1章56 『Away Dove Alley』 ⑧


「――ユウキくぅーんっ……!」



 大声で名前を呼びながら走ってきた女は弥堂の少し手前まで来ると、ブーツのヒールを一際強く路地裏の路面に打ち付けて踏み切った。



「…………」



 胸を目掛けて飛び込んでくる女へ迷惑そうな眼を向けながら、弥堂は身体を半歩横にズラす。



「――えっ?」



 相手が受け止めてくれることを前提に空中にダイブした女は驚きに目を見開いた。


 身を逸らした弥堂と擦れ違い、そのまま地面へ落ちていく。



「うえぇぇぇぇっ……⁉」



 弥堂は嘆息しつつ女の服を掴むと、彼女のダイブの慣性のままその場でクルっと一回転して勢いを完全に殺す。



「……あれ?」



 何事もなかったかのように弥堂の脇に立たされた女はパチパチと不思議そうにまばたきをした。



「ねぇ、今のなに――」


「――ウラァッ! テメェなんだこのヤロウッ!」



 女の口から漏れた特に意味のない問いは男の怒声に遮られる。



 弥堂も女のことは無視して、こちらへ走ってくる男を眼に映しその歩幅を測り、わずかに足の置き所を調整する。



「オイッ! 痛い目にあいたくなきゃあその女――」


「――っ」



 弥堂の前で立ち止まる最後の一歩のもう一歩前――減速の負荷が大きくかかるその足にタイミングを合わせて弥堂は踏み込む。



「い゛っ……、くぺっ――⁉」



 男の右の爪先を左足で踏みつけ、その動作の流れのまま顎をカチ上げるように首を掴みながら打つ。


 息が詰まった男が目を白黒させる間に踏みつけていた足を離す。


 その足で横から足払いをかけると同時に、掴んでいた首を足払いとは逆の方向へ引いて男を地面に叩きつける。


 そして地面に側頭部を打ち付けて意識を飛ばす男の鳩尾を右足で蹴りつけて完全に無力化した。



 白目を剥いた男を2秒ほど注視してから改めて弥堂は女の方へ向き直る。


 女の方も倒れた男をジッと見てからまたパチパチとまばたきをし、それからようやく口を開いた。



「やば。話も聞いてあげないんだ」



 今しがた目の前で行われた暴力沙汰にショックを受けたのかは定かではないが、彼女の口から出てきたのはやはり意味のない言葉だった。


 面倒そうに嘆息しつつ弥堂は答える。



「時間の無駄だ。どうせ最終的には殴るんだ。だったら最初からこうした方が効率がいい」


「えぇ……、せめて言い分くらい聞いてあげなよ……」


「そうか。じゃあ、無駄だとは思うが一応聞いてやるよ――」



 弥堂は一つ間を置き、彼女を視る眼をジロリとさせる。


 女はギクッと肩を跳ねさせた。



「――こんな所で何をしているんだ? マキさん」


「あははー……」



 胡乱な瞳を向けてくる男から気まずげに目を逸らし、キャバクラ店『Voidヴォイド Pleasureプレジャー』のエスコートバニーさんは曖昧な苦笑いを浮かべた。








「――え? あぁ、そうなのか……。わかった、そうする……」



 水無瀬を“South-8”へと連行している男たちの一人――リクオは簡素な返事だけをして電話を切った。



 そして若干気まずげな表情で水無瀬へ声をかける。



「あー、水無瀬ちゃん?」


「はい?」


「ちっとワリィんだけど、少し来た道を戻るぜ?」


「あ、うん」


「少し道を間違えちまってな……、ゴメンな?」


「ううんっ、大丈夫だよっ。ありがとうっ」



 断りを入れて進路を真逆に変更する。


 水無瀬を追い越しがてら彼女の表情を盗み見るが、特にその表情に変化はない。



「う~ん……」



 なにか据わりの悪さを感じながらリクオが首を傾げていると、仲間の一人がさりげな寄ってきて囁きかけてくる。



「……なんか問題あったのか」


「いや、そういうわけじゃあねェ」



 チラリと背後の水無瀬の顔をもう一度見る。


 彼女はニコニコしながら後を着いてきていた。



「……あの子、一つも疑わねェのな」


「あー……、な?」



 リクオの言葉に仲間も何とも言えない表情になった。



「場所が変更になった」


「そういうことか」



 通い慣れた風に説明していた場所に連れていくはずが、その道を間違えたと言っても彼女は何も疑問に思っていないようだ。


