1章54 『drift to the DEAD BLUE』 ⑦


「――この島には神が眠っている」



 蛭子は真剣な目で全員を見渡す。



「神といっても名前や人格があると語られているような神さんとは全くの別物だ」



 先程女性器の名前を口にしていたような男が何かを語り始めたが、全員が気を遣って真剣な目を返した。



「大地に、大気に、あまねく在る、力、意思。それらが一所ひとところとどこおまりとどまりこごり、一つの大いなる力と存在と為ったもの。時にめぐみを、時にわざわいもたらし、れは人の身では為術なすすべが無きもの。オレたちの業界ではそれを神と呼ぶ」


「神さま……?」


尋常よのつねならずすぐれたることのありて可畏かしこき物を迦微かみとはいふなり」


「えっと……?」


「オレん家流で云うならこうだな」


「余計わかんなくなったんだけど……」


「……言っとくけどオマエん家流でもあるんだからな?」



 難しそうな顔で首を傾げる聖人に蛭子は胡乱な瞳を向ける。



「八百万の神、だっけ……?」


「祀られてるものはそうだな」


「それとは違うの?」


「まぁな。とはいってもこの島のは例外なだけで、大きな括りではそれと同じようなもんだ」


「習ったことあるけど、いまいち理解できないんだよね」


「兄さん兄さん、要するにハンパなくスゲーやつはヤベーから神ってことですよ」


「あぁ、そういうことか」


「雑だな! オイ!」


「えー? じゃあ、ドチャクソえっっっっな絵を描くイラストレイターさんマジ神ってことで」


「違ェよって言いてェところだが、何でもかんでも“神”って言う日本人の文化って絶対オレらの業界っつーか、神道からきてるよな。認めたくねェけど」



 複雑な表情をする蛭子にみらいさんはニッコリ満足をして、言いたいことは言ったので会話から離脱した。



「…………」


「えっと、そうするとこの島に居るのはなんて神さまなの?」



 微妙に蛭子くんのモチベが下がっていたので、気を遣って希咲は助け船を出してやる。



「ん? あぁ。名前はない」


「え?」



 その答えに意外そうに目を開いたのは質問をしてきた希咲ではなく聖人だった。答えを知っていた希咲は肩を竦めて話し相手から退いた。



「名前はない。名前を呼んではいけない。名前を付けてもいけない」


「どうして? ここって昔からあるんだよね? 名前がないと不便じゃない?」


「名前はその存在の意味だ。名前を付けるとそれがどういった存在なのか定義され、その力に指向性が生まれちまう」


「ま、また専門的な話だね……」


「オマエは一応その専門家の卵なんだって、そろそろ自覚してくんねェかな……」



 努めて冷静さを保ちながら蛭子は説明を続ける。



「例えばウチの神社だ」


蛭子ひるこ神社?」


「そうだ。七福神を祀ってる寺や神社って結構あるだろ?」


「あ、うん。七福神巡りとかってやってるよね」


「ウチの神社で祀ってんのはその内の恵比寿さんだ」


「うん、それは知ってる」


「そうか。じゃあ恵比寿さんってのはどういう神さんだ?」


「えっ?」



 聖人は宙空へ目線を彷徨わせ、何度も聞いた覚えのある答えを記憶から探る。



「えっと、商売繁盛……だっけ?」


「まぁ、それもある。元は漁業の神とされていたんだが、その延長の一つが商売繁昌だな」


「へぇ、そうなんだね」


「だが、ウチも含めた各地の恵比寿さんの神社に、恵比寿さんって実在する存在が実際に居るわけじゃあねェ」


「え? そうなの?」


「そうなんです。世の中言ったもん勝ちですからね。とりあえず居るって言い張っておけば、呼んでもいないバカどもが勝手に集まってきてお賽銭投げて行ってくれますから。ボロ儲けです」


「違ェよっ! 人ん家の神社を詐欺みてェに言うんじゃねェ! それに最近は呼んでも中々集まってきてくんねェから大変なんだよ!」



 横からみらいさんが誤情報を流してきたので相手にすることを余儀なくされる。



「バチあたりなこと言うんじゃねェよ!」


「ダウト。『罰が当たる』は仏教の教えです。蛮くんのお家はバリバリの神道のはず。インチキです」


「ウルセェな。似たような考えはどの宗教にもあんだよ。ウチだったら祟りだな。祟るぞコラ」


「まぁ、兄さん大変です。兄さん呪われちゃうそうです」


「えっ⁉ 僕が呪われるの?」


「はい。ですが兄さん。実は祟りと呪いは別ものなんですよ」


「そうなの?」


「はい。呪いは人や霊が様々な手段を使って直で相手に不幸を齎すものです。しかし祟りは神様に見放されちゃうことを指します。元々良くないことから守ってくれていた神様の加護が失くなっちゃったから、結果として不幸が訪れてしまうことがあるという仕組みです」


