寄ってくるサトル君を制した。



「火はいい」



 弥堂は左手で握っていた100円ライターで着火する。


 スゥーっと深く吸い込み、フゥーっと一息で吐き出す。



「やるよ」


「え? あ、ザッス……?」



 そして吸いさしの煙草と使いかけのライターをサトル君に握らせた。



 彼らはわけがわからず、表情のない弥堂の顔と向こうへ離れていくボラフとをチラチラと見比べている。


 やがて、ある地点でボラフとネズミの化け物は虚空へと消えた。




 余分なものを全て取り払い、やるべきことをする。



 そう切り替えをしようとしていると、仲間に肩を借りたジュンペーが近寄ってくる。



「今日はもうシメェだ」



 周囲を見れば、もうこの場に残っている人数は大分少ない。


 パーカーフードを被ったガキも居なくなっていた。



「……見逃してくれるってことか?」



 弥堂が黙っていると、警戒心を浮かべたモっちゃんが言葉を返す。



「貸し借りナシだ。そういうことにしとけ」



 すると、不本意そうな顔をしたジュンペーが答える。



「ヘッ、気にすんなよ」


「ウルセェよ」



 得意げに笑ったモっちゃんにジュンペーは増々表情を苦くした。


 そしてその顔を弥堂へ向ける。



「オイ、通り魔ヤロウ。テメェ名前は?」


紅月 聖人あかつき まさとだ」



 即答で偽称した弥堂へモっちゃんたちが「えっ?」と一斉に顔を向ける。



「テメェ、あれで勝ったと思うなよ? 次は潰し合いだ」


「次があるといいな」


「なんだと? どういう意味だコラ」



 気まずげに弥堂の顔をチラチラ見ていたが、彼がナチュラルにジュンペーを煽り始めたためモっちゃんは慌てて仲裁に入る。


 彼らとしては今日はもうこれ以上のバトルが御免被りたかった。



「ま、まぁまぁ……、せっかく意味のわからねェ状況からお互い生き残ったんだし。今日はもうやめようぜ? な?」



 普段の彼らしく卑屈な笑みを浮かべて宥めると、肩を怒らせていたジュンペーは深く息を吐いて気を落ち着けた。


 その仕草にモっちゃんもホッと胸を撫でおろそうとするが――



「――オマエ、佐川っつったな……? 覚えたぞ」



 ギロリと鋭い眼差しをジュンペーに向けられて、身を硬直させる。



「ギャハハハッ! モっちゃんはいつでも上等だぜ!」


「アァ?」



 横からチャチャを入れてきたサトル君をジュンペーは睨みつけようとしたが、顔を向けた先には頑固そうな角刈りが。


 ジュンペーは彼の頭をジッと見て、それからスッと目を逸らした。


 そのまま仲間の手を借りて立ち去って行く。



 途中一度だけ振り向き、



「オマエとも必ずケリをつける。オレは“RAIZIN”の瀬能だ。忘れんなよ」



 モっちゃんへ向けてそう捨て台詞を吐いて歩いていった。



 彼の背中が離れていくと、固まっていたモっちゃんの身体がプルプルと震えだす。



「あわわわわ……、や、やべぇ……、やべぇよ……っ」



 今更自分の仕出かしたことの重大さを自覚しビビリ始める。



「ススススゲェェェェッ! モっちゃんスゲェェェェッ!」

「“カゲニシ”の瀬能にライバル宣言されたぜ!」


「バッカ、タケシ。モっちゃんはアイツにタイマンで勝ったろ?」

「あ、そっか。モっちゃんの方が上か! ヤッベェ、さすがモっちゃんだぜ……っ!」



 彼の仲間が集まりチヤホヤし始めるのを尻目に、弥堂は通信に語りかける。



「追ってるか?」


『見失ったのだ。現在捜索中なのだ』


「店と駅も張っておけ」


『了解なのだ』



 弥堂のターゲットはパーカーの男か、ホストの男だ。


 彼らはもう終わりのつもりでいるだろうが、弥堂の方は必要があればこれからもう一度襲撃をかけるつもりでいる。



「ギャハハハッ! スカルズも案外大したことなかったな!」

「この路地裏もいずれモっちゃんがシメることになるぜ!」


「キ、キミたち……? ここは彼らのシマだよ? あんまり大きい声で、やめようよ……」


「あれ? サトル、オマエなにやってんだ?」

「こっち来いよ」



 すると、いつもならば率先してモっちゃんをヨイショするはずのサトル君が参加していないことに彼らは気付き声をかける。


 次はどう動くかと考えていた弥堂もそちらに気を引っ張られて視線を向けた。



「ん? あぁ、ちっと待ってくれ」



 立派な角刈りにメタモルフォーゼしたサトル君は何やら手に持った物をゴシゴシとボンタンにこすり付けて拭いていた。



「なんだ? サトル、オメェなに持ってんだァ?」


「おぉ、モっちゃん! あのよ、なんかテカテカしたスーツ着たヤツ助けてやったろ?」


「ん? あぁ、あのホストみてェなヤツな」


「アイツよションベン漏らしてやがって、ボンタンについちまってよぉ。ムカついたから財布でもパクってやっかって内ポケからスってやったんだよ」


「お、なんかいいもんでもあったんか?」


「それがよぉ……」



 サトル君は眉をフニャっと下げて、謎の粘液を拭き取ったそれを差し出す。


 弥堂の眉がピクリと動いた。



「……なんだこれ? 筆箱か?」


「ホストだから金持ってっと思ったのによぉ、しくじったぜ……」