 それ以外にもここまでのやり取りの中で見てきた水無瀬の素直さに彼らは少々戸惑いを浮かべていた。



「……あれ本当に“WIZ”の客か?」


「……そうは見えねェけど、だからヤマトくんの客なんじゃねェかって」


「あぁ、なるほど……」


「だから変更だ」


「違ったらオレらシメられねェか?」


「まぁ、だったらだったで適当に謝ろうぜ」



 口に咥えたタバコに火を点けそうになってそれをやめたリクオはタバコをポケットに仕舞いなおす。


 路地から覗く狭い空へ向かって煙の代わりに息を吐きだし、言葉少なに水無瀬を連れて歩いていった。












「……面目ないです」



 両手をモジモジとさせながら反省した素振りを見せる女へ弥堂は侮蔑の目線を送る。



「これも言うだけ無駄なことだが、希望どおり一応言ってやる。『だから言っただろ』」


「ゴメンなさぁーいっ!」



 大袈裟な声量で謝ってから泣き真似をし始める女への関心を失くす。


『もう言うことはない』と弥堂がこの場を立ち去ろうとすると、マキさんがガっと腰にしがみついてきた。



「待ってよぉー! どこ行くのー⁉」


「仕事だ。もうここに用はない」


「冷たいーっ! ワタシ今コワイ目に遭ったんだよ⁉」


「『だから言っただろ』」


「やだー! そんなの聞きたくないーっ!」


「他に言うことなんかねえよ」


「じゃあ話聞いてよ! なにがあったのって!」


「断る。さっさと出勤しろ」


「そんなこと言わないでーっ! ねぇーってば!」


「…………なにがあったんだ?」



 簡単には離してくれなそうだったので、弥堂は渋々話を聞いてやることにした。


 するとマキさんは満足げに鼻息を漏らす。



「えっとね、ごはん終わってさ、今日はもう時間ないって言ったら、『もっと付き合え』って無理矢理路地裏に引っ張り込まれたの!」



 先程『とても怖い目に遭った』と供述していた女は何故かドヤ顏で経緯を語った。


 あまりに薄っぺらいエピソードに呆れた弥堂は一応感想を言ってやる。



「『だから言っただろ』」


「ねーえっ! それじゃ話終わっちゃうじゃーん!」


「もう終わってんだよ。じゃあな」


「やだー! いかせなーい!」


「いい歳してダダをこねるな」


「ワタシまだ大学生だもーんっ」


「成人してたらもう大人なんだよ」


「そんなの聞きたくなーい! もっと心配してるフリしてよー! 上辺だけでいいから甘やかしてー!」


「ふざけるな。そんな無駄なことを誰がするか。もう言うべきことは言ったし警告もした。自己責任だとも言った。後はもう知らん」



 全力で腰に抱きついてくる女に苛立ちながら突き放すようなことを言うが、言われた本人はニンマリとした笑みを浮かべた。



「とかなんとか言っちゃってさぁ。ユウキくんって毎回同じように言ってくれるよね? ワタシのこと好きすぎん?」


「…………」



 イタズラげな視線で見上げてくる彼女の顔を胡乱な瞳で見遣り、弥堂はズリズリと彼女を引き摺って歩き出す。



「もう行く」


「ちょっとぉ! なにか答えろよー!」


「キミの受け取り方次第だ。好きにしろ。俺の知ったことではない」


「そ。じゃあ好きを受け取るね?」


「…………」



 その微妙な言い回しに弥堂は眉を寄せ足を止める。



「待て。やっぱり駄目だ」


「もうダメだよーん。“好き”にしちゃったからー」


「…………」



 弥堂は何かを言い返そうとして、その言葉を思いつくのに失敗し嘆息する。


 その僅かな隙にマキさんは弥堂の腰に回していた手を離すとその腕を弥堂の首に回し、彼にぶら下がるように身体を密着させる。



「……ね? これでも本当にけっこう恐かったんだよ……? なぐさめて?」



 グイっと胸を押し付けてくる女に、『どうにもこの娘は苦手だ』と内心で思いながら弥堂はまた溜息を漏らす。



「暇じゃないんだ」


「あとちょっとだけ付き合ってよー」


「そう言われて断ったんだろ?」


「……うん。だからワタシもムリヤリ連れ込んじゃう」


「おい」



 マキさんは全身でグイグイと押して、弥堂を壁際へ追いこもうとする。


 首に腕を巻き付けられ、彼女の身体が半ば地面から浮くほどに体重を預けられると反射的に彼女の腰に手を回して支えてしまう。