「へぇ、そうだったんだ。すごいね、みらい」


「わたし天才ですから」



 みらいさんは「むふー」っと満足げに鼻息を出すと、それっきりドヤ顏のまま黙ってしまう。



「……オマエ、知識を披露したかっただけか?」


「わたしの承認欲求が真っ赤に燃えちゃったんです!」


「ウルセェんだよ!」


「マウントをとれと轟き叫んじゃったんです!」


「黙ってろやボケ! 二度と邪魔すんじゃねェ!」



 自身の欲求に抗えない動物を威嚇して蛭子は聖人に向きなおる。



「美景は海が近い。昔から漁業が盛んだ」


「そうだったみたいだね」


「海に出る村の男たちが無事に帰れますようにって祈りがあった。家族全員食えるだけの成果がありますようにって祈りがあった。村全体が栄えますようにって祈りがあった。そして死す時に一族が続き繁栄しますようにって祈りがあった。その人々の想念と土地の力が混ざり合って存在と為り、その存在に意味と指向性が生まれる。んで、今言ったような願いを叶えてくれるのに都合のいい神さんは誰かっつーと恵比寿天様だ。だから祈り願った信仰にその名をお借りした。その結果、ここに恵比寿さんが存在することになった。その人々の信仰を預かり管理し守ってきたのがウチの蛭子神社ってわけだ」


「いやー、僕らの身近なものにも歴史があるんだね」



 他人事のように感心する彼に蛭子は呆れる。


 だが彼を見放すわけにはいかないので、辛抱強く言って聞かせる。



「歴史よりも仕組みを覚えろ。今言ったのはポジティブな例だ。破滅や不幸を祈ってそれが力と混ざっちまうとそれは呪いになる。さらに混ざった元の力が大きすぎると下手をしたら荒神になっちまうこともある」


「そうか。この島にはその大きすぎる力があるってことか」


「そうだ。だからこの島にも、神にも、名前はない。名前を呼んではいけない。名前を付けてもいけない」


「ネガティブな指向性を持ってしまったら大変なことになる?」


「それもそうだし、うっかり指向性を持たずにナニモノかにだけ為っちまったりしたら何が起こるかわかんねェ。つってもそういう時はいい方に転がることはまずない。ほぼ確実に禍となる」


「その一例が昔の災害……?」



 ようやく理解が繋がってきた様子の聖人にニヤリと笑ってみせた。



「そういうこった。そうならねェように溜まった力がおかしな方向性にならねェように質を管理し、力が溢れちまわねェように量をメンテする。美景の地に御影を置いてそれを代々仕切ってきたのが郭宮家であり、主に役目についていたのが紅月家であり、実働班が天津家や蛭子家だ」


「主に? そうじゃなかった時もあるってこと?」


「そうだ。時代によってそうじゃなかった時もある。理由は色々だ。特に覚える必要はない」


「そうなの?」


「あぁ。というよりかは、この役目に関して紅月が直接何かをすることは長いことなかったんだ。その必要がなかった」


「またややこしそうだね。どういうこと?」



 眉を顰める聖人に肩を竦めてみせた。



「それは別に難しかねェ。単純に何かする必要がないくらいに美景の地は安定してた。だから役目に名前を連ねてはいても実質やることがなかったんだ」


「元は危険な地ではなかったってこと?」


「そうだ。大体は細かいメンテを蛭子だけでやっていて、たまに郭宮のエライさんが来て少し手を加える。それだけで事足りていたし、そもそもこんな島に来て何かするなんてこともやってなかった」


「え? そうだったの?」


「あぁ。今の美景市――オレらが住んでるとこだな。もっと言っちまえば今の美景台学園のある場所。あそこが美景の要地だ。あそこでチョコチョコと作業するだけでよかったんだよ」


「少しは聞いたことあったけど、学園ってそんなに大事な場所だったんだ」


「むしろ他の場所にどんな被害が出たとしても学園だけは死守しなきゃなんねェ。そういう場所だ」


「そ、そんなに……」


「美景の地、美景台学園、そしてこの島。ウチの神社もそれに含めてもいいんだが、特にこの三つには密接な関係がある――というよりは三つで一つだと思ってもらっても構わねェ」