 残念な戦利品に彼らはテンションを下げようとするが――



「――貸せ」



 弥堂はそれをモっちゃんの手から奪い取った。



「おわっ⁉ ビックリした」


「ビトーくん欲しいのか?」

「別にオレらはいいぜ?」

「ビトーくんいつもペン持ってねェもんな」


「これは……」



 長方形のアルミケースを開けて弥堂は眼を僅かに開く。


 数秒それを見つめてからケースを閉じた。



「……サトルくん。ちょっとこっちに来い」


「え⁉ な、なんでだよ……⁉」

「あっ! ビトーくんは風紀委員だから……」

「パ、パクったのがマズかったのか……⁉」


「ビ、ビトーくん、コイツちょっと手癖ワリィけどイイヤツなんだ……! カンベンしてやってくれ!」


「うるさい。いいからこっちに来い」



 仲間総出でサトルくんの助命を懇願するが、それを一蹴されてしまう。


 サトルくんはビクビクしながら弥堂の前へ出て歯を食いしばり、ギュッと目を瞑った。



「……?」



 しかし、少し待っても備えていたような衝撃は来ない。



 恐る恐る目を開けようとすると、不意に制服ブレザーの胸ポケットの重みが増した。



「うおっ、ととと……、なんだァ……⁉」


「オ、オイ、サトル! オマエ、これっ……!」


「えっ……?」



 モっちゃんから驚きの声が上がり、サトルくんが胸ポケットの中身を取り出してみると――



「――さっ、さささ札束ァァーーッ⁉」



 そこに詰められていたのは分厚い一万円札の束だった。



「ビッ、ビビビトーくん! コレェッ⁉」


「でかしたぞサトルくん」


「え?」


「そいつは褒美だ。とっておけ」



 身に覚えのない報奨を与えられ彼らは戸惑うがそれも一瞬のこと。



「ひゃっほーぅ!」


「ひゅぅぅぅっ!」

「やったぜぇっ!」

「大金だぜぇっ!」



 彼らは見たことのない大金に小躍りをした。



「サトル! それいくらあんだよ⁉」


「まってくれモっちゃん……、これ100万だ! 札束だから100万だよ!」


「うおおぉぉっ! 単車買えるんじゃねェか!」



 正確には70万円だが、彼らは碌に数を数えられないので、札束は全部100万円だと思っている。


 それが“R.E.Dレッド SKULLSスカルズ”の拠点の金庫から盗んできたものであるとは露とも知らず、彼らは喜びを分かち合った。



「お前らもう帰っていいぞ」



 そんな彼らに冷たい眼を向けて弥堂は命じた。



「え? もういいのか?」


「あぁ、用済みだ」


「で、でも、水無瀬ちゃんがまだ……」


「そっちも俺がどうにかしておく。お前らは邪魔だ」



 水無瀬を心配してこの場に残ろうとする彼らを終いには脅しつけて帰らせた。



 周囲に人の気配が完全に無くなったことを確認し、弥堂は先ほど手に入れたアルミケースを開く。



「これが“WIZ”……」



 中に入っていたのは数本の注射器とアンプルだった。



 液体入りのアンプルを摘まみ上げ、それを視線上に置く。



 小さく息を吸って眼を閉じ、イメージ上のスターターを蹴り下ろしてドルンっと心臓に火を入れる。


 加速する鼓動に生み出される血液の循環を速め、その力のほとんどを眼に持っていくと、カッと瞼を開いた。



 蒼銀の膜が張った瞳の奥の蒼い炎に、手に持ったアンプルを映す。



 そして記憶の中に記録されたモノとの異なる部分を探し出す。



 首筋から流れる血管が肥大化し、頬から右眼まで皮膚を膨らませる。



 その眼で映した情報が脳まで送られ処理が進むに連れて、白目の毛細血管が精彩に色づく。



 やがて弥堂はアンプルをケースに仕舞い蓋を閉じた。



(やはり――)



「――“馬鹿に付ける薬ドープ・ダーヴ”……」



 弥堂の持つ知識では別に“神薬パルスポーション”とも呼ばれていたモノ。


 それに限りなく同一であると言っても過言ではない程に酷似したモノ。


 知識の中に在るモノで、同時にここには無いはずのモノ。



 その理由を考えようとして、やめる。



 意味がないからだ。



 どんな理屈を捏ねて抵抗しようとも、今この手にあるモノは消えてなくなったりはしない。



 ともあれ、これで一つ目的を達した。



 ゴミクズーと魔法少女に場を乱され、今日も無駄足になるかと思ったが、ようやく一つ。



『目標、ポイントアルファに――』



 合成音声で鼓膜を揺らしてくるイヤホンを外して地面に落とす。それを靴底で踏みつけて破壊する。



 弥堂は踵を返し歩き出した。



 首の後ろの留め具を外して、服の中に隠されていたロザリオを引き摺り出す。



 ドロリと、右の眼と耳から血が垂れる。



 赤く汚れた視界に背信の逆さ十字を掲げ、バチィっと音を鳴らし空間を裂く。


 血の泪の中で蒼い焔がゆらめいた。



 前に数歩進むと弥堂を吞み込んで結界は閉じる。



 スケボー通りから人の姿が消え、一つの戦いは終わった。



 誰の目にも止まらぬ場所では、誰にも知られぬ決着がつけられようとしている。



 狭い路地裏よりもさらに暗く深い陰の奥で。



 それを覗きに光から離れる。

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