「ユウキくんはなにしてたの?」


「仕事だ」


「ウソばっか」


「嘘じゃない」



 関係のない今更なことをコショコショと話される。


 背伸びをした彼女の鼻先が唇に触れるような位置にあり、話すたびに彼女の吐息が顎にかかる。



 それを不愉快に思ってジロリと彼女の顔を見下ろすと、ジッと熱っぽくなった視線で見上げる彼女と目が合った。



「もしさ? たまたまユウキくんが居なかったら、ワタシきっと無理矢理ヤられちゃってた……」


「そんなことはない」


「あるってー」


「きっと通りすがりの正義の魔法少女が助けてくれたさ」


「まーたテキトーなこと言う」


「……これはおせっかいだが、今日は運が良かっただけだぞ」


「わかってるってば」


「だといいがな。死体になって全裸のまま表通りに棄てられることになるぞ」


「やば。なにそれー」



 クスクスと笑う彼女に眼を細める。



 きっとここに至っても彼女はわかっていない。


 たまにこういうこともある。


 その程度のリスク。


 リスクを孕んだ火遊び。



 それくらいの認識なのだろう。



 いくらそうではないと考えていて、そうではないと言ったとしても、結局変えることなどは出来ない。


 彼女が今後も平穏無事に生きていけるかは運に委ねるしかなくなったということだ。


 それも何も変わっていない。



 少し赤みがかった茶色の髪。


 バニーガールとして勤務している時はいつもポニーテールにしているその髪は今は下ろしている。


 少し潤んだ瞳からの熱視線と擦れ違い、その瞳の向こう側にいつかの記憶を視る。



 ぬかるんだ馬車道。


 潤いを失くした赤い髪。


 暴力に傷つき、欲望に汚され、所々日に焼けた白い肌は横たわった土の色に近く。


 力なく投げ出されたまま固まった指が車輪に轢かれ、馬糞と土の混ざった泥が通り過ぎた後に撥ねて、その肌に落ちて穢し指先は欠ける。




「――やっぱワタシのこと好きじゃん?」


「どうしてそう思う」


「なんだかんだ心配してくれるし」


「残念だがたった今、もう無駄だなと見限ったところだ」


「えー? じゃあ、見捨てられないように媚びちゃおっかな」


「おい」



 冗談めかした表情で舌を伸ばした彼女に顎の先を舐められる。


 不快感から咎めるような眼を向けると、彼女の視線に一層熱が籠った。



「なんかさ。少女漫画のテンプレみたいなシチュって現実にあるんだなぁって……」


「勘違いだ」


「ワタシ……、ドキドキしてる……」


「医者に行った方がいい。俺では助けになれん」


「えー? そんなことないよぉ?」



 グイっと、さらに身体を押し付けられると、露出の多い洋服越しに彼女の胸の形が歪んだ。



「ユウキくんならぁ、今ここで、このドキドキを収められるんだけどぉ?」


「殺してやればいいのか?」


「もぉーっ。すーぐそうやってトボけるんだからぁ」



 強く首を引かれ、至近距離で目を合わせられる。



「――コーフンしちゃった……って言ってんの……」


「……外だぞ」


「ウサギさんはケダモノだからお外で発情しちゃうのだー」


「今はウサギじゃないだろ」



 適当にあしらうが彼女はお構いなしに催促するように身体を擦り付けてくる。



「……ね? 前のこと覚えてる?」


「覚えてないな」


「ワタシたちさ、結構相性よかったと思うんだよね……。これってワタシのカンチガイかなぁ……?」


「勘違いだな」


「そうかなー? じゃ、確かめてみようよ」


「なんだと?」



 首に巻き付けていた手を離し、その手で弥堂のネクタイを掴む。


 シュルリと音をたててそれは緩められた。



「おい」


「ね? ここでシちゃお……?」


「馬鹿なことを言うな」


「いいじゃん。すぐに出させてあげるから……、シよ?」



 再び身体を密着させようとしてくる彼女から逃れようと動かした足が、すぐ近くにあったゴミ箱に当たる。


 その衝撃でゴミ箱は倒れ蓋が外れてしまった。



「――えっ……?」



 すると、ゴミ箱の中から白目を剥き口の中に下着を突っ込まれた女がゴロンとまろび出てきた。



「…………」



 熱に浮かされたような顔をしていたマキさんは、それを目にした瞬間にスンッと真顔になり、スススっと身体を離す。