「それがさっき蛮が言ってた、美景の秘密……」


「そうだ」



 緊張気味に息を呑む聖人に、蛭子も一呼吸置いてから核心に触れようとする。



「あの、蛮。その話を聞く前にさ、ちょっといい?」


「……なんだ?」



 蛭子が口を開きそうになると聖人がそれを止める。


 なにか収まりの悪そうな様子で問いかけてくる彼に蛭子も構えた。



「ここまでの話を聞いててちょっと思ったんだけど……」


「あぁ」


「上手く言えないんだけど、ちょっと説明が難しくてなんて言っていいか……、なんとなく感じたってレベルなんだけどさ」


「構わねェよ。オレらの仲だろ。細けェこと気にすんな。それにオマエや七海の直感みてェなのはあてになるしな。言ってみな」


「そっか、ありがとう。それじゃさ――」



 聖人の視線を受け止める。


 その表情にここまでの緩んだ雰囲気はなく、とても真剣なものだった。


 彼がこういった貌をするのはごく限られた状況であり、自然とその緊張が伝わってくる。


 蛭子の胸の中で嫌な予感が膨れ上がる。



「絶対って言えるような根拠みたいなのはない……、でも、不思議とそうなんじゃないかって……、そんな確信があるんだ……」


「……なんだよ、言えよ」


「うん。でも、間違ってたらごめん。あのさ、蛮。もしかしてなんだけど――」


「…………」



 ゴクリと喉が鳴る。



「――もしかして、僕って責任重大なんじゃないのかな?」


「…………」



 迫真の表情で告げられた聖人の言葉に、蛭子はニッコリと笑みを浮かべる。


 ヤンキーには似つかわしくない爽やかな笑顔だった。



 それとほぼ同時に女性陣がザッと一斉に立ち上がる。


 望莱と天津とマリア=リィーゼの3名だ。


 希咲さんは少し前からペトロビッチくんに餌をあげるためにこの場を離れている。


 現在は腹が膨れて上機嫌になったクマさんが飼い主様に媚を売る為に、川原の石に背中を擦りつけてゴロンゴロンしている横でしゃがんでいる。



 女子たちが自分の皿とカップをピックアップして席を離れた。



「あれ? みんなどうしたの? 何処か行くの?」



 蛭子はゴキッゴキッと首を鳴らす。


 そしてキョロキョロと女性陣の顔色を伺うイケメンの胸倉を掴み、一気に引き寄せた。



「……もしかして、じゃねェんだよ――」


「ば、蛮……? なにを――」


「――最初っからそうだって言ってんだろうがァ……っ!」



 腕力にモノをいわせて彼の身体を振り回し、勢いのまま放り投げる。



「――ぷげっ⁉」


「わっ⁉ なにっ⁉」



 川原でしゃがんでいたらすぐ脇に男が降ってきて顔面から着地する。


 平和にクマさんのお腹を撫でていた七海ちゃんはビックリして、迷惑そうな目を向けた。



「あいたたた……、まったく、ひどいな――ぶぎゅぅっ⁉」


「ペトロビッチくん⁉」



 すると、ご主人様に迷惑をかけた不届き者にすかさずクマさんハンドが振り落とされた。


 聖人は再び川原に叩きつけられる。



「ちょ、ちょっと……、大人しかったのに急にどうしたの⁉ あ、こらっ! ペトロビッチくん、めっ! そんなのカジッちゃダメっ!」



 希咲の声を遠くに聴きながら、蛭子くんは目を覆った。



「やっちまった……」



 女どものせいで抱えていたストレスがオーバーフロウし、ついうっかり暴力を振るってしまった。


 この程度のことで自分の親友がどうこうなることはないので、それは別にどうでもいい。



 しかし、これでまた話の腰が折られてしまった。



 女と言い争いをしても基本口では勝てない。


 だからといって、いくらムカついてしまったとしても手を出すのは論外だ。


 故に、女と争いになった時点でもう負けが決まっているようなものだ。



 この幼馴染たちと一緒に育ってきた中で、蛭子はそれを学んでいた。



 一方で、男が相手ならちょっとくらいならブン殴ってもいいのかというと、そうでもない。


 最初はそう思っていたが近頃は違うと気付いてきた。



 そんなことが許されていたのは父親たちの年代が若い時までで、最近は男のくせにちょっと小突かれたくらいでピーピー泣き喚く奴ばっかりだ。


 殴っても効かない聖人が相手でもロクなことにならない。



 暴力はよくないなと、ヤンキー男は黄昏る。



 とどのつまり、今の時代は舌先で相手を言い負かして口で勝たなければならないのだ。


 自分がこいつらを相手にそれを出来るようになるかというと、全くそんな気にならない。



 結局はどうにもならない相手で、どうにもならないことなのだ。



――尋常よのつねならずすぐれたることのありて可畏かしこき物を迦微かみとはいふなり



 そこに信仰はない。



 だが、つまりはそういうことだ。

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