「……人殺し」


「死んでないぞ」



 多大な誤解が生じたようだったので、弥堂は気絶した女の顔を踏みつける。


 すると女の顔に苦悶の表情が浮かび、ピクピクと身体が痙攣した。


 マキさんはさらにドン引きした。



「やばすぎ」


「だからヤバイから路地裏には来るなと言っただろうが」


「ユウキくんがだよっ!」


「あ?」



 声高に主張してくる彼女に眉を顰める。



「レイプじゃん!」


「人聞きの悪いことを言うな」



 こちらの名誉を著しく損なわせるような疑いを弥堂は即座に否認する。


 その供述を受けたマキさんはもう一度遺体(未)に目を向け、特に口からはみ出た赤いレースをジッと注視する。



「レイプじゃんっ!」


「ちげぇって言ってんだろ」



 だが、どう見てもそうとしか思えなかったようで、再度同じ主張を繰り返した。


 弥堂はうんざりとした面持ちになる。



「てゆーか、ふざけんなぁっ!」


「なんだよ」



 何やら強い憤りを見せる彼女のこともいい加減鬱陶しくなってきて、弥堂は地面に転がるゴミ箱に眼を遣りながら、『二人入るか?』と考えを巡らせ始める。



「ワタシが誘ってものってこないくせに!」


「あ?」


「こんなオバサンとは無理矢理レイプしてでもエッチするとかなんなの⁉ プライドズタズタなんだけどっ!」


「知らねえよ」


「熟女好きなの⁉」


「ちげぇよ」



 もう埒があかないので彼女も気絶させてしまうかと決めたところで――



「――オイコラそこのテメェッ!」



 また新たな乱入者が現れる。


 狭い路地にゾロゾロと入ってきたのはスカルズの者たちだ。



「テメェか⁉ オレらにケンカ売って暴れてるってヤツは……!」



 問いですらない威嚇の声には答えず、弥堂は素早くマキさんを背後に隠す。



「わわ……っ⁉」


「後ろを向いてろ。顔を見られるなよ」


「えっ?」



 戸惑いから反応が追いついていない彼女を放置して、スカルズへ半身を向ける。


 バールを振り上げた男が既に向かってきていた。



「ぶっころろろろろ……っ!」



 クスリでもキメているのか、目を血走らせて突進してくる男を視る。


 手に持ったバールに注目しないようにその全身をしっかりと視界に収める。



 弥堂を射程に収めた男が足を止めてから右手に持ったバールを振り下ろす瞬間、弥堂は一歩左前方に踏み出す。


 袈裟懸けのバールの軌道を変えさせぬよう相手の右肩に左のショートフックを振るように掌打を当てる。


 力の勢いを増幅させられて男が身体操作を失った瞬間に左の足払いを仕掛けて宙に浮かせた。



 空中で横回転させられ目を白黒させる男からバールを取り上げると、すぐにそれを後続の一人に向かって投擲する。



「――ぃぎゃあぁぁぁぁっ……⁉」



 クルクルと回って飛んでいったバールが左腿に突き刺さった三番手の男が崩れるのと同時に、地面に落ちた先鋒の男の鳩尾を踏みつけて意識を奪う。



 相手は全部で4人。


 最後尾の男は自分の前を走っていた男が倒れ、地面に血の染みが拡がっていく光景に驚き腰を抜かした。



「――えっ……? あ……、えっ……?」


「あじぃぃぃぃ……っ! おでのあじぃぃぃ……っ! じんじゃうぅぅぅっ……!」



 二番手の男は、自身の前後を走っていた仲間があっという間に倒れて無力化されたのを見て自失し、ノロノロと減速しながら弥堂の前までノコノコと無防備に近寄ってくる。



 弥堂は特に何を言うこともなく男の顔面に右手を伸ばす。


 最短軌道で放たれた掌で鼻を打ち、仰け反る男の服を左手で掴み引き寄せる。



 顔面を打った右手でそのまま顔面を掴んで、すぐ横の壁に叩きつけた。


 壁にぶつけた顔面から手は離さずにそのまま壁に擦りつけながら引き摺る。


 そして勢いよく身体を回した遠心力を使ってその男を最後尾で呆ける最後の一人目掛けて投げつけた。



「――ぎゅぺっ……⁉」



 男二人で重なりながら路面を転がる。



「――ひっ……⁉ 血ぃぃぃっ⁉ ちぃぃぃぃぃっ⁉」



 4人目の男は自身の身体に付着した血液と、投げつけられた男のグジュグジュになった顔面を目にして完全に気を動転させると、足をもつれさせながら仲間を見捨てて逃げ出した。



「やば」



 背後からその声が聴こえると同時に弥堂は足にバールが刺さって泣き喚く男へ視線を振る。


 そして素早く近づいて男の意識を奪った。



 マキさんは呆然とした様子で倒れた3人の男を見てから壁に視線を移動させる。


 スプレーで描いたラクガキのような血痕がそこにはあった。



「顔を隠せと言っただろうが」


「こんなヤンキー漫画みたいな暴力ホントにするんだね……」



 こういった現場に慣れていないのだろう。


 弥堂が言ったことと全く関係のない感想が返ってくるが、素人に正しい対応を求めるだけ無駄かと諦めた。



『――目標ターゲットの逃亡先を特定。まもなくポイント・アルファに入ります』


「すぐに向かう」


「えっ?」



 目をパチパチさせる彼女を無視して、足から血を流して倒れている男を掴んで引き摺って行く。



「その男は何処にキミを連れていくと言った?」


「え? えっと、“South-8”?」


「そうか。すぐにこいつらの仲間が来るぞ。逃げた方がいい」


「あ……、うん……」


「ついでにそこの女も持って行ってくれ」


「えっ⁉」



 まさかの要求にマキさんはびっくり仰天する。



「も、もってけって……、どうしたらいいの⁉」


「表通りまで出たら適当に捨てておけ」


「え、えぇ……」


「俺はもう行く。じゃあな」


「ちょ、ちょっと……」



 混乱した彼女はわけもわからず弥堂の背中に声をかける。



「ユウキくんはどこ行くの⁉」


「こいつらのヤサだ。潰してくる」


「はぁっ⁉」



 弥堂はそれ以上は答えず、路地の出口の先を目掛けて手に持った男を放り投げた。



「――うおぉぉっ⁉ な、なんじゃこりゃあぁ⁉」

「イサム……っ! オイ! イサム血ぃ出てるぞ……っ⁉」

「誰じゃオラァッ⁉」

「テメェ、“ダイコー”かコラァッ!」



 するとすぐにその先から怒鳴り声が聴こえてくる。



「やばすぎ」



 マキさんの口からポツリと呟きが漏れる。


 すっかり静かになった狭い路地とは対照的に、呆然と向けた視線の向こうからは喧噪が。


 ガラの悪い怒鳴り声が上がっては消え、そしてまた上がり、その声は段々と遠ざかっていった。







「――どうしてこうなったぁぁ……っ⁉」


「待てコラァ! 止まれやぁ……っ!」



 別の路地では弥堂と同じ美景台学園の制服を着た4人組がドタドタと爆走していた。



「モ、モっちゃぁん……、オレ脇腹痛ぇよぉ……っ!」


「バカ野郎っ! 死ぬ気で走れサトルゥ……! 捕まったら腹痛ェじゃ済まねェぞ……っ⁉」



 モっちゃんたちヤンキーチームは未だにスカルズと追いかけっこをしていた。



「で、でも、モっちゃん……、オレらどこに逃げてんだ……っ⁉」


「わっかんねェよ……っ!」



 息も絶え絶えに聞いてくるサトルくんに、モっちゃんはヤケクソ気味に答えた。



 ここまでスカルズの巡回部隊から逃げるために、土地勘のない路地裏をデタラメに曲がりながら逃げて来た。


 方向感覚などとうに失っており、今自分たちがどの方角へ向かっているのかもわからなくなってしまっていた。



「――そこ左曲がるぞっ!」



 こうしている今もまた一つ滅茶苦茶に進路を選ぶ。


 すると少し開けた通りに出た。


 今まで通っていたところよりは若干道幅も広く、路面も少しはマシに整えられている。



「しめた……っ!」



 モっちゃんはチラリと背後へ視線を遣る。



 追手は変わらず着いてきているが同じ不健康な不良同士不慣れなマラソンにあちらの息も絶え絶えな様子だ。


 勝負スパートをかけるならここだ。



「オメェら気合い入れろ! ここで振り切るぞ……っ!」


「お、おぉ……っ!」

「ジョォトォッ!」

「うおぉぉぉっ!」



 仲間たちからの返事を確認しモっちゃんも足の回転を上げる。


 追手との距離が開き始めた。



「よし……っ! いける……っ!」



 光明が見えたと思ったのも束の間――



「――モっちゃん! 前っ……!」


「アァッ⁉」



 サトルくんの声に従い先を見ると、進行方向の道の真ん中に屯する集団がいた。



「あ、あれもスカルズか……⁉」



 前に居る者たちの顔まではまだ見えないが、こんな場所で道を塞いでいるのはスカルズである可能性が高い。



「ど、どうすんべ……、モっちゃん⁉」


「クッ、こうなったらしゃあねェ……! 一気に突っ切るぞ!」



 幸いにも前方の集団はまだこちらへ意識を向けていない。


 このまま勢い任せに脇を走り抜けてしまえば抜けられるだろうと判断をした。



 ヤンキー4人組は覚悟を決めて一層足に力をこめる。



 やがて、前方の集団の顔が見えてくる。



「ア、アイツは……っ!」


「――ヤマトくんっ!」



 答えは背後の追手から与えられた。



「アァ……?」



 彼らが呼びかけたことでヤマトが気だるげにこちらを見た。



「なんだァ……?」


「ヤマトくん! ソイツら……、つかまえてくれ……っ!」



 走りながら、それも体力の限界も近く言葉を発するのも限界だったのだろう。


 追手の端的な説明にヤマトは不快感を露わにした。



「ダレに命令してんだよ。ま、いいけど……」



 緩慢な動作でモっちゃんたちに身体を向ける。



「モ、モっちゃん!」


「スピード落とすな! 一気に走り抜けろ!」



 恐れから速度を落としそうになる身体を叱咤し彼らは走った。



 必死な表情で向かってくる彼らの顔を見て、ヤマトは顔が隠れるほど目深に被っていたフードを少し持ち上げる。


 そして彼らをその目に映した。



「――“這いつくばれ”」



 その声を耳にした瞬間、全力疾走をしていたモっちゃんたちは叩きつけられるように地面に倒れる。


 まるで身体が勝手にヤマトの命令に従ったかのように地面に這いつくばった。



「――な、なんだ……っ⁉ なにが……⁉」

「モ、モっちゃん……、身体が動かせねェよ……!」



 大きな混乱に陥る彼らの前にヤマトはゆっくりと近づいてくる。


 ほぼ同時に背後の追手も追いついてきた。



「コイツらさっきのヤツらじゃん。どうしたのこれ?」


「は、はい……っ、コイツら、リストに……っ!」


「あぁ、名前あったのね。ご苦労さん。しんどいでしょ? もう喋んなくっていいよ」


「ッス……っ!」



 ヒラヒラと手を振って巡回部隊を下がらせると改めてモっちゃんたちへ顔を向ける。



「まぁ、大したヤツじゃないのはわかってんだけど、リストに挙がってんならタダで帰さない方がよさげだよね……。お兄さんはどう思う?」



 意地が悪そうにニヤけながら見下ろしてくるヤマトと、その彼の向こうには首をゴキリと鳴らしたジュンペーの姿。


 大きな絶望感を彼らは感じた。



「ヘ、ヘヘッ……、お、お手柔らかに……?」



 せめてもの抵抗に出来たのは、卑屈な笑みを浮かべながらおちょくったような言葉を返すことだけだった。



 拳を握り固めたジュンペーが近づいてくるのが怯えた目に映った。

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